Snow wind & Temerity heart VS The world   作:Phidias

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29:スナオだからコワイ(後編)

 

「お、おいっ。頭がやられちまったぞ!」

「あ、あいつらっ、ガキのくせにメチャクチャ強いぞ!」

 周りに聞こえないよう、こそこそ会話をしていたのは意識を維持していた人買い達だった。彼らは、自分達の頭である野良メイジがやられたのを見て驚いたものの、瞬時に自分たちはこのあとどう動くべきかに意識を向けた。

 今、自分達は手を縛られている為武器が使えない。しかし、足は拘束されていないので動く事は出来る。そしてなにより、あのメイジのガキどもは自分達の長を拘束している為こちらに目を向けていない。

 彼らの中で答えが出た。

 彼らは、少しの躊躇いもなくこの場から逃亡しようと行動した。もう、頭や気絶したままの仲間の事など頭に無かった。

 だが―、それを阻むように彼らの眼前に黒い壁が現れた。高さは約二メイル半。こんもりとした太い丸太を幾本も組み合わせたようなごつい筋肉に覆われ、その右手には巨大な斧を手にしている。

 なんだと思った逃亡者たちは反射的にその壁を見上げ、驚愕した。

 その壁の頂点にあったのは、まぎれもなく雄牛の頭だったのだ。その目は血走り、突き出た口からは多量の涎が溢れていた。

 彼らの中の一人が、震える唇を無理矢理抑えつけ大声で叫んだ。

「ミノタウロスだあァァァァッッッ!!」

 その叫びに呼応するように、ミノタウロスが吼えた。

「グルォオオオウウウウウウウゥゥゥッッッッ!!!」

 その咆哮に勾導達も反応し、振り向いた先で繰り広げられていた光景に声を失った。ミノタウロスが左腕を振るった瞬間、男達の中の一人が吹き飛んだのだ。吹き飛ばされた運のないその男は、その先の木々に叩きつけられると、そのまま気絶した。

「ひっ、ひぃぃぃぃッ」

 その光景を間近で見た男達は死にもの狂いで逃げ出した。ミノタウロスは彼らを追いかけるわけでもなく、向きを変えると構えていた勾導達を見る。

「や、やばいのね! お姉さま達早く逃げるのね!」

 シルフィードはそう急かすが勾導達は逃げない。

「馬鹿野郎! あいつをこのまま放置したら、結局あの村が被害を被るんだぞ! タバサ、やるんだよな!?」

 勾導の問いかけにタバサも杖を構えたまま頷いた。

 一触即発。今にも激突必死だと思われていたが、意外な事が起きた。

「待ちなさい。わたしに敵意はない」

 突如、ミノタウロスがどこかぎこちなさげに語りかけてきた。そして、勾導達に近付くとブツブツと何かを呟きだした。

「イル・ウォータル……」

 すると、勾導の背後で動きがあった。ずっと伸びたままのメイジの潰れた喉があっという間に元に戻っていったのだ。そう、それは明らかに……、

「水の系統魔法……」

「系統魔法だと? あれって人間のメイジしか使えないんだろ!?」

 タバサが思わず零した呟きに勾導は呼応する。

 メイジの治療を終えたミノタウロスは、一呼吸つくと勾導達を見た。

「君達、いくらなんでもやり過ぎだ。このメイジ、喉を潰されたせいで気管が塞がっていたよ。このままの状態が続いていたら、間違いなく死んでいたぞ」

 どこか生徒に注意する教師のような物言いをするミノタウロスに、勾導はばつの悪い表情を浮かべる。下手をしたら自分は人殺しになっていた。そう考えると罪悪感が沸いた。

 一方、タバサはそんな事よりも別の事が気になっていたので、目の前のそれに尋ねた。

「あなたは本当にミノタウロスなの?」

 その問いかけにミノタウロスは首を横に振った。

「私は……、人間だ」

 

 

 自らを人間だと呼称するミノタウロスに促され、勾導達はある場所に連れて来られた。それは、最初にシルフィードを放置した洞窟だった。

「暗いなー。なんも見えねぇ」

 背中に気絶したままのメイジを背負った勾導が注意深く足元を確認しながらゆっくり歩を進める。外が真っ暗なのもあるが、それでも仮に昼間だとしても日中の光は届かないと思われるくらい闇に包まれた洞窟だった。

「おお、君達がこのまま歩くのはきついのを忘れていたよ。これを使いなさい」

 勾導の文句を聞いたミノタウロスは、隅に転がっていた松明をタバサに渡した。受け取った彼女は手早く『着火』の呪文を唱えて松明に火を灯す。

 柔らかい光に照らされた洞窟の中は思っていたよりも広く、至る所に鍾乳石が垂れ下がり、石英などの鉱石が輝いていた。それを見た勾導は『山口に旅行に行った時観光した秋芳洞みたいだ』と思った。

 ミノタウロスの先導の下歩いていると、鉱石の塊が幾つも固まって結晶化した物が転がっている場所が目に入ってきた。

「うわぁ、すごく綺麗なのね!」

 たまらず、シルフィードはそれに近付こうとした。その瞬間、

「近付くな!」

 突然ミノタウロスが大声で叫び、シルフィードは思わずびくりとなる。

「……驚かせてすまぬ、その辺りは地面が柔らかくてこけやすいんだ」

「わ、わかったのね」

「もう少しで『部屋』に着く。それまで気を張っていてくれ。怪我をしやすいから」

 その言葉通り、一分ほど歩くと松明が何本も掲げられた広い場所に出た。備え付けられた松明が照らすのは人が使うにはサイズが大き過ぎる机と椅子、鍋やかまど等の調理器具。さらには、幾つものガラス瓶、大量の秘薬が詰められた袋や瓶、各種秘薬生成用の植物の苗床が雑多に並べられていた。

「汚いが、どこに座っても構わないよ」

 ミノタウロスはそう言いながら椅子にどかりと座った。

「あなたは、一体……」

 冷たい地面にちょこんと座りこんだタバサはミノタウロスに尋ねた。

「わたしは、ラルカスという。元は……、いや今も貴族だと自負している」

 『ラルカス』、その名に勾導は反応した。

「どっかで聞いた名前だな、ラルカスって」

「ほう、あの時の貴族か。いやはや、姿というか種族が変わってしまったとはな」

 ふいに勾導の腕の辺りから声がした。インテリジェンスガントレットのマキシドゥームスだ。

「おお、懐かしいな、エズレ村のお婆さんの家にあったインテリジェンスアイテムではないか。今日はいろいろ驚きがあって面白い日だ」

 ラルカスがフゴフゴと笑いだす。そして、落ち着くと、なぜこの姿になったかの経緯を語りだした。

 十年前、村人たちに請われたラルカスは、洞窟に住み着いたミノタウロスを魔法で退治した後、その生命力に着目し、ある事を思いついた。

「わたしは……、己の身体を捨てる事を決意したのだ」

「なぜ? わざわざそんな事を……」

「わたしはこの時、不治の病に冒されていてね。余命を使い旅行に出ていた時、この身体に出会ったのだ。そこでわたしは……、ブリミル教で禁忌とされる脳移植を実行したのだ。この身体に生まれ変わる為にね」

