リリカル・デビル・サーガ   作:ロウルス

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「アリス、もうそろそろ、寝なきゃだめよ?」

 こども達にとっては深夜と呼べる時間帯。孔がいないせいか、なかなかリビングから離れようとしないアリスに軽く注意する。でも、アリスはそれに応えず、テレビを指差して目を輝かせた。

「ねー、先生。私あれやりたい」

 番組には、遠い親戚に手紙を書く女の子。その好奇心から出た思い付きは、幼いアリスにどれだけ素晴らしく思えただろうか。

「じゃあ、ちゃんと時間までにするのよ?」

「はーい!」

 私は棚から便箋と封筒を取り出すと、嬉しそうに返事をするアリスに渡した。

――――――――――――先生/海鳴市児童保護施設



第18話d 永遠の絆《肆》

 先端技術医療センター所長室。いかにも高級そうな絨毯と調度品に囲まれたそこは、オフィスというより応接室の趣が強い。事実、平時は有力者を迎える用途にも使われている。

 が、今はそこに似つかわしくない機材が広がっていた。言うまでもなく、エイミィがアースラから持ち込んだ、通信用装備という名の盗聴・盗撮キットである。

 

「はあ、で、帰すことになった、と」

 

 その機材を前に、不満そうな声を出すエイミィ。もちろん、帰すことになったのは監視対象の孔であり、不満をぶつけているのは通信先のリンディである。

 

「気持ちは分かるけど、今は様子見よ? 監視対象の身元がはっきりしてるだけマシ、と思うしかないわね……これから追いかける相手と違って」

 

「それって、闇の書のこと言ってます?」

 

「ええ。オペレーターの腕の見せどころね」

 

 冗談めかして空気を変えようとするリンディに、嫌そうな声で「わかりました」と告げ、通信を終える。そして、呟いた。

 

「嫌な予感的中……とはちょっと違うかな?」

 

 始め、この先端技術医療センターに来たとき、孔に対して強い危機感を抱いた。果たして事件は起こった訳だが、その原因は孔自身ではなく、別の何かだった。そして、今度は「その別の何か」を探るために孔を利用すると言う。

 

(しかも、この件は要注意人物の監視にとどめて、今後は「闇の書」を優先、か……まだ嫌な予感、続いてるんだけどな)

 

 機材のモニターに目を向ける。そこには、クルスに付き添われながら施設を出る、孔の姿があった。

 

 

 † † † †

 

 

「所長と一緒にいた女の子――ギンガちゃんとスバルちゃん、マリエル技術主任が問題ないって。ナカジマ陸尉も喜んでたよ?」

 

「……そうか」

 

「ランスター一等空尉も一命はとりとめたって。復帰したら、また事件を追うって、張り切ってたよ?」

 

「……そうか」

 

「先端技術医療センターの悪魔は、その、まだ魔法生物扱いだけど、今回の事件で危険性は上も認めてくれたから、その……」

 

「……」

 

「その……ゴメン」

 

「いや、大丈夫だ」

 

 研究施設を出て空港に戻る途中。無理に明るい話題を振ってくるクルスに、孔は平坦な声で返していた。本来ならここで相手を安心させるため、苦笑のひとつでも返さなければならないのだろう。が、今はとてもそんな気分にはなれない。

 

(あの悪魔は、俺を別のアマラ宇宙から転生した存在と言った……そして、かつては俺とひとつだったとも……なら、俺は、『向こう側』では……)

 

 何とか冷静に思考を回そうとするが、たどり着くのは否定したかった結論だけだ。だが、

 

「自分の中に流れる悪魔の力が気になるのか?」

 

「ちょっと、ギルバさんっ!?」

 

 そこへ、後ろを歩いていたギルバが話しかけてきた。声を上げるクルスを抑えるように、孔はギルバへ向き直る。

 

「俺のことで、何か知ってるんですか?」

 

「新世派、とやらが『作り出した』救世主だとは聞いている……もっとも、俺の依頼主はその力を利用して新世派を潰そうとしていたようだが?」

 

