「おりゃ!」
『スコンッ』
「とりゃ!」
『パスンッ』
東の空が白み始めた頃、農家の庭先に響く謎の掛け声と軽い破砕音
ミウたんが鉈を振り下ろすと、薪が気持ち良い迄に真っ二つに割れる
こけし職人、須内ミウを舐めないで貰いたい
木の幹から木塊を切り出すのがこけし造りの第一歩だ
そんな言葉を胸に刻んで、一人悦に入るミウたん
一泊一膳…? 一晩一万…? とにかく恩返しだ
ミウたんは知っているのだ 旅人は泊めて貰ったお礼に早朝から薪を割る事を
ミウたんの好きな時代劇の世界では常識である
そう言えばミウたんの憧れ、カルロス田中衛門にもそんなエピソードがあった
薪割りの傍ら、鉈だけで見事なこけしを造るのだ
ハイキャリアを自負する今のミウたんでも、鉈一つでこけしを造るのは至難の技
流石はカルロス田中衛門と言った所である
「客人、早いな」
ミオが縁側から姿を現した
「一晩一万の恩義ですよ! ほら、こけし職人ですから!」
ドヤ顔で庭の一角に積み上がる割れた薪の山を見遣る
「一晩一万…? せっかくだが、薪割り機があるのだ そんな無理はしなくて良い」
「……えっ……」
「今、朝飯にする もう少し横になると良いだろう」
そう言うとミオは庭先の小さな畑から大根を引き抜き、土間へと消えて行った
横になれ、と言われても、既に早朝薪割りで身体はマックスボルテージである
今度こそ一泊一膳の恩返しと、ミウたんはミオの後を追う
小さな洗い場と釜戸があるだけの簡素な台所
ミオは大根の泥を流すと、まな板に乗せて刻み始める 慣れた手つきだ
「私も何かお手伝いを…!」
ミウたんの声に振り向いたミオは、笑顔で釜戸の上の土鍋に視線を向けた
米を炊いてくれと言う事だろう
(よし!!)
ミウたんは気合いを入れて腕捲りをする
自炊の腕ならミオに負けてはいない
『シャコシャコシャコ……』
洗い場で米を砥ながらミウたんは尋ねた
「ところで妹さんは…?」
昨晩はあれから奥の間で布団を与えられ、直ぐに寝入ってしまった
疲れもあったし、早起きして恩返しする意図もあった
妹さんが帰宅した気配は感じられ無かったが、今朝のミオを見る限りでは大して心配している風でも無い
「あぁ 結局帰ら無かった 何、心配は要らん 後で様子を見てこよう」
口振りからするに心当たりでもあるのだろう
思春期にありがちなプチ家出の常習犯と言った所か…
ミウたんはやはり余計な詮索はせず、研いだ米を土鍋に移し釜戸に備えた
「ありがとう 母上の仕込みが良いようだな」
一瞬、聞かれもしない身の上を語りそうになったが、何とか己を抑え、薄い苦笑いをミオに返した
「ご馳走様でした~!」
「お粗末様だったな」
「とんでも無い! 大根を葉っぱまで余す所無く活用するミオさんのお手並み、同じ野菜ソムリエとして感服しました!」
「……? ソム……?」
「ふぅ… すっかりお世話になりまして、本当にありがとうございました」
そろそろ頃合いも良しと見て、ミウたんは暇を申し出る
思い起こせば昨夜は散々な目に遇ったが、それでもこうして純朴な人の優しさに触れ、貴重な農家での民泊体験も出来た
ミオの手料理はお世辞抜きに美味しかったし、野菜ソムリエを自認するミウたんにとって刺激になった
「あの… もし良かったら、私とお友達になってくれませんか?」
ミウたんは上京以来、友達と呼べる存在を得られる事は無かった
同じ年頃の子と触れ合う機会も少なかった
これも何かの縁、棚から塩大福
ミウたんは何故か波長の合う気がするミオとの邂逅に運命的なものを感じ、思い切ってフレンド申請を出した
「友達… か…… 分かった、これから我らは友達だ」
「ありがとうミオさん」
「ふふ… ミオで良い」
ミウたんは決めた 今度はミオをミウたんハウスに招待しよう
今度はミウたんの手料理を振る舞い、同じ天井を見詰めて夢を語り合おう
ミウたんの脳裏には、早くもミオをもてなす様々なサプライズイベントが浮かんでいた
「うん、それじゃ… 本当にそろそろ帰るね」
「ミウ、すまんが一つ頼まれてはくれはないか?」
「うん?」
「さっきも言ったが、妹の様子を見てこようと思うのだが… 入れ違いになる可能性も無くは無い… すまぬが、しばらくここで留守居をしてはくれぬか?」
漸く出来た友達からの初めての頼み事 無碍にする事など出来よう筈が無い
それに一晩一膳の恩義もまだ返していない
