リリカル・デビル・サーガ   作:ロウルス

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――――――――――――

「よかったですね。フェイトちゃん」

 温泉から上がって騒ぐこども達を前に、先生が声をかけてくれる。モブちゃんと話すフェイトは、普段より随分柔らかい表情を浮かべていた。

「ええ。貴女と……こども達のお陰ね」

 一度我が儘を言わせてみてはとアドバイスをくれた先生と、フェイトに我が儘を言わせたモブちゃんに礼を言う。アリシアも欲しかった「妹」にご満悦だ。

(フェイト……これからもアリシアと仲良くしてあげてね)

 アリシアやリニスが望んだ家族。今後はそれがフェイトの役割になるだろう。それがフェイト自身の望みでもあったのだから。

 例えフェイトが私の娘でなくとも。

――――――――――――プレシア/温泉旅館



第14話c 胎動の戦線《参》

「はぁ、染みるな」

 

「年齢を感じる言い方だな」

 

 此方は男湯。広い温泉に2人の声が木霊する。名湯の名に恥じぬ湯煙と景観を眺めながら、修と孔は風呂に浸かっていた。シーズンオフな上にまだ早い時間。他に客がいない中で、こどもとは思えない感想を漏らす修に孔は苦笑を返す。未だ孔は修から未来の知識を持っているとは聞いていないものの、修が「前世」の記憶を持つ転生者だと知っているためごく自然な反応だとは理解できるのだが、見た目が同い年の少年だとどうしても戸惑ってしまう。

 

「お前が言うな。それに、こっちは萌生たちの面倒で疲れてんだ。引率の先生みたいにくつろぎやがって」

 

「悪いな。アキラの面倒も見ないといけなかったんだ」

 

 体を伸ばしながら文句を言い続ける修。つい先ほどまで温泉街で女性陣の買い物に付き合わされていたせいか、相当ストレスがたまっている様子だ。その間孔は先生とリニスの3人でアキラの面倒を見ながら遠目に4人を眺めている。くつろいでいると誤解されても仕方ないだろう。

 

「はぁ、まあ、いいんだけどな。しかし、こどもはタフだな」

 

「今は同い年だろうに」

 

 時折女湯から響いてくるアリスやアリシアの楽しげな声を聞きながら、修は溜め息を漏らす。それを窘めながらも、孔はそこにどこか空虚さを感じていた。足りない、と。

 

(……本来なら、大瀬さんも来る筈だった)

 

 そんな思いが頭を過ぎる。耳を澄ませば、自分が呪いをかけた彼女の声がはっきりと聞こえそうな気さえする。しかし、どんなに神経を集中させても、幻聴すら耳に入ってこない。

 

(あの呪いが無ければ、巻き込まなかったのだろうか。そうでなくとも、生きていれば、あの呪いも乗り越えることが出来たのだろうか……)

 

 今となってはもう絶対に実現不可能な仮定の話にしかなりえない。しかし、どうしても考えてしまう。生きていたときの可能性を、かかった呪いを乗り越え自分を正しく見てくれるようになった未来を。そして、病室の沈黙の中で待ち続けた愚かな自分が引き寄せた現実を。

 

「……なあ、デバイスもって来てるんだったよな?」

 

「? あ、ああ」

 

 一瞬出来た無言の時間を打ち破るように、修から声がかかった。湯船の端には孔のI4Uと修のS2Uが並べて置いてある。何かあったときすぐ動けるようにと手放さなかったものだ。

 

「なら、これ渡しとくぜ」

 

《Put off》

 

 修はそのS2Uを掴み、封印済みのジュエルシードを取り出した。Ⅹというシリアルナンバーが浮かび上がっている。

 

「これは……」

 

「園子のジュエルシードだ。ごたごたで渡せなかったからな」

 

 孔は差し出されたそれに手を伸ばそうとして――しかし自分の手が震えているのに気付いて止まった。

 

「どうした?」

 

「折井、俺は……受け取れないんだ」

 

 怪訝そうな顔をする修に、孔は話し始めた。あの時、病室で待ち続け、泣きながら帰ってきたリニスの話を聞いて、しかし涙を流すことは出来なかった事。その理由はおそらく知らずに発動させてしまった能力であり、強制的な好意を付与して偽りの想いを抱かせていた事。そして、それが無ければきっとすずかやアリサ達が向けているのと同じ憎悪を向けてくるという疑いを抱いていた事――

 

「正直、怖かったよ。俺を憎む人間がひとり増えると思うと。それで大瀬さんがバニングスさんみたいに傷つくと思うと。疑わずに信じていればよかったんだ。俺を信じてくれている大瀬さんみたいに。だから……」

 

「うるせえな」

 

