次回は少し事件が起きるかもしれません
結果から言って、シリカの心配は無用であった。瞬く間に三体を無力化し、ほとんど序盤からシリカに加勢するだけの余裕をスクエアが見せたからだ。
自分の戦いに集中していたシリカは、その戦いっぷりを見ることは出来なかったが、巧みなステッキ捌きでモンスターたちをあしらう姿は想像に難くなかった。
まあ、そんな訳でモンスターを打ち払ったスクエアとシリカの二人は、そのまま洞窟内を進み休憩ポイントに到着するのであった。
「綺麗なところですね………」
シリカの言葉通り、休憩ポイントに広がる光景はとても綺麗なものであった。
通常であるなら直径20mくらいの広さがある岩肌の露出したドームであるのだが、その壁面は微かに薄い水色に染まっており、水面が夕日を反射するように煌めいてているのだ。
気になったシリカが近付いて壁面を観察すると、岩肌の表面が水晶のような鉱物でコーティングされていた。これが、誰が置いたかわからない松明の光を反射しているのだろう。
「見た感じ他には誰もいないか」
ポツリと呟いたスクエアの言葉に、幻想的な光景に目を奪われていたシリカは自分が何をしにここに来たのかを思い出す。慌てて周りを見回すが、確かに、シリカたち以外の人影は無かった。
「まあ、広いダンジョンで打ち合わせもなく合流なんてそうそうできるものじゃないからなあ」
居ればラッキー程度に考えていたスクエアは、淡々とした声で言った。
「取り敢えず休憩しようか。待ってれば来るかもしれないし」
メニューを開き、アイテムストレージから大きめのレジャー用カーペットを出現させたスクエアは、壁際に敷いて座り込みシリカとピナを手招きした。
「し、失礼します」
呼ばれたシリカは、ピナを抱きしめ、少しためらいながらカーペットの端の方にちょこんと座った。会ってまだ間もないスクエアの領域に踏み込むことに緊張したからだ。
そんな気にしなくていいのに、とスクエアは微苦笑を浮かべる。その一方で右手は忙しなく動いており、二人の間に湯気の立ったティーポットと二つのカップ、そしてお茶請けのビスケットと漫画でよく見る穴あきチーズを出現させた。完全にプチお茶会の様相である。
準備の良いスクエアに、シリカは目を丸くした。
「これ、いつも用意してるんですか?」
「まあね。戦闘の後の優雅なティータイム。ンー、癒される」
慣れた手つきで紅茶を注ぎながら、ドヤ顔で答えるスクエア。
そんなスクエアの顔を、シリカはまじまじと見つめてしまった。自由奔放な人、という印象が追加された。
「はい、どうぞ」
そんなことを考えていると、スクエアからカップが差し出された。注がれた紅茶からは緩やかに湯気が立っており、芳醇な香りをシリカに届けた。
「あ。ありがとうございます」
その香りで幾らか緊張の解けたシリカは、ピナを隣に下ろしてから紅茶を受け取ると、まずは一口だけ口に含み、静かに飲み込んだ。市販で売っているペットボトル飲料のような飲み慣れた味と香りであったが、疲れた心にはそれだけで充分であった。
スクエアの方も同じように紅茶を静かに飲んでいた。よく見れば目尻が垂れており、癒しを満喫しているようであった。
「チュチュ」
そんなスクエアに、いつの間にかポーチから出てきていたミックが催促するように鳴いた。
「はいはい。少々お待ちください」
スクエアはまるで臣下のように傅くと、カップを置いて穴あきチーズを手に取り、ミックのサイズに合わせて千切ってから差し出した。
それをミックは短い両手を使って受け取ると、小さな口を素早く動かしてカリカリと嚙りだした。
大切そうにチーズを抱きかかえる姿はそれだけで可愛らしく、シリカは小さく笑みを浮かべる。
ふと、何かに気づいたシリカが視線を落とす。するとそこには、物欲しげな目でシリカを見つめる小竜の姿があった。
「あ! ごめんねピナ!」
慌ててストレージからナッツを取り出す。それを見て、ピナは歓喜の鳴き声を上げた。
