「……見つからねぇ」
山を飛ぶ。山と言っても眼下には温泉街らしく、点々と灯りがともっている。俺の知ってる話じゃこの辺にジュエルシードが転がってる筈なんだが……
「やっぱ、山ひとつは広すぎたか? サーチは使えないんだよなぁ。まだ発動してないし」
《Sorry, Boss》
全く見つからなかった。思わずデバイスに文句を言う。卯月が前に使ってたっていう中古だ。ワンオフじゃないのはこの際仕方ないとしても、インテリジェントデバイスじゃないせいか、サーチ不能を告げる機械音には全く謝罪の気持ちが感じられない。俺の知ってるS2Uはこんな機械的じゃなかった。前の持ち主の個性が映ったに違いない。
(こんな事なら卯月に任せてないで始めから全部拾いに行っときゃよかったな……)
今さら後悔しても後の祭だが、先に悪魔を使う軍勢に盗られたと言うのはあまり考えたくない。大体、悪魔なんていう非常識な輩なんて反則だ。
「まあ、考えても始まらない、か」
声に出して意識を切り替える。今日できる範囲まで探すか……。
――――――――――――修/温泉街上空
「はぁ? 温泉?!」
「そうだよ? 昨日、くじ引きで当たったの!」
翌日。寝不足で登校した修はアリシアの一言で眠気を吹き飛ばされていた。結局ジュエルシードを見つけられないまま探索を打ち切ったのだが、それはつまり何者かに持ち去られたか、まだ温泉近くに転がっているかのどちらかを意味している。
「それで、シュウやモブもどうかなって」
「おいおい、今の時期に温泉はちょっと……」
「あ、いいと思うよっ!」
異を唱えようとした修に割って入る萌生。キラキラと目を輝かせアリシアの提案に頷く。
「ねえねえ、いつ行くの? 明日?」
「うんっ! 土曜か日曜のどっちかって、お母さんが」
嬉しそうに話を進める萌生とアリシア。修は慌てた。せめてジュエルシードを探しだすか無くなったと確証が得られるまで引き伸ばさなければ面倒な事になる。何か言い訳を探そうと視線を巡らせると、すぐ横の空席が目についた。
「あー、でもよ、フェイトもなんか怪我して休み何だろ? もうちょっと先でもいいんじゃねえか?」
今朝、ホームルームでフェイトが怪我をして休みだと連絡があったのを思い出しながら話す。昨日は山中の温泉街上空を飛び回っていたため、修の魔力では遠く離れた町の反応を感知する事は出来なかったのだが、ジュエルシード関連で怪我をしたのならかなり大きな怪我の筈だ。
「う~ん? でも、フェイトちゃん、留守番中に階段から落っこちただけだから、大丈夫って言ってたよ?」
「はぁ? なんだ、階段かよ……」
返事を聞いて拍子抜けする修。心配して損したとはこの事だろう。露骨に脱力する修にアリシアは抗議を始めた。
「なんだってことないでしょ! 痛そうだったんだからっ!」
「あ~、悪かったよ。学校休む位なんだからもっと大きい怪我かと思ったんだ」
「ま、まあ。大した事なくてよかったじゃない?」
騒ぎ始める2人を止める萌生。しかし、アリシアは萌生の言葉に顔をしかめた。
「それがね、フェイトちゃん、最近なんか元気ないの。やっぱり、その……えっと……皆で一緒に行けば元気になるかなって」
(園子の事だな)
歯切れの悪いアリシアの言葉に先日の一件を思い出す修。萌生も相当無理をしているのだろう。明るく振る舞ってはいるが、授業中や登校中に声を殺して泣いているのを何度か見ている。自分の中で消化できない悲劇。それが唐突にフラッシュバックして、感情の爆発を抑えられなくなっているのだ。今も、アリシアの言葉から何かを感じ取ったのか泣き出しそうな顔をしている。
「じゃあ、まあ、あれだ。多い方がいいな。卯月とかには声かけたのか?」
それを見て、修は頷いていた。まだ時間もある。孔に頼めばプレシアに話がいって、超科学で見つけてくれるかもしれない。見つからなくとも危険だからと止めてくれるだろう。それに、あれだけ探して無かったのだから、もう誰かが持ち去った可能性もある。思いついた理由を自分でも言い訳と認識しながら心の中で並べ立てる修。精神的に不安定になっている萌生達を落ち着かせて、尚且つ止めるだけの言葉を修は持ち合わせていなかった。
「あ、ううん? これから」
そんな修の葛藤を知ってか知らずか、アリシアは無理矢理つくった笑顔で返す。萌生もそれに涙を拭って応えた。
「うん、それがいいよ。皆で、一緒にっ!」
雰囲気を壊さないため、造り出した空気。まるで痛いものに触れない様に造ったそれに、修は自身が締め付けられるのを感じていた。
そんな修達の話を遠くで聞いている人物が一人。なのはだ。盗み聞きしていた訳ではなかったのだが、朝から空席にしているフェイトがどうしても気になり、気がつけば少し遠い席の会話に聞き耳を立てていた。あの時は管理局と聞いてユーノに言われるままに攻撃してしまったが、改めて考えれば始めの電撃は自分を助ける為に撃ってくれた様に思える。
(……お話すれば、解ってくれたのかな?)
