導入部。
この章の大部分は珠希のモノローグです……。
次章から会話が中心になります。
2016/3/7:
いくつか文字などを微妙に直しました。
内容は変えていません。
今頃ですが、後書きを書き加えました。
1枚目の写真
「おいコラ、逃げんな、このガキッ! 」
「待ちなさいよっ!」
「イヤだイヤだイヤだ~いッ!」
ドタドタドタッ…
綺麗な黒と銀灰色のストライプの
次いで二人組の狩人が必死の形相で、過ぎ去った小さな影を追いかけてゆく。
狩人たちは、実に息のあった連係プレイで獲物を追いつめようとするのだが、相手は幾度も捕まりそうになりながら、そのたび間一髪でするりするりと追跡者の手から巧みに逃れ続けている。
そのまるで往年のカートゥーンを彷彿とさせるような追跡劇は果てしなく続く…。
──て……ハッ? いけない、いけない…!
またあの悪い癖が出てしまった。
失礼しました。
はい、回りくどい言いまわしはここまでにしておきます。
もちろん、今までの描写は比喩であります。
実際には、私の愛しい甥っ子が小さな象さんをプラプラさせて走り回るのを、私の大切な姉と義兄の夫婦が、息子の着替えとタオルを持ってあちらこちらへと追い回しているだけのこと。
場所もインドの密林やアフリカの荒野などではなく、日本の千葉のごく一般的な住宅 ──私にとってはやや大きく感じるけど── です。
自己紹介が遅れました。
私の名前は
今日、姉夫婦の住む義兄の実家の
因みに日向お姉ちゃんは、開戦直前に
高坂家のおじさま──姉さまにとってのお
おばさま ──姉のお
私は、姉さまたちと家の中でゆっくりとお話でもしたくて残ったのだけど、ひょんなことから高坂家の小さな怪獣が大暴れし始めて、今に至るというわけです。
(やれやれ、また始まりましたか…)
ゆっくりお話ししたい望みを絶たれた私は、すっかり諦めモードとなり、今お邪魔しているリビングでお茶を啜りました。
(でもまだ、私の出番ではないわね…)
今の私は着物姿。
別に、何かの式典とかに出席してきたわけではなくて、これが私の普段の私服なのです。
こんな格好であの小さな暴君龍を追いかけたら着物がはだけてしまう。
それを分かってくれているから、姉夫婦も今は私に応援は求めず、姪っ子たちのお守りを任せてくれているのでしょう。
もしここに日向お姉ちゃんも残っていたら、きっと援軍に駆り出されたでしょうね。
今日もそうだけど、あの人はほとんどいつも動きやすいボーイッシュな格好をしているから。
それに、私が活躍できる場面は多分もう少し後だ。
その前に無駄に体力を浪費することもないでしょう?
リビングのドアの開いた入り口には、双子の姪の
毎度のことなのに、よく飽きないものね…。
今日は天気も良く気温も高いので、例え全裸でも、ほかの子供に比べて異常なまでに身体が丈夫な甥っ子が風邪をひく心配はあまりないでしょう。
私はこの騒音をサラウンドのBGMだと割り切って、目の前に置かれたアルバムを手にとって開きました。
『──ごめんなさいね、珠希。
せっかく来てくれたのだけれど、見ての通り今こっちは取り込み始めたところだから、ここで悠璃たちの面倒をみていてくれる?
