トウコが手持ちのポケモンに乗り、遠路を飛んで遥々カノコタウンに降り立った時も、頬に受ける風は彼女に何ともいえない郷愁を呼び起こさせた。故郷の匂いはやはり心を落ち着かせた。
まずはと出向いた先はアララギ博士の研究所だった。家にも顔を出したほうがいいかなとは頭の端で思い浮かべるが、やはり、なんというか照れくさかった。久々の帰郷であるが、電話はちょくちょくしているのだし、特別変わった事があるわけでもない。そういえば最後に我が家へ帰ったのは、リーグを制覇した後だったか。そんな事を思いながら、研究所へと入った。
研究室の方には誰もいなかったので、居住スペースの方へいってみると、そこにはアララギ親子の他に、チェレンがいた。こいつも中々顔を見せないやつだ。
「どーしたんだチェレ坊。武者修行とかいって、シロガネ山に篭ってるんじゃなかったか」
「シロガネ山ってどこの事さ」
さてね、ジョウトの秘境だったか。そう言ってから、トウコはまじまじとチェレンを見つめる。似合わない眼鏡と、それをやや神経質そうに構えなおす仕草。ぴょんと突き出たアホ毛。見てるだけで腹立たしくなる。やはりチェレンだと思った。
「あらトウコ。それがね、チェレンったら、ここ最近顔も見せないと思ったら突然帰って来ていきなりジムリーダーに……」
「いいんです、博士、やめてください……!」
「ジムリーダー? ……おい、それってお前が
三人が座っている四角いテーブルの残る一辺に座りながら、鈍い怒りと薄い喜悦のにじんだ声色でトウコがそう尋ね返した。それは何も、久方ぶりに幼馴染と出くわしたというだけではなく、右隣に座する、なんだか随分子供っぽさの抜けたような青年へのおちょくりも多分に含まれていた。
目を意地悪く光らせるトウコに、メンドーなヤツ、だから知られたくなかったんだ……とチェレンが零した。
「まあまあ、トウコ」
そこに割って入ったのは、それまでただ黙々と機械的に打牌を繰り返していたアララギパパだった。目が見えないぐらい深く微笑んでいる。トウコに向けて諭すように語る声はあくまでおだやかで、温和な人柄を感じさせた。
「我々男には、そういう時があるものなんだ。いや、誰だってそうだな。その結論を、そこに至るまで彼がどんな事を思ったのか、推し量ってやってくれないか。特に男は、そういう面倒ないきものなんだよ」
「ハイ、すいません。でも、なあ……」
「……なっ、なんだよ」
卓に肘をついてずずっと顔を近づける。するとチェレンは軽く赤らめて顔を仰け反らせた。
「……のびたクンがジムリーダーか……」
「そのあだ名はやめろ!」
「なァ、マジで似合ってねーって。コンタクトにしたら? 顔は可愛いんだから」
「別に、なんだっていいだろ。落ち着くんだよ……まったく」
アララギ女史が何やら意味深なウインクをチェレンに投げてよこすと、二人ともからかうのはやめてください、とばっさり切り捨てて、碌に自摸牌を見もせず河に投げた。
――ロン! 間髪いれず、博士の手牌が倒された。タンヤオドラ2。「ごめんネ!」と博士が舌を出してわざとらしく謝った。チェレンはうっと呻いて、自分の打牌と、それから博士の河を見て、小さく溜め息をつくと大人しく点棒を渡した。
「……それで、トウコも当然、打ってくんだろう?」
博士、パパラギに続いて手牌を倒し、かちゃかちゃと小気味よい音で牌を掻き混ぜ始めながら、チェレンがいった。目は既に洗牌をしている、13種136枚の牌に注がれている。
「そりゃ魅力的なお誘いだけどサ。ええっと、ベルは――」
「今ちょっと出てるわ。本格的にお手伝いしてもらい始めてるからね、夕方ぐらいまで帰ってこないわよ」
「……なら、まあ」
仕方ないなあ、せっかく誘ってもらったんだし断わるのもなあと、そんな雰囲気でトウコは卓の中央に手を伸ばした。しかしその顔は、とても嫌々という風には見えなかったのだが、その場の誰も気にした様子はなかった。
「よかった。僕は四人の方が好きだからね」
「ルールは?」
「いつものよ」
わかりましたと頷いて、トウコもじゃらじゃらと牌を鳴らし始める。
いつもの事である。取り立てて特別な事をやってるわけではなかった。洗牌がなぜか異常に長く、皆念入りに行うところも含めて、いつも通りだった。
トウコはこの硬質で、いつまでも細かく細かく鳴っている洗牌の音が好きだった。旅先でも、この音はいつも彼女に里心を呼び起こさせた。彼女が思い浮かべるふるさとの記憶には、いろいろな思い出が混じり合って、一枚の絵を形作っていた。麻雀もそこに描かれた、チェレンやベルとおんなじぐらいに古い付き合いの、親友だった。
