言わずもがな、未来編のタイトルに影響されましたw
そして、ページで言うなら、18話です。
原作を借りれば、標的18です。
さすが雲雀さんとしか言いようがありませんw
静寂が、辺りに響き渡っていた。
時たま熱を帯びた吐息が、虚しく静寂の音に掻き消される。
――どれくらいこうしていただろう。
熱を帯びた身体は、思うように動かない。
頭が重い。金槌で殴られるような、堪える痛み。
横たわる身体に絡みつくシーツは、首筋から零れ落ちる汗を吸う。灯籠のひとつも灯されていないこの部屋は、水を打つように冷たく障る。
意識を戻し、こうして状況を把握するまで、機械仕掛けの針は何度巡っただろう。
――本当に厄介だ。
吐息と共にふと零した言葉。
ここ数日の不満を込めた溜息も、この一帯の静寂に包み込まれ、闇へと消えた。
――不思議だ。ずっと遠い暗闇に意識を奪われていたはずなのに、覚束ない意識に微かな光と彼女の姿が映る。
その顔は、こちらを見つめていつも微笑んでいた。
僕のこのザマを見て、彼女がほくそ笑むように…… その輪郭が、しつこく脳裏に焼きついた。
君は…… いつもそうやって余裕だね。
咬み殺すにも、その存在は牙の届くところにはない。
「……ムカつく」
そんな呟きも、暗闇の静寂に虚しく木霊した。
********
混濁と虚ろな意識の片隅――
一晩、二晩と、これまでの記憶が形となって僕の意識へと流れ込む。
『意識』として漠然とする暗闇に存在する『僕』の周りを取り囲む彼女とのこれまでの日々の出来事が、この視界にあたかもそれを突きつけるように、一定の間隔を隔て規則的に巡る。
最初は、視界を横切るだけの光に目もくれなかった。そのうち退屈になって、とりあえず動き回る
見飽きるくらい僕自身の記憶を目の当たりにして、ふと思い当たる節を見つける。
次第に僕も、それに目を奪われる。
――――あれ以来、環境の変化の中に溶け込んで気づかずにいた違和感。
こうして冷静に考える時間がなければ、気にかけることもなかった。
以前なら、なんの迷いも躊躇いもなく、睨んだ獲物は咬み殺していた。
それは、あの草食動物然り、あの赤ん坊然り――
誰であろうと、この牙を振るうことに少しの躊躇もなかった。
この
生き抜くことを甘く見る奴が、絶望に身を焼かれ地に堕ちる。
ここは残酷で、故に単純な世界だ。
そして君は、この世界で、僕が今まで見てきたものを済し崩しにする異質な存在。
この――…… のし上がるだけの繰り返される世界で、唯一縛られることなくその殻を破る存在――……。
僕を真っ直ぐに見つめるその眼差しを見ると、一瞬の迷いが過る。
そんな些細なことに馬鹿同然に翻弄され、このザマだ。
近頃は、どうかしている。
何をしていても、上の空だ。
書類の手をふと止めて、脳裏に過るのは、決まってひとつ――――彼女のことだった。
花内まりや――……。
――わからない。
どうしてこんなにも、心を掻き消されるのか。
どこにでもいるただのか弱い小動物、かと思えば、その特異な体質を以って僕の牙を掻い潜り、へし折り…… その様はまるで、敵の意を突くかの如く、ドジの皮を被った珍獣――……。
僕は、彼女の掌で、今まで躍らされていたのか――?
――――屈辱だ。
僕の全てを、彼女の手で覆されるというのかい?
