久しぶりすぎて勝手がわからないので、とりあえずの番外編。
「電気がついてる。……トウコかい?」
チェレンは目を細めてぼんやりと言った。鼻梁からずり落ちてきたメガネを、指の二本でゆっくりと押し戻した。
廊下をまっすぐ歩くとダイニングがある。しわくちゃの研究資料をコースター代わりにお茶を飲むような、夜更けについ足を伸ばしてしまうところというか、とにかくそういう場所だ。
トウコのやつ、大方腹でも空かせたんだろう。そう思って、薄暗い廊下とは打って変わって白熱灯の煌々とした室内に目を凝らしながら、チェレンはトウコの、冷蔵庫の前にしゃがみこむ姿を探した。
けれどその推測は外れていた。その代わりにいたのは、椅子に座ったカイリキーだ。
「あれ……? マリア、風邪ひくよ」
チェレンはその肩を優しくゆすった。
カイリキーは四本の腕を器用に使って腕組みしながら頬杖をついていたが、チェレンに声をかけられて、びっくりしたように目を開けた。膝には編んでる途中の毛糸の膝掛けがあって、編み物の最中でうとうととしてまっていたようだった。
カイリキーは種族として一般的に、かくとうポケモンらしく戦う事と自分を鍛える事を好む傾向があるが、彼女はどちらかというと、おだやかで面倒見がよく、気象もおっとりとしたやつだった。顔に似合わず(?)心優しくて子供好き。毛並みのつやつやとした体も、幼い頃のトウコやチェレンたちに頼まれたりすれば、見た目だけは至極カイリキーらしい筋骨隆々なそれであるから、立派な胸の筋肉などをヒクヒクッ!としてくれたりするが、性格は虫も殺せぬお嬢さんである。フーディンしか覚えないスプーン曲げの一発芸がある。
そんな彼女だからこそ、研究所で四六時中孵化したポケモンの面倒をみて、種々様々な体調のバイタリティーに気をつかう事ができるのだ。小さなトウコたちが研究所をうろちょろしていた時からずっとそうだった。
バトルが苦手な代わりに手先も器用だ。普通カイリキーにこまごまとした作業を任せると、あっという間に山のようなスクラップが出来上がるか、逆に自分の四本の腕がごちゃごちゃに絡まってしまう。だが彼女は編み物だってお手のものだし、料理のレパートリーも豊富、裁縫だって上手にこなす。最近は自家製の燻製作りにもチャレンジしているらしい。
研究所において彼女の権力は絶大で、イタズラの見つかったゴーストタイプなどもちからづくでゲンコツを落とされるのを見るに、相当なきもったまでもあるらしい。
「なあマリア、トウコを見なかったかい? ……そうか、外にでも出てるのかな。
……ココアを? そうだね、ありがとう」
でも、今はコーヒーのがいいかな。
もう、小さい子供じゃないんだぜ。
チェレンの返事を聞いた彼女は機嫌よく手を振った。「片手間」で、編み物に使った15号の棒針と編みかけの毛糸と、ついでに並行で進めていたいくつかの細々した手芸、穴を繕っていたくつしたなんかをまとめてかごに仕舞い込む。もう一方の手で、大きな黄色い花のアップリケのされたエプロンをとりあげると、キッチンでいそいそとお湯を沸かす準備を始めた。彼女がキッチンをあちこち歩くたびにエプロンの飾り紐同士がぶつかって、かちかちと陽気な音を奏でた。
チェレンはそんな彼女に代わってテーブルに頬杖をついて、寝起き特有の気だるさに身をゆだねながら、その様子をぼんやりと眺めていた。部屋の隅で丸くなっていたヨーテリーも起きだして来て、チェレンのズボンの裾に鼻をすんすんと押し付けてくる。彼は右手だけを垂らして首の付け根だか尻だかのあたりを適当に撫でてやった。
やがて、火にかけられたやかんがしゅうしゅうと吹き出し始める。四本の腕を盛んに振り回しながら、マリアはチーズとクラッカーを準備した。彼女は特に、砂糖漬けにしたバンジの実を乗せて、そこにちょっとハチミツを垂らすのが好きだ。ひし形のような見た目の果実は香りが強く、乾燥させたものを粉末にしてお茶にしても美味しい。温かい芳香は心がほっとするいい匂いがするのだ。やや苦みがあって生で食べるには特別好みでないと難しいが、その特徴的な香りは一度くせになれば中々忘れられないだろう。
そこから彼女が取り出した黒豆は普段のダース単位で買い付ける廉価品ではなく、少々お高い遠くカントー地方のもの。もちろん博士がわざわざ取り寄せたものであるのだが、キッチンでは彼女がルールである。取り出した豆挽き機へ腕を添え、あっという間にごりごりとすりつぶし終えた(豆を挽くのは結構力がいる)。用意したフィルターに挽き豆を移して優しい手つきでお湯を注ぐと、たちまち香ばしい香りが広がった。
ヨーテリーには特別にミルクを器に注いだものが用意された。
「うん、ありがとう。いただきます……おいしい! インスタントとはやっぱり大違いなんだな。マリアはなんでも、美味しく作ってくれるね(それを聞いたカイリキーは照れたように腕を振った)。
アララギ博士たちも昔からこうして淹れてもらっていたなんて、ちょっとズルイな。……あ、普段は違うのかい? そうなんだな……」
満足そうなチェレンとヨーテリーを見て、彼女はにっこり頷いた。それからようやく、自分のカップに手をつける。ミルクを少しと、砂糖をたっぷり入れるのが彼女の好みのようだ。ピン!と指を立ててそそとすする。
しばらくはクラッカーを齧るもそもそとした音だけが響いていた。
少年とポケモンたちの、なんでもない静かな夜更かしの一幕だった。