目覚めたメラルバはしばらくテーブルの上でのそりのそりと歩いていて、しばらくすると「きゅー」と鳴き、トウコに何かを訴え始めた。どうやら、空腹であるようだった。
大半のトレーナーの所持ポケモンはそれぞれに適したフードがあてがわれる。とりわけトウコや論者などのポケモン対戦に主眼を置いたトレーナーほど、日々の食事からコンディションやそれぞれの成長に至るまでをきっちり把握するよう努めていた。毛並み、食欲の有無、排便の状態、病気、睡眠、ストレス、体重諸々、トレーナーが責任を持って管理すべき部分は多く、連れ歩くのは一人六体まで、という暗黙のルールは、これらの負担が重く個人ではそのぐらいが限度という面もあった。ちなみに、トウコはアララギ研究所がスポンサーについているため、一般トレーナーと比べて多くのポケモンの育成ができる。図鑑完成に協力しているトレーナーの特典だった。そうした極一部の組織人なども、六体を越えて連れていたりする輩は大抵の場合嫌われる。
メラルバ、ウルガモスに関しては、まだまだわかっていない事の方が大きい。対戦育成のみならず、家庭で家族の一員として一緒に暮らすような場合であっても、情報の不足から不運な事が起こり得る可能性はあった。これは別に、その二体だけとは限らない。トウコが一心不乱に自転車を漕ぎ(ふとももが無駄に硬くなって、地味に本人は気にしている)なんとか個体数を確保して信頼の置ける研究者へそういったポケモンたちを預けるのも、知識の欠如からイワークへ水をかける、チョロネコをレンジでチンする、というような事件を出来る限り無くすためでもあった。
あとはまあ、バトルが強いと色々便利だから、とはトウコの弁である。
最近ではポケモントレーナーの敷居もそれなりに低くなり、一々トキワシティやらワカバタウンまでおつかいをこなさずともボールをゲットできるようになった。トレーナー向け施設の合併もその一つである。センターの入り口から入ってすぐ右の辺りに出張店があり、ボールや回復薬などからポケモングッズ、フードなども販売されている。
ともあれ、トウコは市販の物ではなく、個体それぞれのため調整された食事を用意していた。中でもウルガモスのよーちゃんはいつも一緒にいるから、彼女のための物は常にカバンに常備している。今日のところはそれを与えておこうと思い、隣の椅子に置いた荷物へ手を伸ばした時である。
トウコにふと、一抹の疑念が生じた。果たして、このまま簡単に与えてよいものだろうかと、そう思った。
例えば、鋼ポケモン用に作られたフードは、特殊な成分やらが他と比較して多く入っている。そのどれもが、野生ならば常時摂取していて、かつ人の手からは中々意識していないと与えられぬ物だ。さらにそれらの中でも、炭素系、珪素系など、個体によって必要となる栄養素はかなり違い、事実小さなセンターでも多くは五種類ほどから売られている。これが「陸上」グループのポケモンなら冷や飯にみそ汁をぶっかけた物なんかでも十分ではある。実際パソコン通信が発達するまでは、トレーナーのポケモンでもそういった内容が多かった。それで良いとされていたのだ。
育成の難しいポケモンは所持するために資格取得が必要となる。法規制が近年一新された背景には、そうした事件を未然に防ぐためでもある。一例を挙げると、ホウエン地方にて新たなチャンピオンが誕生した際に、彼の使用するポケモンがこぞって鋼タイプだったため、トーナメントのテレビ中継後に鋼タイプを育成するトレーナーが増加、育成周りの知識不足から、病気や、最悪の場合死なせてしまう事例が相次いだケースなど、次々と発見されるポケモンに対しトレーナーの側が適切な対応を求められる場合は極めて多くなった。センターの医師なら全ての種族を診れなければならないなど、どうしても新種発見、所持、それらに対し、公的なマニュアルは整備が遅れがちである。
他方で、需要という身も蓋も無い事情も存在する。ベトベター種は極めて生命力が強く、何でも食べられ(文字通り、生ゴミの類でさえも摂取できる)性格も懐こい。その上生活排水の出る都市部ならほぼどこにでも生息しているのだが、所持しているトレーナーは少ない。慣れぬ内はその悪臭に、進化すると極めて強い毒性からとかく倦厭されている。また、ベトベトンは第一級危険携帯獣に指定されていて、無免許での所持は罰せられる。
「お前って……」
「きゅうぅ?」
一度面倒を見始めたなら全責任を負うのはトレーナーの基本事項だ。当然トウコもよーちゃんをここまで育ててきた経験がある。以前に、図鑑完成の旅の途中で突如渡された卵が孵って以来の付き合いだ。
しかし、色違いはない。
万が一だ。考えすぎなのかもしれないとは思った。けれど、もし。
どんどん悪い方向へと思考が傾く。一度疑えば、もう振り払えない。メラルバがタオルの端をもぐもぐと齧りだしたのでいかんいかんとやめさせた。
そこでとりあえずは、アララギ博士に連絡をとったのだった。
はきはきとした響きの良い声色。ライブキャスターが、博士と通話を繋げている。
