リリカル・デビル・サーガ   作:ロウルス

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・本作品はフィクションです。実際に存在する個人・団体とは一切関係ありません。
・一部児童相談所等の施設が登場しますが、本作はその活動を批判および否定するものではありません。



閑話4 施設の先生

「児童保護施設の、友野真美さんですね? 少々お待ちください」

 

 早朝の病院。受付の奥へ消えていく看護士を見送った私は、待合室でじっとテレビのニュースを眺めていた。

 

「昨夜、海鳴市で男女の遺体が発見されました。被害者は会社員の男性とその妻で、鉈のようなもので切りつけられた形跡があることから、警察では殺人事件として捜査を続けています。次のニュースです。連続する不審火について――」

 

 多くを語らない報道が苛立ちを加速させる。

 

 これから会う、その夫妻から遺されたこどもの事を少しでも知っておかなければならなかったから。

 

 

 その女の子――八神はやてちゃんは保護された当時、3歳だった。父親の仕事の関係で海鳴に引っ越して来た、仲のいい家族。警察の調べに、一家を知る人々はそんな感想を語ったという。

 

「病院の検査じゃあ身体に異常はないって話なんですが、どうも両親の死を目撃しちまったみたいでね。一応、意識ははっきりしていて、病院まできちんと自分の脚で歩いてきてくれたんですが、やっぱり、事件の事を聞かれるのは辛いみたいで」

 

 当たり前だ。待合室までやってきた刑事に私は内心毒づいていた。目の前で両親殺されたのがトラウマとなって記憶を封印するこどももいるのに、それを思い出せなんて、と。

 

「ただ、地元――関西の方らしいですが、そっちに親戚もいないようで、引き取り手がいないんですよ。こどもひとりで誰もいない自宅に帰すわけにもいかない」

 

 でも、私は言葉を呑みこんだ。病院の廊下を歩きながら説明を続ける刑事にははっきりと疲労の色が見えていたから。

 

「事件専門の俺達じゃ被害者の力になれないんで、お願いします」

 

 通された病室の扉を出来るだけ静かに開く。ベッドに座っていたその小さな女の子は、

 

「あ、や、いや……嫌やっ! 帰ったら、また、あのっ! あの鳥がっ!」

 

 怯えていた。泣き叫ぶはやてちゃんに私は何度も呼びかける。

 

「私ははやてちゃんを連れ戻しに来たんじゃないわ」

「怖いところなら、帰らなくてもいいのよ?」

「でも、病院じゃ暮らせないでしょう? だから、新しいところに行くの」

「大丈夫。怖い事なんていないから」

 

 言葉では伝わっていないだろう。でも、はやてちゃんは近寄る私を拒絶しなかった。清潔だが殺風景な病院の空気で冷たくなった身体を抱きしめる。はやてちゃんは泣きながら小さく呟いた。

 

「ほんまに、帰らんでええの?」

 

 

 † † † †

 

 

「じゃあ、しばらくここで過ごす事になるから、少し模様替えしましょうか?」

 

 はやてちゃんの受け容れは、まず恐怖を取り除くところから始まった。空いていた部屋の布団も清潔なだけの白から柔らかい暖色に変え、殺風景な部屋にぬいぐるみを並べる。はやてちゃんは始め驚いていたけれど、すぐにぬいぐるみを離さなくなった。

 

「はやてちゃん、ぬいぐるみは好き?」

 

「うん! 怖い鳥、やっつけてくれるから」

 

 はやてちゃんはよく鳥を模したぬいぐるみをベッドの角におき、他のぬいぐるみにやっつけさせていた。時には他のぬいぐるみを兵隊の様に並べて自らを守らせ、また時にはアニメのキャラクターをデフォルメした人形に戦わせる。

 

(鳥は怖い思いをさせた犯人、他のぬいぐるみは守ってくれた両親……かしら?)

 

 私はそんな事を考えながらはやてちゃんの「遊び」を見ていた。病院で児童心理を担当している嘱託医、柊黎子先生から聞いた知識だ。こどもがトラウマになるような事態に遭遇した時、遊びという形で事件を何度も繰り返し「体験」して、一度拒絶した現実を受け容れるのは、決して珍しい話じゃない。そう分かってはいるけれど、その姿は痛々しく思えた。

 

「そんな顔をしないで。真美さんのおかげで、なんとかベッドから降りて、部屋で遊ぶくらいはできるようになったんだから」

 

 様子を見に来た黎子先生はそう言ってくれるけど、未だ部屋から一歩も出ようとしないはやてちゃんに、私はなかなか安心する事が出来なかった。

 

 

 † † † †

 

 

「嫌っ! 真美さん、行かんといて!」

 

 はやてちゃんは施設に移っても「外」を怖がり、そしてひとりにされるのを怖がった。今日も食事を部屋まで持ってきて一緒に食べたまでは良かったけど、空いた食器を下げようとすると、服にしがみついて泣き叫ぶ。

 

「はやてちゃん、もうすぐ黎子さんも来るから、ね?」

 

 それを先生の名前で宥める。はやてちゃんは少しだけ服を持つ手を緩めた。

 

「ほら、ご飯、出しっぱなしじゃ黎子さんも来てくれなくなるでしょう?」

 

