登校2日目の朝。
私が教室に入るなり、クラスの空気が一変する。
「あの雲雀さんと……」
「入学初日から咬み殺された……」
「しかも昨日の放課後……」
「お姫様抱っこにバイクとか……」
「雲雀さんと付き合って……」
ヒソヒソと、そんな根も葉もない噂をする声が、あちこちで聞こえる。
……噂するならせめて本人に聞こえないようにしてよ。ちょっと!
ダダ漏れで、情報が嫌でも耳に入ってくる。
その中には、なんと放課後の一連騒動まで含まれていた。さすがの情報網の早さに、少し感心してしまった。……じゃなくて!
昨日はあれだけ騒いでいたら、並中生の1人や2人に見られるのは覚悟してたけど、噂っていうのはどうやら後にいろんな尾ヒレがついてくるらしい。
……今の誰? あの雲雀さんと付き合ってるとか言った? ねぇ、誰と誰が愛人関係結んでるって? だっから、校舎裏でイチャコラなんかしてないわよぉぉおおおおおっ!!
あぁ…… 今すぐ教室を飛び出して、お家に帰りたい……。
しかし現実は、ここで帰ったら噂の内容を肯定してしまうのも同然で、明日になったらまた噂が拗れているかもしれない。
今のところ、このアウェイな状況におとなしくしているしか、安全な逃げ道がない。
…………地獄だ。
こうなったら…… 先生早く授業してえぇぇ!!
先生頼みで祈れば、ようやく始まった初めての授業で、心当たりなく理科担当である女の先生から悲鳴を上げられ、周りから見た私の印象が最悪になる。
ちょっと待って!? 何このスパイラルッ!? 私が何したっていうのよーーーー!?
授業中も休み時間も、雲雀さん絡みのことで噂されて、落ち着くことも出来ず終始緊張しっぱなし。
ああもう、雲雀さんと少し関わっただけでこうも悪目立ちするなんて…… あの人の脅威どんだけなんですかーーーー!! 知ってたら是が非でも関わらなかったのにーーーー!!
――……とは言いつつも、彼に当たっても仕方ないことはわかってる。
このイライラや不安をあの人にぶつけたところで、返り討ちに遭うだけだから。そんな無謀なことをするほど落ちぶれてなんかいない。
散々雲雀さんに当たったけど、本来は私のドジが招いてしまったことだし、助けてもらったのにこんなことを言うのは間違っているよね。
そんなこんなで、2限目が終わった休み時間。
とりあえずトイレに行こうかと席を立つ。
逃げるわけじゃないよ。ただトイレに行くだけだよ。
ただ、これから雲雀さんと密会なんだと噂されていることに、なんかもう耐えられない。
気分が沈むところまで沈んでから、教室の後ろの方にあるドアに向かい、なんの躊躇もなくスライドさせた。
「咬み殺すよ」
「キャアアアアアア!?」
ドアの向こうで待ち構えていた人物から、物凄い勢いで後退る。と、案の定転ぶ。
っつ〜〜〜…… 尻もちついただけマシかぁ……。
痛みに悶えながら、呆然と佇む彼らに目を向ける。
私の転倒は想定外だったのか、驚いた様子で声をかけてくる。
「だ、大丈夫か? 花内」
「ありゃ。少しインパクトが強すぎたかしら?」
「ドア開けた瞬間にその脅し文句は誰だってビビるだろうが」
新垣君のツッコミを、あろうことかガン無視して、春奈ちゃんは近づいてくると右手を私に差し出してくる。
「立てる? まりやちゃん」
……たしかに彼女のおかげで、私が転んでしまったと言っても過言ではない。
彼女から手を貸してくれるくらい、当然のことだけど…… その手を取ることに躊躇した。
素直に彼女の手を受け入れられず、最後は自力で立ち上がる。
「あー…… やっぱり怒ってる?」
私の機嫌を窺うように、自身の指を弄びながら春奈ちゃんが聞いてくる。
……怒ってると聞かれて、否定はしない。私はそんなに器の大きい奴じゃないし、怒ったり悲しんだり、普通にするよ。
そんな気持ちは、きっと何度経験しても慣れることのない辛さだと思う。
