リリカル・デビル・サーガ   作:ロウルス

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――――――――――――

 病院に響く悲鳴。俺は思わず周りを見渡した。

「今のって、ヤバイ悲鳴だよな……」

 そういえば、この間、愛先生がガラスケースを落っことした時も悲鳴を聞いたな。確か大型犬が暴れたんだっけか? でも、その時は怖いって言うより困ったって感じだったな。

 何か女声の念話は聞こえてくるし、ユーノっぽい念話は切羽詰まってるし、本格的にヤバイな。それにしても何でこんな俺の記憶と違うんだ? 俺はなんもしてないのに

「ねえ、さっきの……」

萌生も不安になったのか俺の方を見てくる。

お、俺はホントに何もしてないぞ?!

――――――――――――修/槇原動物病院



第10話c 厄災の種《参》

 海鳴市近くの海上。沖合に泊まる豪華客船『日輪丸』の上空にたたずむ影があった。

 

「……」

 

 ユーノ、クルスとジュエルシード争奪戦を繰り広げた悪魔だ。しかし、ジュエルシードに吹き飛ばされた衝撃はただでは済まず、仮面はひび割れ、両腕を失っている。その手負いの悪魔は無言で船の甲板に降り立った。出迎えるのは、軍服を着込んだ男と鎧に身を包んだ悪魔。

 

「おお、タケミナカタ様、お戻りになられましたか」

 

「ほお、これは……誉れ高き国津神といえど苦戦しましたか」

 

「……!」

 

 挑発するように言うその鎧の悪魔、ムールムールに雷を纏わせ立ち上がる。しかし、軍服の男がそれを制して続けた。

 

「今は傷を癒すのが先決です。どうかお抑えください」

 

「……」

 

 納得いかないのか、睨むように鎧の悪魔を見る。しかし、そんなことはどこ吹く風。鎧の悪魔の調子は変わらない。

 

「さて、後は私の仕事です。まあ、奪取に失敗したとはいえ、ここまであの宝石を誘導していただいたのです。すぐに手に入れてきますよ」

 

 くつくつと皮肉な笑みを浮かびながら消える鎧の悪魔。仮面の悪魔は不愉快そうに軍服の男を見た。

 

「……」

 

「わかっております。あの異端者の悪魔など信用できぬと。しかし、この国を護るにはあのようなものも使わねばならぬのです」

 

仮面の悪魔は相変わらず無言のまま佇んでいたが、やがて姿を消した。後には、月を見上げる軍服の男が残されていた。

 

 

 † † † †

 

 

「ふん、こんな世界などにしがみついても意味がないものを……。まあ、あの宝石をこの地に誘導したことだけは感謝してやろう」

 

 槙原動物病院の上空。鎧の悪魔は皮肉気に呟いて病院を見下ろす。しばらく何かを探るように見つめていたが、やがて屋上へと降り、音もなく中へと入って行った。

 

「……見つけたぞ」

 

 病院の一室。動物達が並ぶケースの前で、鎧の悪魔は姿を現した。視線の先には、なのは達が公園で拾ったフェレット。

 

「ふん、変身魔法、だったか? 人間が真似た我らが術、よく使えている。しかし……」

 

 傷ついて動けないフェレットの前で、悪魔は黒い霧のようになり、フェレットに吸い込まれるようにして消えていく。フェレットはもがき始めた。

 

(……うぅ、うわぁ、なんだ!)

 

(厄災の宝石を運びし者よ。その身体を差し出すのだ)

 

 そう、このフェレットはユーノが化けた姿だった。魔法世界には変身魔法というものがあり、管理局の潜入調査や犯罪者の逃走といった場面で使われる。中でも発掘を生業とするスクライア一族は、遺跡に空いた小さい穴や隙間を通るため、小動物に変身する術を身につけていた。副次的な効果として、体が小さくなるのに比例して怪我も面積的に小さくなり、範囲を限定した回復魔法で効果を発揮するというのもあった。勿論、今フェレットに変身しているのは、その副次的な効果を期待してのことである。

 

(厄災の宝石……! ジュエルシードのことかっ! まさかあの魔導師の……!)

 

(有り難く思え。お前は混沌の世界の礎と成るのだ)

 

(っ! 嫌だ! 誰がお前なんかに……!)

 

(無駄だ。人間ごときが逆らえぬ)

 

(い、嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だいや……うわぁ!? だ、誰かっ! 助け……!)

 

 フェレットがケースの中で暴れまわる音が響く。その音に反応したのか、それとも何か異様なものを感じ取ったのか、動物達も怯えたように騒ぎ始めた。

 

 しかし、フェレットは急に大人しくなったかと思うと、壮絶な笑みを浮かべた。

 

――マハムドオン

 

 部屋全体に魔方陣が広がり、黒い煙が充満する。みるみる聞こえなくなっていく動物達の声。煙が晴れる頃にはケースに入ったままことごとく息絶えた動物達が遺されていた。

 

「……起きろ」

 

――ネクロマン

 

 しかし、その死体の群れはフェレットの呟きとともに起き上がる。そしてフェレットが飛び出すと同時、一斉にゾンビと化した動物達もケースを破壊して床に降り立った。

 

「ふん、人間以外にネクロマンサーの術を使わねばならんとはな。だが、あれの相手をするにはまだ足りんな。あの部屋の死体も使うか」

 

 ユーノ、いやユーノに取りついた悪魔はそう呟くと、ゾンビと化した犬の群れをひきつれて駆け出した。

 

 

 

 霊安室。ここ槙原動物病院では、動物達といえどこうした部屋も用意されている。場所が場所だけに静まり返っている廊下に、見回りの職員の足音が響く。

 

