リリカル・デビル・サーガ   作:ロウルス

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――――――――――――

 おかしな夢を見た。

 赤い通路みたいな所、アリサがこっちに向かって手を振っている。
 いつもみたいに身体全体を使って意思を伝えようとするアリサに、思わず頬が緩む。

「先生っ! あっち、コウがっ!」

 でも、アリサが必死に合図を送っていることに気づいて、
 そっちを見ると、孔がリニスさんと走っていて、

――ダメ。
――そっちへ行ってはダメ。

――私は、また失ってしまう!

 悪寒が走って、

「駄目よ! 孔、この先は危険なの! リニスさんもやめて! 止めても無駄なのは分かってるっ! でも、あなたがいなくなったら私はどうすればいいのっ!」

 そして、自分の声で目が覚めた。

 いつもと変わらない午後の施設。隣には、甘えるように身を寄せて眠るアリス。不吉な夢の余韻を誤魔化すように軽く頭を撫でると、アリスはくすぐったそうに身をよじる。

(孔もいればよかったかしら?)

 もう一緒に昼寝をするような齢じゃないし、大人びた精神は直接的な愛情表現を必要ともしていないけれど、きっとこんな風に静かな時間は、孔に家族を感じさせることが出来ただろう。

 そして、私自身にも。

 家族みんながそろうって、とても恵まれた事だから。

――――――――――――先生/海鳴市児童保護施設



第18話a 永遠の絆《壱》

 暴走した6個ものジュエルシード。それを前にした次元航行船アースラの乗員は慌ただしく動き始めた。クロノがデバイスをセットアップし、エイミィが休憩に入っているクルスに連絡をいれる。緊張に包まれた艦内に、しかし緊迫はなかった。人為的に発動されたロストロギアは確かに驚異だが、その結末は分かりきっていたからだ。

 

「どこの誰だか知らないけど、呆れた無茶をするわね」

 

「はい。あれでは術者も封印するどころじゃない」

 

 リンディのため息に同意するクロノ。あれだけの魔力をまとめて相手にするには、少なくともAAAランク以上の魔導師が3人は必要だ。そして、おそらく今回の事件はそんな規模の犯罪組織が起こしたようなものでは無い。高ランクの魔導師が参加する組織的な犯罪ならば、時空管理局が地球を訪れる前にジュエルシードは犯罪者の手に渡っている筈だ。つまりはごく小数ないし単独による犯行であり、もともと広範囲の探索やまとめて複数のジュエルシードを封印する作業には向いていない。それでも海という広域に魔力を流し込んだのは時空管理局が捜査に乗り出したことで焦ったせいだろう。状況の悪化を冷静に受け止めずに犯罪者が苦肉の策を取るのはよくある事だ。そして、それに対する手段もほぼマニュアル化していた。

 

「エイミィ、魔力のトレースは……」

 

「もうやってるよ。すぐ終わるから、ちょっと待ってね?」

 

 相変わらず仕事が早いオペレーターにうなずく。暴走したロストロギアは広範囲にわたって術者の魔力パターンをまき散らしている。魔法世界では指紋以上に分かりやすい証拠で、あとは同じパターンの術者を確保すればよい。そしてその術者は、起点となった魔力反応を追いさえすればたやすく見つかる。事実、反応源はさほど待つこともなくモニターに表示された。ようやく手にした解決の糸口に、

 

(っ! アイツが犯人かっ!)

 

 クロノは目を見開いた。反応の中心に立つ魔導師の映像を見た瞬間、頭に響いた結論に納得する。勘というものだろうか。クロノ自身は捜査官としてそれ程長いキャリアを積んでいるわけではないが、話には聞いたことがある。犯罪者特有の殺気や挙動の不審といった、証拠とするには弱いが重要な事実を告げる小さな情報。そういった情報を見落とさず犯人の当たりをつける技術が「勘」であり、熟練の捜査官ならばそこから証拠にたどり着くことも多いという。モニターに写る魔導師はそういった勘に訴えかける情報を間違いなく持っている様に思えた。

 

(落ち着け……まだあの魔導師が犯人と決まった訳じゃない……!)