「うん……じゃあ、我慢する」

 

 言い聞かせるように注意すると、素直に手を離すはやてちゃん。あまりにも素直すぎるはやてちゃんに、私はむしろ不安になった。

 

 はやてちゃんの姿は、嫌われまいと必死に自分を抑圧しているように見えたから。

 

 

 † † † †

 

 

「いや、いやぁぁぁあああ! そとで、鳥が、とりがぁ!」

 

 でも、引き取って数ヶ月ほどしたある日、はやてちゃんは泣き止まなくなった。遠くから聞こえてくる鳥の鳴き声のせいだ。

 

「大丈夫。ちゃんと守ってあげるから」

「玲子さんもすぐ来るわ」

「ほら、ぬいぐるみもいるでしょう?」

 

 言葉をかけてはみたけれど、はやてちゃんの恐怖はなかなか納まらなかった。それを止めたのは、部屋の扉を叩く音。びくりと身体を震わせるはやてちゃん。

 

「遅くなってごめんなさいね」

 

 入ってきた黎子さんは、そう言いながらはやてちゃんにぬいぐるみを渡した。可愛らしくデフォルメされた、騎士の格好をしたアニメのヒーロー。はやてちゃんは泣き声を止め、しゃくりあげながらそれを受け取る。

 

「この子はね、怖い鳥からはやてちゃんを守ってくれるのよ?」

 

 本棚から絵本を取り出す黎子さん。そのままは私の膝の上にいるはやてちゃんの横に座り、本を開く。目で促されるまま、私はその本をはやてちゃんに読み聞かせ始めた。

 

 

「寝ちゃいましたね、はやてちゃん」

 

「ええ。よっぽど怖かったんでしょう」

 

 やがて、はやてちゃんは私の腕にしがみついたまま眠り始めた。憑き物が落ちたように安らかな寝顔を見せるはやてちゃんに、思わず笑みが漏れる。でも、黎子さんは真剣な顔を崩さなかった。

 

「はやてちゃん、鳥をすごく怖がっているみたいなんです。絵を描いてもらっても必ずといっていいほど悪役として登場しているし。でも、まだその原因がつかめていなくて……普段の様子から思い当たる事はありませんか?」

 

「いえ、すみません、私の方も何も。こんなに怯えたのも今日がはじめてですので。その、怖い鳥って、あの事件の犯人の事じゃないんですか?」

 

「それは間違いないでしょうけど、なぜ鳥と結びついてしまったのかが分からなくて。別にもっと恐怖の象徴となるような出来事があったんじゃないかと……」

 

 そういえば私も何度か治療に立ち会い、その中ではやてちゃんが描いた絵を見せてもらった事がある。そこに書かれた馬のような顔をした巨大な鳥は奇妙な迫力があり、人からずっとかけ離れているようにも見えた。

 

「何か些細なことでも、気づいたことがあったらお伝えください」

 

 黎子さんはそういって立ち上がると、部屋から出ていった。黎子さんの体温が離れていくのを感じたのか、はやてちゃんは私にしがみつく手の力を強める。私はそれを握り返すと、起こさないようにそっと身体を動かし、一緒に布団に入った。

 

 

 † † † †

 

 

 次の日、はやてちゃんは目覚めてからもずっと手を放すことは無かった。しきりに「黎子さん、どうしたん?」「もう怖いの、おらへん?」と問いかけ続ける。私はその度に「黎子さんは次の診察の時に会えるわ」「ええ。昨日も何もいなかったわよ」と返し続けた。

 

「そんなに心配なら、一緒に皆でご飯、食べに行きましょうか?」

 

「え? う、うん。それじゃあ……」

 

 でも、朝食を取るため部屋を出る前に問いかけた質問の答えは、いつもと違っていた。「やっぱり外は怖いから待ってる」と言う代わりに、黎子さんから貰ったぬいぐるみを抱きかかえたまま、震える声でうなずいたのだ。

 

 

「うわぁ……賑やかなんやね」

 

 はじめて入った食堂で、はやてちゃんは気後れしたように呟いた。何時も部屋から出ることのないはやてちゃんは、同じ3歳くらいのこども達から高校生まで同じ施設で過ごす光景に驚いているようだった。そして同時に何倍も身体の大きなこども達に怯えているのだろう。手をきゅっと握り締めてきた。

 

「じゃあ、向こうで食べましょうか?」

 

 そんなはやてちゃんを連れて、同じくらいの年齢の兄妹が食事をしているテーブルへ座る。目の前に座る兄妹が顔を上げた。

 

「カズミくん、メイちゃん。おはよう」

 

 目があって挨拶すると、カズミくんは目をそむけ、メイちゃんは戸惑いがちに「おはようございます」と呟く。はやてちゃんはそんな2人を心配そうに見つめていた。

 

「少し前に施設に来たはやてちゃんよ? 仲良くしてあげてね? ほら、はやてちゃん……」

 

「あ、あの、わ、私、八神はやてって言います。よ、よろしゅう……」

 

 はやてちゃんは私に促されると声を絞り出すように挨拶を始める。でも、小さくなりすぎて途中からは聞き取れなくなってしまった。そんなはやてちゃんをカズミくんはじっと見つめ、メイちゃんはぽかんとした顔を向けている。まだ引き合わせるのは早かっただろうか。私は少し慌てたけど、

