Snow wind & Temerity heart VS The world   作:Phidias

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23:Beautiful People(中編)

 

 

 それはイザベラ(タバサ)襲撃事件の翌日の事であった。朝になるや行幸一行は飛び出る様に宿場町から出発した。王女襲撃という、絶対に起きてはならない事件があったのだ。一団は一刻もこの場にいたくなかったのだ。

 王女襲撃の件は護衛の騎士団に伝わり、警備を厳とするようになったため、辺りにはそのピリピリとした刺すような視線が行きかっており、街道沿いに立って見物をしていた地元民たちにはそれが怖いものと感じていた。

 正午をいくらか過ぎた頃、一団は休憩を取る事になった。朝からずっと馬車から顔を出して手を振っていたタバサも、休憩と聞き思わず一息をついた。その時だった。

「邪魔するよ、お姫様」

 ドアが開くと、そこには侍女の格好をしたイザベラがいた。その後ろにはカステルモールがおり、さらにその後ろには勾導もいた。

 馬車に乗り込んだイザベラはタバサの隣に座ると、いきなり彼女の頬をつねる。自分と同じ姿をした存在によくもまあ遠慮なくできるものだ。

「聞いたわよぉ。あんた、早速『地下水』に襲われたそうじゃないか。見てみなよ、周りの慌てっぷり。みんな失点を取り戻すために必死になっちゃって」

 からからと笑いながらイザベラが喋る。と、つねっていた手を離すとイザベラはタバサに面を向ける。その顔は不自然なほどに真顔を作ろうと必死だったが、口元はそれに耐えきれないのだろう。大きく歪に歪んでいた。

「どうだい? 身内の人間に襲われる気分は……。ぐっすり眠る事だって出来やしないだろう? わたしは王宮にいても四六時中あんな恐怖に耐えているのさ。『いつ、家来や召使いに寝首をかかれるか』ってね。……お姫様も楽じゃないんだよ。あんたには二度と分からないだろうけどね」

 隠しきれないほどの憎しみが籠った呪言のような言葉をタバサに向かって吐き出す。その言葉を後ろで聞いたカステルモールは僅かに目を泳がせるが、歯をぎりりと噛み締める。『貴様の父親が王冠を奪い取ったから手に入れる事が出来た地位だろうが』と言いたげに。

 その言葉に対してもタバサは表情を崩さない。何を考えているのか分からないその表情に嫌悪感を感じたイザベラはキッと睨むと、もう用が無いとばかりに馬車から出ていこうとしたその時だ。

 

「だったら王女なんか辞めちまえばいいじゃねぇか。そんな重い肩書き、とっとと捨てたほうが楽になるぜ」

 

 勾導がぼそりと言った言葉が、イザベラの体を貫いた。ほんの数秒、彼女の中の時が止まり、口をパクパクと動かす。

 タバサとカステルモールも勾導の言葉が予想外だったのだろう。2人は全身を硬直させる事しかできなかった。

 あまりにも無法で且つ蛮勇。タバサは勾導が『ハルケギニアの人間ではない』という事を改めて実感する。

巫山戯(ふざけ)た事を言うんじゃないよ!!」

 衝撃からようやく復帰したイザベラがあらんばかりの大声で勾導に喚き、それによって馬車一帯が震えた。

「なんで王女の地位を捨てなくちゃいけないんだい!! あんた、分かってて言ってんのかい!!?」

「王女なんて『どうぞ命を狙ってください』って言っているような地位にいるから眠れないんだろ? そんな苦痛から『自由』になりたいなら王女なんて辞めるに限るだろ。その日の内に熟睡できるぜ」

 耳の穴をかっぽじりながら勾導が返す。その態度がよりイザベラの沸点をさらにあげる。

「眠る為だけに王女の地位を捨てられるわけないだろ!! このバカ!!」

「へぇ、命が狙われてるのに? オレならとっととそんな地位捨てて『自由』になりたいけどな。……そんなデカいリスク背負ってでも王女の地位に固執するってのは、それ以上に『おいしい思い』が味わえるからだろ?」

 勾導の声のトーンが一段階下がる。それと同時に彼の周囲の空気の色が変わった。蒼く、それでいて極黒に塗り潰す重いものに。

「欲しい物がすぐに手に入るからか? たいした『格』もない癖に他人に偉ぶれるからか? 脆弱な虚勢しか張れないのに、どうしようもない『我』が通せられるからか? ……どれにしても、『王女』の地位がないとできねぇ事ばかりだよなぁ。……テメェ自身よーく理解してんだろ? そのへん」

