片翼の天使(笑)で剣をふるうのは間違っている   作:御伽草子

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・挿話【リヴェリア・リヨス・アールヴ】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢。

 

 

 夢を、見ている。

 

 

 懐かしい、夢だ。

 

 

 

 

 

 その日は焼けるような空だった。

 

 禍々しいほどの赤い色は群がる雲を焦がしながら、オラリオの街に夜の帳を下ろそうとしていた。人も建物も通りの風景も、全てが夕映えの中に沈んでおり、雨が通り過ぎた後の夕暮れの匂いがどこか物憂げに街を包みこんでいる。細く長く伸びた影法師をかき消すように、ぽつりぽつりと街路を照らし始めた魔石灯の淡い明かりがより郷愁を駆り立てた。

 

 華奢でありながら憂愁に閉ざされた朱色の光景は、私の心をも深い愁いの底へと引きずり込んでいくようだった。

 

 私ことリヴェリア・リヨス・アールヴはいくつもの尖塔が群がり天を衝く長大な館、ロキ・ファミリアの本拠(ホーム)【黄昏の館】にいた。そこは一基の塔頂部にほど近い場所、赤銅色の外壁にしがみつくように誂えられた小さな展望台だ。

 

 目の前に男が立っている。

 

 こちらに背中をむけ、暮れなずむオラリオの街を静かに見下ろしていた。女と見まごうほどの長い銀色の髪は黄昏の光を流し込まれ宝玉のように輝いている。 

 

 ――セフィロス。

 

 夢の中の私はその男に声をかけた。

 

 懐かしい名だ。懐かしい背中だ。もう久しく見ていない、懐かしい男の姿だった。

 

『リヴェリアか』

 

 夢の中だからなのか、セフィロスの声は壁一枚を隔てたように不鮮明だった。記憶を記録で補完しているような、そのほんのわずかな齟齬が鬱陶しい。せめて夢の中でも、自分の名を呼ぶその声を清澄に聞けないのが、たまらなく……もどかしかった。

 

 セフィロスがこちらを見遣る。

 

『今回の件ではずいぶん迷惑をかけたな』

『迷惑などと思っていない。私はもちろん、他の団員も誰一人としてな』

 

 過去の私の想い。それは今でも変わらない。責めるべき者がいるとするなら彼一人に全ての功罪を押し付けてしまった私達に他ならない。

 

『お前はなんでもかんでも一人で背負いすぎた。少しは私達に寄りかかれ。そんなお前を見ているのは、たまらなく、不安だ』

『そうか、だが』

 

 バサっ、とセフィロスの背中に漆黒の翼が顕現した。片翼のみ。それは確かな輪郭を持ちながら、触れれば消えてしまいそうな蜃気楼のようであった。ただその翼は魔力とも神威とも違う畏れを孕んでいた。緩やかな曲線美はその奥にある計り知れない何かを覆い隠している。見ているだけで、傍にいるだけで身震いするような玄妙な静謐を孕んでいた。それはまさに他に形容する言葉を持たない黒き天使の翼だった。

 

 かつてセフィロスが幼い頃に死にかけた時、彼の母がセフィロスの命を繋ぎ止めるために体に〝奇跡の欠片〟を宿らせた。それがいかなものかは分からなかったが、セフィロスが神の恩恵(ファルナ)によってその器を神に近づけたため、近づけすぎたため、本来は人の身で御することのできないその〝奇跡の欠片〟の力を発現するに至った。自分達の主神であるロキが『遥か古代の飛来物』と述べた力の発現が一連の騒動を引き起こし、セフィロスの運命を大きく変えることになった。

 

 あの事件でオラリオの神々はまるで祭りの夜のように狂乱的に色めき立った。元々退屈しのぎに娯楽を求めて地上に降臨した神々である。膨大な年月を過ごした彼らでさえ初めて遭遇したイレギュラーな事態を黙って静観しているとは思えなかった。そんな極上の娯楽の種が傍にありながら、黙って見ておけとそんな殺生なことは無い。今は地上に降臨して神力を封印した零能の存在に成り下がってしまったが、本来万能の存在でありながら……万能の存在であるからこその弊害か、彼らはある種の場面に置いては駄々をこねる幼子よりわがままになる。

 

 他の何を差し置いても、セフィロスを玩具にするためにちょっかいかけてこようとするのは目に見えていた。

 

 いくら相手が迷宮都市で1、2を争う最大手ファミリアであったとしても多くのファミリアが結託して立ち向かえば対処のしようはいくらでもある。強大な敵を打ち倒す方法はいくらでもあるのだ。そして今、多くのファミリアが結託するほどの理由がある。超一級特異点と言えるセフィロスの存在がそうだ。今はまだ表面化していないが、もしかするとセフィロスのみならずロキ・ファミリアすら巻き込んで何か大きな事件が起きても不思議ではない。それもロキ・ファミリアの存続を揺るがすほどの何かがだ。

 

