リリカル・デビル・サーガ   作:ロウルス

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 ローウェルの死。食卓にぽっかりと空いた席がその事実を物語っていた。しかし、人の記憶は風化するもの。連日の報道も、まるで興味を失ったかのように減っていく。

「行ってきます」

 そんな事実から目をそむけるように、俺は外へ歩き出した。

――――――――――――孔/児童保護施設



第3話 一人ぼっちの少女

 孔の暮らす施設の裏手から山道を上れば、空き地がある。かつて観光地開発の名目で進められた計画がとん挫した後に残されたものだ。工事が放棄された砂利道と広大な更地。誰も寄り付かないそこに、孔はひとり立っていた。周囲には無数の剣や槍が浮いている。

 

(制御できる。記憶にないのに、この力を、制御できてしまう……!)

 

 狂戦士〈バーサーカー〉     身体能力を跳ね上げ、手近な剣で岩を両断する。

 王の財宝〈ゲートオブバビロン〉 異空間から打ち出した剣が着弾と同時に爆発する。

 幻想殺し〈イマジンブレーカー〉 自分に向かって放った剣を手で掴んで霧散させる。

 

「……まるで悪魔と戦う為にあるような力だな」

 

 殺傷用途に特化した力、それも対人用としては威力過剰な力に、孔は溜め息をついた。平和な時には役に立たない力を持っているという事は、やはり自分は悪魔と何かしら関係がある存在なのだろう。

 

――コイツラハコッチニイテハイケナインダ!

 

 血の海に沈むアリサとそれに群がる悪魔、そしてその時、恐怖よりも先に頭に浮かんだ言葉を思い出す。もっと早くこの力を使えるようになっていれば。何度となく抱いた自責を追い払うように頭を振ると、孔は家族が待つ家へと戻り始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「ねー、孔お兄ちゃん、私公園に行きたい! 連れて行って!」

 

 孔が施設に戻ると、少女に声をかけられた。1つ年下のアリスだ。孔は突然駆け寄ってきたアリスに苦笑を返しながら、先生に問いかける。

 

「……先生は行かないんですか?」

 

「ごめんなさい。アキラが熱を出しちゃって。連れていってあげてくれないかしら?」

 

 アキラというのは、この施設で最少年のこどものことだ。まだ幼児といえる年齢で、先生はほとんど付きっきりになっている。

 

「一緒に看病した方がいいのでは?」

 

「アリスが看病でずっと一緒だったから、気分転換にね、お願い」

 

 気分転換。それは看病に疲れたアリスに向かって言ったのか、それとも孔に向かって言ったのか。いずれにせよ、気を使わせてしまったようだ。孔はその好意を受け入れることにした。

 

「じゃあ、ちょっと行ってきます」

 

「行ってきま~す」

 

「はい、いってらっしゃい」

 

 施設を出れば、後ろからアリスが続く。2人は連れ立って、公園に向かった。

 

 

 † † † †

 

 

 施設から程近い公園。その規模は海鳴市が誇るといっていいほど大きく、平日の昼とはいえ年端もいかないこどもから隠居した老人まで、多くの人で賑わっている。

 

「ねー、孔お兄ちゃん、私、これで遊びたい! 投げてみて?」

 

 そんな中、アリスが差し出したのはブーメラン。モコイ's鷹円弾と書かれているそれは、戻ってくることなく地面に突き刺ささる。「ダメダメだね、チミ」という囁き声が聞こえた気がした。

 

「……幻聴か。まったく、こんなもの、何処で手に入れたんだ?」

 

「うふふ、ひみつ~!」

 

 楽しそうに笑うアリスを見て、孔はまあいいかと落ちたブーメランの下へ歩く。拾いながら力の加減は出来ているようだな等と考えていると、視線を感じた。周りからの微笑ましいものを見る視線とは違う、どこか妬ましさを伴ったものだ。こんな些細な気配にも気付けるようになったのかと思いながら、視線の主を探す。

――見つけた。

 小さな女の子だ。しかし、目が合うと慌てた様に視線を反らされる。

 

「孔お兄ちゃん、どうしたの?」

 

 待ちきれなくなったのか、近寄ってくるアリス。そして、

 