「脳移植って……。ブラックジャック先生かよ……。アッチョンブリケ!」

両頬に手を当てながら驚く勾導をニヤリと笑いながらラルカスは続ける。

「この身体は素晴らしいぞ。常に生命力に満ち、魔法の面でも精神力が増大したようで、魔力が以前の数倍になったのだ。それからわたしは、この新しく強靭な身体の探究の行っているのだ。以前暮らしていた城だと常に政務に明け暮れていたが、ここならそんな世俗から解き放たれて己の思うままにやれる。素晴らしい事……」

 そこまで言いかけると、突然小さく呻き、頭を押さえた。

「どうしたのね?」

 シルフィードが心配してラルカスに近付こうとする。

「触るな!」

 突然怒鳴られた彼女は反射的に勾導の背後に隠れた。ラルカスは苦しそうに息を整えようとし、ある程度時間が経って落ち着きを取り戻すとシルフィードに詫びた。

「……すまなかった。最近、たまに重い頭痛がくるのだ」

「まさか、脳移植の後遺症かよ? 『拒絶反応』ってヤツか?」

 勾導が疑うように尋ねると、ラルカスは首を横に振った。

「いや、どうだろうな……。さぁ、わたしの話す事は終わりだ。あのメイジを連れて村に帰りなさい。……わかっているだろうが、わたしとここの事は誰にも言うなよ。わたしはここで静かに暮らしたいのだ」

 ラルカスは柔らかい口調でそう言ったが、牙を見せつけて威嚇するその姿は『警告』しているようだった。

 

 

 村に帰還した一行は村人たちの大歓声に迎えられた。その一方で彼らの憎悪の込められた視線と罵声を受け止めていたのは人買いのメイジと逃げ切れなかったその仲間たちだった。石や物を投げつけられたりもされている。

 そんな因果応報を受けている連中はさておき、その夜は村を挙げての宴となった。そうはいっても、もともと寂れた村であるため、出てくるものでご馳走といえるほどの食べ物はない。まあ、勾導達は別に期待をしてはいなかったので、どうでもいい事だったが。

 この中で一番のご馳走である鳥の丸焼きを食べつつ自家製の濁ったワインを飲む彼らに向かいエズレ村の村長は何度も深く頭を下げた。

「いやぁ、皆さまお見事でした。おかげで村にも平穏が訪れます。しかし、ミノタウロスではなくて、人攫いが犯人だったとは……」

「明日街に行って衛兵に突き出せば懸賞金が貰えるはずなので、それをもって皆さまへの報酬とさせて頂きます」

 ジジの父親がそう言うが、タバサは「いらない」と答える。だが、村人達も譲らなかった。なにからなにまで彼らに任せきりだったのが、心情的にきついようだ。

 このまま平行線で行きそうになったその時、

「だったら、私を報酬にすればよい」

 マキシドゥームスの放った言葉に村人たちは驚く。

「いや、それはいくらなんでも……。こんな喋ることしか能の無い手甲なんかを貴族さまに差し出すなんて……」

「こんなオンボロを差し上げるくらいなら、私どもの娘を差し上げます! 従者さまのお嫁にどうでしょうか!?」

 いきなり話が大事になり出したので、勾導は目を泳がせながら慌てた。思わず「馬鹿じゃねぇの。本末転倒じゃねーか」と言いだしそうになったが、その暴言を無理矢理抑えつつ言葉を選んだ。

「お嬢様をはじめ我々は、もともと武者修行の旅人です。そんな報酬を求めて依頼を受けたのではありません。どうしても、と仰るのでしたら、あの手甲をください。あれは実際に使ってみたら凄い役に立ったので」

 本当は無くてもたいして変わらなかったが、その言葉に村人たちは「この方々はなんと欲の少ないのだ」などと言いながら納得してくれた。

 そして勾導はインテリジェンスガントレット『マキシドゥームス』を装備しながら、改めて自己紹介した。

「名乗るのが遅くなったが、とりあえずオレは七瀬勾導だ。あー……、まっ、これからよろしくな。マキシ……」

「マキシドゥームスだ。言いづらいのならマキシでよい」

 と、勾導が小声で囁く。

「ぶっちゃけ、村から出たいからオレらをダシにしたんだろ?」

「肯定だ、小僧。お前と娘に付いていけば退屈とは無縁な生活を送れそうだからな。それに……」

「それに?」

「……いや、なんでもない。強いて言えば、お前なら私を使いこなしてくれそうだと思ったからだ」

 マキシは濁す様に答えるが、勾導は特に気にする事はなかった。

 その一方、部屋の隅には拘束された賊の一団がおり、その周囲には血の気の多い村の若い衆が尋問という名の私刑(リンチ)が行われていた。

「おい、最近隣村や近くの街で子供がいなくなっているんだ。……それもてめぇらの仕業だろ?」

 その質問に対し、顔を大きく腫らしたメイジが怯えきった目を向けたまま首を横に振った。

「ち、違う! 俺達じゃない! 俺達はこの一週間前にこの辺りに流れてきたぇ……」

 村人の一人が棍棒で腹を殴りつけた。

「嘘つけ! まぁいい、なにを言おうが別にいいぜ。どのみちお上は全部お前らに被せるだろうしな。……満足に仕事をしない領主の縄張りで仕事したのが運の尽きだったな」

「ふ、ふざけんな!」

 理不尽な宣告をされ、涙目で抗議する賊たちに対しシルフィードは小さく呟く。

「人攫いなんてお天道様に背ける事してるからこんな報いを受けるのね。自業自得なのね」

「韻竜の娘、あまり見るな。余計な情が沸くぞ」

 マキシがそう警告する一方、タバサはいつの間にか食事を止め何かを考えているようだ。

 真夜中になると宴は自然的に解散し、一行は眠りに着いた。

 

 