 孔の声は、しかし修に遮られた。そこに怒りも悲しみもない。ただ、静かで落ち着いた声だった。目を見開く孔。

 

「これ持ってるとな、聞こえて来るんだよ。コウクンガワラッタ、サムイ、アッタメテってな。その度に俺は答えるんだ。連れてってやるから、俺からもそう頼んでやるからって。いい加減、重いんだよ。この宝石。俺はアイツと一緒に遊んだ思い出だけで十分なんだ。お前が持てば、こんな声聞こえなくなるだろ? お前が持てねえってんなら、プレシアさんに押し付けるぞ」

 

「……っ!」

 

 衝撃に息が出来なかった。なんでもない風を気取りながら、修が感じていた痛み。自分のことばかりで想像すら出来なかったそれを、初めて聞かされたのだ。自分のやったことに修は単純に怒ると思っていた。失望すると思っていた。しかし、目の前の友人は自分と園子に応えようとしている。そこには責める様子も、蔑む感情も無い。

 

「……いいのか?」

 

「俺に聞くな」

 

 すまない、孔はそう答えただろうか。あるいは声は出なかったかもしれない。ただ、震えることなく握り締めたその蒼い宝石から響いた声は確かに聞こえた。

 

――あったかい……

 

 足りなかった声だ。ずっと聞こえていなかった、いや聞こうとしていなかった声。目をつむってそれに浸る。

 

(きっと、この声はもう離れないだろうな)

 

 目を開く。ざぶんという音と共に水しぶきがかかった。顔を上げると、修が立ち上がっている。

 

「この後、宴会だろ? さっさと行こうぜ」

 

 もう終わり、とばかりにいつものように声をかけてくる。孔は礼の代わりに普段どおりに答えた。

 

「こどもの相手は苦手なんじゃなかったのか?」

 

「うるせーな。もう楽しむって決めたからいいんだよ」

 

 いつものやり取り。何も欠けていないと教えてくれる会話を修と交わしながら、孔は温泉を後にし、

 

 魔力に包まれるのを感じた。

 

 † † † †

 

 

「すずかのヘアバンド、やっぱり綺麗だったわね」

 

「それ、あそこで買ったんだね」

 

「うん。懐かしいなぁ」

 

 孔達が温泉から出る少し前。遅れて着いたなのは達一行も温泉に来ていた。なのは、すずか、アリサの3人は時々売店を覗きながら連れ立って脱衣場へと進む。

 

「那美、どうだ?」

 

「う~ん、悪魔に取りつかれているという感じは……」

 

 そんな3人を見守る影が2つ。リスティと那美だ。リスティは士郎に頼まれてこども達の監視をすることになり、那美はそのリスティに頼まれてなのはを改めて見る事になったのだ。「見る」というのは勿論悪魔がとりついていないか確認するという意味だが、

 

「この間、すずかちゃんを襲った悪魔の妖気は感じられません。リスティさん、本当になのはちゃんが人を撃つような事を?」

 

 結果はシロだった。普段と何ら変わらないなのはを見て、那美も疑問に思ったのだろう。とても信じられないという様子で見上げてくる。

 

「ああ。ボクも直接見た訳じゃないけど、状況証拠は固いみたいだ」

 

 そう言いながらリスティの方も疑問を感じていた。友達とはしゃぐなのはに悪魔が巣くっているとは想像がつかない。

 

(……別の可能性を考えた方がいいのも知れないな)

 

 そういえば、恭也も孔に理不尽な憎悪を向けていた。憑依ではなく、強制的に感情を操作させる様な相手かもしれない。そんな事を考えていると、なのは達に見知った影が近づいてくるのが見えた。

 

「ふーん、キミね、うちの子をアレしちゃってくれちゃったのは」

 

 アルフだ。温泉の方から出てきたかと思うと、なぜかなのはを激しく威嚇している。

 

「あんま賢そうじゃないし、強そうでもないんだけどなぁ」

 

「えっ? え?」

 

 露骨に挑発するアルフに戸惑うなのは。リスティは顔をしかめた。慎重な行動を心掛けているのにこれでは努力が水の泡だ。

 

(あれでは完全に小学生を苛める中学生だな。大人げないというべきか、なんというべきか……)

 

 溜め息を吐くリスティ。どちらかというと悪魔がとり憑いているのはアルフの方にしか見えない。そんな感想を抱きながら遠くで見つめていると、

 

「リスティさん?」

 

「ん? ああ、リニスさんか」

 

 後ろからリニスに話しかけられた。こちらも温泉上がりらしい。まだしっとりと肌を湿度で濡らしている。暴漢に襲われなければいいが。そう思いながら、リスティは視線をアルフへ向ける。

 