 

「クスクスクス! はやてちゃんの喋り方、変なの!」

 

「えっ! か、関西弁は変やないよ! お兄ちゃんもそう思うやろ!?」

 

「うん? あ、ああ。そうだな、はやては変じゃない」

 

 メイちゃんが笑い出したのをきっかけに話しはじめた3人を見て、胸をなでおろした。

 

 

 それから、はやてちゃんはよくメイちゃんとカズミくんの部屋へ遊びに行くようになった。その時は決まってぬいぐるみを持っていて、メイちゃんに渡していく。嬉しそうに受け取るメイちゃんを尻目に、私はそっとカズミくんの方を伺っていた。カズミくんははやてちゃんと同じようにお母さんを殺人事件で亡くしている。そして、メイちゃんは現場にいなかったけど、カズミくんはその様子を目撃していた。

 

――お前達に用なんてない! 迷惑だ……入ってこないでくれ!!

 

 引き取ったあの日、大声で私たちを拒絶したカズミくん。親戚に引き取りを拒否された2人はおとな達に強い不信感を募らせていた。カズミくんは部屋に入ってきた職員に攻撃的に当り散らし、メイちゃんは怯えるように過ごす。処置困難。周囲からはそんな声も聞こえたけど、私はそうは考えなかった。考えたくなかったのかもしれない。ここでも拒絶してしまったら、本当にこの子達は居場所をなくし、絶望してしまう。そんな姿は見たくなかったから。

 

(カズミくんもやっと笑ってくれるようになったわね……)

 

 はやてちゃんを迎えるカズミくんに、かつてのような刺々しさはない。今日もはやてちゃんが持ってきた灰色の猫のぬいぐるみにはしゃぐメイちゃんを、楽しそうに見守っている。

 

「あっ! この子、ゾウイみたい!」

 

「ぞうい?」

 

「猫の名前だ。前に遊んでた友達がよく連れてきて……」

 

「すずかちゃんっていって、すごく髪が綺麗なんだよ! あ、でも、ゾウイはもっと黒かったかも……」

 

 きっと3人とも、人を拒絶しているようで本当は誰か手を差し伸べてくれる人を求めていたのだろう。ただ、自分からは恐怖が先にたって言い出せなかっただけ。言い出せないから、誰かがきっかけを与えてくれるのを待っている。でも、どんなにいい子に待ってもそんな人はなかなかいないから、今度は「どうして誰も手を差し伸べてくれないんだ」って叫ぶ。だからそんな怒りは、手を差し伸べてくれる誰かに気がつけばすぐに消えてしまうんだ。ぬいぐるみの話で盛り上がるのを見て、私はそんなことを考えていた。

 

 

 † † † †

 

 

 それから数ヶ月。ようやく安定を見せ始めたはやてちゃんは、施設の自室ではなく、病院で診察を受けるようになっていた。

 

「あら? はやてちゃん、その猫、どうしたの?」

 

「黎子さんに貰ってん。メイちゃんとお兄ちゃんが、黒猫がいいって言うてたから」

 

 でも、ぬいぐるみが好きなのは相変わらずだ。後ろで微笑む黎子さんにお礼を言って、施設へと戻る。

 

「じゃあ、一緒にメイちゃんとカズミくんの部屋まで行きましょうか?」

 

「うんっ!」

 

 嬉しそうにうなずくはやてちゃん。メイちゃんを喜ばせることが出来るのが楽しみなのだろう。手をとって歩き出すはやてちゃんに引かれるようにして部屋へ。でも、それはガラスが割れるような音で止まった。

 

 鋭い音はすぐ後ろ。

 

 振り返った先には、投げ込まれた火炎瓶。そして、

 

――アは、イひ、ヒャーハッハァ!

 

 窓からのぞく、狂った顔。

 

「い、や……」

 

 怯えた声を止めるようにはやてちゃんを抱きしめる。この子に恐怖が広がる前に逃げないと。私は走った。とにかく奥へ。見えないところへ。

 

――ヒ、ヒヒヒ、ヒ。もっとだ! もっと燃えろぉ!

 

 でも鳴り響く火災報知器の音と笑い声は止まらない。震えるはやてちゃんの背中を押すようにして走る。でも、逃げ込もうとした廊下の奥もすぐに火の手が回っていた。火種がもう仕込んであったんだろう。

 

「ま、真美さん……」

 

 立ち止まった私を見上げるはやてちゃん。その目は怯え、涙が浮かんでいた。私は慌てて「大丈夫だから」と声をかけると、すぐ近くにあった扉を開く。カズミくんとメイちゃんの部屋だ。一瞬、割れた窓の外に飛び出す黒い影のようなものが見えたが、大粒の汗を浮かべて倒れるメイちゃんを見てそんなものは吹き飛んだ。

 

「メ、メイちゃんっ!? 大丈夫?」

 

「せんせい……? はやてちゃん、も?」

 

 熱にやられたのか、ぼんやりとした視線を見せるメイちゃん。でも、すぐに背中から感じた熱に振り返った。もう扉が燃え、炎が部屋に入り始めている。私は慌てて割れた窓に駆け寄った。1階ということもあって何とか飛び降りる事が出来そうな高さに安堵する。クッションになるように布団を外へ放り出し、椅子を踏み台にしながら叫ぶ。

 

「2人とも、飛び降りるわよ?!」

 

 2人を窓の近くまで呼び寄せる。先に窓の外に出て受け止めた方がいいんじゃないかとも思ったが、部屋の高温とメイちゃんの容態を思い出して先に2人を逃がす事にした。2人の背中を押し、布団に着地するのを見届け、

 

――ヒャッハァ!