 その一言で、今までの情報がつながる。サイファー博士の「技術を加えられた人間」という言葉。須藤やあの公園の悪魔の「向こう側」という単語。スニークの「新世派」という組織の情報。そして、所長に憑りついた悪魔の「メシアという存在を生み出そうとした」という叫び。おそらく、自分はアマラ宇宙に漂っていた魂の切れ端を、無理やり人工的に強化した肉体に組み込んで創りだされた存在なのだろう。あるいは、先端技術医療センターでの事件も、その技術を使ってアマラ宇宙から悪魔の魂を呼び出し、無理やり人間に組み込むことで悪魔化していたのかもしれない。

 

(俺も、ハーリーQやあのゾンビと同種、という事か……)

 

 あれほど周囲を脅かし、憎んでいた相手の魂で創られている。それを否応なく突きつけられ、

 

「俺の受けた依頼は、お前をニホンのUMINARI――そこにある公園に連れていくことだ」

 

 しかし、ギルバが話を進めたことで、現実に引き戻された。

 

「俺を、公園に……?」

 

「そうだ。そこに眠る遺跡が、お前に関係する悪魔の寝床、という事らしい」

 

 直接的な言い方に、眉をひそめる孔。

 つまり、ギルバの依頼主は、新世派に対抗するため、更に自分の力を解放させようとしているのだろう。

 人から忌み嫌われる力を、更に。

 

「力で対抗するのか、力から逃げるのか……決めておくんだな」

 

 黙りこむ孔を見て、背を向けるギルバ。そのまま先に立って歩き始める。

 

 立ち尽くす孔。

 

 どのくらいそうしていただろうか。

 

「コウ……」

 

 いつの間にか横に立っていたリニスから、声がかかる。

 

「帰りましょう。みんな、待っていますよ」

 

「……そう、だな」

 

 孔はそれにうなずくと、ギルバの後を追って歩き始めた。

 

 

 † † † †

 

 

 空港から海鳴に戻った夜を、孔はプレシア邸で過ごした。

 はじめに出迎えたのは、意外にもフェイトだった。転送ポートの先からただこちらを無表情に見つめて、

 

「……遅かったね」

 

 そうつぶやいた。思わず聞き返す孔。

 

「何があった? 折井達は……」「シュウなら、家に帰ったよ」

 

 だが、フェイトはそれを遮って、

 

「明日、みんなで集まることになってる……今は、姉さんが待ってるから」

 

 転送ポートがある地下から、家へと歩き始めた。それについて歩く孔。しばらく無言の時間が続いたが、

 

「ウヅキは……」

 

「?」

 

「ウヅキは、自分より、シュウ達の事が気になるの?」

 

 地上への階段を上がる直前、問いかけられた言葉に硬直する。フェイトは孔の動揺を意外そうな目で見ていたが、

 

「あっ! コウ、来てたんだっ!」

 

 唐突に階上の扉から出てきたアリシアを見て、再び歩き始めた。

 孔もそれに続く。

 駆け寄ってくるアリシア。

 プレシアも事件のことは何も聞かず、ただアリシアの母親としてキッチンから見守る。

 夕食、ゲーム、就寝。

 絵にかいたような「友達の家での宿泊」は、まるで魔法世界に行く前と変わらない周囲を教えてくれているようで、

 

「孔お兄ちゃん、早く! 早く帰って、アリスと一緒に遊ぶのっ!」

 

 翌朝、時間より早くやって来たアリスとパスカルを、自然に迎えることが出来た。

 

(課題は、山積なんだがな……)

 

 ちらりと後ろに目を向ける。今頃、フェイトの言っていた「集まる」時間に備えて、リニスがプレシアから海鳴での動向を聞いているはずだ。いつもリニスが手伝いに来る時間には、今度は孔がリニスから概要を聞くことになっている。その時はギルバも一緒だ。それまでに、自分へ植えつけられた力とどう向き合うか、決めておかなくてはならない。

 

(……いや、力じゃなくて、周りとどう向き合うか、だな)

 

――ウヅキは、自分より、シュウ達の事が気になるの?

