片翼の天使(笑)で剣をふるうのは間違っている   作:御伽草子

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第八話【懐かしのオラリオ】 前編

 昨夜降ったわずかな雨が空気のよどみを洗い流し、澄明な空気が街を満たしていた。早朝。東の空から湧き上がった乳白色の陽光が、夜の闇を溶かしきった頃。

 

 迷宮都市オラリオの中でも最大規模の派閥であるロキ・ファミリアの本拠(ホーム)『黄昏の館』の中庭に、三人の男女がたたずんでいた。

 

 お互いにずいぶん距離を置いている。

 

 近すぎず、かといって離れすぎず。3メートル、いや4メートルか。

 

 男と女が挟み撃ちにするように、もう一人の男と対峙している。開いた距離は手にした武器の間合いであった。男女の内、男が手にしている武器はハルバードである。斧槍とも呼ばれ、その名の通り槍の穂先に斧刃がついている。反対側にはピックと呼ばれる鋭い突起が取り付けられている。その特異な形状から、斬る、突く、引っ掛けるなど様々な使用方法が可能で、使いこなすことが出来れば変幻自在な戦法をとる事が出来る武器である。

 

 女が構えているのは槍である。身丈よりやや長いくらいで、穂先は十字に刃がついている。

 

 二人がそれぞれ得意とする武器の切っ先を向けている男が手にしている武器は刀である。それもただの刀でなく、刀身が恐ろしく長い。身丈すら超える長刀『正宗』を手にしたまま、男は――セフィロスは、瞑目している。構えもなく、手をだらりと下げ、脚をわずかに開いただけの、自然体である。

 

 一見すると無防備な姿である。

 

 戦意を漲らせ、今にも手にした武器を振り上げて襲い掛かってきそうな冒険者達と対峙しているというのに、セフィロスに気負った様子は微塵も無い。しかしそこに油断、慢心といった驕りは一切感じられない。

 

 だからこそ男女の冒険者は、踏み込めずにいた。どう攻めても、どう打ち込んでも、回避され、防がれ、返す刀で自身が斬り裂かれる姿を幻視した。

 

 対峙しただけで彼我の戦力差を感じる事は多々ある。ロキ・ファミリアに所属する第一級、第二級冒険者達に訓練をつけてもらったこともあるが、彼等彼女等から感じたのは胎動する活火山のような威圧であった。エネルギーに満ち溢れ、敵対するもの全てを打ち砕かんとする烈火のごとき覇気。

 

 しかし目の前に静かにたたずむセフィロスから感じる覇気は全く別種のものだった。

 

 まるで崖の上から奈落の底を覗きこんでいるような底知れ無さを感じる。そこに在るのは黒々とした静寂に、全てを飲み込むがごとき深淵。あらゆる技を持ってしても、届く気がしない。どんな武器を用いても、届く気がしない。まるで全ての色を塗りつぶす黒、あらゆる技巧を嚥下する武の極地。

 

 汗が頬を伝う。獲物を握る手を殊更にぎゅっと握り締める。あと一歩。その一歩が踏み込めない。一歩、いや半歩踏み込めば、そこはすでにセフィロスの間合いである。

 

 じりじりと、にじり寄る様に足を動かし、近づいては離れを繰り返している。

 

「……来ないのか?」

 

 セフィロスが問いかける。

 

 それが戦闘開始の合図であった。

 

 弾かれたように飛び出したのは女であった。腰だめに構えた槍をセフィロス目掛けて突き出した。狙うは鳩尾。一点の淀みもブレもない、矢のように繰り出される穂先。しかしセフィロスは半歩足を後ろに下げ、ひらりと刺突を避ける。女は四肢に力を込め、突き出した槍をそのまま力任せに振り抜く、横薙ぎの一閃。

 

 瞬間、セフィロスは刀の柄尻で、迫り来る槍の柄をわずかに押し上げる。槍の打撃軌道が逸らされセフィロスの頭上を空しく薙ぎ払った。

 

 背後から男が襲い掛かる。

 

 鋭い呼気とともに、手にしたハルバードをセフィロス目掛け振り下ろす。

 