 早朝、ジジの父親をはじめ村の男達が人攫い達を街の衛兵達に引き渡す為広場に集まっていた。勿論、その場にはタバサ一向もいた。彼女達も同行する予定だったのだが―。

「貴族さま、同行できないとはどういう事なのですか?」

 ジジの父親が不安げに彼女に尋ねた。そう、彼女は突然その計画をキャンセルし、彼らに断りを入れたのだ。

「そうだぜ、タバ……お嬢様。いきなりドタキャンはマズいだろ」

 勾導も村人たちの意見を代弁するが、彼女は、

「用事がある」

 の一点張りだった。

 こうなったら彼女は梃子でも動かない事をよく知っている勾導は、ため息を吐くと村人達に身体を向ける。

「すんません、うちのお嬢様が勝手に決めて……。代わりにオレが同行しますので、それで勘弁してもらえませんか?」

 そう言って頭を下げる勾導に村人たちは慌てて「そんな事しないで」と言わんとばかりに手を前に出した。

「大丈夫ですよ、従者さま。さすがに街に連れて行くくらいは俺達でもできますので。今回はいろいろとお世話になりました」

「マキシも、今までうちにいてくれてありがとうな。これからはこんな狭い村じゃなく色々な世界を見てこいよ」

 ジジの父親の言葉にマキシは「今まで世話になった」と短く礼を言う。

 やがて、村人たちは賊たちを連れて街に向かっていった。その後ろ姿を見送り終えた勾導はタバサに近付く。

「おい、ちゃんと説明しろよ」

 その言葉にタバサは何も答えず、一人森に向かって歩き出した。そんな我が道を行く主人の姿を見て勾導は頭を掻きながら後を追う。

「二人とも、待ってなのね!」

 出遅れたシルフィードも慌てて二人を追いかけた。

 

 タバサの後についていったその先は、昨日の洞窟だった。

「え~、なんでこの洞窟に来たのね? まだラルカスさんに用があるのね?」

 シルフィードの質問に答えず、タバサは一人中へ入っていく。この時、タバサの表情が重々しいものになっていたのを勾導は見逃さなかった。

 正午なのに洞窟の内部は、昨夜同様真っ暗であった。勾導は松明代わりになりそうな木の棒を探すが、タバサは『ライト』を唱えて杖の先に明かりを灯すと勝手に奥に向かって進んでいった。

 しばらく行くと、タバサは歩を止めた。その視線の先には鉱石の結晶の塊が数多くある場所があった。昨夜シルフィードが近付こうとしてラルカスに怒鳴られた場所だ。

 タバサは結晶群に近付くと、シルフィードが声を出した。

「お姉さま危ないのね。滑るって言われたのね」

 その警告をタバサは無視し、結晶の底部を調べる。すると、土がむき出しになった場所があった。

 タバサは土を掘り返す。なぜか土は柔らかく、非力な彼女でも容易く土を掻き出せた。最近堀ったのは明らかだった。だが、地面はかなり深く掘られているようで、彼女だけでは全てを掻き出せない。すると勾導が参加し、彼女の助勢をした。

「とりあえず、ここを掘り返せばいいんだな?」

 その問いかけにタバサは頷く。

 黙々と掘り返し、50サントほどの深さになった時、指先に土とは異なる感触を感じた。そこから掘り進むペースを速めると、それが姿を現した。

「おいおいおい、マジかよ……」

 勾導達の目に映ったのは、人骨だった。それも大量の。出土した頭蓋骨の数だけでも6、7個はくだらない。おまけに、それらの頭蓋骨のサイズは小さく、明らかに子供のそれだった。

「昔、ここに住んでいたミノタウロスに食べられた人たちなのね?」

 顔を真っ青にしたシルフィードの問いかけにタバサ達は首を横に振る。

「まだ新しい」

「地面を見ろ。どう考えても最近掘った跡だ。……そう言う事か、タバサ」

 勾導も確信を得たその時だった。

「……もうここには来るな、と言ったのを忘れたのかね」

 背後に広がる闇の中から殺意の込められた声が響く。ラルカスだ。

「これ、何?」

 タバサの問いかけにラルカスは黙り込む。その沈黙の間、二人は戦闘態勢を整える。

 長い沈黙の後、答えが返ってきた。

「……この辺りに住む猿の骨だよ」

「これのどこが猿だよ、オレら舐めてんのか? 猿の骨格標本ぐらい図鑑で見た事あるわ。『21世紀こども百科』でよぉ。ドラえもんの説明ビデオ付きだぜ」

「……子供を攫っていたのは、あなた」

 そう言いながら二人は構える。瞬間、暗闇から氷矢が襲いかかってきた。『ウインディ・アイシクル』だ。

 皆はそれを避ける。氷矢は彼らのいた場所に突き刺さり、出土した人骨を砕いた。

「隠れてろ、シルフィ」

 勾導は短く伝えると、シルフィードは側にあった鍾乳石の壁に隠れる。

 タバサは『ライト』を解除する。解除しないと他の魔法を唱えられないからだ。周囲は急速に暗闇に染まる。一歩前に出る事も躊躇うほどの深い闇だ。

「松明かなんか持ってきとけば良かったな……」

 勾導はそう愚痴を零しながら懐から何かを取り出す。それはノンブランドのオイルライターだった。それを点灯するが、焼け石に水で手元しか明るくならない。それを見て勾導は舌打ちを打つ。

「無駄だ。四方八方暗闇に囲まれた状態でどうするのだね? ……今わたしにはお前達にはない四つの利がある。一つはこの闇。お前達はわたしを捉えることは出来ないが、わたしは出来る。この身体は闇と一つになれるからな」

 そう勝ち誇る様に説明するラルカス。自分の勝利は動かないと信じ切っていた。だが。

「お姉さま、斜め前、左三十度にいるのね!」

 突然、シルフィードがタバサに告げる。もともと人外であるシルフィードは夜目がとても聞くのだ。その意図を理解したタバサは言われた場所に向けて『ジャベリン』を放つ。彼女が使う魔法で一番貫通力のある呪文だ。

 闇の向こうから大きな激突音が聞こえた。手ごたえはあった。普通ならこれで仕留めたはずだ。……今相手をしているのが『普通』の存在ならば。

「……なかなかの魔力の込められた『ジャベリン』だな。しかし……、この身体を纏う皮膚を破る事は不可能だよ。お分かりのようだが、第二の利点がこの身体だ。この強靭な身体は風の刃や氷の矢など通さない」

 次の瞬間、暗闇から黒い大きな塊がタバサに襲いかかってきた。風の流れの変化で理解していたタバサはそれを後方に大きく飛ぶ事で回避する。黒い塊―ラルカスの大斧は鍾乳石を簡単に破壊した。