 

 つい昨夜聞いたばかりのフェイトの言葉が、脳裏をかすめる。なぜ、フェイトがあんなことを聞いたのかわからない。ただ事実、自分は海鳴に戻ってから、否定されるかもしれない自身の正体を知りながらも、修達の事を気にしていた。それだけ、「帰る場所」が大切だったのだろう。なら、自分の回答は決まったようなものだ。

 

「ねー、どうしたの? もしかして、アリスが早く来ちゃったの、怒ってる?」

 

 気が付けば、立ち止まっていた。前を歩くアリスが不満そうな声を上げる。

 

「いや。そんなことはないよ」

 

「ホントに?」

 

「ああ。本当だ」

 

 返事を聞いてにっこりと笑うアリス。そんなアリスと、今度は手をつないで保護施設への道を歩く孔。公園を通り過ぎ、住宅地へ。すぐ先を曲がれば「自分の家」がある。離れたのは数日。だが、酷く懐かしい気がした。おそらく、そう時間をおかずリニス達は迎えに来るだろう。それでも、今は無性に帰りたかった。

 

「せんせいっ! ただいま~!」

 

 アリスの楽しそうな声と共に、扉をくぐり、

 

 立ち込める血の匂いに気づいた。

 

 

 † † † †

 

 

「本当に大丈夫?」

 

「大丈夫だもん! パスカルも一緒だし、ねー?」

 

 数刻前、保護施設の先生は、孔を迎えに行くといって聞かないアリスを見送っていた。アリスの楽しそうな声に同意するように吼えるパスカルを見つめながら、少しだけ笑みをこぼすとアリスに言い聞かせる。

 

「途中からリニスさんが迎えに来るから、ちゃんと一緒に行くのよ?」

 

「うん! 行ってきまぁす!」

 

(はあ、少し過保護すぎるかしら?)

 

 余計に不安になる元気な返事を残して走り出すアリスを苦笑と共に送り出し、軽くため息をつく。アリスももう小学校2年生。日本ではもうひとりで近所の友達の所へ行くくらい当たり前の年齢だ。それに、いつかは施設を出なければならない以上、あまり束縛してもいい結果にならない。分かっていても気にしてしまうのは、やはりアリサの死をいまだ引きずっているからだろうか。

 

「……ご飯、作らないとね」

 

 自分に言い聞かせるように呟くと、施設へ戻り始める。廊下を抜けてキッチンへ。アリスのわがままのせいで、本当ならプレシアの所でご馳走になるはずが、孔も朝食をこちらで食べる事になってしまった。リニスも来るみたいだから、少し多めに用意しておかなければならない。

 

(あら……?)

 

 だがその途中、ダイニングテーブルの手紙に目が止まる。昨夜、こども向けの番組に出てきた遠い親戚に手紙を出す少女。それを見たアリスが、自分もやると言い出して孔に宛てたものだ。その時「ねー、先生も書いて?」と言われ、一緒にペンを握っている。

 

(そういえば、まだ書きかけだったわね……)

 

 思い付きに夢中となったアリスはすぐに書き終わってしまったが、自分はというと普段の想いを文章にするのが意外に難しく、結局アリスが眠る時間までに筆を置く事が出来なかった。書きかけの便箋はアリスが机の奥から引っ張り出してきた可愛らしい装飾が踊る封筒に重なり、封をされるのを待っている。

 

(時間は……まだ大丈夫ね)

 

 時計を確認してテーブルにつきペンを握る。軽く昨日の文章を見直すと、少し考えた後で続きを書き始めた。だが最後まで書ききる寸前、チャイムの音が響く。

 

(……誰かしら?)

 

 孔達にしては早すぎる。こんな早朝の時間帯に訪ねてくるとすれば、急に保護が必要になったこどもを連れて誰か来たか、あるいはこども本人かもしれない。以前、親にこの施設の扉を叩くよう言われたまま置き去りにされたこどもを保護した事もある。だがインターホンのカメラが映し出したのはそのいずれでもなく、以前病院でカウンセリングを引き受けていた患者、八神はやての保護者だった。桃色の長髪と凛とした長身が特徴的な20代前半の女性、シグナム。彼女と同性・同年代だがそれとは対照的な柔らかい物腰と金髪を持つシャマル。やはり20代位であろう物静かな銀髪の男性、ザフィーラ。そして、孔やアリスと同じ小学生くらいの闊達な赤髪の少女ヴィータ。いずれも外国籍だが、原因不明の病により車椅子での生活を余儀なくされているはやてを大切な家族としており、何度かはやてとの接し方やはやて自身の精神状態について、相談を受けたことがある。

