ソードアート・オンライン~紅の心意―The Cardinal Mind 作:坂道
過去編ですがもう一話は続きます。前後編から前中後編から、次は四話にするってまた勝手が過ぎますが……書いている本人が一番驚いています。子の話を書いているうちに文字数が20000越えて、また区切るといった判断です。
どうかご理解へ頂きたく思います。
それではどうぞ!
そして溝口
初日、つまり今日になるが稽古という稽古はしなかった。
「紅葉、まずはお前の剣道における心技体を……心から鍛え上げる。俺から『面』を一本だけでもいい……取ってみろ」
――心技体?
その稽古はこれまで習ってきたものとは違い、心と技術と身体を磨き上げ、次への道を進むことを目的としたもの。立派な言葉を並べてはいるが、ただ一対一でなす掛かり稽古である。しかし真意はそんな甘い御託でない。重い剣道着を拵えて俺は師匠に竹刀を軽く振った後、身体全体に竹刀の木霊が鳴り響き、一寸の内に地へと叩きつけられてた。何が起こったかは頭が鮮明に覚えている、強靭な力で鉄槌を落されたのだ。
一撃からなる衝撃が籠手越しから身体に至るまで神妙に恐怖として蘇る。竹刀を叩き落され、面で地に伏せられたんだ。落ちた竹刀を探るように左手で掴み、見上げると、其処には鬼の顔があった。
「竹刀から手を放すな、この戯けが!!」
怒号が身の毛を弥立たせ凍りつく。今までの師匠は何処にいったのか……いや、これが本当の溝口師匠なんだ。始まって一分も経たぬうちに足がふらついていた。
疲れているわけではない。自分が使っている筋肉が総て目の前の強豪に怯え竦んでいる。たった一撃で恐怖の発作が生まれた瞬間だった。
「立て……」
そう、つまり身体および精神から剣道の恐怖を植え付け、底から這い上がる心の鍛錬。心が折れれば、足を踏むことも、技を出すことも、剣を持つことも出来なくなる。真に強くなることは、まず『心』を鋼に持つこと。剣道を嗜む者が芯に持つ大切なものだと父さんも言っていた。
この恐怖感、あの時父さんの試合で見た殺気そのものだ。外面から眺めているだけまだマシだったかもしれないが、今はそれは俺の眼前に佇んでいる。
姿勢を正し、剣道の定石である中段構えで竹刀を構え遠間を置く。一歩の踏み込みでは相手が打っても届かない間合いだが……
「きぇぇぇえーーー!」
えもいえず鬼気が雄叫びともに押し迫る。激しい踏み込みが地を鳴らして疾くと大なる強豪の猛攻に足が竦む。跳躍して前と踏み込む飛び込みの面の技、相手は大人だ……あの程度の間合い直ぐに詰め寄られる。浅はかに砕け散る身は技により、全身を後ろに引きずりこまれるように吹き飛ばされ腰を強打する。
突きつけられた眼から逃げることが出来ず、立ち上がる他なかった。
その後何度地に叩きつけられたのだろう。軽く百回は超えたか、一向に面もとれず打ちのめされてばかりだ。一度は打突を狙ったが、技は簡単に弾かれる。尻餅をつくのは何度目だ……ああ、百回は超えてるよ。
――立て、今はその一言がどんなに悍ましいか。
正直起ちたくなかった。意気込みもむなしく強張った足に力が入ることを身体が拒んでいる。逃げたい、萎縮する気持ちが徐々に大きくなり目が泳ぐ。
そして辿り着く先は時計の針。信じられなかった、まだ二十分も経っていない。呼吸は秒針よりも速く、心臓の鼓動はもっと速い。早く終われ、早く終われといつの間にか気力も失い、意気消沈と膝をつけていた。
――吐きそう……頭中が焼けるように暑い。
悪寒が身体中を支配しているのに熱が高まる。前に霧がかかって相手の顔が見えなくなり、霧がかからない視界を探した。
すると視線が流れた先には桐ヶ谷直葉が正座をして俺の姿を見ていた。真摯な態度を崩さない少女はただ二人の稽古を瞳に映す。
――お前……怖くないのか? 女の子だろ……あ~おれ、クソかっこわるい……
心眼を射抜かれたのかように、鋭く心がざらつく。自身の決意がこんなものか?……もっと前に進みたいから俺は今ここに残っているんじゃないのか。放さず持った竹の剣を握り締め左手に力が入る。重くなった全身を持ち上げて踏ん張り立つ。 軋むのは心だけじゃない、鍛えた身体も、習った技術も軋んでいる。右手を添えて、深く息を吸い込み、手にもった竹刀を引き寄せて頭に思い切り叩いた。
今日は生きた心地がしない。溝口師匠が車で自宅まで送ってもらったらしい。らしいって、なんだよ……記憶が半分ないな。覚えているのは桐ヶ谷の家の玄関を車のミラー越しから覗いたくらいまでかな。大きな門から見上げた先は中々の大きさ屋敷があり、師匠から訊いたとおり奥に道場があったな~うん、凄く大きかった、羨ましい。
ここから記憶がない。いや、家で知癒と二人でレトルト食品を食べていた気がする。そう……たしかカレーだ。しかしカレーというのはやはり野菜が溶けて少しドロドロした滑らかさが欲しいものである。
そしてトッピングは……
「ゆでたまご! 中は半熟でお願いします!」
あれ? 今、俺は台所でカレーを作っていた思っていたのに……なんで国語の教科書を持っているんだ?
