ソードアート・オンライン~紅の心意―The Cardinal Mind 作:坂道
夕陽はどこか懐かしくて心の芯まで優しく温めてくれる。それがどんな寒い日であっても変わらない。
はじまりの街を茜に染めた夕陽の光はここに住む住人に色付け、陽の嚇灼は紅く空を彩る。
しかしこの暖かな光も仮想世界の模造品である。人間が命を創造出来ないようにこの世界の太陽も様々なデータ入り乱れ生み出された紛い物。偽物……それでも無いよりはましかな。たとえ紛い物でも綺麗なことに変わりは無いのだから。
教会の小部屋で窓辺から茜に染まった空をボーッと眺めていると程よい眠気がくる。重くなった瞼は閉じ、静かな眠りへと誘う。
◇ ◇ ◇ ◇
「どうして……」
栗色の長髪の幼気な少女は苦悶の表情で少年の顔を見つめた。
「俺……本当は怖くて最初は逃げようとしたんだ……だけど逃げれなかった」
男の子は少女の潤んだ瞳を一度は逸らすものの、ゆっくりっと息を吸って吐いた後、もう一度と少女の瞳に自身の眼を合わせる。
「初めて……目を、心を逸らさずに助けたいって思ったんだ。それに結城がつらい顔をしてたから……。だから……その……ゎ……」
口篭って最後に何を言っているのか分からない。男の子は少女の涙で赤くなった顔を見て、決心する。
「わ、笑ってくれないかな?」
「えっ…………?」
「あの、その……せっかく…ヒーローが助けたんだから……笑顔で……笑ってほしいな……なんて」
少年の顔は紅葉に似た色に顔を染め、おどおどしながら口を動かす。少年の細い声を聞き取った女の子はその内容に頬を夕陽のように染め上げる。
二人の顔は夕陽に彩られより一層照れくささを際立せた。
「ふふっふ……紅葉くん」
男の子は女子の透き通った声にドッキっと反応して身体を硬直させて背筋を伸ばす。
「……ありがとう」
優しく囁いた結城の柔らかな微笑みはこの世で最も可愛い笑顔だった。
勇気を振り絞って彼女に要求したものは少年にとって生涯忘れられない大切な大事な思い出になった。
◇ ◇ ◇ ◇
「レト君……レト君」
耳元から優しく語りかける女性の声が聞こえた。重く細くなった瞼を瞬きした後、よく目を凝らすと、肩をそっと揺する修道服を着たサーシャさん姿がいた。
「目が覚めました? 気持ちよさそうに眠っていたのにごめんなさい」
大きいな眼鏡をかけたシスターは柔らかな笑顔で微笑む。俺はまだ意識が朦朧としていた。
「……結城? あれ?」
小さな部屋を見渡す。そこには夢に出てきたあの子はいなかった。というか夢だったのか……。
「レト君大丈夫?」
「は、はい?」
「ふふふっ、まだ寝惚けているみたいね。日頃から無理してるんじゃないんですか」
「いいえ!? サーシャさん比べれば俺なんて大したこと……」
「そんなことないわよ。レト君、すっごく頑張っているわ。今ここに子供達が暮らせているのも貴方のおかげよ。はい、これ」
すると、サーシャはウィンドウ画面を開くと、黒装束の服を出現させて俺に手渡す。
「お疲れ様、それとおめでとう。今日で教会のローンはなくなったわ」
「ああ……なるほど」
遂に教会のシステム返済が終了した。一年間、一定数のコルを一ヶ月周期で払い続ける必要があったシステムも今月で終わり告げた。この黒装束の衣装は教会からラストボーナスである。
「皮肉ですよね。一昨日祭壇にコルを払うと『今までよく精進しましたね。あなたに神のご加護があらんことを』といってこの装備を渡されただけなんですよ。もっと他にいうことがあってもいいと思いませんか?」
サーシャさんが怒るのもっともだ。あれから一年というもの二十数万コルを定期的に払い続けた者たちにもっと気の聞いた言葉は無いものなのか。しかしこの黒装束の装備ステータスは眼に余るものだった。今装備している防具の全てを凌駕する防御値、通常の防具にはない特殊装備スキル。恐らく現段階の階層ではレベルが合わない防具だ、その証拠にレベル基準値が八十台、装備するにはレベルアップの必要があるSレア装備であろう。まぁ一年間も払い続けたんだ、これ位当然の報酬であろう。
「そんなことよりもレトくん」
「?」
「お客様よ」
サーシャはそういうと眼を扉のほうに向ける。小部屋の出入り口にはこの一室には似合わない騎士の二人がいた。
「やぁレト、また寝てたのか? スノウが怒っていたのも解らないでもないな」
血盟騎士団の団員服を身に着けたラインが呆れ交じりで手を軽く振っていた。その後ろでは猫目の女騎士ソディアもいる……相も変わらず冷たく尖った視線を俺に送っていた。俺は彼女に何かしたか?
