Snow wind & Temerity heart VS The world   作:Phidias

29 / 34
26.5:ドリーム・シフト

 その情景を理解したその瞬間、タバサは自身の心が静かに震えている事を自覚していた。

 少しばかり遠くても目に入ってくる大きな湖畔、古く立派な造りをした門構えの大きな屋敷。その屋敷の扉には交差した二本の杖のレリーフがかたどられており、そのすぐ下には古代語で『さらに先へ』と刻まれている。

 屋敷の至る所ではメイド達が忙しそうに動き回り、警備の衛兵は厳しい訓練を行っていたが、皆その表情は明るく活気に満ち溢れていた。皆、誇りと充実感を持って己の職務に勤め、更にこの屋敷の主と家族を心から慕っている事が傍からでも理解できた。

 そう、ここは自分が生まれ育った在りし日のオルレアン大公家の屋敷だった。

 もう決して戻れない、あのあたたかい日々がそこにあった―。

 そこまで思案すると、タバサは自分が見ている光景は『夢』だと自覚し、悲しくなった。

 実は、この夢を見るのは初めてではない。今の過酷な状況になってから何度も、何度も『見て』いる。

 いや、『観て』いるといった方がいいだろう。

 この夢の中では自由に動き回る事ができなく、視線移動も自身の意思とは別で勝手に動いている。まるで、ライド型のアトラクションに乗っているような気分だった。

 夢の中の自分は中庭へ向けて走っている。その道中、屋敷の使用人達に声をかけられた。

「お嬢様、そんなに急いでいますと怪我をしますよ」

「なにか嬉しい事でもあったのですか? シャルロットさま」

 等々。今まで見た夢でも皆、同じ台詞パターンを同じタイミングで言ってくるので、タバサは全て覚えている。彼女には分からないだろうが、RPGのNPCを相手にしているのに似た感覚だった。

 そうこうしていると、中庭に到着した。そこには、白い椅子に腰かけ読書をしている男性がいた。

 その人物を見たタバサは胸の震えが一段と高まったのを自覚する。なぜなら、もう二度と会う事ができない人だから。たとえ、それが夢の中だとしても会いたかった人だから。

「父さま! 見て見て、わたし、凄い技を覚えたのよ!」

 タバサの意識の外で、勝手に口が動く。これもこの夢ではいつも通りの事だった。

「へぇ。では、父さんにその技を見せてごらん。シャルロット」

 椅子から立ち上がったその男性―オルレアン公シャルルは、優しい微笑みを浮かべながら愛娘に声をかけた。とても四十に届くとは思えない若々しい風貌をしており、蒼い髪が美しく風に流れていた。

「はい!」と、元気な返事をしたシャルロットは、手にしたフェルト製の人形を地面に座らせた。高価な品物ではなかったが、彼女はそれをとても大切にしているようだった。

「今からタバサが、素敵なダンスをお見せするわ!」

 シャルロットが手にした大きな杖を振るうと、人形はぴょん、と立ち上がり、ダンスを踊りはじめた。自分の身の丈以上の大きさの杖を苦も無く楽しげに振るう動きに合わせ、人形も彼女の気持ちが乗り移ったかのように楽しそうに舞う。