「せっかちな子ねぇ――。ハイハイ、なら、結論から言いましょうか。現在のところ、色素変異――俗にいう“色違い種”の食性が通常のものと異なる、なんて研究報告は出てないわ。一部では逆に、ある特定のものを食べ続ける事で体色の変化が見られたとも観測されてるけど――」
「それって、つまり」
もっしゃもっしゃ。ウルガモスが慌ててタオルから引き離す。
「ウルガモスと同じものでいいわよ。今までにないタイプの複合みたいだから、市販のポケモンフードはオススメできないわ。調整したヤツはまだある? こっち取りに来るかしら」
「いえ、まだあるから大丈夫です。そっか……そんじゃ博士、ありがとうございます」
「いいってば。また何かあったらすぐ連絡入れてね」
「ええ。そんときは」
「ああそうそう、ベルがメール入れたみたいだから、後で確認しておいてね」
「了解です」
ぴっという軽快な共に通話が終わる。
さて、とトウコが一息ついた。肩にずっしりと乗っていた重荷が取れて、実にすっきりとした気分だった。
――当座の懸念はなくなった。
――なら、次は……。
「地下の……」
「もちろん名付けに決まってますなww」
論者に、拳を握って断言された。
「乗りかかった船です、今回は我が新たなヤケモンに相応しい命名をし、そのメラルバの
「テメーJOJOきっちり読んだのか?」
「アニメだけですな」
それを聞いたトウコはチッと舌打ちをした。
「せめて原作も読めよ」
「精進しますなwww ……しかしかくも新参に厳しいというのは如何なものかと」
「みんな好きだからな」
「んんwww」
オウよと鷹揚に頷くと、ストローからよく冷えた黒い液体を一気に吸い上げた。
そして、名前なぁ……と空を睨んで、頬杖を突く。
よーちゃんがカバンから自身の食事の入った缶を取り出し、トウコの前に置いた。彼女が開けて、ストローを差してやると、ウルガモスはメラルバにそれを飲ませ始める。トウコはもう一缶出してやった。
「……プリエール」
「はて……?www」
ぽつりと呟いた、トウコの、ぼーっとどこを見ているともつかない曖昧な視線が、すっとメラルバにそそがれた。
「奇跡の子、とかいう意味だそーだ」
「んんwwww」
返されるあまりに特徴的な、有り体に言えば人をおちょくるような感じの口調に、トウコが馬鹿にしてんのかとけんか腰で顔を上げると、論者はいたって真面目な表情で――表情だけだが――いいんじゃないですかなwwwといった。
「国際孵化もひかるおまもりもなしに出会ったのですから」
「うん……」
気の抜けた声で相槌を打つトウコの目には、いつもの光が霞んでぼんやりと戸惑っていた。少なくとも、タウリンとかリゾチウムの買いだめに気を巡らせている、いつものものではなかった。
「正直、さ。いきなりこの子が生まれてきてさ。はっきりいえばかなりとまどってる」
「んんwww」
「きちんと510振りわけも決めてたし、わざも考えてた。けどそれが、この子にとって一番良い事なのかは、わからない。さっきみたいに、初めから祝福されて生まれてきたんだ。そうやっている方が、幸せなのかもしれない」
「その運命力、トウコ氏にはヤーティ神の加護がちょびっとだけあるやもしれませんぞww ぜひ論理を学ばれる事をオススメしますなwwww」
「ちょっとお前黙ってろ。今いい事言ってんだから」
ポケモンがマスメディア(大衆媒体)とうまく合致した好例では、テレビ2chのマッギョ「かしわくん」があげられるだろうか。もともとはテレビスタッフの一ポケモンに過ぎなかったのだが、ひょんな事からお茶の間の愛されキャラクターとして人気が出た。今ではトレーナーよりも高収入であるとかないとか。
対戦の為だけに、自分の手元で育てる事が最善であると言い切るのは――非常に難しい。研究所で多くのポケモンたちと日がな一日平和に暮らしていくのも一つの選択肢なのかもしれない。
けれど。
「……うん、なんだか久しぶりな感じがするや。自転車で道路に溝を刻み始めてからこっち、こーゆー気持ちはちょっと忘れてた」
「と、言いますと?wwww」
それは、あの日、チェレンとベルの三人で、初めて自分だけのパートナーと出会った時。
ただただ相棒が愛おしくて、世界が全部色鮮やかに一変したようにさえ思えた、あの気持ち。
トウコはがたっと音を立てて勢いよく椅子から立ち上がり、うとうととしていたメラルバを丁寧に抱え上げた。目立つから、息苦しくはないように気をつけて、人目を避けるためにタオルを巻いてやる。
「きゅぅッ?」
「どこへwww 行かれるのですか?ww ドミネ・クオ・ヴァディス(Domine Quo Vadis)wwww」
「ケリをつけてくる」
帽子のつばを掴んで、ゆっくりと論者の方へと振り返り、トウコはそう力強く宣言した。
「あの――ジャッジのヤツと」
迷いの吹っ切れた、覚悟を決めた表情だった。
※参考、ポケモン生態調査書類管理局@ウィキ、およびスレより。
携わった方々には、この場を借りて厚くお礼申し上げます。