 予定調和一切無し、まさしく『真剣(シュート)』剥き出しの言葉がイザベラの体に、心に突き刺さっていく。いつの間にか勾導の見つめる瞳は光が消え、代わりとばかりにその双眸からは幾百の視線が現れ、それが自身に突き刺さっていくような感覚をイザベラは味わう。生まれ落ちてここまで心を抉られたのは初めてだった。なんなんだ、この平民は。いや、本当に平民かコイツは。人形の使い魔の分際で。

 『この場から逃げ出したい』――。今、イザベラの心中はこの気持ちに満ち溢れていた。

 今の勾導の姿にタバサは既視感を覚えていた。そう、あの吸血鬼討伐任務の時、追い詰められた吸血鬼に最後通牒の如く言葉をぶつけていた時と同じものだったのだ。

 そして、タバサは勾導の言葉にある単語が何度も出ている事に気付く。イザベラに言う以上に自分に言い聞かせるように繰り返される言葉――それは『自由』。

 

 『自分の先祖は漂泊民族で、彼らは『上無シ』の理念を守るために『自由』に生きていた』

 

 以前、勾導の話した彼のルーツがタバサの頭をよぎる。勾導は先祖やルーツを重視している素振りは見せない。むしろ、うっとおしく感じている様だった。そんな彼が執拗に『自由』を連呼する。何故か。

 おそらく、イザベラの言葉が気に入らなかったのだろう。自分で掴み取った訳でもない、親から与えられた我を通せる地位を、虚飾に満ちた『偽りの自由』を謳歌する事に満足している事に。それを捨て去り、『真の自由』を手に入れる事をしない事に。だからこそ勾導は仕掛けた。異世界における『自由の民達』の血を受け継いだ者の1人として、イザベラの言葉に対し拒絶の意思を示さざるを得なかった。

「全部捨てて『自由』になる勇気も無い奴がえらそうに……。そんなんなら、つまらねぇ愚痴零すんじゃねぇよ、クソデコガキが」

 そう勾導はイザベラを嗤う。だが、それを傍から聞いているタバサは別の事を考えていた。確かに自由に生きる事は尊い事かもしれない。だが、世界はそれを許さないもので満ちている。なにより、『自由に生きる』とは、多くの代償とリスクが付きまとう。極端な話、『死ぬ自由・殺される自由』だってあるのだ。実際問題、勾導の全身には多くの傷が刻まれている。きっと、元の世界でも我と自由を通したために傷ついたのだろう。この世界に来てからも再起不能寸前までに至った事だってある。生半可な精神ではできないのだ。

 タバサは一方で、こう思案する。

 

『勾導自身、『自由であろうとする事』に囚われているのではないか』

 

と。

 本人の意思とは無関係に遺伝子レベルで刻まれた苛烈なそれが勾導の立ち振舞いを、生き方を、決めてしまっている。きっと、死ぬまでこのままだろう。

 そこまで考えると、タバサはなぜか哀しい気持ちに包まれた。

 

 一方、イザベラは勾導の言葉を、無意識のまま奥歯を噛みしめながら聞いていた。

 胸中、こんな言葉に支配されながら。

 

 

 ――王女じゃなくなったら、わたしに何が残るんだい!!?

 

 

 実際のところ、口が裂けても吐き出したくない言葉だ。人形と馬鹿にするシャルロットには絶対に聞かれたくない。

 知らず知らずのうちに両の手は爪が肉に食い込むほどに強く握りながら、ポツリと漏らす。

「う……」

「あ?」

「うるさいうるさいうるさい!! 平民の分際でわたしに意見するな!!」

 イザベラは本来叫びたかった言葉を無理矢理飲み込み、誤魔化す様に激昂する。だが、その姿に高慢な王女のそれはない。半べそになり、声を上ずらせながら喚き散らすしか能のない餓鬼がそこにいるだけだった。