「ねー? あのお姉ちゃん、ひとり? 私、一緒に遊びたい! 遊んでいい?」

 

「ああ、仲良く出来ればな」

 

 答えるとすぐ、アリスは歓声を残して走り出した。ベンチに座るその少女、高町なのはに向かって。

 

 

 † † † †

 

 

 目の前で遊んでいる黒髪の男の子と金髪の女の子を、なのははじっと見つめていた。兄妹だろうか。髪の色はずいぶん違うけれど、とても仲がよさそうに見える。

 

(羨ましいなぁ)

 

 なのはにも、兄と姉が1人ずついる。しかし、父親がボディーガードの仕事で怪我を負ってから、ふたりとも母親の経営する喫茶店の手伝いで忙しくなってしまった。必然的になのはは寂しい時間を過ごすことになる。楽しかった家族との時間を連想させる2人を目で追いかけてしまうのも、仕方がないだろう。

 

「……っ!」

 

 だが、孔と目があった途端、気持ち悪い虫を見たときのような嫌悪感に襲われた。思わず目を背けるなのは。そしてすぐに疑問が浮かぶ。どうしてこんな気分になったんだろう、と。しかしその回答を得る前に、金髪の女の子が駆け寄ってきた。

 

「ねー、お姉ちゃん、アリスと遊んで?」

 

「……あ、あの……えっと……」

 

 いいよ、という声は出なかった。別に遊びたくない訳ではない。誰かとの時間を求めていたなのはは、むしろ遊びたかった。が、後ろにいる黒髪の男の子の存在が邪魔をしていた。孔の外見に特異な点はない。年齢にしては整った顔をしているが、アルビノ特有の銀髪は黒く染めているし、オッドアイもカラーコンタクトで誤魔化している。変なところなんてない、はず。なのははそう自分に言い聞かせてみるものの、一目見て沸いた憎悪は、未だ消えなかった。

 

「……アリス、俺は向こうに行ってるから2人で遊んでなさい」

 

「ふぇっ?」

 

 そんな視線に気づいたのか、黒髪の男の子は踵を返して遠くのベンチへと歩いていく。正確には、孔の狂戦士の能力が自分に向けられた悪意を察知し、ついこの間死に別れた少女――ローウェルに接するのと同じように振る舞ったのだが、なのははそんな事知る由もない。何だか感じ悪いな、という感想を抱いた。

 

「行っちゃった……」

 

 どこか寂しそうに呟くアリス。それはどこかさっきまでの自分に似ていて。

 

「わたし、アリス。アリスっていうの! お姉ちゃんは?」

 

「え? えっと、高町なのは、だよ」

 

「うん、じゃあ、なのはお姉ちゃん、遊ぼっ!」

 

 目をキラキラさせて誘うアリスに、なのははぎこちなく、しかしはっきりと頷いた。

 

 

「ぐう、あと少しであの魂は墜ちたものを」

 

 

 そんな2人をいかにも忌々しそうに見つめるものがいた。「もの」と言っても人ではない。頭には一本の角を生やし、長い鼻と長い耳を持つ鬼で、アマノサクガミという。人と真逆の不幸を糧にするこの鬼がなのは孤独に惹かれ憑りついたのは数日前。すぐにその心が歪み始めていることに気づいた。そして、少女がただならぬ魔力を持っていることにも。

 

――更なる同朋を呼び出すため、悪魔の糧となる人間を!

 

 この心の闇と魔力は、悪鬼の召喚者が求める素材としては最高だ。さらに言えば、ついでの味見だけでもさぞ満たされるに違いない。だが、それは今、突然現れたこどもに潰えそうになっている。

 

「ええい、ならばあの心の歪みをさらに広げてくれる」

 

 鬼は動く。契約と、自分の欲望を満たすために。

 

 

 † † † †

 

 

 孔は公園のベンチから、アリスとなのはを見つめていた。遠くにいる2人に注意を向けると、声が聞こえる。異能に目覚めてから、随分耳が良くなったものだ。あの女の子、高町なのはに自分は警戒されてしまったが、アリスは問題なく過ごせているようだ。アリスもアリサと一緒に過ごしていた時には孔が遠くから見守ろうとするのを覚えていたためか、こちらを気にせず遊んでいる。孤児のアリスが一緒に遊べる同年代のこどもは少ない。アリサを失ったばかりのアリスには、いい気分転換になるだろう。