 セフィロスは背後を一瞥することなく、刀を頭上に構え、ハルバードの一撃を易々と受け止めた。男はひるむことなく、セフィロスの背中に足蹴りを見舞う。しかし、セフィロスがハルバードの刃を押し上げるように刀を降りぬくと、男は体勢を崩され、手を天に掲げるような無防備な姿を晒してしまう。そこにお返しだとばかりにセフィロスが蹴りを叩きこもうとすると、女がすかさず割って入り、セフィロスの蹴りを槍の柄で受け止めた。

 

 二人折り重なるように後方に吹き飛ばされる。しかし男が意地を見せ、地面に轍を刻むように足を踏み占め、転倒するのは防がれた。

 

 すかさず二人同時にセフィロスに襲い掛かる。

 

 上と思えば下から、左と思えば右から。

 

 間断なく変化する戦局の中で、お互いの立ち位置を変え、予想を覆すような動きを見せる二人。言葉を一切交わすことなく――交わす必要は無いほどそのコンビプレーは上手かった。

 

 息が荒く乱れ、動きも精彩を欠いた頃。

 

「…………この辺りにしておくか」

 

 そうセフィロスが言うや否や、二人は同時に動きを止め、地面にぐったりと倒れこんだ。

 

「ヒィー、ヒィー……ッ! ダンジョンだってこんなに体力も神経も使わないぜ……?」

「な、なっさけないわね……これくらいで……ゴホッゴホッ!」

「お前だって……似たようなもんじゃないか……ガサツ女」

「んだとぉ……この野郎……っ」

 

 先ほどまでの息の合った戦いはどこへやら。口を開くや否やお互いを罵りあう二人に、セフィロスは苦笑を零した。

 

「お前達二人とも無駄に足を動かしすぎだ。隙を見つけ出せないからといって、とりあえずひたすら動き回って撹乱すれば良いというものではない」

「……ウッス」

「……はぁい」

 

 ただでさえ残り少なくなった体力を、罵り合いで使いきった二人は息も絶え絶えな様子で、セフィロスの言葉に返答した。

 

 少し扱き過ぎたか、と零すセフィロス。

 

「【清らかなる生命の風よ 失いし力とならん】」

 

 二人に手をかざす。

 

「【ケアル】」

 

 玲瓏と紡がれた魔法は、力を発現すると共に、いくつもの小さな光球が生まれ、二人を包みこむように舞い落ちる。

 

 傷を治し、失った体力をわずかだが回復させる魔法の効果はすぐさま現れることになった。

 

 鉛のように重くなった二人の体は、固く結んだ紐が綻んで解けるように、沈殿していた疲労もほぐれていくのを感じた。

 

 倒れたまま何度も大きく深呼吸すると二人は立ち上がり、稽古をつけてもらった礼を何度もセフィロスに述べた。

 

「二人ともまだ【ステイタス】に振り回されているな。戦場において【ステイタス】は、武器の種類や戦術などと同じで、戦闘を行うための手段の一つに過ぎない。扱いきれない武器や、理解していない戦術では足を引っ張るどころか、己の命さえ危うくしかねない。【ステイタス】もそれと同じだ。十全に扱いきれないのでは、いざという場面で思わぬ形で痛手をこうむる事を忘れるな」

「うっす!」

「ハイ!」

 

 セフィロスの言葉に張りのある声で答えた二人。

 

 彼等はセフィロスが『黄昏の館』に帰還した時に、門番をしていた二人組みだった。Lv.2になったばかりで、団長(フィン)から『まだ自分自身の力と性能を十全に理解していない者を色濃い死の匂いが香り立つ深層への遠征に連れて行くのは無謀だ』との決定を下され、今回のダンジョン遠征には不参加であった。

 

 しかし今、二人はむしろ遠征に参加できなくて、不謹慎かもしれないがラッキーだったとさえ思っていた。

 

「だが、初日と比べればだいぶ良くなった。イメージと体の動きのすり合わせに、齟齬が無くなってきたようだ」

 

「「ありがとうございます!」」

 

 おかげでこうして英雄セフィロスに稽古をつけてもらうことが出来ている。

 

 今はダンジョン遠征に赴いている先輩達を差し置いて、という思いもあるが、だからこそまだロキ・ファミリアでそれほど立場が高くない自分達がセフィロスに稽古をつけてもらえるまたと無い機会が今だった。

 

 セフィロスは小さく笑みを浮かべた。

 

「まあ、偉そうな事を言っているが、俺自身まだ自分の力を扱いきれていなくてな」

 

 己の手中に掴んだ力を確かめるように、掌を握っては開いてを繰り返す。

 

