片翼の天使(笑)で剣をふるうのは間違っている   作:御伽草子

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 ずいぶんお待たせしてしまって申し訳ありませんでした















第八話【懐かしのオラリオ】 中編

 

 

 華やかなメインストリートから外れ、薄暗い路地を奥へ奥へと進む。

 

 埃っぽいせいか澱んだ湿気が満ちており、肌にじっとりと纏わりつくような不快な空気が蔓延っている。道の両端に屹立する小高い建物に、青空が細々とした小川のように切り抜かれており、それが返って閉塞感を煽っていた。

 

 砕けた石畳がそのまま放置されているせいで、うっかりすると地面の窪みに足を引っ掛けそうになる。お世辞にも整備されているとは言えない、陽の光が遮られた細く入り組んだ小道を進んでいると、自分が街の雑踏の横を潜り抜けるネズミになったような陰鬱な気分になってくる。

 

 そこは北と北西のメインストリートに挟まれた区画だった。

 

 路地裏深く。石造りの平屋があり、扉の横には三つの槌が刻まれたエンブレムが掲げられている。

 

 鍛冶の派閥である【ゴブニュ・ファミリア】の本拠(ホーム)『三槌の鍛冶場』は、迷宮都市の中でもずいぶん奥まった場所に工房を構えていた。

 

 あるいはそんな知る人ぞ知る隠れ家的な立地条件も、コアなファンを惹きつける要因になっているのかもしれない。

 

 この派閥に所属する職人達の腕は良い。

 

 鍛冶を生業とするファミリアの中でも最大派閥である【ヘファイストス・ファミリア】に比べれば、規模こそずいぶんこじんまりしているものの、生み出される武器の性能は決して引けをとらない。

 

 ここに来るまでに進んできた路地と負けず劣らず、工房の中も薄暗い。しかしそこは鍛冶場らしく焼け付くような熱気と、体の芯まで響くような金属を鍛錬する甲高い打撃音が掻き鳴らされていた。

 

 精悍な男達は諸肌脱ぎで汗をほとばしらせながら槌を振るっている。

 

 火花が弾け、周囲に閃光を巻き散らし、彼等の手によってただの金属塊が、冒険者が命を預ける武器の形へと昇華されていく。

 

「やっと顔を見せたか。四年……いや、もう五年になるか」

 

 そう言った神は老人の外見とはいえ、神らしく非常に整った面立ちをしてた。筋肉質な体躯は、鍛冶神と呼ぶに相応しい精悍さを持ち合わせている。

 

 神、ゴブニュは出来上がった剣の仕上がりを確認しながら、ちらりと横目で目の前に立っている人物に視線を這わせた。

 

 件の人物は全身をすっぽりと覆うローブ姿だった。

 

「驚いたな」

 

 頭を覆っていたフードをするりと剥ぐと艶やかな銀髪に整った顔立ちがあらわれた。

 

「万代不易の時を重ねる神々にとって一年単位の歳月などは、夜ごとに飲み干したエールの杯を思いだすような曖昧なものだと聞いていたが、ぴたりと当てられたな」

 

 むしろそろそろ俺の顔すら忘れられているのではないかと心配していた、とわずかな稚気を滲ませながらしゃべるセフィロス。

 

 それに対してゴブニュはくだらない事を言うなとばかりに鼻を鳴らした。

 

「神とは言え俺のような職人にとっては歳月を区切るための納期という目盛りがある。一年と十年の区別もつかないような時間の使い方はしてはおらん」

 

 ぶっきらぼうに口を開くゴブニュに、セフィロスは「そうか、それはすまなかった」と笑いながら返した。

 

「久しぶりだなゴブニュ。ずいぶん間を空けてしまったか?」

「それこそ余計な考えだ。なにせこちらは〝万代不易の時を重ねる神々〟とやら、らしいからな」

 

 朴訥な表情を崩さない彼には珍しく、小さく笑っていた。

 

「ほう、普段は寡黙なあなたが冗談を口にするとは珍しいな」

「ただの気まぐれだ……見せてみろ」

 

 ゴブニュの言葉の意味することを察したセフィロスは腰に佩いていた刀を差出した。

 