見渡すと生徒全員が俺を凝視して、担任の先生は頬をヒクヒクさせていた。
「あ!……やっぱり目玉焼きの方がいいかも」
「紅葉くん~廊下に立ってなさい」
学校で眠っていたらしい。
◇
二日目には桐ヶ谷直葉も特訓に混ざり、同年代相手を想定した試合稽古をメニューに加え、基礎を徹底的に見直す鬼の指導が待っていた。必死に溜まった雑念を振り払い稽古に打ち込む。
俺は二日目以降から飛躍的に技量を身に付けようと躍起になっていた。何故かというのは今、一足一刀の間合いで競り合っている相手が桐ヶ谷直葉だからである。
桐ヶ谷直葉、女子生徒の中でも一二を争う実力者。小柄でくっきりと整ったおかっぱ頭が可愛い少女で一緒に通う兄と同じく物柔らかく印象がある。その静かな可憐さとは裏腹に剣道では甲高い声を発し、力強く竹刀を振る強く師匠にも認められた優秀な女の子だ。
桐ヶ谷に敗けて以来、いつかリベンジしたいと密かに暗躍していたが、こんな形で合間見えることになろうとは世の中は不思議なものだ。
俺にも小さなプライドは少なからずある。いくら育ちが道場で鍛えられているとはいえ、年下の女の子に負け続けるのは苦い。
稽古中も密かに対抗心を燃やしながら、師匠の過酷な稽古を打ち込んでいるが、未だに桐ヶ谷に勝てないでいる。でも……一度だけ、面が入ったときは羽が生えたかのように嬉しくはしゃいで師匠に怒られたな。
「面!!」
振り翳した竹刀は叫んだ打突部位に撃ち出され、綺麗に竹の音を響かせる。ここまで爽快に技を決められると一層清々しい。目の前に立つ女剣士に圧倒され、積んでいた疲労が肩から抜け堕ち、冷えた床に腰を付いてゆるりと倒れる。
「だ、大丈夫ですか!?」
と、顔を仰いだ先にいる剣士は小手を差し伸べてくれた。熱気に纏わり付いた面を外し、首を縦に振って応える。
「ごめん、下りるときは礼で終わらなきゃいけないのに。くぁ~効くな~桐ヶ谷つぇぇ」
「そんなことないですよ…ただ私は家で祖父に鍛えられているからだと……」
「ううん、鍛えるだけでこんなに強くはいられないさ。きっと剣道が本当に好きだから結果が実力にも出てるんだよ」
「そう……ですかね。真面目に褒められると少し照れくさいですね、えへへ」
言いながら称讃を送った言葉に照れくさく柔らかな頬を掻く桐ヶ谷。その手練れた少女の自分との力量差に不満を感じた。難癖をつけるわけじゃないが、溜まった吐露が零れる。
「これで0勝9敗か……まだまだ、駄目だな俺は」
「……あの、前から聞きたいと思っていたんですが、どうして悪戯のこと黙ってるんですか?」
急に投げられた言葉は試合稽古とは別事象であった。膝を折り、面を抱えた桐ヶ谷は寄るように顔を近付けた。俺に対する門下生の残虐な行為を軽視したまま捨ておいている事が気になるようだ。
俄然と朦朧した思考は深く考えることなく答えを返す。
「……認めたくないから」
「認めたくない、ですか?」
「師匠に言って―はい、すいませんでした、で終わるのは簡単だけど……自分が弱いってことを自分で肯定するみたいで情けないから……誰かを盾にしておどおどする軟弱な奴だって思われたくないし……考えすぎかもしれないけど、嫌なんだ」