今になってあの時の行動が拙速だったと後悔するなのは。アリシアと修の話だと階段から落ちたと言っていたが、本当だろうか。自分が撃墜した時に怪我をしたのではないか。そんな疑問が頭に浮かぶ。
――きっと、家族にも分からないように利用されてるんだよ
同時にユーノの言葉を思い出した。自分だって家族には秘密で魔法少女をやっている。フェイトもきっと同じだろう。しかし、なのはにはユーノという相談役がいるが、フェイトは独りのようだ。きっと誰にも理解されず苦しんでいるに違いない。似た境遇にあるのなら、その苦しみは共感できる。手を差しのべる事が出来るのは自分だけだろう。だから、
(今度、ちゃんと話聞いて貰おう)
きっと話せば理解してもらえる筈だ。授業が始まってからもフェイトの席にチラチラと視線を送りながら、なのはは導き出した解答をすぐにでも実行したいとはやる心を抑えるのに苦心していた。
† † † †
「はあ、やっぱ、すずかがいないとつまんないわね……」
「うん……そうだね……」
授業が終わって昼休み。アリサは溜め息を吐きながらなのはと弁当を突っついていた。いつもと違い、すずかはいない。
「まあ、可愛がってた猫が死んじゃったんだし、しょうがないわよね?」
「そうだね……」
力のない声で呟くように言うアリサ。一度鮫島という家族を失っている彼女にとって、ペットとはいえ大切な存在がいなくなったのはそれなりにショックだったのだろう。それを紛らわせようとしているのか、いつもより少しだけ口数が多い。
「ゾウイって子猫、すずかのお気に入りだったし」
「そうだね」
が、なのはは心ここにあらずという様子で相槌を打っていた。これでは気が晴れない。
「……アンタさっきからそればっかりね」
「そう、だね」
思いっきり、頬を引っ張った。
「な、の、は~?」
「へ? いひゃいいひゃい!」
いつもと同じじゃれ合い。だが余計に虚しさが増したように思える。止める役のすずかがいないせいだろう。それに気づいたアリサは手を離した。「う~」と涙目になりながら見上げるなのは。アリサはそんななのはを見てようやく普段の雰囲気に近づいたのを感じる。なのはもそれを感じ取ったのか、ようやく抱えていたものを話しはじめる。
「あの、アリサちゃん。すずかちゃん誘って温泉に行くの、どうかな?」
「温泉って、あの遊園地みたいになってるところ?」
頷くなのは。皆で遊びに行けば、すずかも元気になるかもしれない。そんな意図を読み取ることが出来た。が、アリサは嫌な予感がした。すずかを心配して誘うなのはが、つい先日なのはを心配してお茶会を誘ったすずかと重なったのだ。なのははお茶会で立ち直った様だが、今度はあの化け物モドキのせいですずかがおかしくなってしまった。また、何か起こるんじゃないかと不安になる。
「あ、あの、アリサちゃん? ダメかな?」
「えっ!? ああ、えっと……う、うん。いいわよ? どうせ暇だし」
が、なのはに困惑を向けられ、慌てて頷いた。なんとなく不安、では否定する材料にならない。何より、そんな不安に自分まで煽られてせっかく立ち直ったなのはがまた落ち込んだりしたらことだ。
「じゃあ、メールしとくね?」
アリサの返事を聞いていそいそとメールを打ちはじめるなのは。
(大丈夫よね、すずかもヘアバンドあの温泉で買ったって言ってたし……)
アリサはそんななのはに、何故か消えない嫌な予感を持て余していた。
† † † †
学校を休んだすずかは、屋敷に併設されている研究室前で携帯の着信音を聞いていた。昨夜から一睡もせず研究室に連れ込まれたファリンとゾウイを待ち続けていたため、ポケットに入れっぱなしだったものだ。なり続ける携帯を取り出すすずか。しかし開くことはできず手に持ったまま固まる。
「すずかちゃん、大丈夫?」
昨日からずっと付き添ってくれたさくらが心配そうな声をかけてくれる。すずかはそれに小さく頷いただけで、再び研究室の扉に目を向けた。
「……ぁ」
しかし、すずかは小さく声を漏らした。自分の体が小刻みに震えているのに気付いたのだ。疲れきった頭の中で、すぐにその原因を理解する。それは恐怖だった。
(もし、アリサちゃんのメールだったら……)
何と書かれているだろうか。あの翼を生やした猫を前に夜の一族としての力を使ってしまった。聡いアリサなら、きっと自分を化け物と気付くに違いない。
――あんな気持ち悪い化け物!
