片翼の天使(笑)で剣をふるうのは間違っている   作:御伽草子

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第六話【アイズの渇求】 後編

 

 もう十年以上も昔の話だ。

 

 長きに渡り迷宮都市オラリオの二大巨頭と謳われた最大派閥『ゼウス』『ヘラ』の両ファミリアの消滅からまもなく、迷宮都市には新たな次代を担う力が芽吹き始めていた。

 

 ガレス・ランドロックの所属するロキ・ファミリアも変遷する時代の渦中にいた。元々、オラリオにおいてトップクラスの錬度を誇るダンジョン探索系ファミリアの一角であったが、頭の上のコブ――もとい、オラリオ最強派閥の座で蜜月を重ねていた『ゼウス・ファミリア』と『ヘラ・ファミリア』が瓦解した事により、名実共にオラリオの最大規模の派閥に繰り上がったのが狡知の神ロキのファミリアであり、美の女神フレイヤのファミリアである。

 

 名声が高まると共にますます増えていったのがファミリアの入団希望者だった。元々ロキ・ファミリアは主神の趣向により美女、美少女の割合が多く、冒険者という荒くれ者が多い枠組みの中において絢爛と輝く華があった。頂いた最強の二文字、率いるは強さと智彗を兼ね備えた【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナ。支えるは絶世の美貌を湛えた才女にしてエルフの王族、【九魔姫(ナインヘル)】リヴェリア・リヨス・アールヴ。そしてドワーフの古強者にして鋼の肉体と無双の怪力の持ち主である、【重傑(エルガレム)】ガレス・ランドロックらを始めとして、脇をがっちりと固める数々の豪傑達。

 屈強にして華麗、闊達にして峻厳。おとぎ話に綴られる煌びやかな英雄伝説(サーガ)のようなファミリアの在り方は、未知と浪漫を追い求める数多くの冒険者を魅了していた。

 

 ロキ・ファミリアの名はある種のブランドイメージとなり、轡を並べたいという入団希望者であふれていた。しかし彼ら彼女らを皆とも抱え込む事はできない。処理能力を超えて肥大しすぎた組織は、綻び総崩れになるのが世の常である。

 入団を希望する者たちは入団試験という篩いにかけられる。それに合格した者達だけが晴れてロキ・ファミリアの一員となり、その背に滑稽な笑みを浮かべる道化師のエンブレムを刻む事になるのだ。

 

 その日も多くの入団希望者達がロキ・ファミリアの本拠(ホーム)『黄昏の館』を訪れていた。中庭には他のファミリアで腕をならした改宗(コンバージョン)希望の者もいれば、夢と野望を胸に抱き迷宮都市に訪れた新たな冒険者志望の若者もいた。誰もが精悍な面立ちをしていた。迷宮都市最高峰のファミリアで己の才覚を試す高揚と緊張感で、空気が張り詰めている。

 その中に不自然に人が固まる一角があった。

 

 五人の逞しい男達が胴間声を張り上げている。受験者同士で喧嘩でもしているのかと思いきや、少しばかり様子がおかしい。男達同士で罵りあっているわけではなく、男達は一様に目の前にいる少年を嘲罵しているようだった。その少年は年のころはおそらく十やそこらだろう。身長も同年代の子供と比べれば小さめで体躯も歳相応に華奢である。中性的であり、繊細かつ端麗な顔立ちが、少年をよりか弱く見せていた。目を惹く銀色の髪もこの場に置いては悪目立ちをする要因でしかない。

 

 男達はこの少年の存在が気に食わないらしい。

 

 少年は見たところ体を鍛えているとすら思えない。夢見がちな子供が後先考えず英雄譚に出てくる英雄にでも憧れて冒険者になろうと粋がっているようにしか見えないのだ。誰とも知れないおめでたいガキがどこでどんなふうに何をやらかして死のうと男達には関係ないが、自分達が未来の命運を賭して挑もうとしているロキ・ファミリアの入団試験に同じく挑もうとしているのは我慢がならない。ふざけた冷やかしであり、それは自分達に対する侮辱ですらあった。

 

 さっさと失せろ、と男の一人が言った。周りの男達も同調するように口々に罵声を浴びせた。男が少年の肩を殴るように押すと、少年は尻持ちをついた。男達は笑う。無様だ、情けない、見苦しいと、笑い、嘲り、侮蔑の視線を浴びせかける。

 

 ……それら一連の行為は、試験官としてその場にいたガレスには我慢がならなかった。

 

 もしかしたらそれは試験に挑む緊張感がはけ口を求めて噴出した、精神安定を図るための行為だったのかもしれない。命を賭ける冒険者という土俵に上がった者同士だ。罵りあうことも嘲ることも良しとしよう。その程度の事が嫌ならそもそも冒険者になどならなければいいのだ。

