東方蒼穹弾 ~Ultraviolet from Silver Sol in Stratos. 作:影のビツケンヌ
たっぷり三十分程話して、ジキルの質問が終わった。
「さて、では今度はこちらが聞かせてもらおう。大体予想はつくが…お前は何を研究しているんだ?」
彼の後ろでマグネットが張り付く冷蔵庫。そこに張り付くのはそれだけでなく、白っぽい色合いのテープで留められたメモ書き。相変わらず達筆だが、俺の興味はメモ書きの内容ではなく、それに付随するテープが
「あら、ヤモリテープに気付いたのね」
「ああ。まあな。とするとやはり…」
「ええ。アタシが研究しているのは
「成程な」
ヤモリテープは普通のセロハンテープ程手軽に手に入った訳ではないが、コーカサスではさして珍しくはない――シェアナンバーワン製品の登録商標は『
「実際どんなものができたんだ?」
「そうねぇ…」
これ位なら‘いい場所の’研究機関にもあるだろう。俺はそのまま話を進めた。すると彼は傍らにあったバッグを漁り、
「例えばこれ。何だと思う?」
一本の剣鉈を取り出して机上に置いた。
刃渡りおよそ二十七センチ。刃の部分をよく観察すると、幾つかの非常にうっすらとした‘線’が平行に並んで見えた。そこを境に、金属の光沢と色合いにほんの僅かな差がある。鍔の下に切り替えスイッチのようなものがあるが、用途はまだわからない。それをこれから教えてくれるのだろう。
「Mouse-toothed Vibration Hatchet」
「…えっ?」
「略してMVH。ネズミの門歯の構造を模倣した刃を持つナイフよ」
ネイティブの発音。それも恐ろしい早口。今声を漏らすまで空気になっていた蘭丸に自分が外国人であることをアピールしたかったのだろうか。ならば剣鉈をナイフと言うのも頷ける話だ。それよりも、このMVHとやらの模倣した生物。
「成程、だから
「それしか思いつかなかったの」
ネズミの歯を模倣するのは、コーカサスでは工業用の加工機械に利用されていたようだ。本来ならジキルが剣鉈にしたように、チェーンソーのような工具にすべきではないかとも思っていたが、生憎コーカサスは自然環境を忠実に再現しているとはいえ人工島、伐採・開拓の余地はなく、無駄なことだった。
「肝心の機能性だけれど、実際かなりハイスペックよ。ネズミの門歯は、その特殊な構造によって半永久的に切れ味を保ち続けることができるわ」
「自己鋭利化というやつだな」
「そうね」
一般に知られるネズミに限らず齧歯類の歯は、前部がエナメル質、後部が象牙質という二層構造の無根歯で、一生延び続ける。ネズミは硬いものを齧らないと歯が伸び過ぎて死ぬ、という俗説の所以である。モース硬度即ち削れにくさを示す値はエナメル質よりも象牙質の方が低く、その為ものを齧る度に歯が砥がれて鋭利になるのだ。これを模倣するというのは、モース硬度の異なる物質を、値の高いものを中心に据え外側に向けて低くなる構造にすることであり、良質な製品なら数十年は持つとされていた。
「それをそのまま流用して、なかなか切れ味の落ちないナイフになったの。更には高周波で高速振動させて、本来以上の切れ味を発揮させる機能もついているわ。接着にはツタの根が分泌するナノ粒子や水に強いイガイ接着タンパク質を使ってるの」
だが彼の話を聞くうちに、ジキル・グレベリアという人間のスペックの高さが見えてくる。
「接着剤も、自分で?」
「ええ、結構苦労したのよ?」
「ふむ…」
懸念すべきことが、自分の私事以外にも増えた。
「想像以上だな。他には何が?」
今は取り敢えず、ジキルに発明品の紹介をさせておくことにする。
彼は新たに約五センチ四方のシートを取り出した。サテン質の光沢のあるそれは、微細な‘粒’が表面に張り付いているようにも見える。
「これは?」
「アクアザップ、よ。モロクトカゲの毛細管現象は知ってる? これはその毛細管現象を使って付着した水を吸収…飲んでくれるのよ。いいでしょう?」
モロクトカゲはオーストラリアの乾燥地帯に住むアガマ科の小さな爬虫類で、英語では
「他にも色々あるのだけど、話し出すとキリがないからこれくらいにしておくわね。因みに、一部のエネルギーが必要なアイテムのエネルギー供給は心拍発電になってて…」
この男、少し目を付けておいた方がいいかもしれない――話を聞きながら、マルチタスクでそんなことを考えた。
帰化外人の彼に日本で友人がいるとは考えにくい。キャンピングカーの様子も考え合わせると、恐らくどこかの片田舎でひっそりと研究してきたのだろう。つまりそれは、先にさらっと挙がった心拍発電然り、彼一人でこれだけのものを開発・製作できるということに他ならない。
河童のにとりや妖怪スカイフィッシュの素子のような人外の技術者ならまだしも、彼はインフィニタスでもない唯のヒト、妖怪への自衛能力もない無力な存在だ。
利用されるか、或いはイレギュラーと見做され消されるか…可能性はゼロではない。今行なっている調査活動も、紫が介入してくるやもしれぬ。
いざという時は、俺は自分の正義にのみ従う。誰の口出しも許さない。