「あっはっはっ! ごめん、ごめん、人違いみたいだったよ」

 

 そこには高笑いするアルフがいた。

 

「アレは何かの作戦なのか?」

 

「……いえ。私が忠告を怠った結果です。申し訳ありません」

 

 謝るリニスに頭を押さえるリスティ。どうやらアルフの独断だったようだ。先日の一件で現場に居合わせたなのはを見咎め、因縁をつけに行ったのだろう。那美はそんな2人の心中を察したのか、アルフへと近づいていく。

 

「アルフ? 何してるの?」

 

「ん? ナミじゃないか。どうしてここに?」

 

 話しかけてきた那美に驚くアルフ。間髪入れずに那美は普通の会話にすり替える。

 

「美由希――そこのなのはちゃんのお姉さんだけど、その人に誘われて一緒に温泉に来てたんだよ? アルフは?」

 

「ああ、あのお嬢……フェイトのお姉さんが温泉のチケットを当ててね。家族で来たのさ」

 

「ふうん。それで、家族が迷子になっちゃったから、探してたんだよね?」

 

 そして、いきなり話題を変えた。

 

「へっ? いったい何のこ……」

 

「大丈夫。迷子ならさっき見かけたから。ごめんね、なのはちゃん。アルフがちょっとよく似た女の子を探してたみたいだから」

 

 根は単純なのか、ついていけずになすがままのアルフ。那美はそんなアルフを強引に引き離す。普段説得による除霊を得意としているだけに、言葉での扱いはうまいものだ。

 

「……申し訳ありません。よく叱っておきますので」

 

「いや。リニスさんのせいではないよ」

 

 相変わらず苦労している様子のリニスを軽くフォローするリスティ。そういえば孔も妹のアリスに同じような反応をしていた。なのはと恭也といい、どうも自分の知っている姉妹や兄妹というのは似ない上に苦労するものらしい。そのなのはも、戸惑うアリサとすずかと共に訳が分からないといった様子できょとんとしている。リスティは3人から目を離さずに続けた。

 

「それより、実は今、士郎さんが夏織――この間の事件に一枚噛んでいた人物だけど、その人と話をしていてね。ボクはその間、なのはちゃんの警護と監視を頼まれてるんだ。リニスさんも十分注意してくれ」

 

「大丈夫なんですか? 何か協力できることがあれば……」

 

「いや、今のところ大丈っ!?」

 

 普通にレジャーを楽しんでいる様子のリニスに遠慮して申し出を断ろうとした矢先、リスティは言葉を止めた。なんと、視界から掻き消えるようにしてなのは達3人がいなくなったのだ。

 

「これは……結界ですねっ! なのはちゃん達を切り離したみたいですっ!」

 

「魔法はこんな至近距離から誘拐まで出来るのかっ!?」

 

 慌てて3人がいたあたりまで駆け寄るリスティとリニス。周囲を見渡すリスティをよそに、リニスは手を掲げた。手元にある腕輪が光り、形を変え始める。小さな宝石をあしらったそれは膨れ上がり、杖状に姿を変えた。そのまま何もない空間に杖をかざすリニス。リスティには見えないが、結界の解析とやらを始めているのだろう。

 

(ちょうど士郎さんが依頼を受けている頃か! 何かトラブルがあったか、事前になのはちゃん達を人質にしようとしていたと見るのが妥当だなっ!)

 

 冷静さを保とうとしながらも苛立ちを隠せないリスティ。夏織という人物が何の依頼を持ってくるのか不明だが、相手は月村邸での一件を引き起こした上に、なのはを取り込んでいる可能性が高いという。魔法を使っても不思議ではない。

 

(今度はやられて終わるわけにはいかないな)

 

 壊されたゾウイとファリンに悲しみに沈むすずかを思い出し、リスティは士郎に同行しているさくらと連絡を取るべく携帯を取り出した。

 

 

 † † † †

 

 

「サイバース・コミュニケーション社CTO・氷川氏の護衛、それが依頼か」

 

「そう。3日後、メシア教会のトールマン氏と2時間の面会を予定しているわ。貴方は氷川が会社を出て、会談が終えるまでガードして貰えばいいのよ」

 

 時はわずかに遡り、温泉施設に設けられた喫茶店。士郎は夏織から依頼を受けていた。横にはさくらも一緒だ。夏織の方は一人だが、これは余裕の現れだろうか。緊張した様子の士郎とさくらとは対照的に、夏織は月村邸であった時と同じ笑みを浮かべている。

 

「大手通信企業の重役が何故宗教団体に?」

 

「さぁ? そこまでは私も知らないわ。私はただ依頼を受けて斡旋してるだけよ」

 

(嘘もいいところだな)

 

 心のなかで毒づく士郎。いくら裏社会といってもルールは存在する。御神流のようにそれなりに名の通った相手へ依頼をするなら理由を話すのが当然だし、斡旋する側も依頼人の目的ぐらいは独自に調査し直すなりして裏をとるものだ。それを知らないで済ます当たり、完全に舐められているといっていい。

 

(タイミングからいって夏織が依頼人と関係があるのは明白だった。背後に何かあるのがバレるのを見越して、敢えて挑発か。俺が断れないのを分かっているみたいだな……っ!)

