Snow wind & Temerity heart VS The world   作:Phidias

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 もう一度言います。
 やりすぎました。



30:浸食~lose control~

 

 怪物(ミノタウロス)は恐れていた。目の前に立つ人間を。

 

 化け物(ミノタウロス)は動けなかった。口元が貼り固められたかのようにニタリと気味の悪い笑みを浮かべ続ける男の姿を見て。

 

 人外(ミノタウロス)は悟ってしまった。ゆっくり、ゆっくりとこちらに向かってくる瀕死の男の手によって自分はこれから『死ぬよりも恐ろしい目に遭わされた後、塵屑のように殺される』事を。

 

 洞窟の中にチキチキチキチキと殺気の圧力が広がり、渦となっていく。その中心にいるのが七瀬勾導の姿をした『ナニカ』だ。そいつが一歩、一歩と歩みを進めるごとにその渦はその勢力を高めているようだった。

 タバサは震えの止まらない身体を必死に抑えながら勾導を凝視していた。

 あの時浴びせられた殺気。刃の様なイメージで飛んできたが、もしあれが本物の刃だったなら、『自分は死んでいた』。

 最初に首と四肢の関節部分に突き刺さった。これで少なくとも出血死が確定した。

 次に心臓、肺、肝臓。確実な急所を狙われ、それを切り裂かれた。

 そして眼窩、口腔、耳鼻孔……、全身の穴という穴に刃を突き立てられたイメージを植え付けられた。

 全身刃塗れになった後、その刃は四方八方ランダムに疾り、タバサを蹂躙した。

 そんなイメージを一瞬の内に叩き込まれたのだ。

 それを思い出したタバサは全身に猛烈な悪寒が駆け抜けたのを感じた。

 一方の勾導は羽織っていた上着を脱ぎ捨て上半身裸になっていたため、先ほどまで鍾乳石が突き刺さっていた脇腹には血塗れの大きな刺突創が、その存在を痛々しく主張している。

 その傷を見たタバサは一瞬目を背けたが、その養われた観察眼によって奇妙な疑問点が浮かび上がった。

(傷の割に出血が激しくない)

 身体を染めている血は最初のものなのだろう。しかし今、その貫通痕から血は噴き出ていない。さらによく凝視すると、タバサは衝撃を受けた。

「傷が……、塞がりはじめている……」

 そう、致命傷に繋がってもおかしくない貫通痕周辺の肉が盛り上がり物凄いスピードで穴を塞ごうとしていたのだ。なお、タバサはそこまで思考できなかったが、その肉の内側では新たな血管や欠損した骨や内臓、その他体内組織の再生も行われている。

 勾導の傷の治癒速度はタバサも良く知っている。勾導本人はタバサに『ルーンが刻まれてから傷の治りが早くなった』と伝えていたが、これはあまりにも……異常だ。

「お姉さま、お姉さま」

 と、タバサの上着の袖を掴む者がいた。シルフィードだ。だが、その表情は真っ青になっており、袖を掴む手はブルブルと震えていた。

「早く逃げるのね! 巻き添えを食らってしまうのね!」

「でも、コウドウが……」

「あれはお兄さまだけどお兄さまじゃないのね! ここの周りに漂う精霊たちを凄く怯えさせているし、それに今のお兄さまには『大いなる意思』と同じような……、『同じだけど相反する別物の意思』が宿っているのね!!」

 シルフィードの必死の訴えを耳に入れつつも、タバサはこの場を離れる事をしない。と、今度はタバサの腰元から男の声が聞こえた。

「タバサの姐さん、悪い事言わねぇッ。早く避難するんだッ!」

 それはあのインテリジェンスナイフの『地下水』だった。あのイザベラ襲撃騒動の後、この短剣は自由気ままに行動していたが、『あんたらと一緒なら面白い事が転がり込んできそうだ』という理由でタバサ達と行動を共にしていたのだ。その『地下水』は自らの刀身をブルブルと震わせ大声を出す。