そんなの僕が認めない。
一度狙った獲物は、最後に必ずこの手で捕獲し、咬み殺す。
それが、僕の中に流れる血に備われた、戦いの本能。
絶対に揺るがすわけにはいかない、僕が僕自身に枷た、掟。
君に振り回されるわけにはいかない。
だから、僕が出す答えは――……。
東の空に昇る朝日の光が、懐かしく感じる。
長い間、閉塞的な意識の中に閉じ込められていたようだ。
白いシャツに袖を通し、着心地を確かめる。
うん。悪くないね。
心中穏やかにそう呟いて、懐に仕舞っておいたトンファーを取り出すと、襖を開いた外観へとそれを掲げてみせる。
視界を照らす眩い光を切り裂くように。
光を反射するそれが、あの娘の純粋な血で染まることを、ひたすら胸中で思い描く。
――待っていなよ。花内まりや。
すぐに君を、咬み殺してあげるから。
それを仕舞い、腕章のついた学ランを片手に、そうしてその場を後にした。
********
本能が赴くまま、並中へとやって来た。
その目的は、花内まりやを、この手で咬み殺すこと――
それ以外のことは、どうでもいいように思えた。
僕が学校にいないのをいいことに、校内の風紀を乱していた奴らが、僕を見て恐怖に顔を歪めるのを横目に素通りし、校舎に入ると早朝に人通りの多い廊下を突き進む。無数の生徒の群れを無視して、ひたすら廊下の先を見据える。僕の存在にただ怯える群れの反応なんて興味はない。
目指す場所は、一点。
彼女が群れに加わる1-Aの教室。
その教室の前にたどり着くと、外と中を隔てるドアをすかさず開ける。睨む獲物を前にして、その僅かな動作も煩わしいと思えた。
登校して来たばかりの群れが、僕の姿を捉えた瞬間、音という音を消し、空気という空気が凍てつく。
けれどその中に、肝心の彼女の姿は見当たらない。
まだ早朝ということで登校していないのか、はたまた僕から姿を眩ませているのか――……。
まあ、この際どっちでもいい。
……それにしても、この教室は群れすぎだね。見るに耐えかねるよ。
軽い準備運動に、彼らを一掃してコンディションを調えておこうか。もし彼女が危惧して姿を眩ませているなら、その方が都合がいい。
「君たち。クラスで群れていたから、連帯責任でここにいる全員咬み殺すよ」
「「「そんなの理不尽だあーーーーー!!!」」」
一斉に命乞いを叫ぶ彼らに構うことなくトンファーを振りかざそうとした、刹那。
「あれ? 雲雀さん?」
そんな素っ頓狂な声が降ってきた。
ワォ。まさか自らその身を投げ出してくるとはね。
振り返ると、教室に入るドアの前にもう一匹の小動物と小さな群れを成して、そこに佇んでいた。
やはり、君は珍獣の類いみたいだ。花内まりや。
クラスの奴らなんてもう眼中にはなく、僕の眼前に現れた獲物に視線を定めた。
――もう躊躇いはしない。咬み殺すッ!
殺意を潜ませた視線を投げる。すると例の珍獣は、身を固めることもまるで怯む様子もなく、何を思ったのかズンズンとこちらに歩み寄る。
……何。
なんて小言を吐いてる間に、何やら汚れている手で腕を掴まれる。汚い。よく見れば、朝から体操服を着て何やら全身を汚している上に、臭い。ペンキ独特のにおいが鼻を突く。
彼女の格好に引いている間に、鼻の頭に赤のペンキをつけたまま、すると彼女はこう言った。
「よかったあ! 学校、来てたんですね! 身体はもう大丈夫なんですか? 応接室にいないから、まだ寝込んでるってみんな心配してたんですよ! あっ、そうだ! 雲雀さんに見てもらいたいものがあるんです!」
一方的に内容が追いつかないことを話し出したかと思えば、いきなり手を引いてくる。
「ちょっとついてきてください!」
振り返って彼女はそう言うと、教室を飛び出していく。
その腕を掴まれたまま、出る言葉もなく僕は引っ張られていった。
意味がわからないまま廊下の景色がすれ違い、次第に彼女はどこかへ向かっているようだと悟る。
どこへ向かうのか、不信な目で前を小走りに進む彼女を睨む。
頭に紺の髪飾りをつけて、肩より少し伸びた髪が弧を描いて揺れる。
それを見ていると、不意に意識を持っていかれる。
動悸が唸りを上げているようだ。心臓を抑えずにはいられない。
彼女に引っ張られ廊下を走る一刻一刻が、この意識の中ゆっくりと感じられた。強引な手も、その時の仕草も、窓からの木漏れ日が君を包み込んで、僕の視界に固く焼きついた。
「へへっ、ちょうどさっき出来上がったところなんですよ」
何を言ってるのか知らないけど、じと目で睨む。やけに気分が良さそうにしている彼女とは裏腹に、今の僕の機嫌は最悪だった。
最初のペースを持っていかれるし、さっきから動悸がおかしいし、病み上がりに無理やり走らせるしね。
僕のイライラを知らない彼女は、足を止め応接室の前まで近づくと「失礼します。草壁さーん」そう言って応接室の中に依然僕の腕を離さないまま入っていく。
ねぇ、不法侵入……。
そこに、あの男の声が部屋の中からした。
「どうした、花内。またどこかに痣でも作って来たか」
何やら和気藹々とした会話をこの皮を被った獣としている。
……そういえばさっき、彼女が何か言ってたね。草壁とか。……あの草壁かい?