 

「あら、シグナムさん? お久しぶりね。どうしたの?」

 

「いえ。少しある……いや、はやてのことで相談がありまして。お時間をいただけないでしょうか?」

 

 どこか暗いインターホン越しの声に眉をひそめる保護施設の先生。少し前に、はやての脚の治療を担当していた医師、石田幸恵から「海外の病院で治療法が見つかったため、そこで手術を受ける事になった」と告げられてからカウンセリングは中断している。当然シグナム達もはやてと共に海を渡っているのだが、どうにも手術が無事に終わったという挨拶に来た様子ではない。シグナムはどこか思いつめた表情を浮かべ、シャマルやザフィーラ、そして感情の起伏が激しいヴィータまでもが機械のような無表情を浮かべている。第一、はやての姿がなかった。嫌な予感に少し待っててとインターホン越しに告げると、玄関に戻り扉を開く。

 

「急に申し訳ありません」

 

「いいのよ。はやてちゃんの様子も聞きたかったし」

 

 非常識な来訪を謝るシグナムにできるだけ内心の不安を抑え、しかし本題に触れながら迎える。病院ではなくわざわざこの施設まで来たのだから、何か事情があるのは明白だ。意識的に話しやすい雰囲気を作りながらダイニングへ。大人3人には朝食に用意していたコーヒーを、ヴィータにはアリスが好むホットミルクを勧めながら椅子に座らせる。

 

「あ、あまりお気遣いなく……」

 

「このくらい遠慮しなくても構わないわよ? ちょうどこども達の朝食も準備していたところだし、少し多目に用意してしまったから」

 

 笑いかけてみせると、すみませんと再び謝るシグナム。礼儀正しく生真面目な性格ではあったが、強い芯を持った彼女がここまで悲痛な態度を見せるのは珍しい。そんな痛みを和らげようと、居住まいを正して治療者として問いかける。

 

「シグナムさん、言いにくいならあまり無理しなくてもいいのよ? 必要なら時間も作るし、幸恵にも連絡を取るわ。日を改めても……」

 

「いや、もう時間はない」

 

 だがそれに答えたのはザフィーラ。その抑揚のない声に、普段の物静かだが安心感を抱かせるような温もりはない。冷たく感情を失った灰色の目をこちらに向けたまま立ち上がり、

 

「止めろっ!」

 

 だがシグナムの鋭い声で止められた。彼女らしからぬ態度に、しかし周囲の3人は何の反応も返さない。知っている4人とは違う反応に、先生はだがもう一度先ほどの雰囲気を作ろうとシグナムに問いかける。

 

「さっきこども達の朝食の準備をしていたと言ったけど、一緒に面倒を見てくれる職員――まあ研修中だけど、お姉さんって慕われている人も来てくれるから、私の方の都合は大丈夫よ? はやてちゃんのケアをしていた時の記録も残ってるし、覚えてもいるから――」

 

「違うっ! 違うんです!」

 

 だが、シグナムはそれを遮るように声をあげた。その目には今にも決壊しそうな感情と強い意思が見える。複雑な感情の混ざった視線を真っ直ぐに受け止めながら、じっと言葉を待つ先生。わずかな沈黙。先に目を逸らしたのはシグナムだった。だが、言葉は続かずうつむいてしまう。

 

「コーヒー、冷めちゃったから、淹れなおすわね?」

 

 責めるでもなくそう呟くように言うと、そっとシグナムから離れる。あまり本題に入ろうと焦るよりは、ほんのわずかでも時間を置いた方がいいかもしれない。特にシグナムは激しい情熱を持ちながら、それを強い理性で抑えこんでしまうタイプだ。清潔な病院と違い、こども達に精神的な負荷を与えないようにと気をつけてきたリビングにいれば、多少はリラックスできるかもしれない。そう思ってキッチンに戻ろうとしたが、

 

「……」

 

 その前に服を掴まれた。振り返ると、そこには表情の無い顔で見つめてくるヴィータ。闊達な彼女から程遠いその目に一瞬驚くも、出来るだけ優しく笑いかけて手をとる。

 

