跳び出した蛆の落ちる先   作:すぷりんがるど

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咎人裁くは女教皇の刃(上)

 少女の前にはいつも青年がいた。

 生まれた時、自分を取り上げたのは青年だと聞く。夜泣きが激しく周囲を困らせた自分は、青年にあやされるといつも熔けるように眠ったと聞かされた。嬉しいことがあったらまず青年に報告した。悲しいことがあったらまず青年に報告した。少女は青年の事が――幼子の稚拙な感情かも知れないが――心の底から大好きだった。

 少女はいつも青年の背中を追い掛けていた。

 だから少女は三つになり、まだ里の誰に言われるより前に苦無を持ってにへらと笑った。青年の立つ舞台に少しでも早く立ちたくて、ずっとずっと先にいる青年に少しでも早く追いつきたくて。薄い緋色の装束に小さな手足を通して、てかてかと森の中に消える青年を追いかけた。

 青年が少女の前にいる時間はあまり長くなかった。

 里屈指の実力を持つ青年は任務で四方八方に飛ぶことが多かった。週に一度か二度か、長ければ一カ月に一度も会わないことも稀ではなかった。だから少女は丁寧に、数限りなく青年から教わった挙動の一つ一つを繰り返した。青年がどこかに行く前に必ず自分がねだって教えてもらったそれを、少女は呆れるくらいに繰り返した。帰って来た時認められるだけになっていたら、頭を撫でて褒めてもらえるから。青年がご褒美だと買ってくれるコンビニのプリンが何より好きだった。

 青年が任務で一年以上帰らないと聞いた時、少女は烈しく泣き喚いた。

 いつも青年の手伝いをし、ある大人にはしっかりしていていい子だと言われ、ある大人には子供らしくないと言われ、青年にはどーでも良いと評価される少女は、巨大な堤防が決壊したかのように高ぶった感情を周囲にぶちまいた。三日三晩ぐずった少女にある大人には聞き分けのない子だと言われ、ある大人には子供らしいと言われ、青年にはどーでも良いと笑われた。

 幼い子供は純粋だ。本能的に、少女は青年が危ない目に合うかもしれないことを感じ取ったのだろう。

 いつも見つめて、いつも追い掛けてきた背中。それがふと、消え去ってしまうかもしれない。少女は嫌で嫌でたまらなく青年に縋りついた。

 そして少女は青年に殴られた。少女はその際に初めて骨を折った。少女の小さな身体は頬に突き刺さった拳の力で軽々浮き上がり、地面に背中を打ちつけてごろごろと転がっていった。木にぶつかり、回転を止めた少女は呆然とした顔で青年を見つめた。

 いつの間にか鼻先に突きつけられていた青年の顔。瞳は泳ぐでもなく、少女がこれまで見たどんな青年よりも真剣に、どんな青年よりも鋭利に少女の眼を捕えていた。

 青年は少女に告げた。

 

 ――お前は忍者だ。忍者は心に刃を秘める者。お前は秘めてもないし、刃は幻想に彩られた張りぼてだ、と。

 

 青年が海を渡り、追いかける背中の無くなった少女は今まで以上に青年から教わったことを繰り返した。

 それと同時に少女は物思いに耽る時間が増えた。

 自分の刃はなんだろうか、何の為に刃を磨いているのだろうか。うむむと頭を悩ませるが、鍛練中以外はなにぶん回転の良い頭でなかったため、結局少女はなにも思いつかなかった。

 なのでとりあえず、少女は刃を心に秘める事から始めた。

 まだ磨き切れていない、張りぼてと言われた刃ではあるが、青年が帰って来た時に頭を撫でて欲しかったから。良くも悪くも感情の出やすかった自分を、青年のように飄々とした人間へと矯正していった。ちょっとだけ青年に近付けた気がして、嬉しかったのは少女だけの秘密。

 青年が少女の前に帰って来た時、少女は青年の遠さに愕然とした。

 青年に近付けたと思ったのはただの妄想だった。褒めてもらえる、と期待した自分がどれだけ浅く、軽かったかを痛感させられた。だが成長したじゃねぇか、と笑う青年に頭を撫でてもらうのを拒否するほど少女は思いつめてもいなかった。