◇
「第一層にこんな場所があるとは思わなかったよ」
「俺もお前がこんなところに足を踏み入れるとは思わなかった」
円卓上のテーブルに向かい合うように座るラインは俺の淹れたコーヒーを一飲みする。俺が配合した特別ブレンドだ。料理スキルは料理に止まらず飲み物や菓子まで作ることができるから飽きがない。
「う~ん、少し苦いな…レト、砂糖はないか?」
「ああ、角砂糖ならな。ほらよ、これも俺のお手製だぞ……って、お前何してんだ!?」
するとラインの手に持ったティーカップは白い角砂糖によって埋もれていた。ラインは何ともいえない満足そう笑みを浮かべコーヒーを口に運ぶ。見ているコッチが気分が悪くなってきた。
「うん、これくらい甘い濃さがないとコーヒーといえない」
「馬鹿言え!? お前そりゃあもうただの砂糖水だろ! その馬鹿舌はこの世界でも変わらないようだな」
知り人ぞ知る、いや俺しか知らないか。見て通りラインは味覚音痴だ、それも重度な。この仮想世界は脳に蓄積される味覚エンジンを直してくれないのか…。
「はぁ~……で、お前の護衛騎士のソディアさんは?」
「ふふふ、彼女なら……」
「誰だ、私の尻を触った不届き者は!?…まだ……隊長にも……触られたこともないのに……」
「やぁーい、猫目の姉ちゃんって尻でかいんだな」
「な、な、なっ!?……き、貴様ら! そこに直れ!」
「わぁー!! 尻の姉ちゃんが怒った!」
視線を窓の外に向けるとオレンジ髪の女性騎士が剣を振り回しながら子供たちを追い回していた。あれはキング達だな……全く。
「止めなくていいのか」
「構わない。それに、あんなにソディアが生き生きしているところを見るのも新鮮じゃないか」
「あれは怒ってるっていうんだよ」
ラインはコーヒーを口にして一息した後、穏やかな眼差しから眼つきを変える。
「それじゃ……本題に入ろうか」
今の親友の姿は本物の騎士であるかのような風格が板についていた。息を呑み手に持ったカップを皿に置く。
「知っての通り、現在第四十九層のボス攻略が進んでいる。あと一週間もしないうちにボスは撃破できると思う。その次は第五十層……ハーフポイント攻略が始まる、この意味……解るな?」
「レッドギルド《BLOOD》と《笑う棺桶》による攻略組への奇襲PKか……」
そうラインがローゼルから聞き出した情報。ゲームが開始されてから《笑う棺桶》の悪行は後を絶たず、今でも各プレイヤーから恐怖の代名詞となっている。そして《BLOOD》、ローゼルが属している殺し屋ギルド。名は血を意味する。《笑う棺桶》とは違い、未だ名が知れていない。
いや、彼らが犯した行為は全て《笑う棺桶》が起こしたPKにされているのかもしれない。遣っている事は行為は両ギルドとも変わりないからな。
「君には話していなかったが、攻略組全体にはまだレッドギルドの奇襲PKについてまだ話していない。血盟騎士団の中で知らされているのは極一分で僕の部隊と団長だけだ」
「話していないって!? 何で……」
十一月に手に入れた人の命が関わる情報を前線で血盟騎士団が隠蔽しているという。隠すことに何の得があるんだ。
「君も今の攻略組の状況をスノウから聞いたんじゃないのか?」
「……やっぱり、今の攻略組はそんなに士気が下がっているのか」
先週、雪の降る町でスノウに言われたことを思い出す。スノウの口から言い渡された攻略組の士気が日に日に下がっているという現状。
「全体に影響が及ぶとは思わないが、あの日前線で情報を公開していたら、攻略に参加するプレイヤーが激変する恐れがある、という団長の判断だ。それによく考えてみろ、もし情報がレッドに漏れてみろ、ローゼルさんは恐らく裏切り者の対象になり命を奪われていたかもしれない……」
「あ……」
「レト、君は可笑しいとは思わないか? 彼女は一ヶ月以上、君のギルドと共に過ごしている。にも関わらず《BLOOD》が何らかの行動を起こしてもない」