 

 つくづく嫌な女だ。そう思いながら憮然とした眼を夏織に向ける士郎。夏織は相変わらず嘲笑ともとれる笑みのまま問いかけてきた。

 

「あら、怖い顔。そんなんじゃ、なのはちゃんに嫌われちゃうわよ?」

 

「お前が巻き込んだんだろうっ!?」

 

「あら、私は父親失格の誰かさんに構ってもらえなくて寂しそうにしてた迷子の背中を押してあげただけよ?」

 

「何をっ!」

 

 なのはの名前を出されて、遂に士郎は立ち上がった。月村邸での一件の後、なのはは温泉のチケットを持っていた。聞くと、夏織に渡されたのだという。ご丁寧に友達も一緒に誘える様にと複数枚いっしょに、だ。

 

――夏織さんが連れてってくれるって言ってたけど、どうせならお父さんも一緒がいいの。ダメ?

 

 そのチケットを持ってねだるなのは。恐らく夏織の入れ知恵なのだろう。普段なのははあまり我が儘というのを言わない。以前フェレットを飼いたいと言ってきた事があったが、それが初めで最後だったくらいだ。

 

 無論、止めようと思った。

 

 しかし、まるで監視しているかの様なタイミングで夏織から電話がかかって来た。

 

――あら、一緒に行かないの? なら、なのはちゃんは私が連れていくわね?

 

 告げられた言葉に危うく携帯を握り潰す所だった。どうあってもなのはを人質にしたいらしい。現に今日に至るまでなのはをどうにかして夏織から引き離そうとしてきたが、必ず視線が張り付いていた。下手に動くと登下校中に誘拐でもされかねない状況だったのだ。

 

「士郎さん」

 

 そんな士郎をさくらが止める。士郎は苦い顔をしながらも席に座り直した。

 

「……依頼の条件は何だ?」

 

「日本円で2万よ。前金で1万貰えるわ」

 

 平然といい放つ夏織。単位は慣例ならば千である。単純な要人警護としては破格の大金といえた。

 

「氷川といえば、冷利で通った人物だろう? 金銭感覚は強い筈だ。何故そんな大金を?」

 

「さあ? そんな怖い顔で私に詰め寄っても知らないわよ?」

 

 士郎の疑問に答える気はないのか、クスクスと笑いながら混ぜっ返す。士郎は険悪な声を出した。

 

「……依頼の裏を答える気はないということか」

 

「ええ。理解が速くて助かるわ」

 

 そう言って立ち上がると、スーツケースを置いて出ていこうとする夏織。中には前金が入っているのだろう。これを受け取れば引き受けた事になる。

 

「待ってください! まだ引き受けるとは言っていません!」

 

 流石にその態度に業を煮やしたのか、さくらは立ち上がって引き留めた。それに夏織はニヤリと口元をつり上げる。

 

「そう? じゃあ、なのはちゃんにやって貰おうかしら?」

 

「何だと? どういう意味だっ!?」

 

 そのまま店を出て廊下を歩き去ろうとする夏織に追いすがる士郎。夏織はそれを待ち受けていたかのように振り替えると、窓の外を指差した。

 

「そんなに騒ぐと、外の奴等に聞こえるわよ?」

 

「なっ!?」

 

 窓の外を見て目を見開く士郎。見下ろした駐車場には、頬に向こう傷のある男が此方を見上げていた。狐の様に細い目と目が合う。自分でも見開いていた目に力がこもるのが分かった。

 

「さあ、どうするの? 宿敵の殺し屋が今度は貴方の家族を狙ってるわよ?」

 

「夏織、お前……っ!」

 

「追わないの? また遅れちゃうわよ?」

 

 そんな士郎に夏織が挑発の言葉を続ける。おそらく、長らく裏の仕事から離れていた自分を試そうというのだろう。親友を奪ったその殺し屋を雇い、家族にけしかけることでかつての悲劇を思い起こさせ、力を振るわざるを得ない状況を演出する。

 

「っく!」

 

 怒りと苦痛の入り混じった声をあげ、士郎は駐車場へと走る。このまま放っておけば、本当になのはまで奪われてしまうかもしれない。

 

「ちょっと、士郎さん?!」

 