現れた大男をじと目で睨む。
すると、向こうもようやく気づいたようだ。みるみるそのゴツい顔が強張っていく。
「――いぃいい委員長ッ!?」
「………副委員長。何君まで群れてるの」
「いぃいいえッ! 違うんです! これはっ……!」
相変わらずデカくて目障りだ。
違っても違わなくても、この珍獣と会話してる時点で君はもうアウトなんだよ。
「ねぇ…… いい加減離しなよ」
「へっ? ……わあぁぁ! すすすすみません!!」
ようやく掴んでいたままだったのに気づいて、手を離した。
ふん。当初の予定は崩れてしまったけど、まあいいや。どの道咬み殺すには変わらない。
「全員咬みころ――……」
そこで違和感に気づく。
そこにいたはずの獲物の姿が忽然と消えている。
「……?」
「い、委員長…… 花内は少々立て込んでおりまして、その、お慈悲を……」
「…………」
……人の話は最後まで聞きなよ。
いつから僕は、君らなんかに振り回されるようになったんだい?
「……なら、君からまず咬み殺そうか。副委員長」
「おぉお待ちください! 委員長ッ!」
ひとまず、標的をデカい方に向ける。つくづく日頃からデカくて「委員長」とうるさい奴だ。咬み殺そう。
彼の方に詰め寄ろうとすると、今度は騒々しい音が隣から聞こえてくる。
音の方に意識を向けると、その時扉の向こう側から勢いよく何かが湧いてきた。
「「「委員長!」」」
よく見れば、風紀委員会の奴らが揃いも揃って群れている。
「……暑苦しいんだけど。何。早く用件だけ言わないと全員風紀委員会から追放だよ」
牙を突き立てたところで、怯んだ者が何人かいた。この程度で怯む軟弱はいらない。用件を聞く前にも彼らを咬み殺そうか。
「……揃いも揃って、何汚れてるんだい」
思ったけど、出てきた奴ら全員黒の学ランをペンキの色で汚している。僕がいない間に何があったのかと問い詰めてやりたい。
「……副委員長」
「は、はい……」
牙を突き立てた先にいる彼を横目で睨んで、どういう状況かを吐かせる。
「説明しなよ」
「こ、これは……」
モタモタする彼の顎を噛み砕こうかと痺れを切らしていた頃、聞き覚えのある声が応接室内に響いた。
「ちょちょ、ちょおっと待ったあーーー!」
目を向けると、黒い群れの中を掻い潜って、床に膝をつく小動物の姿があった。……何してるの。
息が荒いのをお構いなしに、彼女が顔を上げるとこちらを見たので目が合う。
「こ、これは…… 私のわがままで、風紀委員会のみなさんに手伝ってもらったんです。だから、咬み殺すのは、やめてあげてください……」
一番無様な格好で、フラフラと立ち上がりながら彼女はそう告げる。
僕としてはもう何がなんだか知れないけど、とりあえず彼女の言葉が引っかかる。
「わがまま?」
「はい…… あの、雲雀さんに、謝らないといけないことがあって……」
咬み殺さずとも、勝手に憔悴し切っている獲物の姿を何とも言えない顔で見ながら、彼女のいう用件がどんなものかを聞いてみる。
「雲雀さんが学校にいない間に、草壁さんから入学式のことについて話してくれました。壊れたプレートの件も…… あの、本当にすみませんでした!」
申し訳なさそうな面を下げられた。
何かと思えば、その話か。どうやらあの日のことを、今更ながら彼女は謝っているらしい。タイミングの見計らいが悪過ぎる。
そんな話を持ち出されたところで、どうにもなりはしないだろうに、一体何がしたいんだい。
呆れている間に、僕の眼前に掲げられるそれを目の当たりにする。
「そっくりそのままとは言えませんけど…… 風紀委員会のみなさんと協力して、新しく作り直してみました」
目の前のドジっ娘によって、あの日亡骸となった看板が、再びこの視界を彩る。
「委員長。我々も日頃の感謝の意を込めて、今回の修復作業に励ませていただきました」
修復――?