それから、スクエアとシリカは、時折ビスケットを摘みながらそれぞれの使い魔が満足するまで食べ物を与え続けた。
そして、ミックとピナが満足し、スクエアが一杯目を飲み終えたところで切り出した。
「なんだかんだあって流れちゃったけど、ミックとの馴れ初めを話してなかったよね。まだ聞きたい?」
確信を持ちつつの確認に、シリカは迷うことなく頷いた。
「オッケー、オッケー。それじゃ、何から話そうかーーー」
◇◆◇◆◇
カツカツカツ、という規則的な足音が薄暗い冷たい石造りの廊下に反響する。
左右には鉄扉のついた窓の無い部屋が無数に並び、時折ある開かれ鉄扉から中を覗き込むと両手両足を鎖に繋がれた白骨死体が床に横たわっていた。
まるで監獄のようなこの場所は、迷 第九層の迷宮区であった。
そのダンジョンの中を、当時は積極的に攻略に参加していたスクエアはダンジョン攻略のため一人で歩いていた。
この時点で《強奪》スキルを獲得していたスクエアは投げナイフなどの補助武器を除いて丸腰であり、端から見れば危険極まりない格好であったが、その表情は自信に満ち溢れていた。言い換えれば、新しいスキルにはっちゃけていた。
「お。あったあった、みーつけた」
延々続く廊下を進み続けていると、スクエアの目の前に今までの錆びた鉄扉とは違う、一際は頑丈そうな両開きの扉が現れた。
この扉の先に上の階に続く階段があると確信したスクエアは、力一杯扉を引いた。しかし、ガシャン、という阻まれる音が監獄に響くだけで扉が開くことはなかった。
「まだ解鍵はされてない、っと。じゃあここが最前線か」
第九層迷宮区は、難解なギミックがあったり複雑な構造をしていたりする、なんてことは無い非常に単純なダンジョンである。ほぼ正方形に近い牢屋が規則的に並び、最奥にある鍵の掛けられた頑丈な鉄扉を開けて階段を上がっていくだけなのだ。
回れ右をして鉄扉を後にしたスクエアは、取り敢えず一番近くにあった牢屋の中に入った。そして、牢屋の中を注意深く探索し、目的のものが無いと知ると直ぐに牢屋を出た。
それを、しらみ潰しに行っていく。
スクエアが探しているのは、各階層に設置された看守室の鍵である。
何故そんなものが牢屋にあるのかと疑問はあるが、そういうギミックなんだと無理やり納得するしかない。とにかく、ダンジョン攻略に必要不可欠なものなのでスクエアは慎重に看守室の鍵を探した。
探索から30分。そろそろ探索した部屋が十を越えるが、まだ鍵は見つかっていなかった。
ハズレ部屋から出て、少しでも疲れを取るためにスクエアは首を回す。
「あー……どこにあるんだー……」
深く深く息を吐き、疲れ切った低くしわがれた声を発するスクエア。迷宮区のモデルが監獄ということもあり、建物の放つ圧迫感が精神をじわじわと疲弊させていたのだ。
少し休憩しよう、とスクエアが考えた。その時だった。
「イッテェエエッ!」
「っ⁉︎」
監獄にスクエア以外のプレイヤーの声が反響した。
悲鳴と苛立ちを半々にした怒鳴るような声に、完全に気を抜いていたスクエアは肩を強張らせて恐る恐る声の聞こえた方に目を向けた。
先にあるのは、淡い蝋燭の光を呑み込む監獄の薄闇。
さっきの怒鳴り声は、パーティ内で喧嘩したからか、あるいは思わぬトラップにはまったからか。スクエアは気を引き締めて、声の聞こえた方に向かって走り出した。
いくら単純な構造と言っても迷宮区。スケールはそれなり以上ある。スクエアが全力疾走する途中にも、「ふざけるなっ!」「コノヤロウっ!」と言った怒鳴り声がスクエアの耳に届いた。
その内容から、怒鳴っている人物が優位な立場にあるのが分かった。それでは、何に対して怒鳴っているのかという話になるが、それが他のプレイヤーだった場合はまた別の意味で急行しなければならない。
なんにせよ、のっぴきならない状況かもしれないので足を止めるわけにはいかなかった。
