Snow wind & Temerity heart VS The world   作:Phidias

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 正直ダイジェスト風味です


27:男児當自強

 

「870、871……」

 肉の塊が呻いている。

 それが一定のペースを保ちながら律動を繰り返す。

「888、889……」

 ここは魔法学院近郊にある森の中。暖かい陽光が差し込み、小鳥のさえずりが響く中、肉の塊いや七瀬勾導は自身の体を鍛えていた。ボクサーブリーフのみを纏ったその体は高い熱を放っているため外気との温度差から蒸気のような湯気が立ち昇り、流れ落ちた大量の汗は大地に吸い込まれていく。

 彼が今行っているのは、ライオンプッシュアップと呼ばれる独特の腕立て伏せ。両手を地面につけている所は通常の腕立て伏せと同様だが、腰を高く上げ開脚している。そのうえで顔を地面すれすれになるまで腕を曲げると、楕円を描くように体を元に戻す。このトレーニングは大胸筋や上腕二頭筋をはじめ、腹筋や広背筋といった全身の大きな筋肉にかかる負荷が見た目以上にとんでもなく、常人なら連続20回出来れば上出来なほどだ。

 それを勾導は休みなく続けた結果、いよいよ900回を数えた。

「901、902……」

 周囲に響き渡るくらい大声で数を叫びながら勾導はそれを行う。表情は苦悶に満ち、それでも確実に数を重ねる。大声で叫びながらやる事で負担はさらに大きくなり、且つ精神的に追い詰められるような感覚に陥ってしまう。

 だが、勾導は止めない。なぜなら、そのやり方しか知らないから。むしろ、そう叩き込まれたからだ。

『練習中はもちろん、日常でも常に大声を出せ』

 それが国内最大のメジャープロレス団体『新世界プロレス』の道場に期間限定入門した折、所属のプロレスラー達に言われた事だった。

 最初はその練習についていけなかった。そもそも、日本のプロレス団体の新人練習は基本的に『心をへし折って辞めさせる』ものだ。そのため、各種スクワットをそれぞれ1000回を3セット、はたまた先のライオンプッシュアップを道場長兼寮長の「止め」の声がかかるまで延々とやり続けるといったものが一例としてある。

 勾導も最初の一週間は練習についていけなかった。力尽き、自分の流した汗の水溜りに何度も沈むと、その度に怒号が鳴り響き、無理矢理意識を覚醒させると油の抜けた機械の様な固い動きで続きを再開させた。

 基礎練習が終わるとすぐさまスパーリングに入る。スパーリングと言っても、その内容は延々と先輩レスラーに極められるだけ。早い話『かわいがり』というヤツだ。

 抵抗しようにも、先の基礎練習で体力が尽きた状態だから何もできない。第一、新セカのレスラーの大半はレスリングの経験者、それも全国入賞クラスばかりだ。とりわけ、毎回勾導をかわいがった寮長は国内学生選手権(インカレ)のグレコローマン・フリースタイル両部門を制覇した猛者だった。掴まれた瞬間、すぐさま倒されると極められ、その度に勾導は悲鳴をあげた。だが、勾導もやられっぱなしではない。ある時、最後の力を振り絞り柔術技のオモプラッタを仕掛けた。地元在住の柔術家に教わったものだ。一度は相手を驚かせタップさせる事が出来た。が、付け焼刃の技が通用するのは一度きりだ。次のスパーでは通用せず、きっちり3倍返しされた。

 練習が厳しいのは分かっていた。正直なところ毛が生えたレベルでしかない自分のグラウンド技術が通用するわけがない事も分かっていた。そればかりか、練習以外の雑務も大変だという事も知っていた。だから、ショックは不思議と大きくない。

 だが、そんな勾導が不安になった事があった。

 それは、ほんの数日で体重が5キロ以上も減っていた事だ。そもそも、あんなオーバーワークを毎日やっていれば、肉体の超回復は追いつくわけがない。体は有無を言わさず萎んでいくのが必然だ。

 この時の勾導のウェイトは約74キロ。それがほんの数日で70キロを割ったという事実には、さすがの勾導も凹んだ。『こうも簡単に肉が落ちるようでは自分はプロレスラーにはなれないのかもしれない』と思った。

 

 そんな心が折れそうになった勾導を救ったものが二つあった。

 

