「あっ! ママ先生が帰って来たですぅ!」
「遅かったのじゃ〜! 心配したのじゃ〜! 」
「ママ先生、お帰りなさい…」
「イチゴ〜! 遅過ぎ〜!」
玄関から聞こえる解錠音に一斉に立ち上がる少女達
明るい筈の食堂で、明かりが消えた様に沈黙し、余りに遅いその帰りを只々待ちわびていた彼女達は、電気ショックでも受けたかの様に飛び跳ねながら玄関へと向かう
「今夜は僕の考案、ヘルシー肉抜きハンバーグですよ〜」
「味はイマイチアルね〜!」
「あ〜 盗み食いはズルい〜!」
彼女達も当然意識はしていた
ママ先生が自分達の為に身を粉にしている事を…
空腹を我慢するなど苦でも無かった
ママ先生はきっともっとお腹が空いている筈なのだ
ママ先生にお腹一杯ご飯を食べて貰い、元気になって欲しい
今夜の夕食には、高くて手の出なかったお肉に代わり、そんな彼女達の愛情がたっぷり込められていた
『ガラガラガラ… 』
玄関に押し寄せた少女達の前でその引き戸が開かれる
大好きなママ先生の表情がどうか今日も明るくあります様に…
彼女達の祈りを込めた視線が、その向こうに注がれる
「ひっ!!?」
「えっ!?」
「!?………どちら様…… なのじゃ……?」
だが、その向こうから現れたのは待望のママ先生ではなかった
ピンクの覆面にピンクのレオタードの女…
凡そ常人とは思えぬその出で立ち…
表情は見えずともママ先生の体躯ではない
第一、ママ先生がそんな格好をする筈が無い
「貴女は誰!? 何の用!? どうして鍵を持っているの!?」
本能的に誰よりも早く危険を察知したザクロが、反射的に皆の前に立ち両腕を広げる
イチゴの居ない間は私が… そんな想いが彼女の感性を研ぎ澄ましていたのだろう
そんなザクロのリアクションを見て、漸く少女達にも恐慌が起こり出す
「だ、誰アルね!? 家の鍵… どこで手に入れたアル!?」
「怪しですぅ! 変態さんですぅ!?」
「ま、ま、ま、まさか…! ママ先生に何か…!?」
肉抜きハンバーグを考案したという褐色の肌の少女の叫びは、その場に居会わす少女達の脳裏に浮かんだ不安を代弁する物だった
「イチゴは何処!? イチゴに何をしたぁぁぁっ!?」
不安と不信が頂点に達したザクロがピンクマスクに掴み掛かる
その手首を握り、ゆっくり押し返すピンクマスクの口元が不敵に歪んだ
『ガチャン!! 』
「「キャャャャャャアッ!!」」
ガラスの割れる音と少女達の悲鳴
今、ザクロの身体が宙を舞い、居間の茶箪笥に激突した
砕けるガラス片と共に人形の様に崩れるザクロ
「ぼ、僕が食い止めますよ! その内にみんなっあ…!?」
最後まで言い終わらぬうちに褐色の肌の少女も宙を舞う
『ドスンッ! 』
そして絨毯の上に背中から墜落する
余りの激痛に悲鳴も上げられず悶える
圧倒的な暴力の嵐 その中心に居るのがピンクマスクである
見かけとは裏腹の怪力であっという間に二人を屠る
人形館でも身体の大きい二人がいとも簡単に投げ飛ばされる様を目の当たりにした他の少女達は、いよいよ恐慌に支配されていく
一体何が始まったのか?
突如現れた怪しきマスク女 言われの無い暴力
頼れるママ先生が不在の時に陥った人形館始まって以来の危機
これまで飢えや不安に苛む事はあっても、直接身の危険を感じる事は無かった
この世に神という者があるのなら、何故かくも過酷な運命を私達に課すのか…?