「辛くないんですか? あんなことされて悔しいとは思わないんですか」
「そりゃあ……悔しいけど…………どうしてそんな聞くんだ?」
食い入るように顔を迫らせる桐ヶ谷に唖然と構えるも、何故彼女が俺の虐めの対象に拘る理由があるのか疑問視する。
「だって……私が紅葉さんを剣道で倒してから悪戯が始まったんですよ、責任を感じられずにはいられないよ……」
少女が抱えていた艱苦は俺が原因だったらしい。それは道場に入門して間もない頃、剣道の経験があると表した事がきっかけで、女子門下生の間で編入生の実力を見極めようと、俺と桐ヶ谷とで周りが薦めるがまま強制的に試合を行った。
正直、内的動機もない俺には年下の少女と試合をする理由がなかった……とはいえ、これから集団として活動するにあたり同じ道場内で鍛錬する門下生達との仲間付き合いを無駄にもできず、しぶしぶ俺は試合に臨んだ。
結果、苦戦も儘ならないまま完膚なきまでに二本と撃たれた。年下のそれも女の子にあっさりと敗けた憫然たる自分を門下生達は嘲笑い、軽視するようになった。
虐めの根源は確か其処からなのかもしれないが、あのまま口を塞いで哀傷していた自分自身が悪いと思う。この悪感の溝を埋めることも直ぐにできたはず……だけどある程度人の楽な距離感を覚えてしまった俺は行動に起こさず、安楽地帯で留まっているんだ。
桐ヶ谷直葉が原因だといえばきっともっと心にゆとりができていたが、俺は誰かを妬んでまで卑怯になりたくなかった。
気落ちする桐ヶ谷に一度泣かせてしまった結城明日奈がチラつき、釈然としない気持ちが靄となって悪感した。俯かせた視線に竹刀を映し、気合を入れて応える。
「桐ヶ谷が気にすることじゃないよ……なんて無理だよな。俺もそういうの根に持つ方だし……優しいな桐ヶ谷は」
「優しいなんてそんな……紅葉さんが思うほどあたしは人は好くないですよ。この稽古に協力しているのもただ自分なりのけじめだと思って……私はずっと前から見てただけで行動には起こせない同情するだけの臆病者です」
「そう……かな……うん、多分それは自分を許したくないんじゃないのかな」
きょとんした顔が否めず、呆ける桐ヶ谷の顔を指で頭を小突く。
「自分が原因だって思ったことは桐ヶ谷には簡単に割り切れないんだ。知らない、関係ないで済ませる人もいるだろうけど、桐ヶ谷はそうではいられない優しい女の子なんだ……だから、そうだな……許す!」
「はぃい?」
「俺が許せば桐ヶ谷はもう思い悩むことなんてないだろ。だからもうそんな沈んだ顔でいるなよ、今の俺の目標は剣道小町桐ヶ谷先輩に勝つことなんだからな」
自然と慣れ親しんだ感じで励ますように頭を軽く撫でしまった。
「なんだか変な感じですね、年下なのに先輩って呼ばれて、今はこうやって励まされてます」
「あ、ごめん。クセでさ、妹の知癒にもたまに……」
「妹がいるんですか? 初耳です。何だが意外ですね、紅葉さんって道場で全然喋らないから根暗な人だとばかり思っていました」
「お前結構酷いことストレートで吐くな……励まして損した」
俺の仏頂面にウケたのか桐ヶ谷は笑みを零していた。釣られて少し笑ってしまった……あれ? 剣道ってこんなに楽しかったけ?