いつかアリサが孔に向かって叫んだ言葉が響く。その言葉は孔の持つ力へ向けられたものだった。あの異常な人に排斥されるべき力を、自分も持っているとバレてしまった。次は自分にあの悪意が向けられるのだ。そして、それを慰めてくれる存在はもういない。その事実を前に、震えが止まらなかった。手の中の携帯が滑り落ち、ゴトリと音を立てる。震える手が涙で歪んで見えた。そのまま視界は歪み、
静かに響いた扉の音に中断された。
出てきたのは煤と油で体を汚した忍とノエル。すずかは涙がこぼれるのも構わず顔をあげ、忍に取りすがった。
「っ! お、お姉ちゃん、ゾウイ……ゾウイはっ!?」
「落ち着いて、すずか。ゾウイは大丈夫よ? ファリンも。ちょっと足りないパーツがあるから、もう少し時間はかかるけど、うん、そう、大丈夫よ」
泣きついたまま塞がれた視界に、姉の手が頭を撫でる感覚が広がる。ようやく僅かな希望を与えてくれた姉の優しさに、涙を拭って頷くすずか。そんなすずかの気を少しでも紛わせようとしたのか、忍は床に転がる携帯を拾いあげた。
「ほら、携帯、落としてるわよ? メールも来てるし」
なのはの名前が送信者に入ったメールが目の前に開かれる。おそらく、身内の携帯を操作するというマナーを無視してでも、姉は自分を立ち直らせようとしてくれているのだろう。しかし、すずかにとってそれは恐怖だった。未だ心の準備が出来ていない状態で、目の前に死刑執行を告げる書面が開かれたのだ。まるで暴力を目前にしたかのように、一瞬でその恐怖は広がっていく。
「っぁ!」
思わず短く叫び声をあげ、
「なのはちゃんからね。週末、温泉のお誘いよ? アリサちゃんも一緒みたいね」
すぐに忍の声に打ち消された。軽くメールを流し読みする忍を思わず見つめる。涙が頬を伝った。
「ほら。週末はすずかも遊びに行くんでしょう?」
しかし、その涙はすぐ忍に拭われる。やさしく手をとって、友達からのメールが開かれた携帯を手渡してくれた。画面にはお茶会のお返しにと週末の温泉旅行へのお誘いが書かれていた。そして、文末にはすずかを心配するなのはとアリサのメッセージが。
「……っ!」
頬を、再び涙が伝う。しかし、先ほどと違いその涙はやけに熱く感じられた。
「……すずかお嬢様」
同時に肩に感じたぬくもり。ノエルがやさしく肩を抱いてくれていた。それはいつか、ファリンが自分を慰めてくれたのと同じだった。
「っ! ぅう!」
「もう。泣いてばっかりじゃ、置いてかれちゃうわよ?」
忍も普段と変わらない調子で声をかけてくれる。それは、まるですずかを取り巻く環境がいつもと変わらずに続いていると告げるようだった。強い安心感を与えてくれるそれに、すずかは涙を止めることも出来ず、久々に家族に甘えていた。
(……温泉か)
そんな姉妹の様子を見ながら、さくらは胸をなでおろすと共に目を鋭くしていた。昨日、屋敷を襲った怪異。そして、同時に表れた御神流の暗殺者・夏織の存在。戻ってきた士郎によれば、彼女は何かしら目的を持って動いており、週末には温泉街でコンタクトを取ると言う。そこへ、なのはからの誘いである。
(士郎さん、止められなかったみたいね。その夏織って人がどういう脅しを使ったか知らないけど、こども達まで連れて巻き込むなんて……。週末、念には念を入れといたほうがいいわね)
何度も目にしてきた抗争。かつて恭也と忍に降りかかり、退けたはずのそれが再び音も無く膨らみ、犠牲を撒き散らしていく。そんな予感を前に、さくらは固く手を握り締めていた。
† † † †
「で、結局全員で行くことになったわけか……」
テスタロッサ邸前。修は車に乗りこむいつものメンバーを複雑な思いで見守っていた。行く、というのは勿論温泉へである。あれから何度かジュエルシードを探しに山へ飛んだりしたが、結局は見つけられず、こうして不安のまま当日を迎えることになった。