"家族"の中で最も物静かなその少女は己の運命を呪わずには居られ無かった
「こいアル! 中国拳法をお見舞いするアル!」
その少女の傍らの中華娘が大袈裟なリアクションでピンクマスクに立ち向かう
「ショコラもやっちゃう!」
普段から食べる事以外、殆ど興味を示さない彼女も勇ましく中華娘の後に続く
物静かな少女、ヨーコは分かっている
中華娘… パイが中国拳法など知らない事を…
食いしん坊のショコラが誰よりも運動音痴で鈍い事を…
それでも彼女達は立ち向かう 勝ち目など無い事は分かっているのに…
そしてその理由が、自分の為に少しでも時間を稼がんとしてである事も、賢明な彼女は瞬時に理解するのだった
今、自分達がしなければならない事
それは彼女の後ろで哀れに震える、年少組の3人を無事に逃がす事
パイとショコラはヨーコにその任を託したのだ
その悲壮な想いが、臆病な彼女の身体を突き動かした
「みんな、こっち!」
自分でも驚く程の声量 間違いなく生まれて初めての絶叫
普段物静かな彼女の叫びが、恐怖にすくむ幼女達の身体の呪縛を解いた
台所の勝手口へと向かう4人の足音
「ぎぁぁぁぁっ!」
「痛いっ!」
背後から衝撃音と共にパイとショコラの悲鳴が聞こえて来た
ヨーコは張り裂けそうになる胸を押さえる
間を置かず大股な足音が迫って来る
「振り向いちゃだめ! そこから逃げて! どこかのお家にっ…!?」
強い力にヨーコのワンピースの襟首が押さえられた
そのまま身体が宙に浮く
「くっ!!?」
ワンピースの襟がヨーコの首を絞めあげる
息が詰まる 声が出ない
(私、死ぬんだ… ママ先生… ヨーコは… 私達は頑張りました…)
「うわ〜〜ん! もうやめるです〜!」
「ヨーコを放すのじゃ!」
「もう許さない…!」
(あぁ… 駄目! 逃げて! お願い! )
ヨーコの危機を察した幼女達が戻ってくる
その扉を潜る事が、"姉達"との今生の別れになる事を彼女達なりに察したのかも知れない
次の瞬間、薄れ行く意識のヨーコは待ちわびたその声を確かに聞いた
「そこまでよ!!」
ヨーコを吊るすマスク女の力が少しだけ抜けた
霞む視線の先に1つの影… もう1人のマスク女… 赤いマスクの…
「ママ… 先生…!!」
素顔は隠されていたがヨーコには分かった きっと幼女達も気付いただろう
その華奢な輪郭、透き通る声
そして何より、その身体から溢れる慈愛のオーラ…
まごうことなき私達の母、導きの師、ママ先生イチゴである
「てゃぁぁぁぁっ!!」
狭い廊下を前転したイチゴが、その勢いのままピンクマスクに体当たる
得意のプランチャ
数多のルチャドーラをマットに沈めてきた十八番
「フンッ!」
それを横転でかわすピンクマスク
ヨーコは漸く絞首刑から解放された
「ママ… 先生… ですか〜…?」
「凄いのじゃ! ママ先生、レスラーなのじゃ!」
「ママ先生… 意外…」
幼女達が赤マスクの元に詰め寄る
「ヨーコ、大丈夫?」
「ママ先生………!」
ヨーコの両眼から大粒の涙が溢れる
「もう… 遅いわよ… イチゴ…」
襖の影からザクロが這い出て来る
「肉抜き… バーグ… 冷めちゃたよ…」
そこに被さる様に褐色の肌の少女、アマ子も顔を出す
「痛めつけておいたアル… 止めは… 譲るアル…」
鼻血を垂れ流しながらパイがヨロヨロと姿を見せる
「もう… お腹… 空いた…」
頬を腫らしたショコラが芋虫の様に廊下を這って来る
「みんな、ごめんなさい! でも、もう大丈夫よ! 」
赤マスクのイチゴ、ルチャフレサは再びピンクマスク、ルチャロサードと向き合う
「何者か知らないけど良く聞きなさい! この人形館に住む私達は、どんな困難や障害にも決して屈しはしない! 何故なら私達は誰もがみんな"家族"を想い、"家族"の為に自分を犠牲にできる、勇気と愛を持っているのだから!」
イチゴの凛とした声が人形館と、その住人である少女達の胸に響く
各々の胸中に熱い何かが込み上げてくる
「私達が力を合わせれば、どんな試練だって乗り越えて見せる!」
イチゴは己の後頭部に手を回す
そしてそこにある紐を解き、サフレマスクをゆっくりと外した
長い髪が滝の様に流れる
ここからはルチャサフレではない 人形館のママ先生、イチゴなのだ
「行くわよ! 必殺、ドールズハウスプランチャ!! 」
掛け声と共に駆け出すルチャフレサ、否、人形館のママ先生イチゴ