私がだんまりなのを見て、見兼ねた新垣君が間に入る。
「花内…… その、昨日は本当にすまん。助けられなくて。
こいつはな、たしかに自分勝手で、自己中心的で、他人をホイホイ自分の面倒に巻き込むトラブルメーカーのくせに、全く悪びれることもねえタチの悪い人として糞だが、変態としてならまだ腐ってねえ方だ」
「新垣君、何が言いたいの」
全くフォローになってないことを、それとなく相手に伝える。新垣君が慌てて「しまっ……! つい!」とか誤魔化していたので、普段から鬱憤がたまっていたんだろう。そして、すぐに春奈ちゃんからの制裁が。……かける言葉もない。
「さ、さっきのは聞かなかったことにしてくれ……。そんでまあ、こんなめんどくせぇ奴だが、根はそこまで悪い奴じゃねえんだ。昨日のことも、さすがに度が過ぎたと思って、あれからずっと心配してたんだぜ。なんつーかさ、不器用なこいつに免じて、このド変人バカを許してやってほしい」
頭を掻きながら言葉を選んで、彼女の代わりに新垣君は謝ってくれる。
しかしながら、それを無碍にしたのは春奈ちゃん自身だった。
「何それ、燕太。親面で勝手なこと言わないでよね。これくらい自分で謝れるんだから。それにあんただって、結局はまりやちゃんを裏切ったんじゃない」
「あ、あん時はお前が勝手に引っ張ってったんじゃねーか!」
「言い訳はやめてくれる? 別に振り払ってくれてもよかったわ。私だって、あの時は
「んのやろぉ…… 人がせっかくフォローしてやれば、好き勝手言いやがって……!」
……私への謝罪って、どれだけの価値しかないんだろう……。
気がつけば、またこの2人が教室の雲行きを怪しくして、クラス中の注目を集めていた。そこのお2人さん、もう何がしたいんですか。
クラスの空気に耐えられず、場所を移して彼らと決着をつけることにした。
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休み時間も生徒たちの会話がピークを迎えた頃、適当に人気のない廊下を探して、そこでまだ喧嘩が絶えない彼らと話し合うことにした。
「いやはや、二度もすまないねぇ。まりやちゃん。本当にこいつのバカのせいで話が進まなくって」
「だから、なんで毎回俺のせいなんだよ」
「…………」
毎度毎度、口を開けばいつもこうだ。人がどれだけ振り回されているか、少しはわからないの?
私の中で、何かが弾け飛んだ。
「――いい加減にしなさいッ!!!」
静けさなんて皆無だった廊下に、私の怒号が一際響いた。
2人がぽかーんとしている。
その視線に気圧されて、沸騰するくらい真っ赤になって精一杯に叫んだことが、我ながらアホらしく思えくる。
これで中学生活、友達いないぼっちのどん底に違いない。3年間後ろ指さされた黒歴史の誕生に涙が止まらないよぉ……。
「――まりやちゃん」
お先真っ暗な人生に悲観していると、そんな私の手を取ってくれたのは春奈ちゃんだった。
何を言われるのかドキドキして待っていると、春奈ちゃんは初めて見せるしおらしい声で、ポツンと言った。
「……ごめんね」
取り零してしまいそうなほど、弱々しくて儚い言葉だった。
握っている手が、僅かに震えている気がして、彼女を見る。俯いて、表情は見えない。
光が当たらなくて、萎れてしまった花のよう……。
春奈ちゃん――……。
――思えば、この娘は周りの目なんか顧みず、雲雀さんのことで浮いていた私に初めて笑顔で話しかけてくれた。
出会い頭から無茶苦茶だけど、新垣君と一緒に、ひとりぼっちから私を救ってくれた。
あの時、たしかに『ひとり』だったことを忘れさせてくれたんだ――……。
一人は極端な変わり者で、もう一人はそんな変わり者に振り回されっぱなしな不憫なサッカー少年で――