「ヴィータちゃん、どうしたの?」

 

「はやての為に、し……」

 

「ヴィータッ!」

 

 だが、言いかけた言葉は再びシグナムによって止められる。シャマルはそれを咎めるように声をかけた。

 

「シグナム、貴女が出来ないから、ヴィータは……」

 

「分かっている! ああ、分かっている! だが、私は、主に、例えお前達がお前達でなくなっても、もう手を汚させないと誓ったのだ!」

 

「なら、はやくしろ」

 

 感情的なシグナムにザフィーラが冷たい声を浴びせる。仲がいいはずなのに、今日はどこかギスギスしている4人。なんとか止めようとシグナムとザフィーラの間に割って入り、

 

「っ! 先生、申し訳ありませんっ!」

 

 激痛が走った。

 腹部には血まみれの刃。

 それが何なのか、分からなかった。

 だが鋼鉄の冷たい刃物が骨を削りながら引き抜かれる感覚に、悟る。

 背中から、刀で貫かれたのだと。

 そして、背後にいたのは、

 

「なっ、なん……で……!?」

 

 シグナムだった。手にはべっとりと血で濡れた刀。床に崩れ落ちる自分を見下ろすその目に浮かぶのは、涙。

 

「シグ……一体、な……にが、あったの……?」

 

 それでも、先生は問いかける。死力を尽くした疑問に答えは返って来ない。ただ、シグナムは流れる涙を振り払うように刀を振り上げ、

 

「せんせいっ! ただいま~!」

 

「待て、アリス! 先生っ!? いますかっ!?」

 

 アリスと孔の声にその手を止めた。響く足音。勢いよく開かれる扉。

 

「先生っ……!?」

 

 そして、倒れる自分に目を開く孔。

 

(ダメ……ッ!)

 

 飛びそうになる意識の中、何とか孔を凶刃から守ろうとする。しかし、

 

「うわあぁぁぁあああ!」

 

 怒りに染まった表情で、孔はどこからか刀を取り出し叫んだ。

 

(ああ、もう、だめじゃない、そんな危ないもの、振り回しちゃ……)

 

 構えた剣で切り返そうとするシグナム。

 

(シグナムさんも、自分を傷つけるみたいに、人を傷つけて……)

 

 激痛の中、目の前で始まろうとする惨劇に手を伸ばす。思うように膝に力が入らない。噴きだした血で足元がすべった。それでも、孔の手には確かに届く。

 

「なっ! 先生っ!?」

 

 折り重なるように倒れた自分を受け止める孔。そのめったに見せない驚いたような顔と肩から背中への激痛にむしろ安心する。かすみ始めた目を向ける余裕はないけれど、斬られたのは孔ではなく、自分だと分かったから。

 

「先生っ!」

 

 抱きしめてくれる孔。その頬を涙が伝う。

 

(ああ、もう、そんなに泣いて……)

 

 その涙を拭おうと手を伸ばす。だがもう腕は動かない。こぼれ落ちる孔の涙が頬を濡らした。

 

「……ぁ……こう……にげ……あなたは、ぶじでいて……わたしは、へいき……だか……」

 

 情けなかった。孔を引き取ってから、理不尽から守ってあげる事もできず、メンタルケアで癒してあげる事もできず、大人びた態度を取らせ続けてしまった事が。恨めしかった。急速に薄れる意識を前に、月並みな言葉しか出てこない自分が。消えていく意識が。しかし、

 

「っ?! 母さん!? かあさんっ!」

 

 孔の叫んだその声に、一瞬思考が止まる。頬が緩むのを感じた。

 

(そうね……お母さんなら、涙、拭いてあげないと……)

 

 もう一度、手を伸ばす。

 酷く軽くなった手は、孔の頬に触れ、

 

 力を失った。

 

 

 † † † †

 

 

 力なく崩れ落ちた手を、孔はただ握っていた。

 アリス、パスカルと共にくぐった玄関は日常と共に出迎えるはずだった。

 心配させてしまった事を謝り、それをおそらくはいつもの優しさと少し寂しそうな笑顔で許してくれるであろう先生に罪悪感を抱きながら、アキラを起こしに行くはずだった。リニスも一緒に、久しぶりに全員が揃うはずだった。