「あいつだ……! あの時コウドウの旦那を乗っ取ろうとした時、俺の意識に干渉してきたヤツだ! あいつは……、あいつはヤバすぎるッッッ!!」

 風韻竜と意思ある短剣がその身を震わせている中、やはりタバサは動かない。何かに魅入られたように身体が硬直していたのだ。

 まるで『今から起きる事を直視しろ』と、なんらかの意思に投げかけられているようだった。

 まっすぐミノタウロスに向かう勾導の背中から後光のように放たれているルーンの輝き。だがそれは普段の様な勾導を象徴するような活力に満ちた赤の輝きではなく、外気に触れて酸化した血液の様にどす黒く爛れた赤銅色の輝きだった。

 その輝きはまるで、ルーンそのものが発する『警告』且つ、声なき絶叫。

 その尋常ならない輝きを背負う自身の使い魔の姿からタバサはその目を逸らせなかった。

 

 

 勾導の姿をしたナニカは真っ直ぐぶれることなく向かっている。目を大きく見開き、その瞳に怯えきった姿を隠そうとする事を忘れたミノタウロス(獲物)を移しながら。

 と、ソイツは突然右手をミノタウロスに向け、クイっと動かす。『かかってこい』という明らかな挑発だった。

 その動きにミノタウロスは反応を示した。さきほどから身を包んでいる得体の知れない恐怖心が必死に抵抗するものの、今のミノタウロスは本能のみによってその体と精神が維持されている。すなわち、『後退』だの『退避』だのという弱い考えを抱いてしまうと『完全なる死』に直結していたのだ。

 ミノタウロスの答えはシンプルだった。

「グルォオオオウウウウウウウゥゥゥッッッッ!!!」

 雄叫びを上げながら突進し、その大きな右腕を勾導に向けて再び振りかざす。先ほどと同じように勾導を吹きとばさんとフルスイングで叩きつけた。

 洞窟内に空気が破裂したような衝撃音が広がる。その音によって声を上げる余裕もなかったタバサ達は、反射的に目を瞑った。もう決定的だ。

 勾導が死んだ。

 彼女たちの中にそう確信に近いものが芽生えたその時だった。

「ギャァァアァァアァァアァアアァアァァァァッッッッ!!!」

 予想外だった。攻撃をしたはずのミノタウロスが悲痛に満ちた絶叫を上げたのだ。

 その絶叫により二人は(まなこ)を開く。

 そして見た。

 見てしまった。

 

 ミノタウロスの巨大な右掌を勾導の伸ばした左手が突き破っているのを。

 

「『五月蠅い……。だが、叫びたいならもっと叫んでもいいっ、ぞぉッッッ!!』」

 そう発し、勾導はミノタウロスの掌に突き刺したままの左腕を一気に振り上げる。その動きによりミノタウロスの右掌にできた傷口は縦に大きく切り裂かれた。ミノタウロスは硬い皮膚や筋、おまけに強固な骨で形成されているはずなのに、その切り口は鋭利な刃を用いたかのように体組織をたやすく寸断された。断面は美しい切り口になっており、一瞬じわりと赤いものがにじみ出たかと思った次の瞬間、勢いよく血液が噴き出た。

 より大きな絶叫をあげるミノタウロスをよそに、タバサは勾導の左腕を見た。血に染まり、細かい肉片がこびりつくその腕を見た彼女は声を失う。なぜなら、

「腕が……、人間の腕じゃないのね……」

 シルフィードがそう代弁したように、勾導の左腕は変異していた。前腕の至る場所から突起物が飛び出し、指先一本一本は触れただけで切り裂かれてしまいそうな鋭利な刃のようなものになっていたのだ。