俺も疑問に思っていたことだ。ローゼルは《笑う棺桶》と《BLOOD》の連絡間を任されていると聞いている。纏まりのないギルドと聞いているが、彼女が顔を出さないことに疑問をおこすのが、普通じゃないのか。
「まだ《BLOOD》には不審な点が多数ある。《BLOOD》の中心であるスライという男……ローゼルさんの弟のポープくんを手中に置いているようだが……」
スライ……ローゼルがPKに仰いだ張本人だ。手玉に取った弟の華太くんを利用して彼女にPK行為を余儀なくされている。男の行動が解らない。
この一ヶ月警戒を怠ったことはない。何時仕掛けてくる、そんな物騒なことを考えながら俺はフィールドで武器を手放すことはなかった。
俺は眉間に皺を寄せながら顎を支えて考えていると肌に冷たい風が吹き込んできた。風の吹き先に目を遣ると部屋の小窓が木の軋む音を発て独り身に開いていた。締まっていた窓から外の風が吹き込んでくる。
「あれ? 風で開いたか」
外は冬の風が吹き、暖炉を灯した部屋の暖かさを吸収していく。開いた窓を閉じに身を動かすと
「そうやって考えている間に後ろからブスリと刺されるかもヨ……」
艶っぽい女性の声が耳元で囁き、生暖かい息をふぅーと耳の中に吹き込まれた。背筋を微動させて俺は思わず声を上げる。右耳を塞ぎながら振り返るとあどけなく笑うアルゴがいた。
「ニャハハハ、どう色っぽかった?」
「アルゴ!? お前いきなり何を……」
「ふむふむ、面坊の官能場所は耳か、なるほど」
そういって取り出したメモに表示されたキーパットで書き留めるアルゴ、妙に楽しそうだ、というか窓から侵入するな…情報屋は全員こうなのか。それと面坊とは俺の被っているお面とかけたらしい……寒いぞ。
「おい、そんな情報とってどうする……売れるわけないだろう」
「これは個人的な趣味、まぁ気にすんなヨ」
あざとい笑みを浮かべるアルゴに俺は頭を抱える。
「まぁまぁ、別にお前をおちょくりに来たわけじゃねぇヨ」
身を包んだケープから小さな布袋をアルゴは放り投げてきた。紐で締まった袋を解くと中には金貨にオブジェクト化されたコルがじゃらじゃらと金属の擦れ合う音が聞こえる。相当な金額が入っていた。
「ざっと、十万コル。貸しは高いぜレト」
「すまないな……助かるよ」
実は華太君の身代金の尽力に力を貸してくれているアルゴ。最初は何故協力してくれるのかが不思議で仕方がなかった。金にうるさい彼女にコルを貸してくれないかと要求したのは俺だがまさか本当に協力してくれるとは。理由を訊ねたが『女性が男性に手を貸す理由は一つに決まってんだろ』と憎らしい笑顔で返されている、全く女性はよくわからん。
それでもアルゴの支援のお陰で弟の解放も近いうちに叶うかもしれない。
「話の腰が折れてしまったが……まぁいい」
颯爽と現れた鼠に続き、ラインがウィンドウ展開した。すると、俺のメニュー画面にラインから大金のコルが送られていた。
「なっ! お前」
「僕は何でも屋にローゼルさんの監視を依頼したはずだよ。これはその依頼金だ」
計十五万コル、装備を一新するには十分な資金だ。それを躊躇いもせず手放す親友に俺は呆れてものが言えなかった。どっちがお人よしだよ、と親友の厚意に感謝する他なかった。
「ありがとな、きっとローゼルも喜んでくれ……る……」
礼を表して感謝の言葉を口にするが、ラインは先程と表情を変えず、寧ろ少し曇った顔で俯いていた。
「レト……彼女の弟さんは本当に生きているのか?」
開いた口から重々しく発せられた言葉が親友ものだと信じたくなかった。アルゴも明るい拍子を振舞っていたが、今は見る影もなく小窓に腰をかけていた。どうしてそんなこというんだ。
「ライン、 そんな冗談は嫌いだ……」
「僕が冗談をいうと思うのか」