(はあ、こういう仕事がなければいい仕事なんだけどなぁ)

 

 その女性職員は霊安室前の見回りを苦手としていた。が、外来から見えないように動物の遺体を運び出すため、霊安室には別に出入り口が設けられている。見回りはする必要があった。

 

「……起きろ」

 

「っ?!」

 

 そんな彼女の耳に、妙な声が聞こえた。おそるおそる霊安室に入ると、立ち上がる死体の群れが。

 

「きゃぁぁああああ!」

 

 悲鳴を上げる女性。しかし、それは

 

――アギダイン

 

 放たれた炎とともにかき消された。炎が飛んできた元には、笑みを浮かべるフェレット。

 

「さあ、準備は整った。堕ちた宝石を起こすとしよう」

 

 赤い空間を作り出す悪魔。それは急速に拡大し、動物病院を覆う結界となる。

 

「魔力は十分に満ちた。これだけのエサがあれば、あの宝石も寄って来るだろう。ついでに人間を襲ってマグネタイトを奪っておくか」

 

 起き上がった死体のうち、数匹に指示を出す悪魔。動物たちの死体は、忠実に命令をこなそうと廊下の外へと消えて行った。

 

 

 † † † †

 

 

「? 何かしら?」

 

 フェレットをなのはから預かった女医、槙原愛は廊下の真ん中で立ち止まった。約束通りお見舞いに来たアリサとその付き添いの鮫島を案内している途中、目指す部屋が急に騒がしくなったと思うと静かになり、更にはガラスが割れたような音がしたのだ。

 

「あの、今の音……」

 

「ふむ。器具でも落ちましたかな?」

 

 アリサと鮫島の声を愛想笑いで誤魔化しながら、愛はどうすべきか考える。いったんここで待ってもらって、自分だけ先に行って確認すべきだろうか。しかし、

 

「あら?」

 

「どうしたんですか?」

 

「いえ、扉が開きっぱなしだから。閉め忘れるなんて事はない筈だけど……!?」

 

 開きっぱなしの扉から見えた光景に走り始めた。驚く2人を背にドアをくぐる。

 

「っ! 何、これ!」

 

 アリサ達が近くにいることも忘れ、思わず叫び声を上げた。ケースはどれも破壊され、預かった動物達が居なくなっている。

 

「これは……賊にでも入られましたかな?」

 

「嘘っ! あのフェレットは?!」

 

 後から入ってきた2人も驚く。愛は軽くパニックになりながらも、2人に向き直った。

 

「こんな……ああ、いえ、先程ケースが割れるような音が聞こえてきたのはこれだったみたいね。すみません、とにかく警察に連絡します」

 

「それがいいでしょうな。状況からして我々が第一発見者のようです。出来る限りの協力は致します」

 

 うなずくく鮫島。アリサはショックで暫く固まっていたが、急にびくりと肩を震わせた。

 

「お嬢様、どうされましたか?」

 

「えっ? 此方からなんか足音が聞こえたから……」

 

 アリサの言葉に耳を澄ます愛。すると、確かにヒタヒタという足音が聞こえてきた。

 

「確かに聞こえるわね。そっちは霊安室になってて、外へ出られるけど……」

 

 霊安室と聞いてビクッと反応するアリサ。アリサは幽霊の類いが苦手のようだ。それに気がついたのか、鮫島はやんわりと言う。

 

「賊がかもしれませんな。早く警察に連絡して、我々は戻りま」「きゃぁぁああああ!」

 

 しかし、それを悲鳴が遮る。おびえて鮫島の後ろに隠れるアリサ。愛は廊下の奥へ目をこらした。冷たい闇が支配する廊下。薄暗い蛍光灯が照らす先には、数十のギラギラした赤い光がこちらへ向けられている。否、それは光ではなかった。数十匹の犬が向ける、狂気をはらんだ赤い目だった。そして、愛はその犬たちの事を知っていた。治療の甲斐なく死んでしまった犬達だ。

 

「あの仔達は……!」

 

 戸惑う愛。しかし、その犬達は唸り声をあげると、一斉に飛びかかって来た。

 

「お嬢様っ! お逃げください!」

 

「きゃっ!」

 

 アリサを突き飛ばす鮫島。アリサは衝撃で尻餅をつく。鮫島の腕に噛みつく犬。さほど大きくないその犬は、体型からは考えられない力で、

 

「?! っがぁ!」

 

 そのまま腕を噛み千切った。破りとられた執事服から血が勢いよく吹き出て、廊下を赤に染める。

 

「き、きゃぁぁああ!」

 

 愛の悲鳴が廊下に響く。それと同時、突き飛ばされていたアリサが起き上がっていた。

 

「さ、鮫島……!」

 

 鮫島を喰い頃さんと群がる犬を前に、アリサは視界の端に映った壁に立て掛けてあるモップを手にすると、

 

「うわぁああああ!」

 

 鮫島に群がる狂犬に叩きつけた。たじろぐ狂犬。しかし、他の犬がアリサに牙を剥く。

 

(ア、アリサちゃんが殺される……!)

 

 ようやく目の前の光景を受け止めた愛はアリサに駆け寄ろうとする。

 

 しかし、同時に轟音を立てて壁が崩れ、犬たちを吹き飛ばし、

 

 その後を、黒く巨大な獣が駆け抜けた。

 

 

 † † † †

 

 

 受付。霊安室の方からあがった悲鳴を聞いて騒然とする周囲をよそに、修は悩んでいた。厄介事はついに降りかかってきた。しかしどうすべきか。持っている知識では、確か事件は病院の外で起きるはずだ。だが悲鳴は内部から聞こえてきた。果たして外に逃げていいものかどうか。

 

「っ?!」

 

 だがそんな思考は違和感に遮られる。この感覚はドウマンが張った結界に巻き込まれた時に感じた事がある。しかし、前回と違い、萌生や園子、伊沙子は消えていない。修は焦り始めた。もはや孔やなのはを待つどころではない。前回この気配に取り込またあげく死にかけているのだ。

 

(早く、この結界から脱出しないと……!)

