崖の縁のミウたん   作:新六毛

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大人な事情 (1)

「……はい、分かりました…… お客様がお望みなら……」

 

そんな何時もの決め台詞で受話器を置いた彼女は、大きくため息をついた

社会人なら一度ならずともその行動を左右される"大人の事情"……

だがそれが、真に大人的な事情である事は稀である

大概それは、子供じみた意地と面子の張り合い、僅かばかりの小銭に執着する、しみったれた小者の理論のそれである

今、彼女にその大人の事情を振りかざしたのは、彼女のそもそもの雇用主

人材派遣会社に就職し、自分の才能と可能性を探り、そのニーズを求めて社会人デビューしたのは、まだ少女のあどけなさが残る頃だった

運命の女神という者が実在するのなら、正にそれは彼女の気紛れだったのかも知れない

就職して初めての派遣先である大阪島之内の某二流風俗企業

そこが開発した風俗マシーンのイメージガールを務めた事が、彼女の運命を大きく変える事になる

当時斬新だった風俗マシーンと美少女のコラボ

マシーン以上に彼女の存在に注目が集まり、御上り田舎娘は瞬く間に業界のスターダムにのしあがる

新型マシーンが発売される頃にはその人気は不動の物となり、何時しかマシーンの 需要より彼女の需要の方が上回り始め、人気は完全に独り歩き始めた

だが、そうなると面白く無いのは派遣元である

その次の契約更新から彼女の派遣料は跳ね上がり、その結果、大阪の風俗企業との契約は切れた

派遣元としては最初からそれが狙いであり、彼女が次に派遣されたのは東京の一流エンタメ企業、今の勤務先であった

派遣元が彼女の派遣で、今の勤務先からどれ程の利益を得たのかは分からない

ただ、自分の意思とは関係無く自分の知らない所で働く利害関係、その為に慣れ親しんだ職場や同僚達と引き離される事に違和感を感じていた

例えそれが派遣業の性だととしても…

そして今、再び会社から新たな派遣命令が下った

それも何と、嘗て彼女が業界の寵児へと登り詰める切欠となった、あの大阪の風俗企業の元に…

派遣元の意思で引き離され、また再び送り出される

 

大人の事情…

 

見ず知らずの誰かの事情に振り回され、ピエロの様に踊らされ続ける自分を彼女は自嘲した

「ミウ…… 」

彼女はその娘の名前を呟いた

東京を離れる前に会っておきたい

東京で偶然出会った同郷の中学の後輩

実の妹の様に可愛がってきたが、最近連絡が取れて無い

久しぶりに、食事にでも誘おうか…

夜景の映るフルハイトガラスを背に、スマホを立ち上げた

 

 

 

 

 

「……いや、でも他の人もやってるし… 何で私だけ……」

ミウたんは視線をさ迷わせながら、ボソボソと呟いた

「他の人がやっているからと言って、違法行為が許される訳ではないでしょ!」

その相手は語気を荒げてミウたんを詰る

「それはその… 大人の事情で……」

「大人? 大の大人なら、公共の場所に勝手に畑など作らないでしょ!」

市民の通報を受けて駆け付けた市の職員による更なる罵声

ミウたんはいよいよ涙目になっていく

せめてもの食料確保にと河川敷に切り開いた1アール程の畑

同じ川沿いに住むフリーランサーの助言を受け、ほぼ1週間を費やし開拓した希望の新天地

ミウたんの来るべきサマーライフを満たしてくれる筈の、とうもろこしと赤玉スイカ

今、その小さくも力強い若芽をを川面を吹く風に靡かせる其を、目の前の男は引き抜き、原状回復せよと迫る

「そもそも貴女は何でこんな暮らしをしているの? ご家族は? 民生員には… 市の福祉課には相談したの?」

じっと涙を堪えて俯くミウたんを流石に哀れに思ったのか、その職員は今度は努めて優しく問いかけた

「うぅ…… ぐすん…… 大人の事情で……」

遂にすすり泣き始めるミウたん

誰にも打ち明けられなかった心の奥の感情が、不意に向けられた優しい声に反応し、プライドの堰を切って溢れ始めた

「あの… ヒック… 生活保護って… 私でも受けられますか…… ぐすん…」

「それは福祉課の査定と判断だね… 基本的に若い人は厳しいかな… でも、いろんな相談には乗ってくれる筈だから…」

直ぐに生活保護を口に出した女ホームレスに若干の嫌悪感を抱きながらも、職員は親切にアドバイスを与えた

「……それじゃ… 個人的に… 私を生活保護して下さい……」

そう呟くと、何を思ったのかミウたんはベストを脱ぎ、ブラウスの裾を捲り上げる

「パイが無いから素無いパイ… でも、感度は凄いパイっていいな…」

意味の分からない言葉を譫言の様に啜りながら、職員の手を取り、それを自分のまな板の様な胸に近付ける

「な、何やってるの君!」

慌て手を引く職員にミウたんはすり寄る

「公務員さんなら将来安定だし… 私、こう見えても料理は得意…」

「何言ってるの!? 僕は既婚者なんだよ!」

「そんな事、全然気にしない…」

「う… うわぁぁぁ!」

尚もすり寄る女ホームレス

得体の知れない悪寒に襲われた職員は、全力疾走で川原から退散して行った

 

 

 

「確か… この辺りに…」

朧気な記憶を頼りに丘の道を行く彼女

結局、後輩とは連絡が着かなかった

お客様の都合により使用出来ません… その電子音声に胸騒ぎを覚え、今、彼女の住まう筈の郊外の一軒家を探し歩くのだった

「……あっ あれね…!」

嘗て一度だけ訪れた事のある後輩の住まい

毒々しい桃色の外壁が、彼女の心に強烈なインパクトと、えもいわれぬ後輩への不安感を残したものだ

「………売り出し… 中……?」

玄関にあたる板戸に貼られた1枚の紙

郊外とは言え、一軒家が価格十五万…

彼女の胸騒ぎは不幸にも的中していた

可愛い後輩の身に何が…

主を失い、今は一層朽ち果てた感を醸し出す嘗てのミウたんハウスを前に、彼女の胸の鼓動は早鐘の様に乱れ打つのだった

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