 神々の熱がある程度でも冷めるまで、今回の件に対しての対処が整うまで、セフィロスの人柄と抜きん出た戦闘力と判断力を考慮に入れ以前からギルドの議題に上がっていた強力なモンスターに頭を悩ませる近隣諸国への武力援助の一環として、などのいくつもの事情と利害が絡んだ結果、セフィロスはしばらくの間オラリオを離れて外の世界に出ることが決まっていた。数年単位、もしかしたら十年単位。無論、私達の主神であるロキは最初このギルドからの提案を聞いて強行に反対した。激憤を滾らせた口調で、今回の件で敵対するファミリアが出てくるなら皆とも滅ぼすとまで言い放った。かつては悪神と恐れられた神の横溢する怒気に、ギルドの職員は震え上がったという。普段はおちゃらけた主神であるが、眷属への愛情は本物である。だからこそ許せなかった。自分の愛する眷族をくだらない政(まつりごと)の道具にされるなど到底許容できるものではない。武力を持って立ちふさがる敵がいるならそれ以上の武力で押しつぶそう、姦計を用いて立ちふさがる敵がいるならそれ以上の詭謀をもって絡めとろう。平等を謳う冒険者ギルドの横暴とも言える提案であったが、これを快諾したのはセフィロス当人であった。

 

 ロキ本人としてもセフィロス本人に、外の世界を見て回るまたとない機会だ、と説得されては怒りの矛を収めるほか無く、しぶしぶであるが特務――という名のギルドの提案を受けることにした。

 

 セフィロスは数奇な運命をたどる己の人生を振り返っているのか、その翼を自嘲気味に眺めながら呟いた。

 

『運命というものが本当にあるのなら、それは俺に何を求め、何を欲しているのだろうな』

 

 自身の前に忽然と現れた出口の見えない暗闇を見据えてか、セフィロスの口調はまるで世界に対する詰問だった。

 

『お前の居場所はここだ。お前にこれから先に何があっても、どんなお前に変わろうと、帰ってくる場所はここなんだ、セフィロス……っ』

 

 ――だから、どこにも行くな。行かないでくれ。ずっと……私の傍にいてくれ。

 

 あの日、喉をついて出てこなかった言葉は今も私の胸の奥でくすぶっていた。もしあの時、その続きを告げることができたなら、ほんの一歩踏み出す勇気があったなら、ひょっとしたら……。

 

 だが、出来なかった。私の立場が、『片翼の天使』セフィロス・クレシェントの所属するファミリアの副団長としての立場がそれを許さなかった。

 

 

 だからこそ、せめて……せめてもの、願いを込めた。

 

 

 いつか必ず帰ってきてくれと告げた。世界のどこにいようと、このオラリオ以外に宿り木を見つけて欲しくなかった。何年かかってもいい。必ずこの地に、私の傍に帰ってきてほしかった。

 

 想いが、あふれた。

 

『……初めてだな』

 

 セフィロスは驚いたように目を見開き、それから柔和な笑みを浮かべながら指で私の眦を拭った。

 

『お前の涙を、初めて見た』

『…………馬鹿者め。女を泣かせるなんて、お前はひどい男だな』

 

 ――この責任は、いつかきっちりとってもらうからな。

 

 遠く彼方に沈んでいく太陽と、オラリオの街を見下ろすようにたたずむバベルだけが、私達を静かに見つめていた。

 

 

 

 

 

 あの日からどれだけの夜を越えたことか。

 

 どれだけあの日の夢を見たことか。

 

 いや、あの別れの時の夢だけではない。

 

 セフィロスがロキ・ファミリアに入団した時のこと。

 

 あいつはすでにその頃からメキメキと頭角を現し、我々の常識などいともたやすく塗り替えていった。レベルアップの最速記録の更新、階層主の単独撃破数記録、単独での高難易度依頼達成記録、それら全てオラリオの歴史に残る偉業の数々だった。

 

 共にダンジョンにもぐって、共に困難を乗り越え、笑い、悲しみ、傷つき、敗北の悔しさも勝利の喜びも、不幸も幸福も、一緒に分かち合った黄金の日々。

 

 遥か後方から追いかけてきた少年は、いつしか私を追い抜き、皆を守る大きな青年の背中へと変わっていた。私が手を引いていたその小さな少年の手は、いつの間にか逞しい男の手となり、私の手を引っ張って新たな世界へと連れ出してくれた。

 

 夢を見る。この寂寥たる夜を越えて、再会する日の心華やぐ夢を。それはすぐに泡となってはじける悲しい夢だった。

 

 

 

 ……そして私は、今日も目覚める。

 

 

 

 見慣れた自室、見慣れた天井。

 

「……なあ、セフィロス」

 

 ベッドの上で、朝日に目を細め、腕を日除け代わりに掲げて、ぽつりとつぶやく。

 

「お前は今どこにいる」

 

 声が聞きたい。

 

「今、何をしている」

 

 姿を見たい。

 

「お前に、逢いたいな……セフィロス」

 

 駄目だな。

 あの日の夢を見ると、ひどく感傷的になってしまう……。

 

 頭を振りながら上体を起こす。副団長として今日の予定を頭に巡らせる。

 

 あれから五年。

 

 セフィロス本人からの音沙汰は無いが、その勇名は『片翼の天使』の二つ名と共に雷鳴のごとく全世界へ轟いていた。

 

 片翼の天使、英雄、白銀の剣士。

 

 形容する言葉はいくつもある。

 

 

 あの日、私の前から消えた男は全世界に認められた英雄となり、ロキ・ファミリアの誇りとなったのだった。

 

 それがうれしくもあり、誇らしくもあり、そして……寂しくもあった。

 

 

 

 

 

 




 乙女なリヴェリアさん……ありだと思います!





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