「利点その三、今のわたしは人間など簡単に破壊できる腕力がある」

 タバサはその声を無視するように新しい呪文を唱えようとする。だが、それを邪魔するように強風が襲いかかり、彼女を吹き飛ばした。

「タバサっ!」

「極めつけの利点その四。昨夜説明しただろう? わたしはこの身体を得た事により、さらに強力な精神力を手に入れたと。おそらくスクウェアクラスまで成長しているだろう」

 ラルカスの姿は見えなくとも、大きな圧力が徐々に迫ってくるのを勾導は感じていた。次は自分だと。

 鍾乳石から姿を出しタバサを介抱するシルフィードが叫ぶ。

「お兄さま、逃げて!」

「逃げるなど無駄な考えだ。少年、君は平民だろう? 魔法の加護もなくこんな暗闇を走りきる事ができるわけがない。どうする少年? 君を守ってくれる主人は倒したぞ。大人しく覚悟しろ」

 ラルカスは勝利が揺るがないと信じ切っていた。当たり前だ。ミノタウロスの身体とスクウェアクラスの魔力という大きな武器を二つも手にしているのだから。

 だが、ラルカスは知らない。自分と対峙しているこのちっぽけな平民が自分の様な難攻不落の存在と何度も渡りあい、打ち倒してきた事を。

 その証拠に、ほら。

 

 七瀬勾導は笑っていた。

 

 勾導は念話でシルフィードに尋ねる。

『シルフィ、タバサは大丈夫か?』

『大丈夫なのね。意識もあるし骨にも異常ないのね』

『よし……。二、三分休めば動けるな』

『お兄さま、まさか、アレに挑むのね!? 危険なのね! 逃げ……』

 こちらから念話を打ち切ると勾導は暗闇に向かって構えた。すると、マキシドゥームスが声を出す。

「本気であれに挑むのか、小僧。命知らずだな」

「やる前から『無理だ無理だ』って言われるのが嫌なだけだよ。それに……。オレ、普通の平民じゃないし」

 そう言うやルーンを、『ギャラルホルン』を発動させた。それと同時に背中と瞳が緑に輝き、目の周辺の神経脈が僅かに浮き上がる。自らの視聴覚能力が強化された状態だ。

 今、勾導の視覚はまるで暗視ゴーグル越しの映像を見ているのと変わりなく、ラルカスの姿を完璧に捉えていた。

 それを知らないラルカスは考えなしに斧を振るうが、その攻撃は全て勾導に避けられる。

 その事実にラルカスは驚愕した。

「くっ、まさかわたしの姿が見えるのか!? 少年!!」

「今頃気づいたのかよ。そういやあ、あんたオレらに対して『四つの利点』があるっていったよな? ……その上で、オレが『あんた自身の欠点』を四つ教えてやるぜ」

 そう告げ、太い笑みを浮かべた勾導は右手でFサインをつくると宣言した。

「ジャァァ~ストォ、ブリンギィットッ」

「抜かせぇッ!!」

 ラルカスは横一文字に斧を振るう。その瞬間、勾導はルーンを青に切り替えて高く跳躍する。向かう先はラルカス自身だ。

「!?」

 自分の攻撃を人間ばなれした跳躍で避けられた上に、自分に向かってくるというその予想外な動きにラルカスは思考を一瞬停止してしまった。

 それが命取りだった。

「そおいッ!」

「グオォォォッッ!!?」

 突如、ラルカスが顔に手を当てながら片膝を着く。顔を押さえるその手の隙間からドロッと血が流れていた。

「貴様……」

 ラルカスは『片目』で勾導を睨みつける。

「ちったぁ、犠牲者(こいつら)の恨みも晴れっかなぁ? ……てめぇの第一の欠点、それは図体がデカく動きがスローリィなんだよ。だからきっちり見てりゃ簡単に避けれる」

 勾導はいたずらをした餓鬼のように笑う。勾導のやった事、それはラルカスに飛びかかった際に手にした犠牲者の骨を(ラルカス)の瞳に突き立てて潰したのだ。

「オレらが戦った奴にはよォ、テメェの倍以上のデカさのくせにメチャクチャ素早い化け物がいたんだよ! それに比べたらテメェなんかたいした事ねえんだよ!」

 チュ・ルーヤ村で戦った呪術の怪物カ・グター・バ。

 ミノタウロスより倍以上の大きい図体だったのに、青のルーンを発動させなければ避ける事の出来なかったすさまじい速さの攻撃を放った化生。

 それに比べたら、ラルカスの攻撃速度などたいした事はない。

 こちらで出会った化け物を思い返しながら勾導はそう挑発するが、ラルカスは何も反応しない。ゆっくり立ち上がると、深く呼吸をした。

「……その化け物はこんな事ができたかな? イル・ウォータ……」

「させっかよっ!」

 ラルカスが杖代わりの大斧を構えて治癒魔法(ヒーリング)を唱えようとしたその瞬間、いつの間にか風呂敷の様に包み畳んだ上着を手にした勾導が、勢いよくその中身をラルカスにぶちまけた。

「ゴホッゴホッ! これは……、土だと!?」

 それは地面を掘り返した際にできた柔く解れた土だった。ラルカスの大きな口腔内に大量のそれが入り込んだ為、詠唱を中断し堪らず異物を吐きだそうと何度もえずく。

 勿論、そんな大きな隙を見逃す勾導ではなかった。

「第二の欠点、てめぇは強力な魔法が使えるが、それは『単に使えるだけ』で、戦闘経験豊富なメイジのように応用が効かない! その証拠にてめぇ、口ん中に異物が入っただけで詠唱を止めてんじゃねぇか! オレの知ってるメイジはどんな目に遭おうと詠唱を完遂してるぜ!!」

 そう言って何度も何度も跳躍し、先ほどと同じように上着に包んだ土や砂、果ては人骨をラルカスに被せた。

 フーケやカステルモール、それに北花壇騎士。勾導が対峙したメイジは皆様々な方策を用いて詠唱を完遂させていた。

 それに比べたら、詠唱速度もたいした事のないラルカスの魔法など、容易に潰せた。どんなに強力な魔法も、唱える事が出来なければ無意味なのだ。

 だが、肝心な事である『ラルカスへのダメージ』は目を潰した以外は無傷同然であった。だからこそ、ラルカスにはまだ余裕があった。

「そう言っているが、土や骨を投げただけでわたしに怪我を負わせる事はできないぞ。貴様、はっきり言って『手詰まり』になっているのだろう? よくわかっただろう、この身体は無敵なのだ!」