 勾導はその尋常じゃない状態になった自らの腕を満足そうに見つめ、

「『うむ……。コイツ(勾導)は『シルガヒ』じゃなかったはずだが、ここまで同調できるとはねェ……。案外ルーンってのは厄介物じゃないかもなァ……。まァ、それでも邪魔な物には変わりないがな。今の状態でも『枷』が何重も重ねられているからな』」

 誰に聞かせるわけでもない一人言をこぼす勾導に向かってミノタウロスが叫んだ。

「オ、オマエ、オマエハ一体ナンダ……!? ニンゲンガオレノカラダヲキリサクナンテ、デキルワケガ……」

 止めどなく血を流し続けている右手を必死に抑えながら叫ぶその声色は明らかに怯えと恐れの色が上塗りされており、その大きな巨体もガタガタと震えていた。

「『そんな細かい事気にするなよ。これからお前は塵屑(ごみくず)のように死ぬんだからよ』」

「オッ、オマエハニンゲンジャナイッッ! ……ミ、ミトメナイッッ! ニンゲンノスガタナノニ、オレヨリツヨイ『バケモノ』ナンテ!!」

「『……お前みたいな牛頭に『化け物』なんて言われたくないよ』」

「ウッ、ウルサイッッッ!! ッガァァァアアッァァァアアアッッッ!!」

 無事な左手で大斧を持ち構え、ミノタウロスは勾導に向かってそれを真っ直ぐ振り下ろす。

「『いい加減覚悟を決めろ』」

 ため息交じりにそう吐き捨てると勾導はミノタウロスの足元に向かって駆け、右腕をミノタウロスの太い幹の様な右足に向かって振り払う。

 一閃。

 それはまさに一閃だった。

 瞬間、ミノタウロスが突然右に傾き、その巨体が地面に崩れ落ちたのだ。ミノタウロス自身も訳が分からなかったが、次の瞬間その訳を悟る。

 自らの右足が切断されているのが目に入ったのだ。それを『認識』できた時、斬り落とされた右足の切り口から大量の血が噴き出し、同時に許容範囲を超過した激痛が身体を包んだ。

 先ほどより大きな絶叫をバックミュージックに勾導は右腕を伸ばす。その右腕は前腕から肘にかけて刃の様になっており、同じく刀の様に鋭くなった指先からはミノタウロスの血が滴り落ちていた。

 腕を振ってぬめったその血液を周囲に散らすと、誰に聞かせるわけでもなく喋り出した。その声質は勾導の声に上乗せするかのように別の声が重なっている。その声は明らかに勾導のそれと違い、低く、その声の端々からは重々しい狂気が感じられた。

「『俺は『八岐瀬』の一族と交わった最初の『稀人』で、『天津神』だった存在の意思と遺伝子情報の末端よ。そして、人が記し、勝手に名づけて語り継がれている名ではこう呼ばれている……』」

 

 

「『『経津主(フツヌシ)』、と』」

 

 

経津主神(フツヌシノカミ)――。それは日本書紀に登場する刀剣の威力が神格化された存在であり、その名は刃が物を『フッ』と断ち切る様からとられている。

 日本書紀には葦原中国平定いわゆる『国譲り』の説話に登場し、建御雷神(タケミカヅチ)と共に高天原から出雲へ天降ると大國主神(オオクニヌシ)とその一族に国を譲るよう『交渉』という名の『暴力を伴った脅迫』を行い、『国譲り』を成し遂げた事で知られている。

 なお日本書紀にはこれ以降登場しないが、『出雲風土記』には別の逸話が記されている。

 

 

 『ヨビコミ』。

 それは体内に宿る『稀人』の意思を『喚び込む』事により、稀人に関連するジャンクDNAを活性化させ、塩基配列さえも稀人のものに変換させる事によって自らの肉体を稀人の特性に沿ったものに変容させる事によって人、いや生命体の領域すらも超える事が可能となる『八岐瀬』の秘奥である。