未だ嘗てこのような感情を道場でもらした事はなかった。
「コホン……それに認めさせたいんだ。言葉じゃなくて
「任されましたよ、紅葉後輩」
「このやろう……いつか絶対に勝つからな」
しばらく道場では見せていなかった心に笑顔の花が咲いた気がした。
木曜日、短期稽古四日目。さすがに周りの門下生達が俺の最近の様子が可笑しいと勘付いたか、妙に背中に視線を感じていた……というか、俺が際立っているんだ、もちろんあまりいい意味ではない。
一つは溝口師匠の俺への対応の凶変であろう。そもそも今週の試合までに短期強化するのが不可能であって、練習配分合わない分、通常稽古にも支障をきたす必要が出来たため、俺にだけ特別厳しく鬼指導されている現状である。
もう一つは……一番の変化かもしれない、桐ヶ谷直葉に平然と話しかけていることであろう。元々桐ヶ谷も誰かと積極的に関わることはせず、兄である桐ヶ谷和人と一緒にいることが多かった。俺自身も桐ヶ谷が話すように自分からも壁たりを作っていたから道場内で人と絡むことが皆無に等しかった。そんな二人が急にフレンドリーに会話したら周囲が無反応でいるはずが無い。
最初は躊躇いはしたが休憩中にレクチャーを頼んだら、喜んで対応してくれた。 桐ヶ谷の女子友達は驚いた顔していたな、それもそうである……この道場で殆ど誰とも会話という会話をしていなかったからな。
◇
「桐ヶ谷先輩、聞きたいことがあるんだけど」
「『切りかえし』からの『面』ですか?……う~ん、言葉で説明するより実際に体感したほうがいいかもしれませんね」
「わかった、じゃあまた後で頼むよ、サンキューな」
手を軽く振ってお辞儀を返す紅葉を見送った後、隣で一緒に座禅を組んでいたお兄ちゃんに不思議そうに尋ねられる。
「スグ、いつの間にアイツと仲良くなったんだ?」
その質問に一寸で迷い無く私は返す。
「うん、一昨日くらいから。そんな悪い人じゃないよ、少しネガティブな優しい後輩だよ」
「後輩って、アイツのほうが一つ年上だろ?」
「私達の方が道場に入るのが少し早かったから先輩面しても問題ないよ」
「あっそう……あんまり無理するなよ、相手は男なんだから」
言っている意味がよく解らずあやふやに聞き流してしまったけど、お兄ちゃんなり心配してくれたんだ。
兄妹の気配りに喜びを頬に浮かべてしまった。
「そうだ!……お兄ちゃんも一緒に残って稽古しようよ」
「げぇ!……勘弁してくれ。俺今のままで満足しているから……じゃあ、先に帰るから!」
兄は逃げるように竹刀袋を担いで素早く道場から飛び出していた。
「あぁ、お兄ちゃん!……も~」
離れていく兄の背中を心細く見守り、小さく溜息を吐いた。何だか不安だった……遠ざかっていく兄の姿ともに道場内に吹き込んでくる木枯らしの冷たさをかんじさせるような寂しさを。
「……今年に入ってから剣道の話、してくれなくなったな……」
他人行儀だったお兄ちゃんとの距離は習い事を通して少しは意思相通が取れていたと思っていた。一緒に始めた剣道も今では会話のきっかけになっていたのに……
兄妹として仲良くしていたい。私は兄との距離が好きである。私よりも少しだけ身長高くて、不器用だけど優しくて、凄く頼りなる兄の隣が大好き。
最近私達の間が徐々に離れていく気がした。あれこれ過剰な心配事が重なったせいであろうか、心の蟠りが偶然であることを願い離れていく兄の背を感傷に見守る。
「お兄ちゃん……」
◇
土曜日、明日に控えた試合に緊張を押し殺すことも出来ず、竹刀を握る手にも影響が出ていることも自身の身から体感していた。休日午後三時に終えた稽古から引き続き溝口師匠立会いの下、桐ヶ谷相手に二、三度模擬試合に挑んだ。
三度目の試合、集中を切らす事無く自身の力を出し切る。
俺と桐ヶ谷の距離空間は竹刀の剣先が重なる一足一刀の間合い……一歩踏み出せば互いに打突が届く。喉を鳴らし息を呑み込み剣尖で探り入れ、右斜めからの送り足で隙を窺う。桐ヶ谷も倣うように間合いを計る。床に円を描き、互いに見据えると、一寸の腕に微々たる物であるが正眼に差し出された竹刀が右に傾く。
――下がった!?……今しかない!
