何処までも透き通った青空と、その下遥か彼方に広がる茜色の山嶺…
それをキャンパスに秋風と踊る枯葉達…
晩秋が織り成すそんな風景を、頬杖をついて見つめるぱっつん前髪の少女…
何を思うのか、誰を思うのか、物憂げな表情とその白い肌は、
穏やかな秋の陽射しに照らされて、ほんのり色付いていた…
彼女の名はミウ… 人呼んでミウたん…
又の名を、新進気鋭のこけしアーティスト、須内美羽!
『崖の縁のミウたん』
「こんにちは、今日も来たのね」
「大分冷え込んできたなぁ、嬢ちゃん」
すっかり顔馴染みになった司書のお姉さん、警備のおじさんと挨拶を交わし、ミウたんは今日も定位置に腰掛ける
"市立図書館"
ミウたんは此処が大好きだ
家庭の事情で高校にへは進学出来なかったミウたん
だが、彼女には大きな夢がある
その夢の実現に向け、ミウたんはファーストフード店のアルバイトの傍ら、足しげく此処に通い、独学で勉強を続けていた
同年代の少年少女が学生服に身を包み、友達と楽しそうにしている様をほんのちょっぴり羨ましく思いながらも、その瞳には希望の光が満ち溢れていた
鬱蒼と樹木の生い茂るジャングルに人知れず咲く一輪の白百合…
あるいは荒涼とした砂漠の夜の天空にひっそりと瞬く青星…
もしくは遠き深海の更に奥、光も届かぬ漆黒の海底で淡く煌めく一粒の花珠真珠…
古の詩人が彼女を表現するのなら、そんな言葉を並べたかもしれぬ…
ミウたん…
それは人の心を失った屍がごとき現代人が拔扈し、
全てが機械化され、あらゆる物が合理化され、
ひたすら欲望と享楽だけを追い求め、無意味で不毛な争いを続けるこの末世に於いてただ一人、
俗世に穢れる事なく、風説に惑わされる事なく、
何処までも正直に、何処までも真っ直ぐに生きる、美しき少女の名である!
彼女に出会った者は誰であろうと、その魅了の前にひれ伏さずにはいられまい
薔薇の花を持つ者があれば其れを彼女に捧げ求愛し、
十字架を持つ者があれば祈りを捧げ救いを求め、
札束を持つ者があれば彼女の白い頬をひっ叩き、
真っ赤に熱したフライパンを持つ者があれば……
要するに極めて俗っぽく砕けて言えば、あり得ない程の極貧薄幸少女である
そんな彼女に己の不憫を忘れさせ、その目を輝かさせる事の出来る存在…
それが"こけしアート"の世界である
そう、ミウたんは駆け出しこけアーティストなのだ
こけしに青春を賭け、こけしをもって己の精神世界の表現を夢見る少女
決して夢想では無い
魑魅魍魎が拔扈するこけしアート界で今、一際異才を放つ注目株、それがミウたんなのだ
住処であるスレート葺きのあばら家、その一角、ガレージの隅に誂えたこけし製作専用の舞台
"製作ステージ" から次々と産み出される王道かつ斬新なアーティスティクこけしの数々は、
ニューエイジこけし世代の代表作と評されているのだ
(もしや、成功の裏技!?)
永らく探していたお目当ての古書を見つけ、脚立によじ登るミウたん
その姿を下卑た表情で眺める学生服の少年少女達…
リーダー格の少年が顎で合図を出す
1人の少年がミウたんの席に近づき、そして直ぐに離れる…
何も知らぬミウたんが大事そうに本を抱え、それでいてワクワクを隠し切れない笑顔を覗かせて、全く無防備に椅子に腰を降ろすーーー
『ブバッ! ブヒヒィィイー! ブシャャャァ!!』
濁った水溶性の粘着質な爆音が静かな図書館に響き渡る
周囲の目がミウたんに注がれる
何が起きたかわからないミウたん
その隣でまた別の少年が叫んだ
「うわぁ! 臭ぇぞ、この女!」
それは紛れもない事実だった
ミウたんの椅子に置かれたクッション
そこから滴る謎の液体
辺りに立ち込める猛烈な刺激臭
漸く自分が引き起こした事態を飲み込んだミウたん
悪ガキどもの悪戯だった
いつも同じ格好で図書館に入り浸る、学生ではない少女…
興味と嘲笑の対象だった
『ホームレスちゃん』などと渾名が付けられているとは知る由もない
あまりの恥ずかしさと自分に向けられた悪意に対する怒り、動揺が1つになって、真っ赤に染まった顔を両手で隠しその場から駆け出す
犯人探しや報復などには興味は無かった
ただ、もう大好きなこの場所には二度と来れないだろうという現実に、
熱い何が頬を伝うのを、ただじっと堪えるしかなかった…
「……ミウ…… ミウ…………」
「………お母さん? ………お母さん!?」
「…ミウ…… こちらにいらっしゃい……」
「待って! …待ってお母さん!」
『ジリリリリリリリィ……』
耳障りな金属音がミウたんの鼓膜を刺激する
直ぐに其が目覚まし時計のアラームだと 気付き、無意識に枕の先のそれに、白く細い手を伸ばす
「夢か……」
今日もまた嫌な夢を見た
最近良く見るこの夢……
ミウたんがまだ幼い頃死別した母親
朧気な記憶の中にしか存在しないはずの母が、その夢の中ではとても生々しい姿で現れ、自分の名を呼び手招きする…
ミウたんも必死に母の元へ向かおうとするが、あと少しのところでいつも夢は覚める
覚めた後はぐっしょりと汗をかき、胸の鼓動は高鳴っている
嫌な事があった日によく見る夢… 心の中のもう1人の自分が、声なき声をあげているのだろうか…
悲しい…… 寂しい…… 辛い…… あの頃に戻りたい…… そんな無意識の心の悲鳴がこんな夢を見せているのだろうか…
(私… 泣いてる…?)
ミウたんは自分の頬を伝う滴に気付いた
(やだ、もう泣かないって決めたのに! )
ミウたんは自分を奮い起たせる様にベッドを飛び起き、洗面所へと向かった
(負けたくない…!)
じゃぶじゃぶと蛇口から溢れる水に汗と涙を流し、ミウたんは顔を上げる
鏡に写るミウたんは、もういつものミウた
ミウたんはこう見えて和食党
今日の朝は七分粥に、いりこ出汁の味噌汁と鯵の開き、野沢菜のお漬物だ
勿論全部お手製、料理の基本さしすせそ、愛情たっぷり味の素
いつか愛する誰かと囲む食卓を夢見て、今日も一人、母の形見である
漆塗りのお膳の前にちょこんと正座するミウたん
「いただきます!」
両手を合わせてお膳の向こうに浮かぶ、農家や漁師の方々に感謝を込めて頭を下げる
物心ついた時から続けているこの作法 きっとこれも母の躾だ
ミウたんの1日が始まる