 一つは、昭和の名レスラーにして一般人の持つプロレス道場の過酷なイメージを作り上げ、周囲のレスラーから『鬼軍曹』と恐れられた男『若元一徹』の存在だ。

 引退して20年以上経ち齢60を越えたというのに、道場にふらっと現れては新弟子たちの隣で同じような練習メニューをこなす姿を見て勾導は『年寄りがやれてんのに、オレに出来ない訳が無い』と奮起し、体を必死に動かし練習についていった。

 ある日、風呂場で二人きりになった際、「なにか困ったことはないか?」と聞かれたので思わず勾導は先の弱音を吐露した。次の瞬間、

「バカヤロー!!」

 いきなり怒鳴られた。予想外の展開に勾導は間の抜けた面を作ってしまう。さらに一徹から飛び出した言葉は、

「体なんて必死に練習した後メシをいっぱい食えば勝手にデカくなるんだよ!! そんな事でウジウジ悩むな!!」

 そう言って一徹は茫然とする勾導の上腕を掴む。そして、にやっと笑った。

「おいおい、ちゃんと芯肉が付いてるじゃないか。お前、高校生だろ? その年でしっかりした肉が付いてるなら、早い段階で体がデカくなるぞ。だから、だからこそ全力でメシを食って栄養補給したら必死に練習しろ!!」

 そう言うと全裸にタオル一枚の一徹は脱衣場に向かった。扉を開けた時、何かを思い出したのかように再び勾導に声をかけた。

「ひとつ聞き忘れてた。……お前、プロレスラーに一番必要なものは何か分かるか?」

 その問いかけに勾導は迷った。卓越した技術、客を引き付けるパフォーマンス……。いろいろと思いつくが、どれが正解なのか自信が持てない。

 とりあえず、場を途切れさせないよう声を出そうとしたその時、一徹が「答えなくていいよ」と言いたげに手を出してそれを止めると口を開いた。

「……『強い』事だよ。最近の若いヤツらやインディー連中は何を勘違いしているのか『プロレスが上手い』事が一番だと思ってるようだがな。……強ければ、キツいシゴきにも耐えられ『かわいがり』も逆にやり返す事が出来るし、逆境も乗り越えられる。自然と訳の分からん理不尽な物言いもされなくなる。そしてなにより……」

 一徹は一度話を止める。そしてニヤリと笑うと、

「客が『強いヤツ』見たさに会場に来てくれるんだよ。最近はいろんなプロレスがあるが、団体の大小問わずメインイベントは純粋な『強いヤツ比べ』を見せているだろ。……なんだかんだ言っても、客は『強いヤツ』を見たくて会場に来てくれるんだよ。だから半端な奴はいつまでたってもメインイベントに立てやしないんだよ。……だからこそ、坊主」

 勾導は一徹の目をじっと見る。目が反らせなかった。その瞳は老人とは思えないほど爛爛とした炎の様に滾っていた。

 

「強くなれ。肉体はもちろんだが、心も強くなれ。そうすれば、お前は客を呼べるプロレスラーになれるし、男としても何倍も輝けるぞ!!」

 

 一徹の言葉に勾導は心に蔓延っていた弱い部分は消え、鉛のように重かった身体が自由に解き放たれたような思いに満ちた。

 

 「はい!!」

 

 勾導は笑顔で応えた。

 それから新学期が始まるまで勾導は徹底的に体をいじめ抜き、ちゃんこ鍋とどんぶり飯を周りが呆れかえるくらい大量に喰いまくった。その結果、帰宅三日前には基礎練習になんとかついていけるようになり、スパーリングでも最終的に極められるがある程度粘れるようになったため、勾導は大きな自信がついた。

 

 もう一つ、勾導を奮起させたものがあった。

 それは、勾導が限定入門した時、ほぼ同時期に正規のテストに合格して入門した5人の練習生達の存在だった。

 

 皆、一癖も二癖もありそうなヤツらばかりだった。

 

 まず一人目は、東北出身で男前な面をした青年。高校時代はサッカーを、大学でアマレスをしていたため、フィジカル面の基礎はしっかりしたものを持っており、基礎練習には最初からついていけていた。また、ドロップキックの空中姿勢がとても美しく、こっそり勾導もそれを参考にした。

 理詰めで物を思考し、真面目そうな一方ではっちゃけた部分を持っており勾導も一緒になって悪乗りに付きあった。

 