 勾導に宿る稀人の意思は経津主神。刃の象徴であるそれに相応しく、手足を刀剣の如く鋭いものに変容させているが、地球にいた時もこのように大きく変容した姿になれた訳ではない。ではなぜか。

 それは先刻フツヌシが呟いたように『ギャラルホルン』のルーンが関係していた。このルーン自体も勾導の肉体を強化させる際、強化する特性に合わせて身体の一部を僅かばかりだが変容させていた事を思い出してほしい。

 『肉体の変容』。それがこの二つの力の共通点だ。推測だが、ルーンを発動させていた事で肉体の変容に対する『地慣らし』が出来てしまった為に今回『ヨビコミ』を使用した時、変容の相乗効果を生んでしまったのだと思われる。

 そして、勾導は『八岐瀬』の中でも異端のイレギュラーである『マガイツ』だ。変容に対する下地はあった事によりさらなるブーストが働いたため、あのような姿になってしまったのだ。

 だが、それは『ルーン』にとっては予想外だったと思われる。『使い魔』としてのキャパシティを明らかに超えた力が突然体現され、それがルーン自体の特性を巻き込むことにより、『ルーンと肉体の許容量を超えた限界以上の力』を強制的に発動している状態になってしまったのだ。

 勾導の肉体とルーンが限界を超えようとする一方、喚び込んだフツヌシはさらなる力を引き出そうとする。その大きなギャップの現れが今のルーンの色である。赤銅色のそれは『ヨビコミ』についていけないルーンが発する必死の抵抗と叫びだったのだ。

 その事を理解しているのかしていないのか、そんな素振りを見せずフツヌシは語り出す。

「『『八岐瀬』(こいつら)とは神代の頃からの付き合いだが本当に面白い連中だよ。こいつの先祖は『国譲り』の時『建御名方(弱い奴)に勝ったくらいで偉そうにしていて気に入らない』という理由で建御雷神(知り合い)に喧嘩売って叩き潰したからな。一歩間違えればそれがきっかけに高天原と出雲の大戦になってもおかしくなかったのによ。……その後先考えない馬鹿っぷりを気に入ったから奴らの一族に俺の遺伝子情報をくれてやったんだ。以降、こいつらは俺の期待に応えていろいろ面白い事を見せてくれたがね』」

 遠い昔の決して明らかになる事のない『暗黒神話』を語っていると神代の頃見たその情景を思い出したのか、クククッと笑みを浮かべながらフツヌシは必死に欠落した片足を押さえながらのたうち回るミノタウロスの前に出た。

 ――生殺与奪。

 その権利を手にしているのは自分だと言わんばかりの立ち姿だった。

 血だまりの地面を踏みしめるとフツヌシは残酷なる宣言をする。

「『遊ぶのは、もう飽きた』」

 そう零した直後、無防備なミノタウロスの鼻腔に右腕を突っ込む。無論、形状は剣のまま。

 再び響き渡る絶叫をよそにフツヌシは右腕を器用に動かして鼻を抉り取ると(・・・・・・・)、今度は右肩を標的にする。両の腕を肩と上腕に突き刺し、その肉や骨、神経節といった内部組織を切り刻む。

 そうやって体内を蹂躙し尽くすと、ミノタウロスの右腕は付け根からあっさりともげ落ちた。

 増えていく痛み、そして欠落していく自らの肉体。その恐怖に耐え切れなくなったミノタウロスはフツヌシから背を向け、腹ばいになって洞窟の出口へ向かおうとする――。

 が、次の瞬間、無事だった左腕が肩から無くなった。

 それだけではない。

 

 脇腹を抉られ、内臓が周囲の鍾乳石を飾り立てるようにぶちまけられた。

 胸を大きく切り裂かれ、剥き出しになった肋骨を直接拳で砕かれ、肺をはじめとした内臓に無造作に突き立てられて乱雑に飾りつけられた。

 目に付いた箇所あたり構わず切り刻まれ、抉られ、引き裂かれた結果、肉片や内臓が周囲に飛び散った。

 最後に、残った左足が仕上げとばかりにあっさりと宙を舞った。

 