 遥か遠くにいる青年だが、伸ばせば届くところにも青年はいるのだ。不相応だと手をひっこめる少女ではない。考えるより先に身体が動く――少女は行動派だ。

 

 遠いならば追いかければ良い。少女は何時だってそうしてきた。

 簡単に見えるような背中ではない。

 簡単に追いつけるような背中ではない。

 簡単に追い抜けるような背中ではない。

 そんな相手を目指す事が出来る――それはきっと幸せな事だ。

 

 だから少女は今日も心に刃を秘める。

 

「辰也、餡蜜を食べに行こう」

「イヤイヤ意味がわからねぇ」

「せっかくこんな美人が奢らせてやると言っているんだ。答えないのは男として恥だよ」

 

 ぽんと青年が連れて来た、もう数ヶ月と里に滞在しているこの女。ぐいぐい青年の腕を引っ張り、ようやく膨らみだした自分のとは違う二つの毬を押し付ける女を横目で睨む。視線に気づいたのか、はんと鼻で笑う女に少女は自分の胸を揉む。

 

 自分の刃も磨く意味も理由も目的も、少女はまだわからない。

 だがせめて女の放つ弾丸よりも鋭くしなやかに。

 少女は今日も刃を探し刃を磨くのだ。

 

 少女――長瀬楓のいるのは昔風の家屋が建ち並ぶ集落から少し外れた山の中。

 ここは甲賀の里、忍びの里。山を一つ隔てた先にある伊賀と並び、日本で最も有名な忍者たちが住む里とされている場所だ。しかしそれも遥か昔のこと。甲賀忍者村などのテーマパークが立ち並び、太平である平成の世に、諜報活動等社会の闇に生きる忍者は絶滅したかと思われていた。

 だが忍者は今の世も場所を変え姿を変え、社会の闇に生きている。大きめの石に腰掛けた辰也が、薄い緋色の装束に身を包んでその前に座る楓こそが、数百年と続く忍術『甲賀流』をその身に受け継ぎ、現在に体現させる生き証人だ。

 

「さて楓よ、お前には半年後に控えた中忍昇格試験のために俺に鍛錬を請ってきた。それで間違いないな」

 

 糸のような細い目でにんにんと笑う楓に、すがりつくマナを振り払いながら辰也は問いかけた。

 

「あいあい、間違いないでござる。拙者は早く中忍となり、兄者と同じ立場に――」

 

 そこで楓の言葉は途切れた。外部からの物理的要因、つまり疾風の如く額に突き刺さった辰也のつま先により後ろへと吹き飛んだためだ。

 転がる身体を途中で立て直し、楓は血の垂れる額を押さえる。そして深々と頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。

 

「申し訳ありませぬ、辰也様」

 

 甲賀の里には最高位である中忍、一般的構成員である下忍、下忍候補生である準忍、忍者ではないが里に貢献する里忍という四つの身分が制定されている。こと任務となれば、その力関係は絶対。任務に出ることを許されていない準忍を除き、里忍は下忍に逆らうことは許されず、下忍は中忍に逆らうことは許されない。

 辰也は若いながら中忍という立場に立っている。下忍の楓がこのような鍛錬の――任務に赴くための自分を作る――場で、馴れ馴れしく接してはいけない相手なのだ。

 

「理解しているなら最初からそうしろ。立場をわきまえられない人間ってのは、どんな場所でもただの愚図だ」

「はっ。ご指導のほど、痛み入るでござる」

「じゃあ口調崩せ。かたっ苦しいのは嫌いだからな」

「あい兄者」

 

 にへらと厳しい顔を崩す辰也につられて楓もにへらと笑う。

 元来あまり下忍たちからの礼儀を気にしない性質の辰也だが、払うべきところでは礼儀を払う、という態度を持たせることから鍛錬は始まっている。間者としても働く忍者なら当然身に付けておくべきもの。忍びとして常に社会の闇を駆けている辰也は特にそこを気にし、後進の育成に励んでいる。甲賀屈指の実力を誇る辰也は人気講師だ。

 