「えっ? でも修くんも皆で行こって言ってたよね?」
そんな修に声をあげる萌生。普段の制服と違い、無駄にフリルの多い、ヒラヒラした服を来ている。明らかに余所行きだ。修は溜め息を吐いた。
「ホントに楽しそうだな、お前」
「楽しみだよ? 皆でおみやげ屋さん見に行って、温泉入って、それから~」
予定を数え始める萌生に再び溜め息をつく修。そこへ、後ろから孔の声がかかった。
「まあ、たまにはパーっと遊ぶのも必要だろう?」
「まあ、そうなんだけどな……」
その声に答えながら振り返ると、着いたばかりの孔が車から降りて歩いてきていた。どうやら家族同伴らしく、孔を追いかけて飛び出そうとする妹とそれを注意しながら運転席から出てくる母親らしき人物、さらにはまだ年端も言っていない幼児の姿が見える。
「あ、卯月くんだ。おはよ」
おはよう。そう普通に萌生と挨拶を交わす孔に3度目の溜め息を吐く修。そんな修に孔から念話が届いた。
(そんなに暗くなるな。事前にプレシアさんに温泉街全域を調べてもらったけど、反応は無かったんだ)
(そうだけどよ。反応の無いジュエルシードが眠っている確率は精度から言って1パーセント以下、だろ? 逆に言うと1パーセントの確率でジュエルシードが出て来るんだぞ?)
修の目論見どおり、まだ探していない温泉街を見て回っているから助けて欲しいと言うと、孔はプレシアの協力を取り付けてくれた。なにやら自然界に溶け込む微細な魔力をキャッチするレーダーを使ったそうだが、それでも完全に存在しないという保証は得られなかった。プレシアが科学者であることを考えると当たり前といえば当たり前だが、外れ続けているとはいえ未来の知識を持つ修にとっては不安な事この上ない。
(そういう意味ではもう海鳴全域が危険地帯なんだ。それに、確率だけで見ると温泉街は他のエリアより低かったと聞いてる)
(ったく、今度からどっか行くときは海鳴の外にするからな俺は)
念話で悪態をつきながら、テスタロッサ邸の方に目を向ける。遠目にプレシアと孔の母親らしき人物が挨拶を交わしているのが見えた。さっきまでこっちに飛び出そうとしていたアリスもちょうど車に乗ろうとしていたアリシアと楽しそうに話している。
(違和感満載だな、おい)
あまりに普通の家族をやっているプレシア達にそんな感想を抱く修。知識上はこの一家が今回のジュエルシード事件のトリガーだった筈だが、こんなに平和でいいのだろうか。
(ていうか、もう俺の知ってる「話」からズレてんだよなぁ。まあ、良い方にズレてるみたいだからいいけど……)
そんな風に思いながらも、修の持つ未来の知識は警鐘を鳴らす。気を抜くべきでないと。
「ほら、修くん、卯月くんも。早く行こうよ? アリスちゃん達、待ってるよ?」
一度痛みを味わった以上、もうどうにも出来ないで済ませたくない。服を引っ張る萌生に頷くと、修は孔と一緒に車へと歩き始めた。
† † † †
「次っ! 次あそこ行こっ!」
「あっ! これ可愛い!」
「……女の買い物には付き合うなってのはホントだな、おい」
温泉街の土産物屋。萌生はげんなりする修を無視してアリス、アリシアとはしゃいでいた。萌生にとっては園子がいなくなってから初めての友達との外出であり、心にたまった淀みを洗い流すように振る舞う。
「ねえ、フェイトちゃん。フェイトちゃんはどれがいいの?」
「えっ? えっと……」
それは後ろで手持ち無沙汰にしているフェイトにも及んだ。土産物屋で売られているリボンを指差し、折角だからと薦めている。
「買わないの? ピンクも可愛いと思うよ?」
「あ、えっと、私は、その……」
フェイトの方は困ったようにチラチラとプレシアに視線を送る。萌生はその視線に気付いたのか、首をかしげて問いかける。
