「懲りずにまた僕を付け狙って、どういうつもりだい?」
もしもの場合は想定していたけど、案の定今回もお見通しのようだ。恐るべし、雲雀さんの警戒力……。
屋上にて、私たちは窮地の真っ只中に立たされていた。あの雲雀さんから恐怖の尋問を受けているところなんだから。正直立っていられない。彼が存在するだけで、辺りの空気がピリピリする。なんて才能なんだろう。
冗談も大概にして、早く答えないとトンファーで全員咬み殺されてしまう。
「えーと、それはですねぇ」
すると、春奈ちゃんが一番に口を開いた。
あの雲雀さんにどう言い繕ってみせるんだろう。
春奈ちゃんみたいな人でも、本人を前にして「雲雀さんに関する謎をこの手で丸裸にしたくて、あなたをストーカーしていました」とか、たとえ
不安で寿命が縮みそうになる中、何かを閃いたように口元を押さえていた手を離した春奈ちゃんは、私を見た。
……どうして私を見るの?
「あっ、そうだ。まりやちゃんまりやちゃん」
えっ、えっ、私?
「まりやちゃんが、昨日のお礼にどうしても雲雀さんに会いたいって言うから、私たちは付き添いに来ただけですので〜。
では邪魔者はこれで」
調子のいい声で春奈ちゃんが言う。
「はっ?」
一瞬何を言われているのか、頭の回転が鈍くてわからなかった。
ようやく理解した時には、呆然自失となっている新垣君を引っ張って春奈ちゃんはさっさと屋上から出て行ってしまった。
――ちょおおおおおおッ!? 何が親指立ててグッバイなのよーーーーーッ!?
春奈ちゃんたちがあっと言う間に去っていくと、屋上には私と雲雀さんと、気まずい沈黙だけが残された。しばらくお互いに何も言わず、どんよりした空気が辺りに漂う。
ど、どどどどどどうしよう!?
開放感ある屋上が、一気に息苦しい。彼といる空間が心なしか窮屈で、このまま窒息死しそうだ。
さっきのうしろめたさもあって、とてもお礼をなんて雰囲気じゃないし、恐怖で身体が微動だにしない。
このままだと、何か取り返しのつかないことが起こりそうで、気のせいじゃ済まないこの状況に、血の気がサッと引いていく――……。
「花内まりや」
その声に、一瞬ドキッとする。
恐怖からなのか、緊張からなのか、それとも――……。
正面から突きつけられた視線に、動くことも出来ず、目を見開いた。
その刹那に、あの夜の夢が脳裏を掠める。
夢――――……?
じり、と、タイルを擦る靴音。
最初からそれを図っていたように、彼はその手に牙を取る。
この感覚は、まるでデジャヴ――……。
天地がひっくり返るような、彼の顔から美しい笑みが零れる。
同時に、獲物を睨む獰猛な肉食獣の眼をした彼に、心の底から恐怖が沸き起こる。
……あれ? もしかしてこれはあの夢の――……?
じゃあ、この後は雲雀さんからトンファーで蹴られ殴られ、大量出血して意識がぶっ飛ばされるくらいズタボロに咬み殺されるーーーー!!?
「――あの2匹は、特別に見逃してあげる。
その代わりに君を――――今ここで咬み殺すッ」
ついに最悪な申し立てを本人から言い渡されてしまった。
ギャースッ!! 案の定ーー!! その犯罪級の決め台詞を今ここで言わないでーーーーー!!
「ひ、ひひひひばりさん、少しお話を……」
「聞かない」
即答ーーー!?
私、この鬼に咬み殺されるのもう確定ですか……?
ぼたもちの包みをお守りのように抱きしめて、じりじりと迫ってくるのに合わせてじりじりと後退る。
あの夢の中で無茶苦茶に咬み殺されたのに、2回も咬み殺されるなんて冗談じゃないよ!! とか言ってる間にもすぐ後ろに扉が迫っていてカオスッ!!