そうね、もし時間を持て余したらこれでも見ていて。
去年みんなで行った、あの子の七五三の写真もあるわよ───』
本当に申し訳なさそうな顔の
これを見ていると、今現在の周りの喧騒もあまり気にならなくなってくる。
高坂家の ──後半からは私たち五更家の人たちの思い出も交じっておさめられたそのアルバムを見ているうちに、いつしか私の頬は緩んでいた。
アルバムの比較的新しいページには、せっかくのお洋服を泥だらけにして、高坂・五更両家の人たちに囲まれた男の子が、千歳飴を持ってムスッとした顔で写っている。
この子こそ、ほかでもない今の高坂家の騒動の主人公だ。
甥っ子の名前は「彪瑠」と書いて「タケル」と読ませる。
身内同士で何度も話し合い、沢山の候補の中から漸くこの名前に至ったときに瑠璃姉さまは、
「これぞ…これこそ、この子に
と、随分とお喜びのようでしたが、後になってほかにも同じ字で同じ読みを持つ人がけっこういることを知って、たいそう落ち込んでおられました。
当の彪瑠は今、とても三歳半とは思えない駿足で、自分を追いかけてくる親たちを翻弄している。
野生動物は、生まれてすぐに立ち上がれないと生きていけないけど、この子は、人間にしては能力の覚醒が異様に早いのではない?
知能の発達もほかの子より早いみたいで、よく姉夫婦の巧みな連係作戦の裏をかく。
(全く、末恐ろしい子だわ…)
体格的には、ほかの同年代の子供と大して変わらない。
顔立ちは、写真で見た義兄の京介にいさまの幼い頃にそっくりだ。
つまりお父さん似。
でも、どことなく瑠璃姉さまの面影もあるかな?
けれども、
産毛の頃から、その髪は微妙に色の濃淡がありました。
瑠璃姉さまの艶やかな漆黒の髪の色と、京介義兄さまのやや明るめのそれが、互い違いに反映されて綺麗に並んだ感じに。
すっかり生え揃った今、その髪を明るいところで眺めると、光の反射具合によって黒の濃度の微妙な違いが縞模様をつくって見える。
こんな模様のネコ科の動物がいたような気がする。
よく、人からは染めたのではないかと言われますが、あれは天然100%なのです。
それにしても、小さい頃の京介
義兄さまの幼なじみの麻奈実さんみたいに「きょうちゃん」と呼んであげてみたくなる。
これを見ていると、彪瑠が産まれてから桐乃お
あの人も、成人してからは随分と落ち着いた女性になってきていたから、とっくにあのちょっと残念な性癖からは“卒業”できていたのだと思っていたのに、今になって突然“守備範囲”を増大させることになるなんて…。
エントロピーは、油断していると、いとも簡単に増大するものなのね…。
ハァ……。
ため息をひとつつき、再びアルバムに目を戻します。
幼い頃の義兄さまの隣には、いつも桐乃お義姉ちゃんが一緒にいる。
本当、とても仲が良さそうで幸せそうです。
「あら…?」
この時期の写真をよく見ているうちに、ふと私はささやかな違和感を覚えた。
とは言っても、写真の内容に対してではない。
このアルバムは、写真の四隅をビニールの支えに固定して保管するタイプだが、これらの写真を貼った人は几帳面な性格だったのか、あるいは家族への愛情の深さからか、写真が何かの拍子に抜け落ちたりしないように、写真の裏側の四隅に糊を塗ってから固定していたようだ。
しかし、小さい頃の京介義兄さまが写っている写真だけ、何故か一度剥がしてからまた貼り直されているみたいだ。
とても丁寧に貼り直されているので、よく見ないと分からないようになってはいるけど、やはり該当の写真群だけ、糊の色や台紙の皺、写真を支えるビニールの張り具合などが、どうもほかとは違う気がする。
「何故かしら…?」
私は少し興味をそそられたけれども、何だかそのことについては深く触れてはいけないと第六感が告げたので、これ以上考えるのをやめることにしました。
「瑠璃、そっちへ行ったぞ!
お前は向こうへ廻れ!」
「分かったわ、挟みうちね!」
京介義兄さまが指示をだし、瑠璃姉さまがその意図を瞬時に読み取って行動に移します。
流石この夫婦、阿吽の呼吸は伊達じゃないけれど、あまりにも相手が手強すぎる。
なにしろ小さな暴君龍なのですから。
それに、この二人の連係作戦がもう少しで成功しそうになるときに限って、必ずといって良いほど“邪魔”が入るのがいつものパターン。
果たして、今度は巧くいくかしら…?