 

 しかし今、男達が少年にしている行為はもっと低俗で愚かなものだった。

 

 男達は少年の真意も覚悟もまともに図らぬまま、ここはお前に相応しくない、と勝手に決め付けている。馬鹿にして、嘲笑して、爪弾きにしようとしている。

 ガレスは若人の可能性の芽を摘む行為を嫌っている。だからこそ男達のしている行為は彼の怒りを呼び起こした。

 

 くだらん真似はやめんか! と怒鳴りつけた。

 

 男達は一瞬びくりと肩を強張らせ、破れ鐘のような叱責を上げた声の主を睨みつけ、それが自分達がこれから入団試験を受けるロキ・ファミリアの幹部であるガレス・ランドロックだと気づき、顔を青ざめた。

 そんな男達の様子には目もくれず、ガレスは少年に歩み寄ると「大丈夫か、坊主」と声をかけた。銀髪の少年は無言で頷くと立ち上がり、服についた土ぼこりを払った。

 見れば見るほど頼りない外観をしている。たしかに幼い少年少女もファミリアに所属しているがそれらは皆、特殊な事情があったり、多くはファミリア内の男女が結ばれた結果、生まれながらにしてそのファミリアの所属になっている子供達がほとんどだ。

 荒くれ者がひしめき合う冒険者家業。それもこのロキ・ファミリアはダンジョン探索系ファミリアの最高峰である。まだ体も出来上がっていない幼い少年が訪れるには苛烈に過ぎている。

 しかしここはロキ・ファミリアに入団するための最低限の実力があるかを見極める共に、可能性を図る場でもある。

 

 ガレスは少年が腰に剣を佩いているのを見て、ちょっと剣を振ってみろ、と言った。

 

 少年は頷く。剣の柄に手をかけ、鞘から引き抜く。刃渡りは一般的なロングソードよりやや短いくらいであるが、少年の短躯には長すぎるくらいである。剣を構える。中々どうして、堂に入った構えである。剣先がぶれておらず、構えとしては悪くない。ただ腕や腰に余計な力が入っているため、緩急をつけた動きには鈍りを見せるだろう。対峙した相手がナイフやショートソードといった小回りが聞く武器だった場合、初手の一手を防げたとしても二手三手と続けざまに攻撃を重ねられるごとに隙が大きくなっていく傾向がある。

 本来少年くらいの短躯であるなら、それこそナイフやダガーなどを武器にした方がいいだろう。特別に武術を齧っているとも思えない。剣を選ぶにしても、なぜ肉厚で重量が嵩むロングソードを武器に選んだのかが分からず、試験としてはすでにこの時点で減点対象である。

 

 だが不思議な事に、ガレスにはそれがさほど不自然なことには思えなかった。

 

 少年にとって身丈を超える剣を操ることがさも当然であるかのような……。

 なぜそう思ったかは自分でも分からない。足運びか、重心のかけ方か、そうと判断する材料は皆無である。強いてあげれば勘である。勘というと曖昧に聞こえるがこれが中々馬鹿に出来ない。勘とはつまりそれまで積み上げた情報が弾き出す答えである。ガレスの場合は戦闘勘だ。数多の戦場を渡り歩き、数多の修羅場を潜り抜けてきたガレスが蓄積してきた戦闘に関する情報は膨大である。何かが起こるかもしれない、この状況は奇妙だ、次に相手がどう動くか……勘によって弾き出される答えは往々にして曖昧で不確定である。しかしそれらは全て寄る辺のない出鱈目な答えではない。蓄積してきた情報が出した答えを、明確に形付けるための言葉が見つからないだけなのだ。

 ガレスはすでにこの時点で、目の前にいる少年に並々ならぬ〝何か〟を感じ取っていた。

 

 少年が剣を振りかぶる。

 

 腰だめに構え、眼前をしかと見て、ぐっと手に力を込め。

 

 ――鋭い呼気が弾け、剣が振るわれた。

 

 斜めに斬り上げるただの一振り。

 少年の振るった剣は稚拙だった。剣士にとっては剣を腕の延長のように自在に操れるようになることが第一だ。少年はまだ剣の重みに振り回されおり、実戦どころか剣で物を斬った経験も少ないのか、刃を立てることもままならないでいた。ズブの素人丸出しの、太刀筋と呼称するにはあまりに未熟な剣裁き。

 

 先ほど、少年を馬鹿にしていた男達もそれを見て今度こそ声を上げて笑った。なんだそのへっぴり腰は、剣もまともに振れないのか、と。

 

 しかし。

 

 ガレスの背筋には稲妻のような衝撃が走った。

 底が見えなかった。少年の剣に、ガレスは武の深奥を覗き込むための穴を見た。それはまるで完璧以上に完成された剣技を、未熟な体と技で形だけでも体現しようとしているようだった。これがもし完成に至れば、理想に現実が追いついた時、いったいどれほどの高みに至るというのか。

 そこに思い至ったまでの経緯は全て推測にも劣る、勘である。

 そう……百戦錬磨の古強者であるガレス・ランドロックが導き出した何の確証もない、それはただの〝勘〟に過ぎない。

 

 ――坊主、お主の名はなんという?