「なら……本気で言っているのか」
少し尖った声でラインに問いかける。ラインは椅子から立ち上がり俺から顔を隠すかのように俺の右後ろに歩を進め立つ。
「彼女から聞いた話では弟さんはもう一年以上《BLOOD》に監禁されていることになる。残虐なPKを愉しむレッドギルドがその子を生かす理由がない」
「それは! ローゼルを操るために弟を手玉にとって……」
「相手の自由を奪う力を持っているのにか?」
相手の自由を奪う力……スライのみが持っている謎のユニークスキル《筋力拘束(パワー・バインド)》。スキル名の通り相手の筋力パラメータをゼロにし身動きをとれなくする反則的な力だ。発動条件、制限があるのがわからない以上迂闊に奴に接触ことはできないであろう。そして今問題なのは其処じゃない。
「彼女を操るのなら、死という恐怖とスキルで屈服させるだけで十分なはずだ」
「だからって、簡単に死んだと決め付けるのは……それに碑文で《Hoop》というプレイヤーはあった。生死だって確認できている」
確認しないわけがない。彼女は第一層に訪れるたび黒鉄宮に訪れている。彼女がこの世界で弟と繋がっていることが分かる碑文だ。ローゼルには唯一の希望になっているようなもの。
「そう君の言う通りそのプレイヤーは生存している……だが、《Hoop》というプレイヤーが彼女の本当の弟と確証もない」
「おい、今日のお前変だぞ。それじゃローゼルが嘘吐いて…」
「まだ話は終わっていない。僕の部隊はその真意を確かめるために何度かあの《BLOOD》との接触を試みている……だが未だに足取りすら掴めていない」
すると、ラインはアイテム欄から取り出された資料ファイルを俺に手渡す。中を開くと各層の簡易マップが無数に綴じられており、指で触れると用紙から地図が浮き上がり、目の前にホログラフィックとなって表示された。
「《ミラージュ・スフィア》を編集してマップ情報以外に様々な記録を保管したものだ。君にはこの前これとは違う簡易マップで同じものを見せたはずだよ」
宝箱のマークが付いているのはトレジャーボックスの一定出現エリア、魔物の顔をしたマークはモンスターエンカウントが多い危険地帯、各部マップに細かく編集されている。俺は展開された各層のマップをスライドさせ目を動かしていると一つ表記が変わった赤文字で『P』と表示されたマップが目に入る。
「これって、たしか……」
「ああ、プレイヤーキルがあった……被害者が亡くなった場所だ」
《第十一層・草原》PK被害者二名、
《第二十四層・森林エリア》PK被害者一名、
《第四十二層・住宅街<ダングレスト>被害者二名
:備考(西エリア街、路地裏。ギルド《スクルド》のリーダー<ドナン>)
全てとはいわないであろうが各層で被害情報があった場所が無数に表記されていた。ざっと百件以上は『P』という印が表記されている。
ぞっとした。遂数週間前にも此れとは違う記録で目を通したが、モンスターとの戦闘以外で死亡したプレイヤーがこんなにもいると思うと、恐怖すら感じる。多分これにはローゼルが殺めたプレイヤーも記録されている。
「またPK被害があったのか……」
露骨に暗い声量で俺はラインに訪ねた。ラインはミラージュ・スフィアを閉じ後首を横に振る。
「いいや、その記録は前回君に見せたものと全く変わっていない」
ラインがPK被害情報を俺に提供してくれたのはレッドギルドが犯行を起こすスポットに避けるためである。現在彼女は《BLOOD》から身を隠しながら俺とコルを稼いでいる。いつどこで相対するか解らない。全てラインの配慮である。
「ここ数週間PK被害はない。それはおろか今月に入ってPK被害者はゼロだ……気味が悪いな」
「? そこは喜ぶべきなんじゃないのか」
プレイヤーキルによる被害者がいないことに越したことはない。しかし親友の顔は険しく暗鬱な表情であった。俯いたまま視線を合わせることなくラインは重苦しく喋り出す。
