「うわ~! 凄いです~!」
窓の外に広がる銀世界に、少女は歓声を上げた
一際冷え込んだ昨夜の入りからちらつき始めた粉雪は、夜半には勢いを増し、普段は其れとは無縁のこの地を、さながら真冬の北国の様相に変えていた
厚い雲が覆う暗い空からは、尚もばら蒔く様に激しく雪が降り頻り、既に庭のブランコの腰掛けに迫る雪嵩を、特化ゾーンの如く更に上乗せしていた
少女の歓声に起こされた義姉妹達が、眠そうな仕草で三々五々窓辺に集り、その光景にやはり感動の言葉を紡ぐ…
" ………からの冷たい空気が入り込み、太平洋沿岸では…… "
吹き上がる鍋の蒸気が、食欲を擽る香しい空気を充満させる台所
まな板の菜類を小気味よく刻み、鍋の火加減を調整しながら、手際よく器をテーブルに並べていくその姿は、ラジオをBGM代わりに舞う踊り子の様だ
「おはよう、ママ先生… 凄い雪ね…」
長い黒髪を束ねながら、エプロン姿の少女が台所に入って来た
ママ先生と呼ばれた彼女だが、歳は呼んだ少女と幾らも変わらない
彼女達が身を寄り添うこの場所は、様々な事情で保護者を失った子供達が集まる、所謂養護施設である
謝罪の書き置きと僅かな現金を残し、その施設長夫妻が失踪したのは数ヶ月前
詳しい理由は分からないが、施設の資金繰りに行き詰まっていたらしい
無責任にも思えるが、彼女達は誰も夫妻を… パパ先生とママ先生を責めなかった
少なくとも二人は彼女達の面倒を一生懸命見てくれたし、何より先に本当の親に捨てられているのだ
養父母である先生達が自分達を捨てる事を、どうして責められようか…
その日から、最年長だった彼女が新しいママ先生となった
名前はイチゴ
1月5日にこの施設の玄関先に捨てられていたので、この名を着けたらしい
「ザクロ、お味噌汁をよそって」
先程台所にやって来た少女に指示を出す
彼女はこの施設で、イチゴの次の年長者である
ちょっとクールで、ぱっと見、取っ付きにくいが、面倒見と責任感が強く、よくイチゴの補佐を務めてくれた
石榴柄の毛布に包まって捨てられていたのが、その名前の由来らしい
「イチゴ先生、まだ~?」
美味しそうな匂いに誘われたかの様に、新たなお客が顔を見せた
ショコラの段ボールに入れられていた、ちょっと食いしん坊な彼女
「はいはい、出来たわよ 皆を呼んで来て」
慌ただしくも、賑やかな朝の風景
イチゴはこの朝の雰囲気が好きだ
例え眠くとも、寒くとも、皆に美味しい朝御飯を食べさせるのが至上の喜びなのだ
だって私はママ先生なのだから…
「「いっただきま~~す!!」」
施設の食事風景は戦場である
さながら東部戦線のカチューシャの如く、テーブルの上に降り注ぐ箸の集中砲火
器の中の惣菜が、瞬く間に跡形もなく消し飛んでいく
そんな様子を満足気に見詰めながらも、イチゴの意識は窓の外の豪雪に向かう
彼女はママ先生であっても女神ではない
歴とした人の子であり、本来ならまだ甘えたい年頃でもある
この大雪の中に其れをしに行くのは流石に気が重い
それでも行かねばならない事は分かっている
分かっているが、こんな天気の日は望みも薄いのだ
それでなくても既に十分疎まれているのだから…
「私もお外に行きたいです~!」
「ママ先生1人だけズルいのじゃ~!」
「ママ先生は大事なお仕事があるのよ、遊ぶのは雪が止んでからね」
まだ幼い義妹達の目には、膝まで埋まる大雪の中、庭を行くイチゴの姿は楽しげに映るのだろう
一緒について行きたいとごねる彼女達をザクロが宥める
例え雪が無くとも同行は許されない
ママ先生のあんな姿を見せる訳にはいかない
ザクロは、然もすれば熱く潤みそうな目頭から意識を反らし、義妹達に教科書の準備をさせる
彼女達の勉強を見てあげるのはザクロの役目なのだ
『ピンポ~ン… ピンポ~ン』
時折吹き抜ける北風が、大きな雪粒をイチゴの細い身体に叩き付ける
