格子窓から差し込む朝日に美鵜が目覚めた時、そこに婆の姿は無かった
きちんと畳まれた布団と、その上に置かれた1通の封書
美鵜は胸騒ぎを感じながら、その封書を開いた
「………………お婆様!」
美鵜は裸足で庭に飛び出していた
それでどうなる訳でも無いが、じっとして 居られなかったのだ
遥か彼方、白みかけた東の空を見詰め、そのまま力無く踞る
封書の中には、死を覚悟した婆の決意と、美鵜に後事を託す旨が認められていた
自分に代わり里を纏め、平和に導いて欲しい…
無益な闘いの事など忘れ、一人の女として幸せになって欲しい…
そんな切なる願いが込められていた
里の中央を流れる川に婆の骸が流れ着いたのは、昼過ぎの事だった
戸板に乗せられ運ばれて来た、その変わり果てた姿に美鵜は縋り付き号泣した
その光景を目の当たりにした里の者達は、口々に復讐を誓う
慰める様に美鵜の背中に抱き付く子供達を優しく振り解き、美鵜は立ち上がった
婆が自分に託した思いを無下には出来ない
「良いですか皆の者… 只今より、里長の務めはこの美鵜引き引き継ぎます…」
美鵜の瞳にもう涙は無かった
凛として佇むその姿は、新しき里長としての威厳すら漂わせていた
里長として初めに出した命、それはこの不毛な闘いを終わりにする事だった
当然の様に周囲から不満の声が上がる
先長の仇は取らんのか… 怖じ気付いたのか…
美鵜はそんな声に1つ1つ答えていく
婆が命を掛けて決闘に挑んだ理由… 美鵜に託した願い… 闘いの虚しさ…
やがて里の者達も、その美鵜の熱意に心を 折られ、怒りと憎しみを捨てていく
そうして再び月が夜空に輝く頃、先長の葬儀がしめやかに行われた
だが、そんな美鵜と先長の願いは無情にも踏みにじられる
和平の使者として敵地に赴いた里の代表は、瀕死の重症を負って送り返された
美鵜同様、あの決闘で命を落とした先代の跡を継いだ敵方の里長は、互いの存亡を掛けた一大決戦の果たし状を叩き突けてきたのだ
争いに決着を着けんとした二人の里長の思いは、皮肉にも破滅的最終対決の引き金となったのだ
今は独り美鵜が住まう館に、里の者達が集まって来る
最早、和平の道は閉ざされた 遅かれ早かれ此が運命だったのだ
そんな表情で闘いの準備を進める面々
時此処に及べば、誰も美鵜を臆病と詰る者は居なかった
ただ誰しもが美鵜の為、里の為、命を投げ出す覚悟を決めていた
そんな殺気溢れる陣所と化した館
その奥の間で婆の仏前に手を合わせる美鵜
その傍らでは、あの子供達が心配そうに美鵜を見詰める
まだ闘いには参加は出来ない彼らは、大将である美鵜の身の回りの世話を、誰に命じられた訳でもなく自発的に行っていた
彼らも彼らなりに里の為に尽くしているのだ
そんな健気な子供達を抱き締め、美鵜は小声で頼み事をする
其れを聞いた彼らは雁首を振って激しく拒絶する
だが、美鵜は今度は彼らの前にひれ伏し、頭を下げて懇願した
お前達にしか頼めぬと… どうか聞き分けてくれと…
美鵜の瞳から大粒の涙が溢れた
里長であり、大好きな美鵜の涙を見せられれば、幼い彼らとてその願いを無下にする事は出来なかった
老婆と翁の里の境界だったブナの原生林と、それを包む深い霧が昇る朝日に浮かび上がる
その霧の中を武装した黒塗りの一団が列を成して進んで来る
その数凡そ三百…
誰もが無口で殺気を孕み、素人目にも百戦錬磨の強者の集団と映る
動員可能な戦闘員数とその錬度なら、彼らは常に美鵜達を圧倒していた
美鵜達が彼らと対等に渡り合えたのは、防衛に徹した戦術と、類い稀な里長の戦闘力の故である
少なくとも美鵜はそう思っていた
だが、最早その里長はいない…
騎乗で一団の先頭を行く彼らの里長が、何かに気付き進軍を制した
「貴様独りだと…? 死に損ないに我らも舐められた物だな!!」
その男の視線の先には、ナズナの群生の中に独り佇む美鵜の姿があった
美鵜は無言のまま男の前に歩みを進めると、その場に膝間付いた
「……何の真似だ?」
男は怪訝な表情で美鵜を見詰める
「私の命で貴方の憎しみが晴れるのなら…… どうぞ殺しなさい……」
「!?」
男の眉尻が一瞬跳ね上がった
だが次の瞬間には含み笑いを浮かべていた
「臆したか美鵜! 逸れでも天童衆の頭目か!」
「笑いたければ笑いなさい… 私はただ、無意味な争いをしたくは無いのです!」
「ふざけるなっ!!」
男は美鵜を怒鳴りつけると鞍から飛び降りた
「無意味だと!? 我ら鳴子衆と貴様ら天童衆、200年の確執を忘れたか!」
「滑稽ね… 最早、争う理由も覚えてはいないのに……」
美鵜は怯む事なく男を睨み付ける
「黙れ! 貴様ら天童衆を滅ぼしてこそ、我ら鳴子衆がこけし界の覇者となるのだ! 闘え! 闘わぬのなら天童衆1人残らず皆殺しだ!」
「ふぅ………」