 

「あら? 孔じゃない?」

 

「あ、杏子さん。お久しぶりです」

 

 感傷に浸っていると、聞きなれた声が聞こえた。振り向いた先にいたのは、ボランティアの腕章を着けたその女性、朝倉杏子(あさくら きょうこ)。よく施設のこども達にお菓子を持ってきてくれたりするため、孔はよく知っている。

 

「今日は公園の掃除ですか?」

 

「ええ、我らがメシア教会は社会奉仕に尽力してますってね」

 

「……ガンバって下さい」

 

 適当に流したが、メシア教会というのはこの付近に教会を構える宗教団体のことだ。この地方にある教会の宗派では説教よりもボランティアや慈善事業に力を入れているらしく、公園で見かけるときは清掃作業に勤しんでいることが多い。先述した施設に届けているお菓子も慈善活動の一環だという。たまに拡声器で教義を叫んでいるが、日本で活動する宗教団体ご多分に漏れず、当然のごとく無視されている。多くの人は説教しているのがメシア教会ということも分かっていないだろう。

 

「むぅ、相変わらず可愛くない反応ね。私がいい加減な信者だからってバカにしてるわね」

 

「自分でいい加減な信者とか言わないで下さい。また朝倉さんに怒られますよ」

 

「いいのよ、別に。どっちかっていうとボランティアとかの方が楽しいし」

 

 杏子はよくボランティアには参加するものの、メシア教そのものには詳しくない。その一方、彼女の父親は熱心な信者で、教会では神父をやっている。前に一度お菓子を取りに教会へ行ったことがあるが、杏子は父親の説教中に居眠りをして怒られていた。

 

「その割りにサボって鯛焼き食べて休憩ですか?」

 

 手に持っている紙袋を見て言う。公園で屋台をやっている鯛焼き屋の袋だ。

 

「ホントに可愛くないわね。あなたたちにあげようと思って買ってきたのよ」

 

「いいんですか?」

 

「ええ。実は差し入れが余っちゃったのよ。捨てるのも勿体ないしね」

 

「じゃあ、遠慮なく頂きます。ありがとうございました」

 

「うん、アリスちゃんによろしくね。ついでにあの女の子にも」

 

 じゃあ私は掃除の続きがあるからと言い残して去っていく。孔はそれを見届けると、アリスたちの方へ走っていった。

 

 

 † † † †

 

 

 孔がいる広場からやや離れた、公園に設けられている自然保護地帯。ちょっとした植物園のようになっているそこで、今日もボランティアに精を出す老人がいた。彼は会社を引退後、この公園でのゲートボールを趣味としていたが、他の老人仲間に声をかけられ、数年前からボランティアに参加していたのだ。やはり、家で引きこもっているより、外で仲間やこども達とふれあう方が楽しい。人の役にも立てるし、一石二鳥の趣味と言える。

 

「そろそろ差し入れ時か」

 

 ボランティア後の差し入れはそんな彼のちょっとした楽しみだ。仲間や杏子をはじめとした若い世代との会話を楽しみに芝刈機のスイッチを切った。その途端、腕に激痛が走り、芝刈機を落としてしまった。

 

「……がっ?!」

 

 口から悲鳴が漏れたが、それは背後から何者かに喉に噛みつかれ止まった。背後から噛みついたそれは老人の肉を喰らい始めた。肉を咀嚼する音が響く。

 

「……不味い」

 

 絶命した老人の腕から手を離し、首から腹にかけて無くなった死体を茂みの中に放り投げる。ぐちゃっと音がし、血と共に内臓をぶちまけた。

 

「やっぱ、年寄りなんぞ喰らってもうまくねえな」

 

 芝刈機を手に、アマノサクガミが呟く。やはり、現世に止まるにはもっと生命力に満ち溢れたこどもの肉が必要だ。

 

「ひっ! ひっひっひっ!」

 