 店員に支払いを済ませ出てきたさくらの声が廊下にこだまする。しかし、士郎は止まらない。ゆっくりと事情を説明している暇も、自分の過去にさくらを巻き込むだけの余裕も持ち合わせていなかった。

 

 

 

「感情的なところは相変わらず、ね。貴女もそう思うでしょ?」

 

「……なのはちゃんに何したんですか?」

 

 そんな士郎を嘲笑うかのように問いかけてくる夏織に、さくらは詰め寄った。

 

「あら、士郎と同じ事を聞くのね? 心配しなくても、何もしていないわよ? 監視までつけていたんだから分かるでしょう?」

 

「なら、士郎さんが走って行ったのは何ですか?」

 

「さあ? 化け物でも見つけたんじゃないかしら? 心配なら、さくらちゃんも追いかけたら? 大事ななのはちゃんが大変な事になっているかもしれないわよ?」

 

「私は貴女を監視するのが役目ですから」

 

 いちいち感情を逆撫でする様な言葉で挑発してくる夏織に、さくらは分かっていながらも眉をひそめた。それでも何とか冷静さを保って答える。何かあったとき、この女を抑える事ができるのは自分だけなのだ。

 

「そう。流石夜の一族のトップね。でも……」

 

 しかし、夏織は余裕を崩さない。携帯に手をかけると、通話ボタンを押した。

 

「やってちょうだい」

 

 思わず身構えるさくら。相手を見据えると同時に、周囲からの襲撃に神経を尖らせ、

 

「なっ!」

 

 夏織が煙のようにかき消えた。思わず駆け寄るさくら。

 

「残念。貴女の監視は失敗ね?」

 

 後にはからかう様な夏織の声だけが響く。周囲を見渡しても、気配すら感じられない。

 

(消えた? そんな……いや、悪魔と通じてるなら考えられなくもない、か……!)

 

 自分の迂闊さに歯噛みするさくら。同時に携帯が鳴った。リスティからだ。

 

 

 † † † †

 

 

「えっ?!」

 

 急に結界に包み込まれ、なのはは思わず声をあげた。前を歩くアリサとすずかが不審そうに振り返る。

 

「どうしたの? なのは?」

 

「うっ、ううん! 何でもないよ」

 

 反射的に誤魔化したが、頭の中は疑問でいっぱいだ。ジュエルシードが発動していないのに、なぜ結界に飲み込まれたのか。その疑問に答える様に、客室に置いてきたユーノから念話が入った。

 

(なのは、安心して。結界を発動させたのは僕だ。発動前のジュエルシードを夏織さんが見つけたから、結界で切り離したんだよ。他のお客さんに見られると面倒だからね)

 

(わ、分かったけど、すずかちゃんとアリサちゃんが……)

 

(うん。近くにいたから巻き込まれたみたいだね。夏織さんもそっちへ向かってるから、温泉で一緒に待っていればいいよ)

 

 何でもないように言うユーノ。なのはは魔法に友達2人を巻き込むのに若干の抵抗を覚えたが、その思考はアリサに遮られた。

 

「何でもないって……大丈夫なの?」

 

「うん、えっと、その、着替え、忘れちゃったかなと思って……」

 

「なに言ってんの。手に持ってるでしょうが。ボケるのもいい加減にしなさいよね?」

 

「あ、あはは。まあ、なのはちゃんも勘違いだってあるよ」

 

 いつもと変わらない様子の2人に流され、温泉の中へ入っていくなのは。どこか引っかかるものを感じながらも脱衣所で服を脱ぐ。

 

(ど、どうしよう……)

 

「ほら、なのはも早くしなさいよ」

 

 しかし、その葛藤に答えを出す前に急かされる。迷っているうちにアリサとすずかは温泉に浸かってしまったようだ。慌てて浴場へ入ると、湯煙の奥に2人がくつろいでいるのが見えた。

 

「ふー、やっぱ温泉は気持ちいいわ」

 

「アリサちゃんって、温泉にはよく来るんだっけ?」

 

「そうよ。ここ、お父さんの会社が作ったって言ってたし」

 

「えっ? そうなの?」

 

 結界の中と言っても、常人からすれば何ら変わりはない。それを証明するかの様に、いつもと変わらない様子で話す2人。が、なのはは何処か落ち着かない様子でチラチラと出入り口に視線を送り続けていた。

 

「そうそう。フリーパスも貰ったから、後で卓球とかできるわよ? あ、でも、なのはは運動苦手だっけ?」

 

「あ、あはは。そんなことないよね、なのはちゃん?」

 

「へっ?」

 

 話題を振られても上の空だ。何せ現在進行形で魔力の真っ只中に放り込まれ、ジュエルシードという危険物が迫っているのだ。リラックスして友達と話すどころではない。が、もちろんそれがアリサに理解されるはずはなく、