 その言葉の意味する事を二人はすぐさま思い至った。

 

 セフィロスのLv.9への昇格(ランクアップ)は同じファミリアに所属する二人も当然のことながら知っていた。いや、今やその情報は、オラリオ全土に広がっている。迷宮都市唯一の最高Lv保持者となったセフィロスの話題は、冒険者や神々はもちろん一般の人々にまで知れ渡っている。

 

 オラリオを『世界の中心』と呼んでも差し支えない大都市にまで押し上げた冒険者の存在。とりわけ、第一級冒険者は世界中にその名声を轟かせている。中でも当代において最も高い知名度を誇るセフィロスの更なるLv昇格は、特報としてすでに周知の事実となっている。

 

 セフィロスも昇格(ランクアップ)によって能力値が大幅に強化されたことによって、自身の力を完全に掌握していないのだ。己の力を把握するには、まずは一度全力を出してみる必要がある。上限を知る事によって、微細な手加減や、力の緩急のつけ方を覚えるのだ。しかしLv.9ほどの高みに至った【ステイタス】であると、どうしても全力を出せる場面というのは限られてしまう。ダンジョン内部ならともかく、オラリオ市街ではどうしても無理があるだろう。

 

「俺もお前達に負けないように気張らないとな」

「そんな俺達なんて……ッ」

「そ、そうですよ!」

 

 恐れ多いとばかりに焦って吃る二人。セフィロスは、フッと笑みを零して、激励するように二人の背中をバンと力強く叩いた。

 

「さっ、そろそろ朝食の時間だな。食堂に行くぞ」

 

 二人は一瞬ぽかんとした表情を浮かべてから、ハッとなって、大きな声で「ハイ!」と答え、セフィロスの背中を追いかけた。

 

 セフィロス・クレシェント。

 

 英雄とまで謳われる冒険者。正直言えばもっと居丈高で、威圧的な人柄を想像していた。しかし実際にこうして接してみると、想像を超えるほどに強く、情に厚く、面倒見が良く、そして誇り高き剣士だった。

 

「なあ」

「なによ?」

「このファミリアに入団してよかったな」

「……ええ、本当にそうね」

 

 かつて彼等が憧れた英雄は、憧憬のままの姿の英雄であった事に、たまらないうれしさを覚えた。そして、そんなセフィロスにこうして鍛錬をつけてもらえることが誇らしかった。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

「で、今日はどうするん?」

 

 朝食を食べ終わる頃に、セフィロスの元に主神であるロキがやってきた。隣に空いていた席に座り、セフィロスが食べていた朝食のプレートからミニトマトを一つ摘み上げ、口に入れる。

 

「よせ、はしたない」

「ええやん、ええやん。で、セフィロス殿の今日のご予定はなんでっしゃろ?」

 

 ロキはここ数日の事を思いだしながら、セフィロスに話しかけた。

 

 ファミリアの主力メンバーがダンジョン遠征へと赴いて、数日。セフィロスはオラリオ帰還に対する事務処理や方々への挨拶回りで忙殺されていた。

 

 まず帰還して次の朝にはダンジョン遠征に向かうメンバーを見送った。しかし、まずはそこで騒ぎがあった。

 

 その日の朝食の時間から妙にセフィロスにくっついていたのが【剣姫】の二つ名を冠する冒険者アイズ・ヴァレンシュタインだった。

 

 元々人付き合いが苦手で自分から積極的に他者に話しかける事があまり無いアイズだったが、食堂でセフィロスの横の席にいつの間にか陣取り、たどたどしく話しかけ始めた時は、我が目を疑った。

 

 その前夜にはセフィロスと勝負して負けたアイズであったが、最後に見せた童女のような笑みにはロキ自身もつられて涙が出そうになった。アイズの生い立ちや葛藤を、保護者代わりとなって彼女の成長を支えたリヴェリアと同じくらい、身に染みて理解していたのがロキだった。

 

 だからこそ、幼い頃の無邪気な笑い方を思いだしたアイズの姿を見た時に、言葉にできないうれしさを感じた。永い永い時を生きた己でさえ、その時の感情を明確な言葉に当てはめることは出来なかった。否、陳腐な言葉を山よりも高く海よりも深く並べようとも、あの時の情動をあらわすことは出来無いだろうし、上辺だけの文字の枠組みに、あの時の感動を当てはめようとする気も毛頭無かった。