こんな彼らと、これからの学校生活を一緒にするのも悪くないんじゃないかって、不思議だけどそう思える。
「もう…… 怒ってないから、顔上げよう? 昨日のことは、お互い忘れるとして、今からまた再スタートしよっか。
私は、花内まりや。これからよろしくね」
握られた手を、私から強く握り返した。
少し戸惑いながら、春奈ちゃんが顔を上げてくれる。
さっきよりも光が差して、ずっと素敵な表情だ。
「グスッ…… 東山、春奈……。まりやちゃん…… ありがとう――……」
うん。お花は、やっぱり咲いている方が綺麗だよ。
変な娘だけど、なんだか放っておけなくて、思わずなでなでしたくなる。
「まりやちゃん、ラヴゥーーッ!!」
「へっ? ちょっ、ひゃあ!?」
いい香りがする髪をなでなでしていたら、その春奈ちゃんが感極まったのか、アタックル…… もとい、結構な勢いで抱きついてきた。
不意打ちにバランスがとれず、春奈ちゃんを庇うように私が下敷きになった。ついでに後頭部打っちゃった。星の輪とか回っちゃいました。てへぺろ。
そんな私のことを、春奈ちゃんがかわいい顔で心配してくれる。少し顔がにやけてしまうのは彼女には内緒にしたい。
「花内って…… 薄々思ってたが、ドジだよな……」
一部始終を見ていた新垣君が、ふとそんなことを言ったので、ギクッと肩が上がる。
「ハッ……! まりやちゃん! あなたもしかしてドジっ娘なのかしら!?」
途端に瞳を輝かせる春奈ちゃん。
なんてこと言ってくれたの新垣君!!
「まりやちゃあああああんっ!! ドジっ娘って、それ超萌え要素じゃありませんかぁァァアアアア!! ぬああああッ、こんなところに光り輝く原石が!!!」
ギャーーー!! 助けてーーー!!
春奈ちゃんに押し迫られ、見兼ねた新垣君が彼女の頭頂部にお得意のサッカーチョップをズコッと。地味に効いている。
おかげで助かりました。新垣君、ありがとう。春奈ちゃんのあしらい、がんばって。
なんだかんだで本調子に戻った春奈ちゃんから昨日とはまた違った目で見られているのは気のせいにして、3人で教室に戻ろうとしたところで、前置きもなく春奈ちゃんが言った。
「コホンコホンッ。えー、『雲雀恭弥の謎を捜索し隊』解散の危機も無事去ったということで、セカンドミッションに移行したいと思います」
「「…………はぁ?」」
新垣君とハモってしまった。
それくらい話が唐突だったということです。
それで、セカンドミッションって、何……?
「前回はあえなく
そこでこのセカンドミッション、題して『ザ・リベンジだぜ! ファーストミッション! 我らの手で再び雲雀恭弥の謎を丸裸にしようじゃないか大作戦!』――だ!」
だ!と言われましても…… こっちを見ないでー。生憎ご期待に添えられるような反応はできませんー。
「まんまじゃねえか。あとクソだせぇし、クソ長い」
辛辣な新垣君のツッコミが再び。クソばっかり言ってる。
「……春奈。まさか謝っといて、本当は隊の再結成が目的だったんじゃねえだろうな?」
何を思ったのか、新垣君が唐突にそんなことを言った。
いやいや〜、新垣君ったら、春奈ちゃんでもさすがにそんなことするわけないよ〜。だってあんなに情熱的に友情を確かめ合ったんだから〜。
…………ないよね?
明後日の方向を向いていた春奈ちゃんの肩が、ビクッと大きく揺れた。……ん?
「…………さぁ、諸君。モタモタしている時間はないぞ。昼休みに作戦実行だ。さっさと早弁を済ませに行くぞ」
……ちょっと待ちなさい。春奈ちゃん。今の間と早口はなんだったのかな? ――って、言い逃げしようとするなあ!! 私の感動を返せーーー!!
そんな私と、再び巻き込まれた新垣君は、2人でその後の授業に遅れてしまったとさ。
…………私の中で、最恐は春奈ちゃんかもしれないと、この時深く思った。
そして――…… この後、あの悲劇が起こるらしいのでした。