「うん、任せて! 私も妹さんにも会って見たいし!」
「そうか、すまぬな」
ミオは出会ってから一番の笑顔をミウたんに見せた
「遅くはならぬと思う 大した物は無いが、そこら辺の物は好きに食して良い」
「大丈夫よ でも、あの干し芋だけは頂こうかな」
台所の隅に吊るされていた干し芋を目敏く見つけたミウたんは、それを確認しながら、土間から出て行くミオの背中を見送る
引戸に掛けた彼女の手が止まり、ゆっくりと此方に向き直った
「ミウ… 昨晩、この土地には客人が来ないと言ったが… 実は招かねざる客が訪れる事がある」
不意に神妙な顔付きでミオは語り出した
「招かねざる… 客……?」
その言葉に若干緊張を孕んだミウたんの返しに、ミオは静かに頷いて見せた
「この所、この辺りの畑を荒らす猪が出てな… 我が家の畑もやられている…」
「猪…?」
「あぁ 大きく気性の荒い奴でな 村に怪我人も出ている」
「怪我人…!」
「あぁ もしも現れたなら、そこにある弓矢で追い払うのだが…」
ミオの向けた視線の先、土間奥の壁の一角に、確かに年代物で重厚な弓矢が飾られていた
「だがミウ、お前は素人だ 決して手荒な真似はしては成らぬ もし猪が現れて畑を荒らされても、お前はじっとこの屋敷に籠ってやり過ごすのだ」
「えっ…? う、うん……」
弓矢から視線を戻したミウたんに、ミオは安心させるかの様に笑顔を見せた
「では行ってくる」
「うん… いってらっしゃい!」
ミオの足音が庭の向こうに消えて、静寂の中に取り残されたミウたん
それまでは感じなかったが、一人なるとこの屋敷の中途半端な広さに寂寥感を感じずには居られ無かった
もし自分が此処で暮らし、そして独りぼっちになったら…
きっとミオは妹の事をずっと心配していた筈だ
突然の来客の前ではそんな素振りは微塵も見せず、ただひたすら難儀していた自分を労ってくれたミオ…
そんな彼女のこの一晩の心の内を察すると、鈍感なミウたんも心が強く締め付けられるのだった
そしてそんな弱さを見せぬ彼女が頼りにし、預けてくれた留守
猪如き現れたとして、どうして息を潜めてやり過ごす事など出来ようか!
河原のハイエナ娘の名が廃る、何があっても守り抜かなくては…!
ミウたんは土間奥に向かい、そこに飾られた年代物の弓を手に取る
ずっしりとくる重みと、手に吸い付く様な握り心地…
漆なのか、黒く塗り上げられた胴は官能的な迄に美しい湾曲を見せる
それでいながらそこに刻まれた細かな傷跡は、この胴が幾度と無く弦を張り、弓を飛ばしてきた事を物語っていた
美しき野獣… そんな言葉がふと浮かぶそれは、ミウたんの得物、Mー16とはまさに似て非なる物だった
だが、それを手にしたミウたんの心の中では、メラメラとハンターとしての本能が炎を上げていた
これならやれる! これならやれる筈!
もしあの時、自分の手元にこれがあれば、あのクロコダイルを仕留めたのは自分だった筈!
ミウたんは弓胴の端に結ばれた弦を解くと、その端を弦輪に掛ける
そしてそれを指で摘まみ、思い切り引いてみる
強烈は反発力がミウたんの右手を震わす
(よし、やれる!)
ミウたんの自信は確信へと変化した
「!!」
その時、庭先で何者かの気配がした
(いや、ちょっ…! 早すぎるでしょ… タイミング伺い過ぎでしょ……!?)
臆した訳では無い
ただ機先を制され動揺しただけだ
主のが家を離れるタイミングを伺うとは不逞奴である
次の瞬間には落ち着きを取り戻したミウたんは大きく深呼吸をして、土間の引戸の隙間から庭の向こうを見遣る
さながら腕の立つ素浪人と言った風格で、その庭先に殺気を向ける
「………………」
何も居ない
だが、ミウたんのハンターとしての臭覚は獲物の気配を間違い無く感じ取っていた
一旦奥に戻り、その壁に飾られた矢筒から三本の矢を抜き取る
その二本をくわえ、一本を弓に番えると、左足で引戸を開け、ゆっくりと庭へと歩を踏み出した
ドスファンゴ…
嘗てそんな名の大猪と対峙した事もあった
ミウたんはまだ駆け出しハンターだった頃を思い出す
今の私はあの頃の鼻垂れスナイパーではない
(何処からでも来い…)
白壁の土蔵の陰、納屋の裏、山茶花の垣根の隙間…
ミウたんは感覚を研ぎ澄まし、見えない標的の気配を探る
「!!」
一瞬、その垣根の一角が僅かに揺れた
(そこか!?)