 二人目は、格闘技の猛者ぞろいで有名な国士舘大出身の青年。無骨でごつごつとした第一印象を他者に与えているが実際は物凄い天然ボケの持ち主で勾導も何度か振り回された為、自分の方が年下なのに素で突っ込みを入れたこともあった。実は大学卒業後に一度新セカに入団したが怪我をした為退団してしまったが、先に入団しデビューしていた親友や周囲のバックアップを受けて再入団を果たした不屈の精神力の持ち主であった。経験者だけあって、基礎練習とスパーリングはそつなくこなしており、デビューまで秒読みの段階だと勾導は感じていた。

 

 そして三人目は、これらの練習生の中で一番異彩を放っていた。

 東京青山にあるいいとこ育ちばかりが通う大学のレスリング部の部長をしながら並行してアート活動をしていたという風変わりな青年だった。188センチと長身で、見る人によっては男前とも不細工とも極端に捉えられる面を持ち、そのくせカリスマ性と言うべきなのか、他者を引き付ける不思議な空気を纏っていた。

 合宿所で相部屋だったという事もあったが、不思議と勾導は彼と馬が合った。お互い重度のプロレスオタク且つ特撮オタク(特に円谷関係)だという事もあり、消灯時間を過ぎてもそれらの話題を続けたため寮長にどやされる事が何度もあった。

 また、互いに柔術経験があった為、スパーリングではそれらの技術を競い合った。有利なポジションの奪い合い、手足・首の極めあい、闘えば闘うほど互いの技術が洗練されていくのを実感していた。

 ある日、道場に新セカの現場及びフロントの上層部がやってきた。そして、彼の動きをひとしきり見た後道場を出ていく。勾導はこの時、所属レスラーの雑用をやっていたので道場の中にいなかった為、偶然にも上層部の会話を聞いてしまった。それは、

『あいつはVT(ヴァーリ・トゥード)要員に回せ。その上でプロレスの方でも『格』をつける』

というものだった。

 (VTの事をわからない読者に説明すると、これはポルトガル語で『なんでもあり』という意味で、『MMA(ミクスド・マーシャル・アーツ)』という言葉が一般化されてなかった90年代からゼロ年代前半までの総合格闘技の事を主に指す)

 この決断が後の新世界プロレスに大きな影響と波紋を与える事になるのだが、この時の勾導には、どういう事なのか理解できていなかった。 ……そもそも、この物語には一切関係ないし。今の所は。

 

 他にも、国士舘のアマレス部を大学4年になって入部するという恐れ知らずというか馬鹿というか、とにかく強心臓の持ち主の青年や、元プロのバレーボール選手という異色の経歴を持った身長190オーバーの青年がいたが、勾導は彼らとあまり関わる事がなかった。

 

 練習生は基本的に一蓮托生で、一人ミスしたら連帯責任で全員罰が待っている。『なんで俺も……』そんな感情は勿論あっただろうが、『同じように苦労した仲だからこそ一緒にデビューしたい』という気持ちもきっとある。だからこそ彼ら同期は互いを支えあう。

 一方、勾導はある種特異の異分子だ。自分はあくまでも『限定入門』。おまけにコネで入ったようなものだ。春休みが終わったら自分だけ学校生活という娑婆に戻ってしまう。きっと、自分が学校を卒業して正規入門出来た頃には、皆デビューしているだろう。そう常に思っていた。

 だからこそ、『彼らに負けたくない』『あいつ等以上に自分が出来るんだ』という気持ちが常に湧き上がった事で勾導から弱い感情を消し、必死になってついていった。

 そんな勾導の姿を、練習生達も声には決して出さなかったが認めていた。自分達と同じ『同期の仲間』として。

 

 

 そんなこんなで春休み2週間の道場生活を終えて帰郷した勾導だったが、実家に帰っても教えられたトレーニングを毎日続けた。高校生生活との折り合いもあるので1日で全てはできなかったが、ライオンプッシュアップとスクワットは毎日続けた。なにしろプッシュアップに関しては帰郷前、一徹から課題を与えられていたのだ。それは、『親指一本のみ立てた状態でライオンを千回できるようになれ』というものだった。

『できるわけねーよ』と思ったが、それだけ一徹が自分を認めてくれているとプラス思考し、必死に出来るように練習した。

 また、フィジカルと身体能力を上げる為にこの頃(2002年)はまだ無名だったパルクールを『クラブ活動』だと言って学校内ではじめた。

 

