三国志。それは中国の約180年頃から280年頃までの激動の乱世を指す。
この時代に多くの英雄達が誕生し、同時に散っていった。
そして魏、呉、蜀の三つの国に別れ、天下の覇権を競った。中国のみならず日本人も魅了し続けてきた一種の激動の物語である。
…最後は司馬一族により晋が建国され、三国は全て滅ぶ事で幕を閉じる事になるのだが。
さてそれはさておき、散っていった英雄達の中には、もしかしたらこの人物も天下を取る事が出来たかもしれない可能性を秘めた人物が大勢いた。
黄巾の乱から成り上がり、大国の蜀を建国した劉備。
呉の建国者、孫策、孫権ら孫一族。
才気溢れ、権力だけではなく名将達を欲しいままにした魏の建国者、曹操。そしてその息子や孫。
司馬一族を台頭させた司馬懿。そして息子や孫。
特に有名な名を挙げれば欠点もあるがどれも魅力的な人物達である。
では少し掘り下げてみよう。
孫一族の偉大な父親である孫堅。
名族であり勢力であれば強大だった袁術。
野戦では絶大な力を持つ白馬陣を誇った公孫サン。
暴虐無人と恐れられた董卓。
彼らももしかすればほんの少しだけ、天下を取る可能性があったかもしれない。
その結果がどのような結果になるかは、また別として。
そして最後にもう一人、曹操、劉備、孫堅らにかなり近い可能性を持った、志半ばで散った一人の英雄がいた。
…袁紹。名族の生まれであり、袁術の兄である。糞州を中心とした袁術以上の強大な勢力を持ち、当時では一番天下に近かったであろう人物だ。
当時のまだ勢力的に非力だった曹操と対立し、敗北した。
しかし内部のいざこざと袁招自身の過失がなければ戦力的におそらく袁紹が勝利し、天下は彼の物となったであろう。
何故か?袁紹はプライドが高く、無能な人物だと描かれがちではあるが、むしろ名族にしては謙虚だったり、彼の治めた地は10年以上、袁紹の政治を褒め称え、懐かしがったという。
後の晋の時代でもその声が挙がっていたほどなのだから、内政能力に非常に長けていたという事が分かる。
まさしく「治世の名君」と評してもいいような人物だったのだ。
そんな彼が、再び好機を得たとしたらどうなるのだろうか?
再び、権力闘争による疑心に呑まれて堕ちていくのか?それとも…。
これは三国志であって、三国志ではない。
――――恋姫無双である。
時は202年5月。…袁本初の没頃の直前である。
一人の男が床に伏せており、その隣を多くの文官武官達が埋め尽くし、悲嘆の声を挙げている。
「うう…もはや袁家はこれまでというのか…」
「袁紹様のご子息達は袁招様亡き後にあるであろう家督争いにやっきになり、お互いを憎み合っておられる…あれではもはや…」
「今はそれどころの話ではないというのに…袁紹様が不憫でならぬ…」
「袁紹様…もう一度、我々に夢を見させてくだされ…勢力を立て直し、憎き曹操を打ち破りましょう。ですからどうか…」
「おおおうぅぅぅぅ………」
男はそんな声を聞いているとも聞いていないとも分からないような、うっすらと目を開けながら呆然としていた。
そしてふと、こう思った。
(私は、何のためにこのような戦いを繰り返してきたのだろう)
(名声、名誉の為?名族の意地?富?女?………天下?では、何故天下を目指そうとしたのか)
そこまで思い出した。が、その先から頭の中が霞んだかのように思い出せない。病気のせいだろうか?