 

 周りを見回す修。すると、伊沙子と目があった。伊沙子は安心させようとしているのだろう、軽く笑顔を向けると近づいてくる。

 

「萌生ちゃん、大丈夫?」

 

「おばさん、あの、さっきの声……」

 

「今、警備員さんが様子を見に行ったみたいだから、きっと大丈夫……」

 

 しかし、不安そうにする萌生を慰める伊沙子の言葉は途切れた。すぐ横の壁から、まるで重機がぶつかったかのような音が響いたのだ。

 

「っ! 何?」

 

 声をあげる園子。その不安を煽るように、周囲はざわめく。それとほとんど同時に、コンクリートの壁にヒビが入った。

 

「っ! 逃げろ!」

 

 修は反射的に動いていた。ベクトル操作で起こした突風でドアを破壊し、園子を待合室へと突き飛ばす。自身は萌生と伊沙子の手を引っ張り、後から飛び出した。

 

「痛っ~! ちょっと、修、痛いんだけど!」

「修くん!? どうしたの!?」

「そうだよ、いきなり走るなんて!?」

 

 何がなんだか分からないうちに場所を変えられた3人は一様に修へ疑問をぶつける。

 

「キャァァアアア!」

 

 しかし、さっきいた受付室から悲鳴が響き、そこにいるモノを見て、園子達は絶句した。

 

「……何、あれ?」

 

 修は、その黒い巨大な獣のような化け物の事を知っていた。ジュエルシードの暴走体だ。

 

「ちっ! 伊沙子さん、上に逃げましょう」

 

 そう言って近くの階段を駆け上がる修。未だあの化け物が外に出るという可能性を捨てきれない修には、外来入口から逃げるという選択肢はなかった。

 

「あ、ちょっと待って! 修くん!?」

 

 伊沙子の声を背に、階段を駆け上がる。だが、そこには赤い目をギラつかせる狂犬の群れが。

 

 目が合った。

 

 刹那、飛びかかってくる狂犬。

 

「ちっ……! 一体! なんなんだよっ!」

 

 修は舌打ちをすると、カバンの中から小ぶりの斧を取り出し狂犬を叩き斬る。悲鳴とともに黒いシミとなって消える狂犬。追いついてきていた伊沙子の声が後ろから響いた。

 

「修くん?! どこでそんな物を?」

 

「通販で買ったんですよ。両手(ツーハンド)斧だけに。まあ、重さだけのおもちゃです」

 

 大嘘である。実際は孔に頼み込んでゲートオブバビロンにしまってあった斧を貰ったのだ。本来なら修のようなこどもが持ち上げられる代物ではないのだが、例によってベクトルを操作しているため軽々と片手で扱うことが出来る。

 

「は、はあ……? そんなもの普段から持ち歩くのやめなさいね?」

 

「まあ、今回は助かったわけですし……」

 

 混乱しつつも、いや混乱しているからこそ平静を保とうとして、いつも通りに修を諌める伊沙子。しかし、修が誤魔化す暇もなく、再び悲鳴が響いた。しかし、今回は一回では終わらない。

 

「うわぁああああ!」

 

 続けざまに聞こえた絶叫に、萌生が声を上げる。

 

「ねえ、今の声、アリサちゃんじゃない?」

 

「ああ、確かにバニングスだな。ま、向こうにはあの執事さんもいるし、大丈夫だろ」

 

「行かないの?」

 

「えっ? あ、いや……」

 

 萌生に聞かれ、修は悩んだ。「面倒は避ける」を第一とする修が何か起こると知りながらこの病院に来ているのは、萌生や園子、伊沙子といった自分を大切にしてくれる人々を護るためであり、そこにアリサを考慮に入れていなかったためだ。普段から助けると心に決めていなかっただけに、いざとなると戸惑いが生まれる。特に、修にとってアリサは物語の主要人物だ。下手に係わってなし崩し的に巻き込まれるのは避けたい。かといって、みすみす見殺しにするのも気が引ける。もし変に未来の知識を持っていなければ、すぐ助けに行っていただろう。だが、事件に係わらないようにしようというある種の自己暗示が、修の行動を鈍らせていた。

 

(ていうか、卯月や高町は何やってんだ? こういう時こそ出番だろうが……)

 

 同じ異能をもつ孔と魔法の力をもつなのはに心の中で悪態をつく。自分が言えた義理ではない事はよくわかっているのだが、異能を持ってヒーローとして活躍している(ように修には見える)孔や物語の主人公であるなのはは、ヒロインの危機に駆けつけるはずだと何処かで期待していた。

 

「俺達が行っても邪魔になるだけだろ。それに、さっきの悲鳴は一階からだ。あの黒いでっかい化け物が暴れてるかもしれない。危ないだろ。まあ、とりあえず様子見だ」

 

「でもぉ……」

 

 納得いかない様子で萌生は悲鳴が聞こえてきた方を見つめる。園子はじっと俯いて黙ったままだ。そんな時、アリサの悲鳴が聞こえた方から、先程暴走体がコンクリートを破壊した時の音と同じ爆音が響いた。

 

「っ! 私、やっぱり行ってくる!」

 

「あ、おい! やばいって! 戻れ! おいっ!」

 

「萌生ちゃん!?」

 