 

 しかしあの時のアイズの笑顔は夢うつつの中で、ほんの一時だけ顔を覗かせた、幼き日の残照でしかないことも理解していた。

 

 そう簡単に人の人格は変わらないし、無垢だった幼い日々に戻るには、アイズは世の悪意に晒されすぎていた。それでも心根の優しいまま真っ直ぐに育ってくれたことを誇らしく思うが、アイズは同年代の子に比べて幾分か情緒が幼いままであった。自身の感情を律する事は問題ないのだが、対人に対するコミュニケーションが不得手なのだ。

 

 元々勘が鋭い子なので、感情の機微を察する事は得意なのだが、そこからなにかしらの対応をするとなると悩んでしまう。例えば喧嘩の仲裁するための適切な言葉をその場ですぐに発するのは苦手だ。なぐさめの言葉を述べるには、たどたどしく一語一語を選びながらになってしまう。

 

 必死になって剣に生きてきた、で締め括ることは簡単であるし、それだけで周囲を納得させるだけの功績と強さをアイズは積み上げてきた。

 

 しかしここから先のアイズ自身の幸せを考えると……と、頭を悩ませていた中で今回の出来事が起きた。

 

 たしかにセフィロスとの戦いの後、アイズが浮かべた無垢な笑いはその場限りの儚い幻だったかもしれない。だが切っ掛けにはなるはずだ。ずっと固く閉ざされていた宝箱の鍵をやっと開けられたのだ。時間はかかるかもしれないし、もしかしたらまた鍵を閉ざしてしまうかもしれない。だが、ここから先、きっとアイズは良い方向に変わっていけると、ロキは信じているし、例えまたアイズが自身の世界を閉ざそうとしても自分を始めとしたファミリアのメンバー達がそうとはさせない。無理やりにでもこじ開けて、何度でも日の当たる暖かい場所に引きずり出してやるのだと固く誓っていた。

 

 少しずつでもいいから、変わって欲しい、と思っていた矢先である。

 

『ここ、いい?』

 

 アイズはもじもじしながらセフィロスの隣の席に座っていいかを聞いた。

 

 セフィロスは『ああ』と頷いた。

 

『体はもう大丈夫か?』

『うん……』

 

 アイズは着席するも目は伏せたまま、両手も膝の上に置いたまま、朝食に手をつけようとしない。

 

 そんなアイズの様子を見ていたセフィロスは『どうした?』と問いかけた。

 

『えっと、その……』

 

 見るからにわたわたと慌てて、口にするべき言葉を探して思案しているアイズ。セフィロスは助け舟を出すように、落ち着いた声色で話しかけた。

 

『ゆっくりでいい。落ち着いて頭の中を整理して……そうだな、深呼吸の一つでもしてみるといい』

 

『う、うん』と首肯したアイズは目を瞑り、ゆっくり言われた通りに大きく、息を吸って、吐き出す。それから小さくウンと頷き、瞼を開き、セフィロスの目をまっすぐ見つめた。

 

『昨日は、ありがとう』

 

 それだけだった。しかしその一言に万感の想いが込められていたことは、傍目で見ているロキにも感じ取れた。あまり表情を変える事が無いアイズがふわりとした笑みを浮かべていた。それは道端に咲いた小さな花が綻ぶような可憐な笑顔だった。

 

 セフィロスは『ああ』とややぶっきらぼうに頷いた。しかし口元には笑みを浮かべている。変な所で不器用なやっちゃなぁ、と思いつつ、ロキは二人の会話に興味深々で耳を欹てた。よく周囲を見渡すと食堂にいる他の団員もこっそり耳を傾けていた。

 

 アイズは朝食にもそもそと手をつけながら、ちらちらとセフィロスに目を向けている。何かしゃべらなきゃ、と思いながらも、距離感を図りきれず、何を話題にすればいいか迷っている様子だった。セフィロスもそれを察している様子だったが……いや、察しているからこそ自分から話しかけることはしない。アイズが自分から言葉を搾り出して発するのをじっと待っている。ロキはその行動に〝ナイス!〟と内心で親指を立てると同時に、アイズに向けて声援をひそかに送った。

 

 アイズはもごもごと口を動かしてから、朝食を食べながら思いついた無難な話題を言葉にした。

 