 

 すぐ近くから聞こえた声に青くなった。ナイフを持った少年が、狂った声をあげてこども達に迫っていたのだ。慌てて飛び出して、少年とこどもの間に身体を滑り込ませる。

 

 恐怖に染まるメイちゃんとはやてちゃん。

 その目を塞ぐように2人を抱きしめる。

 背中に走る衝撃。激痛。

 

 ああ、刺されたんだな。前に倒れこみながらそう悟る。同時に腕の中の2人を突き放し、逃げなさい、と叫んだ。でも、メイちゃんもはやてちゃんもしがみついたまま離れようとしない。もう一度叫ぼうとして、私は言葉を呑み込んだ。体勢を立て直そうと振り向いた視線の先には、響き始めたパトカーのサイレンに逃げていく少年と、その少年を追う見知った男の子が見えたから。

 

「カズミくんっ! ダメ!」

 

 呑み込んだのとは別の言葉で叫ぶ。でも、私の声はカズミくんに届かない。ただ憎悪に顔を歪め、少年に向かって走っていく。私はその顔を知っていた。あの日、母親が殺された2人を引き取った日、カズミくんが見せた顔だ。

 

――お前達に用なんてない!

 

 それは、自分に降りかかった理不尽への怒り。

 ついこの間まで、忘れていたはずの怒り。

 

「うわぁぁァァァォォオオーーー!」

 

 怒りに任せて叫ぶカズミくん。まるで怒り狂った獣のような叫び。いや、事実、私にはカズミくんが獣の姿に見えた。

 

 狼のような姿となったカズミくんは、大きな腕を振り上げて少年に跳躍し、

 

 突然舞い降りた巨大な鳥に突き飛ばされ、地面に叩きつけられた。

 

 いや、本当に鳥だろうか。全身は鱗で覆われ、馬のような顔をした巨大なソレは、

 

「$%‘VWhy7“&い@8FW―――!」

 

 狂いそうな鳴き声をあげて、ナタのように尖った爪でカズミくんに襲いかかった。カズミくんは地面に叩きつけられたまま、動かない。

 

「いや、いやぁぁぁあああ! あのっ! あの鳥がっ!」

 

 叫ぶはやてちゃんの声。私はほとんど反射的に駆け出していた。

 

 刺された背中が熱い。

 失血で頭がクラクラした。

 

 でも、足は止まらない。

 

 やっと、伸ばされた手に気づいてくれたカズミくん達に、最後まで手を伸ばし続けたかったから。

 

 

 † † † †

 

 

――ウオォォーーーーーオオオオオオ!!

 

 真っ暗になった意識の中、遠吠えが聞こえる。

 

――……ウア……アア……ウッウッ……ウウッ……

 

 それは近づいてきて、泣き声に変わった。悲しそうな獣の声に目を向けると、大きな狼の様な、人の様な黒い影が見下ろしている。

 

「……カズミ、くん?」

 

 何故その影にカズミくんが重なったのかは分からない。でも、私にはその子が出会ったばかりの、泣いている様な、怒っている様なカズミくんに思えた。

 

「良かった、無事だったのね?」

 

 真っ暗な視界に、あの鳥はいない。奇妙なあの鳴き声も聞こえない。だから、私はカズミくんに手を伸ばした。でも、カズミくんは驚いたような表情を残して走り去ってしまう。空を切る手。代わりにそれを掴んだのははやてちゃんだった。頬には涙が伝っている。手を握り返す。でも、はやてちゃんの涙は止まらない。

 

「もう、そんなに泣いたら、ぬいぐるみさんに、笑われちゃうよ?」

 

 空いている方の手にいつの間にか握られていたぬいぐるみを差し出して見せる。いつか黎子さんがはやてちゃんに渡した、アニメに出てくる騎士をデフォルメしたぬいぐるみ。そのぬいぐるみは、はやてちゃんが手を触れると銀髪の女の人に変わった。ぬいぐるみがデフォルメじゃなかったらこんな感じだろうか。10代後半くらいで、白い肌が闇によく映える。私より少し高い背丈は、はやてちゃんを抱きしめるのに十分だった。問題があるとすれば、その女の人は今にも泣き出しそうな顔をしているところだろうか。

 

「ダメ、じゃない。守る方が、泣いてちゃ……」

 

 きっと、私は夢の中にいるのだろう。でも、ずっとはやてちゃんを守ってきたぬいぐるみと同じ格好をしたその人が泣いているのは、私には耐えられなかった。だんだんと遠くなる意識の中、もう一度手を伸ばして女の人の涙を拭う。

 

――っ! 私は主を求め……

 

「なら、早く……はやてちゃんを……みんなを守って……あげて……」

 