 人形が一礼して動きを止めると、それを鑑賞したオルレアン公は大きな拍手をした。

「お見事! いやぁ、すごいねシャルロットは! 父さんにだって、そこまで繊細に人形を操る事はできないよ!」

 オルレアン公はそう言って、シャルロットの頭を撫でると、小さなその体を抱き上げる。父親のその行為に少女は満面の笑みで応えた。

 すると新たな人物が現れた。母であるオルレアン公夫人と侍女たちだった。白い帽子を被った彼女も若々しく、多少スレンダー体型だったが生命力に満ちた美しい女性だった。

 父から降りたシャルロットは、今度は母に抱きついた。

「母さま!」

「あらあらシャルロット。お勉強はどうしたの? お休みの時間はまだですよ」

「先生が出された座学と実技の課題は、全部答えましたわ。空いた時間は好きにしてよろしいと、おっしゃったの!」

 満面の笑みを浮かべながらそう答える愛娘を見て2人は笑い声をあげた。

「本当にシャルロットは賢い子だねぇ」

「こんな良い子のためにも、今度のあなたの誕生会は盛大なものにしないといけませんね」

 2人の言葉を聞き、シャルロットは目を大きく輝かせた。

「本当に? わたし、今度の誕生会が楽しみ! とってもおいしいドラゴンケーキが食べられるから!」

 無邪気で食いしん坊な部分を覗かせた彼女の言葉に、2人は再び笑う。シャルロットも両親につられて笑いだした。

 本当に、優しくて幸せな時間と空間がそこにあった。

 

 その温かく、優しい家族団欒の光景をいつの間にか第三者の視点で見ていたタバサは、それをとても懐かしく感じる一方でこの後に待ち受ける悲劇を思い浮かべる。

 

 この2週間後の誕生日。

 父が殺されるという凶報が飛び込んだ。

 その直後に届いた王宮に参内しろという命に従った母が毒をあおり心を壊された。

 そして、自分は北花壇騎士となり、厄介事ばかり任される汚れ仕事請負人になった。

 何度も『これは夢だ』と思った。だが、悪夢は醒める事はない。

 ようやく、『これが現実だ』と認識した頃には、自分の心は雪風の吹きすさぶ氷の世界となってしまった。

 

 決して戻る事の出来ない、甘い記憶の夢に浸っていたいと思っていると突然、目の前に猛烈な吹雪が吹きつき始めた。空は陽光が降り注いでいるというのに、自分の周囲にはそれを遮断するかの如く氷雪が舞う状況に、タバサはこの夢の終焉を感じ取っていた。この甘い夢の最後の光景はいつもこうだった。

 あたたかい過去はもう戻ってこない。タバサは辛い現実(うつつ)に戻る時が来たと思いながら氷雪に身を任せた。

 だが、今夜は少し違っていた。

 

 

 気が付くと、タバサは奇妙な建物の中にいた。石造りのようでなにか違う、それでいて頑丈な大きな建物だと感じた。

 周囲に意識を向けると、ざわざわと騒がしかった。見ると、自分と同じくらいの年頃の少年少女が大勢おり、大半がここでは珍しい黒い髪だった。

「ねぇ、この後の授業はなに? え? 数学? うち、あの教師嫌いなんだけど……」

「放課後なにするよー? いつも通り『サンモ』に行く? 服とか見たいし」

「また殺人事件が起きたんだってよ……。 物騒だな最近……」

 皆、タバサの事に気付いていないのか、彼女の事を気にせず雑談を繰り広げている。タバサは、彼らの会話の内容を理解できなかったが、どこか学院の生徒達の会話に近く感じた。

 ふと、タバサはある事に気付いた。一つは、掲示板に張られていた掲示物に書かれていた文字は、日本語で構成されていた事だ。その内容は、まだ読む事ができないが、『ヒラガナ』と『カンジ』で構成されたその特徴は最近見てきたものだった。

 もう一つが、男子が着ている服。それは、自身の使い魔が着ている物だった。彼は、これは学生服だと言っており、授業にはこれを着て出ていたのが特徴的だったので覚えている。

 最後に、彼女は建物の室内を見る。窓ガラス越しに見たその中には、1人用の椅子と机が何十も設置されており、学生服を着た少年達がそこに座っていた。

 それらから、ここが自分の使い魔が元いた世界『チキュウ』で、そこにある学校施設だとタバサは結論付けた。

「ここがチキュウ……」

 なぜ、自分がこんな夢を見ているのか分からない。だが、目の前に広がる新たな景色を彼女は興味深く見渡しているその時だった。

「なぁ、聞いてんのかよ、勾導」

 聞き覚えのある名前が呼ばれている事に意識が向いたタバサは、声が聞こえてきた教室に入る。その入口にぶら下がった札には、『3年A組(創意創造コース)』と書かれていた。