 奇怪な声を浮かべながら、芝刈り機を引きずって公園の広場へと向かう。少し離れた芝地では、孔達3人が杏子からの差し入れを食べていた。アリスは嬉しそうにすぐに手を伸ばし、なのはは少し戸惑ったものの、アリスに促されて食べはじめる。それに苦笑する孔。こどもたちの微笑ましい風景を見て、鬼は邪な笑みを浮かべる。

 

 あの兄妹が来てから笑顔になったのなら、兄妹を殺せばいい。

 人外の力で、先程手に入れた芝刈機を投げる。背後に迫るノコギリの刃は、

 

「――っ!」

 

「きゃっ!?」

 

 しかし寸前でかわされた。超人的な反応で孔がアリスを抱えて飛び下がったのだ。芝刈り機は土を跳ね揚げながら転がり、数メートル先で不快な音を上げる。

 

「なっ! なんだあのガキ……! まさか英霊の転生体かっ!?」

 

 驚愕に声を上げる鬼。転生体とは過去の英雄や神、悪魔といった存在が、何らかの因果で魂をそのままに、再度現世に生まれた存在だ。当然、倒すべき敵を倒すだけの力を持って産まれてくる。そうなると分が悪い。

 

「いや、だが、あれはまだガキだ。力はまだ発揮できないはず……!」

 

 必至に悪い予感を打ち消しながら、再び3人に目を向ける。そこには、駆け寄る杏子の姿があった。こども達に迫った危機に駆けつけたであろう保護者代わりの女性に、鬼は再び邪悪な笑みを浮かべた。

 

 

 † † † †

 

 

「ちょっと、あなた達大丈夫?」

 

 杏子は孔達へ駆け寄った。公園の清掃が一通り終わった後の備品のチェックで見つかった不備。終了時間に遅れる人もいるので、そのせいだろうと軽く考えて見回りに出たのだが、見知った3人に芝刈機が迫るのを見て青くなった。幸い孔がアリスを助けたのだが、一歩間違うと大惨事だろう。

 

「あ、杏子さんだっ!」

 

 だが、アリスは恐怖を見せることなく声を上げる。その様子は、施設で見せる姿と変わりはない。とりあえずの安心を得て、なのはにも声をかける。

 

「ふぅ、大丈夫みたいね。キミも平気?」

 

「えっ? あ、はい……」

 

 なのはの方はまだ飛んできた芝刈機ヘの驚きが抜けていないのか、あいまいな返事をする。しかし、外傷はないようだ。

 

「そう、よかったわ。備品が1つ足りなかったから、探しに来たんだけど……」

 

「悪意を持って、投げつけられたみたいですね」

 

 孔は芝刈り機が飛んできた方を睨みつけながら、杏子に告げる。そのこどもらしくない――否、それを通り越して殺気すら感じさせる雰囲気に、杏子は慌てて問いかける。

 

「孔、あなた、大丈夫なの!? 怪我はない?」

 

「あ、いえ、すみません、大丈夫ですよ」

 

 が、すぐにいつもの調子を取り戻す。杏子はようやく胸をなでおろした。代わりに、犯人へ怒りがこみあげてくる。

 

「孔、変な人とか、見なかった?」

 

「いや、人影は見えませんでした。どうもこっちから見えないようにしていたみたいで……追いかけますか?」

 

「ダメよ! 危ないんだから。この件は警察に連絡しておくから、あなたたちは早く帰って……あ、いや、誰か信頼できる人に送ってもらうから、人の目につきやすい遊具で遊んでなさい。ホント、ボランティアの備品をこんなふうに使うなんて最低」

 

 思わず厳しい声を出してしまったが、それは服を引っ張るアリスに遮られた。

 

「ねー、杏子さん、鯛焼き落としちゃった。私、新しい欲しい。ちょうだい?」

 

 盛大に顔をしかめる孔と、困ったような顔をするなのは。杏子は思わず笑ってしまった。

 

「はいはい、買ってきてあげるから、向こうで遊んで待っててね?」

 

「ホント? やった!」

 

「あ、ちょっと待って~! アリスちゃん~!」

 

 こどもらしく元気に走り去るアリスと、それを追うなのは。孔は頭を下げる。

 

「すみません、ご迷惑を……」

 

「いいから。それより、2人をちゃんと見てあげて、変な人がいたら逃げるのよ?」

 

