「ほーえんひほー?」
「口に物を入れたまま話すのはやめましょうよ」
少し呆れたように呟くが、まあ彼女には無駄な話だろうことは予想している。
出会って一週間ほど経つが未だに彼女の存在に慣れない自分もどうなのかとも思うが。
それでも彼女はちょっと馴染み過ぎじゃないだろうか。
ソファに無防備に寝ころびながらお菓子を口に運ぶ少女を見て、思わずため息を吐く。
「あーもう、またお腹出てますよ、ほら、ちゃんと服来てください」
「あははー、ごめんごめん、なんかキミってお父さんみたいだね」
「僕はあなたみたいな娘を持った覚えはありませんよ」
年の頃は恐らく十三、四くらい、つまり僕と同じくらいだ。
顔も少なくとも、僕が今まで出会ってきた中で一番整った感じ、つまり可愛い。
そんな少女が目の前で無防備に転がっているのだ、しかも乱れた服の着こなしのせいで、あちらこちらから見える肌色が目の毒である。
と、その時。
がくん、と部屋が揺れる。
「わっ」
彼女がその揺れに驚きの声を上げるのと。
「あっ」
視線を逸らし、そのままさ迷った視線を窓の外に移した僕が声を上げるのが、ほぼ同時だった。
* * *
「んー、やっぱ地に足がついてるってのはいいねー」
背伸びをしながら、彼女が呟く。伸びをするのは良いが、年不相応に発育の良い体を惜し気もなく見せびらかすのは止めてほしい、心なしか周囲の男の視線が僕に突き刺さっている気がする。
「…………ん、んん。それより、これからどうしますか? そちらの予定は?」
「えー、そんなの無いこと、キミが一番知ってるでしょ? キミに任せるよ」
そんな彼女の言葉に思わずため息を零す。一体何を、と思うかもしれないが。
「まだついてくる気ですか?」
「うん、だって仕方ないじゃん、私、きおくそーしつだし」
つまり、そういうことである。
何を隠そう、彼女。この一週間の船旅の間に出会っただけの、完全なる赤の他人なのである。
“えっと、ここどこ? ていうか、私って誰だったっけ?”
ずぶぬれの状態の彼女を拾ってしまったのが運の尽き、船員にはペアだと思われて同じ部屋に連れてこられるわ、何故か懐かれて部屋に居座られるわ、その癖、自分の容姿も性別すらも気にしてないような態度で過ごしているのだから、健全な男子の自身としては色々と物申したいわけなのである。
ただ、記憶喪失と言うその素性に同情してしまっている自分がいるのも事実なわけで。
「…………はぁ、分かりました。では取りあえずはこの町を適当にうろついて今日泊まるところを確保しましょう」
旅は道連れ、と言う言葉を思い出し。
「おっけー、まっかせてよ、こーみえて勘と運だけは良いんだから」
笑みを浮かべる彼女を見て、まあこんな旅も悪くないか、と思ってしまった自分がいるのだから、どうしようも無い話である。
「それにしても、船の上ってけっこう揺れるんだねー」
「水の上を移動しているんだから、それは揺れますよ」
ミナモシティ。それが僕たちが今いるこの街の名前。
ジョウト地方より船で一週間。高速船を使えばもっと早く来れたかもしれないけれど、別に急ぐ旅と言うわけでもないので、風情を楽しみ意味でもこうして客船に乗ってやってきたのだ。
「それにしてもほーえんちほーだっけ? 賑やかなとこだね」
「ホウエン地方です、さっきも言ったでしょ。それに賑やかなのは、ミナモシティが観光都市だからですよ」
そう告げながら、人の波の奥、船着き場から真っすぐ北のほうに見える巨大な建造物を指す。
「あれがミナモシティの名物、ミナモデパート、それとその隣のミナモ美術館ですね」
「ほえー…………おっきいねえ、デパートは…………いろんなお店が一か所に集まったお店だっけ? うん、なんか覚えてる気がする。それと…………美術館、なんか聞いたことあるような無いような」
腕を組みながら、顎に手を当ててうんうんと考える彼女が人混みに流されないようその袖を引きながら人の波を避けていく。
「ミナモ美術館はポケモンコンテストマスターランクで優勝したポケモンの絵が飾られていることで有名ですね、コンテスト出場者なら誰しもあそこに自分の自慢のポケモンを飾ってほしいと思うのではないでしょうか」
ほへー、とあんぐりとだらしなく口を開きながら目をぱちくりさせている彼女の手を引いて、さらに街の奥へと入っていく。