「フェイトちゃん、お母さんに買っちゃダメって言われてるの?」
「そっ、そんな事ないけど……」
まるで何かに怯えている様なフェイトの態度を見て、萌生は疑問だった。そういえば、車で移動している間もフェイトは常に母親に遠慮して縮こまっていたように思える。それは普段の「姉とは対照的なしっかり者」のフェイトとはほど遠いものだ。
「大丈夫だよ。アリシアちゃんもさっき買って貰ってたし」
そう言って空色のリボンを頭につけるアリシアを指差す。先ほどプレシアにねだって買ってもらい、結んでもらっていたものだ。本当に楽しそうにリボンを揺らすアリシアを見て、しかしフェイトは少し暗い顔で何処か諦めた様に呟く。
「い、いいよ。遊んで来なさいって言われてるし」
そう言いうと、フェイトは逃げるように修の方へと歩いていく。母親とは甘えるものであると無意識に理解している萌生にとって、フェイトがプレシアを前に自分を抑えているのは理解できない関係だった。
(フェイトちゃん、お母さんとケンカしたのかなぁ?)
そんな風に思いながら、プレシアの方を見る。ちょっとキツめの雰囲気があるけれど、優しくて綺麗なお母さん。それが萌生のプレシアに抱いた印象だった。その印象を崩すことのない横顔に見とれていると、視線に気付いたのかプレシアと目があった。ピンクのリボンを持ったまま手を振る萌生。プレシアも優しく笑って手を振り返してくれる。話しかけやすさを感じた萌生は、プレシアに駆け寄った。
「おばさんっ! フェイトちゃんにもね、リボン、買ってあげて?」
無邪気に叫ぶ萌生。プレシアは一瞬驚いたようにしながらも、萌生からリボンを受け取った。
「フェイトも、このリボンを買ってほしいって言ったのかしら?」
「ううん? フェイトちゃんは言ってないけど、きっと似合うと思うの。アリシアちゃんともお揃いだし」
「そう……」
短く頷きながらも、どこか固い雰囲気のプレシア。萌生は再び首を傾げた。
(アリシアちゃんの時と、なんか違うなぁ)
リボンでアリシアを飾るプレシアは、自分の母親と同じ様な柔らかい雰囲気があった。アリシアもそれを受け入れている。しかし、フェイトとはどこかぎこちない。萌生は必死に自分の経験を振り返って問いかける。
「フェイトちゃんのお母さんも、お仕事があったんですか?」
「え? いいえ。そんな事ないわよ?」
「う~ん、でも、なんかそんな感じだったから。私のお母さんも、お仕事で忙しいとあんまりお話してくれないんだよ?」
そんな萌生にプレシアはしゃがんで視線を合わせると、先ほどの優しい笑顔で話しかけてきた。
「モブちゃんは、私が怖いお母さんに見えたのかしら?」
「うーん? あんまり。でも、なんかフェイトちゃんとアリシアちゃんと違ったみたいだから」
無邪気に思ったままを口にする萌生。勿論、それがプレシアにとってどれだけの言葉かは理解していない。まだ幼い萌生は人の纏う雰囲気には敏感だが、そこからプレシアの複雑な感情を読み取ることまでは出来なかった。
「そうね。フェイトとはあまりお話してないわね」
「? おばさんはフェイトちゃんと遊んだりしないんですか?」
「……そうね。あまり一緒にいてあげられなかったかもしれないわね」
「じゃあ、今度フェイトちゃんが一人でいたら連れてくるね?」
プレシアのどこか寂しそうな声。萌生はそれをフェイトともっと遊びたいものだと理解していた。駆け出す萌生。振り向くと、複雑な笑顔で見送ってくれるプレシア。どこか引っかかりつつも、萌生にはそれが何なのか分からなかった。
† † † †
「うわー、広ーいっ!」
「あ、アリスちゃん、あれ、滝みたいになってるよっ!」
「こら、アリス。走ったら危ないわよ?」