 

「待て、アリス! 先生っ!? いますかっ!?」

 

 だが、血の匂いがその日常を、当たり前の日々を壊した。アリスを置いて走り、駆けこんだリビングには、血塗れになって倒れる先生と、それに剣を振り下ろそうとする魔導師。

 

「うわあぁぁぁあああ!」

 

 反射的に斬りかかる。だが、その剣は自分の刃ではなく、先生の身体が受け止めた。

 

「なっ! 先生っ!?」

 

「……ぁ……こう……にげ……あなたは、ぶじでいて……わたしは、へいき……だか……」

 

 こんな状態になっても自分を気遣おうとする先生に呼びかけながら、必死に回復魔法をかける。だが、失われていく命はそれを受け付けない。

 

(出血が酷すぎたっ!? いや、失血状態で俺をかばおうと無理に身体を動かしたせいで……っ!)

 

 治癒力を高める魔法が通じなければ、プレシアから高いと評価された魔力量も何の役にも立たない。無力感と絶望が襲う。だが、それに抗う暇もなく、抱きしめていた身体から力が抜ける。

 

「っ?! 母さん!? かあさんっ!」

 

 叫ぶ。一瞬だが、先生が、否、母が見せた満足したような笑顔。

 頬に触れた手を握り返し、

 

「母さん!」

 

 だが、呼びかけてももう握る手に温もりは戻らない。体温を失っていく身体が死を告げる。それに抵抗するように、孔は反魂神珠を取り出した。しかし、どんなに祈りを込めても神珠はまるで反応しない。

 

「なぜだ……なぜっ!」

 

(無理ダ、主ヨ……)

 

 叫ぶ孔に、パスカルの声が響く。

 

(ソノ宝珠ハ、魂ヲ在ルベキ場所ヘ還スモノ……死セル定メニナイ魂ヤ現世ニ呼バレ彷徨ウ魂ナラ呼ビ戻ス事モデキヨウガ、母ノ魂ハ、モウ……)

 

 いつの間にかリビングに入ってきていた冥府の番犬が、死を告げる。

 

「ねー、パスカル? もうそっちいっていいよね? アリス、おなかすいちゃった」

 

 駆け寄ってくるアリスの声。

 

「孔お兄ちゃん、どうしたの? 先生、寝ちゃったの? ねえ、先生、起きてよ。孔お兄ちゃん、帰ってきたよ? リニスさんももうすぐ来ちゃうから……」

 

 それに立ち上がる孔。そんなアリスの頭に静かに手を置く。

 

「孔お兄ちゃん?」

 

「アリス、少し、パスカルと……向こうでっ!」

 

 しかし、言葉は続かない。

 

「……」

 

 無言のまま、赤髪の少女がハンマー型のデバイスで殴りつけてきたから。

 

 

 † † † †

 

 

 児童保護施設の前。玄関を見つめ続けるギルバを、リニスはじっと観察していた。包帯で隠された顔からは、表情をうかがい知ることが出来ない。だがそこから覗く目は、悪魔を相手にしていた時に見たのと変わらない鋭さと冷酷さが見える。

 

「どうしたんですか? 施設に、何か気になることでも?」

 

「……あのウヅキというガキの両親はどうした?」

 

 気になって問いかけると、一瞬の間を置いて疑問を口にした。リニスは眉をひそめてそれに答える。

 

「警察の捜査では行方不明となっています。今は、この施設の先生が母親ですね」

 

 そうかと短く答えるギルバ。が、リニスは厳しい声で問いかけた。

 

「ギルバ……あの人の――孔の家族は先生とアリス、パスカルと私です。孔は、きっと力よりも家族を選ぶでしょう」

 

「だろうな」

 

 あっさりとうなずくギルバ。意外な返事に勢いをそがれながらも、リニスは言葉を続けた。

 

「もし、貴方が依頼を優先して無理矢理連れて行こうとするなら、私は――」

 

 が、それは強い魔力に遮られた。反射的に保護施設へ走るリニス。インターホンを無視して扉を開く。鼻につく血の匂い。身近な人間の死を連想させるそれに冷たい恐怖が走る。その背筋が凍るような感覚を否定しながら扉を開けた先には、