 

「ちょっと、なのはっ!? さっきからどうしたのよ?」

 

「あ、ご、ごめん。ちょっとのぼせちゃったかなって」

 

「こんなに早くのぼせるわけないでしょ! アンタ、ホントに大丈夫? この間は急にいなくなっちゃうし……また変な化け物なんかいたんじゃないでしょうね!?」

 

「う、ううんっ! いない、化け物なんていないよっ! この間もユーノ君が猫に追い回されてただけで、変な化け物なんかいなかったし……」

 

 2人を巻き込む訳にはいかない。ジュエルシードを知らない筈のアリサが何故化け物を知っているのか疑問に思う暇もなく、なのはは叫ぶ様に否定する。そして、その無駄に力の入った否定は余計にアリサの不審を買う結果となった。

 

「猫なんて大したことなかったでしょ?! 私が聞いてるのは化け物の話っ! アンタ、なんか隠してるんじゃないでしょうね?」

 

 そう言いながらなのはの頬を引っ張るアリサ。なのはは涙目になりながら訴える。

 

「ほ、ほんあほとないほ?!」

 

「ホントに? ホントに化け物とかいなかった?」

 

「ホントだよぉ」

 

 途中で解放された頬をさすりながら、恨めしそうにアリサを見る。アリサはようやく安心したのか、いつもの調子で問いかけてきた。

 

「もう。折角すずかの気分転換に来てるんだから、アンタまで変にならないでよね」

 

「にゃ、にゃははは。ごめんね、すずかちゃん」

 

 アリサを笑って誤魔化しながら、なのははすずかに向き直って謝る。しかし、すずかからはどこか上の空の返事が返ってきた。

 

「えっ? あ、うん……」

 

「もう、今度はすずか? あの化け物のことなんか気にしない方がいいわよ? アンタがやっつけたんだし」

 

「っ! ア、アリサちゃん……」

 

 アリサの言葉に目を見開くすずか。なのははその言葉にようやく疑問を持った。すずかが化け物をやっつけたとはどういうことだろうか。

 

「あ、あのっ! アリサちゃん、化け物って……」

 

「ああ、アンタは遅れてきたから知らないんだったわね」

 

 アリサは先日の一件を簡単に説明した。なのはが出ていった後、孔の格好をしたナニかに襲われた事。羽の生えた猫が出てきた事――

 

(それはジュエルシードのせいだね。発動したジュエルシードの魔力の一部が流されて、その子の恐怖を実体化したんだと思うよ)

 

 なのははそれをユーノの念話とともに聞いていた。どうやら知らないうちに2人をジュエルシードに巻き込んでしまっていたらしい。思わず声をあげるなのは。

 

「そ、それでっ!? それで大丈夫だったの?」

 

「うん。大丈夫だったわよ? なんかあの猫が黒幕だったみたいで、それはすずかがやっつけたし」

 

「す、すずかちゃんが?」

 

「ち、ちがうよ……そんな、やっつけたなんて……」

 

 驚愕したなのはの視線にビクリと肩を震わせるすずか。すずかは絞り出すような声でそれに答えた。しかし、今のなのはに、様子がおかしいすずかを気づかう余裕はない。魔法を使っても簡単には封印できないジュエルシードの暴走体を、すずかはどうやって倒したのだろうか。その答えはユーノが念話で告げてくれた。

 

(封印したわけじゃなく、物理的に破壊したんだね。所詮、ジュエルシードそのものを核としていないただの魔力の暴走現象だから、放っておいても消滅しただろう)

 

(ぶ、物理的にって……)

 

(多分、殴ったんじゃないかな?)

 

「な、殴ってやっつけたのっ!?」

 

「っ!?」

 

 素手で暴走体を倒したと聞かされ、思わず声に出して叫ぶなのは。すずかはびくりと肩を震わせる。慌ててアリサがそれを咎めるように言葉を足した。

 

「ちょっと、なのは。そんな大声出すことないでしょ。大体、あの猫、来てくれたリスティさんに銃で撃たれてたし」

 

 そういえば、確かに兄の知り合いだというリスティも月村邸に来ていた。リスティが刑事だと知っているなのはは、泣き崩れるすずかを見てまた誰か亡くなってしまったのかと嫌な予感がよぎったのだが、死んだのが猫だと聞いて拍子抜けしたのを覚えている。親友とも呼べる存在のペットが死んだのだからそういった感情を持つのはよくないと分かってはいるものの、最悪の予感は裏切られある種の安心感を覚えたのも事実だ。

 