 

 しかしクロノは意図してその「勘」に抵抗しようとした。自分の経験に絶対の自信を持つほど慢心はしていないつもりだし、勘に頼るのは危険だという知識も持っている。だが自分に言い聞かせようとすればする程、冷静さが欠けていくのがはっきりと分かった。込み上げる感情を抑えこむのが精一杯で、思考に回す余裕がない。それどころか、次第に確認する時間が惜しい様にも思えてきた。この瞬間にもあの魔導師は逃げてしまうかもしれない。

 

――アイツヲ野放シニシテイイノカ?

――確認スルヨリ、捕マエルノガ先ジャナイノカ?

 

 そんな思考が頭を満たし始めた時、

 

「すみません、遅くなりまし……? どうしました?」

 

 クルスが入ってきた。

 

「……クルス二等空士。横の3番モニターを見てくれ」

 

 瞬間的に冷静さを取り戻させてくれたクルスに感謝しながら、答えるクロノ。クルスはモニターを見て少し驚いた様な顔をしたが、すぐに意外な言葉を口にした。

 

「ああ、プレシアさんと一緒に協力してくれたこの世界の魔導師ですね」

 

「クルスちゃん、知ってるの?」

 

 エイミィが声をあげる。リンディも虚を突かれたように目を向けた。注目を浴びることとなったクルスは、逆に不思議そうな顔をして続ける。

 

「え? ええ。この間の報告書に記載した、一時的に協力を要請した魔力保有者です。暴走したジュエルシードの魔力を感じて様子を見に来たんでしょう」

 

 クルスの発言にはクロノも思い当たる節があった。確かに、受領した報告書には高い魔力保有量を持つ魔導師の記述を見た記憶がある。管理局の法規では、任務に重大な障害が発生した場合、魔力保有者に協力を取り付けるのは認められていた。数ある例外規定のひとつであり、人材に頼るところの大きい管理局では適用例も決して少なくない。管理世界で大規模な事件が起これば周囲の魔力保有者に協力を仰ぐのは日常茶飯事だし、管理外世界でも歴戦の勇士と名高い地球出身の提督が管理局とかかわるきっかけになったのはこの規定だったはずだ。勿論、管理局としては協力してもらう立場にあるため、生命の保護と協力者の同意が前提であり、そのためならデバイスをはじめとした魔法技術を一時的に提供することも認められている。そして、技術提供に当たっては流出防止ための事後報告が義務付けられていた。

 

「あ。ホントだ。データがあるや」

 

 慌ててコンソールを操作するエイミィ。モニターに報告書の一部が映し出される。そこには、モニターに映る魔導師と同じ画像とともに魔力パターンが記録されていた。該当事件にかかる文書の検索を怠ったのはエイミィらしからぬミスと言えるだろう。が、上官であるリンディが指摘したのはそんな些細な問題ではなかった。

 

「報告書の魔力パターン……ジュエルシードと一致しているわね」

 

「え? そんなはずは……」

 

 言われてクルスがモニターに目を向ける。横に映し出されているジュエルシードの魔力パターンは、確かに孔のそれと一致していた。

 

「で、でも、魔力の発生源とは微妙にズレています。ジュエルシードを暴走させた魔力と比べると魔力反応も大きすぎるし……あのコートの男性との会話は拾えないんですか?」

 

「え? あ、うん……ごめん、なんかジャミングがかかってるっぽくて」

 

 クルスの指摘に再びモニターを操作するエイミィ。映像とは別のデータを表示するモニターには、細かい魔力の数値に並んでERRORの文字が表示されている。

 

「クルス二等空士。残念だが、この状況で彼に事情を聴かないという選択肢は取りえない」

 

「ですがっ!」

 

 それを見たクロノが判断を下す。クルスは数値から反論しようとするが、それはリンディによって止められた。

 

「クロノ執務官。彼に対する事情聴取を許可します。確かに魔力の位置情報と保有量にズレがあるから犯人と断定はできないけど、状況が不透明な以上、参考人として話を聞く必要があるでしょう。クルス二等空士は私とジュエルシードの対処を命じます」

 

 

 † † † †

 

 

「すごい……ジュエルシードがすぐ止まっちゃった」

 

「アレは儀式魔法だね。おそらく、Sランクの魔導師が次元震を抑える要領でジュエルシードを抑え込んでいるんだ」

 