次第に怒鳴り声が大きくなり、目的地が近づいてきた。そこで、スクエアは怒鳴り声の中にいくつかの笑い声が混じっていることに気付いた。嘲るようなイヤな笑い声だった。
思わずスクエアは眉をひそめた。最後の予測が正解だとすると、なんだか不快に感じたからだ。
更に急ぐと、薄闇の中に光の灯る部屋が浮かび上がってきた。監獄内でここまで強い光を灯すことができるのは、看守室しかない。
《鍵》を巡ったトラブルである事は確定。足を止めること無く、スクエアは看守室に突入した。
果たして、看守室の中にいたのは三人のプレイヤーであった。スクエアの突入により、全員がこちらを惚けたような顔でこちらを見ていた。
同時に、スクエアも一点を見つめて驚愕の色で顔を染めた。
スクエアの《鍵を巡ったトラブル》という予測は確かに当たっていた。しかし、その対象がプレイヤーではなかったのだ。
三人のプレイヤーたちの内、真ん中に立つ男。その右手には、針金のように細長い尻尾を力なく垂らしてグッタリしている薄茶色の子ネズミが頭を下にして握られていたのだ。
単純で分かりやすい構造をしていると言っても、この第九層迷宮区の監獄もボスダンジョンである。それ故に、簡単にクリアできるというわけでは無い。
この監獄で厄介なものは二つある。
一つ目が、言わずもがな《看守室の鍵》である。似通った無数の牢屋の中から各階の看守室の鍵を探し出すなど、聞くだけでもうんざりする。
そして二つ目は、場合によっては《看守室の鍵》よりも厄介であった。何故なら、その鍵は
実を言うと、看守室にある階段前の扉を開ける鍵は、錆び付いていて使えなくなっている。一階ではそのせいで詰んだと思ったプレイヤーがたくさんいたのだが、当然代わりになるものも用意されていた。
その代わりになるのが、逃げ回る鍵こと《ピッキングマウス》という薄茶色のネズミ型モンスターであった。
名前から察することができるように、ピッキングマウスは鍵穴さえあればどんな扉や宝箱でも開けるという特別なスキルを持っている。つまり、このネズミを捕まえて階段前の扉を開けさせるのがこのダンジョンの攻略法なのだ。
そして、その文字通りこの迷宮区攻略の鍵であるピッキングマウスが、不思議なことに男の手の中でグッタリとしていた。しかも、明らかに痛めつけられた様子で、だ。
「………なにしていたのですか?」
取り敢えず、そう言うものだと状況を丸呑みしたスクエアは、ピッキングマウスを握る男に向けて静かに訊ねた。
ピッキングマウスは、非好戦的モンスターであるため戦闘が起こることはまずない。また、モンスターを呼び寄せるスキルも持っていないため危険度は最低と言ってもいいほど安全なモンスターである。
そんなモンスターを、こうまでするのは故意に行うしかありえなかった。
それでも、ただの偶然でこうなったーー万に一つもないないだろうがーー可能性も考慮して、スクエアはまずそう訊いたのだ。
それに対する男の反応は、スクエアの予想通りであった。
「何って、コイツがネズミの分際で俺に噛み付いて来やがったから少しお仕置きしてやっただけだぜ」
「噛み付いたからって………」
ピッキングマウスが最後に噛み付いてくるのはイベントのようなものである。この噛み付きによって手を放してしまうか放さないかで成功か失敗かを決めるのだ。
そうして成功した場合は一時的に捕獲したプレイヤーの所持アイテムになり、失敗した場合はは瞬く間に逃げられてしまいもう一度捕まえ直すことになる。
「………ふん」
それを知ってのこの狼藉だとしたら、スクエアにとって許し難いことである。いや、知らなかったとしても無抵抗の相手に暴力を振るっている時点で許せることではなかった。
男の言葉を訊き、不満を表すように一つ鼻を鳴らしたスクエアは静かに腰を落とした。
これからスクエアが行おうとしていることは可能か不可能かすらわからない賭けである。しかし、目の前のピッキングマウスをいち早く助けるためにも試す価値はあった。
