「散水は控えて下さいね… 狙撃の機会を窺ってますよ…」
きつい登板をよじ登ったエマは方々で燻る炎に、敵の狙いを読み取る
放水砲の弱点は射撃の為に車外に身を乗り出さねばならぬ事
木陰からのスナイプには格好の標的になる
無線で僚車に警戒を促すとペリスコープ越しにその敵の姿を探す
丁度そこに"槌"役の二台が合流する
立ち込める煙に視界が遮られる中、エマの覗くペリスコープに丘陵の峰伝いを行くミウたん達の背中が写った
「小癪な真似を…!」
近接戦闘を予想させて拙速な行動を躊躇させ、更に遠回りする事で包囲を掻い潜る…
策略に於いて下等だと見くびっていた敵の思わぬ小細工…
それに翻弄されたと知ったエマの眼鏡の奥が光る
(こんな… ザコに……!)
ゴキブリを潰し損ねた様な不快感に気を害した彼女だが、心の中で小さな舌打ちをした後には何時もの冷徹な策士の顔に戻っていた
「どうせ彼らの逃走先は分かっていますよ… 林の出口に先回りです もう戦いは終わりですよ…」
「ミウちゃん、あやかと一緒に例のイチゴゲロ焼き、食べに行くのだ!」
風呂敷で器用に教材を包み、帰り支度を整えるミウたん
終業の鐘と共に、廊下と教室を隔てる窓の一つから満面の笑みのあやかがひょこりと顔を出し、その側に座するミウたんに声を掛ける
「クスクスッ…」
クラスに薄ら笑いの輪が広がる
ミウたんは余りの恥ずかしさに頬を染めて俯くが、あやかは容赦しない
「あやか楽しみだったのだ~! やっとお小遣い貰ったのだ~! イチゴゲロ焼き楽しみなのだ~!」
「「ブハッハッハッ!」」
ついに爆笑の渦が巻き起こる
ミウたんは少し顔をあげて上目遣いにあやかを睨むが、あやかは楽しくてしょうがない、といった無邪気で爛漫なだけの笑顔を返してくるのみ…
それが級友達の更なる大爆笑を誘い、ミウたんは居たたまれず教室を飛び出す
「ミウちゃん、歩くの速いのだ! イチゴゲロ焼きは逃げないのだ!」
ミウたんは最早小走りに近い速度でアスファルトの上を行く
それに必死に追い縋るあやかの表情は尚も喜色に満ちている
「ミウちゃん! そっちはお店の方向では無いのだ!」
そんなあやかの掣肘を無視して歩を進めるミウたんの表情は、彼女とは対照的に暗く刺々しかった
「ミウちゃん…? なんで怒っているのだ?」
そう、ミウたんは怒っていた
特殊学級のあやかに馴れ馴れしくされるのが腹立だしかった
否、馴れ馴れしくされるのは良いのだ
雨の校庭に生まれる水溜まりを、スコップで築くミニ運河で繋いで壮大な大地のアーティファクトを創造する、という共通の趣味を持つ仲間であり、昼休みをぼっちで過ごす惨めさから解放してくれる大切な存在なのだから
ミウたんが許せないのは、級友達の前で仲間の様に振る舞われる事なのだ
あやかはミウたんの唯一とも呼べる友達である
だが、みんなに友達と思われるのが恥ずかしかったのだ
イチゴゲロ焼きってなんだ!? イチゴパフェ焼きでしょ!?
そりゃ見た目は一瞬ゲロっぽいけど… 貴女は女の子でしょ!?
可愛い筈の私と時間と空間を共有するお友達でしょ!?
もっとこう… 漫画みたいな… 女の子同士のお洒落でおしゃまな…
ミウたんは遂に駆け出した
お友達だけど、みんなには知られたくないお友達…
なんだそれ……?
ミウたんは怒っていた 腹立だしかった
こんなに純真で、明るくて、自分を慕ってくれる、愛らしくて愛しい友達を恥ずかしがる自分が許せなかった
自分の寂しさを紛らわす為だけに知恵故障な彼女を利用する、下衆な自分が腹立だしかった
「駆けっこなのだ? あやか、負けないのだ~!」
ほんの一瞬、怪訝な表情を浮かべたあやかだったが、次の瞬間には彼女の低容量のメモリーはその理由を見失っていた
田園を貫く長い一本道を疾走する二つの影
西の空に傾いた太陽がその影を引き伸ばし、金色の稲穂の絨毯に投げ掛ける
背中越しに聞こえる楽しそうなあやかの笑い声に、何時しかミウたんの表情も解れていった
悲しみの逃避行は、何時しか楽しい駆けっこ競争へと姿を変えていた
ゴメンね、あやかちゃん…
もう二度と…
見捨てたりなんてしないよ…
突き放したりなんてしないよ……
「いい加減にしろ!!」
だからミウたんは走りながら隣のサーニャを怒鳴りつけた
彼女に抱く、初めての負の感情だった
余りの怒気に先行する少女達が思わず足を止め振り返る
「止まっちゃダメ! 走って! 駆けっこ競争じゃなわよ!!」
今度は自分達に放たれた怒号に、少女達は雷に打たれたかの様に再び走り出す
道無き道を越え、体力を使い果たし、這う這うの体で何とか抜け出した林の先
そこに待って居たのは、完全に撒いたと思われたあの重機群だった
ミウたんの思考は戦いの終始、完璧に相手に読み切られていた
完敗を認めざる得なかった
包囲を脱する為の遠回りは全く意味の無い物になった
それどころか体力と時間を無駄に消耗し、尚且つ身を隠せる遮蔽物に乏しい湿地帯に追跡戦の舞台を移してしまった
そうで無くとも疲れ切った少女達の脚力では、この疲れ知らずの鐵の化け物を振り切る事は困難であろう
そこでサーニャは囮を志願した
ミウたん達の取る事の出来る数少ない選択肢の一つである
確かにサーニャが犠牲になって敵の攻撃を惹き付ければ、他の少女達の安全は格段に保たれるだろう
成る程、それによって失われる戦力の喪失、対費用効果を考えても、ミウたんやヨシカよりサーニャが適任と言わざるを得ない
極めて合理的な判断であり、それ故にミウたんは激怒したのだ
彼女の自己犠牲の精神は心打たれたし、ミウたんに託す思いに心震わせた
だがそれは同時に、ミウたんに対する最大限の侮辱と捉える事ができた
ミウたんは戦いの初めから、彼女達全員を無事に戦禍から逃す事をその目的にしていたのだ
もう誰も見捨てず、もう誰も犠牲にしない
たとえしがない河原のインチキハンター、或いは無名のアーティスト擬きであっても、それが女ミウたんが心に誓った思いである
それを苦労知らずの温室栽培の様な小娘に否定されてたまるか!
