『山越商事株式会社』
社員500余名を数えるその麻雀用品専門商社は、
多くの企業ビルが林立する東京のオフィス街の中でも中堅クラスの商社である。
しかし、数年前から続く空前の麻雀ブームの波に乗り、
堅実な経営と優秀な社員達の功績もあり順調に売り上げを伸ばし、
業界では知らぬ者はモグリと言われる程の頭角を現した企業でもある。
朝、忙しなく動き回る人でごった返すエントランス。
売り出し中であるこの会社の、早朝の当たり前の光景。
その様子を会社の外から無言で見つめる女性の姿があった。
長い黒髪をポニーテールに纏め眼鏡を掛けるその女性は、
手にした脚立をまるで槍を備える武者のように持ったまま、
不気味な威圧感を放って歩道に仁王立ちしている。
威風堂々と立つその勇壮な姿は時折、
道行く通勤途中のOLやサラリーマンに指を指されようが何処吹く風のようだ。
すると突然、丁度眼の前を通りながら何事かを囁き合うOLの2人組を舌打ち一つで震え上がらせて、その脚立女は歩き出す。
——出勤時間が迫っていたのだ
*****
落ち着きのないエントランス。
その空間に突如、誰もが身を凍てつかせるような戦慄が走った。
ある者は、抱えた書類を取り落とし。
ある者は、急く脚を更に加速させる。
ゆらりと現れたその尋常ならざる雰囲気の持ち主の射抜くような眼差しは、
それまで和気藹々と雑談に興じていた受付嬢2人すら萎縮させてしまう。
その明らかに〝異常を来たした〟エントランスの空気に、脚立女は嘆息を漏らす。
「これが、労働に身を削りに来た社員を迎える朝の風景かねぇ……」
やれやれと脚立を床に立て肩を竦めていると、
奥の方から人波を掻き分けて揚々と闊歩して来る4人組が目に入った。
その先頭を歩く女が声を張り上げる。
「おや、ショムニの辻垣内さんじゃなかや」
ご機嫌麗しゅう、と続けられた九州の方言交じりの言葉は嫌みったらしくガラス張りのエントランスに反響し、ヒリ付いた空気のテンションを更に上げる。
中央で脚を止めた4人組と脚立女の睨み合い。
一触即発の様相を呈するその光景を、
その場にいる誰もが固唾を呑んで見守っている。
「ナンだぁ……?哩、朝から子猿引き連れて、お山の大将も大変だな?」
「智葉、朝っぱちから機嫌の悪かごたるが、アノ日が重くてツラかつや……?」
——龍虎相撃つ。
両者の間に激しく火花が散り、広がる重苦しい沈黙。
剣の達人がお互いの間合いを測るようにじり寄りながら、
2人は視線のみで鍔迫り合いを交わす。
しかし、お互い後一歩で必殺の間合いに脚を踏み込む、
と言う所で先に素っ頓狂な声を上げたのは哩と呼ばれた4人組のリーダーだった。
「おっと、こらイカン、もうこやん時間ばい」
その言葉に、4人は同時に踵を返して歩き去って行く。
その後ろ姿を見送りながら脚立女は独りごちた。
「ハッ……後で吠え面かくなよ?哩?」
堅く握られた拳には誰1人気づくこともなく。
嵐が去ったようにエントランスは再び、朝の活気を取り戻して行った。