 あらんばかりの罵詈雑言を勾導に浴びせたため落ち着いたのだろう、イザベラは数度深く息を吐くと勾導を睨みつける。そして指差しながら宣言する。

「……決めた。あんた、わたしの召使いになりな」

「はァ!?」

 イザベラの唐突な宣言に、さすがの勾導も頭の中が真っ白くなる。

「わたしを怒らせた罰よ。徹底的にこき使ってやるから」

「だれがそんな事やるんだよ。やるかボゲ」

 そう吐き捨てると、勾導は馬車から離れようとする。タバサの事も心配であったが、このデコの言う事には付き合ってられない。そんな気持ちでいっぱいだった。

 だが、イザベラが言った言葉がそんな勾導の動きを止める事になる。

「やらないと、今すぐ自分が本物のイザベラだと周りにバラすわよ。もちろん、グルノープルに着いたらアルトーワ伯にもすぐ言うよ。それってどういうことか分かってるよね? 世間に『王家は分家筋主催の歓迎会にすら影武者を出す臆病者』だって笑われるのはもちろん、『地下水』をはじめとした刺客が直接わたしを狙いにやってくるのよ。……『任務失敗』なんてものじゃないわ。あんたら主従そろって縛り首になるよ!!」

 イザベラの理不尽極まる言い草に勾導は呆れた。なに言ってんだと思う。

「テメェ自身がバラそうとしてんだろうが。知った事か、勝手に言ってろ」

 そう吐き捨て、今度こそ馬車を離れようとした時だ。

「小僧、これよりイザベラさまの『警護』につけ」

 今までずっと黙っていたカステルモールが口を開いた。その表情に色が無かった。

 いきなり会話に加わったカステルモールに勾導は少しイラッとする。

「……なに勝手に決めてんだ、おっさん。オレはやらないって言ってんだよ。ガキの我がままにつきあってられっか」

 口撃の標的を自分に変えて噛みついてくる餓鬼の顔を一切見ず、若い騎士団長は言葉を続けた。

「我々花壇騎士は王家の警護を担う事が至上の存在理由だ。その王家の一員である我らのイザベラ姫殿下の警護に就けるのだ。貴様もこの団の末席にいるのならこれ以上ない名誉ある任務だと思え」

 全く敬愛していないイザベラに媚びへつらったその言動と昨晩タバサの目の前で見せた平伏しきった姿。カステルモールが見せた2つの異なる姿が勾導の眼下に重なる。それは勾導を吼えさせるには十分な材料だった。

「テメェ、心にも思ってねぇ事言ってんじゃねぇよ!! なんだったんだよ昨日見せた姿は!! 『我らはシャ』……」

 その先は言えなかった。カステルモールの振るった握り拳が勾導の顔面に叩き込まれたからだ。その重く、速い一撃に勾導は吹き飛んでしまう。

「反論は許さん。もう一度言う。イザベラさまの『警護につけ』」

 再度、カステルモールは感情のこもらない声でそう吐き捨てた。

 無論、勾導もやられっぱなしで終わる人間ではない。頬を赤く腫らしたまま、口元から流れる血を拭うとすぐさま立ち上がり口角を吊り上げながら歩を進める。完全に『スイッチ』が入ったようだ。――だが。

「『エア・クイック』」

 カステルモールがそう唱えた直後、彼の周囲にドンッと音が鳴った。次の瞬間、彼は勾導に一気に接近しボディブローを叩きこんでいた。勾導はそれに全く反応できず、腹筋に力を込めて防御をする事すら出来なかった。衝撃が内臓に響いた為、思わず体をくの字に曲げてしまう。それは悪手だった。そのまま頭を掴まれると無防備な顔面に膝をぶち込まれる。一度で済む訳が無い。二度、三度、四度とカステルモールは毒針のような膝を顔面に突き刺していった。

 カステルモールが唱えた『エア・クイック』とは、彼自身が編み出した風のラインスペルであった。足元に圧縮空気を作り出し、それを持続的に破裂させることによって圧倒的な移動スピードを得るというものである。ある意味、勾導の十八番である『震脚軽功』と同一の技だった。

 無論、ただ闇雲に空気を破裂させているわけではない。相手との相対距離、希望突撃速度を得るための超精密な爆発制御など様々な事柄をコントロールできて初めて可能となる魔法である。