 礼儀正しく謝ろうとする孔を途中で遮って、アリス達の下へ送り出す。しばらく3人の後姿を見守っていたが、やがて杏子は転がっている芝刈り機を回収すると、事務所へ戻り始めた。さすがにこれはイタズラでは済まないレベルだろう。最近はこの辺も物騒だ。少し前にもカルト集団のこども生贄事件がニュースで流れている。公園にこどもを狙う変質者がいてもおかしくない。早く連絡しないと。そう思って歩く速度を速めた矢先、

 

「……うぐっ?!」

 

 突然後ろから首を絞められた。勢いのまま地面に転がされる。締め上げる力は強く、悲鳴をあげることもできない。遠くなる意識。手を離れた芝刈り機が立てる音が、やけに遠く聞こえ、

 

――ダメっ! あの子たちが!

 

 視界が暗転する寸前、伸ばした手に芝刈機が触れた。それを無理やり背後に押し当てる。刃に驚いたのか、一瞬拘束が緩んだ。背後を覆う小柄な男の身体を突き飛ばす。

 

「ごぁ! やりやがったな! このアマァ!」

 

「ゴホッ、ゴホッ……なっ?!」

 

 否、男ではなかった。そこにいたのは、鬼。比喩ではなく、本物の鬼だ。

 

「まずはテメェから喰ってやる!」

 

 信じられないスピードで迫ってくる鬼。杏子は思わず悲鳴をあげて逃げはじめる。遊歩道に出て角を曲がり、

 

「どうしました?」

 

 悲鳴を聞きつけたボランティア仲間の山田さん――芝刈機を借りたまま戻らない夫を探しに行っていた老婦人――と出くわした。反射的に助けを求め、

 

「ぎ、ぎゃぁぁぁぁ!」

 

 しかし叫んだのは老婦人だった。背後から悪鬼が投げつけた芝刈機が、杏子を通り過ぎ老婦人を襲ったのだ。人外の力で投げられたそれは、ノコギリの刃で肉を抉りながら数メートル先で鉄柵に激突して動かなくなった。同時、ノイズがかったような不快な声が響く。

 

――次はお前だ!

 

 杏子は跳びあがるようにして逃げ始めた。ほとんど反射と言っていい。しかし、

 

――スクンダ

 

 数歩歩いたところで、急に体が重くなった。まるで急に水の中を歩き始めたかのように、空気が異常な抵抗となって杏子の動きを阻む。距離が詰まる。捉えたと見たのか、鬼は飛びかかってきた。避けようとするも重い空気は体を拘束し、思うように動いてくれない。鬼の腕に足を掴まれ、地面に叩きつけられた。

 

「嫌っ! 放しなさいよっ! 放せぇ!」

 

 恐怖のまま抵抗する杏子。その声は、

 

「ああぁぁぁぁぁっ!」

 

 グギリッという音が響くと同時に絶叫に変わった。鬼が異常な握力に任せて足を握りつぶしたのだ。骨を砕かれた足から血を流し、激痛に叫びながら転げ回る杏子。

 

「あっ! がぁっ!」

 

 痛みに思考が飛ばされる中、のど元に爪が押し付けられるのを感じた。次いで真っ赤に染まる視界。固い刃が肉を抉る音が、直接脳に響く。同時に恐怖。痛み。それを最後に、杏子の意識はぷっつりと途絶えた。

 

 

 † † † †

 

 

 孔は杏子を持ちながら、なのはと2人でブランコをこぐアリスを見つめていた。アリサを失ってからつまらなそうに過ごしていたアリスは、なのはの出現で元の活気を取り戻したように見える。このまま、公園に出てきた変質者なんか気にせず、杏子が迎えに来るまで楽しく過ごしてくれればいい。そう思い、2人から周囲へ意識を向けようとするが、

 

「ねー、なのはお姉ちゃん、孔お兄ちゃんのこと、嫌い?」

 

 そんなアリスの声で再び視線を戻した。いつの間にか、揺れていたブランコは止まっている。

 

「えっ?! えっと……そんなことないよ?」

 

「じゃあ、どうして孔お兄ちゃんから逃げるの?」

 

「あぅ……別に逃げてるわけじゃないよ。ちょっと苦手なだけで……」

 