カノコタウンに娯楽は少ない。それこそ派手で騒がしい都会に初めて訪れた三人組が、それぞれ三者三様のカルチャーショックを感じるぐらいには、煩わしさもないが心浮き立つ出来事もない、まさしく田舎町だった。近くに繰り出て子供らしく遊んだりもしたが、当然野生のポケモンなどが出たりするし、ただでさえ町の外は危険と隣り合わせだ。大人たちからはいい顔をされなかった。
少し経って、今の性格に近いものをそれぞれが備え始めても、三人はいつも一緒に遊んでいた。その頃には、ポケモンたちを見るのが目的で研究所に入り浸り始めていた。義務教育の通信学習をさぼって抜け出した彼女たちを探すと、いつも三人揃ってどこかで集まっていた。当然怒られるのも三人一緒だった(このぐらいからチェレンにはもう、巻き込まれ気質とでも呼ぶべきものがあったのかもしれない)。
研究所でまま行われていた麻雀に三人が興味を示すのもそう長くはなかった。それ以来、彼女たちはライバルで、よき仲間で、年月と感情がごちゃごちゃになったよくわからない生温い間柄になった。誰かが外出禁止になれば(大抵はトウコ)こっそり家へ行って三麻を打った。雨の日は一日中やっていた。始めは、研究所へ足しげく通うのも「博士のお邪魔にならなければ」と鷹揚に構えていた父母たちも、叱って怒って宥めすかして、とうとうその熱意に根負けするほどだった。
彼女たちがこれほど親密になったのも(限界集落に近い程度しかいなかったし、いるにはいても上か下に大きく離れていた)ただ単に沢山卓を囲んで、打ったからだ。三人は他の子供たちよりもよほど多くのコミュニケーションを打ち合う事で交わしていた。トレーナーになってからも、それは変わらなかった。
トウコは時々、このまま二人との付き合いは一生続くんだろうなとぼんやり感じていた。そして、二人とも同じ事を思っているだろうとも感じた。それを、一々言葉に出して確認したりはしない。ある面では実の家族よりも濃いつながりだった。
だからこそ、今までろくすっぽ連絡も寄こさずに山篭りだかをしていたチェレンには、憤りが湧いてくる。ベルの急な呼び出しに駆けつけたのも、こいつが帰ってきたと言われたからだ。顔を見たら有無を言わさず殴ってやろうかとさえ思っていて、飄々とした再会になったのも単に博士たちがいたからだ。後できっちりしばいてやろう、いや、先ずは今搾り取ってやろうか。そう考えた。
その後は久しぶりに、ポケモンバトル。どれぐらい、強くなったのだろうか。相当、手強そうだ。
気が付くとトウコは唇を軽くつりあげて、笑っていた。
楽しい事が後々まで予定として詰まっているのも、悪い気分じゃなかった。
研究所にはもちろん自動卓がある。しかし、予算が年中苦しいとかまだいけるとか、色々と難癖つけられて一向に修理や買い直される気配は無かった。
黒々光る牌がトウコたちの手によって積まれて、中央に並べられた。サイコロはチェレンが振った。仮親は博士。親はチェレンからのスタートだった。右隣のパパラギが南家、トウコは北家だ。
ドラは{九}。チェレンが{西}を切って局が始まった。
トウコ 配牌
{一}{三}{七}{②}{⑤}{⑤}{⑥}{⑦}{2}{9}{南}{西}{発}
こりゃ、クソだな。包み隠す事のないストレートな感慨が思い浮かんだ。赤もない。どころか、テンパイさえ覚束無い。
まあ、いいさ。久しぶりだし。ひとまずは、力を抜いて様子を窺おうと、上家を見る。パパラギは{2}を手出し。博士は、{一}をツモ切り。
トウコが引いてきた牌は{②}だった。
ちらりと博士を横目で見る。迷ったが{発}を捨てると、案の定ポンが入る。そのまま打{⑥}。今度はパパラギがポンと発声。{中}を捨てる。
「ポンよ」
再び博士が鳴く。{発}{発}{発} {中}{中}{中}ときて、{8}切り。
二副露だが、確実に{白}を持っているだろう。トウコはこんな展開を予想していた。前局、話し込んでいる間から、三元牌や主要な牌は目で追っている。サイコロを振ったのは博士なのだから、このぐらいはしかるべきだ。つまり、すでに{白}を三枚抱えているか、少なくとも対子。しかし他の二人からも疑惑の声は上がらない。似たり寄ったりの事をしているからだ。騙される方がマヌケ。それはトウコたちが、この研究所で麻雀のルールと共に覚えた事である。洗牌で他の手を除けつつ確実に山を積む。サイコロも、練習すれば狙いの目は出せる。互いの目が光りあう中、尻尾を出さなければそれは全て有効だった。