 僅かな時間でそれだけの事象を読み魔力を制御する技量、一手で手練を制圧できる格闘技術、そして相手が子供だろうが容赦なく『制裁』を科す事のできる冷徹さ。バッソ・カステルモールはそれらを全て兼ね揃えていた。故に彼はメイジの最高峰クラス『スクウェアメイジ』であり、ガリア王国が誇る近衛騎士集団『東薔薇騎士団』の団長なのだ。

 周囲に膝蹴りが入る鈍い音が響く。終わる気配は一向に見えない。タバサとイザベラ、2人は動けなかった。イザベラはともかく、荒事には慣れているタバサさえも。

『お前のような、お前のような、お前のような男にはッッ!!』

 眼前に広がる容赦のない暴の嵐。それを引き起こすカステルモールが放つ重圧には異常なものがあった。目を血走らせる。歯という歯を潰すかの如く強く噛む。勾導の頭を掴むその手は握り潰さんばかりに指を頭皮に食い込ませる。明らかに正気ではなかった。

『お前のような男にはシャルロットさまを任せられんッッッ!! いや、王家そのものを潰しかねない危険な存在だッッッ!! 『王女の地位を捨てろ』だと!? 王家をなんだと思っているのだ!! 簒奪者の娘はともかく、シャルロットさまにも同じ事を吹き込んで御心を乱すかもしれんッッッ!!』

 カステルモールが勾導に抱いていた嫉妬心は今、憎しみというどす黒いモノに萌芽していた。タバサを守るのは自分だという気持ち以上に、勾導の言った言葉は王家そのものに深い忠誠を誓っていた彼には『王家に対する侮辱であり、国を崩壊させかねない言葉』に聞こえたからだ。

 勾導は既に意識を失っていた。奇襲をまともに喰らい、頭部へ何度も衝撃を受けたのだ。ルーンを発動する事などできるわけがない。指先の力は抜け、ぶらん、と垂らしていた。

 『制裁』が『私刑』にすり替わり、いよいよ『始末』になろうとしたその時―。

「キュイィィィィィ!!!」

 頭上から青空が落ちてきた。勿論、空ではない。シルフィードだ。カステルモールに頭から突っ込むが、それは無情にも避けられる。だが、勾導を拘束から解放する事には成功し、シルフィードはうつ伏せに倒れ込んだ勾導を守る様に前に立ち、カステルモールを威嚇していた。

『お姉さま、なに突っ立っているのね!? あの人を止めるのね!! お姉さまの言葉ならきっと聞いてくれるのね!!』

 シルフィードの念話で我を取り戻したタバサはカステルモールの前に立つ。

「……もうやめてください」

 カステルモールも、真の主と思っているタバサにそう言われると心が鈍る。だが、今この男を始末しないといけないと心を鬼にし、彼女に面を向ける。

「……だめだ。この男はイザベラ姫殿下、いやガリア王家に対し越えてはならない一線を越えた。それは大逆にも等しいものだ。それ相応の罰を与えなくてはならない」

 死刑宣告にも等しい内容の言葉を紡ぎ、杖を手に持ち勾導に向かって歩みを進める。だが、タバサはさらに前に出てこう言った。

「彼はわたしの使い魔です。そして、『使い魔の不始末は主人の不始末』という言葉があります。……もし、彼に更なる罰をお与えになられるのでしたら、わたしにも同様の罰を与えてください」

 深く頭を下げるタバサの姿を見て、カステルモールは心が揺れる。自分が予想していない方向に進んだのもあるが、このままではタバサに手を上げなくてはならないのだ。

 2人が対峙し、このまま時間だけが過ぎていくかと思われたその時、意外な人物から助け舟が出た。

「あ~、もういいよカステルモール。わたしにもっと血生臭い光景を見せる気かい?」

 それはイザベラだった。

「忘れたのかい? わたしはこいつを召使いにするんだよ。お前はその楽しみを奪う気かい?」

「しかし……」

「……わたしの命令が聞けないのかい?」

 イザベラはカステルモールを睨みつける。

「……わかりました」

 カステルモールは杖を懐に収めると、一礼して彼女達から離れていった。原隊に戻り、警備活動を再開するのだろう。だが、彼の胸中は様々な感情が混ざり合い表情にもそれが表れており、口元から薄く血が垂れていた。

 カステルモールが離れたのを確認し、タバサは勾導の元に駆け寄る。勾導の顔は赤紫色の痣に塗れ、鼻や口から血が流れ落ちており、そのひどい有様に一瞬顔を背ける。そんな彼女に背後から声をかける者がいた。イザベラだ。