 

 あの時、ひょっとしたら自分の声は震えていたかもしれない。

 いずれこの少年は世界に覇を轟かす、瞭然たる確信も持つに至った経緯は、あやふやで漠然としていた。

 しかし確たる予感に突き動かされ、ガレス・ランドロックは問いかける。

 

 俺は、と少年は答えた。

 

 

 

 

 

 ――……まだその時、世界はその少年の名を知らなかった。

 

 

 

 

 

「セフィロス!」

 

 ガレスは巌のような表情を笑みで綻ばせた。久方ぶりに見る後輩は前以上に逞しく成長していた。

 

「まったく! ようやく帰ってきおったか!」

「ああ、今朝方オラリオに到着した。それにしても、帰還の歓迎にしてはこれは少しばかり手荒くないか?」

 

 ガレスはセフィロスの背中をバンバンと叩いていた。それはとても力強く……力強すぎた。Lv.6の中でも『力』の熟練度がトップクラスのガレスが遠慮無しに力一杯叩いてくるのだ。下手なモンスターの一撃よりよっぽど骨に響く重さがあった。

 ガレスはセフィロスの苦言を受けて、なお声を上げて大笑いした。

 

「儂よりLvが高いくせに何をなまっちょろい事言っとるか! こまっしゃくれた小僧がいつの間にか立派になりおってからに!」

 

 まったく今日は良い酒が飲めそうじゃ! と破顔するガレスに、「宴会でしこたま飲んでおいてまだ飲む気か?」とリヴェリアが批判するが、知った事かと豪快に言い放つドワーフ(大酒のみ)

 

「こんなめでたい日に飲まんでどうする! ほれ、セフィロス! お主もさっさと座らんか。儂が酌をしてやる!」

 

 セフィロスの服の裾を引っ張って自分の隣に座らせようとするガレス。近くにいた団員に宴会場中の余った酒を集めてこいと指示を飛ばしている。

 

「ガレス、めでたい日はいいけど、明日から遠征だってこと忘れないでくれよ」

 

 団長であるフィンは苦笑を零しながらガレスに自重を促す。放って置いたら夜通し飲み明かしそうだった。

 

「なんじゃフィン、つまらんこと言うでないわ。それくらいで戦いに支障をきたすような柔な体しておらんわい」

「いいかげんにしろ。セフィロスとて長旅を終えて今日帰還したばかりなのだ。お前に付き合わされたらたまったものではなかろう。それに他の団員達の手前もある」

 

 ファミリアの幹部なのだから節度を持てと、リヴェリアに文句をつけられたガレスは「つまらんなぁ」と零す。

 

 セフィロスはそんな二人の様子を見て、ガレスの横に座り二つ分のグラスに酒を注ぐ。ガレスが「お」と目を見開き、リヴェリアはしょうがない奴めと小さくため息をついた。

 

「酒なら今度俺がおごるさ。だから今は一杯だけな」

「……くっ、ふふ、がはははは! そうじゃな、じゃあ今日は一杯だけで我慢しておくか!」

 

 チン、とグラスを鳴らし、一気に酒を煽る。喉をカッと焼くような熱さに心地よさそうに目を細めるガレス。喉の奥から立ち上る芳しい酒気を味わう。

 

「良い酒用意しとくんじゃぞ」

「まかせておけ」

「おう、その次は儂が奢ってやる。お主の帰還祝いじゃ」

「それは順序が逆じゃないか?」

「お主が先に酒を奢ると言ったんじゃろうが」

 

 断る理由なんぞないからな、と笑うガレス。セフィロスも「そうか」と笑みで返した。

 セフィロスは立ち上がると、団長であるフィンの前に立った。順序があべこべになってしまった。

 

「団長、セフィロス・クレシェント、長期の任務を終えて本日帰還した。挨拶が遅れてすまない」

 