 教室の中は広く、後ろには生徒達が書いたであろう絵画作品が展示されていた。その内容も風景画や人物画といった写実的なものから、コミック調のデフォルメイラストと幅が広い。その中でも一際異彩を放つ絵があった。それは、キャンバス一面に精密に描かれた靴底の絵。その下にはこう書かれていた。

 『ドロップキックインパクト 七瀬勾導』

と。

 その絵に生温かい視線を向けつつ、タバサは目的地に向かう。教室の中央にある机に突っ伏した少年を、3人の少年が囲んでいた。その中の1人である、茶髪の少年が頭を掻きながら言を発した。

「お前、なんで職員室に呼ばれたんだよ。またなんかやらかしたのか」

「どうせ、いつものように、よその学校のヤツらと喧嘩したのがバレただけじゃねーの?」

 180センチオーバーの、長身の少年が続ける。

「学生服のまま『メロン○ッ○ス』でエロ同人買ったのが問題になったんでしょ。きっと」

 眼鏡をかけた童顔の少年がそう言ったところで、机の主が顔をあげた。七分刈り程度の坊主頭でトップを無理矢理立ち上げた髪型をし、顎下に大きな傷が無かったが、その顔は間違いなく自身の使い魔の勾導だった。

 大きな欠伸をした後に、勾導は面倒臭そうに口を開いた。

「進路希望調査だよ。お前らはとっくに出しただろうが」

 その言葉を聞いた3人はあぁ、と声を漏らす。

「そういえば、2年の時に出したね。そんなの」

 童顔の少年―御堂祐一がそう言い、それを聞いた長身の少年―更級浩之も思い出したかのように「あぁ、あれか」と頷く。

「お前、2年の時はアメリカ(向こう)にいたんだよな。そういえばよ」

 茶髪の少年―胡桃崎往人が納得したところで、勾導はさらに補足した。

「まぁ、『真面目に書け』って怒られたんだけどよ」

 その言葉を聞いた皆は「やっぱりか」と言いたげな表情を浮かべる。

「なんて書いたんだよ? やっぱ『プロレスラー』って書いたのかよ?」

「いや、それだとしても大丈夫だろ。コイツ、春休みアメリカから帰って来たその足で『新セカ』の道場に限定入門して練習を乗り越えたんだからよ。充分担任(ヤブスキ)を納得させる事の出来る材料だろうが」

「それに、アメリカ(向こう)ではもうデビューして何十試合もしてんでしょ? だったら……」

「いや、レスラーって書いてないぞ」

 勾導は彼らの言葉を否定する。その予想外の発言に、彼らも驚いた。

「……じゃあ、なんて書いたんだよ」

 改めて放たれた浩之の問いかけに、勾導は2、3溜めてこう答えた。

 

「『○○ール瀧』って書いた」

 

「「「はぁあぁッッ!!?」」」

 

 皆のリアクションは同じだった。

「訳わかんないよ! なんだよ瀧って!」

「レスラーじゃないのかよっ!」

 そう言い寄ってくる祐一と浩之に勾導は、こう返す。

「だーかーらー、分かりやすく言うと、ステージ上で被り物かぶったり料理やったり、なぜか子供向け番組に出て好き勝手やったり、画太郎と組んで漫画原作したいって事だっつーの。……役者もやってさ、そのうち大河にちゃっかり出たりしてーじゃん? あとしょんない冠番組持ったり」

「アホだ…… ここに掛け値なしのアホがいる……」

 往人が皆の思ってることを代弁する。

 タバサも、いつもの無表情を崩して呆れた様子で勾導の言い分を聞いていたが、一方で自分と接してる時と変わりないその姿を見て、不思議な事に安堵していた。意味の分からない事を言って周りをやきもきさせるはた迷惑なそれだが、どこか和む。その不思議な空気感を作り出す彼の存在の貴重さを実感して彼女は笑みを浮かべた。