 修の制止も聞かず、音がする方へ走る萌生。伊沙子は驚いたような声を出す。そんな2人をよそに、園子も走り始めた。園子は萌生が一度仲良くなった友達のために無茶をやることを知っていたのだろう。そして園子が、そんな萌生を放っておくはずもない。

 

「仕方ない、追いかけましょう」

 

「あ、ちょっと待って、ここは私が先に……! ちょっと、修くん!?」

 

 修も、背後で叫ぶ伊沙子と共に追いかけ始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「はあ、はあ……! 何でっ! なんで持ち上がんないのよぉ!」

 

「アリサちゃん、無理しないで」

 

 アリサと愛は廊下の真ん中でコンクリートの塊を持ち上げようとしていた。先ほど、黒い巨大な獣がコンクリートの壁を破壊して出てきたのだが、その時の瓦礫が鮫島を下敷きにしたのだ。黒い獣はアリサたちを無視してまっすぐ霊安室の方へ走り去ってしまったが、その衝撃でできた破壊の傷跡は大きかった。

 

「っぅ……!」

 

 巨大な瓦礫に力を込め過ぎたせいか、アリサの指先には血が滲み始めていた。それでもアリサは止まらない。瓦礫の下では、大切な家族がもっと痛い思いをしているのだ。

 

「……アリサちゃんっ!」

 

 不意に愛が切羽詰った声をあげた。廊下の奥に目を向けている。その先に意識を向けると、足音が聞こえてきた。脳裏に狂犬が頭をよぎる。脅威の接近を告げるその音に、アリサは血まみれの指に力を入れた。

 

「……動け、動いてよ!」

 

 しかし、瓦礫は沈黙したままだ。アリサは目に涙を浮かべながら手に力を込める。

 

(もし、もし私にっ! あの化け物みたいに力があったら……!)

 

 脳裏に浮かんだのは孔。アリサは初めてあの気持ちの悪い力を羨ましく思った。それと同時に、苦しいときにあんな嫌な奴の力を頼ろうとしなければならない自分の非力さに嫌気がさした。そんなアリサの葛藤にお構いなしに、足音はどんどん大きくなっていく。ついに廊下の奥に影を認めた時、

 

「アリサちゃ~ん! 大丈夫~?」

 

 萌生の声が響いた。廊下の奥からアリサの方へ手を振って走ってくる。

 

「っ!? 萌生!? なんでここに?」

 

「はあ、はあ、アリサちゃんのうわーって声が聞こえたから、走って来たんだよ? 大丈夫?」

 

 息を切らしながら説明する萌生。ほどなくして、園子、次いで修と伊沙子もやってきた。

 

「なんだ。バニングス、無事なんじゃない」

 

「だから、執事さんもいるんだし大丈夫だって言っただろ……ってぼろぼろだな」

 

 そんな修の言葉にアリサが反応した。

 

「っ! そうだ! 鮫島が瓦礫の下敷きになったの。これ動かすの手伝って!」

 

「鮫島って、運転手のおじいさん?! 分かったよ!」

 

 萌生は一緒になって持ち上げようとするが、びくともしない。

 

「……お、重い。重いよぉ」

 

「諦めないで!」

 

 まるで動かない瓦礫に音を上げる萌生。それを見て、園子は大きくため息をつき、

 

「はあ、しょうがない」

 

 瓦礫に手を伸ばした。

 

「大瀬さん……!」

 

「ほら、修も一緒に持ち上げなさいよ。こういうの得意でしょ!」

 

 驚いたように、しかしどこか喜色を滲ませて名前を呼ぶアリサ。それにはあえて反応せず、園子は修に手伝うよう即す。修は苦笑しながら、

 

「しょうがねえな。伊沙子さんも手伝ってくれます?」

 

「ええ、みんなで持ち上げましょう。槙原先生もいいですよね」

 

「もちろん。大瀬さん、ありがとうございます」

 

 大人2人もそれに加わる。6人の掛け声とともに、瓦礫は持ち上がった。

 

 

 

「鮫島! 大丈夫?!」

 

 しかし、瓦礫の下の鮫島は無事ではなかった。もともと腕を失って出血多量のところに瓦礫が倒れこんできたのだ。体中に血が滲み、脚はあらぬ方向にまがっている。誰が見ても致命傷だった。力なく倒れたまま動こうとしない鮫島に、アリサは駆け寄った。

 

「鮫島ぁ! しっかりして! しっかりしてよぉ!」

 

「うぁ……。お嬢様、そんなに泣かれては、……お綺麗な顔が、台無しでございます」

 

 死に瀕しながらもアリサを認め、声を振り絞る鮫島。最後の力でアリサの手を握る。

 

「お嬢様、鮫島は……ここまでのようで……ございます」

 

「っ! な、何言ってるの! ダメよ! 私を独りで置いていくなんて許さないんだからっ!」

 

「お、お嬢様……お嬢様はもう……独りではございません。必ずや旦那様と奥様と……肩を並べて……家族として一緒に歩まれるようなお方に……」

 

「うん、なる。なってその姿を見せたげる。だから……だから目を開けてよぉ! 鮫島ぁ!」

 

「ああ、……お嬢様。……鮫島はその言葉を聞ければ……十分でございます。……お嬢様、鮫島はずっとお嬢様の心の中に………………」

 

「っ! 鮫島! 目ぇあけてよぉ! いつもみたいに褒めてよ! 笑ってよぉ! 鮫島っ! 鮫島ぁぁあああああああああああああ!!」

 

 アリサの絶叫が響く。そんなアリサを見て、愛は手を固く握りしめていた。彼女自身、家族同然の動物たちを失って悲しむ人々を何人も見てきたが、大切なものの死を前にした人というのは何度見てもやりきれない。かけるべき言葉に悩んでいると、萌生がアリサの方に踏み出した。