 なんと哀れなことだろう。

 あの頑強と恐れられていたミノタウロスが四肢を失い、残った胴体も目を背けたくなるような惨状になったのだ。

 その光景を遠くで見ていた二人の内、シルフィードは身体を背後に背け何度も嘔吐しており、タバサは常に手にしていた自身の杖を地面に落している事に気付いていなかった。

「……」

 どんなに強大な敵を相手にしても、己の体力や技、頭脳そして覚悟を総動員して真っ向から立ち向かうのが勾導本来の戦闘スタイルだ。その闘いぶりは時折卑怯だと感じる事もあるが、一貫したその姿勢は奇妙な事に『気高さ』すら感じてしまうものであった。

 だが……、今眼前に広がる光景はなんだ。

 圧倒的な力の差を見せつけた上で恐怖に染まった敵に対しても容赦なく徹底した蹂躙と凌辱を敢行する姿は。

 あの戦闘経験豊富且つえげつない光景を何度も見てきたはずのタバサが絶句するほどの残酷で狂気に満ちた光景を創り出していたのだ。

 

 四肢を失い、身体を自由に動かす事が出来なくなったミノタウロスは仰向けの状態のまま、「コシュー、コシュー」とか細い呼吸を繰り返している。血を大量に失い、内臓も様々な部位をぶちまけた状態なのに、ミノタウロスという生物の恩恵である『高い生命力を誇る』お陰で辛うじて命を繋いでいた。皮肉な事だが……。

「イヤダ……、モウイヤダ……」

 口から血泡を吐きながら、無事な片目を溢れ出た涙で潤ませながら、掠れた声でそう繰り返す。

 激痛の上に激痛が重なり、息をする間もなく身体が欠損していく。

 とても正気ではいられない。その残った正気の欠片すらこれから粉々に切り刻まれるだろう。口元に狂笑を浮かべたまま自分を値踏みするように見つめている『それ』によって。

 そもそも、自分は『身体を取り戻せた』段階で『長く生きる事が出来ない』事を理解していたはずだ。

 

 左眼球穿孔失明

 全身に二度以上の火傷

 そして、口腔内からの刺突貫通による頸椎及び脳幹破砕

 

 頑強なミノタウロスでさえも死んでもおかしくないダメージを負っていたのだ。それを理解し、納得した上でこの肉体を取り戻したのだ。

 十年ぶりに自らの肉体を抑制なく自由に動かせた時、電撃が瞬いた。

 身体を襲う痛みすら、『生の証』として心の底から歓喜した。

 その絶頂の中、目の前にいる矮小な人間どもを喰らい尽くして満足した上で死ぬと決意した。したはずだった。

 

「シニタクナイ……。シニタクナイ……。シニタクナイ……」

 

 今、その決意は砕かれ、生を渇望していた。

 規格外の『強者』いや『狂者』による暴力と蹂躙。

 その前にはミノタウロス如きのちっぽけな決意など……、

 

「『いや、死ね。惨めに死ね』」

 

 残酷に打ち砕かれるだけだった。

 と、フツヌシは何かを思いつく。

「『……まぁ、結果的にお前は俺をこっちへ喚び込ませてくれる切っ掛けになってくれたんだ。お礼にいいモノをみせてやろう』」

 そう言うやフツヌシは右腕を掲げ、ブツブツとなにかの詠唱をはじめた。その言葉は日本語ではなく、古い神代語のようであった。

 詠唱を開始するのと同時に背中のルーンの色が一層暗くなる。その色はすでに漆黒に近付いており、掲げた右腕はさらなる変容(メタモルフォーゼ)をはじめた。それは確実に不穏な空気を巻き上げており、世界が狂気に犯されていくようであった。。