「あの日からなんだ……」
不意に掠れた声でラインは呟く。「あの日?」と、俺は何故かラインを煩わしく気色を窺うように返す。
「君が……ローゼルをギルドに迎えてからだ」
へっ……。ほんの一瞬、頭の思考が停止した。聞き間違いか? 困惑して薄ら笑いを浮かべることしかできずにいる俺にラインは言を続ける。
「彼女から得た情報から騎士団は《笑う棺桶》と《BLOOD》が密かに暗躍しているというエリアを捜索且つ捕縛作戦に出た。くまなく奴らが現れるエリアを徘徊したが結局の所、大した手がかりがなかった。彼らがその場所にいたという形跡はあるだ、だが……何度も空回りに終わっている。まるで事前に僕たちが訪れるのを知っているかのように」
淡々と話す彼の言動は明らかにある人物を疑っているような素振りである。俺は俯いたままゆっくり首を交互に振る。……違う。
「一度は《笑う棺桶》の足取りも掴んだ、索敵スキルが展開しつつ気付かれないよう高度な隠蔽スキルで忍び寄る完璧な作戦、にも拘らず周囲を覆った瞬間、転移結晶で逃げられた……メンバーの一人が最後に不適な笑みを浮かべてね。その作戦の実行した日は、君たちになるべく圏内には出ないようメールで呼びかけたことがあったはずだ……まさかとは思うがもうその頃には情報がレッドにもれていたのかもしれない」
不快に感じる心の蟠りを振り掃おうとかぶりふる。依って経つラインの口振りはどこか冷たく殺伐と言い開いているように思える。
「……やめろ」
切迫して声が呻くように呟く。会話の辿り着く先は着実に俺を取り巻く繋がりに皹が入る。苦悶に満ちた心を小突く。……それ以上は言うな。
「何もかも偶然とは思えない。……きっと内通者いるはずだ。《笑う棺桶》とのコンタクトが取れる人が……」
「やめろってつってんだろ!」
ダンッ!、握られた拳の鉄槌をテーブルへ叩きつける。テーブルの上に置かれたティーカップは床へ落ちて砕け散る。
煮え切った心を物に当たってもみ消すものも、感情はまだ落ち着きやしない。俺はラインをキッと睨む。
「ライン……俺にはこう聞こえるぞ。俺のギルドの中にレッドの暗躍している内通者がいる……。お前はあいつを信じた上で俺に任せてくれたんじゃないのか!」
確信はしている、ローゼルのことを疑っている。顔色一つ変えない曇った親友に対して今は途轍ない嫌悪感をかじらずに入られなかった。
「ああ、僕は今、ローゼルという女性を疑っている」
憤るを俺に対し、外の寒波ように冷め切った態度で答えを軽々しく返す。
「違った……僕は最初からあの人を信じていない。何で僕が見ず知らずのPKプレイヤーを信じられるんだ。君が二十四時間彼女を監視しているとはいえ、全てとまでいかないだろ。隙を狙って彼女がレッドに連絡、または接触しているかもしれない。疑うのも必然だろ?」
「ライン、お前ぇ!!」
無頓着なまで懸念する親友の胸倉を引っ張り、部屋の壁に強く叩きつける。胸倉を掴んだ手を酷く痙攣したかのように震わせ、ラインへの態度に噛み付く。
「やめときな、レト」
突如会話の間に入ってきたアルゴ。窓に腰掛けながら何時もとは考えられない真剣な顔付きで訴える彼女の姿に口篭る。
「悪いけどさぁレト、オレッちもそこのナイト様と同じ考えダ」
「なっ!」
「……普通はそうなんだヨ。レトはローゼルちゃんの事を知っていて、オレッチたちはローゼルちゃんの事を知らない、それだけの話ダ」
頭に被ったフードを下ろしてアルゴは意味深な事を話す。しかし熱くなった俺はその言葉を意味を理解する事が出来ず、唖然とする。すると、胸倉を掴んだ俺の腕の手首を掴み、ラインが言葉を続ける。
「紅葉……僕は彼女を信じたんじゃない。僕は神村が知る君を信じたんだよ」
急に現実世界の名前で呼ばれて俺は手に入った力が弱まる。