 驚いて何かを言おうとするその女の人を遮って、私はただ願いを告げる。

 

 薄れる意識のせいで上手く言葉は続かなかったけど、その女の人は確かに頷き、そして消えていった。もう、ここには誰もいない。はやてちゃんも、メイちゃんも、カズミくんも……

 

(ああ、寒い、な……)

 

 死んだような真っ暗な場所で、

 

(こども達にはもっと、あったかいところが、いいわ、ね……)

 

 私の意識は途絶えた。

 

――――――――――――友野真美/海鳴市児童保護施設

 

――――――――――――

 

「ああ、柊君。少年とこども達の方は助かったよ」

 

「あの、友野先生は……施設の女性職員はどうでしょうか?」

 

 病院の院長室。無言で首を振る院長先生に、私は流れそうになる涙を必死に堪えていた。幸い施設自体は全焼を免れ、大部分のこども達と職員は無事に避難出来たけど、出火場所近くにいた真美さんは、もう……。

 

「ところで、現場に居合わせた少年の方なんだが、須藤竜也君といってね。お父さんが政治家の偉い先生なんだ」

 

「は、はあ」

 

「彼の事は何か知っているかね? こども達と知り合いだった、とか?」

 

「いえ……施設では預かっていませんし、カズミくん達――今回被害にあったこども達ですけど、3人とも面識は無いはずですので、詳しくは……野次馬も多かったし、偶然居合わせただけではないのですか?」

 

 妙な質問に、私は戸惑いながら答える。院長先生はじっと観察するようにこちらを見つめながら話を聞いていたが、急に窓の方へ背を向けて呟いた。

 

「よし、それでいこう」

 

「はい?」

 

「いや。なんでもないよ。……こどもを守るため負傷したヒーロー。流石未来を担う立派な政治家の息子じゃあないか」

 

 どこか苦々しげに言う院長先生。それはどういう意味ですか? 問いかけようとしたけれど、そんな疑問は続く言葉で吹き飛んでしまった。

 

「助かったこども達だがね、昨日、親戚の方が病院まで見えたんだ。ニュースを見た、といってね」

 

「えっ……!」

 

 思わず声が漏れる。真美さんの話では、はやてちゃんは親戚が見つからず、カズミくんとメイちゃんも引き取りを拒絶されたはずだ。それ以前に、いくら混乱している状況とはいえ、突然現われた親戚だという人物にすぐ引き渡してしまっていいものだろうか

 

「いや。施設でも認識していなかった、遠い血縁に当たる人らしいのだよ。事件がニュースになって慌てて名乗り出てきたようなんだ」

「大丈夫。ちゃんと身元は確認したよ。何せ2人とも私の良く知る人物だからね」

「八神君を引き取ったグレアム氏はイギリスの実業家、山田兄妹を引き取った平坂博士は海外でも名の通った外科医だ。こどもを引き取る分には問題ないだろう」

「こども達も拒絶するような態度は見られなかったよ。むしろ、施設や病院にトラウマを持ってしまってね。家族に囲まれながら、ケアを受ける事方がいいだろう?」

「ケアも引き取り先の住所に近い、精神科医の権威にお願いしたんだ。すまないが、納得してくれたまえ」

 

 疑問を見透かしたように院長先生の言葉が続く。私はどこか複雑な心境でそれを聞いていた。はやてちゃんやメイちゃん、カズミくんに親戚が見つかったのはもちろん嬉しい。だけど、本当に3人が突然現われた親戚を受け容れたのかという疑問と、なぜ真美さんが犠牲になる前に名乗り出てくれなかったのかというやるせなさで、とても喜ぶ気にはならなかった。

 

「ところで、君の留学だが、予定通りでいいのかね?」

 

 そんな感情に構っている暇はないとでも言うように、院長先生は備え付けの立派なテーブルに視線を移した。そこには、アメリカの学会に宛てた児童心理学研究員の推薦状。今度海鳴市で立ち上げるケースワーク――少人数でのグループホームの設立――に参加する一助になれば、と数日前に院長先生が用意してくれたものだ。もともと、海鳴の児童保護施設は大舎制をとっており、その形態は大きく問題視されている。3歳児から高校生までの同居。児童数1人当たりにして少なすぎる職員。法律の線は無論満たしているが、現場から上がる問題は枚挙に暇が無い。それに対応するため行政が立ち上げた計画で、私もその仕事に携わり、設立後は職員として働くつもりだった。でも、

 

「あの、もう少し、こども達の様子を見てからではいけませんか?」

 

「もちろん構わないが、あまり期間を延ばせないことは承知しておいてくれたまえ」

 

 いくら人的被害が少なかったといっても、施設で火災に直面した精神的なケアを必要としているこども達も多い。

 

 何か私に出来ることがあれば、やっておきたかった。

 

 はやてちゃん達には、手を差し伸べることも出来なかったんだから。

 

 

 † † † †

 

 

 火災の影響は大きかった。幸い重度の精神障害に陥ったこども達は少なかったけど、こども達の生活場所という物理的な問題が残った。半焼で済んだとはいえ施設はリフォームが必要であり、その間こども達の受け入れ先を見つけなければならない。大半は隣町や別の県の施設に移ってもらうことになったけど、2名、受け入れ先の無いこどもが残った。金髪の女の子と、赤ん坊。外国人らしい女の子は日本の施設で受け容れるためには複雑な手続きが必要で、赤ん坊も児童保護施設で預かれるような年齢には到底達していない。何より、保護施設の職員に担当となっている人物がおらず、仲介役が不在だった。