『あの、セフィロスは……何か好きな食べ物とか、ある?』

『そうだな。これといっては特にない。旅をしている間は食べ物の選り好みはしていられなかったしな』

 

 それからセフィロスはアイズに尋ねた。

 

『アイズは、何が好きなんだ?』

『うーん……じゃが丸くん、かな。小豆クリーム味が、好き』

 

 ジャガ丸くんとは潰した芋に調味料と、それぞれのトッピングを加えた料理のことだ。街に出れば露天などでも売っている定番のおやつメニューだった。

 

『そうか、小豆クリーム味は食べた事がないな』

『そうなんだ……じゃあ、今度、食べに行こ?』

 

 アイズたんが遊びの誘いをしたやとぉ!? ていうか……なんや、この初々しい会話は?

 

 背中がむずがゆくなってくる。

 

 と、悶えていたロキの視界に、ふと映るものがあった。

 

 並んで座るセフィロスとアイズの二人の後ろ、テーブルを四つほど隔てた壁際にいつの間にか立っていたエルフの麗人。

 

 それに気づいた瞬間、ロキは内心で『ヒィ!?』っと悲鳴を上げた。声に出なかったのは幸いだった。

 

 リヴェリアが……。

 

 表情の抜け落ちたリヴェリアが、セフィロスとアイズの様子をジッと眺めていた。

 

 正確に言うと今にも触れ合いそうなほどに近づいているお互いの肩の辺りの空間を、ジッと、眺めている。

 

 アカン! あれアカンって!?

 

 何がアカンのか自分でもよく分からないが、とにかくアカンかった。

 

 しかしリヴェリアはハッと表情に色を取り戻すと、慌てたような、悔いるような、怒りやら切なさが色々混じったような表情を浮かべて、迷いを振り切るように頭を振った。

 

 それから二人の傍に近づく。

 

『おはよう二人とも』

 

 そう挨拶するリヴェリアに、二人も「おはよう」と返した。リヴェリアはアイズとは反対側のセフィロスの隣の席に座ろうとして……やや考えてから、なぜかアイズの隣に席を落ち着けた。セフィロスとリヴェリアでアイズを挟むような形で、朝食をとり始めた。

 

 ……え、どゆこと? 

 

 と、戦々恐々とした面持ちで見つめる。リヴェリアの意図がよく分からなかった。

 

 朝食を食べながら話題を重ねる三人。リヴェリアが話題を振って、セフィロスが答え、時々アイズが合いの手を入れている。リヴェリア相手ならアイズも言いよどむ事や、遠慮は無いため、うまく会話のバトンをセフィロスに受け渡し、そこから更にアイズに繋いでいる。時折アイズが自分から話題を振り、それに二人が答える。

 

『どうしたアイズ、ニコニコして?』

『……べつに、なんでもない』

 

 ……いや、本当になんやろうなアレ?

 

 いつもの自分なら適当にセクハラを挟みつつ、そろそろ声をかけるのだが、なんだか今のあの三人に声をかける事は出来なかった。すごく茶々を入れづらい。

 

 ふと、視界の端に目を引く人影がもう一つあった。

 

 銀髪の髪からぴょこんと飛び出た獣の耳。狼人(ウェアウルフ)のベートである。 

 

 元々鋭い双眸を更に鋭く尖らせ、歯を向き出しにして三人を……より正確に言うなら、先ほどのリヴェリアと同じく、アイズとセフィロスのお互いの肩の間に空いたわずかな空間を睨み付けている。

 

 ロキもベートがアイズに懸想しているのは知っているため、それをにんまりと意地の悪い笑みで眺めた。

 

 セフィロスとアイズが食事のため肩を動かし、こすれるようにお互いの肩が触れ合うたびに『あ』『クッ』『チィッ』と小さく唸っている。

 

 ……あ、こっちはなんかメッチャおもろい。いいぞもっとやれ。

 

 その後、寝坊したティオナと叩き起こしたティオネの二人が騒々しくその輪の中に乱入した事によって、更に騒がしい空気になったがそれは置いておこう。

 

 その後、遠征に向かうメンバーを送り出す時に、なぜセフィロスはついて来ないのかと、アイズがフィンに詰め寄り、ティオナが普段快活な彼女らしくないおどおどした様子でセフィロス本人に理由を聞きに行く一場面もあったが、理由を説明すると納得してくれた様子だった。

 