(きっと、あの片鱗が呼び起こした恐怖を乗り越えたんだよ。その子の恐怖を実体化させている以上、本人にしか消すことが出来ないからね)

 

 しかし、ユーノの念話と目の前のすずかの様子を見て、なのはは自分の考えがいかに軽いものだったのか思い知らされた。すずかは無理やり恐怖を目の前に引きずり出され、苦しんでいたのだ。そして、自分がもっと早く封印していれば、こんなに友人が苦しむこともなかったはずだ。

 

「もう、気にすることないでしょ? 化け物なんてやっつけて当たり前なんだから」

 

「そうだよ。気にすることないよ」

 

 だから、アリサとともになのははすずかに声をかけることにした。2人の言葉にすずかは一瞬涙を浮かべたものの、すぐ表情を消して俯く。

 

(すずかちゃん、やっぱり怖かったんだ……)

 

 すずかを見て、そんな風に思うなのは。孔のような気持ち悪い男の子が大量に湧いて出てくるなどトラウマものだろう。なのはは続けて声をかけようとして、

 

「あら? なのはちゃん」

 

 逆に声をかけられた。振り向いた先にいたのは、夏織。自然な動作で温泉に入り、なのはの隣へと座る。

 

「か、夏織さんっ!?」

 

「なのは、お知り合い?」

 

「ええ、なのはちゃんのお父さんと仕事でお付き合いをしているのよ」

 

 疑問を浮かべるアリサに微笑で答える夏織。相変わらずの余裕だが、なのはの方は目の前にジュエルシードを持ってきたであろう人物にそれどころではない。

 

「あっ、あのっ! 夏織さんっ、その……」

 

 ジュエルシードと言おうとしたが、友達2人がいることを思いだし、慌てて言葉を引っ込めるなのは。夏織は笑いながら、

 

「なのはちゃんの落とし物なら、ちゃんと見つけておいたわよ? ほら」

 

 レイジングハートを差し出した。秘密の象徴を晒され、ポカンと固まるなのは。が、何も知らないアリサは歓声をあげる。

 

「うわぁ。綺麗なペンダントじゃない」

 

「昔、お祖母さんから貰ったのよね?」

 

 大嘘を平然とつきながら紅い宝石を手渡される。思わず受け取ってしまったが、未だ固まったままのなのはに念話が届いた。

 

(なのは、夏織さんに話を合わせるんだ。それがないとジュエルシードを封印出来ないだろう?)

 

「えっ?! う、うん。……じゃない、えっと、ありがとうございます?」

 

 なんとかそれに応えようとするが、動揺のあまり片言になってしまった。夏織は苦笑しながらも、こどもを注意する先生のように続けた。

 

「それより、フリーパスで遊ぶんでしょう? あまり長湯だと閉まっちゃうわよ」

 

 どこから聞いていたのだろうか。そんな疑問を口にする間もなく夏織は立ち上がり、浴槽を出て体を洗い始めた。慌てて後に続く3人。

 

「なのはちゃん、折角だし、髪洗ってあげましょうか?」

 

「えっ、えっと……」

 

 途中、そんな風に声をかけられた。戸惑うなのは。こども扱いされたくないと思う一方、この父親に似た人物に甘えてみたいという葛藤があった。夏織はそれを見透かした様に返事を待たず背に回ると、なのはの髪を洗い始める。

 

「折角綺麗な髪なんだし、下ろしてもいいんじゃないかしら?」

 

「は、はい……」

 

 気の抜けた返事をするなのは。悩んでいるうちに流されてしまった。そのまま断る気も起きず、結局夏織の与えてくれる心地よさを受け入れる。

 

(髪洗ってもらったの、いつだっけ……?)

 

 時おり目に写る傷だらけの腕を見ながら、なのはは背中からくる安心感に身を任せていった。

 

 

 † † † †

 

 

「誰もいないわね? まだ閉まる時間じゃないのに……」

 

 温泉から上がったなのは達に夏織を加えた4人は卓球場へ来ていた。温泉と言えば定番すぎる施設であり、先に桃子や美由希が先に遊んでいる筈――実際には打ち合わせを終えた士郎と温泉に入っていたなのはの合流ポイントであり、2人は夏織達の注意を分散させるため先に卓球場に来る予定だった――のだが、そこには誰もいなかった。

 

「あ、えっと……」

 

 事情を知っているなのははそわそわし始めた。思わず夏織を見上げる。夏織はそれに軽く微笑んで、

 

「アリサちゃん、だったかしら? お父さんの会社なら、シドさんとはあった事はある?」

 

「あっ、はい。夏織さん、知ってるんですか?」

 