 勿論、格闘技術の向上も忘れてはいない。そこで勾導はある場所を利用した。

 勾導が住んでいる街の外れにある港湾倉庫街の一角に格闘技専門のフリースタジオといえば聞こえがいいが、只のプレハブ倉庫があり、立ち技・寝技問わず様々な格闘技の使い手がプロアマ問わずそこを利用していた。勾導も高校に入った頃からそこに顔を出しており、顔なじみの格闘家が多くいて様々なアドバイスを受けつつ、実戦形式のスパーリングを気が遠くなるほど行っていた。

 目的と指標が見えた勾導は、そこで改めて徹底的に技術の向上を図る。課題のグラウンドは勿論だが、それ以上に立ち技を磨いた。自分の得意技である右肘を活かす為だ。また、肘を効果的に使う為に蹴りも鍛えた。その過程でハイキックやバックスピンキックといった『頭を蹴り飛ばす』技を実戦で使えるレベルまで昇華させたため、不意打ちでそれを叩き込んで駄目押しに肘をぶちかますというコンビネーションが出来上がった。勿論、これはハルケギニアに来てからも任務でのイザコザでよく使っている。

 

 食事の量も増えた。過剰なトレーニングを繰り返した結果、枯渇した体内の栄養を補給する為に勾導は飯を大量に喰らった。最低でも一日四食摂り、学校の休憩時間には高カロリーのピーナッツバターをこっそり舐める事もあった。

 そんな日々を過ごした結果、勾導の肉体は短期間で80キロまで増大した。無論、肥満体形ではない。大量に喰らった結果、過分に太った事もあったが、過酷な修練で無駄な肉と脂肪を一気に削ぎ落し、必要な筋肉を維持し且つ増大させたのだ。

 

「948、949……」

 未だに勾導のライオンは終わらない。さすがに苦しくなったのか、両腕が震えており顔を赤く紅潮させている。その指先は親指のみを立てた状態だった。そう、勾導はこのライオンスクワットを親指一本立ちの状態で行っていたのだ。

 深呼吸を一度行うと、勾導は半ば言う事を聞かなくなった体を再び動かした。

 

 色々と事件やトラブルに巻き込まれたり、『世界高校生地獄エクストリーム選手権』みたいなイベントに参加したりしていると、あっという間に高校生活最後の一学期は修了した。そして始まった夏休み、勾導は世界的に名の知れたプロレスラー『超帝スーパーカイザー』の呼び掛けに応じ、再び新セカの道場の扉を潜った。

 『世界高校生~』での活躍をテレビで観ていたのか、団体のレスラー達は勾導を春休みの時よりも好意的に受け入れてくれ、その中には若本一徹や練習生達もいた。

 一徹は、初対面の時より10キロ以上もビルドアップされた勾導の体を見ると、

「勾導、怠けずにがんばってるじゃないか。そのまま続けたら体だけで銭が取れるようになれるぞ」

 そう言って、にっこりと微笑んだ。

 その言葉を聞いて勾導は心の底から嬉しくなった。

 あれだけ辛かった基礎練習はもちろんの事、スパーリングにも楽についていけるようになっていた。レスリングの技術はもちろんの事、時折り柔術の技術を披露し、さらには自分で編み出した関節技も出した。どんな対戦相手でもそれなりの勝率をキープできるようになった。あれだけ極められまくっていた寮長とやっても、十度やって一度は勝てるまでになれた。

 

 訓練や雑用の他に、新たに命じられた事があった。それは、都内限定だが興行に帯同しセコンド業務に従事する事だった。

 選手入場時、観客から選手を守りながらリングへ誘導し、試合中はリングサイドで試合の展開方法を勉強し、試合後はダメージを負った選手を介抱するなど覚える事は山ほどあったが、全く苦ではなかった。

 8月は両国国技館が会場の大きな興行があり、そのためモチベーションが高まっていたのだ。大会場で行われるビックマッチを間近で見て勾導は『いつかオレも……』と思うのは自然な事だった。

 

 また、セコンド帯同で嬉しい事が一つあった。それは、英語とスペイン語がある程度喋る事が出来る所に目を付けられ、夏シリーズに参戦している外国人選手達の通訳など世話役の補助をする事になったのだ。その中にはアメリカ留学中にプロレスをやっていた時、世話になったレスラーが二人いた。