「んじゃとりあえず中忍試験合格のために鍛錬を始める訳だが……俺は正直、楓は中忍にならねぇで良いと思ってる」

 

 辰也の言葉に楓の耳はぴくぴくんと反応する。

 

「あぁ、中忍を目指すことを否定してる訳じゃねぇよ。でも正直向いてないわ、テメェみたいな莫迦単細胞」

 

 ケタケタ笑う辰也を見て、楓の眉間に皺が寄った。

 伊賀など他の里で見られる上忍という身分を制定せず、中忍を最高位としている甲賀に於いて、中忍はその昔郷士であった者たちのことだった。地方に住む者たちを束ねる豪族、それが本来の中忍。

現在ではそんな郷士たちの血を引き甲賀の里の行く先を定める『甲賀八衆』に加え、下忍たちを束ねる十二人の小頭、合計二十人が中忍の位を得ている。

 元の立場から察すれば易く、つまるところ中忍とは管理職。任務を厳選し、依頼人との交渉に赴き、その任務に見合う実力の下忍を選択し行わせるのが主な仕事だ。もちろん、前線に赴くことも重要な仕事ではあるのだが。

 楓は自分の口に出して告げた。辰也が長い任務から帰ってきた折に、中忍になりたいんでござる~、と言う軽い口調とは裏腹に真剣みを帯びた眼差しで。

 辰也はそんな楓に素質がないとはっきり断言した。楓は中忍すら下せる下忍にはなれても中忍末席にはなれないような性質だと。

 それでも中忍に楓はなりたかった。尊敬する兄に否定されても。

 里の者から称賛される中忍という称号が欲しかった訳ではない。楓は並ぶ立場が欲しいのだ。

 

「鍛錬には付き合ってやるが、俺はもっと場数を踏んで、年相応に青春して、それからでも全然遅くねぇと思うぞ。その過程で忍者なんかよりももっと好きでやりたい事が出てくるかもしれん訳だし、今はそれが許される時代なんだしよ」

 

 諭すように告げる辰也に楓は唇を尖がらせる。

 忍者の子は忍者、武士の子は武士、農民の子は農民と定められた時代は終わった。甲賀の里でも忍者稼業を辞め、製薬会社やその他様々な日の当たる職業に就く者たちも沢山いる。わざわざ身体を酷使し、鍛錬に励む日々を送る必要はないのだ。

 

「でも……拙者は忍者でござる、忍者でありたいでござる」

 

 むくれた顔を真剣に、真っ直ぐと辰也を見つめて楓は言った。

 

「ま、それはお前が勝手にお前で決めることだ。俺に言われても困る」

「なんでござるか、それ」

「んじゃ鍛錬でもするか。お前もいい加減離れろ」

 

 若干不満げな顔をしたマナは歩みを進めると、楓の隣へと立った。

 辰也はやれやれと言った様子で口を開く。

 楓は並び立ったマナを意識から逸らし、楓の耳は辰也の声を拾うことだけに集中した。

 

「今日はギャラリーもいることだし、基本的なとこから復習してくことにするわ。忍者という存在には役割的に大きく分けて二つある。まずはそれを答えろ」

「あい。姿を隠して敵地に忍び込む陰忍と姿を見せながら計略を行う陽忍でござる」

 

 姿を隠して敵地に忍び込み内情を探り破壊工作を行う――これがおそらく一般的に想像される忍者の姿だろう。これを甲賀の里では陰忍と呼ぶ。

 対して陽忍とは、姿を公にさらしつつ計略によって目的を遂げる存在で、いわゆる諜報活動や謀略、離間工作などを行う者がこれに当たる。

主として忍者というよりも彼らが持つ術の形態として、現在の甲賀の里はこの双方の役割を分割し、後進の育成を行っている。

 ちなみに楓は――かなり戦闘員色の濃い――陰忍だ。

 

「なら次は基本である五車の術について述べろ」

「喜車、怒車、哀車、楽車、恐車でござる」

 

