買い物を終わらせて、時計を見るともう2時間が経っていた。
施設の4階まで上がり、キッズスペースもある近くのベンチにひと休みして買い漁った紙袋の山をしみじみと胸に募る達成感と共に眺める。少し離れたところで、京子さんたちと遊んでいる子どもたちの活発な声を安らかな気持ちで見守っていた。
ドジ体質とはつくづく面倒なものだ。日頃から思っていたけれど、13年も付き合っていればある年頃を境にある程度は免疫がついていった。ある程度は諦めてしまえば心の負担は軽くなっていった。
身体に浸み渡る傷も痣も時間が経てば消えてくれるけど、擦れたり汚したりボロボロになってしまった洋服はどうにもならないから、こうして定期的に購入しないとならない。本当にこれは融通が利かないことだから、毎度足取りが重くなる。
「それにしてもいっぱい買ったね」
隣からそう話しかける沢田さんの声にハッとして、ベンチ脇に積まれた戦利品の山々に同じく釘づけになる彼をまじまじと見つめ返すと同じように笑った。
お誘いとはいえ、やっぱり付き合わせてしまって申し訳なかったと終わりの頃に覚えてしまう。
けれど、今日だけは、この憂鬱な買い物が素敵な時間に感じられた。みんなと一緒にワイワイ騒いでいろんなお店を巡るのは、楽しかったしとても充実していた。
矛盾する自身の胸につくづく呆れながら、ふとこちらに振り向いた彼と目を合わせて、おずおずと頭を下げた。
「すみません。荷物まで持たせて……」
「あっ、いや、大丈夫だよ! あいつらの面倒も見てもらったし、ほんのお礼ってことで、オレもなんだかんだで買い物楽しかったし!」
また慌てて訂正する沢田さんの反応に素直に甘えてしまう自分がどこかにいると胸に感じながら、こんな感想を彼に対して思った。
「沢田さんって、やっぱり変わってますね」
そうやって彼の優しさに返事を返したつもりだったんだけど、相手にはどうやら違う意味に捉えられてしまったらしい。これはこれで面白いのでそっとしておこう。
彼との息抜きの会話に和んでいたところに、キッズスペースからトコトコとフゥ太君が戻ってきて、背丈ほどのアンティーク調のハード本を持って先程の会話を聞いていたようで誇らしげにこう話す。
「僕のランキングでまりや姉に一番似合うものをちゃんと買えたからね。洋服はこれとこれとこのスカートと、靴下はこの2種類で、まりや姉に似合う下着の色はやっぱり白かなぁ」
「ハイッ!?」
「フゥ太ーー!? いや待って! オレは何も聞いてないから……!」
不意打ちにフゥ太君の幼い唇から落とされる爆弾に、沢田さんと一緒にベンチから跳ね上がる勢いに反応する。私は鋭く眼光を投げ、そして今朝の彼に思うように歯痒い思いの丈を噛み砕いて抑えるのに精一杯だ。
さして沢田さんが悪いわけではなかったけれど、保護者でもある彼にはつい文句も言いたくなる。幼い子の些細な発言とはいえ、思春期のお年頃には気まずい。
キッズスペースで彼らと遊んでいた京子さんが、フゥ太君が見当たらないと捜しに来て、ようやく場の空気がほんのり入れ替わった。フゥ太君だけは、悪魔のランキングブックに微笑ましく目を通していた。
「あれ? なんだかツナ君たち、顔が赤いよ?」
「えっ!? ええと、もう夏だから暑いよな〜って……」
「じゃあ、冷たいジュースでも買ってきてあげるね。フゥ太君もおいで」
「うん! 僕はメロンソーダがいいな!」
京子さんにすかさずつっこまれ、急いで適当な嘘をつく沢田さんの着ているシャツに、じんわり滲んでいる水滴が窺える。あながち嘘じゃないかもしれない。買い物に付き合ってもらって、子どもたちの面倒を見て、彼もクタクタなんだろう。大変なんだろうなぁ。
気の利いた京子さんの言葉にお任せして、フゥ太君を連れて飲み物を買いに行った後ろ姿を見送り、再びベンチには私と彼が取り残される。
向こうはまだどうしていいかわからずしどろもどろに視線を彷徨わせている。そんな様子を隠れて窺い、少し余裕が心に戻ってきた。
ベンチの脇にあるカジュアルなドット柄の紙袋には淡いピンク色の年頃のパジャマをチョイスしたし、これを選んでくれたフゥ太君にもすっかり助けてもらっているんだ。なんだかんだで、いろんな人に迷惑かけて、いつも助けてもらっているんだ……。
だから、こんな自分は変わらないのかな。
「――ごめんなさい」
畏まって頭を項垂れた様子を見て、沢田さんは今度は慌てることはなかった。細々と、蚊の鳴くような声で言葉を絞り出すように、彼の視線は膝の上に握り締められた拳を見つめる。
「いや、その…… オレの方こそ、なんていうか無神経で……」
「――ずっと、今まで本当の気持ちに向き合えなかったんです。昔の声が木霊して、ここにいちゃいけないと思ってた。春が終われば人知れず散る桜のようになりたかった……」
巡る季節の一節に、華々しく舞台を降りる儚げな跡を、羨望の眼差しで見つめていた頃がある。
忘れられていく悲しみも背負った繊細なあの花のひとひらにも、ここにいる私はなれないんだ。散っていくのをそこから見届けるだけ……。
「でも、甘えてたんだなぁ、ずっと言い訳に。リボーン君の言う通りなんだ。桜が散るのは春を報せて、また次の春が訪れるために咲くから、その小さな花びらの胸にちゃんと受け止めているんだね。
