タウイタウイ島は、スールー諸島南西に位置している。大小幾つもの島に囲まれ、西側には大きな街があり、東側には集落が点々と存在していた。
本土から派遣された海軍泊地には、数十の司令官\その指揮下の艦娘が1万近く所属する。鎮守府は本島の港街に中心基地があり、さらに近くの離れ小島や、本島のあちこちに基地が散らばり、 任についた者たちは、決められた海域の中で深海棲艦の侵攻を阻止していた。
第32鎮守府傘下の霧島は、約数ヶ月前に着任したばかりの艦娘である。
二週間前に本格的な戦闘行動に従事し始めた彼女は、まだ華々しい戦果を上げることができていなかった。
彼女の癖として、弾道が左に逸れやすい、と言うものがあった。観測機による弾着観測を行っても改善されない。命中率は一厘を割り込んでいる。体の歪み/艤装の不具合などは、確認されなかった。
霧島はこの癖の改善策として、近づいて放つ、という方法で命中率を補っている。
当然、敵に近づくと相手に着弾させやすいが、同時に、被弾もしやすくなる。霧島は、今日も今日とて、大破しながら敵艦を屠っていた。
「はあ……。」
霧島は修復ドックに浸かり/大きめの湯船の中で/小さく体を縮こまらせていた。
艦隊帰投後、司令室に一人呼び出された霧島は、責められるでも慰められるでもなく、現在の戦闘スタイルについて、司令官から淡々と問われた。
今の霧島にとって、事務的なその態度は、下手に慰めの言葉を吐かれるよりも幾分救われた気分になった。
「どうしましょう…………。」
彼女は精神的に疲弊しきっていた。砲撃の中をその身一つで突っ込んで行くなど、戦闘狂のやる事だ。霧島はそう言った戦い方は好まない。ドックで全ての傷が治れども、日々募る恐怖心は確実に彼女の心を侵略していた。
(……私がどうにかなる前に、解体申請をしたほうがいいかもしれないわね。)
狂乱に取り憑かれて仲間まで危険にさらすより、自ら引導を渡したほうが良いのかも。
そんな弱気な気持ちも彼女の中に浮き沈みしている。先日、近くの鎮守府で轟沈者が出たのも、霧島に臆病風を吹かしていた。
それに、海の底に沈むよりは、ヨボヨボに老いさらばえて孤独死したほうがマシ、と言うのが現在の霧島の人生観である。せっかく陸に上がったのだから、陸で死にたいのだ。
(……頭で考えてるだけじゃ、状況は変わらないわね。)
まずは体を治してから、と、霧島は足を伸ばして足の疲れをほぐす。
「…………あら?」
ふと、伸ばした足先に触れるものを感じた。
あしで水流を起こし、体に引き寄せると、赤と黄色のハンドタオルだった。
誰のものかしら? 目を細めると、『チダフユ』『ゼカマシ』と、それぞれの端に刺繍されていた。きっと前に入っていた彼女たちが忘れていったのだろう。
霧島はタオルを湯からすくい、三つまとめて絞ると、湯船の横に置いた。
『ダ……ダダダダ…………♪』
ポロン、ポロロン。
ふー、と息をついて、タオルの向こう側のドックに入る者を目に写した。こちらの鬱々とした想いなど関係なく、何聞き慣れないメロディを口ずさんでいる。メガネをかけていないので誰かはわからないが、その低い声は入渠施設内によく響いた。
「…………ん?」
霧島はいぶかしむように眉をひそめた。ここは艦娘専用の施設であるから、男の声などしないはずだ。
ポン、ポロン。
それに、どこからともなく、スティール・パンの音が聞こえてきた。
『……ダダダ……ダダダダ……』
そもそも、自分が帰投したのが20分程前で、それ以降は長距離の遠征以外は出航しないはずで、そうなると、今日のドック利用者は霧島が最後になる予定だ。
急いでそばにある眼鏡を掛けると、霧島は声の主のほうをかえり見た。
『…ダダダ、ダダダダ〜ダ〜ダ〜呼んだっ!?」
いきなりそいつはこちらを向いた。
「呼んだよね?いま??」
艦娘専用のドックに浸かるその男は、何が楽しいのか喜色満面の笑みを浮かべている。
「呼んだよねぇ〜〜!」
そしてジャバジャバ波を立てて湯船から上がる。
「…………。」
霧島はあまりの驚きに声が出なかった。
薄桃色のツナギのような服に身を包んだ男は、ビチャビチャと湯を滴らせて、霧島の前に立つ。ニコニコの表情を滲ませる頭はフードを被り、そばかすがその顔に見受けられた。
「な、なんですか、貴方は!」
硬直が直った霧島は胸元を隠しつつ声を荒げる。
男はキョトンとした。『はて、このコと遊ぶのは初めてだったかかしら。』と言いたげな、無邪気な顔だ。
「僕の名前は、オフロスキーっていうんだ。ちょっと呼んで見て! はいっ、せーの!」
「……オフロ、スキー?」
「んああ、もっと元気に呼んでほしいな。」
オフロスキーと名乗った男は顔を渋らせた。
「ふざけないでください! あなた、民間人ですね?! 軍事施設に無断進入、加えて無断使用なんて、憲兵に銃殺されてもおかしく無い事で……。」
スバッ。
やたらとキレの良い動きで霧島を手で制し、キリッとした表情で霧島を見つめた。
「……コレ、見て見て見て?」
低く、艶のある声だった。
霧島は目だけを動かして、男が指し示すものを盗み見た。
そこには、さっき霧島が絞ったタオルが。
「…………タオルが、置いてあるね。」
「……それが何か?」
「じゃあ今日は、このいろんな色のタオルで、色んなものを、作って、遊ぼう……!」
「…………は?」
「だぁいじょうぶ! 君にも作れるから!」
そう言うと、ずぶ濡れの男はタオルの塊をほぐしていく。
「じゃあ、この赤いのを使って、お花を作ろう! よくみてて〜?」
「………………。」
霧島は、怒りを通り越して呆れていた。
「最初はタオルを手のひらに置いて、くしゃくしゃっと握ります。こ〜んな風にくしゃ〜りくしゃ〜り〜。」
赤いタオルを全て握ると、男は手を開いて見せた。
「そして、こっちの指で、チョキを作ります。そのチョキを、真ん中に、刺します。ブスっ!