 海鳴臨海公園。孔のいる休憩所とは離れた海岸近くの場所で、ユーノにとり憑いた悪魔は感心するなのはに例によって適当な解説を加えていた。

 

(よもやこううまくいくとはな……)

 

 内心でほくそ笑む悪魔。なのはのドッペルゲンガーを使って魔導師組をガイア神殿に足止めし、自らのマグネタイトで孔を公園に招き寄せる。同時になのはがジュエルシードを起動、管理局を呼び込む。その際、なのはの魔力パターンを孔のものに偽装し、周囲には捜査を難しくするジャミングを仕掛けておく。

 

(気になるのは突然公園を覆ったあの結界だが……今のところ気配は消えたままか。まあ、例え神魔クラスがメシアに接触してきたとしても、先にジュエルシードが管理局の手に渡りさえすれば問題ない。そうすれば天使たちが盟約に基づき、氷川が宝石を手に入れる……氷川が我々と、かつて天界から追い出し、悪魔に貶めた相手と通じているなどと知らずにな!)

 

 周囲のマグネタイトに気を向けながら、管理局の主力が孔の確保とジュエルシードの封印に動いているのを見て満足げに目を細める。それは人間をコマとして弄ぶ悪魔の愉悦にも見えた。

 

「あの、手伝いに行かなくていいのかなぁ?」

 

 それに気づかず、声をかけてくるなのは。勿論、なのはにはアレが管理局の魔導師などと伝えていない。ただ、「夏織さんの知り合い」と言っただけだ。

 

「大丈夫だよ。ジュエルシードは本来の力を発揮できない。あの子も苦戦している様子は無いだろう? それに、儀式魔法は魔力の流れを利用したものだから、あんまり魔導師がたくさんいると、リンカーコアに反応して解除されてしまうんだ」

 

「そ、そうなんだ」

 

「そう。お話しに行っても仕事の邪魔になるだけだから、ここで『いい子に』してればいいよ」

 

「う、うん……」

 

 それに少しばかり難解な用語と嘘、そして心を抉る一言を加えて説明してやるとなのはは素直にうなずいた。うつむくなのはに悪魔は笑いが止まらなかった。自分のやっていることが世界の破滅を招く行為だと知った時、そして信用している大人たちに盛大に裏切られた時、この正義感が強く、優しさという光に満ちた少女は一体どんなふうに壊れてくれるのだろうか。今から楽しみでならない。

 

「それと、フェイトちゃんに盗られた分を抜けば、あの6個でジュエルシードは全部だ。いったん僕は魔法世界に戻ってジュエルシードを仲間に預けに行こうと思うんだけど、一緒に来るかい?」

 

「えっ!? 来るって魔法世界に?」

 

「そう、なのはは頑張ってくれたからね。みんな歓迎するよ。大丈夫。林間学校はドッペルゲンガーに任せておけばいいし、祐子先生にも話は通してある。それに、あのフェイトちゃんもジュエルシードを知っているのなら、魔法世界に来るかもしれないよ?」

 

「っ! うん、わかったよ!」

 

 最後のフェイトちゃんが聞いたのか、勢いよくうなずくなのは。

 

(あの宝石も、この少女も、いい生贄になる! 我らがバール神の復活は近い……!)

 

 悪魔は内心で悪意の嘲笑を上げ続ける。

 

 それは、なのはと共に公園から移転して消えるまで、誰にも気づかれることなく続いた。

 

 

 † † † †

 

 

「はあっ!? 逮捕された? 管理局に? アイツが?」

 

 ガイア教団の寺院。修はつい先程合流してきたリニスから伝えられた内容に声をあげた。

 

「正しくは事情聴取ですね。管理局としてはロストロギア暴走に居合わせたコウを見逃せなかったんでしょう」

 

 やられました。血が出るほどに唇を噛みながら付け加えるリニス。さくらはそんなリニスに眉をしかめて問いかける。

 

「リニスさん、その管理局って言うのは一体どういう組織なの?」

 

「そうですね……次元犯罪を取り扱う警察の様な機関です。といってもそんなに歴史が深いわけじゃなく、成立は65年前。元々は頻発する次元災害に対処するため、次元世界を超えて結成された組織です。ジュエルシードも暴走したとなると次元災害を引き起こす可能性がありますから周辺の捜査はしますし、近くに魔力を持った孔がいれば事情を聴こうとするでしょう。場合によっては長期間拘束されるかもしれません。悪魔の狙いはコウを引き離すことだったんですね。対抗策を持っているのはコウだけですから……」