 『五車の術』の術とは忍者が任務を行う中で相手と会話の中で心理を突く話術のこと。

 相手をおだてて隙を窺う『喜車の術』。

 相手を怒らせ、冷静さを失わせる『怒車の術』。

 相手の同情を誘う『哀車の術』。

 相手を羨ましがらせ戦意を喪失、あわよくば味方に引き込む『楽車の術』。

 迷信などを利用し相手の恐怖心に付け込み戦意喪失させる『恐車の術』。

 くのいちによるハニートラップ等が五車の術の良い例だろう。

 

 現代の情報戦に於いては敵方にスパイを送り込む正攻法だけでなく、相手の内側に情報提供者を作る、もしくは送り込まれてきたスパイと取引して二重スパイにする、といった搦め手を併用する場合が非常に多い。

 忍者も同様に諜報任務の際は敵陣に潜入して情報を奪取する正攻法だけでなく、敵の中に自分への協力者を作りだす搦め手を用いていた。人間に存在する感情を利用し、相手を手の平に乗せる術を忍者は数百年前から実践してきた――というのだからその点は旧くから大いに進んでいたと言えるだろう。

 

「んじゃ次は甲賀四術について」

「肉体を鍛え道具を扱う金術、歩法である風術、気を使った術を行う水術、様々な方法を用いて影に忍ぶ隠術でござる」

 

 物事には起源がある。勿論、忍者も然りだ。

 一説には聖徳太子に仕えた『大伴細入』という人物が最初の忍者だと言われる。

 一説にはまた聖徳太子が『志能便』と呼ばれる諜報集団を操ったと言われる。

 一説には独自の呪術を持つ山伏が忍者の源流だと言われる。

 一説には室町時代に活躍した『果心居士』という幻術師が忍者の始祖だともいわれる。

 ここで、一つの歌を紹介しようと思う。

 

 『草も木もわが大王の国なればいずくか鬼の棲なるべき』。

 

 四の鬼を従え伊賀にて朝廷に対し謀叛を起こした『藤原千方』へと、朝廷に任命された追討使の『紀友雄』はこう歌っている。

 伊賀では『忍者とは荘園の中で出た悪党を起源とする』とある。

 そして藤原千方の従えた四の鬼、

 即ちどんな武器も弾き返してしまう鋼のように堅固な体を持つ『金鬼』。

 強風を繰り出して敵を吹き飛ばし風を操り敵城を吹き破る『風鬼』。

 如何なる場所でも水を操り洪水を起こして敵を溺れさせる『水鬼』。

 姿を消し気配を消して敵に突如襲いかかる『隠形鬼』、あるいは『怨京鬼』。

 この四鬼を忍者の起源とする、という説もある。

 詳細な起源は定かではないが、甲賀ではその四鬼に則り彼らの名を借りた『甲賀四術』として忍者の育成を行っている。

 

「まぁ基礎基本だからな、答えられて当然だろ。ちなみに甲賀四術は気の扱いを旨とした鬼術を根底に置いているからよ」

 

 そこまで告げると辰也はふふんと少し誇らしげな楓ではなく、その隣のマナへと指を差した。

 

「さて、んじゃいよいよ実戦練習になるが――」

「ちょっと待ってくれるか」

 

 それまで黙ってふむふむと聞いていたマナが口を挟んできた。

 

「来てしまったのは私だが、これは隠すべき技術なんじゃないのか?」

「なんで?」

 

 即座に返答する辰也に、マナが言葉に詰まるのが解った。辰也の答えはマナにとって予想外のものだったのか、彼女は驚きの表情を作っている。そんな姿を気に留めるでもなく、辰也は口を開いた。

 楓もまた辰也の態度に則り、口を噤んでいた。

 

「技なんざ、隠したって仕方ねぇだろ。グローバルな時代でネットで調べてちと考えれば、今俺が言ったことはすぐに予想できる様な事ばっかだし」

「しかし魔法使いたちは、魔法は秘匿されるべきものだと言ってたが?」

 

 魔法、という単語に思わず意識がそちらに逸れた。あるとは聞いていたが、実際まだ目にしたことがない西洋の技術。自分の瞳に興味が湧いた気がした。

 しかし辰也は自分の視線を断ち切り、辰也はため息とともに言葉を押し出してきた。楓は開きかけた口をもう一度きつく噤んだ。

 