ここにいることには、いつもちゃんと意味があるんだよね」
彼らがくれた一途な言葉。
あれから少しずつ読み解いていった。
ここにいるだけの空っぽだった私にひとつだけ教えてくれた彼らの言葉は、少し先を照らしてくれた。道はあるんだ。その言葉を信じるだけで、ここにいられる意味が見出せた。
いつか、それを見つけられたら嬉しいな。
ずっと遠くにある理想を追いかけるなんて自信が湧かなくて避けようとしていたけれど、今は不思議と怖くない。
きっと、あなたたちのおかげだね。
「沢田さんたちとの出会いは、全然後悔することじゃないんだって、今ならそう思えます。
ここにいる人たちと出会えて、私はとても幸せです」
しばし沢田さんは混乱気味に目を回していたけれど、落ち着いて息を整えると、彼は夏休みの終わりらしい言葉を呟いた。
「じゃあさ、またこうやってみんなで遊ぼう」
なんて彼らしく、純朴な言葉だろう。少し恥じらいを込めて、はにかむ表情に心を奪われた。
見つめ合って、自然と笑い合った。
少しだけ打ち解けられたかな、と楽観的に思いつつ、遠くから缶ジュースを抱えた京子さんたちが戻って来たので、その話は一旦置いて差し出されたジュースをお礼を言って受け取る。
「楽しそうだね」
私たちの雰囲気を読み取ったのか、満面の天使の微笑みに隣の沢田さんはすっかり頰が赤くなっている。かという私も、内緒でずっと見惚れていたんだけど。
「まりやちゃんも、ツナ君って呼んだらどうかな?」
彼女がそんな提案をするから、喉の奥からアップルジュースが噴き出しそうになった。寸前でなんとか堪える。
「えぇ!? でも……」
「せっかく仲良くなれたから、その方がいいかなって。ツナ君って、呼び方も可愛いし」
無邪気にそう話す京子さんから、可愛いと言われ男心が複雑そうな沢田さんへと、ちらりと視線を送る。
「あ…… オレは、別にどっちでもいいけど……」
視線を向けられ、おずおずと沢田さんが答える。
でも…… ついこの前の今日で、しかも先輩だし、いきなり図々しいよね……。沢田さんも、この反応だし……。
京子さんの提案を受け入れられないまま、ランボ君たちも合流して飲み足りなかったらしくジュースを催促されたので残りの半分をあげた。
「ツーナー! おしっこぉぉ、漏れちゃう〜!」
「だぁぁ! お前はー! あーもー、ごめん、みんなちょっと待ってて!」
すぐさまランボ君を担いでトイレに向かう沢田さんを見送って、彼らの用事が済むのを待つ間、他愛ない談笑をしているとちょんちょんとフゥ太君が袖を引っ張ってくるので「何?」と尋ねる。
「ねぇねぇ、まりや姉には弟がいるんだよね?」
あまりにもその顔が興味に満ち溢れていたので、少したじろぎながら、質問に控えめに頷く。こういうのもなんだけど、自慢できる弟じゃないから、そんなに期待を込めた瞳で見つめられると直視できない……。
きっと歳も近いから、同年代の男の子に興味を惹かれたんだろう。これもランキングに書いてあったのかな。あのゲーマーとフゥ太君みたいな純粋な男の子じゃ正反対だろとしみじみ思うのだった。
遠い目をして彼らを待っていると、不意に視界の中央に人影が飛び込む。
目が追いかけて不思議とそれをじっと見つめると、薄っすら陰影から覗く口元に浮かんだ表情にドキリとした。
「ごめん! お待たせ〜!」
急いで用を済ませたらしく少し息が切れている。そんな沢田さんや周囲の声も他所に、私はおもむろに立ち上がる。
「どうかした?」
「えっ……」
沢田さんだけじゃなく、まだ彼の腕の中のランボ君も、みんなの視線があるのに気づいて、少し落ち着こうと思った。
「いえ、ちょっと、昔の知り合いがいたような気がして……」
「えっ! そうなんだ!」
キョロキョロと辺りを探し出すので、私がそこにまた目を向けてみると、こちらを見つめて佇む影はどこにもいなくなっていた。
あれ、いない――――?
「もしかして、鏡に映ったまりやちゃんのこと?」
「えっ……?」
沢田さんが不思議そうに尋ねる。
彼が言う通り、そこには壁一面に埋め込まれた大鏡があって、私たちの姿を朧げに晒していた。
それを愕然とした思いで見つめていると、カコンと足元で音がした。空のアルミ缶がそこに転がっていた。
時計の針は3時近くだった。
両手いっぱいの袋を眺めて自然に至る提案に、無邪気な子どもたちは遊び足りないと駄々をこねているのを微笑ましく見守る。また申し訳なさそうにこちらに視線を配る沢田さんの姿さえ微笑ましく思いながら、そうですね――と彼らに頷こうとして、しかしそれは叶わなくなってしまった。
ガラスの割れる音が、鼓膜の奥を刺激するように不協和音の音色を鳴らす。
天気予報にもない雨が散らばって、異常気象を目の当たりにする人たちは騒然とする。
そして耳障りな男の怒号が空間を制圧して、この建物内を震撼させた。
何が起こっているのか追いつかない思考に、視界には黒ずくめの人たちが雪崩れ込む。思い至る状況を前に、いつしか手足の感覚を忘れてしまった。
忘れた頃に、誰かの悲鳴が届いた。
パジャマをついでに買ったのは、今朝のことが地味に堪えたらしい。我ながらどーでもいいw