 

 幸いなのはリニスが先行して修達のもとへ戻るため別行動を取っていた事だろうか。管理局に連行される寸前に孔から念話で伝えられた情報では、保護施設の電話を装って連絡をいれてきたのはスニークを名乗る人物であり、情報を残して去っていったという。

 

「スニーク……卑怯者、か。怪しいわね」

 

「ええ。悪魔に手を貸してコウをおびきだしただけかもしれません。でも、公園には証拠も遺されていました」

 

 さくらの問いかけにリニスが紙切れを2つ取り出した。片方には見慣れない文字が並び、もうひとつは普通に日本語の住所が並んでいる。

 

「こちらはミッドチルダ――魔法世界の言語ですね。場所は……行政特区ヴァルハラ北部。たしか都心の裏側、スラム街のような場所です。書かれている組織名は……直訳すると『便利屋組合』といったところでしょうか」

 

「いかにも裏家業と言う感じね。こっちは……『葛葉探偵事務所』?」

 

「えっ? それって……」

 

 声をあげたのは那美。久遠と一緒に横から紙切れを覗き込み、驚いた様な顔で住所とその名前を確認している。不審に思ったアルフが問いかけた。

 

「那美、知ってるのかい?」

 

「うん……デビルサマナーっていう、退魔師の血を引く人だよ。元々、悪魔が起こす事件はこの人たちが当たってたの」

 

 次いでデビルサマナーについての説明が続く。曰く、昔から稀に悪魔は事件を引き起こしていた。曰く、それに対抗する勢力がデビルサマナーである。曰く、全国に組織を広げる程度にはメジャーである。

 

(地球には不思議がいっぱいだな、おい……)

 

 修はそれを唖然としながら聞いていた。もし孔が聞けばお前がいうなと突っ込まれそうだが、修としては魔法少女を遥かに上回る常識外の存在に改めて目眩を感じた。どうもこの世界では魔法をやり過ごせば平和という訳にはいかないらしい。

 

「私も裏の事件の関係で話には聞いたことがあるわ。その葛葉って、デビルサマナーのなかでも名家の血を引く人でしょう?」

 

「はい。でも、この間話を聞きにいったら、今は別件で追ってる事件があるから協力は出来ないって」

 

「もしかしたら、その別件っていうのがこの事件に繋がってるのかもしれないわね……」

 

 そんな修にお構いなくさくらと那美の会話は続く。ますます平和から縁遠い世界に入っていくが、修としては不思議と退く気にはなれなかった。

 

(まあ、高町に園子を撃たせたヤツもよく分かってないしな)

 

 ちらりと林間学校に参加している生徒の群れに目を向ける。そこには先生に謝るなのはの姿があった。何処からか移転してきたのだろう。そのまま普段寝泊まりしている宿舎へと入っていく。隣からは鋭いフェイトの声が聞こえてきた。

 

「アイツ……!」

 

「落ち着けよ。卯月がいないと、アレが本物かどうかも分からねえだろ? それに、本命のユーノって奴にとり憑いた悪魔もいねぇんだ」

 

 それに危険なものを感じて声をかける修。仮に悪魔だった場合またしても足止めに引っかかる事となるし、連戦をこなせる自信もない。何より、肝心のフェレットがいなかった。その意図が伝わったのか、さくらもフェイトに冷静な声をかける。

 

「なのはちゃんは引き続き私が監視しましょう。偽者だとしても、見張っていればガイア教との接触があるかもしれないし。問題は、フェレットに化けた悪魔だけど……」

 

「じゃあ、私が行きます」

 

 だが、フェイトから返ってきたのはどこか不機嫌そうな声だった。いまだ感情が納得していないのだろう。修はできるだけ刺激しないように言葉をかけた。

 

「だから落ち着けって。大体、卯月がいないと悪魔の反応を追えないだろ?」

 

「それは――」

 

「その、デビルサマナー、だったか? 悪魔に詳しいんだろ? 一緒に会いに行けばいいじゃねぇか。なんか情報だって知ってるって」

 

