あ、ありえねえ……。
俺はガラス越しに映るそれらの光景を、まさに目ん玉が飛び出すんじゃねえかって衝撃を喰らいながら、扉ひとつ隔てたところで春奈と静観していた。
花内をあの場に一人置いてきちまった後、少し罪悪感も生まれるが、これで教室に戻るのかと思いきや、春奈は残ると言って、今に至るまでこうして扉のガラス窓にべったり張り付いている状態だ。
……こいつ、また花内をいいように使いやがったよな。
つい先程の2人の和解の姿を思い出して、女子の友情の脆さってものを直に知った。女子ってやっぱ怖ぇー。
しかしまぁ、春奈がこうしてべったり張り付いているのに、俺だけのこのこ教室へ戻るもの気分が乗らねえっつーか…… 仕方なくこいつと花内の無事を扉越しから見守っている。
あ? どうしてすぐ助けに行かねえだ?
べっ、別に俺は、雲雀恭弥にビビってなんかいねぇ。
花内の身に何かあった時は、俺も男として応戦に行ってやるつもりだが…… あれだ。花内もあの野郎にぼたもちを渡すために来たのは事実だ。2人きりにしてやるのが優しさってもんだろ?
しかし、ガラス越しに見える光景は、さっきから雲行きが怪しい。
え…… こいつはマジで俺が行かねえとなんねぇやつなのか……?
雲雀恭弥は、すでにトンファーを持ってバリバリ獲物を狩る態勢だし、花内は奴にビビって、後ろ向きに転んだ。
……さすがにビビったからって、あんな転び方、普通はしねえだろ。
さすがはドジっ娘と言ったところか。俺もドジっ娘なんて初めて見るんで最初はびっくりした。
そんで、今回もあいつのドジ体質が見事に作用したらしい。
つーか、これはさすがにちょっとまずいか……。
咄嗟に不安に駆られる。
だが、それはどうやら杞憂だっつーことを、次の光景で思い知らされた。
まさか、花内が雲雀恭弥の
さっきの転倒で、タイミング良く奴のトンファーを躱してみせた。
全く…… ギリギリのタイミングだったぜ。
それに、俺もまさか考えても見なかった。
雲雀恭弥とは、この並盛中学校…… 下手をすれば、並盛町を裏から操作している――まさに"最恐"としか言いようがねえ男だ。
逆らえば必ず奴のトンファーの餌食となってシメられる、もとい咬み殺される。
だから雲雀恭弥に逆らえる奴は、少なくともこの町にはいねえ。
春奈から聞かされた、奴の情報の類を知っている俺はそう断言出来た。
こいつは確かにドがつく変人だが、なぜか昔から頭がキレる。
無駄な知恵や洞察力を比べたら、右に出る奴はいねえだろうってぐらいにとにかく凄い。
昔から勘も外したことがねぇ。
変人だが、全く末恐ろしい女だぜ。
話を戻すが、並中の風紀委員長は並盛で最恐の存在だ。
そんな地位も実力も手玉に取る奴に対し、花内の方は何もねえ真っ平らなところで平然と転んでるようなドジっ娘だ。
お世辞にも雲雀恭弥と張り合えるほど腕がある奴には思えねえ。
だが―― 実際にガラス越しで繰り広げられる光景は、俺の予想を遥かに超えて…… いや、完全に裏切り、これが現実のことなんだと言わずとも示している。
雲雀恭弥が繰り出す攻撃を、花内はあのぼたもちの包みで上手いこと
たしかアイツは、雲雀恭弥へのお礼にってので持ってきていた、大量のぼたもち入りのバカでけぇ包み……。
それが今回は花内の命綱となったみてえだ。今のところ、あの雲雀恭弥に咬み殺されるまでには至ってねえ。
それにしても、花内にまだあんな手の内があったとはな。ドジっ娘、侮れねえな……。
そう思っていたのは、どうやら俺だけじゃねえようだ。
隣にいる春奈も…… だいぶ奴らの攻防戦にご満悦な様子だ。