「そりゃ勿論隠すべき業もあるぜ。だけどよ、さっきも言ったが今の時代は昔と違うんだ。こっちの世界で生まれた人間が必ずこっちの世界で生きなきゃいけねぇ理由なんざ、絶対的にはねぇんだよ」

 

 マナに向けた言葉はいつも辰也が自分や里の人間に向けた言葉と同じだった。里一番の手だれの忍びが決まって訓練の前に口にする言葉と同じだった。

 忍びだけに囚われるな――世界を駆ける忍者が口にする声は、多くの幼い者たちに外への願望を抱かせた。甲賀に生まれて甲賀に育った子供たちの周りには、甲賀の者しかいなかった。甲賀の里には小学校もある。日の本の現状に触れる機会は、楓たちにはあまりないのだ。

 

「生きなきゃいけねぇ人間も中にはいるさ。そう生きようと、何かの拍子に決意する人間もいる。だが出ていこうとする人間を止める道理はどこにもねぇ」

 

 故にこそ楓たちにとって辰也が運ぶ風は新鮮で、心地よかった。

 辰也の言葉に感化され、忍者を志すことを止めた友人が楓には何人もいた。警官になる、学者になる、教師になる、花屋になる、保育士になる。普通の子供が抱く普通の未来への展望を持ち、幾人もが忍び装束を脱いだのを楓は見てきた。

 彼らを楓が非難したことはない。

 ただ自分も忍び装束を脱いだほうがいいのか。そう辰也に尋ねたことはあった。

 すると彼はいつものように、どうでも良さそうな表情で――好きにしろと短く告げたのを楓は覚えている。

 楓は自分が今楽しげな表情をしていると感じた。思い出は自身に許可証をくれた。

 嘆息してから続ける辰也とともにこの場に立つちっぽけな事実が、心を穏やかにしてくれていた。

 

「ま、だから何かを知ろうとする人間を、やろうとする人間を妨げる理由が無くなる訳だ。そもそもこっちの世界いる人間の絶対数が、魔法使いはともかく俺らは少ねぇ……だったら尚更だろ? 培った技術を後世に伝えてくれる人間が現れたなら、手をこまねくさ。だから俺は大層大事に隠す必要なんかないと思うのさ」

「そんなものなのか?」

「そんなもんだ。俺に言わせりゃ魔法使いはその辺神経質になり過ぎ……そう考えるから、魔法を特別視すっから、すげー魔法を使う少数の人間を英雄視するだろうがよ」

 

 頭が固い。そうけたけた声を上げる辰也の顔は心底下らなさそうに、どうでもよさげに、考え無しに笑った顔だった。

 

「つー訳で糞ガキ、テメェも楓と一緒に学べ」

「辰也が私の影になってくれればいい話だ」

 

 生意気に告げるマナに一言。

 

「調子に乗んな、糞ガキが」

 

 

 

 

 

 

「よぅ鶴子、偶然だな」

 

 へらへらと哂いながら手を振る辰也に、鶴子はじとりとする冷めた視線を向けた。

 

「そないな適当な言葉がよう吐けますな。ここ、道場でっせ」

「なんとっ! それは気付かなかった。俺には夢遊病者の気質でもあるのかね? 病院はどこが良いと思うよ?」

 

 過剰なリアクションで驚く態度に、自分の視線がより一層冷たくなる。おろおろと蹲り、言い訳を並べるのはきっと辰也の演出。乗せられるだけ阿保らしい。

 一体全体と何をしに来たのか。呆れた感情を隠すことなく、鶴子は手に持った木刀をそのままに辰也の方へと歩み寄った。

 やれやれといったご様子ではあるが、厳しい師範の顔はやわらかな女性らしさを感じさせる表情に切り替わった。そんな鶴子に、そして突如として現れた余所者に、汗の染みついた道場を満たす少年少女の好奇の視線が二人へと注がれる。

 

「で、あんたらは何してるん? とっとと素振りを続けいっ!」

 

