百年の本の物語   作:執筆家

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はずれ跳ね橋

はずれ跳ね橋より

 

次の日の朝、少年は旅立ちの支度を始めた。自分の持っている一番大きなバックパックに少しの着替えとりんご6個、チョコレートを3枚、瓶に詰まったキャンディーは重たいので瓶から皮袋に移した。黒い革表紙の何も書いていない本を詰めると少年は外套を探した。

外套はテーブルの椅子に新しいものが用意されていた、きっと今年の冬用に母親が用意していたのであろう、袖を通すとそれは少し大きかった。

外套には少年の瞳のと同じ色をした宝石のピンが挟んであった。少年の母親がその黄金の髪を結いあげるために大切にしていたうちの一本だった。少年は高価なものだと思い、それを一旦テーブルに戻そうとした、だが、そのピンから母親の笑顔がこぼれるような気がして、少年はピンを外套に戻したのだった。

はずれ跳ね橋までーーー

はずれ跳ね橋まで行ってみよう、あの橋は荷馬車が来る時以外降りていたことはないけど。

あの橋を越えた村人はいないけど、降りていたならここに戻ってくればいいだけ。

勇気と好奇心が少年の中で弾んでいた、足取りは軽く、急くようにドアを開いた。

 

世界は美しかった

 

昨日まで彼を苦しめていた世界は美しかった。空は蒼く、花々は薫り高く、少年は目を見開いた。

一筋の風が吹き、シルフィード達が少年の背中を押した、彼らはそこかしこにいたが、少年にかまってくるのは初めてのことだった。

光が体を透ける半透明の彼らに触れることはできないのだが、不思議と彼らは少年に触れることができた、少年の背中を押し、袖を引っ張った、少年は押されながら歩き出した。

白い小道の両脇にある菜の花畑から、菜の花達が声をかけてくるーーー旅立つにはいいお天気ーーー少年の足はどんどん速くなった、年老いたつがいのムクドリだけが月の出ない夜の旅は危険だと忠告を発した。

少年は走り出していた。シルフィード達が少年の周りを舞い踊り、菜の花の香りと声を舞い上げ、それは少年の横を素早く流れて行った、今や景色はどんどんと少年を過ぎ去り、少年は無我夢中で走っていた、こみ上げる感情が旅立つ歓喜なのか旅立つ寂しさなのか、それが少年を走らせた。

足の下の感触が小砂利から生い茂る芝生に代わり、硬い木の感触に変わった、自分の足音で少年は我に返った。

跳ね橋は降りていた。

 

           

シュレガー

 

 

我に返った少年が振り返ると、はずれ跳ね橋を渡り終えたところだった。

少年は大きく息をつくと、呼吸を整えるために膝に両手をつき、身をかがめてふうふうと休んだ。

呼吸が落ち着いたところでふと、ガタゴトと何かの音が聞こえてきた。

はっと顔をあげると、森沿いの草むらをおんぼろの荷馬車が、ずんぐりとした老ロバにひかれゆっくりとこちらへ向かってくるところだった。

その馬車はあまりにもおんぼろで左右に揺れるたびに木々は悲鳴をあげ、今にも壊れてしまうのではないかと思えるほどだった。

その荷馬車には目の細い青年がロバの手綱を持って座っており(手綱は持っているだけで膝からロバへとだらりと垂れていた)彼は少年が知っている限りずっと青年でずっと、月に一度ほどはずれ村に新しい本を積んでどこかからやってくるのだ、ただここ何か月か彼ははずれ村にくることがなく、少年はそれで心を痛めていた。

待ちに待ったその荷馬車に、少年は駆け寄った。

目の細い青年がさらに目を細めて少年に笑顔を向けた。

「やあ」

「こんにちは、新しい本?」

少年は待ちきれなかったというように早々と挨拶を送り、荷馬車の荷台を覗き込んだ。

荷台はからっぽだった。

少年はがっくりとうなだれた、いつもなら、ほんの何か月か前までは、ここにたくさんの真新しい本が詰まれ、図書館まで運ばれていくはずだったのに。

あまりの少年の落ち込みに、青年が慌てたように声をかけた。

「もう君の本はなかったろう?もうあの村じゃ誰も本を必要としないんだよ」

「ぼ、ぼくはーー」

少年は悲しみで息が詰まる思いだった。

「ぼくはずっと待っていたんだ、本を、本が来るのを」

青年は微笑んだ。

「でも君は旅立った、旅立つ変わった子供だ、だからもう誰も本をいらなくなったのさ」

青年はひらりと荷台から飛び降り、その足が草を踏み老いたロバの灰色の体の影に一瞬隠れた。

少年は残念そうに、また不思議な思いをかけて荷馬車をもう一度確認した。

そして青年に話しかけようと向き直ったが、そこに青年の姿はない。

少年はキョロキョロと周りを見渡したが、老いたロバ以外、周辺には誰もいない。

不思議に思ったが着地に失敗したのかと、ぐるりと回ってロバの向うを見てみた、が、誰もいない。

困惑しながら荷馬車の下を覗き込んだ時に、ふいに頭上から声が降ってきた。

「何してるんだい?君ってほんとに変わった子供だなあ」

青年の声だった、少年はびっくりして荷馬車に頭をぶつけるところだった、ひやりとしながら声の振ってきた方を見上げると、暗闇の色をした猫が、金色の瞳で少年を見つめていた。