 小人族(パルゥム)であるフィンは、ともすれば少年といえるほど小柄な体躯であるため、成人男性からしても長躯になるセフィロスを見上げる形になる。しかし身長が低かろうと自信と経験に裏打ちされた威風堂々とした佇まいは、例え初見であろうと彼が侮ることなど到底許されない傑物であると感じさせるだけのものがあった。

 

「……久しぶりだね、セフィロス。君の帰還、ロキ・ファミリアの団長としても、フィン・ディムナ個人としても喜ばしく思う」

 

 それにしても、と肩をフィンは肩をすくめた。

 

「さて、ずいぶんな騒ぎになってしまったね」

 

 決起集会の行われていた会場を見回す。そこはほぼ全てのロキ・ファミリアの団員が集まっていた。セフィロスの登場により、冷めかけていた熱を再び取り戻した会場は、どよどよとひどく騒がしい。中にはセフィロスに向けて艶の篭った黄色い声を上げる女性団員もいたが、彼女達は次の瞬間には一様に押し黙る事になった。氷のような冷たい怒気に射ぬかれ、総身を押しつぶす様な威圧を受けて、声を上げられるほど図太い者は誰一人いなかった。その発生源と思わしき方向を恐る恐る見遣ると、そこには眉目秀麗な副団長の姿があった。

 ああ、そういうことか、と納得させられたのと同時に、踏み込んでは不味いと背筋を凍らせたまま思い至る結果となった。

 

「ほれほれ、皆気持ちは分からんでもないけど、セフィロスも帰ってきたばかりで疲れてるんや。質問やらなんやらはまた今度にして、とりあえず今日は解散や、解散」

 

 ロキがそう告げると、ぽつりぽつりと団員達は会場を後にし始めた。普段は信仰やらとは無縁の立ち位置にいるロキではあるが、だからこそ場を締める時に発する言葉には遵奉せざるおえない重みがあった。

 

 しかし会場を抜ける人波に逆らうように、セフィロスに歩み寄る人物がいた。

 金髪を靡かせ、毅然とした表情の少女。【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインである。

 

「ちょ、ちょっとアイズ、どうしたの?」

 

 様子のおかしいアイズの後をついてきたのはティオナであった。アイズはまるで周囲の声などまるで耳に入っていないかのように、セフィロスの前にまでやってきた。

 セフィロスや周りの者達が何かを言う前に、アイズは口を開いた。

 

「セフィロス……お願い。私と、戦って……ください」

 

 今すぐに、と懇願するように勝負を申し込んだ。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 ロキ・ファミリアの室内訓練場に幹部級のメンバーが集まっていた。その室内訓練場は『黄昏の館』の中に何箇所かある訓練場の中でも最も大きく最も頑強な造りになっている。

 

「よかったんか、アイズをセフィロスと戦わせて」

 

 ロキは訓練場の中央で対峙するアイズとセフィロスを見澄ました。アイズは手にした剣を振りその感触を確かめている。さすがに試合とはいえ同じファミリアの団員同士で真剣の斬り合いをさせるわけにはいかない。刃を潰した訓練用の武器から自分達が普段使っている武器に近い物を選び、二人は戦いの場に立っていた。

 

 ロキの問いかけに、フィンは瞑目したまま頷いた。

 

「メリットとデメリットを天秤にかけた結果さ。君だってわかっているだろう?」

「…………そうやな、今のアイズたんはいつも以上に危ういわ」

 

 最近アイズの様子がおかしいことはロキ自身もよく分かっていた。ステイタスの伸びが悪い事が原因だと理解していたが、明日からは大遠征がある。経験値(エクセリア)がたまらない事による不安があっても、そこで奮起するだろうと思っていた。下手に目の届かない所で爆発されると厄介であるが、遠征中ならば自分達や他の団員達もいる分いくらでもフォローができると判断してアイズに対する懸念を後回しにしてしまった。

 

 アイズがセフィロスに試合を申し込んだ時。

 

 ロキやフィンはもちろん、リヴェリアやガレス、それにティオナ達まで止めるように言い含めようとした。それも当然だ。明日のダンジョン遠征のため体を休めろと再三に渡って団長から団員に向けて通達をしているというのに、幹部であり遠征の要である第一級冒険者のアイズがそれを破るなど他の者に示しがつかない上に、何が起こるか分からないダンジョンに疲弊したアイズを連れて行くというのは、団長の立場からしても仲間としても許容する事は出来ない。しかしそれらのデメリットを飲み込んでなお、フィンはセフィロスとの戦いを許可した。

 

 理由はアイズの目だった。

 

 今にも泣きそうで、壊れてしまいそうな……まるで迷子の子供のような目。生き急いでいるという言葉ですら言い尽くせない焦燥が瞳の奥で燻っていた。

 