「そうよ。アリシア。転んだら大変でしょう?」
夕刻。温泉街で遊んだ埃を落とそうと一行は温泉へ来ていた。未だ遊び足りずにはしゃぎまわるアリスとアリシアを、先生とプレシアが宥めている。もっとも、先生はアキラと手をつないでいるせいか、こども達を注意するのはプレシアが中心だ。
「……」
それをどこか不満そうに見つめる視線がひとつ。フェイトだ。ジュエルシードと遭遇した後、プレシアたちが帰ってくるより先に家に移転し、怒られることは無かった。訓練で怪我をしたと言えば納得してくれたし、魔法で治療もしてもらえた。初めて受ける母の治癒魔法はどこか不器用だが温もりがあった。しかし、やはり母の雰囲気は硬いままだ。
(なんで……)
今もプレシアの目はアリシアに行っている。自分がずっと夢に見続けてきたのと変わらない温もりが、無償の愛情が、自分ではない誰かに注がれている。そして、自分は遠くから見ているだけだ。
「ねえ、フェイトちゃん、早く入らないと風邪ひいちゃうよ?」
そこへ、脱衣所から出てきた萌生から声がかかる。
「あ、うん……」
生返事を返すフェイト。しかし、萌生は元気が無い様子のフェイトの手を取った。そのまま湯船に引っ張りながら楽しそうに問いかける。
「ねえ、フェイトちゃんも温泉始めて?」
「えっ? うん、始めて、かな?」
今日の萌生はなんだか強引だ。しかし、不思議と振り解く気は起こらない。
「温泉は、急に入っちゃダメなんだよ? かかり湯って言って~」
そのまま椅子に座らされ、お湯をかけられる。露天風呂になっているせいか、お湯はそこまで熱くなかった。何が楽しいのか、萌生は温泉をいっぱいに汲んではフラつきながら持ち上げてフェイトの背中を流している。
「モブ、重そうだけど、大丈夫?」
「ん~? 重いよ~? でも、お母さんが、温泉に言ったらフェイトちゃんの背中流してあげなさいって。そしたら、きっと元気になるって」
フェイトは思わず振り向いた。背中を流そうとしていたお湯が盛大に顔にかかる。
「わっ!? フェイトちゃん、大丈夫?」
「うぅ。平気」
うかつな自分に後悔しながら、目に入ったお湯を拭う。フェイトはどちらかというとお風呂は苦手だった。顔に水がかかるのは怖かったし、反射的に目を閉じてしまうため未だに髪を一人で洗えない。
「ゴメンね? 熱くなかった?」
「いいよ、もう……」
涙目になって謝る萌生に苦笑しながら、フェイトは立ち上がって湯船に入る。萌生がかけてくれたお湯で温まった体は、温泉の熱を直ぐに受け入れた。
「ねえ、モブ。モブのお母さんって、どんな人?」
「う~ん? どんなって言われても……普通かなぁ」
後ろでお湯を今度は自分にかけている萌生に問いかける。普通の家族。それがフェイトにはやけに重く響いた。自分の家族は普通と言えるだろうか。少なくとも、自分は絵本や道徳の教科書に出てくるような関係を築いているとは言い難い。
(姉さんと、違うから……)
そして、思考はどうしてもそこへ行き着いてしまう。自分と違い、暖かい家族の中にいるアリシア。どんなに訓練をしても、どんなに危険な任務に精を出しても、ずっと得ることが出来なかったそれに身を置くアリシアと自分をどうしても比べてしまうのだ。
「ねえ、フェイトちゃん。フェイトちゃんのお母さんって、綺麗な人だね」
いつの間にか、萌生はフェイトの横に座っていた。フェイトがじっと母親を目で追いかけているのを見て、同じように視線を向けている。ちょうど、プレシアがアリシアの髪を洗ってやっているところだった。
「フェイトちゃんも、髪とかお母さんに洗ってもらってるの?」
「私は……アルフがいるから」
フェイトは母親と姉から目を逸らしてそう答える。しかし、フェイトの家族に目を輝かせる萌生は止まらない。