 

「あ……」

 

 しかし、なんといっていいのか萌生も分からないようで、うまく言葉が出ない。そんな萌生の肩に修が手を置く。

 

「……そっとしといてやれ」

 

 修の言葉に泣きそうな顔で俯く萌生。重苦しい沈黙がその場を支配し、

 

 それを破壊するように、火災報知機が鳴り響いた。

 

 

 † † † †

 

 

 再び霊安室。近づいてくる巨大な魔力に、悪魔は笑みを浮かべていた。ジュエルシードは外部から破壊されそうになった場合、そのまま魔力が流出しないよう、自己保全のためにプログラムを組上げる。しかし、このプログラムは、本来の機能である願望を実現する術式に自己の安全確保という単純な目的を入力してできた代物だ。当然、欠陥だらけの術式で組み上げたプログラムは予期せぬ動作をし、結果、周囲のものを手当たり次第に攻撃する暴走体が生まれることになる。

 

「攻撃は最大の防御、といったところか。まあ、所詮組み込まれたプログラム。人間の欲望を基としていないモノなど大した力も発揮できまい」

 

 悪魔の放つ魔力を最優先の驚異として認識し、自分から此方へ向かってくるジュエルシードに歪んだ笑みを浮かべる。あとはあの暴走体をゾンビで足止めしつつ弱らせ、封印すればいい。しかし、

 

「ユーノ、何処?!」

 

 突然霊安室近くの扉を破って乱入してきた者がいた。クルスだ。孔達も後に続いて入ってくる。

 

「ふん、報告にあった死に損ないの……!? 何!? アイツは……」

 

 それをドアの隙間から見ていた悪魔は声をあげる。その目は孔を凝視していた。

 

(あれは……何故こんな所に? まさか……!)

 

 ドアの隙間から暫く様子を伺い、考え込む悪魔。

 

(だとすると……この姿で奴らと戦うのは厳しいな……といってこの体は監理局を誤魔化すのにも必要……ええい、やむを得ぬ!)

 

 やがて悪魔は意を決したように立ち上がり、

 

「貴様ら、あのメシアをここで止めろ!」

 

 ゾンビに指示を出す。一斉に廊下へと走るゾンビたち。そして、

 

――アギダイン

 

 霊安室に炎を放った。同時に火災報知器が鳴り響く。悪魔はそれを無視して廊下を駆ける。ほどなく暴走体に追いついた。こちらを認め、一直線に向かってくる暴走体。悪魔はそれを、

 

「ふんっ! 単調だな」

 

 馬鹿にするように頭を踏み台にして飛び越した。暴走体は反転して追いかけてくる。悪魔はそのまま走り続け、暴走体が開けたであろう壁の穴を目指す。途中で人間と人間の死体を飛び越した気がするが気にしない。とにかく暴走体を誘導して、孔達から遠ざけるのが目的だった。悪魔は暴走体と一対一の状況を作り出し、自分で封印するつもりだったのだ。最後に穴から飛び降り、

 

「むっ?」

 

 暴走体が追ってこないのに気づいた。

 

 

 † † † †

 

 

 火災報知器が鳴り響く中、孔達は霊安室近くを走っていた。脱出しようとする人であふれかえる入口を避け、霊安室側の出入り口を使ったはいいが、突然目の前の部屋から出火したのだ。

 

「燃えてる……!」

 

「まさか、この中にユーノが……?!」

 

「I4U、どうだ?」

 

《Sorry, My dear. 魔力でできた炎が邪魔をして分からないわ。部屋の中に入ってみないと》

 

 クルスはI4Uの声に剣を構えながらドアに近づく。真正面に立たないようにして、

 

「ふっ!」

 

 一気に剣でドアを破壊した。酸素を得た炎が勢いよく吹き出す。

 

《Round Shield》

 

「助かりました、リニスさん」

 

 すかさず前に出て防御するリニス。それに礼を言うクルスを横目に、孔は部屋の中に突入した。

 

「……誰もいないな」

 

《My dear. 私の方も確認したわ。魔力反応も悪魔の反応もこの部屋にはないわね》

 

「外れ、か……」

 

「ここで火の手が上がっていたということは、近いはずです。まだ可能性はありますよ」

 

 残念そうに言うクルスをリニスが慰める。気を取り直して廊下へと出ると、行く手を阻むように狂気を含んだ赤い目が見えた。狂犬――否、悪魔の群れだ。

 

「っ! 悪魔か! ケルベロス!」

 

「……手短ニ済マスゾ!」

 

――ファイアブレス

 

 ケルベロスの口から吐かれた炎が狂犬をなぎ倒す。一瞬で灰になって消える狂犬。

 

「リニス、結界で悪魔から人を隔離できるか?」

 

「ええ、展開に少し時間はかかりますが、悪魔用に調整した封時結界で対応できる筈です」

 

 封時結界とは、空間の一部を切り取り、術者が許可したもの以外を締め出す結界魔法の一種だ。これをプレシアが悪魔にも対応できるように応用し、リニスや孔に対悪魔用として託していた。リニスは悪魔や魔力を持ったものを対象に締め出すことで、暴走体や悪魔を公共施設である病院から隔離しようとしたのだ。しかし、その時、

 

「うわぁぁぁああああ!」

 

 廊下に絶叫が響いた。孔は聞き覚えがある声にすぐ反応した。

 

「っ! 先に行く! リニスは結界の用意を!」

 

 

 † † † †

 

 

「っ! 火事? こんな時に!」

 

 壁に埋め込んである配線が切断され、漏電でも起こしたのだろうか。五月蝿く鳴り響く火災報知機に愛は苛立たしげな声をあげる。しかし、アリサは鮫島の前から動こうとしなかった。