 その時、そんな彼を馬鹿にするような笑い声が背後から聞こえてきた。

「貴様は何も分かってないな! 七瀬!」

 その声を聞き、反射的に勾導達は振り向く。そこには、髪を腰のあたりまで伸ばした切れ長の鋭い目つきの美しい少女がいた。身長は勾導と同じくらいで、出るところは出て引っ込むところは引っ込んだそのプロポーションの前には清楚さを一面に出さないといけない制服も、その役目を全く果たせずにいた。

 勾導はどこか面倒臭そうな空気を纏わせると、不敵な微笑を浮かべたまま腕を組んでいる少女の相手をした。

「あ~、なんだよ樹璃南(じゅりな)! いきなり現れて大声出しやがって! せっかく人が『○○ール瀧』的ポジションが一番人生をエンジョイできるってこいつ等に説明していたのによォ!」

 立ち上がり、顔を近づけながら凄む勾導に少女―天界薙樹璃南(てんかいちじゅりな)は全く物怖じせず、それどころか笑みを一層深くした。

「……確かに、貴様の言うとおり『○○ール瀧』のような立場は一見楽しそうに見える。いや、実際楽しいのだろう。しかし、それが成り立つ理由は『『瀧』というポジションは○○ール瀧にしか出来ない』からだ!! ……貴様の様などこにでも転がっている愚図が『○○ール瀧になりたい』だと? 那由多の彼方に消えろ、この凡骨が!!」

「うるせぇ! やってみないとわかんねェだろうがッ!」

 樹璃南に強烈な言葉を浴びせられるも、勾導は引かず、どこか意固地になって対抗していた。

 そんな勾導の姿を見て、樹璃南は溜息を一つ吐くと、こう切り出した。

「わかった……。仮に、貴様が瀧になれるポテンシャルを持っていると仮定しよう。だからこそ聞くぞ……。 ……貴様、○野○球と仲良くできるのか?」

 そう言われた瞬間、勾導は凍りついてしまった。それを見た樹璃南は、そんな勾導の心を抉るように続ける。

「あの超ド級のトンパチ眉毛と仲良く音楽活動できるのか? あの男は貴様如き普通のトンパチがついていける存在ではないぞ!」

「……いや、別にオレ、電気やるつもりないし、つーかバンドする気もないし……」

「私は『できるのか』と聞いている」

 反論しようとするが、ずんと顔を近づけられプレッシャーをかけられた勾導は遂に、

「……ぼくには無理です」

 小声で弱々しく答える。そんな勾導の姿にタバサは既視感を覚え、いつだったかと思い返す。それは、シルフィードの名前を決める際、自分の案を通す為に顔を近づけプレッシャーをかけた時と同じ状況だったのだ。

(コウドウは意外とこういう押しに弱いのかしら。また今度試してみよう)

 笑みを浮かべながらそう考えていると、樹璃南が止めの追い込みをかけていた。

「貴様ごとき矮小な想像力の持ち主が『瀧』になれるわけがないだろうが!! ……オロカモノメ!!!」

 そう言い切った樹璃南の背後には、なぜか涙を流す丸い金属製の仮面を被った怪人の姿が薄く現れていた。

勾導は精神的に打ちのめされたのか、ただ、ただ無言で項垂れており、友人達は『いつもの事』だと言わんばかりに生温かい視線を送っている。

 このやり取りを見ていたタバサは、なんとも言えない、もやっとした感覚を味わっていた。自分の使い魔が、自分の知らない人間達と楽しそうに会話している姿を見て、なぜか嬉しく思う一方、自分は傍観するだけという状況に歯がゆさを感じてしまう。

 突然、チャイムがけたたましく鳴り出した。次の授業開始の予鈴なのか、勾導達も授業の準備を開始した。

 その時、世界が白黒に暗転した。なんだと思う間も無く、ザザ……という雑音と共に、テレビのアナログ放送の砂嵐が世界に走りだした。その嵐は徐々に勢いを増し、領域を広げていく。勾導達はこの状況に気付いていないのか、皆と共に教室移動をしている。