身を切る寒さに強ばりながら、震える指先で玄関のチャイムを鳴らす
窓の向こうには赤々と灯るストーブの炎 そしてその前で動く人影
其処の住人は、チャイムを押す者の正体を知っていて応え様としない
それが返事だ
イチゴは玄関に小さく頭を下げると、その隣家に歩を進める
普段なら数十秒の道程が、今は数歩で同じ時を奪われる
深い雪を掻き分けてたどり着いた隣家は、窓越しにイチゴの姿を認めると、手の甲を振って退去を促した
「はぁ~ はぁ~」
白い息を悴んだ掌にかける
イチゴの長い髪に、白い雪のブーケが被さる
降りしきる大雪を除けば、こんなやり取りは日常である
最近は目的を果たすのに、随分と長い距離を歩き、多くの人家を訪問しなければならなくなった
今日は特に沸き上がる、何の為に自分は… という魔の呟きを瞬時に噛み砕いて、次の人家を訪ねる
比較的期待の持てる宅である
祈りの言葉を心に唱えながら、チャイムを鳴らす
「は~い…」
本来なら当たり前のその反応に、何故か零れそうになる涙
イチゴは其れを必死に堪え、可能な限りの笑顔を作り、そのドアが開くのを待つ
「………………はい?」
開かれたドアの向こうに現れた、品の良さそうな中年の婦人は、イチゴの姿を見て白地に表情を変えた
イチゴは気付かない振りをして口を開いた
「……あの、いつもすみません…… 余ったお野菜とかありましたら……」
「……あのね この前も言ったけど、お役所に相談なさい ご近所の方々もあなた達の事を心配してるわよ」
イチゴの脳裏に、今日そのご近所の見せた、心配している、という反応が甦る
「…………はい ……でも…………」
俯いたイチゴの涙腺の奥に、熱い氾流が押し寄せる
歯を食い縛って其を堪える
駄目だ… ここで泣けば最低の人間だ… 涙と不幸を絶対に武器にはしたくない
「……はぁ この雪で家もお買い物には行ってないから…… これで何か買いなさい…」
溜め息と共に婦人は一万円札を突き出した
「ありがとうございます… でも、お金は頂けません… 失礼しました…」
そう言うとイチゴは踵を返し、渾身の力で雪を掻き分け、その家の庭を出て行った
一刻も早く立ち去りたかったのだ
自分の背中に注がれているであろう、哀れみの視線から逃れたかったのだ
イチゴ達の暮らしと、今のやり取りを見た者がもし居れば、なんと生意気で愚かな者だろうとイチゴを詰るかもしれない
確かにそうであろう 己でもそう思う
だが、イチゴは心に決めてあるのだ
助けて貰っても、恵んで貰う事はすまい
笑われても、哀れまれる事はすまい
例えそれが独り善りの思い込みでも、絶対に譲れない物はあるのだ…
施設長の夫妻が失踪した時、イチゴは真っ先に役所に相談に行った
そこで福祉の担当が提案したのが、君達を他の施設に転入させるという物だった
だが、何処の施設も定員に余裕は無く、全国の自治体に協力を仰ぐとの事だった
「私達…… バラバラになるの……?」
その問いに、役人は当然と首を縦てに振った
その夜の《家族》会議は大荒だった
皆、離ればなれになる事に猛反対だった
私達は血が繋がっていなくても家族だ!
親に捨てられ、養父母に捨てられ、今度は《家族》と引き離さされるのか! と…
皆泣いていた
其までどんな事があっても笑顔を絶やさぬ彼女達が皆泣いていた…
朝まで続いた会議の結果、イチゴ達は自立の道を選んだ
それがどれ程辛い選択になろうとも決して後悔はしないと…
其から《家族》は各々の役割を決めて、施設を運営していく事になる
役所との関わりを絶った施設の運営資金は、僅かな寄付金だけになった
当然其れでは食うにも事欠き、ママ先生のイチゴは、食料を得る為の近所へのドサ回りが日課となった
頂だき物で義妹達の腹は満たしても、施された物で義妹達の飢えは凌ぐまい…
其れが彼女の、絶対に譲れないプライドなのだ