自らの打ち間を捉え、桐ヶ谷の間合いに食らいつく。左足を蹴り自身の渾身の面を打ち込む……が、届かない。剣先が下がったと同時に桐ヶ谷の重心が後退していくのが打ち込んだ瀬戸際で理解した。
――誘われた!?
間合いの外に逃げられ、止める事ができない剣先は力の赴くまま押し切られる。
「めぇぇぇぇっん!」
隙を逃すことなく手首を俊敏に捻らせ竹刀を持ち上げ、右に傾いた剣先は吸い込まれるように打突部位・面金へと叩き込まれた。甲高い気勢と見事な抜き技だ。
竹刀を納めて礼に終わった後、溝口師匠が声をかけてくる。
「直葉、見事な面抜き面だ」
先程の試合の評価を受けている桐ヶ谷を横目に面を外す。ムシッとした面を取り熱る顔の表面は秋の冷たい気圧で肌が敏感に反応する。頭からはスチームが出ているのではないかと思うほど熱が溜まっていた。汗で湿った手拭いを取り、天井に顔を仰ぐ。
――ちくしょ~また負けた
落涙の変わりにひんやりとした汗が首筋を通り流れていく。
連戦連敗……二十試合〇勝二〇敗。さすがに女子相手に何度も敗退を重ねるとなると気落ちせざる負えない。下手な俺でも解るこの子は強い。気剣体一致、動じることない姿勢態度、鍛えられた集中力、技の鋭さと気勢、一度入った面の技も偶然と思わせる程の桐ヶ谷の実力はずば抜けていた。そして何よりも身に沁みて感じたのはあの揺ぎ無い
その腕に見っとも無く嫉妬してしまう……それほど桐ヶ谷直葉は力を持った剣士だと頷ける。
安息を吐いて一呼吸置くと師匠が手招きで呼び寄せる。
「紅葉、こっちにきて座禅を組め。反省会だ」
必死に精進した短期稽古は幕を下ろすときだ。正直何か変化が有ったか? と訊かれれば特に変化がない。それもその筈だ、短期稽古といっても高々六日間及ぶ少し稽古を増やしただけだ。それで何か成果が出るというのが贅沢な話なのである。
日々の精進こそが強さに繋がる、まさに今俺の横に座る桐ヶ谷のような頑張り者の事を言うのであろう。
「それでは……二人とも互いに礼だ」
「「礼ですか?」」
声を揃えて同じ疑問を浮べた俺達は顔を見合わせて首を傾げる。礼に始まり、礼に終わるのが剣道の常識であるが、さっきしたことをもう一度することに意味があるのかと思った。
「剣道には『打って反省、打たれて感謝』というものがあってだな、共に鍛錬し合い、励ましあった相手に感謝する念だ……まぁ、精神論みたいなものだ」
「『打たれて感謝』か……何かそれってマゾっぽいですね」
「黙れ紅葉……はぁ~、これは腕を上げる以上にも大切な事なんだぞ、さぁやってみろ」
よく言っていることが分からないが桐ヶ谷には何度も稽古に付き合ってもらったからな、確かに敬意は払わないとな……。
思いつくまま考えたことを向き合って頭を下げて礼を送る。
「え~っと、何度も竹刀で殴っていただき誠にありがとうございました」
「へぇ!? あ……はい、こちらこそ何度も殴らせていただいてありがとうございます」
「いや二人ともそう事を言っているのでは……自分の打った打突が何故捉えられたのか、逆に相手は何故打たれたのか、互いに至らない点を改善して話し合うというものだが……妙な会話になってしまったな」
額に手を当てて、弟子達の謎の遣り取りに頭を痛めた。
「教育指導も一環のうちだな……直葉、稽古を通して紅葉を指摘考察してみろ」
「考察ですか?」
「お前が紅葉と試合をして思ったことを感想で述べるだけだ」
「そうですね、技を出した瞬間の竹刀が少し力み過ぎている感じました、それと、打ち込みからの手首の切り返しですかね、私が見る限り紅葉さんは三〇度止まりでしょうか? あれでは直ぐ相手に応じ技を取られるかと……それと―」
淡々と説明されたことは的を射ていた。次々に挙げられる指摘を整理して横に置いた竹刀を手に持ってイメージする。師匠も感心するほどの洞察力だ、どんどんと挙げられる俺への指摘課題、それと妙に楽しそうに話している。だが、面白くはない。当然だ、駄目な点を活き活きと挙げられて嬉しい奴がいるわけがない。
「―あとはそうですね……」
「なぁ桐ヶ谷、単純に、ストレートに、ズバリ聞くけど……今、お前から観て俺ってどうなの?」