 ラルカスの勝利を確信したくぐもった笑い声を聞きながら、勾導はやれやれとため息を吐く。

「てめぇ、その身体になったから頭も畜生レベルに墜ちたのか? 別にダメージを与える為に土をばら撒いたんじゃねぇよ」 

 頭を掻きながらそう告げる勾導をラルカスは無事な目を細めながら見つめた。

「……では、どういうつもりだ?」

「おちょくる為に決まってんだろうが」

 悪びれずにそう言いきる勾導にラルカスは激怒した。

「貴様あぁぁぁッッッ!!」

 大きな足音を響かせながら近付くラルカスに対し、勾導は再びため息をつく。まったく危機感が感じられない。

 そう、全て勾導の計算通りだったのだ。

「準備オッケー、だ」

 短くそう告げ、勾導は指を鳴らす。いつの間にかその隣に立っていたタバサがラルカスに杖を向けた。

「『練金』」

 そう唱えた瞬間、ラルカスはなにかに足をとられたのか転倒した。なにが起きたのか、ラルカスが確認する間もなく、タバサは再び『練金』を唱えた。すると、突然ラルカスの全身に薄く滑った液体が付着した。今度は、右目に深々と突き刺さった人骨も『練金』の対象になったのか、液体になり、眼窩や鼻腔、果ては口腔内に侵入してきた。

 液体が舌先に触れた時、ラルカスはそれの正体を理解した。

「これは……、油だとッ!?」

「せいかーい。……ミスタ・ラルカス、(オイル)はお好きかね?」

 勾導はおどけた口調で言う。タバサは、勾導がラルカスに浴びせた土や人骨を油に練金したのだ。おまけにラルカスの周囲を囲うよう念入りに撒かれていたので、油になった瞬間転げてしまい、さらに体中油まみれになってしまった。

 この状況を生み出した理由は一つしかない。ラルカスも理解した。なにしろ、『人間だった時』この方法で『ミノタウロス』を始末したのだから。

 勾導の手にはオイルライターがあった。そこから出ている火は相変わらず弱弱しい揺らめきを放っていたが、ラルカスはそれがとても恐ろしいモノに感じた。

「や、やめろ……。やめるんだッッッ!!」

「第三の欠点。テメェは自分の身体の頑丈さを過信したうえ、オレらが自分と同じ正攻法で勝負すると思い込んでいたんだよ。……オレらは弱っちいからよぉ、絡め手で攻めるしかねぇだろうが」

 ラルカスは逃げようとじたばた身体を動かす。が、油塗れのその巨体は滑る一方でより身体に油が付着する悪循環に陥っていた。

 そして、その時が来た。

「クウェート!!」

 そう叫ぶや、勾導はライターをラルカスに向かってふわりと投げた。それはラルカスの身体に当たり、次の瞬間巨大な火の塊が現れた。

「グアァァアァァァアアッァッッッ」

 火達磨になり、絶叫を上げながら転げ回るラルカスを見ながら、勾導は『もえろよもえろ』を口ずさむ。まるでキャンプファイヤーを囲むボーイスカウトのようだった。

「ホントはガソリンが良かったんだけどよー、この世界にはガソリンが精製されてないみたいだからこれで勘弁してやるよ……。黒焦げは無理だけどよ、丸焼け(ウェルダン)にはなるだろ」

 洞窟内に肉が焼ける匂いが蔓延する中、勾導がそんな事を言っていると、

「ラ、ラナ・デル・ウインデ……」

 ラルカスが絞り出す様に呪文を唱えた。すると、強い風の渦が火柱同然のラルカスを覆う。しばらくすると……、ラルカスの身体は完全に鎮火した。風の刃を通さない強固な皮膚も、全てを焼き尽くす炎には勝てなかったのだろう。全身隙間なく大きな火傷が覆い、中には皮下組織が剥き出しになった部分や黒焦げになった部位さえあった。

 ラルカスは火傷塗れの足を引き攣らせながら立ち上がり、勾導達に怨嗟の籠った目を向ける。

 体内の気管支も焼かれたのだろう、酸素を取り入れようと大口を開けて必死に呼吸を繰り返すラルカスの姿を見て勾導は、

「……生焼け(レア)程度か。まっ、焼き加減はどうでもいいんだけどな。食わねぇからよ」

「貴様あァァァァッッッ!!!」

 咆哮と共に襲いかかるラルカスに勾導は全く動じない。おまけに、ルーンを発動しないばかりか構えすら取っていない。だが、自分に向かってくるそれから目を逸らさず、口元には相も変わらず笑みが浮かんでいた。

「そんなにお口をデカく開けて大丈夫かねェ? ……ほら」

 勾導がそう呟いたその時だった。突然、ラルカスの口内に大きな氷槍が飛び込み、深々と突き刺さった。タバサが『ジャベリン』を唱えたのだ。

「ゴボッ!」

 突然、強烈な激痛に襲われたラルカスはたたらを踏む。そして、口の中の異物を引き抜こうと手を伸ばした瞬間、新たな氷槍が突き刺さった。それだけではない。『ウインディ・アイシクル』が氷槍めがけて向かっていき、それが接触するたびに氷槍は更に深々と突き刺さっていく。

 ラルカスは彼らの狙いを理解した。自分を丸焼きにしたのは『おまけ』に過ぎず、本来の狙いは『呼吸器官に深いダメージを与えて常時口を開けた状態にさせる』事だったのだ。口は呼吸及び消化器官の入口だ。ミノタウロスといえど、体内は頑丈ではない。そのため、傷つける事は容易だ。その為、勾導達はその一点集中攻撃のため幾つもの策を張ったのだ。

 突き刺さったジャベリンは喉を越え、その先へ遂に侵攻する。

 人体構造に詳しいラルカスは、ここにきて『彼らの真の攻撃対象部位』を悟った。

 

 それは、人間や亜人問わず全ての脊椎動物共通の最重要器官である『脳幹』。

 ここに少しでもダメージを受けると致命的いや、絶命確定なのだ。

 

 ラルカスは手にした斧を投げ捨て、必死に氷槍を引き抜こうとした。だが、タバサの作ったジャベリンは簡単に抜けないようにかえし(・・・)が形成されており、抜こうとするとさらなる激痛がラルカスを襲った。その激痛に耐えかねて抜くのを躊躇った途端に新たな氷柱が襲いかかり、それが先に刺さった氷槍に当たる事でさらに深く突き刺さる。

 脳幹まで後十数サント。ここまでタバサ任せだった勾導が、ここにきて上着の右袖をまくり上げて腕に付けた黒いエルボーサポーターを見せつけた。自分にとってここ一番で頼りになる一撃。それを叩き込むのだ。