 詠唱を終えると、変異の終えた右腕が現れた。だが……、その腕はなんの変哲もない人間の腕だった。

 しかし、タバサ達は見た瞬間理解した。『あの腕は天地の理すら切り裂く』と。

 

 「『これが俺のとっておきであり、『俺自身』だ。名を『布都御魂(ふつのみたま)』と呼ぶ』」

 

 布都御魂。日本神話の『神武東征』において神武天皇に与えられた剣であり、諸説ではフツヌシの神魂が込められているといわれている神刀である。また『フツヌシ』とは、その布都御魂に神性を与えたモノだという説もある。

 

 フツヌシの顔にずっと張り付いていた狂笑が消える。無表情のまま黒いオーラを纏うそれをミノタウロスに向け――、

 

 フッ

 

 その時、世界を切り裂く音が聞こえた。

 薙いだその右腕の先に真紅の残光が迸る。

「……」

 その光景をタバサ達も静かに見つめている。

「『全力の二分程度だから、まぁこれくらいだな』」

 フツヌシが小さく呟いた瞬間、それが起きた。

 

 突如、洞窟が震えはじめた。それに合せるように周囲の鍾乳石が無数に切り裂かれ砕けていく。

 それだけではない。

 洞窟の壁にも無数の斬撃痕があり、中でも大きく真一文字に刻まれたそれは、深く深く刻まれ、よく見ると切り口がずれていた(・・・・・)

 そして、ミノタウロスは――。

 

 それは洞窟を切り刻む音が消えて数秒後だった。

 ミノタウロスの胴体が赤く輝いたと思った次の瞬間、胴体に残っていた肉が爆せた。次に内臓、最後に骨が。

 何が起きたのか。答えは簡単な事だった。

 

 『切り刻んだ』だけだ。

 

 『肉や骨をナノレベルまで細かく切り刻んだ』だけだ。

 

 その一閃には、幾千幾万もの斬撃が込められており、それをまともに喰らったミノタウロスに膨大な斬撃エネルギーが叩き込められた。

 そのエネルギーは身体に刻まれた幾億もの斬り口に沿って巡り回ったが、桁外れのエネルギーである為逃げ場は一切なかった。

 そのエネルギーの奔流にミノタウロスの肉体は耐え切れなくなり、内部から爆発したのだった。

 

 これが、これが、経津主神の『とっておき』――布都御魂の力であり、たった二パーセントほど解放しただけでこの惨状であった。

 

 真っ赤にぶちまけられた血だまりの地面にゴロリと転がった物があった。それは、ミノタウロスの首だった。

 さすがに、もう死んだと思われたが、『不死身』と呼ばれるミノタウロス。まだ意識があるのか、か細い声で呻いていた。

 フツヌシはそれに近付く。これ以上、何をやるというのだ。誰もがそう思っている中、洞窟の中にはツカツカとフツヌシの足音が反響するだけだった。

 ミノタウロスの大きな頭部の前に来ると、フツヌシは無言で眉間に左腕を突き立てた。その一撃はその分厚い頭蓋を抜け、指先に柔らかいものが当たる感触が伝わる。

 声帯が無いのに、か細いながらも絶叫を上げるミノタウロスを無視し、今度は右腕を同じ(あな)へ突き刺す。そして、力任せに前頭部の骨を皮膚ごと引き裂きはじめた。

 再び指先越しに伝わる絶叫の圧力。しかし、フツヌシは止めない。

 

 ベリ

 

 バキ

 

 ゴリュ

 

 グチュ

 

 耳を塞ぎたくなる生々しい音を伴いながら、遂に前頭骨を皮膚ごと引き剥がした。そして、露わになったのは薄桃色がかった真っ白い脳髄。それは肥大化し二倍三倍の大きさになっていたが、明らかに人間の物であった。つまり、ラルカスのものだ。