{四}をツモる。{一}切り。
「それで、その例のメラルバはどこだい? 後で会わせてくれよ」
「おお、ワシらもお会いしたいな。というより、さっきまで丁度その話をしていたんだ。トウコ、頼むよ」
「りょーかいッス」
会話を眺めていれば和気藹々としたものだ。しかし皆腹の中ではただ他家の点棒を奪う事しか考えていない。トウコもトウコで、急遽入用になったリゾチウムとインドメタシン分をここで得ておきたいと思っていた。
そうやって四順した時である。
トウコ 配牌
{三}{三}{三}{四}{②}{②}{⑤}{⑤}{南}{西}{北}{北}{北}
さすがは私だ。ガッツポーズと共に、思わずそう自画自賛したくなるほどだった。
もちろんわずか四回のツモでこうなるわけもない。
何かといえば引っこ抜いたのだ。河から抜くのは他家の目が厳しく、またチェレンたちが自分の捨て牌を完璧に覚えているためほぼ不可能だ。だから裏返されいかにも自分を誘っている、目の前の山の両端から抜いた。あらかじめ積んでいたのだ。パパラギが{⑥}を早々にポンしたため横に伸ばしにくかったのもある。だが、やはり、トウコは対子手が好きだった。
普段から口が悪いためか少々男性的に見られたりもしていたが、やはりトウコは美しいものを愛する一人の少女だった。後は四暗刻を完成させ自分のツモに当たり牌を置くだけである。三順後だ。堪えきれぬ様子でトウコはツモってきた{四}を引き入れ、{南}を切り飛ばした。四暗刻一向聴。
「――ロン」
物凄い形相で右手のチェレンを睨みつける。違う。チェレンもツモのため腕を伸ばしかけていた。
対面のパパラギがゆっくりと手牌を倒す。
ホンイツ赤1南。
はあ、やれやれ歳のせいか、ポーカーフェイスをしてるのもキツいな。パパラギが笑う。だが、トウコは笑える気分じゃなかった。ただ、ハイとだけ言って、点棒をじゃらりと渡す。トウコの一人沈みで東2局。
チェレンはただ無表情に手牌を裏返す。しかしあいつは入念にタンピン系の三色を積んだとトウコは知っている。おもしろくないのは博士も同じだろう。
しかし、誰も彼も皆表面上は無感動に、また牌を掻き回し始めた。
その卓はベルが研究所に戻ってもなお、中々終わりを見せなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※
ドレディアのチュりんは交換によってトウコのメンバーの一員に加わったポケモンだった。ひかえめだがちょっぴりイタズラ好き。日課は朝のひざしの中でくるくると踊る事。太陽のぽかぽかとした陽気の中で思うのは、ここにやってきてから出会った一番の親友の事だった。
アヤというトレーナーから交換を持ちかけられた時、トウコは既にチュリネ系統のデータを保持していた。しかし実際にゲットして進化させた事はなかったので、その申し出を受けたのだった。チュリネにしろモンメンにしろその辺にいるんだから自分で捕まえてこいよとは若干思った。
手持ちに加わったチュりんはまだまだ未熟で、性格の部分もあって中々周囲と打ち解けられなかった。トウコはその頃冒険には一段落ついていたから、メンバーをしょっちゅう入れ替えたりして平均的に育成していた。マジカルリーフを覚えたぐらいでキリがいいと思ったのか、あるいは単草というタイプに辟易したのか、チュりんは一度ボックスに、つまりはアララギ研究所へと送られたのだった。
そこには様々なポケモンがいた。といっても、まだトウコが本格的に育成(厳選)を始めてはいなかったから、必然的に野生で捕まえられてそのまま暮らしているやつが多かった。
メラルバのよーちゃんと――後のウルガモスだ――出会ったのも、そうやって一旦前線から退いた時だった。
それは人間でいう一目惚れに近いものだった。
パソコンによって転送されて、アララギ博士によって放されたのは広大なフィールドワークのための研究地で、開け放たれたベランダから見たその風景は、一面綺麗できらきらと輝いて見えた。多数のポケモンたちにとって理想に近い状態を念頭に整備されているのだから当然なのだが、とにかく、すごく素敵な景色だと思った。
すぐ目に付いたのは二つある池のほとりで、あそこでゆったり日光浴をしたいなとチュりんは思った。けれど既に先客の、ハトーボーだとかマメパトたちが多くたむろしていた。飛行タイプの群れの中へ突っ込む気はなかった。それに、ここでも十分素敵。そう思って、ベランダのひさしのところに座り込んだ。