 目を閉じて深呼吸を二、三繰り返す。そして、攻撃を決意したのか目をカッと開いた。その目つきは鋭く、標的を捉えた肉食獣の様だった。

「いくぜ……、100パーセント」

 そう呟き、ルーンを発動させる。背中を赤く輝かせながらラルカスに飛びかかるその姿はまさに、獣。その獣が自分の持ちうる全てを赤く輝く右肘に乗せ、回転する。

「お兄さま、いっけぇ、なのね!」

 その回転体を見て、シルフィードは体を乗り出しながら応援する。

「……これで決めて」

 タバサも小さな声だが、自身の使い魔を信じる。

「貴様の力見せてみろ、ギャラルホルン!」

 その男に装備されたマキシドゥームスが自らの使い手の力を見極めんと吼える。

 勾導の眼前いっぱいに氷槍と血泡塗れになったラルカスの大口がきた。それを見計らい、勾導は叫ぶ。

「100パーセントォォォォォッ! ローリングゥゥゥゥゥ!エルボォォォォッッッッッッッ!!!」

 今持ちうる『全力』の一撃を、ルーンの効果を相乗させた『本気』の一撃を氷槍に叩きこんだ。瞬間、氷槍は大きく奥に打ち込まれ、その右肘には氷槍越しになにか柔らかいモノを突き刺したなんとも言えない手応えが伝わった。

「……最後の欠点。オレらに喧嘩売ったのが全ての間違いだ。オレ達は普通の主従じゃねぇからよ。荒事解決の専門家だぜ」

 ラルカスの脳幹を破壊したジャベリンはそのまま後頭部を突き破った。その穂先には脳組織の欠片が付着しており、血がぽたりと滴っている。

 ラルカスの無事な目がグルンと回り濁った白目になり、そのまま巨体が前に倒れた。時折り、手先がビクビク動いていたが、しばらくするとそれも止まった。

「……終わったかぁ」

 ラルカスが動かなくなったのを確認すると勾導は、ふぅっと一息つく。するとルーンの光も沈静化し、ほぼ同時に勾導の全身からドッと汗が噴き出た。最後のローリングエルボーには、自分が今持ちうる力とルーンの効果を全て乗せた一撃だったのだ。

 正真正銘、全力全開の『100パーセントエルボー』だったのだ。

「やるな。さすがはギャラルホルンといったところか」

 マキシドゥームスが放った言葉に勾導の耳は反応した。なぜ、こいつは『ギャラルホルン』を知っている? あれはオールドオスマンも知らなかった正体不明のルーンだ。それをなぜ、このインテリジェンスガントレットは知っている? 様々な疑念が立て続けに湧き上がった。

「おい、なんでオレがギャラルホルン……」

「お兄さま、大丈夫?」

 勾導の言葉はシルフィードによって遮られた。その空気の読めなさに勾導は少しイラついたが、彼女は自分を心配しているのだと思い直すと、気持ちを切り替えるように頭を掻き毟った。

「見たら分かんだろ。無傷だ、無傷」

 それでも中途半端に切り替えただけだったので、そっけなく答えてしまった。ルーンの事は落ち着いたら改めて聞けばいい。ようやくそう切り替えると勾導はタバサを見た。彼女も多少服が汚れている以外は大きな怪我はなく、じっと勾導を見つめていた。

「大丈夫?」

 タバサの問いかけに勾導は「おう」と返し笑みを浮かべる。ルーンを使った事で全身に軽い倦怠感が纏っているが、それを誤魔化す様に答えた。

 すると、タバサが思いがけない動きを見せた。おずおずと、右手を上げ、手のひらを勾導に向けたのだ。

「どったの? タバサ」

 その問いかけにタバサは、はにかんだ表情を浮かべると、少し俯き気味に勾導から視線をそらした。

「作戦がうまくいったから……。ハイタッチ」

 勾導は笑みを浮かべると、タバサに近付いた。この二人の様子を見ていたシルフィードも楽しそうに騒いでいた。

 いよいよ互いの手のひらが合わさるといった時だった。

「タバサ、危ないッ!!」

 突然、勾導がタバサをドン、と強く押した。押された事で遠くに倒れ込んだタバサの視線に入ってきたのは、巨大な手に薙ぎ飛ばされ、吹き飛ばされていく勾導の姿だった。

「コウドウっっ!!」

「お兄さまっっ!!」

 二人の絶叫が洞窟に響き渡った瞬間、それ以上の音量の叫び声がその声をかき消した。そして、その叫び声は怨嗟に満ちていた。

「オマエラ……、ゼッタイニ、ゼッタイニユルサナイッッッ!! オレ、オマエラヲクッテヤルッ、ホネモクッテヤルッッ、コノヨカラケシタイカラゼンブクッテヤルッッッ!!!」

 倒したはずのラルカスが立ち上がり、そう叫んだのだ。だが、どこか様子がおかしい。口から血泡と涎を大量に流しながら、獣の様な唸り声をあげている。そして何より、先ほどまで感じた知的さが微塵も感じられない言葉を繰り返していたのだ。

「オレ、ヤット、ヤットカラダトリモドシタ。デモ、カラダジュウ、イタイ。タブン、オレシヌ。ダカラ、オマエタチヲクッテ……、クッテカラシンデヤルッッッ!!」

 

 生き物の記憶や人格を構成しているのは脳であるのが定説だが、実は肉体も記憶を共有しているという諸説がある。

 実際に、心臓や角膜といった臓器移植手術をした患者が、身に覚えがない記憶や人物の姿がフラッシュバックのように意識に飛び込むので、気になって調べてみるとそれがドナーの縁者だったという事例が幾つも報告されているのだ。

 この点を踏まえてひとつ仮説を提示しよう。

 十年前ラルカスが倒し、自身の脳を移植したミノタウロスの身体に、『本来の持ち主の記憶と人格』が宿っていたとしたら。

 それが少しずつラルカスの人格を浸食していき、十年の歳月を経て遂に意識を掌握した事で、周辺の村の子供達に凶行を働くまでに至ったのだとしたら。

 そして、ラルカスの脳幹を破壊された事で、『他人の脳』という枷が外れた結果、『肉体の記憶と人格』、すなわちミノタウロスの意思が身体を完全に掌握してしまったのだ。

 

 ラルカスいや、ミノタウロスがゆっくりタバサに向かう。足取りは弱弱しいが、恐ろしいまでの重圧を放っていて、戦闘経験豊富なはずのタバサでさえ逃げる事が出来なかった。余計な事をした瞬間、捉えられると感じたからだ。

「あなたはコウドウのところへっ!!」

 タバサはミノタウロスから視線を外さずシルフィードに強い口調で命令した。

「お姉さま、でも……」

「早くっ!」

 鬼気迫るタバサの表情にシルフィードは折れ、勾導の下へ向かった。その姿を背後に感じながらタバサは杖を構える。

 目の前のミノタウロスはもはや死に体だ。だが、そうは思えないどころか、『魔法の使えたラルカス』より脅威に感じていた。

 シルフィードは、勾導の下にたどり着いた。そこは、大小様々な鍾乳石や石英の結晶がたくさん形成されていてきらきらと輝いていた。

「お兄さま、大丈夫!?」

 勾導の意識を確認しようと、シルフィードは声をかける。一見はひどい外傷が無く見えた。ほっと一息ついた彼女は勾導を揺すろうと身体を掴む。指先が腹部に当たった瞬間、ドロっとなにか温かい液体に触れた感触が襲った。なんだと思い確認した瞬間、彼女は声を失った。

