赤い蝋燭を小さな炎が溶かしていく
部屋に満ちる石榴の香り…
「解体
バラ
しますね……」
その淡い光を反射して鈍く光る鋏が、エマの数少ない想い出を静かに裂いていく
暗いフローリング散らばる写真だった物…
蝋燭の明かりは良い 今のエマには、ノートPCのバックライトですら眩し過ぎるのだ…
「えっ!?……け、警戒体制を取ります……」
突然の告白に頬を染めて俯くエマ
生まれてこの方、男性とまともに会話した事すら無い免疫不足の彼女は、淑女の様に喜びを表す素直さも、小悪魔の様にはぐらかす余裕も無かった
悲しいかな、自分に愛を打ち明ける目の前の男に無意識に警戒してしまう
大きな胸と白い肌、通った鼻筋に切れ長な瞳、細い身体と長い足…
特に取り柄の無い冴えない自分に、一体何の目的が有って近付くのか?
「お、お金なら…ありませんよ…!」
そんな予防線を張って男の様子を伺うエマ
男は心底可笑しそうに腹を抱えて笑った
男はエマを可愛いと言う エマの事をもっと知りたいと言う
長い沈黙の後、エマは男と先ずはお友達になる事を了承した
目張りをした車内を照らす青い蝋燭
ネモフィラの甘い香りをたゆとわせ、今、一際眩しい最期の灯火をたぎらす
その姿に自分を重ねるエマは、床の練炭に火を灯すと大量の睡眠薬を掌に乗せる
「ちょっとすみません… ここは駐車禁止なんですよ」
蛍光色の外套に身を包んだ翁が車の窓を叩く
エマは小さく舌打ちをすると、アクセルを踏んでその場を立ち去った
ガラスケースの中で白い蝋燭の炎が揺れる
鈴蘭の香りが支配する寝室のベッドの中で、エマは男と一つになった
エマは幼い頃を思い出していた
鈴蘭の咲く庭先で、父と母に白いブランコを押して貰った懐かしい想い出…
いつか自分もあの日の母の様に、我が子の乗るブランコを…
あの日の父の様な大きな男の手に髪を撫でられて、エマはそのまま夢の世界へと旅立った…
緑の蝋燭はミントの香り
この香りに包まれてのバスタイムがエマのお気に入りだった
今、そのバスタブに突き出した白い手首にカミソリの刃を当てる
赤い一筋が小さな滴を産み落とし、バスタブの底に虚ろな花を咲かせる
『ピピピピピピピ… ピピピピピピピ… 』
「!!」
不意に鳴り響く携帯の着信音
無視しようとするが意識を削がれる
今生の別れとばかりに、何年か振りの同級生と会話を楽しんだ…
「えっ 私? …房総の出身ですよ?」
その答えを聞いた時の男の表情に、エマは小首を傾げた
二人の間を檸檬の香りが流れる
いつもとは明らかに違う男の態度
今までエマに見せた事の無い苛つきや落ち着きの無さ
エマは何か気分を損なわしたかと男に謝罪した
だが、男は逆にエマに謝罪した
エマに罪は無いと… 悪いのは埼玉出身の自分だと…
黄色い蝋燭の炎が一瞬、瞬いた
紫色の蝋燭が足元を照らす
ラベンダーの香りは屋上を吹く風に散らされる
エマは柵を乗り越え下界を見下ろす
空を飛べる様な錯覚がエマの背中を押す
ふと向かいのビルの屋上に動く影…
一瞬、エマと目のあったのは中年の男
彼は微かに微笑んだかと思うと、そのまま中空に身を投げ出した
男は空を飛ぶ事なく、気味の悪い衝撃音を響かせて血肉の塊になった
機先を制され、タイミングを逸したエマはため息を残して建屋の中に消えて行った
なんとか両親は説得して見せる…
台詞とは裏腹に、携帯の向こうの男の声は弱々しかった
私が千葉人で貴方が埼玉人… それの一体何が問題なのか?
エマはどうしても理解出来なかった
「どうして君は千葉人なんだ… 」
ただ、その男の呟きが、全ての終わりを告げている事だけは、エマにも理解出来たのだった
橙色の蝋燭が放つ金木犀の香りも、今のエマの心には届かなかった…
最後に一本残った桃色の蝋燭…
エマの大好きな桜の香り
今はただ、冬の寒さにじっと幹を閉ざして来るべき春を待つ
その太い枝の一つにロープをかけて首を通す
願わくば満開の桜の下で…
儚い夢想が頭を過るが、直ぐに自嘲した
美しい桜の花の下に垂れ下がる塵の様な自分の亡骸…
不粋だ…
桜の花は若さと命の象徴だ 桜の花の下には愛と未来を語らう若人が相応しい…
脚立代わりのプラバケツを足蹴にして、エマは宙に舞う
直後、バキリッと乾いた音が響いて、エマは仰向けに地面に叩き突けられた
折れた桜の枝越しに今にも粉雪が舞いそうな、暗い曇り空が見えた…
地下鉄の窓、漆黒の闇を背景に浮かび上がる自分の顔をエマはじっと見詰める
惨めで滑稽な道化師…
ただ流れる旋律に乗せて、誰の目にも留まらぬダンスを踊り続ける…
眼鏡の奥の瞳が哀れみの視線を向けてくる
……唐突に訪れた衝撃
全てが暗転して、気が付くと一人、闇の中に居た
足元を浸す冷たい水の感触
それが徐々に登りくるのを感じた時、エマは自身に課せられた運命の悪意を理解した
愚かな道化師は、自らの終演の時すら思いのままには成らないのだ
だが、それでいい… エマはもう何も考え無かった
突如、静寂を切り裂く喚き声
神に救いを求め、次いで罵倒する
「神なんて存在しませんよ…」
エマは静かに諌めるが、声の主は訳の分からぬ譫言を繰り返す
今一度、一人になりたい…
エマは適当に受け答えをすると、再び訪れた静寂の中に意識を溶かして行った……
本当に欲しかったのは、スワロフスキーの首飾り…
だけど、どうしても、それに指を伸ばせない…
もし伸ばせば… 彼の好きなエマではなくなってしまうかも…
エマはちょっぴり不思議で、いつも自然で、自分の世界を持った女の子…
それが彼の好きな女の子…
誕生日のプレゼントのリクエスト
エマの指先は、その後ろのアロマキャンドルを指差した…
確かに桜の花の香りがしたと思う
だが、目を覚ました病室は未だに長い冬の帳の中…
春になったらもう一度、桜を見に行こう…
エマは窓の外に広がる、灰色の空を見詰めていた
それから数十年後、その病院の古ぼけたその病棟で、夕食の合成きりたんぽを喉に詰まらせ入院していたミウたんが、治療の甲斐なく静かに息を引き取る…
だがそれは、まだ語るべきではない、遠い未来の物語である…