「え~! なんで? 孔お兄ちゃんって怖いけど優しいよ?」

 

 どうやらアリスも、なのはが孔を避けているのを感じ取ったようだ。アリスはこの手の感情に敏い。アリサとも同じようなやり取りをしていたのを聞いたことがある。そしてその時も、3人で一緒に遊ぼうと一生懸命という様子で説得していた。

 

(しかし、怖い、か……)

 

 それは自分の抱える異常を無意識に感じ取っての言葉なのか、それとも普段から口うるさい兄に対しての言葉なのか。浮かんだそんな思考は、戻ってきた杏子に遮られた。

 

「孔くん、お待たせ」

 

 手を振って、こちらに歩いてくる杏子。孔は黙ってそれを見つめる。

 

――ドコカ、オカシイ

 

 なぜそう思ったのか。急に抱いた違和感に戸惑っていると、アリス達がやってきた。

 

「孔お兄ちゃん、どうしたの?」

 

 アリスは孔の視線を追って杏子を見つめると、

 

「……あのお姉ちゃん、だあれ?」

 

 そう言った。同時に悟る。杏子は、こんな時に悠長に歩いたりしない。愛想を張り付けたような笑顔を浮かべたりしない。そういえば、迎えに来るまで何分経った? 送って貰うといった人は? それに、相手がまとう異常な雰囲気は、

 

――アノ時ノ悪魔ト一緒ジャナイカ!

 

 アリスを庇うように飛び下がる孔。杏子の姿をしたそれは、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「っち! いい勘をしているな! こうなったら小細工は無しだ!」

 

 本来の姿を取り戻し、飛び掛かる鬼。だが遅い。孔は余裕をもって鬼を蹴り飛ばした。鬼はジャングルジムに激突し、醜い悲鳴を上げる。

 

「2人とも逃げろ!」

 

 孔の鋭い声に、アリスはなのはの手を取って駆け出した。泣きそうな顔をしながらも逃げてくれたことに安堵しながら、孔は起き上がった鬼に向かって叫ぶ。

 

「杏子さんをどうした!」

 

「はっ! 今は俺の腹の中だ! あいつはうまかったぜぇ!」

 

「……っ! 貴様……!」

 

 孔はその言葉に、血の中に沈むアリサを思い浮かべる。無意識に剣を取り出し構えていた。アロンダイト。数ある武器の中でも最も孔の手になじんだ聖剣だ。突然出てきた剣に鬼は驚いたように声をあげる。

 

「おお、おまえ、その武器はなんだ! 神器じゃねえかぁ!」

 

「黙れぇ! 悪魔がぁぁぁぁぁぁぁあ!」

 

 激高した孔は叫びながら斬りかかる。その刃は数々の英雄が振るうものと違うことなく、驚愕に目を開く鬼を両断した。いつかの悪魔と同じ様に、シミになって消えていく。

 

「……っく!」

 

 歯を食いしばる孔。アリサに続き、今度は杏子が犠牲になってしまった。力を持っているはずなのに。そんな思いが浮かぶ。

 

(いや、アリスたちを追うのが先だな……!)

 

 だがすぐに、首を振って意識を切り替える。悪魔は、この1体とは限らない。

 

「……?」

 

 だが、足に何か当たった感触で立ち止まる。見ると、杏子がいつも身に付けていたペンダントが転がっている。あの悪魔が奪ったのだろう。孔はそれをポケットにいれると、アリスが逃げたであろう方向へ走り始めた。

 

 遊具から広場を抜け、遊歩道へ。

 しかし、アリスたちの姿は見つからない。

 

 先に逃がしてしまったのは悪手だったか。そう思いながら足を動かしていると、

 

「おお、孔くん。杏子を見なかったかい?」

 

 代わりに杏子の父親、朝倉神父と出会った。帰りが遅い杏子を心配して探しに来たのだろう。孔は一瞬戸惑った。まさか悪魔に殺された等と言えない。第一、孔自身も死体を見た訳ではない。もしかしたら、喰ったというのは悪鬼の挑発にすぎず、生きているかもしてない。いや、生きていて欲しかった。

 

「……いえ、見かけません」

 

 だから、孔はそう答えた。

 