「……ねえ、アイズ大丈夫かな?」

 

 ティオナが呟いた。

 彼女もまた、倒れそうな心と体を必死に繋ぎ止めているような今のアイズの状態には強い不安を感じていた。

 

「分からないわ。何があの子にあったのかしら」

 

 原因はセフィロスかと思うが、直接的な理由は別にある気がする。アイズの中で積もりに積もった感情が爆発したという印象である。その感情の正体は分からない。おそらくアイズ・ヴァレンシュタインという少女の心の根幹に関わる類のものだと思うが、どこまでいっても推測でしかない。

 

「今はセフィロスに任せておけ、あやつなら悪いようにはせん」

 

 そう告げたガレスにはセフィロスに対する強い信頼が見て取れた。しかしティオネ自身のセフィロス・クレシェントという人物に対しての総評は『よく分からない』であった。数々の逸話から高いステイタスを誇っているという点は確かであり、オラリオでただ二人のLv.8という高みに到達した冒険者であるというということは知っている。しかしどれもこれも伝え聞いたものばかりだ。セフィロスがロキ・ファミリアで活躍していた五年以上前は、冒険者としてやっと殻を破ったばかりの駆け出しのひよっこであったため、ティオネ自身がセフィロスと言葉を交わしたことは数えるほどしかない。

 

 信用と信頼は違う。

 

 セフィロスという人物について理解できていない以上、今は団長達のセフィロスに対する信頼を信じるしかない。

 そして気になることはもう一つ。

 

「ベート、あんたはなんでぶすっとしているのよ」

 

 ティオネの問いかけにもベートは何も答えない、壁に寄りかかったまま不機嫌そうに鼻をなら鳴らすだけだ。ティオネは大きくため息をついた。こんなんで明日からの遠征、大丈夫かしら、と。

 この勝負の場にいるのは当事者の二人を除けば、幹部メンバーだけであった。他のメンバーもこの勝負の行方に関しては興味深々であったが、フィンの一声によって今現在訓練場への立ち入りは禁止されている。レフィーヤなどはだいぶやきもきしていたようだ。単純なLvの差で言えば、セフィロスの勝利は間違いないが、ファミリアのメンバー達は【剣姫】の強さに対して全幅の信頼を置いている。アイズの敗北する姿が想像できない以上、もしかしたら大番狂わせがあるのでは、と思っているのだ。今頃は各自が勝負の決着についてあれやこれやと推測を出し合っているころだろうか。

 

「セフィロス」

 

 リヴェリアはセフィロスを見遣る。

 

 ――アイズを頼む。

 

 視線で語りかけると、セフィロスは口端を笑みの形に変える。任せろ、とその瞳が語っていた。

 フィンが一歩踏み出した。

 

「では二人とも準備はいいかい?」

 

 フィンの問いかけに、セフィロスとアイズは同時に頷いた。怪我のないように、とは言わないが無茶をしすぎないようにと一応の念押しをする。

 

「では……始め!」

 

 フィンの掛け声と共に、二人は激突した。

 

 苛烈なまでのアイズの斬撃。夥しく積み重なった剣激の響きが、室内の空気の中に重苦しく沈殿していた。

 

 アイズは強かった。流麗な体裁きは見惚れるほどに練磨されており、身震いするほど鋭い斬撃が瞬きの間にいくつも繰り出される。剣の腕は間違い無くオラリオ最高峰であり、戦闘に関しては優れた嗅覚と、分析力を持っている。対峙する相手のクセを見抜き、技や意識の間隙を縫うように攻撃を仕掛ける事など造作もない。

 しかしそんなアイズの猛攻を、セフィロスは難なく弾いていく。

 

「嘘……」

 

 ティオナが呆然ともらした。セフィロスの強さは伝え聞いていた。しかしアイズと比べてもここまで隔絶した差があるとは思わなかった。

 

「単純なステイタスの差……ではないわね、これは……」

 

 ティオネも口調こそ平素であるが、心中は驚愕で埋め尽くされていた。セフィロスはアイズの斬撃を防いでいるが、あれはスピードや力に頼ったものではない。どこに打ち込まれるか、アイズがどういう動きをするかを完全に見切っている。

 

「見極め? 直感系のスキルかしら?」

「ちげーよ」

 

 先ほどまで黙って二人の戦闘を見ていたベートがぽつりと零した。相変わらず不機嫌そうに、忌々しそうに二人を――いや、セフィロスを睨んでいる。

 

「何か知っているの?」

 

 ティオネが問いかけるがベートは押し黙ったまま何も答えない。いい加減頭に血が上り始めたティオネが怒鳴りつけてやろうと口を開いた時、フィンが言葉の接ぎ穂を繋いだ。

 

