ミウたんがその事実を認識するのに30分はかからなかった
指し渡り50メートル程の空間で前後を塞がれ、人の通れる隙間は無い
天井から勢いよく降り注いで来る膨大な量の水… 刻々と増す水位…
それから逃れる様に車両の出入口に腰を掛けたミウたんは、両手でその身分不相応の可愛いお顔を覆っていた
「私… 死んじゃうんだ…」
塵虫が鳴く様な小さな声で呟くミウたん
さしもの彼女も自分の置かれた状況の
絶望さ加減を理解した
何故私は運転手の制止を振り切りったのだろう…
何故私は命よりお金を選んだのだろう…
何故私は今日地下鉄に乗ったのだろう…
何故私は妖怪全集なんて借りたのだろう… 様々な後悔と何故がミウたんの心で木霊する
まだエッチもした事無いのに… 松阪牛も食べた事無いのに…
飛行機も乗った事無いのに… CDデビューもして無いのに…
様々な無念と未練がミウたんの脳裏で交錯する
水位は更に上がり、ドアから車内に侵入してくる
「やだ…… 死にたくない… 神様…… どうして…!」
ミウたんはシートの上に移動し悪あがきを続ける
こんなに可愛い自分がどうして死ななくちゃいけないの!?
ミウたんは運命を弄ぶ神という存在を憎悪した
「どうして…… 神様の馬鹿! 人で無し! 人殺し! 変態! どスケベ!」
涙を流しながら、想像上の存在を有らん限り罵倒するミウたん
「神なんて存在しませんよ……」
「ぎゃぁぁぁぁぁっ!!"」
突如闇の中からミウたんの叫びに答える声
この空間に自分しか居ないと思い込んでいたミウたんが、悲鳴を上げるのも無理はなかった
「だ、誰!?」
驚いた反面、自分以外の誰かがここに居た事に、ミウたんの心は励まされた
「静かにして貰えませんか…」
だがミウたんのパニック寸前の精神状態とは対象的に、声の主は冷静だった
まるでこの状況に恐怖を感じていない様だ
声のする方向を凝視するが、暗闇の中で輪郭すら捉えられない
声色からすれば若い女性の様だが、余りにも冷静なそれは、人間離れした異様な存在にも思えた
「!?」
ミウたんの脳裏にある想像が閃いた
「もしかして… 妖怪さんですか…?」
感性が鋭過ぎるミウたんは、この僅かなやり取りで何かを感じ取っていた
この緊迫した状況で、まるで他人事の様に清まして、パニクる人間を邪険に扱う存在…
それは妖怪しかいない!
ミウたんは昨夜、徹夜で読み漁った妖怪全集を思い出していた
そしてミウたんの予想通り、ミウたんの問に答えない闇の中の存在…
それはミウたんの推測が的中している事を物語っているのだ
絶体絶命の美少女の元に訪れた人ならざる存在…
漫画の世界ならば、それは紛う事無きヒーローであろう
そういう物に人一倍感化され易いミウたんが、声の主が自分を助けに来てくれた正義の妖怪と信じるのも無理は無かった
「お、お願いします! 助けて下さい! もし助けて貰えたら、これから毎日、胡瓜三本お供えします!」
ミウたんの中では、全ての妖怪は胡瓜が好物となっている
「落ち着くべきですね… どうせ人は何れ死ぬんです… 暴れれば苦しみが増すだけです…」
だが、それに対する返答はミウたんの予想とはかけ離れた物だった
「ど、どうしてそんな事言うの!? それでも正義の妖怪さんなの!?」
「妖怪……? 私はただの塵ですよ……」
噛み合わぬ会話 その間にも水嵩はどんどんあがってくる
「やだやだ! 死にたくない! 助けて、助けて下さい!」
半狂乱になり泣き喚くミウたん
「ふぅ………」
そんな醜い彼女の姿に辟易したかの様に、闇から漏れるため息
「落ち着いて下さいね… 水が流れ込んでも耳が痛くならないのは、空気の逃げ道が あるからなんですよね… 地下鉄のトンネルの上には排気口があるんですよ… 今のうちに適当に水に浮かぶ物でも繋げて、浮き輪代わりに捕まってれば、そのうち上まで運ばれますよね…?」
「!!」
絶望に打ち拉がれるミウたんの視界を閃光が走った
これぞまさしく人智を越えた妖かしの啓示
やっぱりこの妖怪は自分を助けるために訪れた正義の妖怪なのだ
「ありがとう妖怪さん!」
生への希望が沸き上がったミウたん
だが時間は余り無い ミウたんは辺りを見回す
そして荷物ラックに残されたバッグに刺さったペットボトルを見つける
(これだ!)
更に、流されて来たのか、シートまで迫った水面を漂う二本の空ペットボトルをGETする
それらを上着の中、ブラとバストの間にねじ込む
念願の巨乳になったミウたん 元来、泳ぎは得意な方だ
この浮力があれば必ず地上まで達する事が出来るだろう
「本当にありがとう妖怪さん! 来週から週一で胡瓜三本お供えします!」
助かったと分かるや然り気無く供物を値切る、浅ましいミウたんの再度のお礼に機嫌を損ねたか、闇の声は応えない
だがミウたんは気にする様子も無く、迫りくる氾流に意を決して飛び込むのだった
「づべだいーーー!」
当然であろう 真冬の水道水プールが冷たくない訳が無い
氷の中に埋め込まれた様な衝撃に、ミウたんの奥歯がガチガチ音を立てる
何かイメージしていたのと違う…!
軽くパニック状態のミウたんに更なる追い討ち
「な、な、な、がちゃれ… てる…?」
ただ満ちて行くだけに思われた水
だが、それに身を任せれば、ミウたんはどんどん車両の後方に流されて行く
(うえに… ひへない……)
この時点で、ミウたんは冷たい水流で急激に体温を奪われ、身体の自由が失われつつあった
「ひんじゃう… ひんじゃう… はむい… ふめたい… ようはいはん… はなひがひがうー!」
水流に揉まれながら不明瞭な叫びを上げるミウたん
その動きは徐々に速度を増し、遂に崩れた土砂の壁に激突した
ミウたんは知る由もない
土砂の壁には至る所に隙間があり、そこから後方へ水が流されていたのだ
その脆い土砂の壁は、ミウたんの体当たりを受けて、遂に崩壊した
濁流に呑まれ、一気にトンネル内を滑って行くミウたん
200メートル先の排水口付近でレスキュー隊員によって発見された時は、既に心肺停止の状態であった…
2日後、ミウたんは病院のベッドで目を覚ました
冷水による、急激な体温低下が効を奏、ミウたんの脳には多分、重篤な障害が残らなかった
ミウたんはベッドの上で目を瞑り、あの時の事を思い出す
自らを「塵」と名乗ったあの妖怪…
あれは塵塚怪王と言う悪の妖怪だったのだ
あの時、気付くべきだった
打ち捨てられた塵屑に魂が宿り、人間に悪さをする妖怪…
恐らく、あの暗い地下鉄のトンネルに吹き寄せられた物言わぬ塵達の、寂しさや憎しみが、妖かしを産み出したのであろう
(神なんて存在しませんよ…)
ミウたんの心の中に、あの妖怪が発したその台詞がいつまでも木霊していた