百年の本の物語   作:執筆家

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ひとりぼっち

ひとりぼっち

 

 

月が頭上に到達しその光の粒子が地上に蔓延したころ、女神たちは少年の衣を織りあげた。

透明のようで重さも全くないその衣は光の粒に触れたところだけ波のように光り輝いた、少年はそれをふんわりと身に纏った。

「すごいな」

少年はため息をついた。

「どうもありがとうございます」

改めて女神たちに頭を下げた、女神たちは微笑み彼の頬を撫でた。

「始まりの月の光でしかその衣はできないからね、間に合ってよかった、もう終わりの月になる」

「さあ、青の淵のはずれまで送ろう、衣があれば大丈夫だけど万が一だからね」

その銀色の顔がある一方を向き、その手が少年を促した時だった。

僅かに水面が揺れ、水音が少年と猫と女神たちの耳に入った。

その音を頼りに水面を見つめる、水はゆっくりと持ち上がり、黄金の結い上げた髪が現れた。

一人の人魚が静かに水面より現れた、彼女の黄金の巻き毛は優雅に頭上に結い上げられていたが、人房だけ、肩にはらりと落ちており、その空色の瞳は真っ赤になっていた。

人魚は眉をしかめ、大粒の涙をはらはらとこぼしながら詰まるような声で言った。

「もう皆行ってしまったの?」

少年は返す言葉がなかった、人魚の表情は悲しみと苦痛に歪んでいた。

「ピンがなかったの、誰に聞いても知らないって言うのよ」

人魚は嗚咽をもらしながら誰に言うとでもなく続けた。

「私間に合わなかったのね、もうずっとひとりぼっちなのね」

女神たちもその顔に苦悩の表情を浮かべた、慌てて人魚のそばに集まり、その肩を抱く。

「ピンがなかったの」

人魚は繰り返した、涙が粒となり頬を流れ落ち続けた、少年は心が押しつぶされるようだった。

「ああお前、もう月が終わりの月になってしまった」

女神が絞り出すように言った、皆悲しみが溢れていた。

人魚は泣き続けた、少年はやっとの思いで言葉を発した。

「月に還れないとずっとここにいることになるの?」

泣いて言葉にならない人魚のかわりに人の腕の女神が答えた。

「次のラストシーズンまでね、でも人魚は月じゃないとそんなに長生きではない」

鋏の女神が続けた。

「世界が変わったら泡から生まれる人魚も変わるかもしれない、どうなるのかーーー」

女神も言葉を詰まらせた。

少年は考えなかった、ただ、そうすることが当たり前のように、当然のことのように思えた。

考えなかったし悩まなかったからそれは楽に言葉にできた、シュレガーに相談もしなかった。

「じゃあ、この僕の衣を使えばいいよ」

その言葉の意味するところに女神たちも人魚も時を止め少年を見やった。

シュレガーだけが驚かなかった。

「僕は走るのが早いし、ひとりぼっちじゃないんだ」

シュレガーに目線をやるとその猫はなぜか得意げに鼻をならした。

「ねえ、だからこの衣で月に還ればいいよ、泣かないで」

泣いてほしくない、その一心だった。

人魚はまだ涙をこぼしながら、途切れ途切れに言葉を発した。

「でも、でもそれじゃあなたが危ないわ」

女神たちは何も言わなかった。

少年は不思議な思いを抱いていた、今まで思案の森で、考えに考えて何も行動できなかったのに

今は何も考えていない、この行動が当たり前なのだ、何も迷うことはないのだ、少年は何も怖くはなかった。

「僕は走るのが早いんだ」

少年は笑顔を人魚に送った。

新しい外套に挟んである、少年の母親の瞳と同じ宝石のピン、彼女の髪を結い上げていた黄金のピンを引き抜き、そして人魚に差し出した。

「これで髪を結えばいいよ、だから泣かないで」

泣かないで、泣かないでーーーただそれだけだった。

人魚の瞳から零れ落ちる涙は止まり、おずおずと少年からピンを受け取った。

優雅なしぐさで残りの髪を結う姿に、少年は母親を思い出しちょっぴり寂しくなった。

髪を結い上げた人魚はにっこりと笑った、大きな空色の瞳がピンの宝石のように輝いていた。

輪の女神が少年を抱いてその顔を覗き込みこう言った。

「命にも生きることにもなんの意味もないけれど」

「お前がそれに意味を与えた、お前だけの特別な世界だよ」

少年はよくわからなかったが少し誇らしい気持ちになれた。

少年がその衣に手をかけたとき、人魚が慌てて声をあげた。

「あっ、ちょっとまって、いいものがあるわ」

少年を制した手で、絹のような肌の胸元をとんとんと叩くと、何かを吐き出そうとし始めた、あまりの突飛な行動に少年は目を丸くし、シュレガーは顔をしかめた。

けぽっ と人魚は何かを吐き出した、それを青の淵の水でパシャパシャと念入りに洗うと

「はい」

とこぼれんばかりの笑顔で少年に差し出した。

少年の手のひらに乗せられたそれは、3センチほどの見事な球体だった。

水晶のように透明なのにその向うの少年の手は見えない。

「完全な球体だ」

シュレガーが驚いたように言い、すぐにいつもの飄飄とした声色に戻り続けた。

「まあ、それがあればなんとかなるかも、ならないかも」

少年はどっちなんだと思った、これは何か特別なものなのだろうか。

「おやまあ、それはそれは」

鋏の女神が少し渋い顔をして言った。

「助けにはなるだろう、でも滅多に使うものではないけれども」

「持っておおき」

少年は礼を言うとその球体をポケットにしまった。

「さあ」

女神達が姿勢を正し、少し少年から離れた。

「脱いで渡したらすぐに走り出さなければならないよ、すぐに獣に見つかってしまう」

少年は頷くと、その衣を脱ぎ、人魚の目の前の水面にそっと浮かべた。

人魚は一度水面下へ潜ると、その衣の下から勢いよく飛び出した。

水滴と光の粒が舞う中、衣を羽織った人魚は少年に最後の挨拶を告げた。

「ありがとう、あなたのこと忘れないわ」

美しい笑顔だった。

少年も笑顔だった。

「僕も忘れないよ、さよなら」

上りゆく人魚に声を返した。

人魚は光の粒の中、ただ月を見上げ、大急ぎで空を泳いでいった。

「さあ!」

女神たちとシュレガーが緊張した声で急かした。

「野の兎のようにお駆け!決して振り返るでないよ」

「少しならひきつけていられる、さあお行き!」

シュレガーが少年の先に駆けはじめた、少年は女神たちに礼を言う暇もなくその後を追う。

「この森がお前の足を絡めとるようなことはないよ!お駆け!さあお行き!」

女神たちの声を後ろに少年は駆けた。

少年の姿が木々の奥に消えるやいなや、女神たちの前に獣の息が呼応し始めた。

「お下がり、狂気の狩人め、お前たちを切る刃ではないよ」

鋏の女神が叫んだ。

木々が揺れ、悪臭と狂気を放つ獣にして狩人が少年の存在を嗅ぎ付けた。

 

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