「あれは単純な剣技であり、セフィロス自身の技能さ」

 

 フィンの言葉をティオネはゆっくりと噛み砕いた。剣聖。それはセフィロスの呼称の一つである。剣の頂点、その言葉の重みと高みをティオネは身震いと共に心に刻み付けられた。

 

「アイズ……楽しそう」

 

 ティオナが呟いた。アイズの瞳は真剣そのものであり、その奥で燃え上がる炎に爛々と輝いている。アマゾネスという戦いの中で喜悦を求める傾向の強い種族である彼女達にとって、戦いの高揚を満遍なく感受しているアイズの喜びは見ているだけで伝わってくる。

 ティオナは拳を握り締めていた。

 興奮した子供のようにぴょんぴょんと飛び跳ねている。困った子だと思いながら、自分も汗が浮かぶほど拳を握り締めていたことに気づき、やっぱり姉妹かぁ、と嘆息した。

 

 やがて加速した二人の戦いは、アイズの体力が限界に近づいたことで終わりに近づいたかと思えた。セフィロスにより壁に叩きつけられるように脚をついた。アイズが呟いた。

 

目覚めよ(テンペスト)

 

 風が、逆巻いた。

 

「くっ、あの馬鹿娘……っ」

 

 リヴェリアが苦々しく呟いて、舌を打った。ほどほどに、と戦いのまえに告げた文言など忘れたかのように発動したアイズの魔法『エアリエル』の最大出力。

 

「うわっ、ちょ、これやりすぎだよアイズ!」

「何考えてんのあの子はっ!?」

 

 ティオネとティオナが口々に叫ぶ。

 ロキが「アイズたんマジで堪忍したって!」と叫びながら暴風に吹き飛ばされそうになるが、ガレスが掴んでくれたため無事であった。

 密閉された室内で使っていい技ではない。烈風は逆巻き、渦を巻き、うねり、轟き、アイズに向かって収斂する。

 

「リル……ラファーガ!」

 

 アイズが叫ぶ。

 

 かつてロキに、必殺技は叫ぶ事によって攻撃力を増す、などと冗談を教え込まれ今日まで騙され続けてきた。いつもは静かに告げられる技の名前だが、今は渾身の力を振り絞り、血を吐くような苛烈さで紡がれた乾坤一擲の大技。

 恐るべき貫通力と破砕力を孕んだ風の災禍がセフィロスに向けて解き放たれ――

 

【閃光】

 

 激突する瞬間、アイズが突き出すように構えた剣が弾き飛ばされた。あまりにも一瞬で、その刹那に何が起こったかはLv.5という第一級冒険者に到達した彼女達でさえ視認出来なかった。

 

 見えたのはセフィロスが剣を振り抜いた姿だった。

 一閃――いや、違う。セフィロスの剣によって迸った白銀の残光は、アイズの纏った風を斬り刻む様に何条も走っていた。

 その光景は何の冗談であろうか。剣先はおろか、セフィロスが剣を振り抜く腕の動きすら感知することが出来なかった。俯瞰していた自分達でさえそうなのだ、相対していたアイズには剣を振りぬく姿でさえ見えたかどうかも妖しい。

 セフィロスが剣を構えた次の瞬間、刹那にすら満たぬ雲燿の閃きの果てに、斬るという行為はすでに過去に置き去り、斬られたという完結した結果のみが投げ渡された。

 

 理解の範疇を超えた桁違いの疾さだった。

 

 アイズの魔法によって生み出された風は斬り刻まれ、突き穿たれた直後、斬閃が作り出した真空に殺到するように集まり、ぶつかり合い、散り散りに砕けた。

 意識を失い、地面にゆっくりと倒れようとするアイズをセフィロスが抱きとめた。

 

「…………フィン」

 

 セフィロスの呼びかけに、フィンも鷹揚に頷いた。

 

「この勝負、セフィロスの勝ちだ」

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 ファミリアに帰ってきてすぐ、主神であるロキとの再会を果たした今、俺の心は悲鳴を上げていた。

 

「親は子を守らなアカンのになぁ」

 

 痛い! 痛い! やだコレッ、心がたまらなく痛いぃっ!!??

 

 ――ちょっと自分探しの旅に出てくる。 

 

 あの時は、ほぼこのノリであった。

 日に日に激しくなってきたオッタルからの勝負しようぜコールから逃げるという大きな理由もあったが。自分がこのままファミリアにいたらひょっとしたら迷惑掛けるかも、と思って、話に渡りに船とばかりに飛びついたのである。

 

 ……少なくともロキの表情を悲痛に歪ませるような悲壮感マシマシな決意や自己犠牲の念など皆無であった。

 

「自分、ウチのこと恨んでるか?」

 

 との問いかけに俺は声を大にして答える。

 

 恨んでなどおりません! つうかむしろ申し訳ありませんでしたッ!!