「僕だって君の友達を疑いたくないさ……。きっと君には彼女を信じられる意味がある。大切な人を守りたい……そう思ったんだろ。でも、僕は彼女を知らない……それに僕には殺人ギルドを壊滅させる使命がある……多分、彼女がこの事態の因子なら僕は剣を抜かずにはいられない…………すまない」
ライン/神村の態度は色あせたかのように悲痛の表情を浮かべていた。
「―本当は君の考えを尊重したいんだ……親友として。しかし、今僕は彼女を疑う他ないんだ……」
ラインは前衛の部隊やレッドギルド捜索の統括、人の上に立つ役を担っている。その立場には誰かを率いるという責務、責任がある。一つの迷いが混乱を呼び、率いる者達にも被害が及ぶ。若干、十五歳が受け持つには荷が重過ぎる。にも拘らず俺という友に気を配り、情を捨て去ることが出来ないでいる。お前は本当に立派だよ……それに比べて、俺は……。
胸倉を掴んだ手は今は放れ、重たく手を下ろしていた。
「紅葉……悪い事は言わない。彼女を牢獄エリアに身を置かせろ」
噛み締めていた口が思わず開いてしまう。慌てて俺は聞き返す。
「な、何で!?」
「そのほうがいい。今彼女を幽閉すれば、もう疑う必要もない。それに君が彼女を監視する必要がなくなる」
「それは……そうだが……」
俺は頭の中で必死に言葉を見つけた。
「あ、あいつは一年間も殺意という衝動に向き合って、や、やっと彼女は心を開いてくれたんだ!? その、だから……」
動揺をして自分が何を話しているのか理解できない。内からが湧き上がる遣り切れない何かが彼女を牢獄へいかせまいと渇望する。
「ちゃんと俺があいつのことを見ておけばそれでいいんだろ!? 牢獄に行く必要なんてない。それに弟を救うのはローゼルの願いなんだ、あいつがここにいないと!……俺は! ローゼルのことを思ってやっているんだけだ!?」
「……今の君は、本当に彼女のことを考えているようには思えないな」
「へっ……」
「君が、彼女と離れるのを拒んでるじゃないのか?」
親友のゆくりない発言に眼を大きくカッと見開いた。秘密ばれたとき感じる同じ衝動が心を揺るがせる。考えていることが的中したわけではない。しかし、その言葉は妙に洗練とされた答えに聞こえた。
数秒間の静寂が訪れ、部屋にいる三人にも沈黙が流れる。するとドアからコンコンとノックを発てる音が響き、扉が開くとサーシャさんが姿を現す。
「ラインくん、もしよかったら夕飯食べてはいかれませんか……お取り込み中だったかしら?」
済まなそうに小首を傾げると、ラインが気を配って首を軽く横に振り否定する。
「いいえ、自分はここで失礼させていただきます。お気持ちだけは確かに」
二人が話す中、もう一人この部屋の窓に座わっているアルゴに視線を移すとそこには彼女の姿がなく、カーテンが風で靡いてる光景しかなかった。
サーシャと話し終えたラインは頑なな表情で見つめてくる
「レト、どんな時でも現実は纏わりついてくる。それが仮想世界であってもだ。本当に彼女の身を案じるなら……」
「…………」
「またくるよ。奇襲PKについては今後ボス攻略が終わり次第、攻略組全体に伝える予定だ。そのときには答えを聞かせてくれ」
ラインは最後は親しげな口調で笑顔を見せ、この部屋を後にした。
一人となった部屋は静けさを取り戻し、同時に寂しさも蘇ってきた。開いた小窓から子供たちがまだ遊ぶ聞えて自然と足を窓際へ動かす。見渡すと教会の庭に一本だけ植えられてある木の下でローゼルはシズナに膝枕をしてあげていた。
二人は夕陽に照らされ程好い日の温かみの中で幸せそうにスヤスヤと眠っていた。人見知りのシズナがローゼルに心を許している……こうやってみると本当の姉妹のように思える。シズナもローゼルに姉の面影を感じているのかもしれない。
……面影か。
しばらく俺は二人の姿を眺めていた。
◇