 鞘と柄を合わせても1(メドル)にさえ満たない。むしろ柄が一般的な太刀に比べずいぶん長く、鞘と柄がほぼ同じくらいの長さであった。鍔は装飾の無い四角形で、握り手には縁金から柄頭にかけて菱形が連なるような形に、青紫色の柄糸が巻かれている。

 

 ゴブニュは柄に手をかけ、すらりと刀を引き抜く。

 

 すると鞘に納まるだけの長さを優に超える刀身が姿を現した。刃渡りだけで2(メドル)を超える超長刀。希少な素材をセフィロスがダンジョンで集め、『神の力(アルカナム)』を封印している鍛冶神であるゴブニュ自身が、唯一地上で発揮できる鍛冶師としての技術を全て注ぎ込んで鍛え上げた名刀『正宗』である。

 

 美しくも妖しく輝く銀色の刃の中にゴブニュの顔が映りこむ。

 

「正宗……こんな無茶な注文をしてきたのは後にも先にもお前だけだ。本当にお前等、ロキ・ファミリアは鍛冶師泣かせだな」

 

 オラリオに置いて極東の武器である刀がそもそも珍しいのに、多種多様な武器の製造を引き受けるゴブニュ・ファミリアの歴史においても、本来の規格を遥かに超える馬鹿げた長刀を注文してきたのはセフィロスただ一人である。

 

 鞘は柄と同じ青紫色。鞘の外装こそゴブニュ・ファミリアで鍛造された物だが、内側には『神秘』によって生み出された特殊なアイテムが貼り合わされている。『神秘』とは発展アビリティの一つであり、迷宮都市オラリオにおいても保有者が五人といないレアアビリティだ。その効果は神の十八番である『奇跡』を発動するというものである。『奇跡』の形は様々であり、生み出される秘薬や道具(アイテム)も多岐に渡る。ダンジョンで重宝する状態異常回復の魔薬やインクいらずの羽根ペンなどの日用雑貨、中には永遠の命を発現させる『賢者の石』と呼ばれる伝説の道具(アイテム)の精製も『神秘』を極めた先に到達できるかもしれないと云われる極致である。

 

 正宗の鞘に用いられた『神秘』は元々は『空間収納』と呼ばれる道具(アイテム)だ。見た目はなめし革の巾着のような袋であり、中の空間を折りたたむ事によって容量以上の物を収納できるという道具(アイテム)だ。これに特殊な加工を施し、鞘の内側に張る事によって規格外の長刀である正宗の刀身を実際より短い鞘の尺で収め、普段から帯刀しやすくしていた。

 

 ゴブニュは鞘を机の上に置き、指を這わせながら刀身をじっくりと眺める。

 

「普段からしっかり最低限の手入れはしていたようだな。特に問題はない。それにお前のスキル、【剣聖(ブレイドマスター)】だったか? それのおかげもあるだろう」

 

 本来スキルとは他人に秘匿するべきものであるが、かつてセフィロスが正宗をオーダーメイドする際に、伝えなければいけない情報としてゴブニュにスキルの詳細を明かしていた。武器とはダンジョンに限らず戦場において命をあずける相棒である。自身の力を十全に発揮し、自身も武器の力を十全に引き出してこそ、己を超える敵に打ち勝つ光明を見出すことが出来る。だからこそ武器を拵えるに当たって、その武器の性質を変異させる『剣聖(ブレイドマスター)』というスキルの委細を伝えることは必要不可欠なことだった。無論、己の仕事に高い誇りと責任を持ち、愚直なまでに口が堅いゴブニュだからこそ明かした秘密でもある。

 

 セフィロスのスキル、【剣聖(ブレイドマスター)】 その効果の一つに装備している武器が剣に属する場合に限り【不壊属性】と同等の効果を付与する、というものがある。

 

 不壊属性(デュランダル)とは字のごとく、決して壊れない特殊武器(スペリオルズ)のことだ。とはいえ、それが完璧かというとそうではない。壊れない事と引き換えに武器としての性能の要である攻撃力はやや落ちることになり、刀身に無茶な負荷を重ねれば刃は劣化し、切れ味や威力が低下するという弱点もあった。