民家を通りすがり、ふと目に入った赤い壁の施設の前、彼女がこちらに問うてくる。
「ここ、何の建物なのかな?」
「ここは先ほど言ったポケモンコンテストの会場ですね。入ってみます?」
「入れるの?」
「会場まではさすがにいきなりは無理でしょうけど、入り口を入ってすぐのロビーくらいなら大丈夫だと思いますよ?」
へー、と物珍し気にコンテスト会場を見ていた彼女だが、いいや、と首を振る。
「先に寝床の確保しちゃいましょー。ところで私、お金なんてないけど大丈夫なの?」
あっけからん、と一文無し宣言をしてくる彼女に、再度はぁ、とため息。まあわかっていたことではあるが。
「そのうち自分で稼いでもらうとして…………まあポケモンセンターならトレーナーは無料で使わせてもらえるので大丈夫だと思います」
「そっか、それなら私でも大丈夫だね」
さて、お察しの通り。
彼女も僕もポケモントレーナーである。
ポケモン、正式名称ポケットモンスター。
世界中に生息している僕たち人間の隣人。
そのポケモンたちを捕まえ、飼い慣らし、育成する人間たちをポケモントレーナーと呼ぶ。
恐らくこの世界で最も一般的な職業と言えるだろう。
不可思議なことに。
自分のことについて、一切…………その名前すら記憶にない彼女だが。
どうしてか、トレーナーとしての知識は残っていた。
恐らく記憶を失う前までは、ポケモントレーナーだったのだろう、と予想できる、
そしてそれを裏付けるかのように、彼女は一体のポケモンを所持していた。
「ん、あ、ユキちゃんが出たがってる…………出しちゃっても大丈夫かな?」
「まあ彼女なら問題ないでしょう、こっちの地方にはいないポケモンなので少々珍しがられるかもしれませんが、それでもジョウトに行けばいくらでも出会えますしね」
「そっか…………なら、出ておいでユキちゃん」
そうして彼女が手にしたモンスターボールが開かれ、中から一体のメリープが現れる。
「めぇ~」
もこもことした体毛に包まれたメリープが解放されたことに声を上げ、すぐに主である彼女へとすり寄る。
「おー、よーしよーし、相変わらずユキちゃんは可愛いねー」
「相変わらず?」
呟かれた言葉に、思わず聞き返す。ひょっとして記憶戻った? そんな期待があったかもしれない。
「ん? 相変わらず? 昔もこんなことあったのかな?」
無意識的に呟いたその言葉を、自分でも首を傾げながらメリープに抱き着く。
「ほわあ…………癒される…………って、うわ、びりってした、痛っ、ユキちゃん電気貯めてたの?!」
「メリープってそういうポケモンですから」
体に静電気をため込む、そういう性質のポケモンである、ある意味ふわふわの体毛は静電気が溜まっていると言う証拠でもあるのかもしれない。
「うう、びりってしたあ……………………って、あ」
痺れた手をぶらぶらとさせていた、彼女が、ふと何かを思いついたような表情になって固まる。
「どうかしましたか?」
「今ので思い出したああああああああああああ!!!」
「え゛、今ので?!」
余りにもお手軽過ぎる記憶の取り戻し方に、思わずツッコンでしまったが、いや、よく考えれば記憶が戻ったのはいいことなのだ、と自分で自分を納得させていると。
「って言っても名前だけだけどね」
「それでも一歩前進じゃないですか、良かったですね」
僕のそんな言葉に、うん、と天真爛漫な笑みで彼女が返す。
「それで結局、あなたの名前は?」
次いで問うた僕の言葉に。
「ラピス、それが私の名前だよ」
笑って彼女…………ラピスはそう返した。
* * *
ポケモンセンターは全国各地だいたいどこにでもある。
ポケモンの存在が根付いた文明で、ポケモンと共に生きてきたと言っても過言ではない人類である、ポケモントレーナーは最早文化と言っても過言ではなく、ポケモントレーナーにとって必須の施設であるポケモンセンターは当然のようにどこに行っても設置されるようになったのは自明の理である。
コンテスト会場からそう遠くないところに、ミナモシティのポケモンセンターは佇んでいた。
ホウエン地方初めてのポケモンセンターだったが、どうやらジョウトと内装にそれほどの変化は無いようだった。
受付に行き、今晩一晩の部屋を確保してもらう。
旅をするトレーナーと言うのは存外多い。