(分からない。分からない。忘れてしまった。…何処かに置き去ってしまったようだ)
(もう、どうでもよくなってきた。分かる事は、私は敗者で、そして何のために目指したのかも忘れた天下に、揉み潰された)
(それが事実であり、私の置かれた現実だ)
そう整理してうっすらと目を開けて周りを見る。
やや大げさなまでに騒ぎ立てて悲しむ将や文官達がそこにはいたが、袁紹にはもはやどうでもよくなっていた。
優秀な将の戦死、裏切り、内部の権力争い、それらの心労が重なっていたのだ。ある意味、この時の袁紹は達観していた。
三人の息子の姿が無いのも、もはや袁紹にとっては気にならなかった。
(…最後まで煩い連中だ。私はもう死のうとしているというのに、最後に安らかに眠らせてもくれないのか)
とは思ったが、次にはこうも思えた。今は何だか落ち着きすぎる程に気分が平穏としていたのだ。
(…だが、何故か嬉しい。いや、今や敗者の私に、ここまでつき従ってくれた事が、嬉しいのだ)
(信頼すら投げ捨てた私には、もはやもったいない物だ)
田豊の獄死。それは紛れもなく自分の激情の八つ当たりのせいで、自分のせいだ。
袁紹は田豊の死後、思いなおして彼の為に再度の復讐戦を図ろうとしたが、袁紹自身の寿命も長くはなかった。
天下を見る。それが二人の夢の一つだった。だから再び立ち上がろうとしたが、この様であった。これは自分の行動に対する報いなのだろう。
亡き田豊に、夢を見せたかった。
(…ここまで来て、少し未練が芽生えてしまった。)
(自分の思い上がりだとは分かっている。しかし、せめて夢を思い出したくなった)
(そうだ、生まれ変わったのならば忘れ去った野望を、思い出したい)
(それを成したい。また夢を目指したくなった)
(…だが、それも叶いそうにない。私はここで死すのだ)
(ならば、あの世で謝ろう。跪いた所で許してもらえるとは思っていない。だがそれでも…)
その時、不意に男の頭に声が響いた。
(本気で、そう思っているのかしら?)
明らかに男の声。だが口調は女の言葉のそれであった。袁紹は少し背筋が寒くなったような錯覚を受けた。
しかし男にはその疑問を持つ程余裕は無かった。だからただ問う事しか出来なかった。
(誰だ…?このような奇怪な真似…まさか、噂に聞く仙人か…?)
(それはひ・み・つ。似たようなものだけどねん。もう一度聞くけど、本当に思っているのかしら?)
無論。後悔ばかりの人生だ。誰だってこの状況に陥ればそう思うに違いはない。
(………ああ。だが、それが叶うなど…)
(叶うとしたら?)
その回答に男は困惑した。馬鹿な、そんな事が出来るはずがない。
それもそのはず、自分の体の事である。もう寿命が尽きようとしているのは自分がよく分かっていた。
体は思うように動かず、身の能力低下は誰から見た所で明らかだ。
男の困惑に俗に言うオカマ声は答えを出した。
(もちろん、蘇るとか寿命が延びるとか病気が完治するとかは無理よん。まああの子ならぎりぎり可能でしょうけど…)
(まあそれは置いておいて、その望み、叶えられるかもしれないわよ?)
(…叶えられるかもしれない、か。)
叶えられるかもしれない。それは確定ではなく、あくまで可能性なのだ。
(そう、叶えられるかもしれないだけ。後はあなた次第。それでも、やってみる気はある?)
しかし男は迷う事など無かった。しかし、これだけは聞いておきたかった。
(…どう叶えようとする?)
(良い事聞いてくれたわねん♪あなたには記憶を持ったままもう一度人生をやり直してもらうわ)
(…人生をやり直す、か。つまり…)
(ええ、あなたには袁本初としての2度目の人生を過ごしてもらうわけよん)
(ただ、あなたの知っている歴史からは、大きく外れる事になるかもしれないわよ?)
(それでもいいというなら、あなたが死ぬ瞬間、転生させてもらうわねん)
(さあ、あなたの選択は?)
人生をもう一度体験させられる、という事だ。男にとってはこの上ない望みだった。
だがこれは、忘れ去った夢を思い出すきっかけになると同時に、嬉しい事も悲しい事も再び体験させられるという事である。
それに歴史から大きく外れると言っている事だ。覚悟はしなければならないだろう。
だがやはり今の男には迷いは無かった。
(良い。やってくれ。)
即答だった。それに対し謎の声はふふふっとやや気持ち悪いような声を出して笑った。
(思い切りの良い男はやっぱり素敵ねん♪いいわ、あなたの寿命は残り5分)
(それまで最後の時間を過ごすといいわねん。それじゃ、さようなら)
それを最後に謎の声は聞こえなくなった。
男はそれに気付くと今は亡き信頼していた将達の事を頭に浮かべた。
文醜、顔良、沮授………田豊。
(もう、私のせいで御主らを失ったりはせん。今度こそ、やってみせる)
男は決意を胸に、だんだんと深まっていく眠気に身を任せて行った…。
袁本初…没年202年5月。
河北の雄は、静かに沈んだ。河北中には、悲しみの声が溢れるが如く聞こえたという。