挟まれたらもう逃げ場がなくなってしまう最悪のパターンに、頭は真っ白だった。目の前に迫る恐怖に、膝も笑っていて全く使い物にならない。
あまりにも理不尽なこの状況に、視界があやふやになって意識が朦朧とし始めると、普段は慣れない歩行に踵が躓き、その時視界が一気に暗転する。
「へっ――?」
身体が後ろに倒れる寸前、視界を何かが物凄い勢いで掠めていった。そのあまりの速さと太陽の逆光で、それが一体何だったのかは視認出来なかった。
――と、思考を働かせている間に、数秒という時間はあっと言う間に過ぎて、私の身体に衝撃が走る。
屋上のタイルの上に私の背中が強打されると、なんとも言えない空気が漂っていた。
当の私は、頭とぼたもちが入った包みを庇って空気を読むどころではなかった。水面に身体を叩きつけたようなじんじんと鈍い痛みが全身を支配して、目の前の恐怖とかそれどころじゃない。
うぅ…… 痛さで起き上がれないし、咬み殺される前に自爆してるし、もうなんなのよ……。
また堪えていたものが込み上げそうになる。必死で抑えて視界を開けると、すぐそこで彼が佇んでいる。
思わず悲鳴を上げそうになるけど、鬼の眼がこちらを見下ろす様子にふと違和感を感じて、寝転んだままの体勢でじっと見上げる。
相変わらず
一体どうしたんだろう?と、疑問に思ったものの、このカオスの中でそんなことを気にしている暇はない。
何があったか知らないけど、鬼が気を取られているうちにここから逃げないと――……。
そんなタイミングに限って、邪魔は入るもの。
微かな翅の音を纏わせて、どこからか飛んできたソレは、するとこんな時に嫌がらせのように私の鼻先に止まった。
ハエェェェェェェェェェェ!!
びっくりして、それの名前を叫ぶ。
すぐにそのハエを払おうと、手近にあったものを振り回す。
ハエは鼻から離れてくれたけど、ぼたもちの匂いに誘われているのか、私の周りを依然ブンブンと飛び回る。
耳触りな音に我慢出来なくて、再び腕を振り回した。
時折、何か硬いものに当たって、腕が痺れる感覚がある。
あえて言うなら、ガギンッみたいな……。
包みを狙ってなかなか離れてくれないハエに、それどころじゃない。
これは、お母さんが風紀委員のみなさんにって言って作ってくれたものなんだから、渡してなるものか!!
母の苦労を台無しにしたくない思いで、半ばヤケクソに腕を振り上げた。
――すると、一際甲高い金属音が鳴り響いた。かと思うと、タイルの上にコロコロと何かが転がっている様子。
「ん……?」
急に辺りがしーんと静まり返ったと思って、ずっと閉じていた目を開けてみる。
辺りを見回すと、ハエはもういなくなっていた。
ひとまず安心して、ふと視線を下げてみると、紫色の包みが見える。なぜかところどころへこんでいる部分があった。こ、こんな形だったっけ……?
あまりのビフォーアフターに狼狽えていると、ふと自身にかかる影に気がついて、パッと顔を上げてみる。
その瞬間、自分が置かれていた状況を思い出して、顔から再び血の気が引いた。
なんてったって、あの鬼の風紀委員長に咬み殺されかけている途中なんだから、背筋がゾッとしない方がおかしい。
さらには、彼の視線の先にあるものを見て、言葉も失くして愕然とした。
……この世の終わりなんじゃないかと、目を疑った。本当にこれが夢であってほしいと、心の底から神様に祈った。
雲雀さんのトンファーが…… 折れた……。
彼の手中に握られていたトンファーが、先端部分が見事にポッキリ折れて跡形もなかった。もとの2分の1にも満たなくなったトンファーは、冷たい光を反射していた。
事態がよく見えないけど、これだけはわかる。
八つ当たりされる……!!
自分の大事な牙が折られたんだよ! よくわからないけど絶対この人機嫌悪いよ! もちろん私に当たってくるよ! もういい迷惑だよ!!
半ば覚悟して、ギュッと目を瞑った。
〜〜〜もう歯喰い縛れッ!!
人生最大の覚悟を決めたつもりだったのに、いくら待っても衝撃がこない。
恐くて目も開けられないうちに、私の横をスッとすり抜けていく気配が、風の感覚から感じた。
次に目を開けた時には、屋上に私以外誰の姿もそこにはなかった。
――その後、屋上に春奈ちゃんと新垣君が戻ってきて、上の空の私を心配してくれていたけど、当の私は2人に言葉を返す余裕もなくて、彼が消えていった扉の先をただただ見つめているしかなかった――