少し眉間に皺を寄せてむくれた声で問い質す。前々から誰かの口から聞きたかったことでもある。半好奇心と一寸した成長振りはあるのかという浮いた気持ちだ。
―そうですね、と一間を置いて真顔で桐ヶ谷は答える。
「弱いです」
ほんの少しだが、成長に適ったことを口にしてくれると期待はしていたが、180度水平切り返しの如く、心の内で苦くも予想していた答えが飛んできた。弱いという言葉に重い竹刀を打たれたかのように体を横に倒して悄気込む。
直球で投げ込まれた言葉に気落ちする俺を桐ヶ谷は慌てて励ます中、師匠は渋い顔を映していた。
「そうだぞ紅葉、直葉の言うとおりだ。お前は弱い……」
「わかってますよ……それに師匠、なんで面以外禁止なんですか……小手とか胴とか技を多くだせるほうがいいと思うですけど~」
あからさまにいじける俺は稽古中に制限された面以外の技を出すというものに疑問を持っていた。先程の試合、桐ヶ谷も同じ条件で試合をしたが今一糸が解らない。如何して面に拘るのか、打突を制限して何になるのか。
「馬鹿たれが、面をまともに打てないド畜生が剣道で勝てると思うな。下手に胴や小手を取り入れて体勢に崩れができるぞ。……勝ちたいだろ? 次の試合」
「……はい」
肩に乗った雑念を恥、気持ちを姿勢を正した。実力が上がったのかは定かではないが、この追加稽古で剣道の在り方が少なからず視野が広がった気がする。それが強さに比例するのかは解らないが、一歩踏み出せたとは思う。
そうだ、明日勝たなきゃいけないんだ。俺の為に夜遅くまで稽古に協力していた二人に失礼だ。一新改め座禅を組む俺を見て強く頷く師匠はどこか嬉しそうであった。
「紅葉、面だけ撃たせていたのは下手だというわけではない、お前の剣の長所を伸ばすためだ」
「長所?」
「一つは体力だ、体力だけなら道場一といっても過言ではないぞ……スポーツをやっていた過程が活かさせているとみる」
「体力か……なんかパッとしませんね」
「これは凄いことなんだぞ、通常から追加稽古なんかして体力を削ぐことをしているんだからな。直葉もそう思うだろ」
桐ヶ谷は俺の顔を見ながら嬉しそうに師匠の相槌に躊躇いなく頷く。
―胸張っていいことなのかな……こういった評価をもらった経験がないからな……いつも駄目だしばかりだったせいか、素直に喜んでいいのものなのか、もどかしく頭を掻いた。
「そしてもう一つ……」
◇
夕方、外が薄暗くなる前に本日は解散し鍛錬は幕を下ろした。道場で桐ヶ谷と別れ、俺は少しの間だ眼に映していなかった夕陽を眺めながら、何時もの帰り道を歩いていた。ずっしりと竹刀袋に掛かった防具を担いで土手を歩きながら心積もりしていた。
もちろん河原で知り合ったあの子のことだ。この六日間河原に足を運ぶことが出来ず稽古に奮闘していたので久しく結城に会えるのではないかと欣喜に足を躍らせていた。
俺がいない間、結城は河原に訪れていたかな……そうだとすると、もしかして俺に会いに来てくれてたのかも、なん~て淡い想像すると思わず顔が綻びる。
すると河原から土手に上ってくる人影があった。思掛ず結城の影だと思い小走りで伸びていく影に近づくとそこには少女の姿は無く、土手から顔出したのは自分よりも背が高い男だった。
やや面長フーレムレスの眼鏡をかけ、リクルートスーツを着こなした男性だ。身長は俺より四〇cmは上の青年は眼鏡を軽く押しながらブツブツと小言を漏らしていた。
「全くなんで僕がこんな土臭い所までガキ一人探さなきゃならないんだ、彰三氏の頼みでなければこんな子守紛いなことを……ったく、猫を被るのも一苦労だよ」
青年の吐く酷薄さを感じさせる口調は何故か男の疎ましさを印象付ける。丁度目が合う距離に相対して青年は俺を軽薄な眼で見下し舌打ちをする。
「何見てんだお前……生簀かないガキだな」
如何にもな馬鹿にする言葉を吐き捨て性悪い顔付きを印象付ける。背丈の高い大人に俺は怯えて後ずされ男は不適な笑みを浮べた後、その場から離れていく。
毒々しい気分を感じさせる男の背中は夕陽に流る闇闇した詭謀さと、どこか寂しい憤懣を帯びていた。