 

 しかしセフィロスのスキルによって後付けされる【不壊属性】の場合、少しばかり事情が異なる。

 

 まず、武器としての攻撃力の低下が無い。

 

 後付けの【不壊属性】だからこそ、すでに武器として完成されている鋭い切れ味と強力な攻撃力を持つ正宗の性能は、損なわれること無く保たれていた。これが神の恩恵(ファルナ)というシステムの隙間に浮き出たバグと捉えるか、思いもかけない副次効果と捉えるかは人それぞれ、神それぞれだろう。

 

 【不壊属性】の特殊武器(スペリオルズ)はその特性のため、手入れが困難である。なにせ刃を研ぐという整備でさえ、決して欠けることすら無いという【不壊属性】の性質に反するのだ。とは言え、無茶をすれば刃の劣化は起こるため、【不壊属性】の武器は本来特別な職人の手によってしか行えない。

 

 しかし刃の特性を十分に理解しており、斬るという行為はもちろん衝撃を受け流す技術を極めたセフィロスが振るう正宗には、刃が劣化するほどの過度な負荷が掛かる事は無かった。

 

 剣を〝装備〟している場合にのみ【剣聖(ブレイドマスター)】は発動する。最低限の手入れなら特別な職人の手は必要なく、普通の武器と同じく自分自身で行えるため、この五年もの間正宗はセフィロスの唯一無二の相棒として共に戦場を駆け抜けてこれたのだった。

 

「Lv.9になったそうだな」

 

 ゴブニュは正宗を観察し続けたまま呟いた。

 

「知っていたか。てっきり世情には関心が薄いと思っていたが」

「興味が無いとは言わんよ。最も、どこぞの神々のように騒ぎわめき散らすような痴態は晒さんがな」

 

 どこぞの神々とやらの姿に心辺りがありすぎるセフィロスは「まあ、想像は出来ないな」と苦笑を返すのみだった。秀麗な顔の造形を、下品に歪めながらゲラゲラと腹を抱えて笑う神の姿など、オラリオにおいては街角の郵便ポストと同じくらい有り触れた光景だ。しかし目の前の峻厳な鍛冶神がそれ等の神物(じんぶつ)と同じように笑い転げている姿など想像できない。

 

「団員達が噂していた。お前のオラリオ帰還と昇格(ランクアップ)のことはな」

 

 そう言うとゴブニュは正宗を鞘に戻し、セフィロスに差し出した。

 

「差し当たっての整備は必要ない。とは言え、お前にせよロキ・ファミリアのメンバーは何かと無茶をしたがる連中ばかりだ。武器に関して問題があればすぐに来い」

「ああ、礼を言う」

「必要ない。これが俺達の仕事だ」

 

 セフィロスは正宗を腰に佩くと、今度は背中に背負っていた剣を差し出した。

 

「ついでと言ってはなんだが、これの整備を頼めるか?」

 

 ゴブニュは剣を受け取り、まじまじと見つめるが何の変哲もないロングソードである。剣士として超一流の域に達したセフィロスが持ってきた武器としては、言っては何だが三流品である。

 

「なんだこの剣は?」

「俺が昔使っていた剣だ。所謂思い出の品だ」

 

 ゴブニュは剣を引き抜く。そこかしこに刃こぼれがあり、剣そのものが歪んでいる。耐久限界は超えており、錆びも浮かんでいる。鍛冶の神としては少しばかりの怒りさえ覚える武器の状態である。

 

 じろりとセフィロスを睨みつけるが、当の本人は涼しい顔をしたままだった。

 

「ずいぶんぞんざいに扱われている思い出だな」

「思い出の形のまま倉庫の奥に大切に保管していたからな」

「ぬかせ。そうだな、二週間後に取りに来い。大切な思い出とやらは新品同然に鍛え直してやる」

「頼んだ。では俺も生まれ変わったつもりで己を鍛え直すとしよう」

 

 これ以上鍛える気か、と零すゴブニュを背に立ち去ろうとするセフィロス。

 

「セフィロス」

 

 ゴブニュに呼び止められ、セフィロスは振り向いた。

 