「ええ。一緒に仕事をしたわけじゃないけど、個人的にね。確か、いまその人がここの支配人に仕事で挨拶に来てる筈だから、悪いけどすずかちゃんと2人で3階の支配人室まで行って、卓球場を使いたいって言ってきて貰えないかしら? きっとアリサちゃんとすずかちゃんが行けば喜んで使わせてくれるわよ?」

 

「えっと……いいんですか?」

 

 さすがに仕事中に訪ねに行くのに抵抗があるのか、首をかしげるアリサ。夏織は頷く。

 

「大丈夫よ。前もって社長の娘さんとそのお友達が挨拶に行くかもしれないって伝えておいたし。今頃気を揉んで待ちきれなくなってるんじゃないかしら。私はなのはちゃんと桃子さん達が来るのをここで待ってるわ」

 

「えっと……じゃあ、ちょっと行ってきます。すずか、行くわよ?」

 

「あっ……うん」

 

 初めて聞くその話にアリサは頷く。どこか戸惑った様子を見せたものの、なのはと親しく、かつ先に父親の部下の名前を出した夏織に納得したようだ。父親の仕事先の相手なら、下手な対応はできないのをこどもながらに理解しているのか、軽く服装を確認するとすずかの手を引いて歩き始めた。

 

「ようやく2人っきりになれたわね」

 

 階段を昇って行った2人を見送って、なのはに向き直る夏織。同時にジュエルシードをポケットから取り出し、なのはに差し出した。

 

「あっ! か、夏織さん、それっ!?」

 

「まだ発動していないみたいだけど、封印してもらえるかしら?」

 

「は、はいっ! レ、レイジングハートっ!」

 

《Yes, My Master. Sealing Mode, Stand by Ready》

 

 慌ててレイジングハートを起動するなのは。レイジングハートは主の意思を忠実に実行し、ジュエルシードを封印、自身の中に格納した。

 

「封印……出来た……」

 

「ええ。誰も被害を受けていないわ。よかったわね、なのはちゃん」

 

 そう言って頭をなでてくれる夏織に、なのはは笑みを浮かべた。何のとりえもない自分が、ついに魔法という特技を覚え、それを淡いあこがれを抱くほむらと父親を感じさせる人物に褒められたのだ。その上、今度は友達と家族を守りきることが出来た。

 

「にゃはは、夏織さんのおかげです」

 

「いいえ。封印したのはなのはちゃんなんだから、貴女の力よ?」

 

 うまく友達を分断し、助けてくれた夏織に尊敬の念とともに礼を言うなのは。夏織はそんななのはを褒めると同時に笑みを深め、ある人物の名を口にした。

 

「ところで、なのはちゃん、学校に高尾祐子先生っているの、知ってるかしら?」

 

「あ、はい。時々特別授業をしてもらってます」

 

「じゃあ、その先生が長期の課外授業を企画して生徒を募集しているの、知ってる?」

 

 なのはは首を振った。もともとその高尾先生は高等部の先生であり、何度か授業を受けたことがあるとはいえ、そこまで親しくしているわけではない。

 

「そう、じゃあ……その課外授業でジュエルシードを探してるのは?」

 

「へっ?」

 

 声をあげるなのは。身近に魔法と関わる存在がいるとは全く知らなかった。

 

「そんなに驚くことは無いわ。危険なジュエルシードが生徒を傷つけたら大変でしょう? 裕子の事は私もよく知ってるから、協力をお願いされたのよ?」

 

「そ、そうなんですか?」

 

 あまりのことに理解が追い付かない。しかし、次の夏織の一言は間違いなくなのはの心を動かした。

 

「なのはちゃん。貴方は魔法にすごい才能を持っているわ。お友達を守るため、課外授業、参加してくれないかしら?」

 

 眩しい光に満ち溢れた誘惑の言葉。しかし、なのははそれに何の疑問も抱かず、

 

「はいっ!」

 

 勢いよく頷いていた。初めて人に認められ、求められた喜びが、友達や家族を守るという使命感が、少女の中の正義感を燃え上がらせ、新たな決意を抱かせた瞬間だった。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

愚者 高町士郎
※本作独自設定
 なのはの父。現在は海鳴市の喫茶店『翠屋』でマスターを務めているが、以前は御神流を生かしたボディガードを生業とし、裏社会でも名前が通った存在だった。テロ事件で重傷を負った事をきっかけに荒事からは身を引くが、当時の仕事の苛烈さを物語るように全身に傷跡が残っている。未だ剣の腕は衰えておらず、恭也や美由希に練習をつけたり、アドバイスを送ることも。趣味は多岐にわたり、サッカーチーム翠屋JFCのコーチを引き受けている。

――元ネタ全書―――――

頬に向こう傷のある男
 ペルソナ2罰。もうこの表記で分かる人には分かると思いますが、今回はあのシーンとのクロスです。

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