 タバサは思わず勾導に向かって手を伸ばすが、彼は気付かず、そのまま教室から出ていく。その無情さに思わず呆然とするが、状況が好転する訳はない。ノイズ混じりの砂嵐はタバサの体を急激に飲み込んでいく。

 タバサは、この状況に対応できる訳が無く、されるがまま世界に飲み込まれてしまった。

 

 

 鼻腔をくすぐる草木の匂いと、轟々と吹きすさぶ強風の音によってタバサは意識を取り戻した。体に異常が無いか軽くチェックを終えると、改めて周囲を見渡す。一面真っ暗だったが、目が慣れてくると徐々に生い茂る木々の姿が見えてきた。

 夜なのだろうか、とタバサは思案する。実際、天からは月明かりの柔らかい光が降り注いでおり、それによって自分はどこにいるのかわからない不安感は和らいでいた。

 タバサは思いがけず天を見上げた。それによって、新たな衝撃が彼女に襲いかかった。

「月が……、ひとつ……」

 そう、いつもは寄り添うように並んで天に輝く二つの月が一つしか浮かんでおらず、その月も幾分か小さく青白い光を放つだけだったのだ。

 その事実により、タバサは理解する。

「これが、チキュウの月……」

 そう呟いた直後。甲高い、獣かなにかの叫び声が響き渡る。続いて、薄い金属が振るわれているのか風切り音とともに周囲に響く。耳を澄ますと、人の声も聞こえている。

 タバサが音の元へ行こうと意識した瞬間、再び砂嵐が身に纏わりついた。まるで意識を持っているかのようだ。今度はそれに抵抗するものの、その行為は無意味に過ぎなかった。

 

 砂嵐が消え、タバサの視界に入ってきたのは、異様な光景だった。幾分か拓けた広場に簡素な松明がいくらか掲げられて明るかったため、その異形さがより実感できた。

 それは、5人の大人が1人の少年を取り囲んでいるという状況だった。大人達は皆、古代の修験者の儀礼装を纏い仮面を付けている。鬼、猿、翁、鳥、そして天狗。幾年もの代を重ねてきた古めかしい仮面がまるで皮膚と同化しているかのようにフィットしていた。そのせいか男なのか女なのかも分からない。いや、性別すらないのかもしれない。その仮面の眼孔から覗かせる色の無い瞳は、真っ直ぐ少年を射抜いていた。

 少年の方はどうだ。10の年を超えたかどうかといったところで、こちらは白い着物を纏い足元は学童用の運動靴を履いていた。

 タバサは少年の顔を見てはっとなる。自分の知っている者の面影があったからだ。

「コウ、ドウ……?」

 その少年は140センチほどの身長で体も筋骨隆々としたそれではないが、間違いなく勾導だとタバサは確信する。思わず彼に近付き手を伸ばすが、その手は勾導の体をすり抜けるだけだった。

「よう来られた。『七瀬』……いや、『・・・』の血を継ぐ子よ」

 天狗の仮面を被った人物が口を開く。やはり男とも、女とも判別できない声色だった。

「なっ、なんだよ、あんたら! いきなり襲いかかってきて!」

 彼らに向かって勾導は凄む。だが、威勢はいいのは口だけで、足元は震えていた。

「無理矢理山の中に放り出されて嫌になってたところでこれかよ! これも爺ちゃんの仕業か! もう嫌だ! 家に帰る! 絶対に帰……」

 勾導の言葉を遮る様に天狗面の人物が右手を振るう。その手には鈍色の光を放つ刀があった。いや、正確に言えば『刀』ではない。それは日本刀が誕生するまで主流だった鍔の無い両刃の直剣。それが勾導に向けられた。