 

「おそらく、つい最近になって真美さんが2人一緒に保護したんでしょう。赤ちゃんの方は乳児院に引き渡される直前、だったのかしら?」

 

「ええ。警察もそう考えてるみたい。でも、周りに両親らしき人もいないみたいで。書類も焼けてしまったって聞いたけど……」

 

 その女の子と赤ん坊の病室。治療に当たっていた幸恵と話しながら、私はその子が握っていたという銀のプレートを見つめていた。ネームプレートだろうか。半分は高温で溶けて無くなってしまっているが、辛うじて文字らしきものは読み取ることが出来る。

 

「A、1……いえ、小文字のエルかしら? ……ⅰ、s……? Alis、あり、す……Alice(アリス)のスペルミス?」

 

 そこまで読んだ時、ベッドで眠っていたその女の子は目を開け、私の方へ手を伸ばしてきた。その手を握りながら問いかける。

 

「アリス……あなた、アリスっていうのね?」

 

 女の子はうなずいた。もうひとつ、赤ん坊の首にかかっていたプレートを見せて続ける。

 

「なら、この子は……Aki、r……あ、き……ら、アキラかしら?」

 

 ベッドで横になったままきゅっと手を握ってくる女の子。でも、それっきり目を閉じてしまった。慌てる私に幸恵の声が響く。

 

「大丈夫。眠っただけよ。それより……」

 

「ええ。名前も分かったし、親戚がいるかどうか少し調べてみるわ。旅行者か、日本在住の外国人か……」

 

 留学前にやる事が出来てしまったようだ。

 

 

 アリスが目覚めたのは翌日の事だった。幸恵から連絡を受けて病室に行ってみると、眠っている時の様子が嘘の様にアリスは本来の無邪気な姿を取り戻していた。

 

「ねー、お姉さんはなんていうの? 先生?」

「真美さん……うーん? その人、だあれ?」

「お母さん? わからない! でも、先生みたいな人がいいなぁ……」

「そうだ! 先生、私のお母さんになってよ!」

 

 しばらく入院という形で預かることになったアリスはすぐ周囲になじんだ。わがままといたずらを繰り返し、周囲の気を引こうとする。そんなアリスに構いっぱなしだと、アキラも声をあげて泣いた。2人とも、再び捨てられるのを怖がっているのだろう。でも、できるだけ一緒にいる時間を作っているうちに、アリスに変化が出てきた。

 

「ちょっとアキラの様子を見てくるから、いい子にしててね?」

 

「ねー先生。私も行っていい? アキラに、本読んであげるの!」

 

 普段なら「行かないで」と泣き出すアリスが、アキラのことを気にし始めたのだ。まるで姉になったようにアキラの面倒を見ようとするアリス。アキラもそんなアリスの手を握り、よく笑うようになった。

 

「施設の事件から入院している2人に、親戚が見つかったらしいよ?」

 

 でも、そんな日々も終わりを告げた。警察から院長先生に連絡が入ったのだ。その人物はアメリカの大学で学者をやっているという。何の偶然か、その大学は私の留学先と同じだった。院長先生は連絡と共に届けられたDNA鑑定結果を見つめながら、こう言った。

 

「そろそろ留学を延ばせるのも限界だ。2人を連れて、一緒にアメリカまで行ってきてはどうかな?」

 

 

 † † † †

 

 

 結局、私はアリスとアキラをつれてアメリカへ渡る事になった。勤務先である大学が用意してくれた宿舎は広く、3人で過ごすには十分だ。

 

「ねー、先生っ! 私、公園行ってみたい!」

「あっ! あのお店行ってみたい!」

「先生っ! ヒランヤだって! 私ヒランヤ欲しい!」

 

 アリスはアメリカについてからもはしゃぎ続けた。宿舎に向かう途中で見えた公園へ行きたいと言い出したかと思えば、露店にある五方星をあしらったネックレスに夢中になる。まるで、引き取ろうとする親戚に会いたくないと言っている様に。

 

「失礼。柊黎子君かな?」

 

 それを肯定するように、公園で引き取る予定の人物と出会った時、アリスは私の後ろに隠れ手を握りしめてきた。偶然か待ち伏せか、スティーヴンと名乗った車椅子の男性は、観察する様にアリスを見つめている。聞かされていた通り学者のようだ。私は出来るだけアリスとスティーヴン博士を刺激しないように切り出した。

 

「あの、アリスも準備がありますので、予定の日にお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 

「ああ、結構だ。それまでエイワ――いや、アリス君を宜しく頼むよ」

 

 呆気なく去っていく博士に寧ろ不気味なものを感じながら、私はアリスの手をひいて宿舎へと戻りはじめた。帰り道、アリスはもう何も話さなかった。

 

 

 翌日。私はひとりでスティーヴン博士の住所を訪れていた。肝心のアリスが嫌がったため、もう少し時間が欲しいと告げに来たのだ。

 