 脳髄が露出されるのと同時に、ミノタウロスの意思は遂に消え去った。身体は勿論の事、意思すらも蹂躙され尽くし、恐怖の限りを植え付けられ、極めつけに規格外の狂気を浴びたそれが『平穏』のまま死ねた訳が無い。最後の最後まで、『生と死』そのどちらも終着点は『虚無の狂気』しかないということに絶望しながら消えていったのだ。

 全てが終わった。そのはずであった。突然死んだはずのミノタウロスの口が小さく動き、聞き覚えのあるか細い声が聞こえた。

「……これが、禁忌を踏み越えた者への罰か」

 それは、間違いなくラルカスの声だった。ミノタウロスの意識が死んだから再び出てきたのか、そもそも脳幹が破壊されて死んだのに、なぜ再び意識を取り戻したのか。理由は分からない。それは、まさに『奇跡』と言うべき出来事だった。

 

 しかし、『奇跡』というものは、その全てが『良き事』ではない。今回の『奇跡』もそうであった。

 

「……日に日に、わたしの心がミノタウロスの残留意識に浸食されていくのはわかっていた。ふとした時、心の内から聞こえてくるんだ。『身体を返せ、人間が食べたい』と……。それを強く否定しても、目が覚めた時に目の前に人間の死骸が転がっている事が何度も起きて理解したのだ。……自害することも考えたさ。しかし、わたしにはその勇気がなかった。様々な言い訳を自分の中でやって無理矢理納得させてな……」

 ラルカスの懺悔をフツヌシは黙って聞いている。その表情は無表情で、何を考えているのか分からない。

 と、ラルカスはありったけの力を込め、恐る恐る近付いてきていたタバサ達にも聞こえるように必死に声を絞り出し、

 

「……嫌なものだな。『自分が、自分でなくなる』のは。 ……貴様もそう思うだろ?」

 

 そうフツヌシ(勾導)に皮肉を吐いた。

 それに対しフツヌシは――、

 

 

 

 無表情のまま、露出していたラルカスの脳髄を踏み潰した。

 

 生々しい踏砕音と共に周囲に潰れた脳髄の欠片が飛び散るその様は、ラルカスの声なき断末魔の様であった。

 

 薄ピンク色のそれを顔に浴びながら、フツヌシは低く呟く。

「『それが奴の選んだ道だ。己が正気と狂気に振り回されながらこれから先も、奴は嫌が応にも俺を頼り、俺を喚び込み、血塗れの結末を歩む』」

 そうラスカルに(こた)えるも、『脳髄』という彼そのものが無くなった今になっては無意味な事であった。

 

 

 フツヌシの凶行を間近で目撃したタバサ達は硬直していた。あれが勾導の内にいた存在。『勾導はどうなったのか』、『一体何が目的なのか』――、いろいろ問い正したいことがあるが、それらの言葉は口から出る事がなかった。

 フツヌシもタバサ達の存在に気付いたのか、体を彼女たちに向けた。その口元には薄い笑みが浮かんでいた。

「『お前が(勾導)をこの世界に喚んだロリっ娘か?』」

 その問いかけにタバサは反射的に頷いた。体は硬直しているのに、なぜかその動作は難なく出来た。

「『お前も色々と業が深いが……、無理に勾導の甘い考えに乗るんじゃねェよ。復讐は人だけが許された尊い行為だ。お前は何の気兼ねも無く叔父の首に刃を突き立てればいいんだよ』」

 そう言いながら顔を近づけたフツヌシの顔には再び狂笑が浮かんでいた。その顔を見たタバサは全身に警告が走るのを実感した。体を襲う恐怖心からなのか、フツヌシの言葉が心に深く突き刺さってきた。