 好奇が大半を占める視線は鶴子の一喝によって散らされる。

 再び少年少女たちは木刀を握りしめ、気合を張り上げ素振りを行っていく。振りかぶり、振り下ろす。一振り一振りに精魂を込めて彼、彼女らの鍛錬は引き続く。

 鶴子が立つここは京都神鳴流の道場。

 京を護り、魔性駆逐のために組織された戦闘集団の総本山である。

 

「おお怖い、さすが剣鬼」

「刻んだろ? 五寸ごとに」

「ごめんなさい」

 

 ぺたりと膝を折り、頭を道場の床にすりつけるほど頭を下げた辰也に、鶴子はめんどくさそうな視線を向ける。溜め息を落とし、情けない馴染み顔の右側に腰を下ろした。すると気配を感じ取ってかぐいと顔を持ち上げ、隣の自分へ向けてへらり軽く笑う。

 先ほどまで厳しい鍛錬を見守っていた鶴子は、少しだけ自分のにおいが気になった。

 

「辰也はん、今日は何の御用事で」

 

 僅かに着崩れていた道着を直しながら、鶴子はそう問いかけた。

 返事はえらくタイミング良く返ってきた。その内容も、まるで前々から考えていたようなものだった。

 

「つれねぇなぁ、せっかく遊びに来たってのに。という訳で鶴子よ、俺と一発ぶるっ!」

「一発と言わずもっとどうや」

「ふいまへんでした」

 

 鼻面に裏拳一発。ぐいりと反り返り、道場の壁に後頭部をぶつけた辰也は曲がった鼻を直しながら小さくなる。当の鶴子はにこにこ、いつもと変わらない笑みを差し出してやった。そんな姿に鶴子の顔をじぃと見つめ、はぁと諦めたように辰也は首を落とした。

 パンパンと鶴子が手を叩く。その音に少年少女は素振りを止め、張っていた筋肉と精神をだらり緩めた。皆が皆、汗まみれの顔や身体をもう冷たくなったタオルで拭き取る。将来、関西呪術協会直属の剣士として西へ東へ奔走する彼らの実力は、このような毎日の地道な鍛錬によりようやく実を結ぶのだ。

 ――と仰々しくいってはみても、今この道場に集められているのは十二歳以下の男女。幼稚園児や小学生の彼らにとって、魔性駆逐のために剣を振るうなどずっと未来の話。それより気になるのは今日何を食べるかだったり、何をして遊ぶかだったり、どんなアーティストが好きだったり、誰が好きだったり。そんなどこにでもいる子供らしい事柄。

 そして今は、いつの間にか現れた自分たちの美人師範と話す男について。

 遠巻きに目付きが悪いわね、顔は六十三点よね、大事なのは収入よ、などと口々に漏らす女子に反して誰だよアイツは、師範から離れろよ、などと淡い恋慕からの嫉妬を抱く男子。ひそひそ相談し合う声は段々と大きくなり、やがて何人かの気の強そうな女の子が二人の前へと歩いてきた。

 

「師範、この男の人とはどーゆー関係なんですか?」

 

 ぴっと辰也を指差し告げる女の子。道場の喧騒はしんと沈黙に変わり、返る言葉に誰もが注目する。恋人ですか、婚約者ですか、パシりアッシーお財布くんのどれですか、と少々過激な声も聞こえてくる。

 そんな様子に辰也はがしりと鶴子の肩を掴み、二ヤけた顔で自信満々に宣言した。

 

「毎晩毎晩肉欲を満たし合う爛れた関けぃぃるぼりっ!」

 

 しゅぱーんと、妙に甲高い音が道場中に鳴り響いた。

 

「ただの昔馴染みや……なぁ」

 

 鶴子の眼の白目と黒目がぎょろり反転する。血に濡れた左手の甲をちろりと更に朱い舌で舐めると、女の子たちに詰め寄るようにして鶴子は言葉を打ちだした。

 いつもと変わらない声。それ故に女の子たちは背中をぶるりと震わせた。壊れた人形さながらに、道場内の少年少女は上下に首を振る。鶴子の隣で、在りもしないはずの軸を中心に正座のまま回転する辰也を視界に入れないようにして。