「感謝しなよ、人形娘。わたしが口出ししなかったらコイツは死んでいたかもしれないのだからね」

 恩着せがましく笑いながらタバサに近付くと、いつの間にか手にしていた扇子を彼女の肩にぽん、と置く。

「わたしはあんたと違って『平和主義者』なの。こんな血生臭い暴力は大嫌いなのよ。……でもね、こいつがボコボコになったのを見た時は今までの事もあって胸がスーっとしたけどね!!」

 そう言うや、イザベラは未だ倒れたままの勾導を蹴り飛ばす。しかし、女性の細足で勾導の小山のようなごつい体を蹴るのは無理があっただろう。逆に自分の足を痛めてしまった。うぅっと小さな呻き声を上げた後、イザベラは勾導に逆恨みの感情を込めて睨む。

「あんたはそんなザマになってもわたしに歯向かうのかい!! ……とにかく、あんたはこの行幸中わたしの所有物だからねっ!! とことんこき使ってやるから覚悟しなッッ!!」

 イザベラはそう吐き捨て自分の馬車に戻っていく。その姿が消えたのを見計らいシルフィードはタバサへ心配そうに話しかけた。

「大変なのね! お兄さまがおでこ姫のものになっちゃうのね! お姉さま、どうするのね?」

「この行幸の間だけの話」

「その間、お姉さまのそばにお兄さまがいないのね! 危ないのね! 昨日だってお兄さまがいなかったら大変な事になっていたのね!!」

 手をバタバタ動かしながらシルフィードは叫ぶが、タバサは特に反応を見せない。それもそうだ。今年の春、勾導を召喚するまではずっと1人で任務にあたっていたのだから特に気にはしなかった。タバサが単独でこの任務をやり遂げると決意したその時、ずっと伏せていた勾導が呻き声をあげながら目を開けた。意識が戻ったようだ。

「お兄さま、大丈夫?」

 シルフィードが勾導へ心配そうに声をかける。だが、勾導は何も返さない。片方の鼻を塞ぎフンっと力いっぱい鼻息を吹き出すと、塞いでいない鼻腔から赤い何かが排出された。血だ。粘性を保ったままのそれが芝生に吹き付けられ、ネトォと広がっていく。シルフィードはそれを見てしまい、思わず黙り込む。

 勾導はそれに目をやることなく、消え入るような声で言った。

「オレ、負けたんだな」

 それにタバサは答える。

「ええ」

 どこか突き放すような声色だった。

「……そっか」

 頭を左右に振り立ち上がろうとするが、ぐらっと崩れる。相当頭を蹴られたため、未だに平衡感覚が正常な状態ではなかった。だが、そんな事はどうでもよかった。

 

 負けたのだ。なんの言い訳もできないほど、完璧に。

 

 勾導は、その辺に腐るほど転がっている創作群像(キャラクター)のように敗北のない存在ではない。元の世界で何度も何度も負けている。

 ある時は、思わず悲鳴をあげながらボコボコに叩き潰された。またある時は、目の前が突然真っ暗になるほどあっさりと締め落とされた。そしてある時は第三者が口出しによって負けになった事もある。

 餓鬼の頃からずっとそうだ。勝った分だけ負けも転がっている。

 だからと言って負けに慣れきっているのではない。その負けの悔しさを忘れない為に自らを鍛え、追い込み次の舞台で勝利を得てきたのだ。

 と、周りが突然慌ただしくなった。どうやら休憩は終わりのようだ。

「クソが……」

 勾導は小さく呟くとイザベラの馬車へ向かった。

 なぜかタバサの側にいたくなかった。

 タバサとシルフィードは、そんな勾導の後姿を見送ることしかできなかった。

 

 七瀬勾導、魔法世界ハルケギニアにおいて初めての完全敗北であった。

 

 

 そして舞台は再びグルノープルのアルトーワ伯邸近郊の馬車の車内。イザベラは勝ち誇った表情で対面に座る勾導を見ていた。ルーンの治癒能力のお陰なのか勾導の顔にあった痣や傷はきれいさっぱり消えていたが、ずっと渋面を貼り付けている。ここ数日、イザベラの『専属召使い』として色々とこき使われており、やれ「お茶を入れろ」だの、「扇をあおげ」だのとどうでもいい事をやらされており、そのためストレスが蓄積したのだ。