 勾導の右脇腹から細長い鍾乳石が生え、それが赤く照り光っていたのだ。吹き飛ばされた先にそれがあり、運悪く突き刺さったのだ。

「お、お兄さまが……、このままだと死んじゃうのねッッッ!!」

 シルフィードの悲鳴はタバサの耳にも届いた。だが、この状況では、勾導の下に向かいたくても向かえない。

「……!」

 焦る心を押し殺す様に唇を強く噛み締め、タバサは魔法を放った。

 ミノタウロスが大口を開けながら襲いかかってきたのは、ほぼ同時であった。

 

 

 

 あーあ、また肝心なところでポカやらかしちまったなぁ……。どこかのしょっぱい塩レスラーかよ、オレは。……「ヴァー」って叫びたくもなるわ、「ヴァー」って。

 

 まっ、オレの事はともかく、あいつらうまく逃げてくれないかなぁ。どうせアレも虫の息だし。このまま放置してりゃ勝手に死ぬだろうし。

 

 ……あーあ、オレもおしまいなのかなぁ。悪運の強さには定評があったんだけどよぉ。

 まっ、しゃあねぇかなぁ……。

 

 ごめんな、タバサ。

 

 『約束』、守れなくてよ。

 

 

 

 

 

『おいおい、なに勝手に諦めてんだよ』

 

 忘れてた。『テメェ』がいたんだった。

 『あの時』、初めて『アレ』を使った時、オレの頭の中の隅っこに棲みついた『テメェ』が。

 

『まだ腹に穴が開いただけじゃねぇか。『アレ』を使えばたいした事ねぇ怪我だろうに』

 

 うるせぇ。軽傷みたいにいうな。ふつーに重傷だ。

 なんと言われようと『アレ』は使わねぇ。

 『アレ』は碌な結末(オチ)を呼ばないからよ。

 

 『あの時』も、

 『あの時』も、

 そして『あの時』も。

 

 オレが『アレ』を使いこなせないのは分かりきっていたのに使ったおかげで、沢山の血が流れた。 

 そもそも、オレには『アレ』を使いこなす素質はないだろうが。

 ……テメェ、それがわかってて言ってんだろうが。

 

『当たり前だろ。俺は『結果』には拘らないからよ。ククッ』

 

 ……やっぱりな。碌でもねぇな、テメェはよ!

 

『そもそも、俺はお前の内に秘められた『狂気』そのものだからな。凄惨な結末はドンと来いでウェルカムだ。それにな……』

 

 ……なんだよ?

 

『このままだと、あのロリっ娘死ぬぜ。もちろん、きゅいきゅい娘もよ』

 

 ……あ?

 

『あの牛野郎の身体はとっくに死んでて、はっきり言って『執念』と『狂気』で動いているんだよ。『お前らを食いたい』という『執念』でよ。あのロリっ娘は強いが、あんな妄執塗れの化けモンと戦うには分が悪すぎる。……非情且つえげつない戦い方を心がけているようだが、それでも俺から見るとまだ『お上品』の部類だ。いや、はっきり言って『こっち側』は不向きだな。……圧倒的に『狂気性』が足りないからよ』

 

 ……。

 

『つーかよー、お前、あの『貰いもんの力』は率先して使って、『本来持ち合わせた力』は使わないってどういう了見だ? はっきり言ってよ、あの『ルーン』は相当食わせモンだぞ。今はおとなしくしてるがよ。それに比べたら、『アレ』は全然マシだぜ』

 

 ……。

 

 

『この状況、どのみちお前は『アレ』を使うしか道が無ーぜ。……漂泊民族の秘奥『ヨビコミ』をな』

 

 ……。

 

『いつまで黙りこくってんだよー。あの子達を助けたい、守りたいんだろ?』

 

 ……おう。

 

『だったら腹くくれよ。腹くくって押さえこんだ『狂気』を解放しろよ』

 

 わかったよ。……ホントは嫌だけど。

 

『さぁ、あの死にぞこないの牛野郎に見せてやれッ! 人間がどこまで狂気に染まり、超常の理を超えたモノになれるのかをッッ!! 神代より続く血族の異能の力を、お前の身体を依り代にして今『ヨビコメ』ッッッ!!!』

 

 

 

 

「……お兄さま、目を開けてなのねっ! お願いだから開けてなのねっ!」

「……うぅ」

 涙声のシルフィードの呼びかけと、何度も体を揺すられた事により、勾導は意識を回復した。その瞬間、腹部から激痛が走る。そこに目をやると、鍾乳石が突き刺さっていた。理解はしていたが、改めて視覚で確認した事により痛みをリアルに実感し、呻き声をあげた。

 手足を動かして鍾乳石を体から引き抜こうとするが、力が入らない。何度も繰り返すが、耐え切れない激痛が襲いかかり苦悶の表情を浮かべた。

「お兄さま、動いちゃ駄目なのね! このままだと本当に死んじゃうのねっ!」

 その様子を見ていたシルフィードは血相を変え勾導を止めようとする。と、シルフィードが側にいる事に気付いた勾導は、自分の着ている血塗れの上着をはだけて内ポケットを必死にまさぐる。取り出したのは例の銀色のアルミケースだった。

「シルフィ、このケースの中にある薬をオレの口に入れてくれ。指先がまともに動かせないんだ」

「えっ?」

「はやくしろ! タバサが危ないんだ!」

 今タバサは必死にミノタウロスの攻撃をかわしている。だが、それがいつまでも続く訳が無い。時間は刻一刻と迫っていた。

「わかったのね!」

 シルフィードはケースから錠剤を一つ取り出し、勾導の口に入れてやった。

「それ、なんのお薬なのね?」

「……鎮痛剤だよ。それも、とびっきり強烈なヤツだ」

 勾導の言った事は本当だった。それはアメリカ留学中にプロレスをやっていた時に出会い、試合後のお痛みがひどい際に使っていた物で帰国時にこっそり持って帰った日本国内未認可の鎮痛剤だった。これは確かに効く。その分負担も大きいが。

「ひょっとして、痛みが無いうちに闘うのね?」

「いや、違う。薬はあくまでも『これから起きる事』のトリガーだ。……シルフィ、離れとけ」

「え?」

「いいから離れろ! 『喚び』こみ終わったオレは何をしでかすか分からねェッッ!!」

 鬼気迫る勾導の圧力にシルフィードは思わず離れた。

 それと同時に、勾導にも異変が起きる。既に腹部を襲っていた激痛はない。だがしかし、その視界はぐちゃぐちゃに掻き回され、つんざくような耳鳴りが響いていた。これがこの鎮痛剤の副作用で、視聴覚に一時的な異常を与えるものだった。