 一人は、ルチャの基礎ワークと学プロムーブしか知らなかった自分に、本当の意味でのプロレスの基礎と技術を教えてくれた『堕天使』クリストフ・ダニーズ。

 そしてもう1人は色々と親身になって接してくれ、勾導自身も兄の様に慕った若手レスラー『ブリティッシュ・アステカ』ブランドン・デニエル。

 その二人に介してもらったこともあり、その他の参戦外人レスラー達にも技術面や鍛え方など色々と教えてもらった。

 

 夏休みはあっという間に終わり、勾導は再び地元に帰る事になった。その際次回の入門テストの日程を教えられたが、『異世界に召喚される』という非日常な状況に陥った今となっては、それは無意味なものとなった。無事に地球に帰る事が出来るのかも分からない。

 だが、それでも勾導は体を鍛える事を止めない。今の自分に出来る事はそれしかないから。考える時間があるなら、体を鍛える事に集中したいから。だから黙々と体に負荷をかけて追い込む。

 このハルケギニアに来てから、トレーニングの量も増やした。『任務』という命にかかわる事態が頭にあったからだ。

 『死にたくない、だったらどうする?』と自問する。

 答えは簡単だった。

 『強くなるしかない』

 そう心に刻み、鍛錬を重ねる。『世界』という大きな流れに対するささやかな抵抗かもしれない。無駄に終わるかもしれない。それでも、勾導には体を動かすしかなかった。

「……999、1000ッッ!!」

 絞り出す様に一本指ライオンプッシュアップを終えた勾導は次の瞬間、糸が切れた人形のように伏せる。このライオンをもって本日の基礎練習が終わりを告げた。

 

 汗に塗れた体を木漏れ日が照らす中、バッサバッサと大きな羽音が聞こえてきた。シルフィードだ。

「お兄さま、見つけたのね~」

 そう言うシルフィードの周りに風が渦巻き、次の瞬間そこには青い髪をした裸の女性が現れた。精霊の力を借りて変化したのだ。

「何をしているのね? また鍛錬?」

 シルフィードの問いかけに勾導はうつ伏せのまま頷いた。ライオンプッシュアップ1000回だけでなく、各種スクワットをはじめとしたトレーニングをやったのだ。無論、とんでもない回数をこなした。

 そのため勾導は1ミリも動きたくなかった。このまま、体に触れる地面の冷たさで涼をとりたかったが、そんな事はどうでもいいシルフィードは構って欲しいため勾導の体を揺すった。

「ここ最近、ずうっと鍛錬してばっかりなのね! そんな事してもすぐに強くなれないのね! だから、シルフィと遊んでなのね!」

 さらに強く揺するが勾導の反応は薄い。それを見たシルフィードは小さく唸ると勾導を手放す。

「いいもん、もういいもん。体を鍛える事しか興味のないムキムキなんか知らないのね! 筋肉お化けになって動けなくなっちゃえなのね!」

 そんな捨て台詞を吐いて勾導から離れると、ある物が彼女の視線に入った。それは、木の下に畳んで置いてあった勾導の服だ。

(そうだ、いたずらしてやるのね!)

 にんまりと笑うとシルフィードは服に近付く。土塗れに汚してやろうと上着を手にした時、ポロっと何かが上着のポケットから零れ落ちた。それは、煙草の箱ほどの大きさをした銀色のケースだった。

「なんなのね、これ? もしかして甘いお菓子が入ってるのね!?」

 うきうきとそれを手にしようとしたその時―。

「触るなッッ!!」

 倒れ込んでいた勾導が大声で怒鳴った。その怒声にシルフィードはビクリと驚く。

 鉛のように重い体を無理矢理起こして立ち上がった勾導は、呆然とするシルフィードが手にしたケースを取り上げると汗まみれなのに服を着込みだす。

「びっくりしたのね……。なんなのね、これ……」

「……なんでもねぇよ。ただの常備薬だ」

 学生服を着ると、勾導は話を逸らす様に妹分に声をかけた。

「びっくりさせて悪かったなシルフィ。もう昼だから飯食いに行くか。マルトーのおっちゃんに良い部位の肉を貰えないか頼んでやるからさ」

「ほんとうに!? だったら急いで行くのね! お兄さま早く乗るのね!」

 元の姿に戻り、そう()かすシルフィードの頭の中にはもう先ほどのケースの事は無かった。

 そんな妹分をよそに勾導は飛行中、気にするように胸ポケットを何度も目をやっていた。

 