美鵜は小さなため息をつくと立ち上がった
「やむを得ません…… 此を…… 最後の闘いに……!」
美鵜は飛び退り間合いを取る
「手出し無用!」
男は今にも美鵜に飛び掛からんとする手勢を制する
「殺すには些か惜しい女子と思うて前回は手心を加えたが、最早情けは無用!」
男は懐から漆黒の鳴子こけしを取り出す
「前回は不覚を取りましたが、その幻術はもう通用しません!」
美鵜は小袖から真紅の天童こけしを取り出した
一陣の風が二人の間をすり抜け、一片の梅の花弁が舞い落ちて、それが合図となった
「ええぃ 里長は何をやっておる!? 最早敵は直ぐ其処まで迫っておるぞ!」
「里長! 里長! 早く下知を!」
その頃天童の里では、決戦を前に何時までも姿を現さぬ美鵜に、詰めかけた者々が憤りを表していた
世話役の童供は曖昧な返事で美鵜に取り次ごうとしない
やはり臆したか! 業を煮やした者達は遂に童達を押し退け、美鵜が籠る奥座に乗り込んだ
其処には布団を頭から被り、小さく丸まる情けない里長の姿があった
「なんたる様だ! やはり和平など臆病風に吹かれてか!」
1人の男が美鵜から布団を剥ぎ取る
「!!」
だが其処に居たのは美鵜ではなく、里の童女だった
「喰らえ! 回転時差式背撃演舞!」
「早春柳節、 胡蝶の舞、第二幕!」
回転しながら相手の背後に強烈な一撃を食らわせる大技を、蝶の様な躍動でひらりとかわす
ナズナの花畑の中に組み立てられた台座の上で、2体のこけしが凌ぎを削る
「どうした? 守るだけでは勝てんぞ!」
「……くっ!」
漆黒の鳴子こけしの怒涛の責めに、美鵜の天童こけしは防戦一方
質の違う激しい攻防が繰り広げられるこけし相撲に、ギャラリーの鳴子衆もただ息を飲むばかり…
「そろそろ止めだ、死ね! 幻影こけし無双!」
「!!」
美鵜は息を飲んだ
この技だ… この技の前に美鵜は敗れ、生死の狭間をさ迷ったのだ
巧みな台座捌きで操られたこけしは、不思議な動きで舞い踊る
美鵜の目には、漆黒の鳴子こけしが無数に分裂して行く様に見えた
美鵜は目を閉じ台座の上のこけしに意識を集中する
惑わされてはいけない… 本体はただ1つだ
「死ねぇぇぇぇぇぇっ!!」
掛け声と共に鳴子こけしと、その凄まじい闘気が、美鵜の天童こけしに襲い掛かる!
「……そこっ!!」
美鵜は目を見開き、台座の縁を強打する!
『カコンッ!』
乾いた音が周囲に響き渡った
宙を舞う黒い影…
衆目の注がれる中、漆黒の鳴子こけしが、どすんと地面に落ちた
台座の上にはバランスを崩しながらも何とか堪えた天童こけしが鎮座する
勝負あり!
「う… うぉぉぉぉぉっっっ……!!」
雄叫びを上げ突っ伏す男
背後の鳴子衆が力なく膝を折って行く
小刻みに震え譫言を呟く男の前に美鵜は立ち、手を伸ばした
「もう…… これで終わりにしましょう…… こけしが泣いている……」
「ほざけぇぇぇぇぇぇっ!」
男は絶叫と共に美鵜に飛び掛かった
その手には小刀が握りしめられていた
「鳴子衆に敗北など無いのだぁぁぁっ!」
咄嗟の出来事に身動きの取れない美鵜
霧の合間から射し込む朝日に、小刀の刃が 鈍い輝きを見せる
美鵜の脳裏に婆の顔が… あの子供達の顔が… 懐かしい里山の景色が浮かんだ
死を覚悟し、次の瞬間に訪れるであろう激痛に心を備える
「ぐはっ!」
だが、次の瞬間に訪れたのは激痛ではなく、男の叫び声と、黒い影に弾かれ弧を描き飛んで行く小刀の姿だった
「其処までだ……」
「「!?」」
美鵜と男がその声の方を見遣る
「うぅっ!? あ…… ……貴女は …何処かで……?」
緑色の奇抜な被り物と、胸だけを覆う小さな布切れ
不気味な絵が書かれ厚紙を持つ、不思議な格好の女
その姿を見た時、美鵜の頭が割れそうに痛んだ
「そろそろ帰ろうか… 自分の星を理解出来た事だろう……」
「!! ……貴女は ……あの時の……!!」
美鵜は全てを思い出した
私の名前は…… ミウ……
こけしアーティストの… 須内ミウ!
次の瞬間、辺りは光に包まれ、その中をミウたんとその女は登っていった
「どうして…… どうして私にあんな夢を見せたの……?」
「……夢じゃないさ…… あれはお嬢さんの生まれ持った星の物語さ……」
答えにならない答えにミウたんは困惑する
ふと足下を見ると、あの里の姿が微かに透けて見えた
「婆様…… みんな……」
こけしと自分を結ぶ深い因果
あの里での体験は、自分の中を流れる先祖の血が見せた幻か… それとも…
薄れて行く里の姿に何かを呟こうとした所で、ミウたんの意識は再び途切れた…
「延長四時間で、二千八百円になります……」
がま口の中のなけなしの小銭を穿るミウたん
とうとうやらかした、寝落ち大延長…
もう二度と漫画喫茶は利用しない
涙を堪え、ミウたんは己の星に誓うのだった