私は、お茶をいいところまで飲み終えると、
「悠璃ちゃん、璃乃ちゃん、危ないから部屋の奥まで行ってなさい」
と双子の姪に促しました。
「「は~い♪」」
姪たちは、大人しくリビングの奥の方へと移動していきます。
はい、二人とも良い子で宜しい。
姪っ子たちが安全圏まで退避したのを確認した私は、お盆に今使ったお茶碗や急須などをのせて立ち上がり、キッチンの方へ行きかけました。
その時──
(!……そろそろかしらね?)
私がそう予感したら案の定……
ドタドタドタッ…
嵐が近づいて来ました。
嵐の発生源である彪瑠がリビングへ乱入してきました。
危うく私と衝突するところでしたが、このことを予期していた私は、最小限の動きでそれを回避しました。
(ふうっ、今のは危なかったな……。
それにしても、我ながら見事な身の翻し方。
こうしてお盆も無事で……)
ゴツンッ!
ガシャーンッ!
……少しでも自惚れたことに対してバチが当たったようです。
彪瑠を避けて油断していた私は、それを追ってきた何かにぶつかって床に倒れてしまいました。
「大丈夫か? 珠希!」
見上げると、汗だくの京介義兄さまが、こちらへ手を差し伸べていました。
「……あ、ええ…、大丈夫です、
義兄さまの手は汗
「……ありがとう、義兄さま…」
「スマン! あいつを追いかけるのに夢中で…オワッ!?」
「珠希! 大丈夫!? 」
義兄さまを押し退けて瑠璃姉さまが、凄い勢いで私に駆け寄って来ました。
「本当に大丈夫? 怪我とかしてない?」
姉さまはそう言いながら、私の身体を調べ廻ります。
汗塗れの顔で、荒い息づかいで身体を撫で廻されるので、我が実姉ながら、ちょっと怖い……
これがもし瑠璃姉さまでなくて桐乃お義姉ちゃんだったら、私は悲鳴をあげて逃げ出していたかも知れません。
「本当にゴメンな?」
瑠璃姉さまの背後から、京介義兄さまが顔を出して謝ってきました。
「…ほ、本当に私は大丈夫ですから、心配しないで……。
それより、姉さまと義兄さまこそ、ずっと全力疾走で大丈夫なのですか?」
「俺はまだまだ大丈夫だ。でも瑠璃、お前はさすがにもう限界だろう?
さっきから何度も言ってっけど、いい加減休めよ」
「え?…でも……今のあの子、少しでも目を離したら何をしでかすか…心配だわ……」
「いいから休め! 彪瑠のことは俺に任せてさ…。
休んで回復したら、また見に来てくれればいい」
「姉さま、私からもお願いします。このままでは、姉さまのお身体が心配です」
「珠希……」
姉さまは、しばらく迷っておられましたが、
「わかったわ、じゃあ、休ませてもらおうかしら……」
と、お応えになったので、私たちはひとまずホッとしました。
「よし、じゃあ俺は彪瑠のヤツを探すとするか」
「義兄さま、タッくんだったら、さっきからそこに…」
私は、リビングの入り口を顎で指し示しました。
「「え?」」
私の言葉にお二人が振り返った先には、彪瑠が廊下からリビングの私たちを、頭だけ出して覗いて見ていました。
追いかけていた者が急に居なくなったので、気になって様子を見にきた、という感じでしたが、私たちに見つかったことに気づくと、ギクッとなってまた引っ込んでしまいました。
「あっ! こいつ! どおりで静かだと思った!」
京介義兄さまが、即座にリビングを飛び出しました。
そして、リビングには私たち姉妹と、姪っ子たちが残りました。
《つづく》
「彪瑠」という名前は、随分と考えてつけた名前です。
「瑠」の字は勿論、姉二人に倣って、母親の瑠璃さんからとりましたが、ほかにも、
◦ネコ科の動物の文字を入れること。
◦できれば高坂家にも纏わりがありそうな名前にすること。
といったことも満たしたいと思って、いろいろ試行錯誤して名付けました。
そのあと、試しに調べてみたら、本当に同じ名前の人がいることには驚きました……。