『復讐』

 一度は折り合いをつけて消した言葉が再び心を駆け巡る。自分の中の黒い、目を背けたくなる嫌な心が囁きかけてきた。

『復讐、しよ。父さまを殺し、母さまを壊した奴らの首を叩き落とそ』

 黒い塊が心を包み込もうとしたその時だった。

『殺ったらお前絶対後悔するぞ! 元気になった母ちゃんをまっすぐ見れなくなるぞ! それでいいのかよ!? よくねぇだろッッッ!!』

 力強い、必死の叫びが塊を吹き飛ばす。

 再びその言葉を聞く事によって目の前が開けた。

 その言葉で目が覚めたおかげで目の前にいる存在に立ち向かう勇気が満ちてきた。

 タバサは、凛とした表情をつくるとフツヌシに言いきった。

「わたしは母さまを悲しませたくない。コウドウも悲しませたくない」

 その言葉を意外に思ったのかフツヌシは一瞬真顔を見せる。そして、ため息を一つ吐くと突然タバサの胸倉を掴んだ。

「お、お姉さまに何をするのねっ!」

 側にいたシルフィードが勇気を出して叫ぶが、フツヌシはそれを無視しタバサに顔を突き付ける。

「『甘い奴だ。だが、その甘い考えがいつまで続くか楽しみにさせてもらうぞ……。そして……、』」

 そう嗤いながらフツヌシはさらに続ける。

「『これが、お前が喚んだ者の正体だ。人でありながら人ならざるモノ(稀人)の意思を宿し、その力を喚び込む化外の一族の血を受け継ぐ者――。それが七瀬勾導だ。どれだけコイツが拒もうと『八岐瀬の宿命』からは逃げる事は出来ない。奴はお前が想像する以上の血と狂気に満ちた道を歩む事になる。それはロリっ娘、お前も同様だ。今お前も同じ道程を踏み出した。……『タバサ』、いや『シャルロット・エレーヌ・オルレアン』よ。遅かれ早かれお前はまた私と出会う事になるだろう。……もっとも、この依り代が生きていたら、の話だが』」

 そう告げた直後だった。

 フツヌシの身体から力が抜け、体が大きく揺らいだかと思った次の瞬間、口から大量の吐血をした。

「『ふん、限界を迎えたか。背中の(ルーン)のせいもあるが、『マガイツ』は不安定でいかん』」

 フツヌシがそう言った直後、今度は両の腕が悲鳴をあげた。腕が曲がらない方向に曲がり、出血する。特にひどいのは布都御魂となっていた右腕。規格外の力を振るった代償なのか、メキョメキョと骨が細かく折れ砕け、その折れた骨が肉を突き破って露出し、血も噴き出した。

 いつの間にか背中のルーンは光を失っており、塞がっていた腹部の貫通痕も再び開き赤く染まっている。

「『もし奴が生きのびたら伝えろ。『この坩堝(るつぼ)の世界を楽しめ。自由に掻き回し、そして変えろ』』」

 そう言って微笑むと、フツヌシは目を閉じ、どさりと倒れた。タバサは十秒ほど茫然としていたが、我に帰ると勾導に急いで近付いた。勾導の腕はだらりと垂れ下がり、今にも命の火が消えていくようだった。

「……ッ」

 焦る心を無理矢理鎮め、タバサは出来る限りの応急処置を開始した。

 勾導の生命力に全てを賭けて。

 

 





 ……えー、今回は以上です。(あっ、石投げないでっ)
 ぶっちゃけ、この展開にするかどうかメチャクチャ悩みました。まぁ、前回の投稿で引くに引けない状態にした自分が悪いのですが……。
 開き直って男塾やMMR、諸星作品など、自分の好きな要素をぶち込みました。
 なお、今回並のチート描写は当分やらないつもりです。(そのチート対象が勾導のみではないですし)
 今回の戦闘シーンも、身も蓋も無い言い方をするとスパロボにありがちなイベント戦闘みたいなもんですから。

 なお、今後の展開予定としては、あと一話で『タバサとミノタウロス』編を終え、一話短編を挟んでゼロ魔本編二巻のアルビオン潜入編に入る予定です。


 今回の更新は以上です。
 また、感想を頂けると嬉しいです。
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