夜半にはボールで休むか、出てそのまま外で過ごすかのどちらかだった。夜行性のポケモンたちもたくさん起きてくる。チュりんは素直に前者を選んだ。
次の日と、その次の日もそうやってじっと座ってひざしを浴びていた。
トレーナーさんと一緒にいるのも悪くないけど。頭の葉っぱを揺らして太陽を見上げながら、そっと思った。でもやっぱり、こうやってのんびりしている方が、好きな気がする。
三日目。何体かが転送されて、そして新しくやってくるポケモンたち。二体いて、そのうちの片方がよーちゃんだった。レベルは30だった。30まで育てて、覚えたのがニトロチャージだったから、送られたのかもしれない。
彼女を見た瞬間に、チュりんは駆け寄っていた。一目見て、太陽みたいだと思ったからだった。実際よーちゃんの体はほんのりと熱気を周囲に放っていたし、その感じがなぜか、そこらの炎ポケモンとは違っていたのだった。少なくとも、チュりんにとってそれは、あの太陽が小さくなって(メラルバのたかさはチュリネの約2倍あるのだが)目の前にいるのとあまり変わりがなかった。
よーちゃんは、そのスキンシップにどう反応を返せばいいのか、迷って身を縮こませていた。草タイプに困る日が来るなんて思ってもいなかったのだ。
それからしばらくは、お互いに呼び出されたりそれを見送ったりして、代わる代わる研究所を訪れた。二体とも同時にメンバーとして呼ばれる事は、結局一度もなかった。だから彼女たちが出会う時は、いつもそこでだった。
少しずつ二体が成長すると、中々日当たりのいい場所へも割り込めるようになった。弱点はともかく、彼女たちの攻撃範囲は結構優秀だったのだ。そうして、日の燦々と照る植え込みを確保して、二体はぽつりぽつりと、色々な事を語り合った。留守にしていた方に、今回の旅の事を話したりした。バトルの事。他のポケモンたちの事。美味しい食事の事。一度だけ見た、美しい光景。それから、夢の事。
チュりんは、あまりバトルが好きではなかった。自分はアタッカーをこなせるだけの器量があるとは感じていたが、それでも、倒れるまで傷つけあうのは怖かった。弱点が多いせいもあったかもしれない。彼女が夢見るのはある種夢想的な、戦いも何もない現実感に乏しい風景だった。よくわからないけど、そういうのがいい。そう語った。
よーちゃんは――
強くなりたいといった。もっと強く、そしておそらくは、いまだ知らない“自分”となって。本当の自分は、今の自分じゃないといった。本当は、もっと、強くって。
レベル50を超えた時から、その願望は一層深くなった。
――もっと。もっと。
おそらくは、トレーナーのトウコもその辺りで疑いを持ち始めたのだろう。短く言うなら、よーちゃんお前、デリバードじゃないのか。平行してサザンドラのほしいもと共に育成されていなかったら、あるいはこのまま成長を見限られていたかもしれなかった。トウコは、虫なんだから進化するだろうとは思っていたが、もっと早い段階だと想定していたからだ。
チュりんはその頃、一足早く立派なドレディアへと進化を果していて、文句なく一つの終結を迎えていた。次第に、お呼びがかかる回数も減っていった。自然、よーちゃんを見送って、そして出迎えた。
戦うって、こういう事なのかしら。旅から帰って来るよーちゃんを見る度に、チュりんはそう思い、涙した。がんばりやで、でもどこか空回りしたまま、闇雲に突き進んでいるよーちゃんは帰る度に何かが傷付いていたのだった。センターでも治せないそれは、よーちゃん自身も自覚できないまま、無意識に痛がって苦しんでいる。だからチュりんはその代わりに、そっと泣いていた。
チュりんは親友が研究所に帰って来ると、いつも必ずくさぶえを吹いた。多分きっと父親が使えたのだろう、その音色は、人間とは比べものにならないぐらい繊細で優しく聞こえた。
かすかな眠気をも誘う。親友の痛みを分かち合って、どうか少しでも癒す事ができますように。そんな願いが込められていた。
風がゆるゆると二人を撫でつけていって、くさぶえの音が辺りに響き渡る。よーちゃんが、そっと体をチュりんに寄せる。いつかのように、今度は彼女の方から。
そしてそれは、よーちゃんが進化してからも変わらない、二体だけの約束だった。
このところよーちゃんはトウコの手持ちメンバーとして出ずっぱりで、かなり久しぶりに研究所へとやってきたとき、まずは一番の親友を探した。
そして彼女はいつものように、二つある池のほとりの一番日当たりの良い場所で、ゆっくりと体を揺らして――親友を、待っていたのだった。