「……ここは?」
「きゅー」
トウコとメラルバのプリエールは顔を見合わせ、次いで辺りをきょろきょろと見渡して、脳裏の疑問を口にした。
あの。
あの、白い。いろの……光。
いったいどーしたんだ?
なんでまた、こんなトコにいる?
じっと、どことも知れぬ暗闇を見つめながら呟いた。
……暗晦とした、夜の森の中である。
見覚えもあるようなないような、そもそも、木と暗い闇以外目に映るものの見えないような、そんな場所に立っていた。
いったいどこだろうか。何の冗談だろうか。いったい、ここは。
そんな事を思った。
(夜の森は――怖ぇ)
さわさわと、一つの生き物のように木々が揺れ、うごめいていた。恐ろしいと、心底そう思った。あるかないかの風が抜ける。何一つとして、じっと止まっているものなどない。ねっとりとした感覚がお腹をすり抜けて行って酷く気分が悪くなる。
自分もまた、森のざわめきの一つでしかなかった。さわ、さわ。揺れる。音が響く。
さわさわ。
さわさわ。
「お――」
暗い森の中が初めてというわけではもちろんなかった。旅をしている時には、怖かったけれど、それでもなんでもなかった事だ。平気だった。当然だ。なぜなら、みんながいる。みんながいた。
懐に手をやるが、そこにはあるはずの慣れ親しんだ感触がない。
――んん、ん?
首を傾げた。
そもそもが丸腰、着のみ身のまま。研究所で、トウコがバクチ打っていた時のまま。財布やケータイはおろか、ボールの一つも持っていなかった。直前に付き従っていたシャンデラもまた姿がない。今、あるのは――
「きゅー!」
「ん、なに?」
目の覚めるような澄んだ金色。プリエールだ。
そろそろ羽の一枚でも生えないものかと見つめていれば、メラルバもまた何かを訴えかけるかのように盛んに鳴いた。腹でも空いたのかなあ。漠然とトウコは思った。
「でもなあ、今なんもなくて。すまん」
「きゅー!」
「いや……おっ、アメちゃんあったぜ。欲しいか?」
「きゅ……」
「欲しいのか? 甘いの。三個か? 甘いの三個欲しいのか?」
トウコは下衆な顔でもってメラルバを撫で回していた。
静かな森だった。あるいは、静か過ぎる、とさえいえるかも知れなかった。はしゃぐ二人の(主にトウコ)空ッ騒ぎだけが白々辺りに響いている。
その中で、ぽつりと、音がした。
カタン。コロコロ。
びょうびょうと吹き始めた風音の中、それはトウコの耳によく届いた。
「……なんだ?」
目をすがめて木々の向こうを透かして見ても、ただただ薄く闇の広がるばかりだ。
しかし、唐突にメラルバがその奥へと駆け出していってしまう。
お……おーい。
プリエール。どこ行くんだよ。
呼びかけて、誘われるようにトウコが再びその小さな影に追いついた時、ただ暗いばかりだった眼前の闇の、目に見えるぐらい凝っていたそれらが、さあっと晴れて夜が見えた。
見上げると頭の上、夜の天蓋が開けて、月が見えていた。
月から目を逸らす。
トウコはそれと、目が合った。足元には自身のポケモンの、メラルバのものの熱を感じていた。
月明かりの下でトウコと目をかわしたのは、ラルトスとよく似た姿のポケモンだった。
それもそのはずで、そいつはラルトスの最終進化形態なのだった。知り合いの四天王が連れているのを覚えていた。
「……あ?」
そういえば。ふと想起する。
さっきのあれは、たぶん、「テレポート」だ。そういうワザがある。プリエールと一緒に飛ぶつもりだったのだ。たぶんわたしは、そのワザに巻き込まれちまったんだろう。隣のシャンデラは、ぎりぎりその外側にいたのか……それとも故意に無視されたのか。
誰がやったのか。
もちろんそれはあの場にいた唯一のエスパーの、あの子。ラルトスだろう。