これはもう発狂の域に達してるんじゃねえだろうか。特に湿気が多い日でもねえのに、こいつの鼻息でガラスが曇ってやがる……。
さすがにそいつは、お前も一応女としてどうなんだ、と言ってやろうとした。
見てみた顔がもうゴリラみてーで、俺は口を閉じた。
ああ、こいつはメスか……。
ちょいと気分が投げやりになっていたところに、早いうちに決着が着いたようだ。
耳鳴りみてえな不快な金属音が、空の彼方にまで響き渡る。すると、一瞬のうちに辺りが静まり返る。
そこには、見ているこっちの背筋が凍る展開が待っていた。
……ト、トンファーが…… あの雲雀恭弥の牙が…… おぉおお折れたぞ……。
かなりのけたたましい音を立てて折られたそれは、また極端に短くなっていた。
ま、マジかよ……。
かつて誰も成し遂げなかった、並盛の猛者の牙を、花内がああもポッキリと……。
こいつは、最早嫌な予感しかしねぇ……。
さすがに助けに行ってやるべきだと、ドアノブに手を回そうとした時、それを春奈に制される。
こんな時に何を躊躇してやがる、と奴の顔を見てみれば、すんげぇ愉悦湛えて親指をイキイキと立てていた。
……失せとけ。この悪辣無双女。
俺が奴を睨んでいる間に、何があったんだか雲雀恭弥が扉の方に近づいてきやがった。
仕方ねえから、とりあえずは死角となる扉の影に身を潜ませる。
さすがに2人で隠れんのはキツいな……――って、オイコラッ、春奈。何気に俺を押し出そうとしてんじゃねえよ。逆に2人共バレちまうだろうがッ。
幸い雲雀恭弥には見つからず、奴の方はタンタンと階段を降りて行った。
あ、危ねえぇぇぇぇぇ。
軽く暴れる胸を抑えた後、春奈と屋上に出て例の仰向けのまま崩れ落ちる花内のもとに駆け寄る。
「まりやちゃん!」
「おいッ! 花内、大丈夫かッ!?」
あのバケモンに咬み殺されそうになった恐怖から、花内が返事を返すことはない。
あん時焦らしてねえで、さっさと助けに行ってやるべきだったか?
死んだようにぱっくり口を開けて動かねえ花内の意識を戻してやるために、春奈が花内の上半身を起こしてやると、肩を掴んで次の瞬間激しく揺さぶり出す。
コイツァ…… 反省っつー単語が脳内辞書からすっぽり抜けてやがるな。俺が今、お前にそれを叩き込んでやろうか。
俺が手を下す前に、花内の意識が復活する。すると今度はいきなり騒ぎ出した。
「あー! 雲雀さんにぼたもち渡し損ねたーーー!?」
ズコッ。
思わず脱力したじゃねえかよ。そこか、花内よ。
ついさっきまで奴に咬み殺されそうになってたくせに、その反応はマジで凄えぞ。
「雲雀恭弥なら、もう行っちまったが」
「嘘ぉー……」
俺の言葉に花内が肩を落とす。しょげたかと思えば、諦め悪く騒ぎ出す始末だ。女って無駄にうるせぇ……。とりあえずお前も落ち着け。
「雲雀恭弥なら、もしかしたら応接室に向かってるかもしれないから、今から追いかけて行ったらどうかしら?」
春奈、お前――…… なぜそんなことを知っている。
だが、春奈の言葉で花内は立ち上がった。なんつーかもう、それでいいのか。咬み殺されかけたのに。単純だな。
でもまあ、そこはさすがにドジっ娘と言ったところだ。
立ち上がった瞬間、包みの結び目がスッと解けると、中身が無惨にもタイルの上にぶちまけられる。
予想の上をいったぼたもちが包まれていた箱から顔を覗くのを目の当たりにした俺は、少し吐き気に苛まれた。げっ、甘ったるそっ……。
詰んだぼたもちに、花内は今度こそ泣き崩れた。
そんな奴を励ます余裕も気力も、一連の凄まじさを思い出して残るものはなかった。
結局、この場の全員がスタミナ切れで、この日のなんたら隊の活動はグダグダに終わった。
……まあ、ドンマイだな。花内。