晩。家事を一通り済ませ終えた俺は妹を連れ、アパートの外で素振りをしていた。最初は退屈そうに見物していた妹も俺の竹刀を振る姿を真似ながら小さな声援を送ってくれていた。この六日間伊達に骨を折らせたわけじゃない。失敗と強訓、悔恨や嫉妬から憧れ、精神を養う環境を作り上げてくれた二人の師に恩を仇で返すわけにはいかない。
高まりつく自制心を抑え、夜風を竹刀が切り裂く。
「精が出るわね清貴」
自身の名を親しく呼び上げられる、やわらかい慈愛に満ちた声は顔を振り返らずとも誰であるか察することができた。黒のキャリアスーツを着た
「おかえり!おそい!」
「―だな、何してたんだよ?」
抱きついて母親の帰社から遅さに不満気な声を洩らす知癒に倣い物言う。
母は電機メーカーのお客様相談サービスセンター・テレアポ契約社員に勤めている。勤務時間は夕方の五時過ぎと規定されているので、遅くても七時過ぎには会社から帰ってきているはずのだが、今日は随分と帰りが晩い。
「ごめんごめん、お父さんを待っていたら遅くなっちゃって」
「……お~いサヤカ、俺を置いて先に行くなよ」
母さんが噂をすれば後ろから萎れた野太い声を洩らす父さんが重い足取りで歩いていた。油の臭いが染み付いた作業着姿の父さんは腕に抱えたダンボールをアスファルトに置き一息ついた。
二人一緒に仕事から帰宅とは仲が良い夫婦である。
「ただいま清貴 知癒、ちゃんと良い子にしてたか?」
「おかえり父さん、わりと良い子にはしてつもりだよ。それより……その荷物どうしたの?」
四角形の箱方の入れ物となると純真な子供なら注目するなというものが無理である。父さんは俺の反応に得意満面を表す。
「少しばっか手間取ってな……」
テープで止めた蓋を開くと其処には真っ新な剣道具一式が詰められていた。綺麗な光沢ある面金、皮の縫い目が確りとした籠手、傷の無い胴と垂、全てが新品の防具であった。面保護具を手に取り、美術備品を恐れ恐れ触るように観照する。
「これ……」
「びっくりしたか? 母さんの昔馴染が東京の実家で剣道具店を営んでいてな、現場の軽トラックを借りて少しばかり東京まで行ってきたんだ。本当はお前が稽古中までに買う予定だったんだが、今月の光熱費とその他諸々がな……まぁそのおかげでまだ安価で購入することできたんだけど、明日の試合には間に合って良かった」
「で、でも防具一式って凄く高いじゃ…家にそんな余裕……」
そろそろ家計が心配になった。剣道の防具はとても高価である。小学生用といっても三万弱は値を張る品物。某RPGの防具一式を揃えるのなんてわけじゃないのだ。 それにまだ成長期である自分には体の成長に合わせ防具の買い替えなんてざらに有る。冷えた夜風とともに不安を気遣わしげになった俺に親は視線を見交わした後、破顔に崩して言う。
「あんな真っ赤な道着着たまま試合に出るつもりか? また赤恥を掻くぞ」
「そうよ清貴、お母さん達は息子が頑張っていることに少しでもいいから背中を押してあげたいのよ、ねぇ、知癒」
「うん!」
知癒の体を腕で抱きかかえて母さんは膝頭を地に着けて目と目が水平に合うようにじっと摯実な批評眼をもって見交わす。
「清貴は遠慮しちゃうかもしれないけど、お母さん達はずっと心配し続けるわ。これから中学、高校、成人して大人になっても、いい加減うっとしいって思われても……あなたが私達の子供で在り続ける限りずっとよ。それが私達親の役目……それに……」
「家族を心配しないなんてこと俺達夫婦にできると思うか?」
もう見飽きても可笑しくない何度も見た親の笑顔に隠していた感情が滲み出る。唇を噛んでその衝動を抑えても痛切にこもった言葉は自然と心を開いてしまう。
「母さん、父さん……うぅぅぅ」
「おいおい、まだ
「あらあら泣き虫なところは大鷹さんそっくりね」
四人の家族円満は秋の夜風をずっと凌げる温かさと千切れない頑丈な輪が家族を包んでいた。俺は漏れかけた暖かい水滴を堪えて皆一緒に小さな我が家に帰っていった。
◇
日曜日の早朝、天候は恵まれ快晴の空が窺えた。今朝の五時から起床して新参された防具を纏い一度竹刀を鳴らした。
ぶんっ!!