「『山窩』『道々の輩』『国巣』『土蜘蛛』……。我らを称す呼び名はいくつもある。好きに呼ぶがいい。山に入りて漂泊し世俗の体制に与せず、神代より伝わる暗黒の秘史と秘奥を相伝し『上ナシ』の名のもと自由を愛する最後の『山の民』……。それが我らだ。お前はこれより行われる儀を乗り越えなくてはならない。お前の祖父、父親も乗り越えたものだ。これはお前の先祖が我らの本流から抜けようとも、続けられてきた『我らとの盟』であり『我らの長』だったお前達一族がやらねばならぬ『けじめ』の儀だ」

 そう言うや天狗面は刃を勾導に走らせた。勾導はパニック状態になりながらも必死になって避ける。だが、異形の者はそれを意に反さず次々と刃を振るい、勾導の白い着物を赤く染めていった。体に熱が宿る度、痛みの上に痛みが重なる度、勾導は絶叫をあげた。

 タバサは目の前で繰り広げられる光景を止めたかったが、どういうわけか体が動けなかった。その一方でこの光景が自分も経験した『ある出来事』に似ている事に気付いていた。

 それは、自分が最初に王家に命じられた任務である『ファンガスの森のキメラドラゴン討伐』の事だ。

 実際は、王家への忠誠を証明するために命じられた任務という名の遠回しの処刑だったが。

 幾つもの辛い体験を味わい、自分が『シャルロット』から『タバサ』になった任務。

 甘えを捨て去り、生き抜き復讐する事を決意した任務。

 あの時自分は11歳だった。今目の前にいる勾導もそのくらいの歳だろう。同じ時期に死線を歩んでいた事にタバサは奇妙な共通点を感じる。だが、自分の場合は『処刑』だったが勾導は明らかに狂気を纏った『儀式』だ。

 タバサは、勾導が自分の家について話したがらない本当の理由を知った気がした。こんな目にあったというのなら、忘れてしまいたいはずだ。では、彼はどうやってこの事態を乗り越えたのだろう。こんな普通じゃない狂気の集団からどうやって……。

 彼女がそう思案していると、ドサッという音がした。目を向けるとうつ伏せに倒れた血まみれの勾導の姿が目に入った。しかし、見た目ほど深い傷は追っていないようで、そこから見ても異形の剣の腕の高さが見て取れる。

 その異形は小さく呻く勾導に何か言葉をぶつけていた。 

「さぁ『呼びこめ』、己の中に眠る『古き己』を! 神代の頃、外界より来た不順国神(まつろわぬくにつかみ)の血を! 神仏に追いやられ未開の山に生を見出した妖達の(わざ)を! 己の信念と自由のため、理不尽に立ち向かう力を! 正気と狂気の狭間でもがき、それを超越する何かを『ヨビコメ』ッッ!!」

「『ヨビコメ』ッ!! 『ヨビコメ』ッ!! 『ヨビコメ』ッッッ!!!!」

 周りの異形も声を合わせ叫ぶ。その狂宴にタバサはじっと見つめるしか出来なかった。

 突然、じっとうずくまっていた勾導が大きく震えだした。全身をガタガタと震わせるそれは、もはや尋常ではないそれだった。

「はじまったか」

 天狗の異形がそう零した直後、タバサは辺りの空気が一変した事を実感した。周囲に刃が突き立てられ、それらが四方に散っていく危険な空気が覆われる。それと同時に再び視界に砂嵐が覆った。肝心なところで、と思っていても視界が開けるわけではない。その時だった。

「こっ、これは……、まさか……」

「―――――――ッッッッッッ!!!!!」

 ノイズに混じり、人とも獣とも判別できない雄叫びが耳に入ると同時に、タバサの視界は真っ暗になった。

 

 