 イザベラはそんな勾導を見て溜息を一つ吐く。

「なにそんな嫌そうな顔をしてんのよ? 仮にもガリア王国の王女さまと一緒にいるのよ。そんな嫌そうな表情なんてする?」

「……別にいいだろうが。つーか、あと数日テメェと一緒にいないといけないと考えるとこんなツラになるわ」

 勾導は淡々と返す。そして、懐からMDプレイヤーを取り出すとそれを起動してヘッドホンを装着した。イザベラの相手をしたくないのが見え見えであった。

 イザベラは勾導が出したMDプレイヤーを不思議に思ったのか、興味ありげにそれを凝視した。

「なんだい、それ?」

 だが、勾導はそれを無視してMDのコントロールスティックを操作し選曲する。選んだのはTHE SEA○BE○TSの『Ask DNA』。オープニング曲として使用されたアニメ映画の無国籍イメージに完全に当てはまったその楽曲世界は勾導の耳から脳へ強烈に刺激し、思わず歌詞を口ずさむほどに浸った。

 自分を無視していきなり歌いだした勾導の姿にイザベラは妙なものを見たと言いたげな顔を見せる。

「……なにいきなり歌い出すのよ、あんた」

 その問いかけに対し、ヘッドホンをしっかりと装着している勾導は無反応だった。ヘッドホンというものを知らないイザベラは反応のなさに当然の事だがムッとなる。

「わぁたぁしをぉ、無ぅ視するなぁぁぁぁあ!!」

 イザベラはヘッドホンを掴み、それを勾導から奪い取った。外れたヘッドホンから音楽が漏れている。けっこうな音量で聞いていたのだろうか、離れた場所からでも鮮明に聞こえる。

 耳福の音楽世界から無理矢理現実に引き戻された勾導は、その原因の少女を睨んだ。

「なに勝手に取るんだ、テメェッ! 返せコラァッ!」

「いやよ。というより、なんだいこれは? なにか音が聞こえているけど……」

 イザベラは自分の手にある音が聞こえる道具(ヘッドホン)に興味を持ったのか、それを勾導がやっていたように装着する。次の瞬間、今まで体験した事のない事が起きた。『音』が、『歌』が、『音楽』が、耳を、脳髄を、直撃したのだ。

「ウオっ、な、なんだいこのマジックアイテムは! 楽師がいないのに演奏しているじゃないか!」

ハルケギニア(ここ)の奴らってみんな同じリアクションするなぁ……。説明するのもメンドくせえ……。とにかく、これはそういう機械だ。わかったらとっとと返せ」

「いやよ。歌ってる内容は分からないけど、気に入ったわこれ。いい暇つぶしにもなるし。というわけで、わたしに使い方教えなさいよ」

 ヘッドホンを大事そうにつけたイザベラの様子を見た勾導は有無を言わさずコントロールスティックにあるボリュームボタンを押しマックスにする。いきなり鼓膜に強烈な音の衝撃をぶつけられたイザベラは耐えられなくなり、ヘッドホンを外して勾導に投げつけた。

「な、なにするんだい! びっくりしたじゃないかい!」

「はいはい、終わりだ終わり! お前には10年早い!」

 そう言ってMDをしまい込む勾導にイザベラはムカつきが抑えられない。

「なによなによっ! あんた召使いでしょう!? だったらわたしの命令を聞きなさいよ!! これがもしシャルロットが『貸せ』と言ったらあんたは貸すんでしょうが!!」

「もちろん。もしくはスピーカーを付けて部屋の中で聞けるようにしてるな」

 勾導はそう即答し、さらに続けた。

「つーかな、おまえに貸したらロクな結末にならない事が目に見えてんだよ。オレは毎回ジャイアンにラジコン貸す(取り上げられる)スネ夫じゃねぇんだからな」

「ジャイアン……?」

 勾導の言ってる事の意味が分からずクエスチョンマークを浮かべているイザベラは諦めて溜息を吐く。そして、ジト目で見ながら小さくボヤいた。

「……あんた、あの人形娘のどこがいいのよ」

「あ? なんか言ったかデコ姫」

「なっ、なにも言ってないわよ! それよりもデコ姫って言うな!」

 頬が真っ赤になったイザベラがなにかを誤魔化す様に大声で怒鳴る。

 周囲が明日の園遊会の準備で忙しい中、この2人は相変わらずの有様だった。

 