しかし……トウコは考える。あの子は、ラルトスは、自力でうまく「テレポート」を扱えるほどだっただろうか? おくびょうでバトルが苦手な子。大きな音がすると飛び上がって震えてしまうやつ。まわりの気持ちを感じとるのが上手な優しいポケモン。それはいつかの時の後遺症なのかもしれなかったが、それでも、プリエールと一目で意気投合して一緒に走りまわっていた。
バトルは下手だが、本当に、「気持ちを感じ取る」のが上手だ。
例えば、誰かが困っていたら、すぐさま助けに行くぐらいに。
あるいはという一つの予感がトウコにはあった。
「もしかして、だが。……お前が」
意思を感じさせる緑眼、その眼差し。臆する事無くトウコを見つめるそいつは、サーナイトというポケモンだった。こくりと首肯する。メラルバとラルトスとを、それぞれじっと短く見つめた後、ふいにその目に寂しげな色を浮かべる。
とても寂しげな表情だった。
……遠吠えが聞こえる。
しがらみを嫌いすでに権利は返却したものの、仮にも一度、リーグチャンピオンを下したトウコには、その力量を要する戦いが日夜舞い込んでくる。
アララギ研究所という一つのチームの中で、トウコは自分を実働部隊と考えていて、頭脳労働は自分よりも適正のあるベルや博士たちに任せている部分がある。その中で自分は、もっぱら足を伸ばすような仕事を受け持っていた。幼馴染、生まれ育った故郷を同じくする者同士の連帯である。
バトルの腕が必要になる仕事の一切をこなし、その傍らで自転車を漕ぐ。
深夜の研究所で、メラルバのプリエールが追い回していたと思しきそのラルトスもまた、仕事の一環で関わったポケモンだった。
思想犯とでもいうべきか、かのプラズマ団などのような規模ではなく、ごくごく少数ながら強固な信念を抱えそれを実行する、ある犯罪者組織の被害を受けたのだ。
といっても、実行した者たちは犯罪者と非難されるいわれはないというだろう。彼らはただ、人が不当にポケモンを拘束しているのは罪だと唱え、トレーナーに“飼われた”ポケモンを解放しようと考えただけだ。ポケモンたちは皆自然の中であるがままに生きるべきだという、この手のシンパがプラズマ団の一件以来増加傾向にあるのは確かである。似たような思想が学問として研究されているのも、また確かだ。この場合問題なのは、彼らが強行に移した誘拐、強奪といった手段が、法に触れる犯罪行為であったという、単にそれだけなのだった。
組織は既にトウコによって壊滅させられ、事件そのものは解決済みなのである。
だから、いわばそのラルトスは、事件の生きた遺恨だった。
人によって育てられていたポケモンたちが、必ずしも野生で生きられるとは限らない。
人の精神エネルギーを力とするラルトスは、その好例だった。身を守る術を持たず、生きる為の知恵もなく、野ざらしにされたポケモンだ。初期会得“わざ”が、「なきごえ」以外にないのも貧弱さに拍車をかけていた。
トウコがラルトスを発見できたのは偶然の結果だった。
組織がポケモンを野へ放していた土地で先行調査を行い、本来生息が確認されていないポケモンを発見したならそのまま捕獲、その後しかる機関を通し元のトレーナーへと届ける。時間もかかる上にほとんど成果もなかった。単純に悪者をぶっ潰してそれでお仕舞いならどんなに楽だろうとも思うが、中々そう簡単にはいかないのだった。
その調査の最中に、瀕死のラルトスを発見したのだった。幸いにトウコが非常時の応対にあつく、治療は無事間に合ったものの、肝心の親探しが難航した。かなり珍しいポケモンであり、すぐにでも見つかる(あるいは複数名乗り出てくる事も半ば予想されていた)はずだったのだが、見つからなかったのだ。
……ラルトスは現在、親のいない中途半端な立場をかんがみて、研究所で保護されている。