 そこまで言って那美の方を見る修。那美はその視線に頷いた。久遠も心配そうにフェイトの顔を見上げている。フェイトは少し考える様な仕草をしていたが、やがて戸惑いがちに、しかしはっきりと頷いた。ありがとう。そう小さく唇が動いた様に見えたのは気のせいだっただろうか。

 

「では、私はこちらの『便利屋組合』をあたってみます。心当たりもありますし、魔法世界ならプレシアに頼めば向かうこともできますから」

 

 そんなフェイトに少しだけ間をおいて、リニスがもうひとつの選択肢を引き受ける。何とか丸く収まった雰囲気に、修はため息をついた。

 

(まったく、こういうのは卯月の役目だ……)

 

 つい少し前まで、一緒に昼休みを過ごしていたメンバーの間にできていた役割。それはいつの間にか当たり前になり、居場所のひとつとなっていた。突然壊れてしまったそんな居場所を探すように、修は孔が連れていかれたであろう空を見上げる。

 

「シュウ、どうしたの?」

 

「なんでもねぇよ」

 

 だが、それも一瞬。不思議そうなフェイトを誤魔化すと、修は自らの役割をこなすべく、プレシアの元へと移転していった。

 

 

 † † † †

 

 

「それで、俺はいつまでここに居なきゃいけないんだ?」

 

「ごめん。今本部とも連絡をとってる所だから……」

 

 一方の孔は、アースラの一室で小さくなるクルスに苦笑を送っていた。クロノの警告に慌ててリニスに念話を送り、スニークの遺した手がかりをメリーに託して今に至っているのだが、部屋に閉じ込められたきり他の管理局員からは音沙汰無しだ。孔は出来るだけクルスを責めるような口調を避けて問いかける。

 

「事情聴取の権限は執務官が持っているとプレシアさんから聞いたんだが……?」

 

「そうなんだけど、コウの取り調べは避けるように本部から直接命令があったんだ。しかも、私以外との接触を禁じるって」

 

「随分不自然に聞こえるが……それが普通なのか?」

 

 首を振るクルス。どうやら他の管理局員も不審に思っているらしく、そのせいで確認に時間がかかっているようだ。

 

「分かった。でも、状況が掴めたら教えてくれ」

 

「うん。ホントにごめんね?」

 

 謝りっぱなしのクルスを苦笑で見送る孔。扉が閉まって遠ざかっていく気配を感じながら、改めて与えられた部屋を見回す。内装こそいかにも次元航行船と言えるようなものだが、その施設はシェルターで見た一室に近い。乗員が長期の航行に耐えられるように設計されているのだろう。孔自身は他の次元航行船を知っているわけではないが、ここが牢獄でないことぐらいは分かる。

 

(船内の行き来は禁止されているとはいえ、破格の待遇だな……)

 

 初見の執務官の態度から想像していた環境からは程遠い対応に、孔はむしろ不安になった。どうやら裏で何かが動いているらしい。心当たりは2つ。ひとつはサイファー博士が推測した自らに加えられた技術であり、もうひとつはスニークが言い残した新世派とその対抗勢力の存在だ。前者はプレシアの過去から連想したもので、その技術とやらに管理局が出資する研究機関が一枚噛んでいるのならば孔は貴重なサンプルという事になる。特別扱いも当然と言えた。後者はスニークの広範に組織を広げているという言葉から思い当たったもので、もし神聖派が孔の存在に気づいたのなら、他の管理局員と変に接触するのは嫌がるだろう。もっとも位の低いクルスに交渉を限定した理由にはなる。いずれにせよ、自分が複雑な立場にあるという前提に間違いはない。

 

(……果たして無事に帰れるかどうか)

 

 扉の先を見据えながら、先生やアリス達を思い浮かべる孔。もし推測が当たっているのなら、これ以上児童保護施設を自分の居場所とすることはできない。言い訳はリニスに任せてしまったが、自身に降りかかる悪意を引きつけられるのは、自分しかいないのだ。

 

――自分の影を見つめることなく、絆などという光にすがった……その結果はどうだ!

――誰もが正しいと思う行為をした貴様のせいでっ!

――誰もが悪意に囚われ、歪み、悲劇を産んでいるっ!