 

「……アリサちゃん。辛いでしょうけど、ここは危険だわ」

 

 愛が前に出て肩に手をかける。アリサの肩は震えていた。それでも俯いて黙ったまま立ち上がるアリサ。涙が頬を伝った。そんな時、鮫島とアリサの間をフェレットが横切った。なのはと拾ったフェレットだ。

 

「ぁ……」

 

 思わず目で追う。フェレットは暴走体が開けた穴から外へ飛び降りていった。

 

「ほら、アリサちゃん。あの逃げたフェレットも追わないと……」

 

 どこか遠くから響く愛の声。しかし、同時に何か巨大な獣の足音が近づいてきた。顔を向けると、涙で歪んだ視界に赤い目の黒い化け物が迫っているのが見えた。そして、その化け物は、

 

「……ぇ」

 

 アリサの目の前で、鮫島の遺体をメチャメチャに踏み潰した。

 

――おや、これはお上手ですな。旦那様もお喜びですよ

 

 鮫島の血が顔にかかる。

 

――その様な陰口など弱いものがすることです。笑い飛ばすぐらい強くなくては

 

 鮫島の腕が足元を転がる。

 

――おお、お友だちとお帰りとは、嬉しゅうございます。お嬢様

 

 そして、目の前には原形を留めない程に変形した鮫島がいた。

 

「あ゛、あ゛、あ゛、あ゛、あ゛、あ゛ああああああああああ!」

 

 絶叫するアリサ。足元の瓦礫を拾い上げて暴走体に投げつける。振り向く暴走体。自己保全プログラムは危険性のある魔力よりも、実際に攻撃してくる個体を攻撃対象として認識したのだった。

 

 

 

(まずいっ!)

 

 そう思ったのは修である。急に襲って来た暴走体は雄たけびを上げ、まさにアリサを踏みつぶそうと迫っていた。しかし、

 

「うわぁぁぁぁあああああ!!」

 

 そんな事は目に入らないのか、アリサは両手で瓦礫の破片を持ち上げ、殴りかかろうとする。

 

「っ! よせ!」

 

 修は反射的に前に出て、アリサを後へ突き飛ばす。アリサをとらえられなかった暴走体の腕は空を切り、代わりに廊下の壁を削り取った。

 

「みんな逃げろ!」

 

 衝撃で転んだ愛の手を握りながら叫ぶ修。伊沙子は腰を抜かしている萌生を抱えあげた。そして、

 

「放して! 放してよ! 放せぇっ!」

 

 園子は未だ暴走体に突っ込もうとするアリサの手を引っ張っていた。そこに迫る暴走体。

 

「っち!」

 

 修は持っていた斧を投げつける。それは紛う事なく暴走体を真っ二つにしたが、それは直ぐに再生を始めた。

 

「だあ! 何でこんな……!」

 

(こんな、こんな所だけ俺の知ってる通りなんだよ!)

 

 そんな心の叫びを飲み込む。自分は人の死にかかわることなどない予定だったし、少なくとも修の記憶では鮫島が死ぬことなどなかった。しかし、現実はどうか。生きるべき人物が息絶え、本来ここにいないはずのアリサは目の前の死に自我を失っている。

 

(俺は、何のために能力をもらったんだったかなぁ?)

 

 決まっている。事件に、危険に巻き込まれないためだ。今だって気配遮断を使えば自分だけなら逃げ切れるだろう。

 

(自分だけなら、か……)

 

 頭に浮かんだ結論に自嘲する修。修はなんだかんだ言って、今の状況を楽しんでいた。暖かい家族。気の置けない友人。それは紛うことなく大人になるにつれて失っていた楽しい記憶そのままだった。儚い、しかし大切な時間。

 

「こんなはずじゃなかったことばかりだなぁ! 本当にぃ!」

 

 その時間をぶち壊してくれた暴走体を睨み付ける修。この世界に来て、これほどの怒りを感じたことはなかった。それはアリサをすぐに助けに行かなかった自分に対する怒りでもあり、自分の想定と外れたことが襲い掛かってくる理不尽な現状への怒りでもあった。

 

「この……!」

 

 暴走体に向かってレールガンを放つためポケットの五百円玉を握りしめる。すぐ再生すると分かってはいたが、修はそうせずにはいられなかった。しかし、

 

「修くん、気持ちは分かるけど、今は逃げましょう」

 

 構えた手は愛に止められた。

 

「……っ! 分かりましたよ!」

 

 確かにその通りだ。今は感情に流されて突っ走る時ではない。再生を止める術を持っていない自分ではあれは止められない。何より、萌生たちがいた。自分と違って、彼女たちは反射の膜で守られていない。攻撃が当たれば即死だ。自分が逃がさなければならない。

 

(これじゃあ、バニングスを止めた意味がないな)

 

 再度自嘲する修。自分を止めてくれた愛に感謝しながら逃げようとするが、

 

「お、おまえが、おまえがぁ……!」

 

 そんな声が聞こえた。見ると、アリサが未だ園子の手を振りほどこうとしている。

 

「おい、お前も……」

 

 しかし、修が声をかける前に、

 

「っ! いい加減にしなさいよ!」

 

 園子の平手がアリサの頬を叩いた。

 

「あんたねぇ! あの人と約束したんでしょ! 家族と一緒になるって! だったら、生なさいよぉっ!」

 

 園子が叫ぶ。この言葉はまだ小学生の園子が考えたものでは勿論ない。恋愛小説を読んでいて、恋人の男性が死んで落ち込むヒロインに、恋のライバル役であった女性が言った台詞だ。もっとも、園子も小説のワンシーンを思い浮かべた訳ではない。ほとんど無意識のうちに声に出ていた。しかし、これほど今の園子の気持ちを代弁する言葉はなかっただろう。

 

「……っ!」

 

 驚いたように目を見開いて園子を見るアリサ。抵抗がなくなったのを感じ、園子はアリサの手を引いて走り始める。しかし、逃げようとした先には、先程と同じような狂犬がこちらに牙を向けていた。

 

「なっ?!」

 

 誰かが声をあげる。挟まれたのだ。後ろを向くと、再生を終えた暴走体が園子とアリサに迫っている。修は舌打ちする。今度こそ能力を使うしかない。ポケットの中の五百円玉を握りしめる。

 

(小学生に五百円は大金なんだぜ? まあ、俺は黄金率でなんとかなるけどなぁ!)