 後頭部が床に叩きつけられた時、道場には先程の馬鹿騒ぎに加わっていなかった数人の門下生以外残っていなかった。

 まだまだ甘い。逃げ去った者のことを憂いつつ、鶴子へ手を振り道場を後にする少年少女一人一人に挨拶を返す。

やがて道場には辰也と鶴子以外、木刀も仕舞わず立っている少女一人となっていた。

 

「師範、うちもうちょっと練習していいですか?」

 

 つり目の小さな少女は悶える辰也から距離を置き、小首を傾げて鶴子に問いかけた。

 

「そやけどもアンタはちょい経ったら大人たちの鍛錬に加わらなきゃいけへんやろ。休んどいた方がええわ」

「大丈夫です、どっちもやれます」

 

 少女は真摯な眼差しで鶴子を見つめてきた。幼い頃から稽古を授けているが、この少女は実に真面目だ。

 

「……まぁええよ。アンタは今伸びとる、ほして気合もあるっちゅうにそれを止めるって言うのも野暮な話よな」

「師範っ、じゃあ……!」

「でも一つだけ。これ以上は無理、とウチが思ったら容赦なく止めるから、それだけはわかっとき」

 

 その性格が嬉しくも鶴子には淋しかった。同年代の輪には加わろうとしない――むしろ避けている様子の――少女は、はいと小気味良く頷くと、再び道場の中央に戻り、木刀を握りしめて振るい始めた

 振り上げ、振り下ろす。その一振り一振りは宛ら真剣のような鋭さを鶴子に感じさせた。

大人たちの稽古に交じれる少女は桜咲刹那という名前だった。

 

「アレが例のガキか」

 

 垂れる鼻血を拭い、起き上がって来た辰也は口を開く。鶴子は少女の挙動を逃さぬように見つめながら短く答えた。

 

「せやな」

「もう今更な話だが、わかってんだろうな」

「……わかっとるわ。ウチを誰やと思うとん」

 

 二人は見つめ合うでもなく、少女の方へと視線を向けて言葉を交わす。先程の安穏とした空気ではなく、もっと殺伐とした空気の中で、躊躇いながらも答える鶴子。その言葉に辰也は再び顔を崩してへらと笑っている気がした。

 

「なら良いわ。俺にゃ恐らく関係ねぇことだしよぅ」

「ウチに用事があったんやないの?」

「まぁ今忙しそうだし、暇になったら連絡してくれや。別に急ぐことでもねぇから」

 

 それだけ告げると辰也は立ち上がり、くるりと道場の外へ向けて歩きだした。もう用事は済んだと言わんばかりだ。久々に会ったというのに態度は素っ気ない、昔と変わらない辰也の振る舞いに鶴子は――

 

「辰也はんこそ、気を付けた方がええで。甲賀に余所者がおる……噂になっとるわ」

 

 小耳にはさんだ妙な噂を投げつけた。

 少々閉鎖的な国である日本。鎖国した歴史を持つお国柄からかもしれないが、日本人は余所者に酷く反応したりする。それは人の流入が多い都会よりも田舎に根強く残り、旧き業を残す蛆虫に社会にも根強く残る。

 歴史ある京都神鳴流の師範として多くの人々と触れ合う彼女は耳が広いのだ。

 言葉に込めた想いは隠匿し、投げた言葉に返ってきたのは興味無さそうな態度をありありと前面に押し出したものだった。かりかりと辰也は頭を掻いてから口を開いた。

 

「そもそもそこから違うんだよ。あのガキは甲賀にいるんじゃなく、俺の家にホームステイしているだけだぜ? どこに問題があんだ」

「そう言うんやったらウチはそう思っときます……けど――」

 

 そこで一旦鶴子は口をつぐむ。

 しばしの後、じりりと軽蔑するような眼差しを伴ない、一段上から鶴子は声を下ろした。

 

「まだ十ほどの楓はんもおるのに、女ぁ連れ込むのはいかがなもんでっしゃろな」

「あ? あのガキも楓と同い年くらいだぞ」

「……え゛?」

 

 それは鶴子の端正な顔立ちが、ここ数年で一番に歪んだ瞬間であった。

 

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