 

 一方タバサは、アルトーワ伯の先導で屋敷の内部の説明を受けていた。カステルモールが唱えた『フェイスチェンジ』の魔法は完璧のようで、アルトーワ伯は目の前の少女がイザベラだと完全に思い込んでおり、屋敷を飾る調度品の中に王家ゆかりの物があると上機嫌で講釈を垂れている。しかし……、その中には現王ジョゼフゆかりの物もあったため、タバサは心がザワザワするのを押さえる羽目になった。

 一行は屋敷の中央に設置された大階段の踊り場に向かう。そこには鈍い銀色の輝きを放つフルプレートの甲冑が飾られていた。美しい調度品ばかりの中にあるので異様だったが、それを更に特異なものと思わせるものがそれにあった。

 なぜなら、甲冑の至る所が傷つき凹んでおり、胸当ての部分に至っては大きく切り裂かれていたのだ。儀礼用の物ではなく、実際の戦場で使われた事が一目瞭然である。タバサもその異様さに目が引いてしまい、しげしげと見つめた。

「おや、イザベラさまもお気になられましたか」

 アルトーワ伯がどこか嬉しそうな表情を浮かべながらタバサに近付く。よく見るとこの老人、顔の至る所に小さな古傷があり、服から覗く肌にもそれが刻まれていた。

「この鎧はわたしが若かりし頃に使っていたものでございます。そう、イザベラさまのひいお爺様ロベスピエール三世陛下が杖をお振りになられていた頃でしょうか」

 アルトーワ伯は昔を懐かしむ様な声色で話す。

 

 ロベスピエール三世。それはガリア王国を近世において、最も強く絢爛とした国家に育てた王として広く知られていた。彼の治世時にあの豪華壮大なヴェルサルテイル宮殿が建造され、さらに多くの芸術家を保護した事により多くの名作が世に溢れた。

 その一方で、彼は領土拡大の欲望に駆られており、生涯幾度となく他国への侵略戦争を仕掛けた。ある時はゲルマニアへ、またある時はトリステインへ。実際に実行はしなかったが、浮遊大陸アルビオンにも攻め入ろうとしていた。その甲斐あってか、彼の時代のガリア王国の領土は歴代で最大のものになり、文化活動の発展もあり文字通り『富国』としてハルケギニアに君臨していたのだった。

 また彼の性格は、演説の際放った言葉から理解できる。

 

『朕は国家であり、始祖さえも照らす太陽である』

 

 その自分の上に立つものはいないとばかりに尊大な態度の一方、圧倒的なカリスマぶりに臣下は皆ひれ伏していくその姿から、先述した発言から民や貴族たちからこう称されていた。

 

『太陽王』と。

 

 タバサは自分の曾祖父に出会った事はない。彼は彼女が生まれる十数年前に亡くなったからだ。だが、彼のエピソードは祖父である先王、そして父シャルルから聞かされてきた。皆、その破天荒な生き様を思い出したのか、時折顔を青くしながら『お願いだからあの人のようにはなるな』と言っていた事が印象に残っている。

 アルトーワ伯の説明はまだ続く。

「なぜ胸当ての部分が大きく切り裂かれているかお気になりませんか?」

 タバサは頷く。正直なところ全く興味が無かったが、下手に話を拗れさせたくなかったから仕方なしに頷いたのだ。

「ほっほっほ。ではお話しましょう。この鎧を着たのは今から40年以上前の事。当時この国は領土拡大に躍起になっておりまして、太陽王の杖の元わたし達は戦場を駆け巡っておりました」

 上機嫌になったアルトーワ伯は昔話をはじめた。

「そして我々はトリステインに狙いを定め、一気に攻め上がりました。ラグドリアン湖を完全に手中に収め、周辺の国土を切り取っていた時には、『今の我々はエルフにも勝てる』とさえ思ってしまいました」