 

 同時に公園の老人が幻想の中で見せた悪魔の罵声が脳裏をよぎる。今まで支えてくれた家族と距離を置いたとき、一体自分は何をよりどころとして生きていくのだろうか。

 

(それは、パンドラの箱が開けられてみないと分からない、か……)

 

 いずれ向き合わなければならないと覚悟していた自分の正体という禁忌の箱。孔はそれが思いのほか早く、そして自分の意志とは無関係に開かれようとしているのを感じていた。

 

 

 † † † †

 

 

「クルス二等空士、どうだった?」

 

「特に変わった事は……事態が上手く呑み込めず、戸惑っているといった様子でした」

 

 アースラのブリッジ。孔と別れたクルスはクロノに簡単な報告を入れていた。もっとも、「簡単」以上の報告はしようがない。何故あのコートの人物と一緒にいたのか、また何故あんな場所にいたのかといった点については既に聞いている。犯人側が情報を持って接触してきたというもので、それによると新世派という組織が裏で動いているという。

 

「それはそうだろう。あんな荒唐無稽な話をするくらいだからな」

 

 苛立たしげなクロノの声を聞いても分かる通り、もちろんそんな情報など誰も信じてはいなかった。確かに管理局にも派閥のようなものはあるが、それは組織の大まかな流れを決める上層部に限った話であり、細かい実務を担当する現場では部署間の対立が関の山だ。上層部から下位組織にまで影響を及ぼす敵対的な組織などとても現実的ではない。第一、言った本人である孔からして半信半疑という様子だった。

 

「まあ、管理局の事がよく分かっていない現地の人間にいろいろと吹き込むのはよくある手口ですし……」

 

 クルスとしても当然真に受けている訳ではない。どちらかというと、わざわざ悪魔を使う相手が孔に接触してきた事の方が重要に思えた。現状、悪魔に対抗出来る手段を持っているのは孔くらいだ。あのジュエルシードの魔力といい、狙って管理局に拘束させたのなら非常に厄介という他ない。

 

(全く、上手く組織ってトコを使われたよ……!)

 

 クルスは内心の苛立ちを抑えるのに苦心していた。悪魔の危険性を把握していない上に事件が管理外世界での次元震では、組織としてはマニュアル通りの対応しかできない。

 

「本部は何か言ってきましたか?」

 

 そんな中、クルスのわずかな希望は管理局本部の出した特殊な命令だった。あるいは本部にも悪魔の存在に気付いている人物がいるのかもしれない。そうなれば、あの人造生命体に関する文書も現場に検索を押し付けたのではなく意図的に紛れ込ませたと考えるのが自然であり、人造生命体研究所が悪魔を扱っていたというクルスの推測も現実味を帯びてくる。

 

「いや、相変わらずだな。艦長にも直接上に問い合わせて貰ったんだが……」

 

「一応、レティ――ロウラン提督にも聞いてみたんだけど、命令に間違いはないみたいね。まあ、命令そのものは提督も把握してなかったみたいだけど」

 

 が、クロノがますます不機嫌な顔で告げた現状はあまり変化が見られなかった。説明を引き継いだリンディの言葉も歯切れが悪い。クルスはそこに引っかかるものを感じて問いかける。

 

「ロウラン提督って、たしか運用部じゃ辣腕で有名な人ですよね? 管理局の大抵の動きは良く知っている筈なんじゃ?」

 

 運用部とはいわゆる人事部の様な部門で、主に管理局の人材や資材の配置を取り扱っている。無論、その運営には現場の人的・物的な過不足の情報だけでなく、資材や配置する人材そのものに関する知識も必要になってくるため、その情報網は組織の広範に及ぶ。話題に出たレティ・ロウランはその中でも「底なし」で知られた女傑で、本部から直接現場に届く命令ならかなりの程度まで把握している筈だ。

 

「実はその命令、最高評議会から直接出てるみたいなの」

 

「え?」

 

 だが、クルスの疑問に答えたのは珍しく真面目な顔をしたエイミィだった。思わず聞き返すクルス。最高評議会といえば管理局の最高意思決定機関だ。65年前の管理局設立にかかわった3名の人物が未だその役職についており、その後の次元世界を見守り続けている。もっとも、「その後の」と表現した通り、ほとんど相談・後見役としての意味合いが強い。もう考えられなくなった複数の次元世界を巻き込んだ戦争や、何百年に一度という未曾有の規模の次元災害が起こり、士気の高揚や次元世界間の連携が必要になったならともかく、間違ってもこんな末端の現場に直接干渉してくる存在ではない。