「えっと、まさかそのう・・・」

暗闇色の猫は鼻をつんとあげ金色の瞳を意地悪く細めた。

「僕は僕さ」

「だ、だって君ーー」

少年はことさらびっくりして言葉を続けた。

「だって君さっきまでそのう、僕よりちょっと大きな大人だったじゃないか」

猫は怪訝そうな顔をすると当然とばかりに返答をよこした。

「だーかーらー、うーん君ってちょっとおばかさんだなあ」

「君が僕を見たじゃないか、僕はずっとどっちにも、どこにでもいたんだ、君が僕を認識したからここにいる」

「僕は僕さ」

猫はそう繰り返すと音もなく地面に降り立ち少年を見上げた。

「まあそんなことよりさ、彼の引き綱をはずしてくれない?もう荷運びの仕事はないんだ」

「なんだかあんまりよくわかんないや」

少年は心の底からそう答えると老ロバの引き綱を外す作業にとりかかった。

老ロバは荷馬車を下ろされ、それに足が引っ掛からないよう、少年は優しくロバを誘導した。

「彼はどうするの?」

仕事がないのならこの老ロバはどうするのだろうかと、少年は猫に尋ねた。

「彼?彼はね、彼のなりたいものになるのさ」

暗闇色の猫はさも当然かのように答えた。

「なりたいもの?」

少年は想像が追いつかないまま聞き返す。

「うん、彼はね」

「この仕事が必要になったとき、彼の野を自由に生きる仲間たちは誰もやりたがらなかったんだ」

「まあね、何よりも自由を望む彼らだからさ、当然なんだけど」

「でもね、彼はこの仕事を引き受けたんだ、この仕事ができる者になったんだ」

「でももうこの仕事は終わりさ、だから彼のなりたいものになるんだよ」

少年は老ロバを見やった。

灰色の老いてしかし力強いその毛皮が風にさざめく草原のように波うった。

どんな山道でもその荷を支えた太い足はしなやかに伸び、波打つ灰色の海原は漆黒のビロードのように光さざめきそのずんぐりした体は風のように走るためだけの最も機能的な形を作り、日に焼けてぱさぱさだったその鬣は王様以外手にしようのないような絹のように揺れた。

彼ーー老ロバは今や自由に生きる者すべての王のように漆黒のどうどうとした体躯になり、その絹の鬣は王冠のように風に揺れていた。

少年は心からの溜息をもらした。

少年が今まで見た中で、最も美しい生き物だった。

荷運びをしていたときと変わらない、黒曜石の瞳が、少年と猫に別れの挨拶を告げた。

「さよなら、君は何よりも気高い、何よりも美しい王様だよ」

猫が最高の挨拶をした。

「さよなら、君は、なんて美しいんだろうね、さようなら」

少年も歓喜に打ち震える心で言葉を綴った。

漆黒の自由な王は、風に乗り走り出し、すべての王となり少年の元を去って行った。

「ああ、なんて綺麗な生き物なんだろう」

少年はその姿を見送りながら言葉をもらした。

暗闇色の猫は、なぜか得意げに鼻をならし、相槌をうった。

「彼はね、彼のなりたいものになったのさ」

暗闇色の猫は一度伸びをすると、少年に言った。

「さ、僕たちも行こう、旅立ちだよ」

「君も来るの?」

少年はびっくりした。

「そうだよ、君は変わった子供でラプラス山に行くんだろ?だから僕も行くのさ、旅に猫はつきものだよ」

なんだかとっても変わった猫だな、と少年は思った。

「わかった、じゃあ行こうか、ええっとーーー」

「僕はシュレガー、シュレガーの猫さ」

シュレガーは金色の瞳を煌めかせた。

「そっか、よろしくシュレガー、僕は」

「知ってる、君は変わった子供だ」

シュレガーは少年の言葉を遮った、もう歩き出している。

「うん、じゃあ、行こうか」

「うん、行こう、早めに宵闇の森を抜けたいしね」

 

変わった子供と変わった猫は、並んで宵闇の森へと歩き出した。

 

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