 

 外の世界で広げた見聞を生かし、これからどんな無理難題だろうと艱難辛苦を課せられようともファミリアのために身を粉にして働くとここに誓います!

 だからどうか見捨てないでください、お願いします マイ フェイバリット マザー!

 

 という、必死の懇願がどうやら通じたようで、許してもらえたようだった。

 哄笑を上げる皆の肝っ玉オカンの懐の深さにはただただ感謝するのみである。

 そうして俺は決起集会の会場に連れられ……と、思いきや、通されたのは会場から少し離れた小部屋であった。

 ロキの話ではちょっと皆を驚かせたろ、という理由で俺のことを発表するらしいが……。

 

 遠くから聞こえてくる決起集会――もといファミリアあげての大宴会の楽しそうな声が、かえって閑寂をかき立てるように聞こえていた。

 狂乱一歩手前のドンちゃん騒ぎに、楽しそうな笑い声、グラスとグラスを打ちつけ合う小気味良い音色が……遠くから、響いて来る。

 

 ……なんだろう、この……うん……なんだ…………なんだろうな、この気持ち……。

 

 噛み締めた料理の味は、なぜだかひどく味気なかった。決起集会で出されているのと同じ豪華な料理の数々だが、なんだろう……あまりおいしいとは思えなかった。便所飯という言葉が一瞬脳裏をよぎって、泣きそうになった。

 

 あの一応聞いておきたんだけど……イジメとか……そういうんじゃないよねコレ?

 

 答えてくれる者は誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 ロキの合図があり決起集会の会場にやって来た俺は懐かしい面々と再会を果たすことになった。

 女性の団員に声をかけられそうになったが、次の瞬間には恐ろしいものでも見たように口を噤んでしまった。俺の顔を見てから、次の瞬間弾けるようにリヴェリアの顔を見て「ひぃっ!?」とか戦慄きを漏らすのだ。

 

 え、なにこの状況?

 

 リヴェリアさん、俺の事に関して他の団員に何らかの圧力をかけてませんか?

 踏み込んだら恐ろしい答えが返ってきそうで聞けなかった。ハブだの、ぼっちだの、不穏当な単語が思い浮かんだが無理矢理忘れる事にした。

 

 ガレスにやたら酒を勧められたが、バッカスの化身かと思うほど大酒のみのガレスに付き合っていたんでは俺の肝臓が破壊される。曖昧な言葉遣いである、また今度、でうまく濁せたと思うが、まあ機会があればその時は覚悟を決めて酒に付き合おう。なんだかんだでガレスには昔から面倒見てもらったし、酒に付き合うこと自体は歓迎である。

 

 ……飲まされすぎなければ。

 

 その中で、突然団員の一人に勝負を挑まれた。

 アイズ・ヴァレンシュタイン。名乗られてやっとその少女が、昔一度だけ稽古をつけた少女なのだと気づいた。ずいぶん美人になったものだ。ロキがお気に入りだと言っていたのも頷けるが、どうにも様子がおかしい。何かに追い立てられているような必死な雰囲気が伝わってくる。

 

 フィンも了承したし、一勝負……となったのだが。

 

 ハッキリ言ってリヴェリアが怖い。

「セフィロス」と声をかけられ、何事かとリヴェリアを見ると、……ジッと俺の事をにらんでいた。

 

 分かってるな、オマエ? と言わんばかりの眼光である。

 

 皆のお母さんと囁かれるリヴェリアがアイズのことを心の底から大切に思っているのは分かりきっている。傷つけたらタダじゃおかんぞ貴様、と眼が語っていた。

 

 ……ハイ、リヴェリア様、十二分に分かっておりますとも、ええ本当に。

 

 内心(リヴェリアに)ガクブルしながら、始まったアイズとの勝負。

 【剣姫】の二つ名を持つ剣士との戦い。モンスターを中心に相手取っているため、対人戦に不慣れな印象があるが、俺が戦ってきた中でもかなりの実力を持つ剣士だった。

 戦いの中で、アイズの体力もそろそろ限界かと思われた時。

 

目覚めよ(テンペスト)

 

 ――ちょっとなにしてんのこの子ぉ!!!???

 

 轟々とうねる風、あんなもの室内でぶっ放されたら修繕費やらが半端ない。

 潤沢な資金をプールしているロキ・ファミリアにとっては微々たる支出かもしれないが、ファミリアの財布を握るリヴェリアの俺に対する心象をこれ以上悪くする行為は避けたい。

 

 今も、ホラ。

 

 ジッと事態の推移を見ている。あ、今、舌打ちをした……。

 

 ――え、ええ、もちろん分かっていますとも!