 

「いくらなんでも、何かの間違いなんじゃ……」

 

「そう思ったんだけど、電子証明付きで命令書が送られてきたんだよ」

 

 モニターに映しだされる命令書。そこには確かに最高評議会の名前があった。普段であればせいぜい提督クラスの人物の名前が書かれている欄だ。

 

「クルス二等空士、一体彼は何者なんだ?」

 

「い、いえ。私も報告書に書いた以上のことは……」

 

 問いかけてくるクロノ。だがクルスも回答を持ち合わせていない。そもそも、なぜ自分だけが接触を許されているのかこっちが聞きたいくらいだ。

 

(まあ、確かに初めて会った時は天使かと思ったけど……)

 

 天使、というのはクルスがメシア教会に入ってから何度か夢にみた人物の事である。強い威厳と圧倒的な力、しかしどこか目に憂いを抱えたその姿は、神社の裏で念話を聞きつけてやって来た孔と重なって見えた。

 

(まさか……ね)

 

 無論、この場で言うような話ではない。一瞬でも自分の夢を関係づけようとした自分に苦笑するクルス。しかしそれと同時、事態は動いた。

 

「あ、待って。本部から通信が…… え? なにこれ?」

 

「どうした、エイミィ?」

 

 問いかけるクロノ。エイミィが答えるより早く、モニターに命令書が映し出された。

 

「管理局本部より最優先指令? 報告書にある重要参考人をグラナガン、先端技術医療センターまで護送せよ……っ!?」

 

 

 † † † †

 

 

 グラナガン。ミッドチルダ首都の名に恥じない大都市は、多彩かつ高名な施設を抱えている。先端技術医療センターもそのひとつだ。その名の通り、魔法世界でも最先端医療の研究およびそれを用いた治療を目的とし、相応の設備も有している。一般にも一部公開されており、市民や観光客にそれなりの時間を提供する人気スポットとなっているのだが、

 

(はあ、これで任務じゃなきゃいい見学なのに……)

 

 エイミィは盛大な溜め息をつき、疲労を隠さずドサリとロビーのソファーに沈み込んだ。任務というのはいうまでもなく孔の監視であり、先程クルスと孔の身柄を管理局員数名に引き渡したところだ。本来ならクロノの役目なのだが、本部がクルス以外の魔導師を同行させることに難色を示したため、技術士官であるエイミィが通信役という理由で出向くことになったのだ。ちなみに当のクロノは指揮のため地球にとどまり、一緒に来たリンディはレティの元へ挨拶という名の情報収集へ向かっている。

 

(もうちょっと簡単な事件のはずだったんだけどなぁ)

 

 もう一度ため息をつくエイミィ。孔とクルスを迎えた病院の通路は管理局員が封鎖し、一般公開フロアは警備員が増強されている。その警備員にしても武装した魔導師で固められ、指揮についているのも部隊長クラスだ。まるでどこかの次元世界のトップが来訪したかのような警備体勢に、しかしエイミィはどこか納得できるものを感じていた。初めて映像に写し出された孔に、今まで技術士官として解析してきたどの犯罪者とも違う危険な雰囲気を感じている。それは仮にも人間である犯罪者とは違った、暴走間近のロストロギアを前にした時に感じる、何もかもを消し飛ばすような恐怖に近い。

 

(でも、なんで本部がそのことを……?)

 

 ゆえに、気になるのは本部の対応である。相手をできる限り刺激しない護送といい、受入れ先の警備体制といい、まるで孔の危険性を知っているかのような命令だ。

 

(確か、聖王教会に予言のレアスキルを持ってる人がいるって聞いたけど……)

 

 未来の出来事を描き出すレアスキルの持ち主を思い出し、しかしすぐに否定する。聖王教会は仮にも外部組織だ。その手の話は担当部署が対応するはずで、つまりは現場レベルで処理される。いきなり最高評議会から命令が飛んできた理由にならない。

 

(しかも、最後のここに連れてこいって言うのは、「本部の」命令なんだよねぇ)

 