 

 電気を纏わせ、コインを――

 

「……ったく、遅ぇ……」

 

「……っ!?」

 

「えっ!? 卯月く……」

 

 飛ばす事はなかった。ようやく駆けつけた孔が暴走体を殴り飛ばしたのだ。驚くアリサと園子。しかし、すぐに唐突に襲った違和感とともに2人は消えた。いや、消えたのは2人だけでない。萌生や愛たちもいなくなっていた。リニスの結界が発動したのだ。

 

「っ! 折井、無事か?!」

 

「遅ぇぞ卯月!」

 

 一言文句を言って、修は目の前の狂犬に向き直る。

 

「散々やってくれたなぁ! お前らには五百円じゃ安いぐらいだ!」

 

 電気を纏わせ、今度こそコインを飛ばした。それはすさまじい電撃をまといながら、狂犬を襲った。なすすべもなく巻き込まれ、叫び声をあげながら黒い染みになって消えていく狂犬の群れ。

 

「……後はオマエだけだな」

 

 再生を終えた暴走体に向き直る。修は拳を握りしめた。恐らく再生を続けるこの暴走体を完全に倒すことなど不可能だろう。修に出来るのはせいぜい孔のサポートぐらいだ。

 

「折井、こいつは俺が……」

 

 孔もそれを察して前に出る。しかし、修はそれを手で遮った。

 

「待てよ。一発ぐらい殴ってもいいだろ?」

 

「折井……」

 

 孔は修の普段と違う様子に戸惑った。普段の気だるげな雰囲気はなく、ギラギラとした殺気と狂気が伺えた。

 

「再生するぶんだけ痛め付けてやる……!」

 

 修の背中から黒い翼が顕在する。刹那、凄まじい暴風が吹き荒れ、瓦礫とともに暴走体に襲い掛かった。

 

 

 

「っ! そこにいるのは……!」

 

 遅れてやってきたクルスとリニス。その視線の先には、壁にめり込んだ暴走体がいた。黒い影のような触手がビチビチともがくように震え、コアとなっているジュエルシードは露出している。あまりの光景に固まる2人。

 

「……気は済んだか?」

 

 孔は2人がやってきたのを機に、いたわるように修に声をかけた。

 

「……ちっ。まだ足りねぇが……もういいや……後たのむ」

 

「……分かった」

 

 孔は修の前に出て、デバイスをジュエルシードに向ける。

 

《Sealing.》

 

 純白の魔力光が伸び、暴走体を包み込んだ。封印魔法。対象からの魔力放出を完全に停止させ、強制的にシャットダウンする。スイッチを切るようなもので、魔法世界で唯一ロストロギアを制御する手段だ。消えていく暴走体。後には青く光る宝石が残されていた。

 

「やっと終わったか……」

 

 それを見て溜め息をつく修。殺気は消えたものの、いつものような気さくな雰囲気は皆無で、声に力がない。

 

「……折井、大丈夫か? 何があった?」

 

「俺は大丈夫だ。ただ、な……」

 

 封印を終えた孔達に、修は起こった悲劇を語り始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「悪いな、遅くなった」

 

「修くんっ!? 卯月くんも! 何処行ってたの!?」

 

 突然消えた修を探していた萌生達は、唐突に戻ってきた孔と修に驚いた。

 

「ああ、化け物に何かされたみたいなんだが、気がつけば病院の外だったんだよ。俺にもさっぱりだ。あの黒い化け物は卯月にぶん殴られたのが効いたみたいで、どっか行っちまったよ」

 

「そう、良かった……」

 

 安堵する愛。伊沙子と園子も安心したように笑みを浮かべる。しかし、

 

「……」

 

 アリサは無言で孔に近寄り、

 

「何でっ!」

 

 孔に殴りかかった。反射的に拳を受け止める孔。アリサは泣きながら、まるで悲鳴をあげるように叫んだ。

 

「……何で、何でもっと早く来ないのよ! アンタが、アンタがもっと早く来てあの黒いの殴ってたら鮫島はぁっ!」

 

 アリサの手を掴む孔の手が緩む。

 

「アンタ化け物なんでしょぉ! 化け物なら、化け物ならぁ! 人に嫌な思いばっかさせてないで、あの化け物殺してよぉお!」

 

「バニングス……!」

 

 アリサを止めようと手を振り上げる園子。しかしそれを孔は手をあげて制し、

 

「……アリサ・バニングス」

 

 しっかりと目を見据えて名前を呼び、

 

「……すまなかった」

 

「っ! うわぁぁぁああああ!」

 

 アリサは何度も何度も孔を殴りつける。常軌を逸した身体能力を誇る孔の体は硬い。アリサの手に血がにじみ始めた。それでも、アリサは殴るのを止めない。孔は何も言わずにそれを受け止めていた。痛みは無い。それが逆に力を持っていながら何もできない自分をさらに攻め立て、苦しかった。しかし、アリサの手は唐突に止まる。孔が顔を上げると、リニスがアリサの手を掴んでいた。そして、