 

 五年も外の世界ほっつき歩いてファミリアに一切貢献しなかった私のような不心得者が、修繕費やら被害額が嵩むようなマネは決していたしません。あまつさえ後輩を傷つけるなどもっての他でアリマス。

 アイズが力をためる様に身を引き絞り、烈風が回転するように轟いた。

 

 よけられるものならよけてみろ、貴様は助かっても地球はコナゴナだーっ! と、某野菜王子のセリフが思い起こされた。下手打つと俺がリヴェリアにコナゴナにされそうなので、ここは死ぬ気で対処しなければならない。

 

 意識を、切り替える。

 

 ……さて。

 

 アイズの動きを注視する。

 生み出された風は轟々と渦を巻きながら、烈風の中心であるアイズに収斂していく。

 アイズは上体を引き絞り、刺突の構え。牙突……いや、それは置いといて、地……というか壁を両の脚でしかと踏みしめ、上体を深く沈みこませている。それは獲物に飛び掛る直前の猛禽類が身を屈めている姿のようだった。

 

 おそらくは風を螺旋状に纏って、刺突に乗せて、敵目掛けて特攻する技だろう。

 動きが愚鈍なモンスターに対しては極めて有効だ。たとえ疾さを武器にするようなモンスター相手でも、吹き荒れる風の余波で動きを封じられ、仮に避けられたとしても物理的な破壊力さえ伴う烈風によって身を裂かれることになる。

 

 迎撃も難しい。高速で回転する高圧力の風が術者を守る強固な盾の役割をしている。まさに攻防一体。よく考えられ、よく修錬された技だ。

 

 だが対処できないかと言われるとそうでもない。

 

 アイズのLvは5であり、俺は8だ。ステイタスの能力差によるゴリ押しで力任せに打ち破り、アイズの意識を刈り取ることは可能だ。しかしその場合、術者の制御を失った風は、荒れ狂う龍がのた打ち回るようにこの訓練場を破壊するだろう。訓練場ならびに俺の命(おもにリヴェリアの手によって)が危ぶまれる事態であるが、それ以上に問題なのは暴走する風の中心にいるアイズの身に及ぶ危険である。

 避けるのも駄目。

 力任せに打ち破るのも駄目。

 

 こうなったら覚悟を決めて俺自身が盾になって全ての風、及びアイズの剣を受け止め……イヤ、それは流石に死ぬ。 

 

 一番問題なのは風の無力化である。

 付け込む隙があるとするなら、アイズの風は精神力(マインド)で生み出された魔法であるという点であり、アイズ自身の精密な操作を受けている二点である。

 

 アイズの意識を刈り取り、風の制御を失わせる。元々魔法で生み出された風である。術者から供給される精神力(マインド)と制御を失えば、すぐに消えるだろう。問題は魔法の残滓が色濃く残っている状態の風による被害を防ぐことだ。

 

 方針は風を可能な限り斬り刻む形にしよう。

 

 おおざっぱに説明すると、氷をお湯に溶かすなら、デカイ塊より細かく砕いたほうが早く溶けきるよね、という話だ。

 真空の刃をアイズが操る風全体に走らせる。可能な限り速く、コマ切れにする。

 本当にそんなこと出来るのか、実現可能な理屈なのかと問われても現状それしか取る手段がないのだ。

 やるっきゃない。

 失敗したらその時だ。最悪、アイズが無事ならそれでいい。リヴェリア云々は置いといても、後輩のハッチャけの一つや二つ受け止めてやれなきゃ冒険者の先達として、Lv上位者として流石にどうなのかと思ってしまう。

 

 ……開き直ったというか、やや破れかぶれな感が強いがそこは置いておこう。

 

 ヨッシャ、やったるぞぉ~。

 と、俺は剣を構えて突貫してくるアイズを迎え撃った。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 ……風が、砕かれた。

 信じられない現象を目の当たりにしたのを最後に、アイズの意識は闇の中に沈んでいった。 白い、果てしなく、白い景色。

 まるで水の中を逆さまに、ゆっくりと沈んでいくような浮遊感の中にアイズはいた。

 

 夢。

 

『アイズ』

 

 それが夢だと気づいたのは、遠く過ぎ去った日々の向こうで、自分を置いて行ってしまった大好きな両親が目の前で微笑んでいたからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 次話は【アイズの宿望】です。
 前中後編でも書き切れなかったので、結局もう一話付け足すことになりました!(開き直り)

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