 勾導はそれに気にすることなく目を閉じた。そして、自分の脳に潜るイメージを作る。

 目指すのは大脳真皮質のさらに奥、すなわち大脳辺縁系。

 人類が進化する事で増大していった理性の象徴・真皮質に抑え込まれていった全ての生命が持ち合わせる本能の象徴・辺縁系。

 

 意識体の勾導はそれに潜り込んだ。そこに広がるのは束縛された鎖の山と壊れた螺旋構造体の山。

 そのガラクタの山のてっぺんから、じっと勾導を見ているモノがいた。

『よぉ』

 ソイツは真っ白いスーツを纏っていた。

 白は純真、純粋などの意味が込められているものだ。その意味で言えば、ソイツはその色のスーツを纏うのにとても相応しい。いや、それしか似合う物がない。

 

 ソイツは純粋だ。

 

 純粋だった。

 

 純粋そのものだった。

 

 混じりっ気なし、とびっきり純粋な四肢が生えた『狂気』がそこにいた。

 

 ソイツは、ひと飛びでガラクタの山を飛び降りると、勾導の側にきてその面を向けた。

 驚く事に、その顔は勾導と瓜二つだった。だが、その瞳は暗く、まるで深淵から覗き見ているようで、背後からも、ぞぞぞ、と幾万もの瞳が勾導を見ているようであった。

「……こっちは準備完了だ」

 勾導はぶっきらぼうに言い捨てる。やはり、あまり会話をしたくなさそうだった。

 同じ顔をしたソイツは、それを気にする素振りも見せず、口を開く。

『そうかい。いやな、あのルーンのお陰で『ヨビコミ』が凄いことになりそうなんだ』

「どういうことだよ!?」

『まぁ、悪い事じゃない。面白い事だよ』

「こんな土壇場で言うんじゃねぇよ……」

『まっ、お前は黙って見てな。……そろそろ時間だ』

 直後、『ソイツ』は勾導を貫き手で貫いたのだ。それと同時に、周囲に広がる鎖が同時に引き千切れ、螺旋のガラクタが勢いよく回り出した。

 辺縁系の世界が大きく変わり出す。そして倒れた勾導は光となって消えていく。

『じゃあ、暴れてきますか』

 自分の時間が来たのを自認した『ソイツ』は、勾導が見せる太く不敵な笑みとは違う、ぞっとする突き刺さるような笑みを浮かべた。

 

 

 シルフィードは困惑していた。なぜなら、薬を飲んだ勾導がプルプルと痙攣を大きく繰り返したからだ。近付きたかったが、勾導に固く禁じられていたので近付く事が出来ない。ただ、石筍の陰に隠れて見守ることしか出来なかった。

 ほんの十秒、いや永遠とも思える十秒が過ぎ去ると、勾導は震えが止まった。そして、驚きべき動きを見せた。

 あれほど抜くのが困難だった鍾乳石から、いとも簡単に体を引き抜いたのだ。そればかりか、重傷を負っているのに軽やかに立ち上がる。不思議な事に、傷穴から血は噴き出ていない。アドレナリンが大量に分泌しているのだろうか。実の所は分からない。

「おにいさま……?」

 体を石筍から出してシルフィードは勾導に近付こうとしたその時、見てしまった。

 歯を剥き出しにして、歪な笑みを浮かべる勾導を。

 それを見たシルフィードは突然、悪寒に襲われた。そればかりか、無意識の内に座り込んでしまった。彼女は韻竜だ。幼生とはいえ、全生態系でも頂点に近い種族だ。彼女の生存本能が警告を発する。『あれに近付いてはいけない』と。

 声すら発せなくなった彼女を無視し、勾導(?)はミノタウロスとタバサに視線を向けた次の瞬間だった。

 

 ミノタウロスとタバサに大量の刃が襲いかかり、幾千も細切れに切り刻まれたのだ。

 

 いや、違う。実際の二人は無傷だった。幻覚だったのだろうか。だが、『何かをされた』という感覚は向こうにも伝わっていたらしく、戦闘を停止させて勾導をじっと見ていた。いや、止めざるを得なかったといった方がいいかもしれない。

 タバサはこの空気を知っていた。夢の中で知った勾導の過去の断片。その時味わった四方八方に刃が突き付けられる危険で殺意に満ちた空気。実際に、それを受けた瞬間、全身が切り刻まれた思いをした。

 『もっと恐ろしい事が起きる』 タバサはそう思ったが、逃げない。あの時は途中で夢から覚めたが、今回は最後まで見れる。胸に大きな不安を感じながらも、そう思案した。

 ミノタウロスは別の事を感じていた。あの人間は自分が吹き飛ばして虫の息にさせたはずだ。なぜ立ち上がる。そして、なんだこの空気は。一瞬であるがミノタウロスである自分が細切れになったと思い込んでしまった恐ろしい空気は。あの人間が放っているのか? 自分より小さな、矮小な人間が!

「グルォオォォオォォォオッッッ!!!」

 ミノタウロスは内から溢れ出てきた不安を殺す様に、雄叫びを勾導に放つ。洞窟内を反響し、何倍も大きくなったそれだが、勾導はまったくの無反応。いや―。

「――――――――――――――ッッッッッッッッ!!!!!」

 やり返す様に勾導が吼えた。言葉に、いや声にすらなっていない雄叫びだった。だが、それは純粋な殺意が籠められており、まっすぐミノタウロスに向かう。

 それをまともに浴びた後一歩、二歩と無意識の内にミノタウロスは後ずさった。

 一方、この光景を客観的な視点で見ようと心掛けているものがいた。マキシドゥームスだ。

 いつの間にか、勾導の腕から着脱されており地面に転がっていた。まるで拒絶された様だとこの喋る手甲は感じた。

「……今回のギャラルホルンは、ある意味で過去最悪の存在かもしれんな」

 体を震わせながらそう零す彼の言葉を聞いたのか聞いていないのか知らないが、勾導は狂笑を崩さぬまま、小さく呟いた。

 

「『さぁ、七瀬(ナナセ)いや『八岐瀬(ヤマタセ)』の闘いを見せてやるよ』」

 

 その言葉が引き金となり、勾導の背中が赤く輝いた。いつものように他者に希望や勇気を感じさせる鮮やかな赤ではなく、酸化した血液のように、どす黒い赤に。

 それはまるで、この後起きる凄惨な結末を予告しているようだった。

 




 今回はここまでです。次回は早めに投稿できるよう努力します。
 ちなみに、時々活動報告も更新していますので、気になった方はご覧ください。たいした事は書いてないですが(笑) 
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