第一層《はじまりの街》。その路地裏の一画に少年が座り込んでいた。数分前からずっとそうしている少年は、脚を怪我している訳でもないのに立つことが出来なかった。
呆然と地面を見つめていると、数分前の出来事が思い起こされ少年は微かに身を縮める。
初めてカツアゲにあった。路地裏に連れ込まれた直後はその程度の認識だったが、恫喝され、曲刀を突き付けられた瞬間から何もかもが変わった。
街の中では決してHPが減ることはなく、例え切りつけられたとしても軽いノックバック程度で済むと理解していたのに、気がつけば男たちの言われるがままに手が動き折角ドロップしたレアアイテムを渡していた。
カツアゲなどアニメやマンガの世界だけの出来事だ舐めていたが、ただ己の欲を満たすためだけの暴力があんなにも恐ろしいものだとは思ってもいなかった。
何より、敵mobとの戦闘にも慣れてきて付いてきた自信が、根本からポッキリと折れてしまったような感覚を少年は感じていた。
恐怖と自信の喪失。その二つが重りとなって少年を地面に縛り付けているのであった。
「いつまで座ってるんだい?」
ふと、少年に声がかけられる。
少年が声の聞こえた路地裏の奥の方に力なく視線を動かすと、そこには肩に薄茶色の子ネズミを乗せた深緑色の装備をした青年が立っていた。忘れもしない、さっきの自分を見捨てて逃げたプレイヤーだ。
「今さらなにしに来たんだよ」
普通なら、あの時の怒りを目の前のプレイヤーにぶつけていだだろう。しかし、今の少年にはその気力すら残ってなく、視線を地面に戻しながら力なく不満を返すだけであった。
無気力になっている少年に、青年ーースクエアは静かに歩み寄り、視線を合わせるように身を屈める。そして、深く頭を下げた。
「さっきはごめんなさい。隙を見て助けようとは思っていたんだけど、不意打ちじゃないと勝てる気がしなかったんだ」
スクエアの謝罪に、少年は反応を返さなかった。怖くて何も出来なかったのは自分も同じであるが、何もしてくれなかった相手を許すのも釈然としないからだ。
「代わりに、盗られたものが戻ってくるかもしれない方法を教えようと思うんだ」
「《コンプリートリィ・オール・アイテム・オブジェクタイズ》だろ?」
そんなスクエアの言葉に、少年は投げやりに答えた。
「ダメだったよ。あいつら、もう売り払ったか装備して有効活用してやがる」
《
その実態は、スナッチ技の持つ敵mobから奪われ、更に見失って取り戻せなくなった装備アイテムを回収するための救済システムである。
スナッチ技を受けて装備を奪われた場合、あるいは装備を他人に渡した場合プレイヤーから見れば何も装備していないように見えるが、ゲームシステム上では《装備者情報》はクリアされずに残っており、ステータス等に反映されないだけで装備されたままである。《所有アイテム全オブジェクト化》機能は、これらの所有権の残っているアイテム全てが対象となり、これはつまり、装備者情報さえ残っていればどこで、誰が、どのように持っていようと回収することが可能なのだ。
しかし、逆を言えば、装備者情報がクリアされてしまえば機能の対象外となって取り戻すことが不可能になる。装備者情報の保護は、普通のアイテム所有権よりも強固になっており、他人の手に渡った時の所有持続時間が通常のアイテム所有権の場合で5分間であるのに対し、装備者情報の場合は1時間にも及ぶ。そのため、余裕を持って《所有アイテム完全オブジェクト化》機能を使うことができる。
しかし、三つだけ即座に装備者情報がクリアされる方法が存在する。それは、プレイヤーが新しい装備アイテムを装備すること、商人に売り払うこと、そして装備アイテムをウィンドウ操作を介して正式に装備することである。
最初の二つに関しては、クリアされる理由はなんとなく想像できるだろう。
装備者情報とは直近で装備していたアイテムに関する情報であるため、新しく装備し直した場合にクリアされるのは当然であり、商人に売り払った場合は売って、回収して、また売って、という儲け方を防ぐためである。
では、正式に装備した場合は、単純に武器が他人の手に渡った場合とどう違うのだろうか。
装備者情報に関して最初にあげた二つの例は、順に《武器奪われ状態》と《武器手渡し状態》呼ばれ、共に武器の効果が手に渡った者のステータスに反映されている
「……そう。それなら、ちょうど良かった」
しかし、それらの事を理解していながらスクエアは微笑んだ。
「ふざっ……ふざけんなよあんたっ!」
さすがの少年も、これには怒りを覚えてスクエアに掴みかかった。唯一の救済手段がダメだったと言ったのにも関わらず、それが好都合だと解釈されたのだ。まるで無責任な物言いに怒りを覚えない方がおかしい。
「まあまあ。落ち着いて話を聞いて」
それに対し、スクエアは胸ぐらを掴む少年の手に被せるように手を添え、落ち着くように諭した。そして、少年の毒気が抜けた一瞬の隙にメニュー画面を操作して《はじまりの街》のマップを開き、西区にある一点を指差した。
「君。ここに少し大きい宿屋があるの知ってる?」
少年はちらりとマップを一瞥し、小さく頷いた。
確かに、そこにはこの街では比較的大きい宿屋がある。少年自身も一週間くらい前に利用したことがあり、なかなかいい設備だったことに驚いたのは記憶に新しい。
しかし、それが何なのだ、と少年は訝しむ目をスクエアに向けた。
「知ってるのなら話が早い。その宿屋には誰もいないのにずっと借りた状態になってる鍵の掛かっていない部屋があるんだ。その部屋に入って、助けてほしい旨と君のメッセージコードを書いて手紙を置き、最大レベルの鍵をかけて出る。そうすると、その翌日までに《ラットピス》から連絡が来るんだ」
《ラットピス》。その名前を聞いた少年は目を見開いた。
「《ラットピス》って、強盗ギルドの……」
「そう。その《ラットピス》」
微かに希望の光を湛えた少年の瞳を見て、スクエアはほくそ笑む。
「俺が知ってるのはそんな噂なんだけど、試してみる?」
唯一の救済手段も絶たれているのだ。少年は藁をもすがる思いで、スクエアの言葉に頷いた。