草壁の言葉で、大方合点がいく。
柄でもない。ただ、所詮は気まぐれで。
そうして、いつしか意識から投げ捨てていたはずだった。
――僕がいない間、こんな女と群れて工作なんてしてたなんてね。
暗闇が視界を包む中で見つめていた幻影と同じだ。
――君を見ていると、吐気がしてくるよ。
向こうから近づいてきたかと思えば、遠ざかる。触れるところで、離れていく。
そうやって、僕の牙は君には届かない。
これ以上、君に振り回されるのはうんざりなんだよ。
そして、こんな風に動揺する僕を嘲笑うかのように――
再び同じ笑顔を見せて、君は僕の前に例の紫色の包みを差し出す。
「――――ムカつくんだよ」
腹の底に押し込めていた呟きが、零れる。
トンファーが喰らいつく。
目障りだと、それを眼前から排除する。
床に叩きつけられたそれからは、中身が無惨に飛び散る。
そんな茶番を見せるくらいなら、消えなよ。
――――僕の前から。
「……すみませんでした」
その声を聞いて、ふと彼女を見やる。
――揺らいでいく瞳が、何かを訴えかけるようだった。
足音を響かせて、その後彼女は出ていった。
「委員長……」
草壁が声をかけてくる。その声も遠くにあるほど、あの瞳に意識を奪われた。
「……調子狂うんだよ」
どうして、君は―――
いつも真っ直ぐなんだよ。
脳裏には、まだあの顔が思い浮かぶ。呼吸が落ち着くと、ふと
……何やら強烈に甘ったるい匂いを放つ暗黒色の中に、僅かだけど白い何かが紛れ込んでいる。
なんとなく近づく。……紙のようだ。
依然この胸を締めつける燻る感情を抑えながら、それを手に取る。
……手紙だった。
鼻を刺激する甘い香りの紙面には、彼女の自筆でメッセージが書いてあった。
――――雲雀さんへ
身体はもう大丈夫ですか?
かなり熱が出ていたので、元気になってもしばらく安静にしてください。
このぼたもちは、迷惑かけてしまったお詫びと、送っていただいた時のお礼に送ります。よかったら風紀委員会のみなさんと食べてください。
看板の件、本当にすみませんでした。
いつ学校に戻って来られるかわからないので、先に手紙で謝らせてください。
元気になったら、改めて謝罪に行こうと思います。
今の看板は、風紀委員会のみんなと作りました。
でも、私のわがままで風紀委員会の人たちまで巻き込んだので、群れてたとか言って咬み殺さないであげてください。
たくさん迷惑かけてしまいましたが、助けていただいたこと、嬉しかったです。ありがとうございました。
最後はそんな言葉で、締め括られていた。
……お人好しだ。いや、馬鹿だ。
恐れていたんじゃないのかい?
どうして君はこんな言葉を選んだんだろう。
また、胸の違和感が増す。
――不意に、微かな意識の中での記憶が顔を出す。
――大丈夫ですか?
途切れる刹那、聞こえた語りかける声……。
――大丈夫。すぐに保健室に連れて行ってあげますから。
花内まりや。
君は、僕の心を掻き乱してばかりだ。