崖の縁のミウたん   作:新六毛

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帰ってきたミウたん (2)

多分、自分は貧しい家の子だったと思う

多分と言うのは、比較すべき存在を具体的にイメージする事が出来なかったからだ

物心が付いた頃から今日この日まで、ミウたんの置かれた経済的環境が良い方向に激変する事は一度も無かった

ミウたんの父は、市井の様々なデータを駆使し、頭脳をフル回転させ、主に馬のバイオリズムやモーターボードの機械的特性を把握、予測するとのいう、極めて高度で特殊な研究業を生業としていた

家に居る時でも、新聞、ラジオを手放さず、常に研究に没頭する父

そんな父はミウたんの誇りであり、自慢でもあった

ただ、恐らくは父の収入は世の平均を大きく下回っており、少なくともかなりのムラがあった

ミウたんの記憶の中でそれを初めて意識したのが多分、小学校一年か二年の時の遠足だった

ミウたんがお正月にしか食べられない市販のお菓子

バスの中の級友達はそれをリュックの中から無造作に取り出し、それが当たり前の様に食べ回す

お弁当しか持って来ていないミウたんはその輪に加わる事が出来ない

そのお弁当も広げて見れば、級友達のまさにご馳走としか例え様のない豪華なそれに比べ、ミウたんのそれは梅干しだけがおかずの海苔弁当…

カラフルなビニールシートの上で楽しそうに豪華弁当を頬張る級友達を尻目に、ミウたんは蓙を敷いて独り寂しく海苔弁当をパクついた

いつもは大好きな海苔弁当…

その日は何故か何の味もしなかった

私もお菓子やご馳走が食べたい…

遠足から帰って父に訴えたミウたん

その日、生まれて初めて記憶を無くすまで父にしばかれた

そんな級友達と自分との微妙な価値観の相違が負い目となった、と言えば都合の良い言い訳になるだろうか?

ミウたんは徐々にクラスから孤立していった

目と耳を塞ぎたかったのかもしれない

少しずつ大人になるにつれ突き付けられる、認めたくはない現実…

それでもミウたんは父が大好きだった

大抵の日の父は穏やかで、面白くて、ミウたんの事を何より一番に考えてくれる素敵な存在だった

あれは父が失踪する直前、小学生最後のクリスマスの事だった

その日もいつもと同じ様に夜9時には布団に入ったミウたん

 

クリスマス…

 

それが如何なる物であるかはミウたんも知っていた

ただ、厳格な"東方の光"教徒であるというミウたんの家には関係の無いイベントであった

そう教えられてきたし、自分自身もそう信じたかった

浮かれた町並み… 幸せそうな家族… サンタを夢見る子供達…

何も考えない様にする… まだ幼き日のミウたんが編み出した、余りにも悲しい自己防衛の手段…

日付が変わる頃、玄関の引き戸がガラガラ音を立てた

父は今日も民間研究施設で閉店まで残業だ

父の奏でる鼻唄に安堵のため息を漏らすミウたん

どうやら機嫌は良いようだ

 

(!? )

だが、父の足音は何時もと違い、ミウたんの部屋の前にやって来る

ゆっくりと開く襖

ミウたんは取り敢えず寝たふりで様子を伺う

 

「メリ〜クリスマス〜… 」

 

押し殺した低い声が枕元に聞こえる

厳格な東方の光教徒の筈のお父さんが何を…?

困惑するミウたんをそのままに、父は静かに部屋を出て行った

 

(こ、こ、こ、これは……!)

 

顔を上げたミウたんは驚きに心臓が止まりそうになる感覚を味わう

ミウたんの視界に飛び込んで来た物…

それは高さ1尺もある真っ赤なこけしだった

胸元に白抜きで大きなMの字をあしらった和洋折衷な佇まいが、ミウたんの目にとてつもなくお洒落に映った

 

「これって… もしかして…!!」

 

興奮と感動に震える指先をこけしに向ける 徐々に目が闇に慣れると、そのこけしの気品溢れる尊顔がはっきりとしてくる

丸顔で優しい笑顔…

何故だろう? ミウたんはその顔に心当たりがあった

思い出せない、だけど絶対に忘れる事の出来ない誰かの顔がそこに重なった

益々このこけしが気に入ったミウたん

 

「……お父さん、ありがとう…… 」

自分には無縁だと思っていたクリスマス

そして、生まれて初めてのクリスマスプレゼント

本当の本当は、サンタさんが来る事をずっと祈っていた

その夜の出来事は、色んな意味でミウたんの心に深く刻まれる事となった

 

翌年の4月

ミウたんの中学校の入学式の日、父は突如失踪した

どれだけの涙を流しただろう…

靴底がすり減り、穴が穿つまで、ミウたんは

父の姿を探しさ迷った

悲しみはやがて怒りとなり、最後は絶望と自責になった

ミウたんの心と肉体が形を保つ事を拒み始めた

白熱電球の下、ちゃぶ台の前に正座するミウたん

右手に握った果物ナイフを左の手首に近付ける

生気の無い虚ろな瞳…

もしそこにあのこけしの姿が飛び込んで来なければ、ミウたんの意識は永遠の白濁の中に沈んだ事だろう

 

「えっ!?」

 

ミウたんは驚きの余り手にした果物ナイフを畳の上に落とす

こけしは泣いていた…

そんなバカな…! ミウたんは目を擦り、改めて視線を送る

 

「………………」

 

泣いていたのは自分だった

自分の涙が錯覚を見せただけだった

 

「!! 」

 

だが、そこでミウたんははっきりとそのこけしの顔が微笑み掛けてくるのを目撃した

今度は錯覚ではない

 

「……お母さん!!」

 

ミウたんは思い出した

そのこけしの表情の中の面影を…

カーテンの隙間から覗く大きな満月がこけしを包み込む

白銀の衣を纏ったかの様なその姿は、正に天界から舞い降りた母の姿に見えた

ミウたんの心の中に熱い潮が込み上げてきた

私は何を血迷っていたのだろう

私は独りじゃない!

母から… 父から授かったこの命、無駄にする訳にはいかない!

母は天国から見守ってくれている

私は生きる 生きてみせる!

立ち上がったミウたんはこけしを手に取り、静かに抱き締める

天国の母、行方知れずの父、そしてこの私…

その全てを、このこけしが繋いでくれている様な気がした

 

その時からミウたんには1つの大きな夢ができた

こけし職人…

母の姿を… 私の想いを… こけしに刻み込み、この世に送り出したい

そして、この空の下にいる筈の父の元に届けたい…

ミウたんはもういつものミウたんだった

その瞳には無限に広がる世界と希望の未来だけが映っていた

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