「そっか、お姉ちゃんがいるんだっけ? いいなぁ。私も、お姉ちゃんがいれば洗ってもらえるのに」
「モブはお母さんに洗ってもらってないの?」
「うん。お母さん、お仕事で忙しいから……お風呂はいるときは、私一人かなぁ?」
昔は一緒に入ってたけどね。そう付け加える萌生に、フェイトは少し意外そうな顔をした。「普通の」家族を持っている萌生ならば、きっとアリシアのように母親に甘えていると思ったのだ。
「お母さんに、洗って欲しいって思ったりしないの?」
「う~ん? あんまり考えたことないなぁ。自分の髪だし。お母さんの櫛、目が細かくて私の髪だと引っかかって痛いし。フェイトちゃんはお母さんに洗って欲しいの?」
「それは……うん、まあ」
「じゃあ、お願いすればいいじゃない?」
フェイトは戸惑った。確かにその通りなのだが、フェイトにとってプレシアに「お願い」をするのは一大決心だった。以前のように拒絶される可能性を考えると、わがままを言って悪化するよりは今のままを選びたい。ただでさえ、この間留守番をしたいと言った時に心証を害している。しかし、それは萌生に通じない。
「あ、アリシアちゃん洗い終わった。次ぎ、フェイトちゃんの番だね?」
「えっ!? あ、ちょっと、モブっ?!」
視線に気付いて振り返るアリシアに手を振りながら、止める間もなく萌生はプレシアの元へと駆け寄っていく。慌てて後を追うフェイト。
「おばさん、フェイトちゃんがね、髪洗って欲しいって!」
が、一歩遅かったようだ。心の準備が出来ていない状態で、ずっと心に溜めてきた我が儘を言われてしまった。
「ち、違うんです! いや、あ、違わないけど、その、母さんっ!」
混乱した頭で必死にプレシアに許しを請うフェイト。今まで受けた「お仕置き」がありありと頭に浮かんできた。任務に「失敗」したとき、研究素材が少ししか集められなくて鞭で打たれたことがあった。ノルマに届かず、電撃で責められたこともあった。だから今回も、
「いいわよ。こっちにいらっしゃい」
そう思ったところで、プレシアのやさしい声が聞こえた。プレシアは一瞬驚いたような顔をしたものの、直ぐにやわらかい表情を浮かべてフェイトに手を差し伸べたのだ。
「えっ!?」
声をあげるフェイト。しかし、固まっているのも束の間、萌生に肩を押されてプレシアに寄りかかってしまう。
「っ!」
気が付くと、プレシアに抱きしめられていた。こんな風に母の腕の中にいるのはいつ以来だろうか。今までずっと憧れていた母の温もりが近くに感じられる。思わず顔を摺り寄せようとして、
「ほら。髪を洗うんだから、大人しくしていなさい」
「ご、ごめんなさい」
軽く注意された。縮こまるフェイト。そんなフェイトを椅子に座らせ、髪を梳きながらプレシアは優しく話しかける。
「ねえ、フェイト。フェイトはお母さんのことが怖いかしら?」
「っそ、そんな事……っ!」
慌てて否定するフェイト。しかしそれは自分の心理を的確に表していた。母親を求めるがゆえに拒絶されるのを恐れ、自分から近づく事ができずに「いい子」にして愛情を待つことしか出来なかったのだ。
「フェイト、ちゃんと目を閉じてないとダメでしょう?」
「あ、ご、ごめんなさい」
思わず振り返ろうとしたが、注意された。しかし、その言葉に棘は感じられない。普段とは違う、しかし夢で見続けてきたのと何ら違わない口調のまま、今度は念話が響いた。
(フェイト、足は大丈夫なの?)
(はっ、はいっ! 平気ですっ!)
その優しい声がフェイトにもたらしたのは混乱だった。夢にまで見た温もり。それが急に与えられ、簡単には信じられない。しかし、それ以上に強い、甘えたいという欲求。更には手を伸ばした途端拒絶されてしまうのではないかという恐怖。様々な感情がない交ぜになり、
(本当に? ロストロギア、追いかけたんでしょう?)