「いや。わざわざすまなかったね。実は人違いだったようだ。私が探していた人物は別に見つかったよ」

 

 だが、迎えたスティーヴン博士の言葉は意外なものだった。住居、というより研究室に近い部屋で、車椅子を押す少女――クルスを紹介する博士に、私は慌てた。親戚が見つかったと思ったら違っていた。施設ではよく聞く話だし、アリスに時間が出来たのは嬉しいけれど、肉親が見つかったという可能性が潰えるのは出来れば間違いであって欲しい。

 

「あの、DNA鑑定では親族の可能性が高かったと聞いていますが?」

 

「ああ。だが、パターンが似ているというだけで完全に保障するものじゃない。一致率はこの子の方が高いのだよ。それに、昨日公園で見て別人と分かったからね」

 

 でも、スティーヴン氏からの回答は非情だった。落胆が伝わったのか、博士は少し気を使った様に続ける。

 

「必要なら、アリス君に事実を伝える時に同席してもよいが?」

 

「いえ。それには及びません」

 

「そうかね? まあ、いずれにせよ引き取ったのが柊君のようなまっとうな人間でよかった。悪魔に目をつけられては大変だからね」

 

「はあ、悪魔、ですか」

 

 急に出てきた言葉に首をかしげる。スティーヴン博士は信仰を持っているのだろうか。聞き返すと、博士は首を振った。

 

「いや、この辺りにも児童保護施設があるのだがね。着服事件があって閉鎖されたのだが、そこの管理者が悪魔のような男と記事になったのだよ。虐待をやっていたとかでね」

 

 それなら、私も読んだことがある。アメリカはよくも悪くも虐待問題には先進国だ。そこで起こった痛ましい事件は大きく報道され、未だ裁判の様子がメディアを賑わしている。でも、続く博士の言葉は私を震えさせた。

 

「……ところで、時折まだこどもの声が聞こえるのだが、何か知らないかね?」

 

 

 博士の言葉どおり、児童保護施設には生き残りがいた。その少女――アリサは危険な状態だった。身体的な異常はもちろん、支えてくれる人がいなかったのだ。保護した病院で担当する看護士が告げる。

 

「どうも、施設に強い嫌悪があるようで……」

 

 そういえば、院長先生もはやてちゃんが施設にトラウマを持ってしまったと言っていた。

 

 手を差しのべる事ができなかった少女を思い浮かべた私は、目を覚ました彼女に自然と声をかけていた。

 

「……ねえ、あなた、私たちの家に来ない?」

 

 

 † † † †

 

 

 アメリカから戻った私は、予定通り海鳴市のテストケースに参加することになった。新たに立ち上げられたグループホームは少人数を対象に集中的なケアを、という触書だったけど、実際には再建された施設で預かるのが難しいこども達が回されてきた。勿論、その中にはアリサやアリス、アキラも含まれている。体よく押し付けられたようにも見えるけど、身元を考えると受け容れられただけよかったのだろう。私が戻ってくるまで、テストケースとしてアリサ達を預かる事ができるよう手続きをしてくれた院長先生には、ずいぶん迷惑をかけた。

 

「なに。若者にチャンスを与えるのは老人の仕事だからね。それに……君にはひとり、ケアを頼みたい患者がいるんだ」

 

 でも、その感謝はすぐに驚きに変わる。

 

 紹介された患者は、はやてちゃんだった。

 

 病室を訪ねたとき、はやてちゃんはベッドで横になっていた。抱いているのはいつか渡した黒猫と騎士のぬいぐるみ。そして、枕元には真美さんの写真があった。

 

「れ、黎子、さん……?」

 

 はやてちゃんははじめ驚いたような顔をしていたけど、すぐに涙を浮かべて飛び込んできた。ベッドから飛び降りようとして崩れ落ちる。私はそんなはやてちゃんを支えて、抱きしめてあげるしか出来なかった。

 

「はやてちゃん、これから私があなたのケアを担当する事になったの」

 

 はやてちゃんが落ち着いて、私はやっと声をかけることが出来た。手を握りしめたまま問いかけるはやてちゃん。

 

「……じゃあ、また、一緒にいてくれるん?」

 

「ええ。脚が治るまで、いえ、治ってからも、ずっと……」

 

 手を握り返しながら答える。

 

 再会したはやてちゃんは、下半身付随を患っていた。

 

 

 † † † †

 

 

 それから、病院と施設での生活が始まった。病院では精神科医としてはやてちゃんのケアに当たり、施設ではアリサ達の面倒を見る。本当ははやてちゃんもグループホームに誘いたかったけど、聞いていたとおり例の火災事件が強いトラウマとなって、結局通院という形に落ち着いた。

 

 それでも、この頃は恵まれていたのだろう。

 

 アリサ達は新しい環境を家族として受け入れてくれたし、はやてちゃんもシグナムさん達の様な親戚が面倒を見るようになり、精神的な安定を取り戻していった。

 

 そして何より、孔と出会うことが出来た。

 

 孔は様々な異常を抱えていた。記憶喪失はもちろん、他のこども達が見せるような家族を求めようとする挙動がない。まるで自分への愛情を諦めてしまったように、ただ「優等生」と呼べる行動を取り続ける。

 

