土手の洞のミウたん
「ハァ… ハァ…」
荒い息遣いが、人気の無い階段の踊り場で木霊する
限界まで膨れあがったショルダーバッグの肩紐が、ほむらの華奢な両肩に容赦無く食い込む…
ほむホームから往復する事、7回目…
ワルギルブス撃退の為に学校の屋上に展開してきた砲陣も、これで漸く完成となる
(何とか間に合ったわね… )
屋上に通じるドアのノブを捻るほむら
甲高い軋みを上げながら、錆びかかった金属扉が開いていく
その隙間から流れ込む、湿度の高い生温い風が、ほむらの頬と黒髪を撫でる
嵐は近い
(もう、まどかには戦わせない… ここで決着を…… )
「あれっ!?」
ほむらのすっとんきょうな声が屋上に響いた
「ちょ……!? 何で? どうして!?」
普段は決して見せない、アンチクールな様で辺りを見回すほむら
無理も無い
彼女が都合8時間かけて展開した、自作対空誘導弾120門が、跡形も無く消えていたのだ
「えぇ… ちょっと… 誰…? ふざけないでよ… 何なのこれ~…… 」
眼前に広がる光景に、力無くへたれ込むほむら
夜の闇の如く暗い曇天から、大粒の滴が彼女の肩に落ちた
自然を相手とする生業を持つ者の朝は早い
農家しかり、漁師しかり…
東の空が微かに乳白色を湛える頃、先ずはじっと闇の中で息を潜めていた鳥達が、待ちきれないとばかりに、朝の挨拶を囀ずりだす
それに釣られる様に杉の木の洞からシマリスが顔を覗かせる
土手の茂みの前で注意深く辺りを窺うのは狸だ
茂みを掻き分け身を滑り込ませた先には小さな洞穴
狩りを終えた母の帰りを子狸達が出迎える
夜明けと共にある者は目覚め、またある者は眠りに着く
人も本来、そんな自然のサイクルで生きていた
自然を相手に暮らす者は、否応なしに今でもそのサイクルを強いられる
自然と向き合って暮らすとは、そういう事なのだろう
今、冷たい早朝の川のせせらぎに足を踏み入れるその影も、そんな自然の営に糧を得ようとする人間の一人なのであろう
決して速くはないその流に、影は危うく足を掬われかける
苔むす川底の石の滑り易さを勘定しても、幾分頼り無いその足取り
厳しい自然に鍛え上げられているとは到底思えないその姿…
空が一段と明るさを湛えるに従い、その影が徐々に輪郭を顕にする
ボサボサの頭髪が、揺れる体軸の先で左右に踊る
薄暗闇の中でもギロリと光る双眼
若干丸まった背中 だらり力無く肩から下がる両腕
差し込む朝日に照らされたその顔は浅黒く、痩せこけていた
もしその人間がピンクのベストとミニスカートを纏っていなければ、到底それが女性であるとは誰も思わないに違いない…
冷たい水の感触が、私の混沌とした意識を覚醒させる
あぁ 私はまだ生きてる…
それが良い事なのか悪い事なのかは分からない
ただ生きてる以上、今日も糊口を凌がねばならない
もういつからこんな事をしているのか…
何年も続けている様な気もするし、つい先日に始めた気もする
昔の事が色々と思い出せ無くなった
思い出したく無いのかもしれない…
川の中央は幾分深くなっていた それでも膝が隠れる程度だ
最近、幾らか水が温かくなった気がする その位は分かる
夏が来るのかな…
ボサボサのあたまを掻くと、ポロポロと白い粉が落ちた
もう少ししたら、頭と身体が洗える位、温くだろうか…
べっとりとした油とフケにまみれた手を、 濯ぐかの如く川面に差し入れる
そのまま川底に仕掛けた罠を引き上げる
(……………… )
覗き込んだ仕掛けに獲物は居なかった
透明な水が数枚の川草の断片を漂わせる
それを再び水中に投じ、次なる仕掛けに重い足を進ませる
昨日は小さな蟹、二匹にありつけた
一昨日は多分、何も食べれ無かった ん… 小さな木の実を食べたかな…?
良く思い出せない…
ちょっと前に一度だけ大きな鰻が掛かった事があった
あれは美味しかった 多分、今までの人生で一番美味しいご馳走だった
また食べたいな でも捕まえるにはきっとコツがいるのだろう
私には分からない
私のこの漁は、どこかで見た光景を真似ているだけだ
次の仕掛けも軽い 覗いてみるが何も居ない
力無くひっくり返せば、小さな蟹が中から溢れて行った
「あっ…!」
とんだドジをした
鰻の事で注意が散漫になっていた
何で私は何時もこうなんだろう…
何時も…?
何時から私は、こんな無様で惨めな存在になったのだろう…?