賢者達の勢力だの人妖のバランスだのは俺には関係ない。人の夢を、思いを踏み躙る行為を許すことはできない。
「…よし。ありがとう。ききたいことはこれくらいね。お陰で沢山いい情報をもらえたわ」
話題も尽き、座談会はお開きとなった。土産として談義中に出されたものと同じ紅茶の茶葉を貰ったが、肝心の茶はジキルとの問答に夢中になるあまり全く手を付けられなかった。冷めてしまった紅茶を片付ける彼の背中はどこか寂しそうで、俺は少々心が痛んだ。
「大分日が傾いているな」
「ええ。そうですね」
アームキャノンの時計では午後六時を差している。人と話してこれだけ時間を使うなど何年振りだろう。そう思った直後。
ぐう。
「う…」
鎌鼬の腹が空腹の鐘を鳴らした。
「ハハハ、空腹には勝てまい。どうだ、俺の料理でよければ夕食を振舞うが?」
「…ええ。ではお言葉に甘えて」
もうこの少年にスキャニングを使う必要もない。俺には断続的に放射するバイオエナジーの反射感知及び最大半径一キロメートル以上のバイオエナジーの
普段通り眼を閉じ、二人で永遠亭へ飛ぶ。しばらくジキルについて(もっと言えばジキルの話し方についてで、俺はバイオエナジーの流動を見る限り性同一性障害と睨んでいる)の話で盛り上がったが、迷いの竹林が近くなると地上へ降り、俺は黙々と彼を先導した。
黙々と。その理由は、恐らく蘭丸には分かるまい。
薄暗い竹林の中に、一足早く夜の帳が下りる。落ち葉を踏みしめ、俺は彼の存在をバイオエナジーを介し肌で確かめながら、大股に歩いていく。
「……」
気になることがあった。
ジキルと話し始めて一時間が経とうかという頃、急に彼が独りで茶菓子を頬張る蘭丸に話を振ったのだ。
「ねぇところで蘭丸君」
「むぐっ…なんでしょう?」
「ここまで色々話してみて、幻想郷の技術もなかなか発達してることがわかったわ。因みになんだけど、幻想郷でその技術発達を牽引してきた集団みたいなのがあるのかしら?」
「そう…ですね。幻想郷でそういった技術を多く持っているのはやはり河童さん達ですね」
「河童…成程小櫃さんのご友人達ね。彼女らが研究している場所なんて…わかるかしら?」
「場所はわかりません。昔河童さん達は魔法の森の地下に研究施設を持っていたという噂がありましたけど、それも今は閉鎖されたって言われてます。そもそも基本的に彼女らは研究の場を公開していないので河童の研究を取材するのは多分無理ですね…」
「ふーん…わかったわ。ありがとうね」
この一連の会話の後、蘭丸に声がかけられることは殆どなかった。
まず蘭丸が呼ばれた理由だ。俺の隣で置物と化していた彼は、本当にジキルに忘れられていただけなのだろうか。穿ち過ぎた見方かもしれないが、不本意ながらコーカサスで世界最強のバウンティハンターと名を轟かせていた当時の目を持つ俺としては「何かある」と疑わずにはいられない。俺と彼とを一堂に会させ、その上で一方を放置したまま談義をすることに一体何の意味があるのか。まさかこの質問の為だけに蘭丸を呼び寄せた訳ではあるまい。…彼が可哀想だという意味も含めて。
そしてもう一つ。
蘭丸が話していた、「閉鎖された魔法の森地下研究施設」。この存在については幻想郷縁起には載っていない。河童に秘匿されているのなら仕方ないが、にとりはそんな話をしてくれなかった。にとりに連れられ妖怪の山の警備の穴を掻い潜り初めてそこへ来て以来、“基本的に研究の場を公開していない”彼らのアジトに平然と足を踏み入れ、歓迎さえされている俺は、河童達と一定の信頼関係を築いていると自負している。そんな俺にも明かせない秘密となると、それ程重大で重篤な禁忌、或いは黒歴史であるに違いない。
「あだぁっ?!」
言い知れぬ不安感が心を掻き乱す。既に数十分も彼とは口を利いていない。コーカサスでも何度かこういう経験があった。依頼を受理・解決した後に残るもやもやとしたしこりのようなもの。それらの依頼先には大抵裏があったものだ。
「…あのー…」
解決したと思った事件が氷山の一角に過ぎなかったこと。依頼された事件が俺を誘き出して裏で動き回る為の囮だったこと。殲滅した暴力団が巨大なシンジケートの一部だったこと。そしてそれらが、かつて俺のいた世界線で全世界に宣戦布告、敗戦後も世界の裏舞台で暗躍し続けた反社会組織、『
「あのーー…」
この名状し難い直感は外れた例がない。流石に今回外界の犯罪とは全く関係ないだろうが、とにかくこういう時は‘何か’がおかしいのだ。どんなに用心してもし過ぎることはないだろう。
「小櫃さん!」
「…ん?」
ふと振り返ると、蘭丸の姿がない。いや、数メートル奥のトラバサミに挟まれていた。恐ろしいことに、両足。両手も挟まれていたならオオカミ王ロボである――尤も、蘭丸は鎌
「置いてかないで下さいよ…」
「あ、いや…すまん。考え事だ」
「あぁいえいえ、謝ることはないですよ。…ところでこれ…なんとかなりませんか?」
板バネを強く踏みつけ、開口部が緩んだ隙に素早く蘭丸の足を持ち上げる。反対側も同様に。
「慣れているからな」
「ありがとうございます、それと…何というか、ご苦労様です」
今は色々な懸念事項を心の隅に留め置き、まずは似非幼女の