 

「きゅい~、今回もビシッと任務を成功させたのねっ!」

 シルフィードが大空を泳ぐように飛行しながら、嬉しそうに声を上げた。その背には、いつものように読書をするタバサと音楽を聞く勾導がいる。

 今回達成した任務の内容は『家に引きこもる貴族の子弟を学校に通わせる』という、とても暗部に回ってくるとは思えない内容の物。そんなしょうもない頼みごとが回ってくる事から、『なんでも屋かよ』と勾導は思う。

 結果から言うと、いろいろなアクシデントがあったものの任務は成功。現在、プチ・トロワにその報告を終えトリステインへの帰路を進んでいるところである。

「本当、お姉さまは頭がいいのね! 最初は『このちびすけ、頭がおかしくなったのね』と思っちゃったけど、ちゃんと計画があったのね!」

 そう喚くシルフィードに勾導が続ける。

「正直、あのメイドの姉ちゃんに危害が出た瞬間、思わず場に飛び出そうとしたが……。あんなマジックアイテムがあるなら先に言ってくれよ。なんだっけアレ、『ス』、『ス』……」

「『スキルニル』」

「そう、それ! まるでパーマンに出てくるコピーロボットだったぜ、アレは」

 そう言って勾導は『きてよパーマン』を口ずさむ。

 今回の任務、勾導は主だった事は何もしなかった。その理由は、事前にタバサから『今回は私に任せてほしい』と言われた事もあったが、それ以上に依頼にあった『学校に通わせる子弟』―オリヴァン少年の事が気に入らなかったからだ。

 

 オリヴァンが学校に通わなくなった理由は明快で、早い話『学校でいじめられたから』だった。大貴族の子弟の同級生に『組み手』という名目の暴力を教師のいる前でも受けていた。

 さすがに勾導も不憫に思い『簡単な護身術と急所への攻撃方法くらい教えてやろうかな』と思案したが、この時オリヴァンの発した言葉がその気持ちを霧散させた。

 

「ほんとだったらあんなやつら、ぼくが本気を出せば一発なんだ」

「あいつらの家はぼくの家より格上だから手出ししたらいけないんだ」

 

(なにいってんだ、このクソガキ。『負ける勇気』もないヤツが偉そうに)

 そう思いつつも任務の手前、いろいろと我慢した。そうとも知らないオリヴァンは、タバサがトライアングルメイジだと知ると、彼女に家宝である『不可視のマント』を被せ、自分の代わりに魔法を唱えさせる事でいじめっ子をはじめ学校の関係者に『自分が凄腕のメイジ』だと思い込ませたのだ。

 命令を聞いていたタバサも思うところがあったのか、「自分に嘘ついて楽しい?」と聞くが、オリヴァンは逆切れと自己肯定で無理矢理誤魔化す。

「今は雌伏の時だ、でもいつか『イーヴァルディの勇者』みたいに力に目覚めるんだ!」と。

 その情けない姿に、遂に勾導の我慢が限界を超えた。

「……黙って聞いてりゃ、『いつか』、『いつか』ばかりだな。あぁ!!」

 そう言った直後、オリヴァンに強烈なヘッドバッドをかました。頭の中に星が飛び交う少年の様子に構わず、襟を掴むとドスの聞いた声を放つ。

「……テメェ、自分を鍛えたり魔法の努力をしたか? してねぇからそのだらけ切った図体なんだろうが。……テメェ、あいつ等に勝ち負け抜きに喧嘩仕掛けたか? してねぇばかりか、くだらねぇ開き直りでそれを飲み込んだだけだろうが……。『負けてもいい、あいつ等に自分の怖さを刻みつけてやる』って気概もないヤツが『勇者』に、『ヒーロー』になんかなれるわきゃねぇだろうがッッッ!!!」

 そう叫ぶと用済みとばかりにオリヴァンを投げ捨て、タバサに『いち抜けた』と言いこの場から去った。

 勾導がオリヴァンを気に入らなかった理由、それは『自分から動かず、待ってばかり』だという事に尽きる。さらに、己が尊厳にかかわる事態になっても動かない、そればかりか抗う事を諦めて受け入れ、逃げ場所にずっと籠りながら『いつか大人物になれる』と思い込む姿に怒りが倍増した。