 なにせセフィロスにはやることが山ほどある。

 

 まずは冒険者ギルドへの、オラリオ帰還の正式な報告だ。五年前、セフィロスがオラリオを離れるに辺り、対外的にはギルドからの任務で諸外国でのモンスター討伐に出た事になっている。本来神の恩恵(ファルナ)を得た眷属はオラリオから出る事ができない。戦力の流出を防ぐためなのだが、迷宮都市最強クラスの冒険者であるセフィロスがオラリオの市壁を潜り抜けるには、殊更多くの外交的な事情が絡んできた。そのためにいくつもの書類が用意されたし、いくつもの複雑な手続きを経た。

 

 だからこそ帰還に際しても、多くの手続きが必要となるのだ。

 

 更に、報告書という名の分厚いレポートを提出せねばならない。セフィロスが外の世界で行った活動を詳細に書き記し、更にオラリオにとって有益となる情報もそこに明記する必要がある。さすがにこちらは一両日中には不可能なので、一定の期間を定められその中で提出という形になるだろう。

 

 ここまでが事務手続き。

 

 加えて、五年前の事件の際に、ロキ・ファミリアとセフィロスのために骨を折って動いてくれた方達への挨拶回りが加えられる。こちらは事務手続きと違って、必須なものではなかったが、だからこそ欠いてはならない行いだ。義理や人情といった話だけでなく打算的なものも含まれるが、他の派閥などとの横のつながりを維持するためには欠いてはならない礼儀がある。

 

 これらを蔑ろにしてダンジョン遠征について行く事はファミリアとしても、セフィロス本人としても許容できないことだ。理屈と感情的な理由を理路整然と並べられては遠征に赴くファミリアのメンバーもそういうものかと納得するほか無かった。

 

 こうしてロキ・ファミリアの主要メンバーは遠征に出発したのだった。

 

 その後、正式な帰還報告ということなので、ロキもファミリアの主神としてセフィロスに着いてギルドに行った。受付を通し、事実上ギルドのトップであるロイマン・マルディールに面晤した。

 

 このロイマンという男、一般的に謹厳実直とされるエルフの一族でありながら、金にあかして豪遊しているため、肥え太った体躯をしている。それに加えギルドの財布の紐の締め具合の強さとのギャップが彼の評価を更に地に落とすことになった。なにせ新米冒険者にギルドから支給される武器がナイフ一本だというのだから、ここまで行くと失笑ものである。

 

 そんなロイマンだからこそオラリオ中のエルフからは『ギルドの豚』と強烈に唾棄されていた。

 

 ロイマンの執務室に通され、セフィロスの行った任務の成果について、ギルドとしての正式な謝辞……というかおべっかを、大仰な身振り手振りを交えて汗を振りまきながら散々まくし立てられた。五年前の事件ではギルドに助けられた面もあるので、しばらくの間黙って聞いていたロキだったが、いよいよ我慢が限界に近づくと「もう、そういうのはええから」と無理やり話の腰をぶった切った。そもそも神に嘘はつけないので、ロキからすれば形骸的な美辞麗句をいくら並べられたところで心には全く持って響かないのだ。

 

 ここまででほぼ丸一日時間を取られた。元々退屈を何より嫌う神の気質が強いロキはこの時点でげんなりしていた。最後のとどめとばかりに、七面倒な書類を大量に渡された瞬間、それら全てを窓の外に放り投げたくなる衝動に駆られたが、セフィロスになだめられ何とか我慢したロキだった。

 

 去り際にセフィロスの昇格(ランクアップ)の申請を素早く済ませ、何か言われる前にさっさと逃げ出したのは、タイミングとしては悪く無かったと思う。

 Lv.9の文字を見て、絶句というか、目をまん丸に見開いていたギルドの職員達の顔はしばらく忘れないだろう。無論自分にとっては良いほうの意味で。

 

 次の日、その次の日と、書類を書く傍ら、セフィロスはロキの神友(しんゆう)などへ挨拶回りをしていた。その中でも時間を取り、遠征メンバーから外れ留守番をしているファミリアのメンバー達と交友を深め、時に希望があれば鍛錬をつけていたりなど、それなりに忙しい時間を過ごしていた。

 

 ロキに今日の予定を尋ねられた、セフィロスは考えを巡らせるように顎に手を当てた。

 