 上層部が大まかな方針を決定して、現場に近い層が細かい作戦を立てるのは、ごく自然な流れではある。だが、いきなり現場に干渉しておいて、突如態度を変えたのは不自然もいいところだ。いったい何が起こったのだろう。そんな疑問を抱くものの、一介の通信主任としては回答の導きようがない。上層部への対応は、リンディクラスでなければ情報を引き出すことすら難しいのだ。命令系統の混乱が伴う任務。オペレーターとしてはもっともやりにくい仕事だ。

 

「はあ、早く終わらないかな……」

 

「ダメですよ、勤務中にそんなこと言っちゃ」

 

 思わず正直に出て来た感想に後ろから聞きなれた声がかかる。慌てて振り返るエイミィ。そこには、後輩にあたるマリエル・アテンザが立っていた。

 

「マリー? どうしたの、こんなところで?」

 

「レティ提督の指示です。重要人物の護送にリンディ提督達が戻ってくるみたいだから、顔を見せてきなさいって」

 

 軽く笑って見せるマリエルにエイミィもようやくいつもの余裕を取り戻す。正直なところ、武装隊に囲まれてひとり受付前でクルスの帰りを待っているのは、どうにもいたたまれないものがある。

 

「そっか、助かったよ。周りがこれだし」

 

 言いながら周囲を見回して、いかに辛い状況にあったか表現するエイミィ。しかし、こちらにじっと視線を向ける2人の少女に気付いて目を止めた。年齢にして5、6歳。よく似た顔立ちは姉妹だろうか。背の高い少女は好奇心のこもった目を向け、妹らしい背が低い少女は売店のお土産「チョコポット」を手に姉の後ろに隠れながらこちらを伺っている。マリエルが手を振ると、2人の少女は駆け寄ってきた。

 

「ギンガちゃんとスバルちゃんです。クイントさん……えっと、管理局地上部隊の人ですけど、その人の娘さんで、ここで『治療』を受けているんです」

 

「ええっと、とりあえずはじめまして?」

 

 急な紹介に戸惑いながらも声をかけて見ると、2人からも元気な声で初めましての声が返って来た。続いてマリエルが簡単にエイミィをスバルとギンガに紹介する。

 

「エイミィさんは私の先輩で、いまは地球って言うところに出張に行ってるの」

 

「地球って、第97管理外世界にあるところですよね?」

 

「そうだよ? よく知ってるね?」

 

「おじいちゃんの出身なんです。綺麗なところだって……どんなところですか?」

 

「スバル、おじいちゃんじゃなくて、ごせんぞさま、でしょう」

 

 好奇心剥き出しでエイミィに迫るスバルと妹を軽く注意するギンガ。年相応の反応に思わず頬が緩む。しかしそんな微笑ましい情景を中断するように、警備に当たっていた管理局員が駆け寄ってきた。

 

「すみません、マリエル・アテンザ技術官ですか?」

 

「そ、そうですけど?」

 

 軽くIDカードを掲げる局員に突然声をかけられ、戸惑いがちに答えるマリエル。カードにはティーダ・ランスターという名と共に、首都航空隊のエンブレムが刻まれている。普段ならば警備に当たるような部隊ではない。どうやら所構わず人員を引っ張ってきたようだ。改めて異常な状況に戸惑うエイミィを置いて、その局員は続けた。

 

「センター所長が至急面会を希望したいと……治療中のナカジマ姉妹も一緒に連れてきてほしいとのことです」

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

愚者 エイミィ・リミエッタ
※本作独自設定
 次元航行船、アースラの通信主任兼執務官補佐。主にオペレーターの役割を担う。明るい性格と柔軟な思考でアースラのムードメーカー的存在で、上司にあたるクロノとは士官教導センター時代からの付き合い。端から見ると完全な友達以上恋人未満だが、エイミィ自身はどちらかというとからかいがいのある弟として扱っている節がある。

――元ネタ全書―――――
紙切れを2つ取り出した。
 ペルソナ2罰から、ルート分岐直前のイベントより。分岐前のセーブデータを残した……はいいが、2週目が発覚し、結局使わなかったのは私だけじゃないハズ。ちなみに、入手できるペルソナも違うため、ラスボスも一撃死の(でも裏ボスにはカウンターされる)「あの技」は2週目限定に。
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