 

 勾導も弱かった。餓鬼の頃は喧嘩に負けてばかりだった。複数に袋叩きにされた事もある。だが、オリヴァンと違ったのは、『次は負けない』為に努力した事だった。なんでもやった。泣きながら相手の頭に噛みついた事もあった。『負ける』と分かってても複数に挑み、ボコボコになりながらも、その内の一人をボコボコにして大泣きさせた事もあった。

 その負けの経験と『逃げずに挑む』姿勢の積み重ねが今の勾導を形成している。無論、勾導自身にそれなりに『素質』なり『才能』というものがあったのは間違いないだろう。だが、彼は体格に恵まれておらず、容易に育つ筋肉を持ち合わせていない。

 何度も言うが、勾導は己の限界を超える為に鍛えた。涙を流しながら大泣きした屈辱を晴らす為に鍛えた。昨日の自分より強くなる為に、昨日の自分より輝く為に鍛えた。

 そうやって努力し己の殻を何度も破って成長してきた勾導からしてみると、オリヴァンの言葉は『努力すらしない甘ったれたクソガキの戯言』に過ぎなかったのだ。

 

 翌日の放課後、事件が起きた。件のいじめっ子連中がオリヴァンに決闘を挑んできた、とシルフィード念話で伝えたのだ。勾導は『どうせタバサが手助けするのだろう』と思いどうでもよく感じたが、シルフィード曰く『タバサは手伝わない』らしい。それを聞いた勾導は変な胸騒ぎを覚え、決闘の場所であるサン・フォーリアン寺院に急いで向かった。

 寺院に着いた時には既に始まっており、オリヴァンがボコボコにされているところだった。そこには見覚えのない男がいた。どうやらいじめっ子側が用意した代理人の傭兵メイジのようだ。

 さすがにこれはマズい、と思ったその時、新たな乱入者が現れた。オリヴァン付きのメイドの少女アネットだ。彼女は傭兵メイジに止める様腕に捕まるが、男は小虫を払うように彼女に向かって魔法を放った。それを喰らった彼女は二、三オリヴァンに言葉を残すと二度と動かなくなった。

 『あの時飛びださなかった自分のミスだ』そう悔み、彼女の仇打ちのつもりで飛び出そうとしたその時だった。オリヴァンが絶叫しながら傭兵に挑んだのだ。勿論、プロに勝てるわけが無い。ボロ雑巾よりひどい状態にされるが、それでも立ち上がり歩を進めた。

 傭兵メイジが「とどめを刺せ」という主の命を実行しようとしたその時、新たな乱入者が場に躍り出た。

 タバサだ。

 そこからタバサと傭兵メイジ―セレスタンの決闘がはじまった。セレスタンも元北花壇騎士だったらしく、その闘いは『勝つ事』に特化したものだった。しかし、それでもタバサの相手ではなかった。氷嵐を身に纏い一気にゼロ距離に入ると、エア・ハンマーを顎に叩き込み,それを砕いた。まだ終わりではない。その勢いのまま飛びつき鼻先に杖でとどめの一撃を入れたのだ。そのコンビネーションに勾導は目を見張る。なぜなら、それは勾導が初案を考え、彼女が手直しした『対メイジ用接近連続技』だったからだ。

『最初の初撃で顎を破壊する事で魔法を使用不可能にさせ、その無防備の状態にとどめの一撃を入れる』というコンセプトのそれを洗練させて実戦使用したタバサの戦闘センスの凄まじさに勾導は改めて感嘆した。

 そんなこんなで決闘は終わり、怯えながら後ずさっているいじめっ子たちにタバサは「これで手打ち」と言うと、彼らはほうほうの体で逃げだ……せなかった。

 

「オレ、いろいろあってテメェらにムカついてんだ。確かテメェら、『組み手』が大好きだったよなぁ? どうかこのオレと『組み手』してくれないか?」

 

 振り向いたそこには、見覚えのない若い平民が凶暴な笑みを浮かべながら自分達に向かってきたのだ。

 『オリヴァンの仲間か? しかし、ただの平民みたいだから勝てる』、いじめっ子は皆そう思い平民に杖を向けたが―。

 