自身もまた十三のころからトレーナーとして旅を初めて半年になるが、自分の他にも旅をしていると言うトレーナーたちには、だいたいどの街でも出会う。
トレーナーたちが旅をしたがる理由は割と簡単である。
ポケモンはその生態によって生息域が違う、そして生息域を出て生きていられるのは人に連れられたポケモンくらいである。よって、一地域に根付いていては生涯かかっても出会うことのないポケモンと言うのが確かに存在するのである。
所持しているポケモンの幅は、トレーナー同士のバトルに置いて戦術の幅となるし、何よりもまだ見たこともない珍しいポケモンを見てみたい、捕まえたい、と言う気持ちはトレーナーなら恐らく誰でも持っているだろう至極まっとうな感情だ。
つまり何が言いたいかと言うと、トレーナー業を専門に置いている人間にとって、旅をするのは最早習慣や習性とすら言えるレベルでの当然の事なのだ。
僕の場合、多少事情が異なる、と言うべきか。
ここまで引っ張っておいてなんだが、実は彼女…………ラピスと違って僕の旅の目的はそう大したものではない。
見たことの無い物を見たい、触れたことの無いものに触れてみたい。
それが僕が旅をしている理由。残念ながら、バトルもさほど熱心には取り組んでいない。
普通のポケモントレーナーは最強のトレーナーたちが集うと言うポケモンリーグ、そしてその頂点たるチャンピオンを目指し、腕を磨く。つまり、戦いこそが主軸なのだ。
翻って僕の場合、ポケモンは手段だ。危険な場所、人ではいけない場所にポケモンを使って行く。
そしてそこにあるのは、まだ人の手がついていない、未踏の世界。
まあある意味ロマンを追い求めている、と言う点では同じなのかもしれない、その対象は全然違うのだが。
さて、話がずれたような気もするが、ともかくそう言った理由でこの世界では旅をするトレーナーが多い。
けれどトレーナーと言うのは基本的に収入と言うものが無い。
一応公式のポケモンバトルを行うことにより、勝利側に敗者が賞金を渡すことを義務付けられているが、けれどそれだけで生活できるか、となるとかなり微妙であり、今度は生きるために戦う必要が出てき、修行がおろそかになってしまう。
だからこそ、トレーナー支援を掲げるポケモン協会が作り出したのがポケモンセンター。
無料でポケモンを回復させることができる他、トレーナーのために宿泊施設なども用意して、必要ならば無料で使用させてもらえる。
と、言うわけで本日の宿泊部屋にやってきたのはいいの…………だが。
「なんで居るんですか、ラピス」
何故かさも当たり前のような顔して一緒の部屋にやってきたラピスに問う。
「え? だって私もここに案内されたよ?」
「…………ちょっと受付に聞いてきます」
と、言うわけでラピスを部屋に残し、受付へ行く。
だが結果が芳しくないものであった。
何でも現在他の部屋が全て使用されており、二人で使える部屋となると、今僕たちが割り当てられている部屋一部屋だけらしい。
申し訳なさそうな表情で謝ってくる受付のお姉さんに、さすがに文句は言えなかった。
「あ、おかえりー」
そうして部屋に戻ってくると、肌着一枚でベッドに寝ころぶラピスの姿が。
「あのですね、ラピスも女の子なんですから、少しは慎みを」
「あははは、ホントお父さんみたいだね、き……み………………」
笑い、いつものように流そうとしていたラピスの声が止まる。
何事かと思って、視線をやり。
「あああああああああ、そう言えば!!!」
突然声を荒げたラピスに何事かと尋ねれば。
「キミの名前、聞いてない!」
そう答えられ、そう言えば名乗ってなかったことを思い出す。
と言うか、一週間も一緒にいるのに、一度もお互い気づかなかったのか、と内心で呟く。
まあ基本的に『キミ』『あなた』で呼び方を固定していたので、気づけなかったのだろう。
一瞬、どうしたものか、と考える。
だがよく考えれば別に隠すほどのものでもない。
「アンバー、それが僕の名前です」
そう答える僕の言葉に、ラピスが微笑み。
「そっか、よろしくね、アンバー」
そう告げた。
そして、それがこの物語の始まり。
この先のことは…………まだ、誰にも分らない。
>>この先のことは…………まだ、誰にも分らない。
作者にもわからない(