「夕食くらい食べていけばいいのに」
「すいません、数少ない依頼が残ってるんで」
玄関口でサーシャさんが見送りに来てくれていた。他の子供たちは今頃今日俺が昼間に調理したシチューに夢中なのであろう。少し寂しいが美味しく食べて貰っているだけよしとしよう。
「ローゼルさんもまたきてくださいね」
「ありがとう、サーシャさん」
教会で暮らしている中でローゼルの事情しているのはサーシャさんのみである。さすがに子供たちには過激すぎる話だからな、秘密にはしている。最初はサーシャさんも戸惑ってはいたが、まさか受け入れてくれるとは、彼女なりに考えた結果なのであろう。この人は俺と似ているのかもしれないな。
すると、教会の入り口の物陰から一人顔を出す小柄な少女がいた。
「レト……もういっちゃうです?」
「ああ、ごめんな。黙って出ていく気はなかったんだけど」
シズナはモジモジしながら顔を俯かせたまま、俺の隣に立つローゼルに近寄る。俺とローゼルは見合わせた後、ローゼルはシズナに合わせる様に膝を曲げる。
「どうしたのシズナ?」
「あの……その……」
「うん?」
「また……きて……」
勇気を振り絞って言った言葉はたった四文字である。顔を真っ赤に赤らめ顔を手に持った人形で隠す姿はとても可愛らしい。ローゼルは目を見張った後、にっこりとシズナに微笑み返す。
「わかった、またくるね。今度は弟も連れて……」
俺はその言葉に酷く心を打たれた。ローゼルがもし牢獄に幽閉されればその約束も叶わなくなる。
あの後から、何度か自問自答を続けた。ラインが言う事ももっともだ。彼女の身の安全を考えるなら、牢獄エリアほど適した場所はない。あのエリアはあらゆるシステムの干渉ができない絶対領域、云わば鉄壁の要塞だ。第五十層の攻略が近づく中、《BLOOD》もローゼルをほってはおかない。それにローゼルは、疑われている。彼女が一人で出歩くなんてことはこの一ヶ月なかった。それだけ俺も見守り続けていたのだが、今の血盟騎士団……ラインは彼女に容疑を掛けている。いや、ライン自身ローゼルの疑いを晴らし且つ、彼女の身の危険を案じての考えだ。
二度と会えなくなるわけじゃない、少し長い間離れ離れなるだけだ。彼女も解ってくれるはず、問題ない。
そのとき俺はふと、ラインの言葉を思い出す。『君が、彼女と離れるのを拒んでいるんじゃないのか?』と言われた。うろたえ、仕舞いには言葉を失っていた。
俺が拒んでいる?……彼女には幸せな人生を歩んでほしいだけだ、拒む理由なんて……離れていたって。
『またここで逢おうね』
突然、現実の世界の幼き頃の記憶が蘇り頭の中で洗練に再生された。大切な人とのかけがえない約束。またここで逢おうね、最後に結城と話した言葉でもある。
転校を重ね様々な人と出会い、別れを繰り返していたが……結城と離れ離れになることが今までで一番辛いことだったかもしれない。ずっとあの河原で二人一緒に夕陽を眺めていたい、あの頃の俺はそれだけが望みだった。そう彼女が横で笑っていてくれる……それだけで心が満たされていく。
―離れたくない、ずっとそばにいたい、そう思って当然だろ……あれ?
今、無意識にローゼルと結城を重ねていた。
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求めているあの子にもう逢うことができないかもしれない。
今、隣にいる彼女はあの子に良く似ている……父と妹を失った少年は、彼女と逢えなくなることを恐れていた。
自分勝手な考えだ、実に人間らしい。人は一度手にしたものを手放すことが容易にできない欲深いものである。
彼もまた、『強欲』なのであろう
優しさは……ただの強欲
執筆が遅い
頑張るしかない。
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