風の通らない一室の空気を切り、体全体の重みと肉体のコンディションを確認して調子良く首肯する。小窓から照らす僅かな朝の光を横目に部屋の四隅に立てかけられた赤い竹刀が入った竹刀袋を手に持つ。今は新たな
これは俺自身と結城に示した決意の証だ……今日はそれを証明する日。二つの竹刀袋を肩にかけて俺は部屋を後にする。
母が朝早くから作った温かな朝食をとり、風呂敷に包まれた弁当箱と竹刀袋に掛けた防具袋を片手に持ち、ごちそうさまといってきますを言い、居間を飛び出す。狭い廊下を通り玄関を開く。玄関口から青い空を仰いでいると、髪に寝癖を付けた父さんが欠伸をしてとぼとぼ歩いてきた。
「ふぁあ~~~もういくのか?」
「うん」
運動靴を履いて玄関の扉を閉めようとドアノブに手を掛けた瞬間、今ここに立つ現状に渡り付かせてくれた父親という架け橋に感謝の言葉を思いよる。顔を俯かせたまま振り返えてから口を動かす。
「父さ―」
「―頑張れよ」
口から発しようした言葉は父の言葉に遮られ口舌を止める。父は何食わぬ顔でただ一言を送り見詰めていた。まるでそっと背中を後押しするように。
「……いってきます!」
玄関を飛び出し外廊下から古びた階段まで走って降りる。重い思いが詰まった剣道具を担ぎ、集合場所まで全力で走った。
最寄り駅の外ホームに集まった門下生達は電鉄で二つ駅先の駅で降り、住宅街が建ち並ぶ歩道を歩いて二〇分先にある懐かしき日本和風の屋敷表構えした川添道場。桐ヶ谷が住んでいる屋敷よりもう一回り広い敷地で庭と隣接して古き道場と今時の建てず前の家が建ってあった。
門前で待ち構えていたのは先生よりも若い三〇代ぐらい細目の柔和な男と綺麗な顔立ちと初々しさを感じさせる女性が迎え入れる。道場に向かう道中に桐ヶ谷から川添道場について話を聞いていた。話によると毎年恒例の行事で今年の夏にも合同稽古を行ったそうだ、師範の間で古くから付き合いらしく先代に亘って続けている行事らしい。溝口師匠と親しく話す小柄で胴長短足な男性の名は川添三十郎、二年前に先代から道場を譲り受け師範になり、隣にいる妻である川添 椿と二人で道場を守っている話だ。どうやら年の近い娘さんもいるようで物心が付く頃から剣道しているらしく桐ヶ谷曰く滅法強いらしい。
川添ご夫妻に案内されると道場には既に数十人の男女小学生が座禅を組んで静かに待っていた。その環境を見るだけで川添道場の品の良さと姿勢に感銘を受けてしまう。
澄んだ冷たい空気と年季のある道場特有の独特な木の香りが全体に感じながら一礼して道場に足をつけた。
この小説……バンブーブレードC[紅]に書き直したほうがいいかもしれない
SAOに早く戻りたい反面、過去編で付線を貼るのが楽しくて仕方がない坂道です(笑)
直葉のほかに原作キャラが出ていたのわかりました?
次回その人にはいろんな意味で活躍してもらいますよ。
次で必ず最後にします。明日奈視点から始まると思いますので期待していて下さい。
では、すいませんでした