昔は… 昔は私にも、輝いていた時分があった…… 気がする… 夢や希望が…
ミウたん…
確かそんな名で呼ばれていた私…
ミウたん… ミウたん… かわいいミウたん…
笑顔が素敵で、天真爛漫なミウたん…
かつてのミウたんの瞳から大粒の涙が溢れ、悠久の川の流に飲み込まれて行った
(何やってんだろ…… 私……)
いつの間にかすっかり姿を現した朝の太陽が、今のミウたんの姿を川面に写す
垢と埃にまみれた黒い肌 泥だらけの一張羅 汗とフケにまみれたボサボサの髪の毛 窪んだ頬と眼孔…
キラキラと朝日を跳ね返す川面の中に浮かぶ、余りに汚い女浮浪者…
それが今のミウたんだった
『ブロロロロ…… 』
「!? 」
突如背後から聞こえてきたエンジン音に、ミウたんは身を強ばらせる
その音が真っ直ぐ近付き、見覚えのある車体を覗かせた時、ミウたんはドブ鼠の様に川面を蹴って対岸の藪に飛び込んだ
漁協だ
今のミウたんの天敵
連中は川の管理と稚魚の放流を理由に、釣り人達から入漁料を巻き上げる
ミウたんも一度、河岸から組合証の提示を求められた事がある
川は… 自然はみんなの物でしょ? どうしてお金を取るの?
かつてのミウたんならそう食って掛かっただろう
だが、今のミウたんは手足をもがれたゴキブリの如く、卑屈な自虐心の固まりだった
こんな私の姿を見ないで…
無くしていた筈のプライドが、ミウたんの行動原理を支配していた
それからミウたんは組合員の姿を認めれば、ひたすら身を隠した
否、世間から身を隠したのかもしれない…
藪の奥の小さな洞穴 ここが今のミウたんハウスだ
息を殺して人の気配が消えるのを待つ
「!! 」
しまった… ミウたんは大事な事を失念していた
蟹を逃がした際のセンチメンタルで、先程の空の仕掛けをきちんと水没させるのを忘れていた
ほぼ間違い無く、仕掛けの一部が川面から露出しているだろう…
ミウたんの顔が青ざめる
あの川には今のミウたんの全てと言って良い仕掛けが… 筒仕掛けが…
120本…!
あれが見つかり回収されれば、ミウたんは明日から腹を満たす術を事実上失う
(……虫は無理~…… )
最悪のケースに於けるタンパク源の確保を早くも想像し、思わず嘔吐くミウたん
夏が来るとは言え、木の実だけでは命を支えるのは不可能であろう
でも、それで良いのかもしれない… これ以上長生きして何になると言うのか…
終わりにすれば楽になるのだ…
(もう一度、鰻が食べたかったな… )
ミウたんは暗い洞穴の中、かつてここで頬張ったご馳走の味を思い出した
『ぐぅぅぅ~ 』
腹の虫が大きな音を響かせた
楽しい一時を思い起こすミウたんの意識は、少しずつ時を遡って行った
恰も、苦しい現実から逃れるかの様に…
絶たれた夢、途絶えた収入、滞納する家賃と公共料金…
切羽詰まって手を出した消費者金融…
起死回生を狙って一か八かのFX投資…
絵に描いた様な真逆展開…
自暴自棄から闇金にも手を出し、その金で更なるハイレバ
注目通りのダブルプレー
自殺を決意するも死に切れない
金目の物を物色せんと忍び込んだ学校で、少女が大事そうに謎の金属筒を運んでいるのを目撃
金の匂いを嗅ぎ付けて全てかっさらい、古物商に持ち込むも、何故か警察に通報される
逃走するも、今度は警察のみならず、自衛隊やアメリカ軍にまで追い回さる始末
更には視界の隅に映ったテレビで、テロリストとして実名手配されているのを知って驚愕失禁
訳も分からず、着の身着のまま流に着いたのがこの川辺だった
もうミウたんにはこの世の全てが敵に見えていた
それからミウたんはこの藪の奥に身を潜め、たった1つの財産である金属筒を用いた漁でサバイバル生活を送っていたのだった
(…………? )
ミウたんは頬を垂れる雫の感触で目を覚ました
(また泣いちゃた…… )
いつの間にか寝入っていたミウたん
初夏を通り越す熱気が、洞穴に充満している
恐る恐る藪を掻き分け、辺りを見回す
もう漁協の車は無い
意を決して川の中に頭から飛び込んだ
冷たい川の水がミウたんの汗と涙を洗い流す
気持ちいい…
(!?)
その時ミウたんの爪先が何かに触れた
沸き上がる期待を抑えてそれを勢い良く
引き上げる
(……あぁ 神様ありがとう……! )
それはミウたんの予測通り、仕掛けの金属筒だった
(お礼を言っちゃった… 死ぬ程恨んでいた筈のに…)
複雑な笑顔を湛えるミウたん
本当に久しぶりに笑った気がする
「!? 」
ミウたんが抱えた金属筒が大きく揺れた
(この雰囲気は…! )
何かを確信したミウたんは筒の中に手を伸ばす
「鰻ゲット~ 大勝利!! 」
今度は自然に元気な笑顔が涌いてきた
かつての天真爛漫なミウたんの様に…
勢い良く引き抜いた右手には大物が握られていた
盛夏を思わせる強烈な日差しに全身を輝かせる、大きな大きな… 蝮が…
ミウたん伝説、第2章が今、幕を上げる…