 タバサが次に見た光景も、また自分が見た事が無いものだった。夜なのか、空は真っ暗だったが妙に明るい。良く見ると、ランプを数十個集めても足りないほどの明るい光を放つ物体が何個も配列されている。周囲に立ち並ぶ建築物も驚くほど大きかった。規律正しい造りをしているが無機質なものだったが、中からの室内灯の光が明るく、それを和らげていた。街路灯と高層ビルを茫然と見つめていたタバサに、さらなる驚きを呼び起こす物が目に飛び込んできた。目の前を馬の無い馬車がとてつもないスピードで走ってきたのだ。それがとても大きくて広い街道を何台も行ったり来たりしている。

 どれもこれも、とても魔法が使われているとは思い難く、これが勾導の言っていた『科学』の力によるものかとタバサは無理矢理に状況理解させた。

 その時、高い位置から怒号の様な物が聞こえた。タバサが見上げると、そこには歩道橋があった。最近設置されたものだろうか。塗装はまだ剥離しておらず、通常のものより人が通れる幅が広いものだった。

 タバサは気になって歩道橋の階段をいそいそと昇る。その時、ぽつぽつと大粒の雨が降り始めた。

 タバサが歩道橋の頂上に立った頃には雨も本降りになり、その水滴が着いた眼鏡越しで見たものは、三人の人物だった。

 一人はコートを着た初老の男だった。様々な経験を積んてきた事を物語るかのように顔には皺が深く刻まれ、その顔つきはごつかったが柔かさも感じ取れる。もしも教職に就いていたなら、きっといい教師になれただろう。だが、今はそんな事を言っている場合ではない。男は時折り苦痛に満ちた表情を浮かべ、歩道橋の柵に体を預けていた。タバサはその訳に気付く。男の着ているコートの背後は血で真っ赤に染まっており、今すぐ病院に行かなくてはならないほどの重傷だった。だが、男の眼光は生気を失っておらず、己の視線の真っ直ぐその先にいる二人目の男に向かって叫んだ。

「おまえは……、おまえは……、お前は罪をまた重ねるんかッッ!! 『亮司』ィィィッッッ!!」

 『亮司』と呼ばれた男は、こくん、と頷いた。いや、本当は頷いていなかったのかもしれない。年は二十半ばくらいなのだか、その顔つきはどこか幼さが残っており、一方で朴訥とした雰囲気を纏っていた。それは赤と白の派手なサマージャンバーを着て無精ひげをたくわえている部分を除けば、どこにでもいる青年であった。

 よく見ると、亮司の顔の至る所には青い痣が浮かんでいた。誰かに殴られたのだろうか。タバサがそう思案し亮司の足元を見る。そこには、うつ伏せに倒れた男がいた。学生服を着ており、顔は良く見えない。それが三人目だった。

 その男の腹部周辺からは、どす黒い血が流れ歩道橋の地面を赤く染めていた。一体どうして、とタバサが思った直後、頭に声が響いた。

『まさか、ハサミが二つもあったなんてよぉ……。ドジったぁ……』

 苦痛に耐え、必死に絞り出された声だった。

『やっとこさ真犯人を見つけたからボコって警察に突き出してやろうと思ったのに、ハサミで刺されて返り討ちに遭うなんて情けねぇ……。』

 その声を聞いたタバサは硬直してしまう。自分の知っている人間の声色だったからだ。意を決してタバサはおそるおそる目の前で伏せている男の顔を覗きこむ。予想が外れてほしい―。そう願いながら。

 しかし、無情にも予想は当たってしまった。血を流し瀕死の状態になっていた男は、やはり自分の使い魔―七瀬勾導だったのだ。

 亮司の右手には血の着いた大きなハサミがあり、それは街路灯に照らされ銀色に妖しく輝いていた。それで勾導を刺したのだろう。

「なんでだよ……。なんで俺の邪魔をするんだよ……。おとなしくしていればこんな目に遭わなかったのに……」

 亮司が力なく呟く。目には光が宿っておらず、それが偽りのない言葉だと感じられた。

 頭を二、三振ると歩道橋の下にある歩道に目をやる。そこにはある女性が傘も差さずこちらに向かって歩いてきていた。歳は亮司と同じくらいだろうか。世の男が皆振り返って見るほどの美しい顔立ちをしており、身に付けている高級ブランド製のドレスがそれをより際立たせていた。