 私はそんな孔の諦感の原因を探し続けた。

 

 いろんな療法も試したし、アリス達と一緒に過ごして貰ったりもした。でも、今まで学んできた技術は何の役にも立たなかった。孔が治療を受け容れなかったんじゃない。私が孔を不幸から守ってあげる事が出来なかったからだ。

 

 孔はアリサを失った。施設をひいきにしてくれていた杏子さんももういない。周囲からはいわれの無い悪意を受け、大怪我を負い、友達も失った。

 

 それでも、孔は大人びた態度を崩さなかった。

 

 むしろ、こどもらしさはどんどん失われていった。温泉帰りの車の中。社会見学で火災に巻き込まれた翌日。まるで辛い出来事を自分の中に閉じ込めるように、難しい顔で感情を抑え込もうとしていた。

 

 辛かった。

 抑え込んだ感情を解放してあげられない自分が。

 差し伸べた手に気付いてくれない孔が。

 

 でも、きっと、孔はもっと辛いのだろう。

 あの子は、痛くても痛いって言わないから。

 

 

 今日も、帰ってこない孔にそんな事を考えていただろうか。プレシアさんの家に遊びに行って、泊まりたいと言い始めた孔。カウンセリングが不必要なほど落ち着いた精神を持つ孔のわがままは、むしろ嬉しかった。もしかしたら、それが孔の痛みを和らげるきっかけになるかもしれない。

 

「ねー、先生も書いて?」

 

 でも、アリスから渡された手紙はなかなか書き出すことが出来なかった。言いたい事はたくさんある。泊まりにいけるほど仲のいい友達が出来て嬉しいとか、必要なものがあれば持って行くとか。

 

(でも、こんな小言なんか書いても意味は無いわよね……)

 

 ちらりとアリスの手元を見ると、「こうおにいちゃんだいすき」と実にストレートな文字が躍っている。素直に書けるのはこどもの特権なのだろう。おとなになると気恥ずかしさが邪魔して、本心なんてとても文章に出来るものじゃない。

 

(カウンセリングじゃ、よくクライアントにお願いするのにね)

 

 いざ自分がとなるとうまく行かないものだ。かといって、いい加減に書く気も起こらない。孔は手紙を受け取ればきっと真剣に読むだろう。あの子なら手紙の文章から私の意志を読み取ろうとするかもしれない。誤解させるのも良くなし、何より孔から逃げているようで嫌だった。

 

 だから、私はペンをとった。

 

 この手紙を書いたら、久しぶりに料理を作ってあげよう。

 

 あの子が楽しそうな姿を見せてくれるかもしれないから。

 

 連休も残っているから、どこか行きたい所はないか聞いてみよう。

 

 あの子の楽しそうな姿が少しでも続くように。

 

――――――――――――柊玲子/グループホーム

 

孔へ

 

 今、施設ではアリスといつものようにテレビを見ています。遠い親戚に向けて手紙を書いている男の子を見て、アリスは書きたい、一緒に書いて、と言い出しました。

 

 私の方からはあまり伝える事は無いけれど、遠慮なくプレシアさんの所で遊んできて下さい。

 

 普段から孔にはこども達の面倒をみて貰っているから、施設の事を気にしているかもしれないけど、私はもっと友達との時間も取って欲しいと思っています。

 

 そして、もっと施設の外でも楽しいと思える事を見つけて欲しいと思っています。

 

 私もアリスもアキラもパスカルだって、いつも孔が笑って帰ってきてくれるのを待っ

 

(以下絶筆)

 




――悪魔全書――――――

愚者 友田真美
 海鳴市児童保護施設に勤めるケアワーカー。ケアワーカーとしての職歴はそれほど長くないものの、こども達の笑顔を見たいという想いは強く、同時に多くのこども達に慕われていた。悪魔に襲われてもその思いは変わることなく、最後まではやてやカズミのことを案じ続けていた。趣味はぬいぐるみ集めであり、はやてに渡したぬいぐるみは彼女のお気に入りだった。

愚者 柊黎子
※本作独自設定
 海鳴市総合病院に勤める精神科医。その経歴から市がテストプランとして設立した「少数の児童に対し集中的なケアを提供する施設」に参加、孔やアリサ、アリス達の面倒を見ている。精神科医としての腕は確かで、特に童話のようなモチーフとする治療方法は評価が高い。孔が事件に巻き込まれている事を知らないが、ただ傷ついた顔で帰ってくるのを何度も目にしているため、いつか笑って帰ってきて欲しい、支えられていることを感じられる人間になって欲しいと願っていた。

凶鳥 シャンタク鳥
 クトゥルフ神話に登場する、巨大な鳥。鱗で覆われた全身と馬のような頭部を持つ。浅い夢の中で見られる70段の階段の先にある焔の神殿の奥、さらに700段の階段の先にあるドリームランドに棲息する。ニャルラトッテプに仕えており、「外なる神」の崇拝者であれば乗る事もできるが、アザートースの元まで運ばれる事もあるという。

――元ネタ全書―――――

黎子さん
 ペルソナ2より。「柊サイコセラピー」のカウンセラー。本作では児童保護施設の先生のモデルに。今まで本名を出さなかったのは真美さんと交代する形での登場を演出するためです。

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