ミウたんは素早く矢先をその垣根に向ける
キリキリと弦を退く指に力を込める
垣根の上に小さな黒い影が姿を見せ始めた
次の瞬間、そこから覗いたのは少女の顔だった
(あっ!?)
ミウたんは慌て弓を下ろす
迂闊であった
猪に対する警戒心から、すっかり来訪者の全てをそれと思い込んでいた
これはいけない 怖がらせてしまった 悪い事をした
留守を預りながら、本当の客人にとんだ粗相をしてしまうとは…
客は来ないと言っても、近隣住民の訪来ぐらいは予想出来た筈…
「ごめんなさい!」
ミウたんは垣根の向こうの少女に声を掛ける
歳の頃は十四、五歳と言った所か、大人しそうな、肌の白さが印象的の短い髪の少女だった
「……………」
少女は気を損ねたのか、ミウたんの謝罪にも反応を見せず、じっと此方を見詰める
「あぁ 私? 私、ミウ ミオさんの友達で… ミオさんなら今ちょっと出掛けているの それより本当にごめんね…!」
「……………」
少女はその言葉にも反応を示さない ただじっとミウたんを見詰める
気まずい雰囲気にミウたんはポリポリと頭を掻く
「あ、あの… 近所の子かな? 最近、ここら辺に悪い猪が出るって聞いたて… それで……」
その言葉が終わるか終わらぬかのうちに、少女は再びゆっくりと垣根の向こうに身を潜めた
「……………ふぅ」
ミウたんは柄にも無く落ち込んでため息をつく
近所の家の庭から弓を向けてくる見知らぬ女…
完全に危険人物に思われただろう
あそこのお宅のミオさん、変なお友達とお付き合いしているみたいね…
そんな噂話をされるかもしれないミオの事を思うと、ミウたんは己の軽はずみな行動をますます後悔するのだった
(…………とりあえず干し芋でも食べよう)
どこら辺がとりあえずなのかは分からないが、気分転換をしたいのもは事実だった
それはミウたんが干し芋の白い粉の正体に思いを馳せながら、玄関への一歩を踏み出した時だった
『ヴゥゥゥゥ…… ブゥゥゥゥ……』
「………………」
向かって右前方、ミウたんの視野の外、物置納屋の影からそいつの唸り声がした
ミウたんは不思議なぐらい冷静だった
否、冷静に成らざるを得なかった
狩り暮らしの中で叩き込まれた戦いのセオリー
先手を取られた者は動じてはならない
動じれば次の瞬間には餌食になる
あのクロコダイル戦で改めて思い知らされたその戦訓が、ミウたんの精神と肉体を制御した
あの時と同じミスはしない
いや、厳密に言えば既にミスは犯していた
人に弓矢を向けた事、それに動じて緊張の糸を切らした事
だからこそ、再び無様な道化は演じまいと心に決めたのだ
そう、だからこそっ!
視野の隅に黒い影が踊り、荒い鼻息と共に地面を蹴る蹄の音が近付くこの瞬間を読み取っていた
『タンッ』
ミウたんは真後ろに飛び退る
半瞬前までミウたんが存在した空間を猪の獰猛な牙が切り裂いた
たなびくピンクのミニスカートが猪の鼻先をかすめる
その様はさながら女闘牛士
必殺の勝機を逃した猪は勢いを殺して体勢を立て直すと、再び猪突猛進を繰り出さんと向きを変える
だがその目に映ったのは、冷気を感じる程の鋭い眼差しで此方に弓を引くミウたんの姿だった
『プンッ』
弦から放たれた一閃が真っ直ぐに猪の眉間を貫く
……事は無かった
それは猪の頬をかすめて、その背後に立つ黒松の幹に突き刺さった
「ヒヒンッ!」
ミウたんの殺気と痛撃に気を飲まれたのか、猪は大きく嘶くと飛び上がる様に向きを変え、垣根の向こうへと逃走して行った
「まだ子供じゃない」
ミウたんは弓を下ろすと、垣根のずっと向こう、林の中へと駆けて行く猪の背中を見送る
外れた訳では無い 外したのだ
無益な殺生はしない
それもまた、狩り暮らしを送る者の基本である
まだ若いあの個体が畑を荒らすそれなのかは分からないが、猪にも訳あっての事だろう
先にあの子の生活圏を荒らしたのは人間の方かも知れないし、何より一人立ちして間もないであろう若い猪が形振り構わず必死に生きようとする様に、ミウたんは微かな親近感も覚えていた
恐らくは人間の怖さも身に染みて、もう里にも出ては来るまい
命まで奪う必要は無いのだ
ミウたんは黒松に刺さった矢を引き抜くと、ミウたんなりの訳に基づきミオ家の台所を改めて荒らす事にした
そんな背中を垣根の隙間から見送る幾つかの小さな影
それは視線を戻し互いを見詰め合うと、小さく頷き合った