「そうかい? このところ物騒だからね。君も早く帰った方がいい。そろそろ、施設の門限だろう?」

 

「ええ、そうなんですが、アリスとはぐれてしまって。朝倉さんはアリスを見ませんでしたか?」

 

「いや、見ていないな。私も探してみようか?」

 

 その時、サイレンの音が聞こえた。公園の裏手辺りからだ。

 

「む? パトカーが来ているな。ちょっと覗いてみようか」

 

 好奇心の塊であるアリスならそっちに向かっているかも知れない。孔も朝倉に続いた。

 

 

 † † † †

 

 

 数刻前。なのははアリスに手を引かれるまま走り続けていた。しかし、恐怖は少ない。杏子の格好をしたナニカが鬼に変わった時に感じたそれは、孔の背中を見て霧散していた。アリスと自分の前に立つ孔に思い浮かべたのは、憧れである兄・恭也。かつて甘えていた家族の幻は、なのはに間違いなく強い安心感を与えてくれた。

 

――ねえ、なのはお姉ちゃん、孔お兄ちゃんのこと、嫌い?

 

 そして、同時に混乱した。嫌いなはずはない。そう思うものの、出会った時に見たあの目を思い浮かべると、何故か嫌悪感が拭えなかった。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 そんな混乱を止めたのは、息を切らすアリス。後ろを振り向いて何も追ってこないのを確認すると、なのはは立ち止まってアリスに声をかけた。

 

「アリスちゃん、大丈夫?」

 

「うん、平気。孔お兄ちゃんが、守ってくれるし、逃げろって、言ってくれたし……」

 

 だが、息を切らすアリスから返ってきたのは、兄への強い信頼だった。なのはとしてはアリス自身が大丈夫かと聞いたつもりだったが、アリスはこの状況の事を聞かれたと思ったらしい。

 

「……うん、そうだね」

 

 なのははそれを修正することなくただうなずいた。華のような笑顔を浮かべるアリス。

 

「うん! きっと、大丈夫だよ! だから、今度、一緒に、3人で遊ぼうね!」

 

 きっと、自分は困ったような顔をしているのだろう。しかし、アリスはそんななのはを気にした様子もなく再び手を取ると、今度は走ることなく歩き始めた。まるで大丈夫なんだから逃げるのは終わりというように、公園の遊歩道をゆっくりと進む。楽しそうに前を歩いていたアリスは、しかし人だかりを見つけて足を止める。

 

「いっぱい人がいるね? ねー、見てきていい?」

 

「あ、ちょっと、アリスちゃん!?」

 

 好奇心旺盛なアリスは、返事も聞かずに人の群れへ入っていく。

 遅れて追いかけるなのは。

 

 悲鳴が響く。

 

 そこにあったのは、杏子の食い散らかされた死体だったから。

 

 

 † † † †

 

 

「貴方、大丈夫?」

 

 気がつくと、なのはは女の人に肩を揺すられていた。婦警だ。目の前には、泣き崩れるアリスと視界を防ぐようにかけられたブルーシーツ。

 

(あの奥には杏子さんが……)

 

「……う、おぇ……」

 

 そう思うと、酷い吐き気がこみ上げてきた。婦警は背中を擦りながら慰める。

 

「怖かったよね。お巡りさんが来たから、もう大丈夫よ?」

 

 暖かい手から伝わってくる温もり。いつからか遠のいた人の優しさに、母親を重ねるなのは。しかしそこへ、アリスの声が響いた。

 

「孔お兄ちゃん、杏子さんが、杏子さんがぁっ!」

 

 それはいつか夢に見た風景だった。

 

 走ってきた孔と見知らぬ男性。孔に抱きついて泣き始めるアリス。アリスを撫でてやりながら、男性の方に顔を向ける孔。その男性は直ぐにブルーシーツに近づき、警察が止めるのも聞かずにその中に入る。

 

――いけない。そこには……

 

 離れてしまった家族が、そのまま自分の前から永久にいなくなってしまうという悪夢。かつての恐怖は、

 

「き、杏子……!」

 

 目の前に広がっていた。

 

 

 † † † †

 

 