「武器は己を映す鏡だ。昔のお前がこの己の限界さえ超えて極限まで酷使された刃なら、今のお前はその正宗の刃に何を映す?」

 

 鍛冶神からの意味深な問いかけに、セフィロスはしばらく考えてからこう答えた。

 

「さあな。まあ、何でもよく映るように今は磨き上げる事に専念するさ」

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 リリルカ・アーデ。

 

 それが少女の名前だった。

 

 種族は小人族(パルゥム)で年は十五歳。【ソーマ・ファミリア】に所属するサポーターである。

 

 サポーターとは文字通り冒険者のサポートをすることが仕事である。荷物持ちであり雑用係でもあるが、ダンジョンにおいては冒険者が冒険に専念するために意外に重宝する役割だ。ドロップした魔石の回収はもちろんのこと、冒険者がモンスターとの戦いに傾注できるように動きを阻害する余計な荷物を引き受け、予備の武器や回復薬なども常備して後方支援に徹するのである。

 

 戦術的にはもちろん遠征などの戦略的な場面で重要なウェイトを占める役割である。

 

 しかしサポーターの多くは見習い冒険者が勉強のために同じファミリアのメンバーに付き添う場合や、冒険者としてダンジョンを攻略するには実力が足りずドロップアウトした者が結果的に落ち着いてしまう役柄のため、多くの冒険者から見下され、不当な扱いを受けることが多くある。

 

 リリルカもそんなサポーターの一人だった。

 

 いや、リリルカの場合は特に酷い扱いを受ける者の一人だった。

 

 リリルカの両親は共に【ソーマ・ファミリア】に所属する冒険者だった。つまりリリルカはこの世に生まれ落ちたその瞬間から【ソーマ・ファミリア】の団員となった。それが己を縛る鎖であることにリリルカは物心ついた頃にはすでに気づいてしまった。

 

 両親はリリルカに対して、親愛の情を見せた事は無かった。

 

 告げる事はただ一つ。

 

 金を稼いで来い、だ。

 

 【ソーマ・ファミリア】には、ある悪病が蔓延していた。その病は人の心を醜く歪め、理性の箍を破壊してしまう。他人を蹴落とし、利用することも厭わず、心を満たすのは利己的欲求を満たす願望のみ。この病によって生み出されたのはファミリアという名前でさえ滑稽な皮肉に聞こえる団員達の不和であり、団員同士による血生臭さすら漂う暴虐である。

 

 病の正体は『神酒(ソーマ)

 

 主神の名を冠する天上の美酒である。

 

 市場に出回っている失敗作でさえ60000ヴァリスと高額であり、完成品が流通しているのはファミリア内のみ。それも普通の手段ではない。元々、完成品の『神酒(ソーマ)』は主神であるほうのソーマが己の趣味である酒造の資金集めのために団員達を奮起させるエサとして用いた事が全ての発端であった。

 

 『神酒(ソーマ)』は下界の子供達が口にするにはあまりに美味過ぎた。いや、もはやそれは美味いなどという言葉すら卑俗に貶めてしまう極上の美酒だった。

 

 心を侵し、精神そのものを塗りつぶすような、陶酔感は『神酒(ソーマ)』に対する強烈な依存症状を引き起こした。

 

 もっと、もっと、と『神酒(ソーマ)』を求める団員達。

 

 ファミリア内には上納金のノルマが決められ、成績上位者のみ『神酒(ソーマ)』が与えられるようになったことで、おぞましいまでにファミリアの団員達は金に執着するようになった。

 

 リリルカの両親もそんな団員達の中におり、そしてリリルカ自身もそうだった。

 

 両親は稼ぎを求めるあまり自分達の力量を超える階層に挑んでモンスターに殺された。リリルカも一度口にした『神酒(ソーマ)』の虜になり、他の冒険者に混じって金を稼ぐ日々。

 

 しかし生来冒険者としての才能に恵まれなかったため、サポーターへの転身を余儀なくされた。

 

 しかし、そこからが本当の地獄だった。

 

 サポーターは冒険者のおこぼれで金を稼ぐ寄生虫。

 

 それが【ソーマ・ファミリア】の冒険者にとってのサポーターに対する考え方だった。

 

