春。
風に運ばれた桜色の花弁がその人物の鼻先を通り過ぎた。仄かな甘い香りが鼻腔をくすぐるとその老人は温和な笑みを浮かべる。
「ほっほっほ、やっぱり田舎はええのう」
舞っていた桜の花弁の一枚を事も無げに掴むと、それを息で再び中空へ吹き上げる。
和装の老人――川神鉄心は田園の中にポツンと立たずむ駅舎のプラットホームに降り立っていた。他に客はいない、彼だけだ。
先程まで乗っていた一両編成のディーゼル機関車が力強いそのエンジン音を響かせながらゆっくりと加速をつけて遠ざかって行くのを見届けると、手に持っていた幅広の麦わら帽子を被り駅の改札口へと歩みを進める。
「ようこそ
初老の駅員が切符を切りながら笑顔で話しかける。
「ちょっと知り合いに会いにの。自然が多うてええとこじゃの此処は」
「そうですか、まぁ自然と温泉くらいしか自慢する所もない場所ですがゆっくりしていって下さい」
駅員は笑顔でそう言うと駅事務所に姿を消してゆく。
鉄心は改札を抜け、小さな達磨ストーブが置いてある待合室を抜けると途端に景色が広くなった。高い建物が何一つ無く、周りに広がる田園の中にポツリポツリと人家が見える。
集落をぐるりと囲む里山から吹く風に乗り、山桜の花弁が空一面に舞っていた。
「ふむ、空気も旨いわい」
鉄心は軽く深呼吸をして周囲の景色を眺めた。そこに駅から続く街道沿いに見える小高い山を見つけると、何やら少し考え込んだ様子で首をひねる。
「はて、あそこじゃったかのう?」
「こんにちはー」
考え込んでい様子の鉄心は、通りすがりに声を掛けられる、活発で若々しい声だ。
「ほっほ、こんにちは」
鉄心は考えることを中断し声の主に挨拶を返す。地元の女学生らしい3人連れの女の子達は
軽く会釈をしながら通り過ぎて行く。
「ふぉふぉふぉ、田舎の女学生も純朴で可愛いわい。ただスカートの丈がちと長いのう…」
鼻の下を伸ばしながら何故か少し残念そうな表情で女学生を見送った鉄心は、白く仙人の様に長い髭を撫ぜながら再び小高い山を見上げる。山の所々にも山桜が咲いており景観も美しく、高い建造物の無いこの近在では象徴的な雰囲気を醸しており最も目立つ存在だ。
「まぁ…登ってみれば分かるじゃろ」
・
風光明媚と言えば聞えは良いがこの村はいわゆる典型的な過疎の村だ。道行く鉄心に気軽に挨拶する人も高齢の人間が多い。観光地としても若者が好むような歓楽街は無く、どちらかと言えば中高年向けの温泉地の色合いが強い、先程挨拶を交わした女学生達も進学や就職をすればこの村を去ってゆくのだろうか。鉄心はそんな事を考えながら歩みを進める。
この様な風景は珍しくも無い。日本全国のいたる所に広がっているのだろうが、そのような寒村に根を下ろす『ある流派』の事を考えると鉄心は少し寂しい思いをするものだった。
「ほ、当たったわい。まだまだ記憶力は衰えておらんようじゃの」
山の参道の入り口に着いた鉄心は立派な山門を見上げる。
木で出来た門は苔生した石畳が門の風格とマッチして一目でかなりの年月を刻んできたものだと分かる。額束に彫られている文字は擦れて読めなかったが、鉄心は最初から知っていた様子で特に確かめることをしなかった。門戸は開いており、その奥には木漏れ日が照らす石造りの階段が伸びている。
「年寄りにはちとしんどいの」
そんな事を一人ごちながらも、なんら危なげの無いしっかりとした足取りで参道を上がって行く。
不意に心地よい風が山林を吹き抜ける。草木が小さくざわめいた様子を暫く足を止めて眺めていた鉄心は再び山の頂へと目線を移すと質素な門構えが見え初めていた。
(吉と出るか凶と出るか…やってみなけりゃわからんのう)
どこか神妙な面持ちの鉄心は再び歩みを進める。
2009年・3月―――この春の日より新しい物語が始まる。
取り合えず書きましたが、ちゃんと文章になっているのかが不安です。
特に説明もありませんがタイトルは思いつかなかったので適当です。
ご意見ご感想ご指摘などお待ちしております。