ここからが、お花を作るための秘訣。スパゲッティって食べたことあるかな? この、刺したチョキを、スパゲッティを食べるみたいに、くるくるっと回します。こう、ボンジョールノォ〜ボンジョールノォ〜♪」
やたらと良い声は、ドックに反響した。
「ボンジョールノォ〜ボンジョールノォ〜……ボンジョルノな、バラの花!」
混じりっけのない笑顔で男はそれを見せた。渦を巻いてまとまった赤いタオルは、確かにバラに見えなくもなかった。
「ううーん、たのしいねえ〜!」
「……気が済みましたか?」
霧島の対応は冷ややかだった。
男はあれっ?といった表情で固まった。
「楽しくなかった?」
「用が済んだら早くここから出て行ってください。今なら提督には報告しませんから……。」
「じゃあ、今度のはとっておき!」
「あっこら!」
霧島の制止を無視して、黄色のタオルをオフロスキーは手に取った。
「まずは、タオルの真ん中あたりを、つまみます。だいたいでいいからねっ?
次! 下に垂れてる、端っこの方を、真ん中と、合わせます。………………四つ全部合わせたら、下の方をぎゅっと握る!
……すると、ほら! バーナーナ! こーうやって皮むいちゃったりして、ぺろぺろーって!」
タオルでできたバナナを、体をオーバーに動かしてアピールするオフロスキー。
それを見ながら、霧島は虚脱感を体全体に感じた。
「たーのしいねえ!」
楽しくない、怒鳴りたかったが、どうも口が動かない。
「君も、やって見てくれ……!」
そう決め台詞を残すと、オフロスキーは、また隣の湯船にザバサバ入っていった。
「ダ……ダダダダ………………。』
口ずさむメロディとともに、また軽やかなスティール・パンが響いてくる。
霧島は、ふわふわとした心地にぼんやりとしながら、ただただその音色を聴いていた。
============
「霧島さん!」
「………………。」
数瞬のあいだ、霧島は目の前の、電の顔を見つめていた。
「ダメなのですよ? お風呂で寝ちゃったら。いつまでたっても上がってこないから、提督が心配していたのです。」
「…………ていとく……。」
電の後ろから新しく顔が出てきた。浦風である。
「そうじゃよ〜。ほら、もうすぐ夕餉というのに戻らんけぇ、うちらが見に来たんよ?」
ぽけっと据え付けられた時計に目を向けると、短針は下方を指していた。
(…………夢?)
あの男の姿が無い。
霧島は長く息を吐き、湯の浮力に体重を任せた。
「霧島さん、のぼせたのですか?」
「……いいえ、ただちょっと、変な夢を見たわ。」
「変な夢?」
浦風が首を傾げる。
「なんでも無いの、ご飯食べに行きましょう。」
「はいなのです。……あっ霧島さん、それ!」
「え?」
電か指したところを見て、霧島は目を剥いた。
湯船のヘリに、タオルでできたバラとバナナが置いてあったのだ。
「すごいのです! お花とバナナなのです!」
「霧島は手が器用なんじゃのう。」
霧島を褒め称える駆逐艦たちを尻目に、彼女は気味の悪い冷や汗をかいた。
(提督に報告するべき? ……いいえ、もしかすると、夢遊病の一種かもしれないし、第一、今のままでは信じてくれないかも……。)
「霧島さん!」
逡巡する霧島を電の声が引き戻した。
「えっ、なにかしら?」
「これ、どうやって作ったのですか?」
私が作ったのでは無い、と言いかけた霧島だが、ここで彼女たちに要らぬ不安をかけたくない、という気持ちが勝り、霧島はあの男の手つきを思い出しつつ、手のひらの上に水の滴るバラを作った。
電はもう、興奮しきりである。
「すごいのです! バナナは、どうやって作るのですか?」
「え、ええっと……。」
目をキラキラ輝かせて迫る電に押され気味の霧島は、ちらりと浦風の顔を見る。
浦風は察したのか、電の方を軽く叩き、脱衣所の方を指し示した。
「バラもバナナもええけど、今日のカレーも重要じゃろ?」
「あっそうなのでした!霧島さん、ごめんなさい!」
それに彼女はあやふやな笑みでこたえた。
「いいのよ、後で教えてあげるから、さきに食堂に行ってて?」
そして2人を外に出した後、霧島はあの男が入っていた湯船を見つめた。
「………………なんだったのかしら。」
眉根を寄せる霧島の耳に、どこか遠くから、スティール・パンの音が聞こえた。