 泣き疲れたアリスをおぶって、帰途につく孔。なのはは一緒にいた婦警が送っていく事になり、先ほど別れたところだ。代わりに、見送りを引き受けてくれた朝倉神父とともに見慣れた施設への道を歩く。

 

「そうだ、朝倉さん、これ……」

 

「うん? これは……杏子のペンダントか」

 

「杏子さんから預かっといて、と。掃除の邪魔になるからって……」

 

「……そうか、杏子らしいな……」

 

 勿論、これは嘘だ。悪魔の話は信じて貰えないだろう。仮に信じて貰えたとしても、巻き込まれて殺されるのがオチだ。杏子の大切な人を、これ以上悲劇に巻き込む訳にはいかない。それでも、遺品くらいは持つべき人に返したかった。朝倉はしばらくペンダントをじっと眺めていたが、やがて孔のほうに向き直ると、ペンダントを差し出した。

 

「これは君が持っていてくれないか?」

 

「いや、しかし……」

 

「このペンダントは杏子の大切なお守りだったんだ。それを孔くんに託したということは、君のことを護って欲しいとお守りにお願いしたと思うんだ。だから、これからもキミがそのペンダントを持って、護って貰って欲しい」

 

 しっかりと目を見て言われた。メシア教徒の教義でも関係しているのだろうか。死者の意識をとても大切にしている言葉だ。孔はうつむいてうなずくしかなかった。嘘を重ねる自分が苦しい。そんな孔の葛藤を知ってか知らずか、朝倉は礼を言う。

 

「うん、ありがとう。きっと杏子も喜ぶよ」

 

 思わず見上げた朝倉神父の顔には、隠しきれない悲痛が見えた。

 

 




――Result―――――――
・邪鬼 アマノサクガミ 宝剣による斬殺
・メシア教徒 朝倉杏子 悪魔による喰殺
・愚者 山田老人 悪魔による撲殺
・愚者 山田婦人 悪魔による撲殺

――悪魔全書――――――

邪鬼 アマノサクガミ
 日本神話に登場する小鬼。天逆神と書く。天邪鬼(あまのじゃく)という呼称で知られ、天狗のように高い鼻と長い耳、獣のような頭をもつ。人の心と反対の行動をとり、不愉快にさせて楽しむという。民話・瓜子姫では、姫に化けるという一幕がある。

愚者 山田婦人
 ボランティア活動に参加している老人。引退した夫が一日中家で過ごすのを不憫に思い、ゲートボールにボランティアにと引っ張り回す。ずっと専業主婦だったため、ご近所とは強いネットワークを持っており、直ぐに夫を外に出るようにさせた。夫婦仲はよく、ボランティアでも一緒に休憩時間を過ごすことも多い。

愚者 山田老人
 ボランティア活動に参加している老人。引退してからは自宅に引きこもる事が多かったが、妻に連れ出され、人との交流に生き甲斐を見いだすようになる。特に最近はこども達とのふれあいが楽しいらしく、ボランティアの傍ら遊んでいるこどもに注意したりしては母親達に迷惑がられている。

メシア教徒 朝倉杏子
 メシア教会に属しながら、ボランティア活動に勤しむ女性。メシア教には父親の影響で参加しているが、布教や教会の運営等には携わっていない。メシア教の教えよりもボランティア活動を始めとした公共活動に興味をもち、将来は海鳴市市民課に就職すべく日夜勉強中。社会活動に積極的に参加しているせいか、高齢者やこども達に顔見知りが多い。代わりに同年代の友人(特に彼氏候補)が少ないのが悩みの種。祖母から受け継いだペンダントをお守りとして大切にしている。

メシア教徒 朝倉京一
 杏子の父親。厳格なメシア教徒で、協議に基づいて行動する。教会での地位も高い。ただし、教会の金で施設にお菓子を届ける等、その情熱から実行動を最優先としており、行き過ぎとして非難されることも。ボランティア活動に精を出す杏子には苦言を呈しながらも誇りを持っている。

――元ネタ全書―――――
 女性に化けるアマノサクガミ
真・女神転生Ⅰ。主人公の母親を喰らって化けたシーンから。イベント悲惨さに比して弱いのがまた何とも……。何かの雑誌で開発者が「あまりの残酷さにゲーム中では描写を削った」とか言っていた記憶が。
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