何時も笑顔を絶やさず、何人も差別せず、慈しみの心でずっと"家族"を包んできた彼女
今、その愛すべき"家族"の視線と想いを背に受けて、軽やかに高々と宙空に舞い踊る
「うわぁぁぁぁぁぁっ!!」
『ガチャン!! 』
その身体は最早、病にも重力にも縛られていなかった
真紅の肉弾は天井を掠め、弾丸の様にルチャロサードの肉体にのめり込んだ
あれ程屈強だったピンクマスクがまるでゴム人形の様に弾け飛び、ガラス戸を突き破って夜の闇に消えて行った
「「やったぁぁぁっ!!」」
"家族"の歓声が人形館に木霊する
「ママ先生、凄いです〜! 格好いいです〜!」
「いつの間にそんな拳法習得したアル!?」
「イチゴ〜、まるで本当にプロレスラーみた〜い!」
ザクロだけは分かっていたイチゴの裏稼業
みんなに心配させまいと2人だけの秘密にしてきたが、まさかこんな形でカミングアウトする事になろうとは…
「イチゴ……」
何時もの様に彼女を労おうと、その実際よりずっと大きく見える背中に声を掛けた
これで終わりにしよう… これからは私も働いてみんなを… イチゴを少しでも楽にさせよう
そんな想いを心に誓い、何時もの優しいその笑顔が振り返るのを待った
「………!? イチ… ゴ……?」
だからその彼女の身体が僅かに揺れた事に誰よりも早く気付いた
棒が倒れる様… まさにイチゴはそんな風に、乱闘の残骸が散らばる絨毯の上に仰向けに倒れた
音がしたかも知れない
「キャァァァァッ!!」
「イ、イチゴ!!」
「ママ先生〜!!」
ほんの一瞬の間を置いて先程とは性質の異なる絶叫が響いた
稲妻の様な速度で少女達はイチゴの周りに集結する
「……嫌っ……! イチゴ… イチゴ!!」
誰よりも早く彼女に駆け寄り、その頭を抱き上げるザクロ
その顔は既に蝋人形の様に蒼白で、口角か流れる一筋の血糊だけが驚く程鮮やかに見えた
彼女の脳裏にあの日畳の上で踞るイチゴの姿がフラッシュバックする
「ど、どうしたんです!? しっかりして下さいっ!!」
「マ、マ、マ、ママ先生〜! 死んじゃダメなのじゃ!!」
誰の目にも彼女の状態が尋常でない事は明らかだった
「ヨーコ! き、救急車!」
ザクロの絶叫
だがヨーコはモジモジするばかりで動かない
「何してるの!? 早く!!」
「でも… お電話… 止められてる…」
惨めで悲惨な現実
親を失い、大人達に捨てられ、社会に見放され、それでも何とか支え合って生きてきた
その中心で常に誰より頑張って、誰より辛い思いをしてきたママ先生…
今、その彼女の身に異変が起き、こうして皆が集まって居るにも関わらず、助けを呼ぶ術すら無い…
否、救急車なら呼べる 近所まで走れば良いのだ
だがそれからどうするのだ…
電話料金も払えぬ私達に治療費や入院費の工面など…
ましてや大黒柱のママ先生を失っては、日々の糧すら…
今一度思う
この世に神が居るのなら、何故かくも過酷な運命を私達に課すのか…
少女達は心で泣いていた
1番辛いママ先生が泣いていないのに、自分達が泣くわけにはいかない…
「僕がお隣さん家まで走ってきます!」
褐色の肌の少女、アマ子は立ち上がった
ここで嘆いていても始まらない とにかく今はママ先生を救うのだ!
そんな思いで駆け出そうとする彼女の手を
イチゴが掴んだ
「!?」
「イチゴッ!?」
「ママ先生っ!?」
失われたと思われた彼女の意識の覚醒に、一縷の希望を見出だす少女達
だが、彼女が絞り出してきた言葉は、そんなか細い灯火を無惨に吹き消す
「……もう…… いいの…… 私は… 安心したわ…… 私が…居なくても…… きっと…大丈夫ね…… みんな…愛してる……」
「ど、どうしてそんな事言うですかー!!」
「嫌アル! 死んじゃ駄目アル!!」
「貴女が居なくて、大丈夫な訳が無いじゃない!!」
イチゴは震える瞼を重そうに開けて、己の頭を抱えるザクロに視線を向ける
「……ザクロ… 貴女がこれから…… ママ先生よ…… 私なんかより… ずっと賢い貴女なら…… みんなを…… グフッ!?」
魂がそのものが抜け出すかの様な大量の吐血
壊れた玩具の様にイチゴの身体は一瞬大きく痙攣し、そして糸が切れたかの様に力が抜けていった
「嫌ぁぁぁぁぁぁっ!!」
「イチゴォォォォッ!!」
「ママ先生ぇぇぇぇっ!!」
この日最大の絶叫が人形館に木霊した