「そうだな、挨拶回りもほとんど終わったしな。今日はまずゴブニュを尋ねようと思う」

「ゴブニュか、あんたの武器もあいつの作やったな」

 

 【ゴブニュ・ファミリア】は武器や防具などの製作を行う鍛冶の派閥である。勢力こそ業界最大手の【ヘファイストス・ファミリア】に劣るものの、生み出される武器の性能は一級品であり、ロキ・ファミリアにもファンが多い〝ブランド〟である。そしてセフィロスの愛刀である『正宗』は主神であるゴブニュ自らが槌を振り、鍛えた武器である。

 

 ゴブニュと聞いて、ロキは思いだしたことがあった。

 

「ついでに武器を研ぎに出しといてくれるか。もう誰も使ってない武器なんやけどたまには最低限の手入れはしとこ思ってな」

 

 分かった、と頷くセフィロス。

 

 

 

 

 

 その後、出かける間際、ロキから渡された剣を見て、セフィロスは「これは……」と柄を撫でた。

 

「懐かしいやろ? 自分がウチのファミリアに来た時に持ってきた剣やで」

 

 ロキの言うとおり、その剣はセフィロスがロキ・ファミリアの入団試験の時に持参して来た剣だった。一振り30万ヴァリスもしない安物の剣である。

 

「そうだな。たしか入団試験に受かった後しばらく使っていたが、すぐに耐久の限界がきてな、倉庫に放り投げたままだった」

「この間、リヴェリアが偶然見つけてきてな。一応自分の武器なんやからセフィロスが帰ってきたら自分で研ぎに出させろ言うててな」

「そうするとしよう」

 

 そう言ってセフィロスは、外に出るときは必ず羽織るようにしているローブを身に纏った。頭まですっぽり覆えるタイプのもので、何かと顔が売れているセフィロスにとっては重宝するものだった。

 

 マントの上から背中に、渡された剣を背負う。

 

「では行ってくる」

「気いつけてな~」

 

 ロキに見送られセフィロスは『黄昏の館』を後にした。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 街頭に一人の少女がいた。

 

 頭まで覆うローブを身にまとっており、子供と見まごう程にずいぶん短躯であるが、出るところは出た女性的な体つきであり、フードの奥に覗く顔立ちは整っている。その少女は身長の半分くらいある巨大なリュックを背負っている。中身も詰まっているようで、雪ダルマの胴体のようにパンパンに膨れ上がっていた。しかしそれだけ大きな荷物を抱えているというのに、少女の足取りは軽かった。背筋を伸ばしたまま街中をすいすいとあるいており、まるで荷物の重さを感じていないようだった。

 

 少女の目は、獲物を物色するように道を行き交う人々を眺めている。

 

 一人の冒険者が、少女の目に止まった。

 

 頭から全身をすっぽりとローブで覆い隠している。これだけなら妖しいだけだが、背中には剣を背負っているため、冒険者なのだろう。

 

 冒険者のグレードは武器で判別できる。

 

 弱すぎる武器では冒険者の力にそもそもついていけず、逆に強すぎる武器は冒険者の成長を阻害してしまう。高い武器を無理に買い求めようとしても、同じファミリアのメンバーに顰蹙を買ったり、止められるのが常だ。

 

 見た所、ローブの冒険者が背負っている剣は25万から40万といった所だろう。命を預ける武器としては安物だが、それがそのまま、あの冒険者の力量なのだろう。

 

 しかし背負っているのは安物の剣だが、身に纏っているローブは結構な高級品である。

 

 金はある様子だが武器は安物。

 

 とくれば、どこぞかのボンボンが興味半分で冒険者の真似事でもしているのかもしれない。

 

 ……本当に、虫唾が走る。

 

 彼女にとって冒険者は唾棄すべき存在だった。

 

 傲慢で、厚かましく、自分のような〝サポーター〟の事など、体の良い奴隷のようにしか思っていないのだ。

 

 だからこそ、常日頃から搾取されてばかりの自分だからこそ……盗られた物を盗り返しても良いだろう。

 

 そうだ、そうだ。

 

 そうだ……今度のカモは、あの冒険者様にしよう。

 

 その少女は、深い憎悪と悲観でドロドロに濁った瞳をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 








 魔法の詠唱文については『タクティクス』のものを使用させてもらっています。

 あと一応明言しますと、ベルの見せ場を奪うだけの展開にはしません。
















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