 彼らはあっけなく平民―七瀬勾導のストレス発散の道具にされた。

 寺院には彼らの悲鳴が響き渡り、それを呆れた様子で見ているタバサのため息が静かに零れ落ちた。

 

 あっさりいじめっ子達をボコボコにし終えた勾導は、アネットの元に向かう。タバサもおり、彼女がルーンを呟くとアネットの体は縮み、小さな人形になったのだ。

 勾導が驚いている最中、後ろから新たな人物が現れた。それは、今さっきまでいたアネットだったのだ。勾導の中に驚きがさらに増し、パニック寸前になりかけたその時、タバサが簡単な説明をしてくれた。先ほどまでアネットの姿をしていた人形の名前は『スキルニル』といい、血を与えるとその血の人物と瓜二つの存在になるのだそうだ。すべて彼女の作戦だったのだ。

 本物のアネットはタバサ達に何度も頭をさげて深く礼を言う中、タバサは口笛を吹きシルフィードを呼ぶ。任務は達成できたようなので、王宮に報告に向かうようだ。

 シルフィードに乗る前、勾導はいまだに気絶しているオリヴァンを見る。一瞬、優しい笑みを浮かべるとアネットと二、三会話を交わし、それを終えるとシルフィードに騎乗した。

 

 

 任務報告のため、プチ・トロワに向う最中。シルフィードは何かを思い出したかのように、勾導に尋ねてきた。

「ところでお兄さま。あの時、メイドのお姉さんに何を言ったのね?」

「別に。また今後もあのクソガキに色々と迷惑かけられそうだから労っただけだよ」

「へぇ、お兄さま優しいのね! きゅい!」

 シルフィードがそう納得する中、タバサは小さな声で

「嘘つき」

 と呟いた。風メイジである彼女は耳が良く、あの時勾導が何を言っていたのかしっかり聞く事ができたのだ。

 

 

 夜、屋敷に戻ったオリヴァンはベッドに横たわりながら天井を見上げていた。顔の腫れは幾分か引いたが、代わりに青痣がより目立っている。当然痛みはあるが、そんな事はどうでもよかった。

 今、彼の胸の中には二つの思いで満ちていた。一つは『悔しさ』。決闘で何も出来なかった自分への嫌悪感もあったが、それ以上に『アネットを守れなかった事』が辛かった。彼女は『夢』だと言っていたが、きっと何かが現実に起きた事に違いなかった。

(なにも出来なかった……。なにが『ぼくが本気を出せば一発』だ……)

 そう考えると自然に涙が溢れてきた。惨めだった。だからこそ、自分を変える為に明日から学校へ通うと決めたのだ。この悔しさを晴らす為に。

 もう一つ。それは寺院からの帰り道、アネットに『ぼっちゃま宛てに伝言を頼まれました』と言われた。あの青い髪の花壇騎士からか―。そう思うと複雑な気持ちになったがどうやら違うらしい。あの黒髪の従者からだと聞いた時、彼にされた仕打ちを思い出し震える中、アネットは嬉しそうに伝言を伝えた。

 

「『強くなれ。体は当たり前だが、心も強くなれ』。だそうです」

 

 その言葉はオリヴァンの心を何度も叩いた。

 

「『強くなれ』、か……」

 ベッドの上で一人、オリヴァンは何度も繰り返す。それは、彼が睡魔に負けて眠るまで続いた。

 

 人は努力しても強くなるかどうかは分からない。弱いままで終わるかもしれないのだ。このオリヴァンだって同様だ。なにより、自ら望んでやっていた怠惰の『大きなツケ』をまず払わないといけないのだから。

 だが、そんな事は今はどうでもいい事だ。

 彼は『籠る』事を止め、『進む』事を選んだのだ。その選択を今は褒め讃えるべきだ。

 何も見えない暗闇に突然現れた灯火。それはこう叫ぶ。『強くなれ』と。

 少年はその灯火を胸にしまい、歩み出すだろう。

 一歩、一歩。例え歩みが遅くても、確実に、確かに。

 自分が憧れる『勇者』に近付く為に。

 

 

 

 





 あれ? オリヴァンとかさらっと流すつもりだったのに……。予定が狂った……。

 文中に出てきたプロレスラー及び練習生達は皆、モデルがいます。分かった方で『クスッ』と笑ってくれたらこちらも本望です。気が向いた方は、感想欄に答えを書いてみてください。
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