ターゲットを男の右手に握られているピッキングマウスに絞り、スクエアは全力で踏み出す。
「おぉっと⁉︎」
ステータスを敏捷振りにしているスクエアの加速力は攻略組の中でもかなり上位に食い込むものである。それにも関わらず、スクエアの矢のような突進に男が反応し、避けることが出来たのは腐っても攻略組ということだろう。
しかし、一度目の突進をステップで避けられたスクエアは、しっかりとその跡を目で追っていた。片足が地面に着くと同時に石畳を踏みしめて方向転換し、第二射を放つ。
この小回りの効きの良さが敏捷振りプレイヤーの利点の一つである。あっという間に男との距離を詰めたスクエアは、鼠色のライトエフェクトを放つ左手を男の右手に伸ばした。
《強奪》スキルは、他人の所有物を奪い盗るスキルである。ならば、一時的とはいえ所持アイテム扱いになるピッキングマウスを盗む事は可能なのではないか、とスクエアは考えのだ。
些か暴論が過ぎるが、最も素早く救えると思った方法がこれであった。
瞬く間に距離が縮まり、スクエアの左手が男の右手に触れる。その瞬間、鼠色のライトエフェクトが強く発行し、パキンっ、という乾いた音が響いた。
「渡して頂きますよ」
ピッキングマウスが自分の物になった瞬間、スクエアは男の右手を外側に捻ることで指を開かせると、そこからぐったりしている子ネズミを素早く抜き取る。そして、ついでとばかりに男の胸を右手で押しのけて転ばせた。
どさっ、と音だけで男が尻餅をついたことを確認しつつ、スクエアは弱りきったピッキングマウスの小さな身体を優しく胸ポケットに入れる。そして、咄嗟に横に飛んだ。すると、間一髪スクエアのいたところを鉄製の六角形柱が通過し石畳を激しく打ち付けた。
他に二人いた男たちのうちの一人だろう。なら、もう一人はどこかと視線を走らせると、閉じられた看守室の扉の前で長槍を構えて立っていた。
状況を一言で表すなら、まさしく《袋の鼠》であった。
ーーーが、スクエアはそれがどうしたと言わんばかりに笑みを浮かべた。
「なに笑ってやがるテメェッ!」
尻餅をついた男が、そのままの格好で怒りの声を上げる。
その声に怯むことなくスクエアは笑みを浮かべたままポーチの中を探り、目的のものを取り出すと高く掲げた。
それは、直方体の半透明の水色の水晶であった。第九層の時点ではその水晶の価値は凄まじく高く、ボスドロップのユニークアイテムよりも価値があると言っても過言ではなかった。
そんな希少価値のあるものを、スクエアは惜しみなく使った。
「転移、《はじまりの街》」
そのコールの直後、水晶と同色の膜がスクエアを包み、ピッキングマウスと共にスクエアを看守室から《はじまりの街》へとテレポートさせた。
◇◆◇◆◇
「とまあ、こんな感じ。今思うと、やったことの割に呆気ない終わり方だよなぁ」
時と場を戻して洞窟の休憩ポイント。ミックとの出会いーーと言うよりも救出劇ーーを《強奪》スキルのところを誤魔化しながら話し終えたスクエアは、そのあっさりにも程がある幕引きに我ながら無いな、と苦笑いを浮かべた。オチが酷いにも程がある。
「そのあとはどうなったんですか?」
「そのあとは……まあ普通のテイムと同じような流れだったよ。目を覚ましたミックを連れて第九層に戻ろうとしたらウィンドウが現れて、試しにチーズをあげてみたらテイムに成功した」
「へぇ〜………」
スクエアの話を聞き終えたシリカは、少しだけスクエアを英雄でも見るような目で見ていた。
確かに、スクエアの話は幕引きを除けば英雄譚のような話であるため、年若く純粋な少女がそうなるのも無理もないだろう。
そんなシリカの視線に気がつき、スクエアはシリカの中で本当の自分とは全く違う自分が構築されているような気がした。
とは言っても、少女の幻想をその幻想本人がぶち壊す訳にもいかず、スクエアはその様子を黙って眺めているしかなかった。