(だ、大丈夫です! リニスの防御結界もありましたし……)
(あら。やっぱりロストロギアだったのね)
気がつけば答えてはいけない問いかけに答えていた。血の気が引く。あっという間に感じていた温もりが消えていくのが分かった。お湯がかけられているにも関わらず、その温度は全く感じられない。それどころか、まるで水責めを受けているかのようにフェイトの恐怖を煽った。
(嘘をつくのは、悪い子よ)
「ご、ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!」
気がつくと、声をあげてプレシアに泣きついていた。先ほど感じた期待と欲望は無くなり、恐怖が頭の中を支配している。
(ほら、やっぱり。母さんの事、怖がってる)
しかし、優しい声は続いていた。
(フェイト、貴方にロストロギアを探さないように言ったのは、もう危ないことをして欲しくないからよ?)
(かあ、さん……)
恐怖が少しずつ収まっていく。
(今まで貴方には辛いこともさせてきたけど……それももうお終い)
ずっと聞きたかった言葉が、夢ではなく現実に。
(今まで気づいてあげられなくて、ごめんなさいね)
確かに聞こえた。想いを受け入れてくれたその声は小さいかったが、フェイトの心には大きな響きとなって伝わった。肩が震える。涙が止まらなかった。しかし、止めたいとも拭おうとも思わない。温かい母の手が、髪を洗いながら時々涙をすくってくれるから。
「ぅう、リニス、フェイトが、フェイトがぁ~」
「はいはい、嬉しいのは分かりますから、落ち着いて下さい」
そんな母子2人を見て泣きついてくるアルフを、リニスは頭を撫でてやりながら宥めていた。フェイトの使い魔であるアルフは魔力供給を受けるとともに精神リンクも繋いでおり、強い感情はある程度共有することができる。普段ならば鬱屈した感情しか伝わってこないそこから、ようやく待ち望んだ感情が、それもかつてないほど大きなうねりを伴って流れ込んで来たのだ。使い魔となって日が浅く精神的に未熟なアルフには、それを心に留める事は出来なかったのだろう。
(フェイトに幸せをもたらしたのは家族でも使い魔でもなくて、友達でしたか。ちょっと悔しいですね)
一方のリニスは喜びながらも何処か複雑な目を向けていた。孔によってアリシアを取り戻してから、「家族」という関係を互いに模索してきたリニスにとって、目の前の光景はまだフェイトが兵士として扱われていた時期からずっと求めてきたものだ。理想の家族とは何か定義する気はないが、アリシアとプレシアと同じような関係をという願いは、ほんの些細な一言であっけなく叶えられてしまった。
――じゃあ、今度フェイトちゃんが一人でいたら連れてくるね?
(……怖がって積極的になれなかったのは、私達の方かも知れませんね)
フェイトを引っ張ってプレシアに引き合わせた萌生を見て、そんな事を思う。過去に加えた虐待が負い目になって手を差し伸べることが出来ず、リニスもそれを見ている事しか出来なかった。
(コウ、私は貴方の使い魔として……役に立てているといいんですけど)
同時に現状を抱え込みがちな主を思う。未だ感情の起伏が伝わってこない精神リンク。プレシアの使い魔として過ごしていた時に流れ込んできていた激しい感情がなくなり、虚しさばかり残る。今度、向き合ってちゃんと話をしてみようと思いながら、リニスはフェイトの髪を拭いてやるプレシアを見守り続けていた。
→To Be Continued!
――悪魔全書――――――
使い魔 アルフ
※本作独自設定
普段はテスタロッサ家の次女として過ごしている、フェイトの使い魔。使い魔とは魔導師が死の直前または直後の動物に自身の魔力を送ることで使役する魔法生命体のことで、組み込む術式により術者が自我をある程度コントロールできるが、アルフは独立した個の意思を持っており、フェイトもそれを認めている。フェイトとは「ずっとそばにいること」を条件に契約を交わした。主とは対照的に非常に感情を表に出すことが多く、どちらかというとフェイトにたしなめられる事の方が多いようだ。
――元ネタ全書―――――
ゾウイ
偽典・女神転生、主人公の飼っていた猫型ペットロボット。悪魔にとりつかれて暴走し、主人公の母親を殺害した。なお、グラフィックは同ゲームの悪魔、妖獣ファンタキャットと似ている。
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