 魔石をくすねた、金をちょろまかした、そんな言い掛かりをかけられ報酬をもらえないことなど日常茶飯事であった。

 

 いつしか『神酒(ソーマ)』の酔いは冷めていた。

 

 正気を取り戻したからこそ、よりこの地獄を鮮明に見渡す事が出来た。

 

 世界は常に自分を虐げていた。

 

 世界は変わらず自分を苦しめていた。

 

 殴られ。

 

 蹴られ。

 

 罵声を浴びせられ。

 

 苦しめられ。

 

 狂わされ。

 

 恨み、恨まれ。

 

 妬み、妬まれ。

 

 憎み、憎しみ。

 

 この世は、地獄だった。

 

 しかし、いつしかリリルカは気づいた。

 

 ……地獄の住人は自分一人である事に。

 

 酒場では冒険者達が楽しそうに杯を打ち鳴らしていた。おいしそうな料理に舌鼓を打ち、仲間達と談笑を交し合っている。

 

 街角ではカップルが腕を組み、楽しそうにその日の予定を話し合っている。服飾店でたくさんの服に目移りしながらあれも欲しいこれも良いと、購入するかも分からない服を物色していた。

 通りを幼い子供達が走っていた。手には木で出来たおもちゃの剣をふるって冒険者ごっこに興じていた。頭に木剣が振り下ろされ、その痛みで大声を上げて泣き出した子供を、母親が寄り添い抱きしめながらあやしていた。

 

 広場の片隅では女の子と父親らしき男性が手を繋いで歩きながら、母親が作ってくれる今日の晩御飯について笑顔で語り合っていた。

 

 あの人達の目に映る世界はきっと輝いているのだろう。

 

 自分はきっと幸福の海原の中に、ぽつんと漂う木の切れ端なのだと思い知らされた。どこに行くとも無く波間をゆらゆらと漂っている。少なくともリリルカの目に映る【ソーマ・ファミリア】以外の世界は笑顔に満たされていた。

 

 酒場で酒を煽りながら不幸だ不幸だと嘆く冒険者の傍らには、仲間がいて慰めていた。

 

 泣き喚く子供には両親が寄り添っていた。

 

 自分は一人だ。

 

 泣いても誰も慰めてくれない。

 

 助けてと叫んでも誰も助けてくれない。

 

 苦しいと嘆いても誰も寄り添ってくれない。

 

 だったらもういい。もうたくさんだった。

 

 自分から搾取し続けてきた世界に少しばかり反抗しても罰は当たらないはずだ。

 

 そもそも罰は神様が与えるものだ。

 

 その神様は……主神であるソーマは自分に対して一欠片の興味すらないのだから問題無いだろう。

 

 変わらない世界なら自分の手で変えてやろうと決意した。

 

 リリルカの標的は冒険者だった。

 

 フリーのサポーターとして冒険者のパーティーに潜りこみ、折を見て金目の物を盗んで逃げる。

 

 逃げ切る自信はあったし、身元がバレない自信もあった。

 

 リリルカの変身魔法『シンダー・エラ』は己の外見を偽ることができた。平たく言えば高度な変装だ。時に少年の姿で盗みを働き、時に犬人(シアンスロープ)の姿で盗みを働いた。

 

 冒険者達が気づいた時にはすでに手遅れだ。

 

 盗人である小人族(パルゥム)の少年はどこにもいなかった。

 

 盗人である犬人(シアンスロープ)の姿はどこを探しても影も形も無かった。

 

 それも当然だ。それらは全てリリルカの変装であり、最初からこの世のどこにも存在しない虚構の人物なのだから。

 

 今日も、リリルカは周囲を見回しながら標的にしようとしていた冒険者の姿を探していた。

 

 一目で高級と分かるローブを纏い、安物の剣を背負った冒険者。

 

 追いかけていたはずだが途中で見失ってしまった。

 

 雑踏の中でいつの間にか消えていた。路地裏にでも入ったのだろうか。しかしリリルカはサポーターとしてダンジョンに幾度となく潜る中で、注意力や観察力はそれなりに長けている自身があった。

 

 それなのに見失わないようにと注意を向けていたはずの件の人物は煙のように忽然と消えてしまっていた。

 