「『雪穂』……」

 亮司が驚く。知り合いなのだろうか。その表情に嬉しさと同時に戸惑いが見え隠れしている。

 あの二人は他人には理解できない深い絆がある事をタバサは感じ取っていた。一方、自分の頭の中には勾導の苦悶に満ちた、しかし諦めない声が響く。

『動けよぉ……。少しの時間でいいからさぁ……。あの野郎をボコれる力を……。オレの『我』を、『自由』を貫き通すためにも……!!』

 立ち上がろうと指先に力を込めている勾導の姿をタバサは心配そうに見つめる。出来る事なら『治癒』の魔法をかけてあげたい。だが、これは勾導の『過去』だ。自分は傍観者にすぎない。

『……使えばいいじゃん、……を』

『ふざけんなっ! あれは……だ!』

 突然、彼の心の声に別のノイズ混じりの声が混じりはじめ、勾導はそれと言い争いをはじめた。何度か言い合った後、勾導は決意する。

『……わかったよ。後の事はもう知らねぇ。真犯人(あいつ)生き死に(・・・・)も考慮しねぇ。……なんもかんも知ったこっちゃねぇ』

 そう思いながら必死に学ランの裏ポケットをまさぐる。取り出したのは一つのカプセル薬だった。

『オレはオレである為に『オレを呼び込む』ッッッ!!!』

 それを一気に飲み込んだ直後、タバサの視界に再び砂嵐が走りだした。

 タバサは必死に目を細めて砂嵐越しの風景を見る。すると、断片で途切れ途切れだが見る事が出来た。

 なんと、あれほど苦しんでいた勾導が立ち上がっていた。表情は砂嵐で隠れて見えなかったが、対峙する亮司の表情は確認できた。

 信じられないものを見た驚きに満ちたものだったが、次第にその顔は怯えと恐怖、絶望に歪み切ったものに変わっていく。

 さらに、タバサは先ほど見た幼い勾導の夢の終わりと同じ空気になった事を感じた。『死人が出てもおかしくない』危険で殺意に満ちたものに。

 完全に視界が砂嵐に覆われたその時だった。

「―――――――ッッッッッッ!!!!!」

 耳ざわりなノイズを切り裂くような獣の産声の様な雄叫びがタバサの耳に突き刺さる。やがて世界が黒く染まっていくと、今まで何かに縛られていたタバサの意識は次第に自由になっていった。

 

 

 タバサは、ばね細工のように上半身をベッドからはね起こした。それから自分を落ち着かせる意味も込めて二、三深呼吸する。落ち着きを取り戻すと周囲を見渡した。そこは見慣れた寮の自室だった。外はまだ夜らしく、さらに雨が降っているのだろうか、雨粒が窓ガラスを叩いていた。

 タバサは青いネグリジェ越しに胸を押さえ、今まで見た情景を整理する。

「夢……?」

 そう呟くと、椅子に掛けられた学ランが目に入り、反射的に部屋にあるソファへと目を向ける。そこには勾導が寝転がっていた。

「コウドウ……?」

 タバサが声をかけるが、毛布を顔まで覆った勾導は微動だにしなかった。

 時間も時間なので、完全な睡眠状態なのだろうとタバサは思い自分も再び布団を被る。もともと寝付きのいい彼女は、ほんの数分で眠りに落ちていく。

 

「……思い出したくもねェ事を夢でみちまった」

 

 静寂に満ちた室内に小さく零れた言葉を、彼女は聞く事は出来なかった。

 

 




 間話で短いながらも、今回は速く更新出来ました。え~と、相当好き勝手に書きました(いつも通りだろと言わない)。
 次回も早めに更新出来たらな、と思いながら続き書いているので、気長にお待ちいただけたら幸いです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。