 老伯爵は、どこか恥ずかしそうに語る。しかし、次の瞬間恐ろしいものを思い出したかのような表情を見せた。

「しかし、我々は知らなかったのです……。小国と侮っていたトリステインの底力を。そして、『ヤツ』の存在を……」

 老伯爵はゆっくりと、自身の胸をなぞりながら続ける。

「その日、我々はトリステインのアーテルワイロ平原に陣地を構築しておりました。戦況は完全に我らが優勢。私は当時花壇騎士団に所属しており、同僚達と『明日にはトリステインは杖を捨てて降伏するな』などと談笑をしておりました。しかし……、そんな油断しきった我々の前に『ヤツ』が現れたのです……」

 老人は、一度深呼吸をし、ゆっくりとその名を告げた。

 

「『タルブのテッゾ』が……」

 

「『タルブのテッゾ』……」

 タバサもその名を繰り返す。

「そう。大地を震わせる大きな雄叫びが聞こえたかと思った次の瞬間には、前方の陣地にいた傭兵集団が大きな赤い固まりによって血しぶきを撒き散らしながら吹き飛ばされました。メイジ達も魔法を唱えますが、どういう訳か魔法が効かない。メイジ達が次々とヤツの凶刃の餌食になっていき、皆逃げまとっていました。そして、ヤツは数多の陣を切り裂き、数え切れない死を引き連れ、遂に私のいた本陣の前方に現れました。……たった一騎で(・・・・・・)

 脳裏に刻まれた恐怖の体験を思い出したのか、老人は手を震わせる。だが、それに抗うように言葉を紡いだ。

「真っ赤に輝く巨大なピポグリフに乗ったそいつは左手に古い片刃の剣を、右手に巨大な剣に似た武器を持ち、雄叫びを挙げながらそれを振り回すと騎士たちの首が一瞬で吹き飛びました。それを見た瞬間私達は動けなくなり、死を覚悟しました。……恥ずかしながら、貴族の誇りを捨てて逃げてしまいたいと思いもしました。そして、次の瞬間には私は宙高く飛び上がっていたのです。地面に叩きつけられ、同時に胸に激痛を感じました。よく見ると、胸の肉が分厚いプレートメイルごと抉り飛ばされていたのです。私はその激痛に耐えきれなくなり、気絶してしまいました」

 タバサは老人の言葉を黙って聞いている。『タルブのテッゾ』の名はタバサも知っていた。『悪い事をしたり言う事を聞かないと『タルブのテッゾ』がさらいにやって来る』。それはこの国の平民貴族の区別なく小さな子供に言い聞かせるお決まりの言葉である。彼女も幼いころ母親にそう言い聞かされた。そんな子供の躾に利用されるほど、『タルブのテッゾ』はガリア王国に大きなトラウマを与えた存在だったのだ。

「次に私が目を覚ましたのは、敗走する軍の救護馬車の中でした。生き残った者に聞いたところ、ヤツはそのまま本陣深くを抉り、なんと陛下に一太刀浴びせたのです……。紙一重で避けられたそうですが、その直後、トリステイン軍の本隊が突撃を敢行したため、結果我々は敗走しました。……トリステインでは『英雄王フィリップ3世が勝利を呼び込んだ』などと言われているそうですが、実際のところはヤツがいなければトリステインは滅亡していましたよ。なにしろヤツは、たった一騎で戦況を変え、我がガリア大陸軍(グランダルメ)を蹂躙し、太陽王に生涯唯一の敗走をさせたのですから……。この鎧は私の命を守った事に対して敬意を示す以上に、『過度の自惚れは自らを窮地に陥れる』という自戒の意味を込めて飾っているのです。……姫殿下、このガリアはハルケギニア1の大国である事は間違いございません。しかし、だからと言って周辺の諸国を決して侮ってはならないのです。その隣国は高い工業力を持って我々に並ぼうとしているゲルマニア、そして小国とはいえ『烈風カリン』をはじめとした優秀なメイジを輩出し、『タルブのテッゾ』のような存在もいたトリステインがいるのですから。どんな小事でも全身全霊を込めて立ち向かってください。それが国を繁栄させる手段だと私は考えております。……話が長くなってしまいましたな。この老人の長話に付き合っていただき感謝します。では、お部屋までご案内しましょう」

 アルトーワ伯が先導する最中、タバサはもう一度甲冑を見た。甲冑は何も語らず、しかし胸の破損部を誇る様に立っている。彼女は目を離すと、老人の後ろに着いて行った。

 その様子をずっと見つめる瞳があった事を、彼らはまだ気付いていない。

 

 

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