 しばらく周囲を彷徨っていたリリルカの目に――いた。あの冒険者だ。

 

 全身をローブで覆い隠している。背中に背負っていた安物の剣は無くなっていた。道具屋にでも売り払ったのか、それとも研ぎにでも出したのか。理由は分からないが、あんな安物の剣には最初から盗みの食指は動いていない。

 

 とりあえずあのローブは見た所売却価格でも200000ヴァリスはかたいはずだ。少なくともあのローブは剥ぎ盗ってやろうではないか。

 

 妖しくほくそ笑みながら、リリルカは自分の姿を一度確認した。

 

 人間の子供のような短躯は変わらないが、それなりに出ていた胸は跡形もなく引っ込んでいる。

 

 大丈夫だ。

 

 今の自分はどう見ても小人族(パルゥム)の少年だ。

 

 リリルカはローブの冒険者に近づいた。

 

「そこのお方、ちょっとよろしいでしょうか」

 

 声をかけるとローブの冒険者が振り向いた。

 

 フードの奥から覗く双眸がリリルカに向けられる。不思議な瞳だった。瞳孔が猫のように縦に細長いが、光彩は不思議な色合いで揺らめいている。一瞬気圧されたリリルカだったが、すぐに気を取り直してその冒険者にその言葉を告げた。

 

「初めまして。突然ですが、どうか〝僕〟のお願いを聞き届けてはもらえないでしょうか?」

 

 

 

 

 

 ……もし。

 もし、時間を巻き戻せる術があるならば、数時間前に戻ってあの時の自分をぶん殴ってでも止めたことだろう。

 よせ、馬鹿、やめろ! とあらん限りの静止の言葉を浴びせていたはずだ。

 

 

 

 

 

 今現在。

 

 剥ぎ盗ろうと決意していた冒険者のローブを手中にした……してしまったリリルカの目の前で、二人の男が対峙していた。

 

 片方は筋骨隆々の大男だった。錆色の短髪に猪の耳。鋭い眼光に引き締まった口元は無骨な男の雰囲気を殊更に強調していた。

 

 ――男の名はオッタル。フレイヤ・ファミリア所属の冒険者で二つ名は『猛者(おうじゃ)

 

 片方は細身に見えるが胸部が開けたロングコートから覗く身躯は鋼のように鍛え上げられていた。特徴的な長い銀髪に涼やかな相貌の美丈夫。

 

 ――男の名はセフィロス。ロキ・ファミリア所属の冒険者で二つ名は『片翼の天使』

 

 ……そしてリリがターゲットに選んだ……選んでしまった冒険者の正体でもあった。

 

 二人は対峙していた。

 

 しかもただ睨み合っているわけでは無い。

 

 オッタルは巨大な剣を、セフィロスは恐ろしく長い刀を、対峙するお互いの首筋につきつけ合っている。

 

 なんだこれは、一体どういう状況だ。

 

 リリルカは激しく混乱していた。

 

 両名共に迷宮都市の頂点に君臨する冒険者であり、宿敵同士だとリリルカも聞き及んでいた。かつてこの二人が本気で対決した時はダンジョンの五十一階層の地盤の一部を砕いて崩落させ、五十二階層のある区画を、そこにいたモンスターもろとも破壊しつくしたことで有名である。

 

 そんな大規模破壊を平然と行使できる怪物二人が今にも斬り合いを始めそうな剣呑とした雰囲気で刃をつきつけ合っているのだ。リリルカのすぐ目の前で。

 

 今にも破裂しそうな濃密な殺気と覇気の暴風。遠くで大量の鳥が慌てふためいて空に飛び立っていた。眩暈で立っていることさえ出来ず尻もちをつく。激しい嘔吐感が喉の奥からせり上がってくるのを必死にこらえる。

 

 二人が何事かを口にしているのが遠くで聞こえた。そして精神が限界に達した意識は、ゆっくりと閉ざされていった。霞む視界と思考の中で、リリルカはセフィロスに声をかけてしまった己の迂闊さに怨みつらみを浴びせかけているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 リリ in 爆心地

 すみません、アイズとリヴェリアの描写は次回になります

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