ミウたんの予想外の強い叱責に目を潤ますサーニャ
ミウたんは今度は笑顔を湛えて、隣を行くその左肩を叩くとウインクして見せた
それでもう十分伝わった
サーニャももう駄々をこねる事も無かった
一際大きいセイタカアワダチソウの株を標に、ミウたんは部下達の列から離脱する
今度こそ自分の時間だ
肩に懸けた弓から弦を解くと、高く生い茂る雑草の茂みの中をそれで薙ぎながら突き進むのだった
「ほらっ 十時の方向です」
ペリスコープを覗くエマは獲物の痕跡を見逃さない
風に揺れるすすきの穂先が見せた微かな不自然を目敏くスコープに収め、運転手に舵転の指示を出す
エマの読み通り、のこのこと林を這い出て来た御一行
待ち伏せるエマ達の存在に明らかに動揺し算を乱していた
何故動きを読まれたのか? ピンポイントを押さえたこの洞察力にさぞや驚いた事だろう
樹海は文字通り大海の如し
必死に遠回りをしても、人が長距離を移動できる経路は自ずと限定される
ましてや退却の方向がわかるなら先回りも難しい事ではない
1度はしてやられた相手の鼻を見事明かせてやった思いに、エマの自尊心は大いに回復される
そのまま押し潰しても良かったが敢えて泳がせた
必死に逃げ込むであろう本丸の正確な位置を炙り出したかったし、何よりこの生意気な獲物をいたぶり、痛めつけたかった
草むらの中を必死に駆け回り、何とか追跡者を撒こうと涙ぐましい努力を続ける惨めな敗北者達を、付かず離れず追い回す
ジャングルに暮らす草食獣がサバンナに飛び出れば、最早肉食獣の牙を逃れられる道理などあろう筈が無い
まさに今のエマと逃走者達の関係そのものであった
エマの乗車が向かう先がふと明るくなった
直ぐにそれが剥き出しの大地の照り返しだと分かった
雑草の茂みがもうすぐ途切れ、身を隠す術を失った獲物達が無防備な姿を現す…
(手を上げたって容赦しませんよ…)
ひれ伏し泣き叫び、無様に慈悲を乞う哀れな敵の姿…
エマはそれを夢想し、それが実現するまでの数瞬間、例え様の無い恍惚感に身を浸していた
そしてそれは遂に姿を現した
手にした弓に弦を掛け直し、纏わり付く草葉を払い落とし…
エマに向かってあっかんべーをかますミウたんの姿が……
「!!」
謀られた…… またしても…… この私が……!
エマは瞬時に理解した
同時に身体中の血が逆流して行くのを感じた
目の前が霞んで行くのを感じた
必死に頭を振ってそれを取り除いた
「こ… こっ…… こんなっ……! こんなザコにぃぃぃぃぃっ!!」
エマの絶叫が狭い戦闘室に木霊する
耳をつんざくその声に運転手が思わず頭を抱える
「追えぇぇぇぇっ!! 殺せぇぇぇぇぇっ!!」
背中を向け再び逃走を開始したミウたんの姿が、エマの目にはご機嫌なスキップをかましている様に見えた
エマの逆上に応える様に放水車は加速を開始する
瞬く間に縮まる距離
それを左右に転進して再び広げるミウたん
あらゆる行動がエマの目には挑発に映った
「解体してやりますよっっっっ!!」
遂に堪え切れなくなったエマはハッチを開けて放水砲のコックを叩く
一度ならず、二度までも……
エマのプライドをズタズタに切り裂いたこの短髪女を、己の手で直に葬る事にした
最大流量を後頭部に叩き付ける
明晰なエマの頭脳は、標的を確実に仕留める為の方策を直感的にイメージする
だが、それはいつもの冷静沈着なエマでは無かった
運転手がエマを諌める声を上げるのと、この瞬間を待っていたミウたんが振り向き様に矢を放つのは同時だった
「んあっ!?」
一線が秋の澄んだ空気を切り裂いた