 

「アリサちゃん、孔を殴っても、大切な人は戻ってきませんよ?」

 

 アリサにとって最も残酷で、同時に最も直視すべき事実を告げた。悲痛な顔で。おそらく、アリシアかプレシアの死を思い出しているのだろう。精一杯の想いを込めて、しかし短く伝えた。

 

「殴るのではなく、求めて下さい。あなたは、独りじゃない、でしょう」

 

「……ぁ……」

 

 それは、奇しくも鮫島がアリサに遺した言葉と同じだった。魂が抜けたかのように崩れ落ちるアリサ。リニスはアリサを支え、抱きしめる。

 

「うぁ、うぁあああああ!」

 

 堰を切ったように、リニスの腕の中で泣きじゃくるアリサ。燃え盛る病院の中で、いつまでも悲痛な声が響き続けた。

 

 

 † † † †

 

 

「……っ火事……!」

 

 なのは燃える病院を見て呟いた。念話を聞いて家を飛び出したはいいが、聞こえてきた先の神社は遠く、走っている途中で別の声がした。結局まずは先に聞こえた方からと方向を変えずに走ったのだが、既に神社には誰も居らず、その後で槙原動物病院へと向かったのだ。

 

 けたたましいサイレンの音が聞こえる。誰かが消防車を呼んだのだろう。燃える病院に圧倒され、しばらく唖然としていたが、

 

(あ、あのフェレットは……?!)

 

 学校帰りに拾ったフェレットを思いだし、辺りを見回す。しかし、それはすぐに見つかった。

 

(僕の声が聞こえますか?)

 

「えっ?!」

 

 唐突に聞こえた声の先に、探し求めていたフェレットがいたのだ。

 

「良かった。来てくれたんだね」

 

 そして、フェレットはなのはを見上げて喋り始めた。

 

「えっ?! ええっ?! フェレットが喋った?!」

 

 驚くなのは。しかし、そのフェレットはなのはの混乱を加速させるように喋り続ける。

 

「僕はある物を探して別の世界から来たんだ。君には魔法の素質がある。力を貸して欲しいんだ」

 

「えっ!? 別の世界? それに魔法って……?」

 

「順を追って説明するよ。ここじゃ人に見られるかもしれないから、落ち着いて話せるところはないかな?」

 

「う、うん、えっと、じゃあ、私の家に……」

 

 なのははフェレットに言われるがまま、家に向かって歩き出した。

 

 なのはは気づかない。くつくつと、フェレットが邪悪な笑みを浮かべていることを。

 

 そして、

 

(誰か……助け……)

 

 封印された意識の奥で、叫び続ける声が響いていることを。

 

 降り注いだ厄災の種は、今まさに発芽しようとしていた。

 




――Result―――――――
・愚者 鮫島     瓦礫による圧死
・愚者 見回りの職員 魔力の炎による焼殺
・妖獣 ヘルハウンド 魔力の炎および電撃による感電死

――悪魔全書――――――

愚者 鮫島
※本作独自設定
バニングス家に雇われている運転手兼執事。雇い主はあくまでデビット個人でバニングスグループの従業員ではないが、アリサの祖父に身寄りがないところを拾われ、以降運転手を勤め続けている。会社の経営が悪化して給料が出なかった時もバニングス家から離れることはなく支え続けた。デビットやアリサからすれば家族同然の存在。会社も安定し、老年となった今はアリサの成長を楽しみとしている。

愚者 槙原愛
※本作独自設定
 海鳴市にある動物病院、槙原動物病院の女性院長。天然でおっとりしているところはあるが、獣医としての腕は確か。唐沢医大獣医学科を卒業後、周囲の協力もあり念願だった動物病院を開院、若くして院長となる。引き取り手のない動物たちを無料で治療したりしているため、住民だけでなく警察や行政組織からも動物関連のトラブル解決にあてにされている。なお、料理の腕は壊滅的。

愚者 大瀬伊佐子
大瀬園子の母。家計を助けるため、槙原動物病院でパートとして働いている。修や萌生の母親とも幼稚園の時代から付き合いがある。園子と同じ面倒見のいい性格で、こども達を預かることも多い。

厄災 ジュエルシード暴走体ⅩⅩⅠ
※本作独自設定
 願望を実現するロストロギア、ジュエルシードの暴走体。黒い影の獣のような姿を持つ。地球落下の際、衝撃から身を護るために術式が作動。「自己保全」を祈願実現プログラムに入力することで生まれた。自己保全のため、己を傷つける可能性がある者すべてに攻撃を仕掛ける。なおジュエルシードはシリアルナンバーが振られており、この暴走体の元になったジュエルシードはⅩⅩⅠ。

堕天使 ムールムール
 イスラエル王国のソロモン王が封じた72柱の魔神の1柱。序列54番の地獄の大公爵にして伯爵。30軍団を率いる。グリフォンにまたがり、緑の鎧、公爵の冠を身に付けている。その名はラテン語で唸り声を意味し、耳障りな声で話すが、哲学の知識を豊富に持つ。また、ネクロマンシー(死霊魔術・占い)を得意とし、死体から死霊を呼び出し使い魔にしているという。

――元ネタ全書―――――

ネクロマンサー
 偽典・女神転生。序盤のイベント。シェルターに入り込んだこの悪魔のせいで大量の死体が襲いかかってきます。その後、トラウマ級の惨劇が……。

モップ/ツーハンドアスク
 異見聞録ペルソナより。主人公陣営の初期装備およびファーストダンジョンにて手にはいる武器(?)。この他、瓦礫を持ち上げようとするアリサ等も同ダンジョンのイベントが元ネタです。

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