 

「っ!?」

 

 すでに呼吸を失った保護施設の先生がいた。

 

 その前には、少女の振るうハンマー型のデバイスを受け止める孔。

 孔が殴りかかってきたそのデバイスを握りつぶす。

 目を見開く少女を、孔の砲撃が吹き飛ばした。

 穴が開いた少女の死体をゴミのように払いのけ、殴りかかろうとする銀髪の男性。

 それをケルベロスと化したパスカルが焼き尽くす。

 駆け寄ろうとした金髪の女性を、涙を流すアリスが掴む。

 急速に年老いて、老婆から朽ちた死体へと変わっていく金髪の女性。

 

 後に残された剣を持った長身の女性は、

 

「分かっていた……いつかこうなるとは……だがっ!」

 

 孔に向かって剣を振り下ろした。孔はそれを受け止めることなく、

 

「そんなもので……っ! 償えるものかぁぁあああ!」

 

 迫る刃ごと女騎士を両断した。その身体は光の塵となって消えていく。破片となったデバイスの刃が宙を舞う。それはリニスの頬とギルバの包帯を掠め、床に虚しい音を立てた。

 

「……コウ」

 

 切り裂かれた頬の血を拭おうともせず、リニスは膝をつく孔に何か声をかけようとして、

 

「よせ」

 

 ギルバに肩を掴まれた。

 

「貴方はっ!」

 

 そっとしておいてやれとでも言うようなその手を、リニスはしかし払いのける。

 

「私はっ! 孔にっ! あの人にっ!」

 

 ギルバを睨みつけ、出てこない言葉を叫び、孔へと駆け寄る。

 

 何かしてあげたかった。

 先生が何度もそうしたように、孔の傷を癒してあげたかった。

 

 だが、その想いを遮るように、孔はゆっくりと立ち上がり先生を抱き上げる。力なく落ちる手をアリスが握った。それを否定する事も、慰める事もなく歩き出す孔。だが、リビングの扉の前、ギルバの前で立ち止まる。

 

「……」

 

 無言で見下ろすギルバ。切れた包帯が滑り落ちる。見上げる孔の頬に涙が伝った。

 

「ギルバ……いや、デビルハンター、バージル。あなたを雇いたい」

 

 そして、押し殺した、しかしはっきりとした声で告げる。

 

「報酬は、あなたの受けた依頼に協力し、公園へ向かうこと――依頼内容は、母を殺した悪魔の抹殺……っ!」

 

「……いいだろう。受けてやる」

 

 静かにうなずくバージル。その返事を背に、再び孔は歩き出す。廊下を抜けて先生の部屋へ。朝日が射しこむベッドに遺体を横たえる。耐え切れなくなったように、アリスはすがりついて泣き始めた。

 

「悪魔だか、神だか知らんが……」

 

 孔はただその死と太陽の光を見つめ、

 

「この俺にこんな力を抱かせたこと……後悔させてやる!」

 

 悲鳴のような絶叫を上げた。

 




――Result―――――――

・愚者 ハーリーQ 魔剣により惨殺
・愚者 アサインメンツメンバー 悪魔化後、共喰い、斬殺等
・魔王 バエル 魔剣により惨殺
・愚者 先端技術医療センター所長 悪魔化により死亡
・愚者 保護施設の先生 デバイスによる刺殺および失血死

――悪魔全書――――――

犬 パスカル
※本作独自設定
 海鳴市の自然公園で孔に保護されたハスキー犬。メス。保護施設に拾われてからは家族同然に扱われ、また、パスカル自身も家族として番犬の役割を務めている。アリスを追ってアラマ深海に飛び込んだ際に悪魔として覚醒、ケルベロスと化してからもそれは変わらず、普段は犬の姿で過ごす。おとなしい性格で、アリスが眠るまで見守り、先生に撫でられて眠るのを日常としているが、平穏が乱されると悪魔の力の行使に躊躇しない獰猛な一面も見せる。

――元ネタ全書―――――

酷く軽くなった手は、孔の頬に触れ、力を失った。
 真・女神転生Ⅰより、母親が悪魔に殺されるシーン。この事件をきっかけに帰る場所をなくした主人公は抗争に巻き込まれていきます。

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